公家の堂上家を家格ごとに分類整理するにあたって、ここでは、明治維新に至り、華族の族称を付与された堂上137家〔絶家・新家などで、時代によって、その数は変遷がある。寛文分限帳では77家、天和知行所附では101家〕に分類した。
石高・菩提寺・居所に関しては、雲上明覧大全を基本としたので、これらのデータは、幕末のものである。
その他、家紋などのデータの基本書としたもの、参考文献などは、各ページの下段にまとめて記載してある。
大政奉還以後、堂上格に列せられた、奈良華族等〔分家で、家名(苗字)が本家と違うもの〕の分家は、こちらに記した。⇒
奈良華族索引
公卿補任には、元和5(1619)年まで、武家の公卿名も記載されている。
これらは、メニューの武家と徳川・松平の項目に記してある。
堂上家の各家の覧には、内々外様の別・旧家新家の別・門流・家紋・家業・
江戸期の家禄・華族制度の爵位・菩提所・居所を記してある。
堂上家の門流と家業についての一覧は、基礎用語のページにまとめた。
門流
家業
近衛 ・ 九条 ・ 二条 ・ 一条 ・ 鷹司 の5家。
摂政・関白に昇進できる家。執柄家ともいう。
華族類別録第四十二類。
摂家の家業(家職)は、節会・官奏・叙位・叙目(四箇の大事と称した。)、天皇即位の儀式で、他家の芸道・学問などとは趣を異にする。
〓五摂家成立までの流れ〓
房前を祖とする藤原北家は、
平安時代中期に摂政藤原良房の子実頼の小野宮流と師輔の九条流とに分かれる。
藤原氏系図
鎌足 ━
不比等
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真夏[⇒日野]
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冬嗣
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長良
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良房
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良門[⇒勧修寺・葉室]
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良世
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基経
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忠平
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実頼 [小野宮流]
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師輔 [九条流]
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師輔の孫が道長で、以後は九条流が摂政関白職を独占する。
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