羽林家 (四条) 羽林家家系別分類表

四条 【しじょう】

本姓:藤原氏。華族類別録第四十五類。
旧家
外様
一条家門流
藤原北家魚名(末茂)流。中御門中納言藤原家成の子隆季を祖とする。
四条家一門の堂上家に油小路、櫛笥、西大路、八条、山科、鷲尾がある。
明治31(1898)年7月20日には、分家の隆平が男爵を授爵する〔現代華族譜要〕
家紋 田字草。
家業 料理包丁・笙。
江戸期石高 180石。明治2(1869)年6月、隆謌が永世禄三百石を賜る (戦功鳥羽伏見及奥羽役賞典表)。 隆謌の子隆平(分家。男爵)も永世禄二百石を賜る。
明治期爵位 伯爵-侯爵。
明治17(1884)年7月7日隆謌が伯爵を授爵〔現代華族譜要〕
明治24(1891)年4月23日隆謌が侯爵を陞爵〔現代華族譜要〕
菩提所 浄善寺。青山墓地〔最新華族名鑑明治41年12月調〕
居所 内丸太町寺町西入。

四条家系図

房前[北家祖] ┳ 真楯 嫡流
  ┣ 清河
  ┗ 魚名 ━ 末茂
総継 ━ 直道 ━ 連茂 ━ 佐忠
時明 ━ 頼任 ━ 隆経 ━ 顕季
家保 ━ 家成 ┳ 隆季
  ┗ 実教 ⇒[山科]
隆季以前の系図は、魚名三男末茂系図を参照。
┳ 隆房 ┳ 隆衡
  ┃   ┣ 隆宗 ┳ 隆恵(延暦寺)
  ┃   ┃ 冷泉 ┣ 隆嗣 ┳ 隆時
  ┃   ┃   ┃   ┗ 隆有(※系図纂要作隆任男)
  ┃   ┃   ┣ 隆任(常陸介。従四位下〔家譜〕)
  ┃   ┃   ┗ 隆審(家譜作隆番。系図纂要作隆香。
  ┃   ┃       仁和寺。法印)
  ┃   ┣ 隆重(従五位下。母同。早世)
  ┃   ┣ 隆仲 ⇒〔大宮
  ┃   ┣ 隆憲(従五位下。侍従。早世)
  ┃   ┣ 秀房(安房守。正五位下。
  ┃   ┃   本名寂因、或寂円。母高階泰経女)
  ┃   ┣ 隆弁(園城寺長吏。如意寺。
  ┃   ┃   文永2年11月8日(ユリウス暦:1265年12月16日)
  ┃   ┃   任大僧正〔諸門跡譜〕。
  ┃   ┃   弘安6年8月15日(ユリウス暦:1283年9月7日)
  ┃   ┃   寂〔諸門跡譜〕)
  ┃   ┣ 女子松殿師家室。基嗣母)
  ┃   ┣ 女子
  ┃   ┗ 女子(藤原基範室)
  ┃   ※女院記等によれば、
  ┃   玄輝門院の母は隆房女従二位臧子。
  ┣ 保実(従五位下。散位。母藤原通憲女。早世)
  ┣ 隆保 ┳ 隆俊 ━ 隆朝 ━ 隆名(房名嗣)
  ┃   ┣ 隆重(安芸守。従五位上)
  ┃   ┣ 隆玄(延暦寺。少僧都)
  ┃   ┣ 隆性(延暦寺。或隆雅男同人)
  ┃   ┣ 隆有(園城寺。或隆雅男同人)
  ┃   ┗ 隆禅(延暦寺。或隆雅男)
  ┣ 隆雅 ┳ 家雅 ━ 隆氏
  ┃   ┣ 隆行(或隆清子同人)
  ┃   ┣ 隆有(或隆保子同人)
  ┃   ┗ 隆性(延暦寺。檀那院。法印。
  ┃       或隆保子同人)
  ┣ 隆清 ━ 隆行(従五位下。或隆雅子同人)
  ┣ 慶隆(興福寺。法眼)
  ┣ 隆円(園城寺。法印)
  ┣ 良雲(延暦寺。法印)
  ┣ 円玄(興福寺別当。東北院。
  ┃   興福寺寺務次第・興福寺別当次第に
  ┃   よれば、安元元〔1175〕年生。
  ┃   建長2年11月28日(ユリウス暦:
  ┃   1250年12月22日)入滅。
  ┃   興福寺院家伝によれば、
  ┃   文治元〔1185〕年生。
  ┃   建長3年11月28日(ユリウス暦:1252年1月10日)化
  ┃   〔北大路家譜此同〕)
  ┣ 女子(藤原兼房室。九条兼良母)
  ┣ 女子藤原高能室)
  ┣ 女子藤原泰通室。経通母)
  ┗ 女子(藤原家光室)
┳ 隆綱 ━ 隆行 ┳ 隆康 ━ 隆氏 ━ 女子勧修寺経顕母。*或隆康女)
  ┃   ┣ 隆久 ━ 隆定
  ┃   ┣ 隆政 ┳ 隆有 ┳ 隆持〔⇒西大路
  ┃   ┃   ┃   ┣ 隆光(兵衛佐従五位上)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 隆邦(左中将。従四位上)
  ┃   ┃   ┣ 隆蔭[油小路祖]
  ┃   ┃   ┣ 季政(民部少輔。正五位下)
  ┃   ┃   ┣ 隆暁(猶子。延暦寺。僧正。蓮華院)
  ┃   ┃   ┣ 隆寿(延暦寺。宇治。大僧正。横川長吏)
  ┃   ┃   ┗ 女子(従三位)
  ┃   ┣ 隆勝(醍醐寺。報恩院。僧正。号水本。
  ┃   ┃   釈迦院〔系図纂要〕。文永元(1264)年生。
  ┃   ┃   正和3年11月26日(ユリウス暦:1315年1月2日)入滅〔醍醐
  ┃   ┃   報恩院血脈〕)
  ┃   ┣ 隆静(延暦寺。威徳院。僧正。母同隆康)
  ┃   ┗ 隆深(延暦寺。法印)
  ┣ 隆親 ┳ 隆顕 ┳ 隆任(家譜无)
  ┃   ┃   ┣ 隆実 ━ 隆資 ┳ 隆量(従四位上。左少将。
  ┃   ┃   ┃   ┃   元徳3/元弘元(1331)年卒)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 隆重(或隆童、隆定。左少将。
  ┃   ┃   ┃   ┃   従四位上)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 隆任(木工頭。従四位下)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 隆俊(候南朝)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子西園寺実俊妾。公永母)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 隆保
  ┃   ┃   ┣ 隆清(左馬頭。正四位下)
  ┃   ┃   ┗ 女子吉田定房室)
  ┃   ┣ 房名 ┳ 房衡 ━ 隆通
  ┃   ┃   ┣ 隆名 ━ 隆宗 ┳ 隆郷 ┳ 隆直
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(今子。典侍。従三位。
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   後円融天皇妃。
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   道朝(或道明)親王母)
  ┃   ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(北山院女房対御方)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 隆冬
  ┃   ┃   ┣ 房成
  ┃   ┃   ┗ 季衡
  ┃   ┣ 隆良 [鷲尾祖]
  ┃   ┣ 隆任(興福寺)
  ┃   ┣ 隆遍(興福寺別当。大僧正。修南院。証誠)
  ┃   ┣ 女子(従三位)
  ┃   ┗ 女子(従一位識子〔系図纂要作議子〕。号鷲尾一品)
  ┣ 隆盛 ┳ 隆教 ━ 隆重 ━ 隆冬
  ┃   ┗ 隆名
  ┣ 隆宣 ━ 隆基
  ┣ 隆快(仁和寺。香隆院。安祥寺。法印。権僧正〔系図纂要〕。
  ┃   覚教僧正付法〔仁和寺諸院家記〕。某年3月16日寂〔諸門跡譜〕)
  ┣ 隆助(仁和寺。僧正。法眼。二長者。相応院〔仁和寺諸院家記・系図纂要〕。
  ┃   号鳴瀧僧正。号大納言僧正〔仁和寺諸院家記〕。
  ┃   系図纂要〕。建保元(1213)年生〔仁和寺諸院家記・系図纂要〕。
  ┃   弘安元年7月29日(ユリウス暦:1278年8月18日)寂〔仁和寺諸院家記・系図纂要〕)
  ┣ 良承(或良乗)
  ┣ 女子(貞子。准三宮〔女院小伝〕。従一位〔女院小伝・女院記〕。二品〔系図纂要〕。
  ┃   西園寺実氏室。大宮院・東二条院母。号今林准后〔系図纂要〕)
  ┣ 女子(従一位灑子〔二条家譜による。系図纂要此同。公卿補任作従二位儷子〕。
  ┃   二条良実室。道良母)
  ┗ 女子(大納言典侍。四条院女房)
┳ 隆盛 ┳ 隆尚
  ┃   ┗ 隆量 ┳ 隆熈(右少将。従四位上。母吉田兼名女)
  ┃   ┣ 隆香(従五位下。母同。早世)
  ┃   ┣ 隆永 ┳ 隆重 ┳ 隆益
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(心性院)
  ┃   ┃   ┣ 隆賢(母同。法眼。恵命院)
  ┃   ┃   ┣ 隆源(尊卑分脈・系図纂要作隆深。
  ┃   ┃   ┃   母同。法眼。報恩院)※1
  ┃   ┃   ┣ 隆慶(母同。東大寺心性院。法眼)
  ┃   ┃   ┣ 女子(大慈院比丘。慶松庵)
  ┃   ┃   ┣ 女子(三時知恩院比丘)
  ┃   ┃   ┣ 女子(東坊城長淳妾但離別)
  ┃   ┃   ┗ 女子(慈敬寺法印政清妻)
  ┃   ┗ 女子(四条隆永室。隆重母)
  ┗ 房任(猶子)⇒〔西川
※1 名前は四条家譜に従った。醍醐報恩院血脈には、俗姓四条大納言隆家息の隆源大僧正が記載されているが、 康永元/興国3(1342)年生。応永32年3月29日(ユリウス暦:1425年4月17日)入滅とあるので、世代的に一致しない。
隆昌 (実上冷泉為益男。元家賢。
    左中将。正四位下。弘治2(1556)年生。
    慶長18年5月12日(1613年6月29日)卒。
    快養院観誉隆昌〔系図纂要〕)
┳ 隆術
  ┣ 女子藤谷為賢室。為条母)
  ┣ 女子(本多美濃守室)
  ┗ 隆憲〔櫛笥※2
※2 櫛笥祖隆憲は、櫛笥家譜によると隆益の二男(実正親町三条公兄孫)となっている〔四条家譜同〕。 隆昌の子としたのは、知譜拙記・系図纂要(実松陰居士男。公兄孫)の表記に従った。
┳ 隆音 ┳ 隆安 ┳ 隆文
  ┃   ┃   ┗ 女子
  ┃   ┗ 女子(隆安妻)
  ┗ 女子(実松平清匡女。隆術室の妹。
      *系図纂要松平〔奥平・武蔵忍〕系図による)
隆叙 ┳ 隆師
  ┣ 女子(町子。早世)
  ┣ 女子(唯念寺室)
  ┗ 隆良(実山科頼言男。西大路隆共朝臣嗣)
┳ 隆房(本名隆孝。母家女房。従四位上。
  ┃   天明元年6月6日(1781年7月26日)生。
  ┃   享和元年2月28日(1801年4月11日)卒)
  ┣ 女子(早世)
  ┣ 男子(早世)
  ┗ 隆生 ┳ 男子(早世)
  ┣ 女子(早世)
  ┣ 隆美(母家女房。正五位下。
  ┃
文化12年3月10日
  ┃
(1815年4月19日)生。
  ┃
天保5年6月14日
  ┃
(1834年7月20日)卒)
  ┗ 隆謌(母家女房。隆美嗣。  ⇒
 
文政11年9月9日
 
(1828年10月17日)生。
 
天保5年8月28日
 
(1834年9月30日)叙従五位下。
 
天保12年12月14日
 
(1842年1月25日)元服。
   
聴昇殿。同日叙従五位上。
 
天保15年正月5日
 
(1844年2月22日)叙正五位下。
 
文久2年10月16日
 
(1862年12月7日)任侍従。
 
同年11月4日叙従四位下。
 
文久3年8月16日
 
(1863年9月28日)叙従四位上。
 
現代華族譜要によれば、
 
明治31(1898)年11月卒。
 
夫人黒田長溥養女、実奥平昌高女。
 
夫人中井好馬長女春子)

大宮〔隆仲裔〕

隆仲 ━ 隆兼 ┳ 隆茂 ━ 隆賢
  ┗ 顕成 ━ 顕茂
┳ 隆俊 ━ 隆通
  ┗ 隆清

四条家公卿一覧

藤原 隆季
[ 大治2(1127)年 〜 元暦2年正月11日(ユリウス暦:1185年2月12日) ]
家成一男。母加賀守高階宗章女。号四条、又号大宮。
保元3年11月26日(ユリウス暦:1158年12月18日)叙従三位。
寿永元(養和2)年5月24日(ユリウス暦:1182年6月26日)出家。
正二位・権大納言。
※没年は諸家知譜拙記によるものだが、没年齢が69歳となっている。 これに従えば、生年は永久5(1117)年ということになる。家譜は大治2(1127)年とし、嘉承2(1107)年トモ永久5(1117)年トモとある。
藤原 隆房
[ 久安4(1148)年 〜 建永元年6月23日(ユリウス暦:1206年7月30日) ]
隆季男。母藤原忠隆女。法名・寂恵。号冷泉。
寿永2年12月10日(ユリウス暦:1184年1月24日)任参議。
建永元年6月23日(ユリウス暦:1206年7月30日)出家。
正二位・権大納言。
藤原 隆保
[ 久安6(1150)年 〜 ? ]
隆季二男。母藤原忠隆女。
建久8年3月20日(ユリウス暦:1197年4月9日)叙従三位。
建保4年9月13日(ユリウス暦:1216年10月25日)出家。
正三位・非参議。
四条 隆衡(本名長雅)
[ 承安2(1172)年 〜 建長6年10月2日(ユリウス暦:1254年11月13日) ]
隆房一男。母平清盛女。号・鷲尾大納言。金仙院〔系図纂要〕
建仁2年7月23日(ユリウス暦:1202年8月12日)任参議。
嘉禄3(1227)年9月出家。
正二位・権大納言。
藤原 隆雅
[ 生没年不明 ]
隆季三男。母藤原忠隆女。
建仁4年正月5日(ユリウス暦:1204年2月7日)叙従三位。
建永2年4月4日(ユリウス暦:1207年5月2日)出家。
従三位・非参議。
四条 隆仲
[ 寿永2(1183)年 〜 ? ]
隆房四男。母後鳥羽院女房(右衛門佐)。
建保2年正月13日(ユリウス暦:1214年2月24日)叙従三位。
寛喜元年12月21日(ユリウス暦:1230年1月7日)出家。
従三位・非参議。
※家譜によれば、家号大宮。
四条 隆宗
[ 養和元(1181)年 〜 寛喜元年8月21日(ユリウス暦:1229年9月10日) ]
隆房二男。母平清盛女。号冷泉〔家譜〕
建保6年正月5日(ユリウス暦:1218年2月1日)叙従三位。
従三位・非参議。
※生年は、国史大系公卿補任の分注が記す異本の没年齢49歳から逆算。原典の没年齢54歳から計算すると、安元2(1176)年生まれ。
四条 隆親
[ 建仁3(1203)年 〜 弘安2年9月6日(ユリウス暦:1279年10月12日) ]
隆衡二男。母坊門信清女。号・四条〔系図纂要作四条又大宮〕
元仁元年12月17日(ユリウス暦:1225年1月27日)任参議。
善勝寺長〔系図纂要〕
正二位・大納言。
※生年は、公卿補任の最終年の条に記載された年齢77歳から逆算。初見時に記載された年齢から計算すると、建仁2(1202)年生まれ。 系図纂要は、建仁2(1202)年生まれとある。また、知譜拙記によれば、没年齢は78歳で、建仁2(1202)年生まれということになる。
四条 隆綱
[ 文治5(1189)年 〜 ? ]
隆衡一男。
文暦2年正月23日(ユリウス暦:1235年2月12日)叙従三位。
建長5(1253)年2月出家。
従二位・非参議。
有職袖中鈔によれば西大路家の祖。
※系図纂要によれば、名前は隆経、一作隆綱。
※尊卑分脈によれば、母は家女房高階経仲〔系図纂要作為経〕女。
※尊卑分脈・系図纂要によれば、号四条、又大宮。
四条 隆盛(本名隆宣)
[ 建暦元(1211)年 〜 建長3年8月13日(ユリウス暦:1251年8月31日) ]
隆衡三男。
嘉禎2年12月18日(ユリウス暦:1237年1月16日)叙従三位。
従三位・非参議。
四条 房名
[ 寛喜元(1229)年 〜 正応元年6月15日(ユリウス暦:1288年7月14日) ]
隆親男。母右兵衛督藤原信家女。
宝治2年12月17日(ユリウス暦:1249年1月2日)叙従三位。
正二位・大納言。
※尊卑分脈によれば、没日は10日。
四条 隆行
[ 元仁元(1224)年 〜 弘安8年11月9日(ユリウス暦:1285年12月6日) ]
隆綱男。法名・行乗。
建長4年12月4日(ユリウス暦:1253年1月5日)任参議。
弘安8年8月6日(ユリウス暦:1285年9月6日)出家。
正二位・権大納言。
※没年は、系図纂要による。
※尊卑分脈によれば、母は源惟義女。
四条 隆兼
[ 生没年不明 ]
隆仲男。
建長5年12月5日(ユリウス暦:1253年12月26日)叙従三位。
文応元(1260)年以降、不見。
従三位・非参議。
四条 隆顕
[ 寛元元(1243)年 〜 ? ]
隆親男。母左馬頭源義氏朝臣女。法名・顕空。
正嘉元年11月10日(ユリウス暦:1257年12月17日)任参議。
建治3年5月4日(ユリウス暦:1277年6月6日)出家。
正二位・権大納言。
四条 隆康
[ 建長元(1249)年 〜 正応4年2月24日(ユリウス暦:1291年3月26日) ]
隆行一男。母宮仕女房(式乾門院播磨局。入道河内女)。
文永11年9月10日(ユリウス暦:1274年10月11日)叙従三位。
正二位・参議。
四条 隆良 ⇒ 鷲尾 隆良〔鷲尾家の祖〕
四条 隆久
[ 生没年不明 ]
隆行二男。
正応5年12月30日(ユリウス暦:1293年2月7日)叙従三位。
嘉暦2(1327)年出家。
正二位・参議。
藤原 顕成
[ ? 〜 永仁4(1296)年 ]
隆兼男。
正応6年6月24日(ユリウス暦:1293年7月29日)叙従三位。
従三位・非参議。
※公卿補任には、父故従三位顕兼卿男とある。
四条 隆賢
[ 生没年不明 ]
正四位下行左近衛権中将隆茂朝臣男。
嘉元3年壬12月17日(ユリウス暦:1306年2月1日)叙従三位。
文保元(1317)年以降、不見。
正三位・非参議。
四条 隆政
[ 文永4(1267)年 〜 正慶元/元弘2年5月12日(ユリウス暦:1332年6月5日) ]
隆行三男。母高辻長成女。法名・覚乗。
延慶元年10月12日(ユリウス暦:1308年11月25日)叙従三位。
正和2年10月17日(ユリウス暦:1313年11月6日)出家。
正三位・非参議。
四条 隆名(本名隆能・隆右)
[ ? 〜 元亨2(1322)年7月 ]
房名次男(実正四位下藤原隆朝朝臣男)。母家女房法眼増賀女。
延慶2年10月15日(ユリウス暦:1309年11月17日)叙従三位。
正三位・非参議。
四条 隆有(本名隆頼)
[ 正応5(1292)年 〜 嘉暦4年6月27日(ユリウス暦:1329年7月24日) ]
隆政男。母家女房。
文保元年2月5日(ユリウス暦:1317年3月18日)任参議。
正三位・参議。
四条 房衡
[ 弘安7(1284)年 〜 延文2/正平12年6月18日(ユリウス暦:1357年7月5日) ]
房名男。
正和6年正月5日(ユリウス暦:1317年2月16日)叙従三位。
正三位・非参議。
藤原 隆通
[ ? 〜 明徳3/元中9(1392)年 ]
房衡男。
応安6/文中2年10月9日(ユリウス暦:1373年10月25日)叙従三位。
従三位・非参議。
※没年は公卿補任と系図纂要によるものだが、公卿補任には応永2(1395)年条にも名前が記載されていて、月日薨とある。
四条 隆資
[ 正応5(1292)年 〜 観応3/正平7年5月12日(ユリウス暦:1352年6月24日) ]
隆顕男。
嘉暦2年3月24日(ユリウス暦:1327年4月16日)任参議。
正二位・権中納言。
八幡合戦に於いて討死。
※尊卑分脈によれば正四位下左中将隆実の子。
四条 隆持
[ 文保2(1318)年 〜 永徳3/弘和3年3月19日(ユリウス暦:1383年4月22日) ]
隆有男。母伏見院治部卿従三位平信有女。
康永元/興国3年12月21日(ユリウス暦:1343年1月18日)任参議。
正二位・権中納言。
※生年は没年時に記載された年齢から逆算。初見時に記載された年齢から計算すると、1317年生まれ。
四条 隆宗(本名隆基)
[ ? 〜 延文3/正平13年10月6日(ユリウス暦:1358年11月7日) ]
隆名男。
観応2/正平6年4月16日(ユリウス暦:1351年5月12日)叙従三位。
正三位・非参議。
夜討に遭い死亡。
四条 隆郷
[ 嘉暦元(1326)年 〜 応永17年2月12日(ユリウス暦:1410年3月17日) ]
隆宗男。法名・宗怡。
延文5/正平15年4月17日(ユリウス暦:1360年5月2日)叙従三位。
応永2年6月21日(ユリウス暦:1395年7月8日)出家。
従一位・権大納言。
四条 顕保  〔油小路家〕
藤原 隆冬
[ 生没年不明 ]
隆宗男。
明徳4(1393)年初見、非参議正三位(或去年12月15日叙)。
応永11(1404)年出家。
従二位・非参議。
※出家年は、或応永10(1403)年。
四条 隆直
[ 延文2/正平12(1357)年 〜 永享8(1436)年8月 ]
隆郷男。法名・浄喜。
応永9年10月3日(ユリウス暦:1402年10月29日)叙従三位。
応永30年12月19日(ユリウス暦:1424年1月20日)出家。
正二位・権大納言。
四条 隆盛
[ 応永4(1397)年 〜 寛正7年2月21日(ユリウス暦:1466年3月7日) ]
隆直男。母西大路隆仲女。
応永31年3月6日(ユリウス暦:1424年4月5日)叙従三位。
従一位・権大納言。
四条 隆夏  〔油小路家〕
四条 隆量(房卿)
[ 永享元(1429)年 〜 文亀3年9月19日(ユリウス暦:1503年10月9日) ]
隆盛男。法名・常泰。
康正元(1455)年叙従三位。
明応7年8月21日(ユリウス暦:1498年9月7日)出家。
従一位・権大納言。
四条 隆永
[ 文明10(1478)年 〜 天文7年4月16日(ユリウス暦:1538年5月14日) ]
隆量男(実中御門宣胤二男)。母吉田兼名女(実母甘露寺親長女典侍朝子)。
永正7年6月27日(ユリウス暦:1510年8月1日)叙従三位。
従一位・権大納言。
四条 隆継 〔油小路家〕
四条 隆重
[ 永正4(1507)年10月 〜 天文8年11月19日(ユリウス暦:1539年12月29日) ]
隆永男。母四条隆量女。
天文5年3月1日(ユリウス暦:1536年3月22日)叙従三位。
従三位・参議。
四条 隆益
[ 享禄4年正月19日(ユリウス暦:1531年2月6日) 〜 永禄10年9月8日(ユリウス暦:1567年10月10日) ]
隆重男。母吉田兼満女。
永禄4年12月5日(ユリウス暦:1562年1月9日)叙従三位。
従三位・参議。
四条 隆術
[ 慶長16年5月25日(1611年7月5日) 〜 正保4年11月28日(1647年12月24日) ]
左中将隆昌朝臣四男。 嶺光院昌誉宗術〔系図纂要〕
寛永17年正月5日(1640年2月26日)叙従三位。
正三位・参議。
四条 隆音
[ 寛永14年3月14日(1637年4月9日) 〜 寛文10年7月22日(1670年9月6日) ]
隆術男。母家女房(松平清匡女)。
恵通院影響隆音〔系図纂要〕
寛文8年正月6日(1668年2月17日)叙従三位。
従三位・参議。
四条 隆安(本名言通・隆盈)
[ 寛文3年5月14日(1663年6月19日) 〜 享保5年正月26日(1720年3月4日) ]
隆音男(実山科言行次男)。母家女房。
成等院隆安覚照〔系図纂要〕
元禄5年12月13日(1693年1月18日)叙従三位。
従三位・権中納言。
※諸家知譜拙記によれば、元名は隆元。
公卿補任尻付
寛文3年5月14日(1663年6月19日)誕生。
寛文9年12月18日(1670年2月8日)叙爵(于時言通)。
寛文11年12月3日(1672年1月2日)改隆盈。
同日元服昇殿侍従従五位上。
延宝3年12月27日(1676年2月10日)正五位下。
延宝4年12月23日(1677年1月26日)左少将。
延宝7年正月5日(1679年2月15日)従四位下。
同12月27日左中将。
天和3年正月5日(1683年2月1日)従四位上。
貞享3年正月23日(1686年2月15日)改隆安。
同11月12日兼春宮亮。
貞享4年2月29日(1687年4月11日)正四位下(去年正七分)。
同3月21日止亮。
四条 隆春(改名隆文)
[ 元禄2年6月22日(1689年8月7日) 〜 元文3年8月9日(1738年9月22日) ]
隆安男。母家女房。
信解院隆文鎮照〔系図纂要〕
享保11年5月16日(1726年6月15日)叙従三位。
正三位・参議。
四条 隆叙(本名季栄)
[ 享保15年11月9日(1730年12月18日) 〜 享和元年10月22日(1801年11月27日) ]
隆文男(実正親町公通末子)。母家女房(実母家女房)。
泰心院高誉隆叙寿山〔系図纂要〕
宝暦5年正月28日(1755年3月10日)叙従三位。
従一位・権大納言。
四条 隆師
[ 宝暦6年8月3日(1756年8月28日) 〜 文化8年2月2日(1811年2月24日) ]
隆叙男。母家女房。泰光院明誉隆師照山〔系図纂要〕
安永6年4月15日(1777年5月21日)叙従三位。
正二位・権大納言。
※中山家譜・華族類別譜によれば、実は中山栄親男。
四条 隆生
[ 寛政4年12月1日(1793年1月12日) 〜 安政4年正月13日(1857年2月7日) ]
隆師男(或実者醍醐輝久男)。母家女房。
室仙石久道女〔仙石家譜〕
文政8年5月28日(1825年7月13日)叙従三位。
正二位・権大納言。

藤原北家高藤流

高藤11代孫光雅の子顕俊を祖とする。又号岩蔵。

四条家系図
顕俊までの系図は、葉室家系図を参照。
顕俊 ┳ 頼隆 ┳ 頼俊(或顕俊子頼俊同人。正五位下。中宮権大進)
  ┃   ┣ 顕成
  ┃   ┣ 尊俊(延暦寺。法印権大僧都)
  ┃   ┗ 女子(大中臣隆世室 離別)
  ┣ 顕基
  ┣ 親俊 ┳ 親頼 ┳ 顕家 ━ 房高 ━ 顕宣
  ┃   ┃   ┣ 顕任(或顕仕、顕経。或親成子顕任同人。従四位下。兵部大輔)
  ┃   ┃   ┣ 親守(園城寺。法印権大僧都)
  ┃   ┃   ┣ 光弁(園城寺。法印権大僧都)
  ┃   ┃   ┗ 顕恵(或顕恩。延暦寺。権大僧都)
  ┃   ┣ 光顕(正五位下。刑部大輔)
  ┃   ┣ 親成 ┳ 顕任(或親頼子顕任同人。従四位下。兵部大輔)
  ┃   ┃   ┗ 女子(慈深僧正母)
  ┃   ┣ 親朝 ┳ 藤朝 ┳ 親嗣
  ┃   ┃   ┃   ┗ 親藤
  ┃   ┃   ┣ 親忠(治部大輔。従四位下)
  ┃   ┃   ┣ 俊朝(正五位下。少納言。備前守)
  ┃   ┃   ┣ 忠朝(右兵佐)
  ┃   ┃   ┗ 女子(藤原経氏室)
  ┃   ┣ 親定(正五位下、或正四位下。宮内大輔)
  ┃   ┣ 静雅
  ┃   ┣ 任親(園城寺。法印大僧都)
  ┃   ┣ 親雲(延暦寺)
  ┃   ┗ 女子(土御門顕方室。顕実母)
  ┣ 頼俊(或頼隆子頼俊同人。越中守。中宮権大進)
  ┣ 顕誉(延暦寺。大僧都)
  ┗ 親賢(東大寺。阿闍梨)
藤原 顕俊(本名忠方)
[ 寿永元(1182)年 〜 寛喜元(1229)年6月 ]
光雅二男。母右大弁藤原重方朝臣女。藤原宗頼猶子。
建暦元年9月8日(ユリウス暦:1211年10月16日)任参議。
10月17日正四位下。
建暦2年正月13日(ユリウス暦:1212年2月17日)兼播磨権守。
12月20日従三位。
建保3年8月12日(ユリウス暦:1215年9月7日)兼右兵衛督。
建保4年正月13日(ユリウス暦:1216年2月2日)補検別当。3月28日転左。
建保5年正月28日(ユリウス暦:1217年3月7日)転右衛門督。同日近江権守。
11月8日正三位(松尾北野行幸行事賞)。
建保6年正月13日(ユリウス暦:1218年2月9日)任権中納言。右衛門督使別当如元。
建保7年4月8日(ユリウス暦:1219年5月23日)辞督並別当。
承久2年正月22日(ユリウス暦:1220年2月27日)辞退。
承久4年3月24日(ユリウス暦:1222年5月6日)聴本座。
貞応3年正月23日(ユリウス暦:1224年2月13日)従二位。
嘉禄3年正月5日(ユリウス暦:1227年1月23日)正二位。
嘉禄3年2月18日(ユリウス暦:1227年3月7日)依病出家。
正二位・権中納言。
※本名は、尊卑分脈によれば、光成。
※没日は、尊卑分脈によれば、7月21日。
藤原 頼隆(本名忠宗)
[ 建仁2(1202)年 〜 ? ]
顕俊一男。母石見守藤原能頼女。
嘉禄3年10月4日(ユリウス暦:1227年11月14日)任参議。
文暦2年8月7日(ユリウス暦:1235年9月20日)出家。
従三位・参議。
藤原 親俊(本名成俊)
[ 承元元(1207)年 〜 正嘉2年2月7日(ユリウス暦:1258年3月13日) ]
顕俊二男。母藤原実守女。
文暦元年12月21日(ユリウス暦:1235年1月11日)任参議。
建長4年12月8日(ユリウス暦:1253年1月9日)出家。
正二位・権中納言。
※生年は、公卿補任に記載された年齢から逆算。尊卑分脈の出家・没年齢から計算すると、建永元(1206)年生まれ。
※没年は、尊卑分脈による。
藤原 親頼
[ 嘉禄元(1225)年 〜 永仁6年2月10日(ユリウス暦:1298年3月23日) ]
親俊男。母日吉禰宜祝部成茂女。法名円空。
建長4年12月4日(ユリウス暦:1253年1月5日)任参議。
永仁6年2月8日(ユリウス暦:1298年3月21日)出家。
正二位・権中納言。
※没年・法名は、尊卑分脈による。
藤原 親朝
[ 嘉禎2(1236)年 〜 弘安4年12月23日(ユリウス暦:1282年2月3日) ]
親俊二男。母日吉禰宜祝部成茂女。
建治元年12月22日(ユリウス暦:1276年1月9日)任参議。
正三位・参議。
※母名は、尊卑分脈による。
藤原 藤朝
[ 生没年不明 ]
親朝男。
応長元年壬6月9日(ユリウス暦:1311年7月25日)任参議。
正中2(1325)年以降、不見(或正中元年没又は出家)。
正三位・参議。
四条 顕家(光家)
[ ? 〜 嘉元4年3月10日(ユリウス暦:1306年4月23日) ]
藤原親頼男。母法印棟清女。号・堀川。
永仁6年6月8日(ユリウス暦:1298年7月17日)叙従三位。
正三位・参議。
藤原 顕親(顕高・房高)
[ 弘安7(1284)年 〜 康永2/興国4(1343)年 ]
顕家男。
文保元年2月5日(ユリウス暦:1317年3月18日)叙従三位。
従三位・非参議。
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南家高倉(藪)流
3家
※南家高倉流は、閑院家に従属。
中御門家
9家
花山院家
5家
四条家
7家
(園池⇒櫛笥庶流だが公屋が正親町三条実昭の猶子となった為、以降、閑院家となる。)
 四条家庶流大綱略系図
御子左家
4家
水無瀬家
5家
高倉家
2家

村上源氏
8家
宇多源氏
3家