名家  (竹屋)

家系別分類表

竹屋

【たけや】
本姓:藤原氏。華族類別録第四十七類。
旧家
外様
近衛家門流
藤原北家日野流。権大納言従一位広橋仲光の子右衛門督兼俊を祖とする。冬俊(冬光)、治光、光継が公卿となるが、中絶する。その後、寛永年間に入り、正二位権大納言広橋総光の次男光長が竹屋流を相続した。
家紋 対い鶴。
家業 挿花。
江戸期石高 180石〔雲上明覧大全・現代華族譜要〕。281石〔知譜拙記〕
明治期爵位 子爵。明治17(1884)年7月8日光昭子爵授爵〔現代華族譜要〕
菩提所 竜光院。
居所 西殿町行当り。

竹屋家系図

兼俊までの系図は、広橋家系図を参照。
兼俊 ┳ 資光(広橋兼宣為子)
  ┣ 冬俊 ━ 治光 ┳ 光継 ┳ 兼範(興福寺。東院。権僧正。
  ┃   ┃   ┃   広橋守光為子)
  ┃   ┃   ┣ 孝海(養子。東寺。宝幢院。
  ┃   ┃   ┃   寛海贈僧正弟子)
  ┃   ┃   ┣ 女子(元後法成寺関白家女房。
  ┃   ┃   ┃   町資将室。淳光母)
  ┃   ┃   ┗ (中絶相続)
  ┃   ┗ 円瑜(内山。中院。僧正。
  ┃   顕秀僧正弟子。
  ┃   天文16年10月4日(ユリウス暦:1547年11月16日)入滅於
  ┃   越前国一乗谷天徳寺。
  ┃   ※系図纂要によれば、
  ┃   広橋守光猶子)
  ┣ 承聖(延暦寺。安居院。権少僧都。仲承僧正弟子)
  ┣ 範兼(園城寺。円竜院。権僧正。範誉僧正弟子)
  ┗ 兼円(広橋宣光猶子。興福寺別当)
光長 ┳ 光通 ━ 光久 ━ 光忠
  ┣ 光久(光通嗣)
  ┣ 男子(系図纂要によれば光郷。)
  ┃   住安芸国武家。
  ┃   万治2年11月21日(1660年1月3日)卒)
  ┣ 女子(越前松平兵部大輔家中本多左衛門室)
  ┣ 女子(越前松平兵部大輔家中酒井玄蕃室)
  ┗ 女子(徳川将軍家上臈号須磨)
光兼 ┳ 光予 ┳ 勝孟
  ┃   ┗ 女子(平松時章室。時門母)
  ┗ 光時(外山光任嗣)
光棣 ┳ 俊康(実広橋伊光男。母家女房。
  ┃
生母堀河康実女〔広橋家譜・系図纂要。
  ┃
※堀河家譜によれば実堀河康忠女〕。
  ┃
勘解由次官。正五位下。
  ┃
寛政9年閏7月9日(1797年8月30日)生。
  ┃
文化13年8月17日(1816年9月8日)卒。
  ┃
浩月院〔系図纂要〕)
  ┣ 女子(母家女房。徳川将軍家上臈号梅園。
  ┃
天保10年4月29日(1839年6月10日)卒)
  ┗ 光有
┳ 光昭 ┳ 光富(母家女房京都府士族太田信熈女。従五位。
  ┃   ┃
万延元年11月22日(1861年1月2日)生。
  ┃   ┃
夫人雅子[慶応2年5月13日(1866年6月25日)生]
  ┃   ┃
〔華族名鑑による。華族家系大成作太田某女〕)
  ┃   ┣ 男子(母同。明治2年5月28日(1869年7月7日)生)
  ┃   ┣ 女子(母同。明治5年4月8日(1872年5月14日)生。
  ┃   ┃
華族家系大成によれば、津根子。
  ┃   ┃
皇太后宮職典侍。昭和35(1960)年5月卒)
  ┃   ┣ 吉光(母同。明治7(1874)年11月6日生。西大路隆修嗣)
  ┃   ┗ 女子(※華族家系大成による。志計子。皇后宮女官長。
  ┃  
明治9(1876)年5月生。昭和38(1963)年3月卒)
  ┃   ※華族家系大成によれば、南光利は実光昭男とある。
  ┣ 定允(母家女房京都府士族中川故佐左衛門女。
  ┃
野宮定功養子。
  ┃
嘉永元年8月22日(1848年9月19日)生。
  ┃
慶応2年8月27日(1866年10月5日)卒)
  ┣ 女子(益〔華族家系大成〕。母同光昭。
  ┃
嘉永6年6月28日(1853年8月2日)生。
  ┃
土方雄永妻。離別。綾小路有良妻〔華族家系大成〕)
  ┣ 定穀(母同定允。嘉永6年7月17日(1853年8月21日)生。
  ┃
野宮定功養子)
  ┗ 女子(母家女房乗光寺佐々木照阿女。
 
明治5年9月25日(1872年10月27日)生)
■色の名前は公卿。
竹屋 冬俊(本名冬光)
[ ? 〜 寛正5年10月30日(※家譜にも30日とあるが、「日本暦日原典」によると、寛正5年10月は、小の月) ]
右衛門督広橋兼俊朝臣男。広橋仲光孫。
康正2年正月30日(ユリウス暦:1456年3月6日)叙従三位。
従三位・非参議。
竹屋 光継
[ 文明9(1477)年 〜 天文9年7月10日(ユリウス暦:1540年8月12日) ]
正四位下宮内卿治光朝臣男。寂栄〔系図纂要〕
享禄元年9月12日(ユリウス暦:1528年9月25日)叙従三位。
天文9年6月28日(ユリウス暦:1540年7月31日)出家。
正三位・非参議。
竹屋 光長
[ 慶長元年11月9日(1596年12月28日) 〜 万治2年2月21日(1659年4月12日) ]
広橋総光男。母杉若越後守女〔系図纂要作杉谷越後守女〕。
相寂日伝〔系図纂要〕
寛永9年正月5日(1632年2月24日)叙従三位。
従二位・権中納言。
竹屋流を相続。
竹屋 光久
[ 寛永2年9月14日(1625年10月15日) 〜 貞享3年9月19日(1686年11月4日) ]
光長男。
永休院心寂日照〔系図纂要〕
明暦4年正月6日(1658年2月8日)叙従三位。
従二位・参議。
※没月日は、系図纂要作8月26日。
竹屋 光忠
[ 寛文2年10月12日(1662年11月22日) 〜 享保10年9月4日(1725年10月9日) ]
光久男(実広橋兼賢末子)。母家女房。
清正院凉寂日真〔系図纂要〕
元禄6年12月25日(1694年1月20日)叙従三位。
従二位・権中納言。
竹屋 光兼
[ 天和2年11月25日(1682年12月23日) 〜 延享4年7月27日(1747年9月1日) ]
光忠男。母家女房。
浄光院性寂日映〔系図纂要〕
正徳元年12月23日(1712年1月30日)叙従三位。
正三位・非参議。
公卿補任尻付
貞享3年閏3月28日(1686年5月20日)叙爵(去正七分)。
元禄元年11月9日(1688年12月1日)元服昇殿。同日侍従禁色。
元禄3年3月12日(1690年4月20日)従五位上(去正五分)。
元禄7年12月25日(1695年2月8日)正五位下(去正五分)。
元禄10年12月26日(1698年2月6日)左衛門佐。
元禄12年12月28日(1700年2月16日)従四位下。
元禄16年2月22日(1703年4月7日)従四位上(去正五分)。
宝永4年12月18日(1708年1月10日)正四位下。
竹屋 光予
[ 享保21年3月21日(1736年5月1日) 〜 安永8年4月9日(1779年5月24日) ]
光兼男。母家女房。
現光院真源日浄〔系図纂要〕
明和5年3月14日(1768年4月30日)叙従三位。
正三位・非参議。
竹屋 光棣
[ 安永10年2月2日(1781年2月24日) 〜 天保8年2月18日(1837年3月24日) ]
左衛門佐勝孟朝臣男(実広橋伊光男)。母家女房(実母家女房)。
清光院知識日明〔系図纂要〕
天保8年2月9日(1837年3月15日)叙従三位。
従三位・非参議。
竹屋 光有
[ 文化8年10月1日(1811年11月16日) 〜 明治16(1883)年6月26日 ]
光棣男。母家女房。
天保12年12月22日(1842年2月2日)叙従三位。
明治元年時、従二位・参議(58才)。
※華族家系大成によれば、実は広橋胤定男。
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    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕
    公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
    を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
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  • 家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
  • 家紋に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
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