半家 (吉田) 家系別分類表

吉田

【よしだ】
本姓:ト部氏。華族類別録第六十五類。
旧家
外様
近衛家門流
本姓ト部氏。平野社預ト部好真の子兼延を祖とする。兼熈の時、昇殿を許され、 吉田(元称室町)を称した。
家紋 抱き柏。
家業 神祇道。唯一神道(吉田神道)宗家。
江戸期石高 766石。
明治期爵位 子爵。明治17(1884)年7月8日良義子爵授爵〔現代華族譜要〕
菩提所 神楽岡神葬墓地。
居所 吉田村。

吉田家系図

兼延までの系図は、卜部氏系図を参照。
兼延 (神祇伯。長上。従五位下。
  平野吉田等預)
兼忠 (平野吉田梅宮等社務。
    正四位下〔知譜拙記・系図纂要作従五位下〕。
    長上。神祇大副。左衛門佐)
    ┳ 兼親 ┳ 兼政 ━ 兼俊        
  ┃   ┗ 兼季 梅宮系
  ┗ 兼国〔⇒藤井
兼康 (従四位上〔知譜拙記作正四位下、
    系図纂要作従五位下〕。
    長上。神祇大副〔系図纂要作権大副〕。
    侍従。号冷泉)
┳ 兼貞 (神祇大副。侍従。
  ┃ 正四位下〔系図纂要〕。長上)
  ┗ 兼定 (宮主)
┳ 兼茂 ┳ 兼名 ━ 兼顕 ┳ 慈遍(大僧正)
  ┃   ┃   ┣ 兼雄(従五位上。民部大輔)
  ┃   ┃   ┗ 兼好(左兵衛佐)
  ┃   ┗ 兼直 ┳ 女子
  ┃   ┗ 兼藤
  ┗ 兼基(東宮宮主。*家譜)
※家譜によれば、談天門院母とあるが、尊卑分脈等一般的には、談天門院の母は平高輔の娘とされている。
兼益 (長上。正四位下〔知譜拙記・
    系図纂要作正四位上〕。
    神祇権大副。神威霊神)
兼夏 (長上。正四位下〔知譜拙記・
    系図纂要作正四位上〕。
    神祇権大副〔家譜・知譜拙記。
    系図纂要作大副〕。神貞霊神)
┳ 兼豊 (号冷泉。長上。正四位上。
  ┃   神祇大副。刑部卿。嘉元3(1305)年生。
  ┃   永和2/天授2年8月21日
  ┃   (ユリウス暦:1376年10月4日)卒。
  ┃   神恭霊神)
  ┗ 兼成 (従五位下。左少将)
┳ 兼熈 ┳ 兼敦 ━ 兼富
  ┃   ┣ 女子(定心院上臈)
  ┃   ┣ 兼村(正五位下。縫殿頭。左馬頭)
  ┃   ┣ 兼行(正五位下。宮内少輔)
  ┃   ┗ 兼任 ━ 兼冬(従四位上。刑部少輔)
  ┗ 兼繁 ━ 兼有 ━ 兼祐
┳ 兼名 ┳ 兼倶 ┳ 兼致
  ┃   ┃   ┣ 兼永(平野社預兼緒嗣)
  ┃   ┃   ┣ 宣賢(船橋宗賢嗣)
  ┃   ┃   ┗ 女子(中御門宣秀室。宣綱宣治母)
  ┃   ┣ 兼昭 ━ 兼晴 ━ 兼賢 (従五位下。
  ┃   ┃   神祇権少副)
  ┃   ┗ 女子四条隆量室)
  ┗ 兼香(従四位下。神祇権大副。
      後日野唯称院諸大夫。改名忠弘)
┳ 兼満 ┳ 兼右 ┳ 兼見 ━ 兼治
  ┃   ┃   ┗ 梵舜(号龍玄。住神龍院)
  ┃   ┣ 女子四条隆重室。隆益母)
  ┃   ┣ 女子徳大寺実規室)
  ┃   ┗ 女子三条西実枝室)
  ┗ 兼将 ━ 兼高 ━ 兼有 ┳ 兼里 ⇒B
  ┗ 兼氏 ⇒C
┳ 兼英 (長上。従五位下。右衛門佐。
  ┃   母細川藤孝女。文禄4(1595)年生。
  ┃   寛文11年11月20日(1671年12月21日)卒
  ┃   七十七歳。通神霊神)
  ┣ 女子阿野実顕室。公業母)
  ┣ 女子船橋秀相室。相賢母)
  ┗ 兼従〔萩原
兼起 (元兼里後改兼任。長上。従五位下。
    神祇少副。母半井通仙院瑞競女。
    元和4(1618)年生。
    明暦3年4月7日(1657年5月20日)卒。
    泰神霊神)
┳ 兼敬 ┳ 兼章 (長上。正四位下。侍従。
  ┃   ┃   左兵衛権佐。母花園実満女。
  ┃   ┃   延宝5年8月6日
  ┃   ┃   (1677年9月2日)生。
  ┃   ┃   宝永6年12月25日
  ┃   ┃   (1710年1月24日)卒。
  ┃   ┃   神性霊神)
  ┃   ┣ 尚賢(兼尚。船橋弘賢嗣)
  ┃   ┣ 女子樋口康熈室)
  ┃   ┣ 女子裏松益光室。祐光・光世朝臣母)
  ┃   ┣ 女子穂波晴宣室。穂波家譜によれば、
  ┃   ┃   正親町三条公統養女)
  ┃   ┣ 女子万里小路尚房室。稙房母)
  ┃   ┣ 女子八条隆英室。隆周母)
  ┃   ┣ 兼祥(従五位下。早世)
  ┃   ┗ 女子(実兼起女。徳川家綱室。
  ┃       お振の方)
  ┣ 女子小倉公連室。実躬朝臣母)
  ┗ 女子(兼敬養女)
良延 ┳ 良倶 ┳ 良連 ┳ 良長
  ┃   ┃   ┣ 女子萩原員維室。
  ┃   ┃   ┃   華族家系大成によれば、連子。
  ┃   ┃   ┃   寛政3(1791)年7月生。
  ┃   ┃   ┃   文政2(1819)年12月卒)
  ┃   ┃   ┣ 女子千種有功室)
  ┃   ┃   ┗ 女子竹内惟徳室。
  ┃   ┃       華族家系大成によれば、将子。
  ┃   ┃       文化6(1809)年8月卒)
  ┃   ┣ 女子毛利匡邦室。
  ┃   ┃   華族家系大成によれば、忠子。
  ┃   ┃   明和7(1770)年生。
  ┃   ┃   寛政8年6月26日(1796年7月30日)卒。
  ┃   ┃   法名慈眼院蘭室貞芳大姉
  ┃   ┃   〔長門清末毛利家譜〕。
  ┃   ┃   葬於芝泉岳寺〔長門清末毛利家譜〕)
  ┃   ┗ 女子(※皇親系による。養女。
  ┃       近衛内前室。盛化門院母)
  ┣ 女子清水谷実栄室)
  ┣ 兼兄(従五位下。早世)
  ┣ 女子平松時升朝臣室)
  ┣ 女子清閑寺益房室。昶定母)
  ┣ 女子上冷泉為章室。為則母)
  ┣ 兼邦清水谷陳季朝臣嗣)
  ┣ 女子阿野実紐室。公倫母)
  ┣ 女子唐橋在熈室。在経母)
  ┗ 量原(本名兼原。町尻兼望朝臣嗣)
┳ 良芳 ┳ 女子萩原員光室。
  ┃   ┃
華族家系大成によれば、二女。
  ┃   ┃
茂子。天保3(1832)年4月生。
  ┃   ┃
元治元(1864)年7月卒)
  ┃   ┣ 良義
  ┃   ┗ 女子松平〔出雲広瀬〕直巳室)
  ┣ 良臣(早世)
  ┗ 蕃丸(信睦。後改信祖。七条信元嗣)

B⇒ 兼景 ━ 兼林 ━ 兼国 ━ 兼貞
良保(本名兼保) ┳ 良弼 ━ 良行 ━ 良貞
  ┗ 良行(良弼嗣)

C⇒ 兼則 ━ 兼条(本名兼任) ━ 兼成
兼時 ━ 兼典 ┳ 良喬(筑前)
  ┗ 良祥(良能嗣)
良武 (実細川常芳男。 ━ 良能 (甲斐)
    上北面。美作守。      
    従五位上)      
良祥 (実良久末子)

梅宮系

兼季 (梅宮社務。従五位下。神祇少副) ━ 兼経 (従五位下)
  ┳ 兼仲(従五位下。石見守。和泉守)
  ┗ 基仲 ━ 信仲(大蔵大輔) ━ 仲房(殷富門院非蔵人)
仲遠 (上北面。正五位下。 ━ 仲通 (上北面。正五位下。 ━ 仲季 (正五位下。因幡守)
    下野守。穀倉院別当)     左馬頭。式部丞)        
┳ 仲尚(正五位下。近江守) ┳ 仲資(上北面。内蔵権頭) ┳ 仲家
  ┃   ┃   ┗ 仲茂(上北面。宮内少輔)
  ┃   ┗ 仲憲(室町院蔵人。従五位下。越中守)
  ┗ 仲重(従五位下。但馬守) ┳ 仲連(室町院判官代)
  ┗ 仲定(正親町非蔵人)
仲在(刑部少輔) ━ 仲量(正五位下。刑部少輔) ━ 仲秀 ━ 仲有
■色の名前は公卿。

吉田家公卿一覧

吉田 兼熈
[ 貞和4/正平3(1348)年 〜 応永9年5月3日(ユリウス暦:1402年6月3日) ]
神祇大副兼豊宿禰男。神光霊神〔系図纂要〕
一字名・季 〔類聚名伝抄〕
至徳3/元中3年正月6日(ユリウス暦:1386年2月5日)叙従三位。
正三位・非参議。
※生年は、家譜による。知譜拙記に記載された没年齢59歳より逆算すると康永3/興国5(1344)年生。
卜部 兼任
[生没年不明]
兼熈男。
長禄3年正月5日(ユリウス暦:1459年2月8日)叙従三位。寛正2(1461)年以降、不見。
非参議・従三位。
※公卿補任には、従三位叙位日以外の情報がないので、父名は断定できないが、家譜に兼熈の子兼任が、従三位神祇権大副治部卿とあるので、これに従う。
吉田 兼名
[ ? 〜 長禄4年10月28日(ユリウス暦:1460年12月10日) ]
兼富男。神恩霊神〔系図纂要〕
享徳元(1452)年12月叙従三位。
従二位・非参議。
吉田 兼倶(本名兼敏)
[ 永享7(1435)年 〜 永正8年2月19日(ユリウス暦:1511年3月18日) ]
兼名男。神龍大明神〔系図纂要〕
文明4年10月27日(ユリウス暦:1472年11月27日)叙従三位。
従二位・非参議。
卜部 兼照家譜作兼昭)
[生没年不明]
兼名男。
文亀2年4月24日(ユリウス暦:1502年5月30日)叙従三位。神祇権大副。
大永元(1521)年以降、不見。
正三位・非参議。
吉田 兼満
[ 文明17(1485)年 〜 享禄元年11月3日(ユリウス暦:1528年12月14日) ]
兼致男。兼倶孫。神龍霊神〔系図纂要〕
大永3年3月19日(ユリウス暦:1523年4月4日)叙従三位。
従三位・神祇権大副・侍従。
実子なく、一流断絶。
吉田 兼右
[ 永正13年4月20日(ユリウス暦:1516年5月21日) 〜 元亀4年正月10日(ユリウス暦:1573年2月12日) ]
兼満男(実船橋宣賢二男)。唯神院関叟宗一〔系図纂要〕
天文21年10月9日(ユリウス暦:1552年10月26日)叙従三位。
従二位・神祇大副・右兵衛督。
吉田 兼和(改名兼見)
[ 天文4(1535)年 〜 慶長15年8月20日(1610年10月6日) ]
兼右男。豊神霊神〔系図纂要〕
天正10年5月3日(ユリウス暦:1582年5月24日)叙従三位。
天正11年正月転左衛門督。
天正14年11月6日(1586年12月16日)正三位。月日改兼見。
慶長2年2月24日(1597年4月10日)叙従二位。
従二位・神祇大副・左衛門督
※没日は、家譜作9月2日。
公卿補任尻付
天文6年7月5日(ユリウス暦:1537年8月10日)従五位下。
天文11年3月23日(ユリウス暦:1542年4月8日)元服。
同日神祇少副昇殿。
天文19年9月13日(ユリウス暦:1550年10月22日)兼侍従〔家譜〕
天文23年10月9日(ユリウス暦:1554年11月4日)従五位上〔家譜作天文20年3月19日(ユリウス暦:1551年4月24日)〕
弘治2年正月28日(ユリウス暦:1556年3月9日)正五位下。
永禄6年3月27日(ユリウス暦:1563年4月19日)従四位下。
天正元年8月8日(ユリウス暦:1573年9月4日)正四位下。
同日転大副。
天正3年7月28日(ユリウス暦:1575年9月2日)右衛門督。
天正7年11月20日(ユリウス暦:1579年12月8日)内昇殿(前右大臣信長公執奏)。
吉田 兼連(改名兼敬)
[ 承応2年10月20日(1653年12月9日) 〜 享保16年12月17日(1732年1月14日) ]
神祇少副兼起男。母飛鳥井雅章女。妙応霊神〔系図纂要〕
貞享5年正月28日(1688年2月29日)叙従三位。
正二位・非参議。
※生年日は、系図纂要作22日。
吉田 兼雄(改名良延)
[ 宝永2年正月14日(1705年2月7日) 〜 天明7年8月20日(1787年10月1日) ]
左兵衛権佐兼章男。母清閑寺熈定女。専源霊神〔系図纂要〕
享保17年4月5日(1732年4月29日)叙従三位。
正二位・神祇権大副
公卿補任尻付
宝永2年正月14日(1705年2月7日)誕生。
宝永6年6月1日(1709年7月7日)叙爵(去正五分)。
正徳3年11月12日(1713年12月29日)元服昇殿。
同日侍従。
同12月23日従五位上。
享保2年12月10日(1718年1月11日)正五位下(去正廿一分)。
享保6年5月21日(1721年6月15日)従四位下。
享保9年3月25日(1724年4月18日)左衛門佐(侍従如旧)。
享保10年正月6日(1725年2月18日)従四位上(去五分)。
享保13年正月9日(1728年2月18日)正四位下(去五分)。
享保14年10月21日(1729年12月11日)喪母。
同12月12日除服出仕復任。
吉田 兼隆(改名良倶)
[ 元文4年12月19日(1740年1月17日) 〜 寛政8年2月24日(1796年4月1日) ]
兼雄男。母本多忠統女。後豊神霊神〔系図纂要〕
明和3年正月9日(1766年2月17日)叙従三位。
正二位・神祇権大副。
※没日は、家譜・系図纂要作25日。
公卿補任尻付
元文4年12月19日(1740年1月17日)誕生。
寛保2年正月10日(1742年2月14日)従五位下(去五分)。
延享4年11月30日(1747年12月31日)元服昇殿。
同日侍従。
同年12月26日従五位上。
寛延3年9月24日(1750年10月23日)左衛門佐。
寛延4年正月26日(1751年2月21日)正五位下。
宝暦5年5月6日(1755年6月15日)従四位下(去二廿分)。
同年7月29日侍従。
宝暦6年閏11月12日(1757年1月2日)辞侍従。
宝暦7年4月17日(1757年6月3日)侍従。
宝暦9年正月5日(1759年2月2日)従四位上。
宝暦12年正月5日(1762年1月29日)正四位下。
明和元年8月7日(1764年9月2日)神祇権大副(侍従如元)。
吉田 良連(本名兼業)
[ 宝暦12年12月16日(1763年1月29日) 〜 文化10年6月12日(1813年7月9日) ]
良倶男。母柳原光綱女。神源霊神〔系図纂要〕
天明6年正月8日(1786年2月6日)叙従三位。
従二位・神祇権大副。
吉田 良長
[ 寛政4年9月10日(1792年10月25日) 〜 天保11年11月26日(1840年12月19日) ]
良連男。母本多康伴〔家譜〕。神寛霊神〔系図纂要〕
文政4年正月20日(1821年2月22日)叙従三位。
従二位・非参議。
吉田 良芳(改名良熈)
[ 文化7年5月11日(1810年6月12日) 〜 慶応4年4月2日(1868年4月24日) ]
良長男。母仙石越前守久道女。
弘化4年5月23日(1847年7月5日)叙従三位。
正三位・非参議。
吉田 良義
[ 天保8年3月9日(1837年4月13日) 〜 明治23(1890)年3月4日 ]
良熈男。母家女房主殿頭石川総安女。
夫人堀直央女〔堀家譜(越後村松)〕。
夫人岩倉具視女静子〔華族名鑑〕。
慶応元年12月23日(1866年2月8日)叙従三位。侍従如元。推叙。
嘉永7年元治元年等後院御鎮守御預精勤之賞。
慶応3年8月26日(1867年9月23日)任神祇権大副。
慶応4年4月2日(1868年4月24日)服解(父)。
慶応4年後4月23日(1868年6月13日)除服出仕復任。
明治元年時、従三位・非参議(32才)。
公卿補任尻付
嘉永2年12月19日(1850年1月31日)叙爵(13歳)。
嘉永3年9月28日(1850年11月2日)元服聴昇殿。
嘉永6年正月4日(1853年2月11日)叙従五位上(17歳)。
安政元年12月18日(1855年2月4日)叙正五位下(18歳。新嘗御所良熈卿依所労勤仕之賞。推叙)。
安政3年2月5日(1856年3月11日)任侍従(20歳)。
安政3年2月25日(1856年3月31日)叙従四位下(昨年新嘗御所勤仕之賞。推叙)。
安政7年正月5日(1860年1月27日)叙従四位上(24歳)。
文久3年正月5日(1863年2月22日)叙正四位下(27歳)。
※生年日は、家譜によれば、10日。

藤原北家高藤流。

甘露寺家。 甘露寺家は、元は吉田とも称していた。
国史大系公卿補任の校訂では、下図のように家名が付されている。

詳細な系図は、甘露寺家系図を参照。

藤原資経 ┳ 藤原為経 ━ 吉田経長 ┳ 女子(妙安寺系図※1によると、成専母)
  ┃   ┣ 吉田定房
  ┃   ┣ 吉田隆長
  ┃   ┣ 吉田冬方
  ┃   ┣ 頼国
  ┃   ┣ 資房〔清閑寺
  ┃   ┣ 経雅(仁和寺。権少僧都)
  ┃   ┣ 経耀(園城寺。権大僧都)
  ┃   ┣ 女子大炊御門冬氏室)
  ┃   ┣ 女子(姉逝去後、大炊御門冬氏次室)
  ┃   ┗ 女子(御子左為藤室)
  ┣ 吉田経俊 ┳ 坊城俊定 ┳ 定資〔坊城勧修寺町口
  ┃   ┃   ┗ 吉田国房 ━ 吉田国俊
  ┃   ┣ 中御門経継
  ┃   ┗ 経世 ━ 俊顕 ━ 吉田資顕
  ┗ 吉田高経
1 妙安寺系図・・・早稲田大学図書館公開。
吉田 経俊
[ 建保2(1214)年 〜 建治2年10月18日(ユリウス暦:1276年11月25日) ]
藤原資経男。母宮内卿藤原親綱女。
正嘉2年11月1日(ユリウス暦:1258年11月27日)任参議。
正二位・中納言。
吉田 経長
[ 延応元(1239)年 〜 延慶2年6月8日(ユリウス暦:1309年7月15日) ]
為経三男。母藤原定高女。
建治3年9月13日(ユリウス暦:1277年10月11日)任参議。
嘉元元年11月18日(ユリウス暦:1303年12月26日)出家。
正二位・権大納言。
吉田 高経
[ 建保6(1218)年 〜 弘安8年6月5日(ユリウス暦:1285年7月8日) ]
藤原資経三男。
建治3年4月7日(ユリウス暦:1277年5月11日)叙従三位。
正三位・非参議。
生年は没年時の年齢68歳から逆算。
吉田 定房
[ 文永11(1274)年 〜 建武5/延元3年正月23日(ユリウス暦:1338年2月13日) ]
経長男。母葉室定嗣女。
正安4年3月23日(ユリウス暦:1302年4月21日)任参議。
従一位・内大臣。
吉野離宮に於いて逝去。
吉田 国房
[ 建治3(1277)年 〜 元徳2年5月18日(ユリウス暦:1330年6月5日) ]
俊定三男。
応長元年5月26日(ユリウス暦:1311年6月13日)叙従三位。
正三位・参議。
吉田 隆長
[ 建治3(1277)年 〜 ? ]
経長二男。母葉室定嗣女。定房同母弟。法名・覚源。
文保2年8月24日(ユリウス暦:1318年9月19日)任参議。
正中2年6月23日(ユリウス暦:1325年8月2日)出家。
正三位・権中納言。
吉田 冬方
[ 弘安8(1285)年 〜 ? ]
経長三男。母葉室定嗣女。定房・隆長の同母弟。
法名・端昭。
元亨3年正月13日(ユリウス暦:1323年2月18日)任参議。
元徳元年9月10日(ユリウス暦:1329年10月3日)出家。
従二位・権中納言。
吉田 国俊
[ 延慶元(1308)年 〜 ? ]
国房男。
康永2/興国4年12月22日(ユリウス暦:1344年1月8日)任参議。
延文3/正平13(1358)年出家。
従三位・権中納言。
生年は没年時の年齢から逆算。初見時の年齢から計算すると、延慶3(1310)年生まれ。
吉田 資顕
[ ? 〜 明徳2/元中8(1391)年 ]
従四位上俊顕(俊幹)朝臣男。
〔※公卿補任には父名不記載。〕
永和2/天授2(1376)年叙従三位。
従三位・非参議。
     
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※最終更新日 2017.09.22

半家26家家系別分類表

安倍氏 2家 倉橋土御門
卜部氏 4家 錦織萩原藤井吉田
大江氏 1家 北小路
大中臣氏 1家 藤波
清原氏 3家 伏原船橋
宇多源氏 2家 五辻慈光寺
花山源氏 1家 白川
清和源氏 1家 竹内
菅原氏 6家 唐橋清岡桑原五条高辻東坊城
丹波氏 1家 錦小路
桓武平氏 2家 石井西洞院
藤原氏 2家 高倉富小路