羽林家 羽林家家系別分類表

櫛笥

【くしげ】
本姓:藤原氏。華族類別録第四十五類。
新家
内々
近衛家門流
藤原北家四条流。祖隆憲は、櫛笥家譜によれば四条隆益の二男で、 実正親町三条公兄の孫とある。 〔知譜拙記・系図纂要は四条隆昌の男(実正親町三条公兄孫。系図纂要には松陰居士男とある)〕。 庶流の園池家は、後に公屋が正親町三条実昭の猶子となった為、以降、閑院家となった。
大山崎離宮八幡宮伝奏〔雲上明覧大全文久元年版巻末〕
家紋 田字草。
家業  
江戸期石高 183石。
明治期爵位 子爵。明治17(1884)年7月8日隆督子爵授爵〔現代華族譜要〕
菩提所 蘆山寺。
居所 中筋東側。

櫛笥家系図

家祖隆憲までの系図は、四条家系図を参照。
隆憲 (実は松陰居士男。正親町三条公兄の孫。
  母三条西実枝女。号四条。  
  左少将。従五位上。  
  天正19年8月14日(1591年10月1日)卒。  
┳ 元教 ━ 女子(嫁武家)
  ┗ 隆致 ┳ 隆朝 ┳ 隆方 ━ 隆胤 ━ 隆賀
  ┃   ┣ 忠明(改隆胤。隆方嗣)
  ┃   ┣ 女子(松平阿波守光隆室)
  ┃   ┣ 女子(五島孫次郎盛次室)
  ┃   ┣ 女子(丹羽左京大夫光重室。
  ┃   ┃   号見性院)
  ┃   ┗ 女子(久。関東〔或、
  ┃       厳有院殿(家綱)〕上臈)
  ┣ 宗朝〔園池
  ┣ 女子(隆子。逢春門院。
  ┃   御匣局〔本朝皇胤紹運録〕。
  ┃   母家女房〔皇親系〕。
  ┃   後水尾天皇妃。
  ┃   後西天皇母。
  ┃   貞享2年5月22日
  ┃   (1685年6月23日)薨
  ┃   〔系図纂要・皇親系〕)
  ┣ 女子(松平〔伊達〕陸奥守忠宗室)
  ┗ 女子(候中和門院。号中将)
┳ 隆成 ┳ 隆兼 ┳ 隆秀
  ┃   ┃   ┣ 女子(隆望室)
  ┃   ┃   ┗ 女子(安芸国仏護寺室)
  ┃   ┣ 隆周(実八条隆英男。隆秀嗣)
  ┃   ┗ 隆望(実六条有藤次男。隆周嗣)
  ┣ 隆兼(隆成嗣)
  ┣ 隆英〔八条
  ┣ 賀子(新崇賢門院。東山天皇妃。中御門天皇母。
  ┃   皇親系によれば、母西洞院時成女。
  ┃   任掌侍為典侍。
  ┃   称新大典侍又四条局。叙従三位。
  ┃   延宝3(1675)年生。
  ┃   宝永6年12月29日(1710年1月28日)薨。
  ┃   宝永7(1710)年贈准三宮。
  ┃   追号新崇賢門院)
  ┣ 養女(実園池公屋女。於須免之方。
  ┃   蓮浄院殿。徳川家宣侍女。
  ┃   大典侍〔幕府祚胤伝〕。
  ┃   大助殿〔徳川幕府家譜〕。
  ┃   二之御部屋〔徳川幕府家譜・幕府祚胤伝〕。
  ┃   明和9年4月18日(1772年5月20日)逝去
  ┃   〔徳川幕府家譜・幕府祚胤伝〕)
  ┣ 女子(或実園池家女〔園池家譜作公屋女〕。
  ┃   松平宣富室)
  ┗ 女子(内藤主殿頭政貞室)
隆周 (隆成男。 ━ 隆望
  母綾小路俊景女。  
  八条隆英男。  
  実母吉田兼敬女。  
  侍従。従五位上。  
  享保7年7月24日  
  (1722年9月4日)生  
  〔月日は系図纂要による〕。  
  元文3年8月26日  
  (1738年10月9日)卒。  
  高山院観月唯空  
  〔系図纂要〕)  
┳ 隆久 ┳ 隆邑 ┳ 隆起 ┳ 隆韶(母家女房。  ⇒
  ┃   ┃   ┃   ┃   明治7(1874)年1月15日卒。
  ┃   ┃   ┃   ┃   夫人土御門晴親長女繁)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(関東上臈千万)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(綾小路俊賢室)
  ┃   ┃   ┣ 男子(摂津国勝尾寺普眼院。早世)
  ┃   ┃   ┗ 男子(早世)
  ┃   ┣ 女子園池公翰室。華族家系大成によれば、
  ┃   ┃   安永4(1775)年生。寛政7年8月15日(1795年9月27日)没)
  ┃   ┣ 女子(園池公翰継室)
  ┃   ┗ 女子中園季隆室。実暉母)
  ┣ 女子(青綺門院女房全子。号全性院。*系図纂要による※)
  ┣ 女子(隆久妻)
  ┗ 女子(実八条隆輔女。後桜町帝女房輔子。*系図纂要による)
※家譜によれば、隆久妻以外の二人の女子は、六角局と関東上臈梅溪。
┳ 女子 (早世)  
  ┣ 隆義 (母土御門晴親女。※阿野家譜等に
  ┃   よれば、実阿野公誠男。
  ┃   明治16年5月卒〔現代華族譜要〕)
  ┣ 男子 (早世)
  ┗ 男子 (早世)
隆督 (明治8(1875)年8月25日生〔華族名鑑〕。  
    夫人藤川三渓六女きち〔現代華族譜要〕)

櫛笥家公卿一覧

櫛笥 隆朝
[ 慶長12年正月12日(1607年2月8日) 〜 慶安元年10月1日(1648年11月15日) ]
隆致男。母家女房。(公卿補任には父母名不記載)
慈雲院清月陽空〔系図纂要〕
松平家信〔松平家譜丹波亀山による〕
寛永13年正月5日(1636年2月11日)叙従三位。
寛永18年正月5日(1641年2月14日)叙正三位。
寛永19年8月19日(1642年9月13日)任参議。
寛永20年11月7日(1643年12月17日)辞。
正保2年5月15日(1645年6月9日)任権中納言(為賢辞替)。
同月18日辞。同日聴直衣。
正保3年2月29日(1646年4月14日)除服宣下。
正三位・権中納言。
※生年日は、系図纂要作16日。
公卿補任尻付
慶長18年2月7日(1613年3月28日)叙爵(7歳)。
慶長19年正月18日(1614年2月26日)元服(8歳)。同日侍従。
元和3年正月5日(1617年2月10日)従五位上(11歳)。
元和6年正月5日(1620年2月8日)正五位下(14歳)。
元和8年正月11日(1622年2月21日)左少将。
寛永2年正月5日(1625年2月11日)従四位下(19歳)。
寛永5年正月5日(1628年2月9日)従四位上。2月10日左中将(22歳)。
櫛笥 隆慶(改名隆賀・本名実廉)
[ 承応元年10月14日(1652年11月14日) 〜 安永2年7月14日(1773年8月31日) ]
左少将従五位上隆胤男(実園池宗朝二男)。母家女房。
中御門天皇外祖。号・成足院是空〔系図纂要作成足院天寂是空〕。
一字名・青 〔類聚名伝抄〕
天和3年8月23日(1683年10月13日)叙従三位。
享保13年12月5日(1729年1月4日)出家。
従一位・内大臣。
櫛笥 隆成(本名隆幸・次名隆実)
[ 延宝4年11月21日(1676年12月25日) 〜 延享元年9月7日(1744年10月12日) ]
隆賀男(実鷲尾隆尹次男)。母園池宗朝女。
普応院遠山覚性〔系図纂要〕
享保4年6月1日(1719年7月17日)任参議。
従一位・権大納言。
櫛笥 隆兼
[ 元禄9年6月3日(1696年7月1日) 〜 元文2年9月10日(1737年10月3日) ]
隆成男(実櫛笥隆賀男)。母綾小路俊景女。
久遠院天崖浄智〔系図纂要〕。一字名・音。
享保13年10月3日(1728年11月4日)任参議。
権中納言・正三位。
公卿補任尻付
元禄9年6月3日(1696年7月1日)誕生。
元禄13年12月25日(1701年2月2日)従五位下。
宝永元年12月18日(1705年1月13日)元服昇殿。
同日侍従従五位上。
宝永4年2月25日(1707年3月28日)正五位下(去正五分)。
宝永6年3月16日(1709年4月25日)左少将。
宝永8年2月11日(1711年3月29日)従四位下(去正五分)。
正徳4年2月6日(1714年3月21日)従四位上。
享保2年12月8日(1718年1月9日)正四位下。
享保4年12月26日(1720年2月4日)右中将。
享保8年4月24日(1723年5月28日)禁色。
享保9年12月23日(1725年2月5日)蔵人頭。
同25日正四位上。
櫛笥 隆望
[ 享保10年正月16日(1725年2月28日) 〜 寛政7年正月24日(1795年3月14日) ]
隆成男(実六条有藤次男)。母家女房(実母家女房)。
浄域院不退得生〔系図纂要〕
明和元年8月7日(1764年9月2日)任参議。
従一位・前権大納言
公卿補任尻付
享保10年正月16日(1725年2月28日)誕生。
元文5年5月27日(1740年6月20日)為隆成卿子。
同7月1日叙爵。
同9月18日元服昇殿禁色。
同日侍従。
寛保3年12月12日(1744年1月26日)従五位上。
延享元年9月7日(1744年10月12日)服解(養父)。
同10月29日除服出仕復任。
延享3年2月17日(1746年4月7日)正五位下。
同12月24日右権少将。
寛延2年正月5日(1749年2月21日)従四位下。
宝暦2年正月22日(1752年3月7日)従四位上。
宝暦5年3月3日(1755年4月14日)正四位下。
宝暦8年4月25日(1758年5月31日)左権中将。
同5月19日拝賀。
同12月3日蔵人頭。
同5日拝賀従事。
同6月14日正四位上〔※年齢から計算すると、宝暦12年か〕。
7月27日新帝蔵人頭(践祚日)。
宝暦14年4月24日(1764年5月24日)服解(実母)。 同6月15日除服出仕復任。
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羽林家家系別分類表



南家高倉(藪)流
3家
※南家高倉流は、閑院家に従属。
中御門家
9家
花山院家
5家
四条家
7家
櫛笥、
(園池⇒櫛笥庶流だが公屋が正親町三条実昭の猶子となった為、以降、閑院家となる。)
 四条家庶流大綱略系図
御子左家
4家
水無瀬家
5家
高倉家
2家

村上源氏
8家
宇多源氏
3家

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    公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
    系図纂要(名著出版)
    を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。 知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
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    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕
    公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
    を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
    実地調査はおこなっておりません。
  • 家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
  • 家紋に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
    日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
  • 年数の表記に関しては、ユリウス暦1582年10月4日までをユリウス暦に換算し、
    その翌日からをグレゴリオ暦に換算してあります。
    ユリウス暦の場合は、西暦の頭にユリウス暦であることを表記してあります。 ユリウス暦の表記がないものは、グレゴリオ暦であることを示します。
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