羽林家 (正親町・大原・大宮・小倉・押小路・愛宕) 羽林家家系別分類表
[  正親町、 大原大宮小倉押小路愛宕  ]

正親町

【おおぎまち】
本姓:藤原氏。華族類別録第五十四類。
旧家
内々
一条家門流
藤原北家閑院流。洞院家庶流。太政大臣洞院公守の次男実明を祖とする。別号、裏築地。
尾張古渡稲荷社伝奏〔雲上明覧大全文久元年版巻末〕
明治22(1889)年5月6日には、分家の季董が男爵を授爵〔現代華族譜要〕するが、大正11(1922)年9月季光卒去後継承者を欠く〔現代華族譜要〕
家紋 藤巴。
家業 筝・筆道。
江戸期石高 352石。明治2(1869)年6月、公董が永世禄三百石を賜る (戦功鳥羽伏見及奥羽役賞典表)
明治期爵位 伯爵。明治17(1884)年7月7日実正伯爵授爵〔現代華族譜要〕
菩提所 真如堂玉蔵院。
居所 広小路新道南側。

正親町家系図

実明までの系図は、洞院家系図を参照。
実明 ┳ 公蔭 ┳ 忠季 ┳ 実綱 ━ 公仲 ━ 実秀 ┳ 持季
  ┃   ┃   ┃   ┣ 実右小倉公種嗣)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 公澄 ━ 実澄(蔵人頭。右
  ┃   ┃   ┃   ┃   中将。正四位上。
  ┃   ┃   ┃   ┃   永正4(1507)年6月出家)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 弘芸(大教院僧正資。法眼)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(典侍頼子)
  ┃   ┃   ┣ 実信(母藤原冬兼女。禁色。左中将。為洞院公定子)
  ┃   ┃   ┣ 道尋(延暦寺。母同。上乗院。無動寺別当。法印。
  ┃   ┃   ┃   権僧正。尋慶僧正入室。尊道法親王灌頂資)
  ┃   ┃   ┣ 覚証(園城寺。母同。権少僧都。常楽院。早世)
  ┃   ┃   ┣ 仁耀(永明上人。母同。異門住高山寺〔家譜作高野山〕。
  ┃   ┃   ┃   空悟上人資。観応2/正平6(1351)年生。
  ┃   ┃   ┃   応永20年4月1日(ユリウス暦:1413年4月30日)入)
  ┃   ┃   ┣ 女子(母同〔尊卑分脈〕。比丘尼理球)
  ┃   ┃   ┣ 女子(母同〔尊卑分脈〕。比丘尼昌祐。檀林寺長老)
  ┃   ┃   ┗ 女子(北山院上臈)
  ┃   ┣ 実文 ━ 公仲(正親町実綱嗣。公卿補任によれば、号裏辻
  ┃   ┣ 弁耀(空悟上人。異門住高山寺。応長元(1311)年生。
  ┃   ┃   至徳4/元中4年4月21日(ユリウス暦:1387年5月9日)寂。※家譜作弁輝)
  ┃   ┗ 女子(徽安門院一条。後称対御方。光厳天皇妾。義仁法親王母)
  ┣ 慈能(延暦寺。尊勝院。法務大僧正。横川長吏。楞厳院検校)
  ┣ 女子(実子。宣光門院。祖父洞院公守養女〔女院小伝・皇親系附録〕。
  ┃   母三条公貫二女〔尊卑分脈。女院小伝作母大納言公実女〕。
  ┃   花園天皇後宮。直仁親王・源性法親王・寿子内親王・
  ┃   儀子内親王・直仁親王等母。永仁5(1297)年生〔女院小伝〕。
  ┃   正慶元/元弘2(1332)年叙従三位〔皇親系。女院小伝作同年正月8日〕。
  ┃   同年12月13日准三后〔女院小伝〕。建武5/延元3年4月28日(ユリウス暦:1338年5月18日)
  ┃   院号〔女院小伝作29日〕。貞和4/正平3年11月24日(ユリウス暦:1348年12月15日)落飾
  ┃   法名遍昭智〔女院小伝作14日。皇親系附録作法名遍照智〕。
  ┣ 女子(陽明門院三条〔尊卑分脈作陽徳門院三条。母三条公貫女〕)
  ┣ 女子(広義門院廊御方。尊卑分脈・系図纂要によれば母信玄法印女)
  ┣ 女子(花園天皇妾。後伏見院一条。覚誉法親王母。
  ┃   母同宣光門院〔尊卑分脈〕)
  ┣ 女子(後伏見天皇妾。従三位。対御方。尊実親王・尊道法親王等母。
  ┃   皇親系によれば、応安5/建徳3(1372)年2月卒)
  ┣ 女子(陽徳門院西御方〔*尊卑分脈・系図纂要作永陽門院西御方。母同〕)
  ┣ 女子(宣光門院廊御方。母三条公貫四女〔系図纂要。尊卑分脈作
  ┃   公実卿四女〕。若宮姫宮母)
  ┣ 女子(花園院女房対御方。母同上〔尊卑分脈・系図纂要〕)
  ┃ ※女子の序列は家譜に従った。尊卑分脈・系図纂要は他女子六人とある
  ┗ 女子(※本朝皇胤紹運録等による。守子〔皇親系作明子〕。
  母三条公貫女。伏見院妃。三条局。東御方。従三位。
  道熈・寛胤親王等母。後、後伏見院妃。
  章徳門院等母。皇親系附録によれば、後、洞院公賢室)
┳ 公兼 ┳ 女子中山康親室。孝親母)
  ┃   ┗ 実胤 ┳ 公叙 ━ 季秀 ┳ 季康 ┳ 季俊 ━ 実豊
  ┃   ┃   ┃   ┣ 季福〔裏辻
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子広橋兼賢室。綏光母)
  ┃   ┃   ┣ 季俊(季康嗣)
  ┃   ┃   ┗ 基久持明院基孝嗣)
  ┃   ┗ 女子(教行寺法印兼隆妻)
  ┣ 季種小倉実右嗣)
  ┣ 公澄(猶子。実正親町実秀男)
  ┣ 女子大炊御門信量室。経名母)
  ┣ 女子(洞院公数猶子。上臈局)
  ┗ 女子(勝興寺康兼室。*雲竜山勝興寺系譜による)
┳ 公綱(※系図纂要による。従五位下)
  ┣ 公廉(※系図纂要による。従五位下)
  ┣ 季親(※系図纂要による)
  ┣ 公通 ┳ 実建(母家女房。
  ┃   ┃   元禄5年正月7日(1692年2月23日)生。
  ┃   ┃   侍従。従五位下。
  ┃   ┃   元禄10年2月11日(1697年3月3日)卒。
  ┃   ┃   凉岸幻覚)
  ┃   ┣ 実垂 ━ 公梁
  ┃   ┣ 公梁(実垂嗣)
  ┃   ┣ 定俊野宮定基嗣)
  ┃   ┣ 実連(実中山兼親三男。公梁朝臣嗣)
  ┃   ┣ 隆叙四条隆文嗣)
  ┃   ┣ 尊通(上乗院。大僧正)
  ┃   ┣ 祐弁(延暦寺。上乗院。権僧正。真如堂)
  ┃   ┣ 女子(山科頼言室。*家譜による)
  ┃   ┣ 女子梅園実縄室。*家譜による)
  ┃   ┣ 女子(※尾張名古屋徳川家譜・系図纂要等による。
  ┃   ┃   生姫。改伊喜姫。松平但馬守友著朝臣室。
  ┃   ┃   元禄9年6月6日(1696年7月4日)生。
  ┃   ┃   享保15年11月13日(1730年12月22日)卒。
  ┃   ┃   貞亮院。葬于伝通院)
  ┃   ┗ 女子(松平〔柳沢〕刑部少輔経隆室。
  ┃       *系図纂要による)
  ┣ 承頥(禅。相国寺長老)
  ┣ 篤親中山英親嗣)
  ┣ 賢証(延暦寺。上乗院。大僧都)
  ┣ 女子松平頼豊室。
  ┃   宝永4年6月5日(1707年7月4日)卒
  ┃   〔讃岐高松松平家譜〕)
  ┣ 女子(※系図纂要による。中川久忠室)
  ┗ 女子(町子。柳澤吉保側室。柳沢家臣田中氏養女)
┳ 実連 ┳ 公明 ┳ 実賢(従五位下。*系図纂要)
  ┃   ┃   ┣ 実光
  ┃   ┃   ┣ 成実(仁和寺。尊寿院。法印。
  ┃   ┃   ┃   大僧都。三条季晴猶子)
  ┃   ┃   ┣ 盈源(乗々院)
  ┃   ┃   ┣ 尊雄(上乗院)
  ┃   ┃   ┣ 女子(環子。新清和院女房)
  ┃   ┃   ┣ 女子(鍾子。後桜町院女房。
  ┃   ┃   ┃   玉瀧院)
  ┃   ┃   ┣ 女子(紹潤。妙解寺。禅)
  ┃   ┃   ┣ 女子(比丘尼。周昉。宝慈院)
  ┃   ┃   ┣ 女子(八千子。西園寺寛季室。
  ┃   ┃   ┃   治季母。
  ┃   ┃   ┃   文化9(1812)年9月没〔
  ┃   ┃   ┃   華族家系大成〕)
  ┃   ┃   ┣ 実嗣(藪公師朝臣嗣。
  ┃   ┃   ┃   *系図纂要・
  ┃   ┃   ┃   華族家系大成による)
  ┃   ┃   ┣ 実孚(裏辻公周嗣。
  ┃   ┃   ┃   *華族家系大成による)
  ┃   ┃   ┣ 願弁(※藤枝家譜。清浄院。
  ┃   ┃   ┃   法印。大僧都。
  ┃   ┃   ┃   寛政5(1793)年生。
  ┃   ┃   ┃   天保5年10月15日
  ┃   ┃   ┃   (1834年11月15日)寂)
  ┃   ┃   ┗ 女子(※宮成家譜による。
  ┃   ┃   宮成公義室。公純公貞母)
  ┃   ┣ 実則(従五位下。早世)
  ┃   ┣ 公理裏辻実本嗣)
  ┃   ┗ 女子(脩子〔華族家系大成〕。
  ┃       鷲尾隆建室。
  ┃       文化12年没〔華族家系大成〕)
  ┗ 実本裏辻公視朝臣嗣)
┳ 女子(雅子。新待賢門院。仁孝天皇典侍。孝明天皇等母
  ┃   従三位。皇親系附録によれば、母四辻公亨女。
  ┃   享和3年11月1日(1803年12月14日)生。称宰相典侍、又藤大納言。
  ┃   嘉永3(1850)年准三宮。安政3年7月6日(1856年8月6日)薨)
  ┣ 公訓(従五位下)
  ┣ 公道(系図纂要作公遵。正五位下)
  ┣ 実徳 ┳ 公董 ┳ 実正(実実徳男。母家女房。
  ┃   ┃   ┃
安政2年6月7日(1855年7月20日)生。
  ┃   ┃   ┃
安政3年12月1日(1856年12月27日)叙従五位下。
  ┃   ┃   ┃
安政5年5月11日(1858年6月21日)叙従五位上。
  ┃   ┃   ┃
安政7年正月5日(1860年1月27日)叙正五位下。
  ┃   ┃   ┃
文久2年12月7日(1863年1月26日)任侍従。
  ┃   ┃   ┃
文久3年12月4日(1864年1月12日)従四位下。
  ┃   ┃   ┃
現代華族譜要によれば、夫人は公董長女、
  ┃   ┃   ┃
中山忠能養女兎美子〔安政6(1859)年12月生〕)
  ┃   ┃   ┣ 女子
  ┃   ┃   ┣ 女子(弥栄子。牧野弼成妻。
  ┃   ┃   ┃
文久元(1861)年2月生〔現代華族譜要〕)
  ┃   ┃   ┣ 女子(春香。園池実康妻。現代華族譜要によれば、
  ┃   ┃   ┃
慶応元(1865)年正月生〔華族家系大成作20日〕。
  ┃   ┃   ┃
大正10(1921)年6月卒〔華族家系大成作
  ┃   ┃   ┃
明治20(1887)年8月28日〕)
  ┃   ┃   ┣ 女子(菊子。鴻雪年妻)
  ┃   ┃   ┣ 女子(夫見子。神原伊三郎妻)
  ┃   ┃   ┣ 男子(早世)
  ┃   ┃   ┗ 季董(分家。男爵。董次郎〔現代華族譜要〕。
  ┃   ┃       明治7(1874)年6月19日生〔華族名鑑〕。
  ┃   ┃       夫人裏松良光長女良子〔現代華族譜要〕)
  ┃   ┣ 女子(順子。四辻公賀室)
  ┃   ┣ 女子(錬子。壬生明麗妻)
  ┃   ┣ 実正(公董嗣)
  ┃   ┣ 女子(長子。実裏辻公愛五女。離縁)
  ┃   ┗ 女子(鍾子。皇太后宮職御用掛)
  ┗ 公厚(*系図纂要による。家譜无。文政3(1820)年生。
  従五位下。文政5年正月13日(1822年2月4日)没とあるが、
  系図上、長子となっている)
■色の名前は公卿。
正親町 実明
[ 文永11(1274)年 〜 観応2/正平6年正月17日(ユリウス暦:1351年2月13日) ]
洞院公守二男。母法眼泰勝女。
正応4年正月3日(ユリウス暦:1291年2月3日)叙従三位。
元亨2年2月15日(ユリウス暦:1322年3月3日)出家。
正二位・権大納言。
※生年は、家譜・系図纂要による。公卿補任に記載された年齢から計算すると、文永9(1272)年。
※母名は、家譜・尊卑分脈・系図纂要によるが、尊卑分脈平氏系図では、北条久時の女子が実明母とある。
正親町 忠兼(本名実寛・公蔭)
[ 永仁5(1297)年 〜 延文5/正平15年10月19日(ユリウス暦:1360年11月28日) ]
実明男。母藤原兼嗣女?。京極為兼猶子。後、小倉公雄猶子。後年、復実父。法名・空静。
元徳2年正月5日(ユリウス暦:1330年1月24日)叙従三位。
観応3/正平7年8月12日(ユリウス暦:1352年9月20日)出家。
正二位・権大納言。
※母名は諸家知譜拙記と尊卑分脈の公蔭の項に記載されたものだが、尊卑分脈では藤原顕嗣の女にも公蔭母と記されている。
正親町 忠季
[ 元亨2(1322)年 〜 貞治5/正平21年2月22日(ユリウス暦:1366年4月2日) ]
公蔭男。祖父実明猶子。母相模守北条〔赤橋〕久時女。
康永元/興国3年12月21日(ユリウス暦:1343年1月18日)任参議。
正二位・権大納言。
※没日は、家譜によれば、23日。
正親町 実文
[ 生没年不明 ]
公蔭二男。母相模守北条久時女。
延文4/正平14年正月5日(ユリウス暦:1359年2月3日)叙従三位。
応安2/正平24(1369)年出家。
従三位・非参議。
正親町 実綱
[ 康永2/興国4(1343)年 〜 応安3/正平25年正月23日(ユリウス暦:1370年2月19日) ]
忠季男。母家女房。
貞治元(康安2)/正平17年5月7日(ユリウス暦:1362年5月30日)任参議。
正三位・権中納言。
※華族類別譜によれば、公蔭男。
正親町 持季
[ 応永22(1415)年 〜 文明4年7月15日(ユリウス暦:1472年8月19日) ]
実秀男。法名・空慶。
嘉吉元年3月16日(ユリウス暦:1441年4月7日)任参議。
応仁元年10月4日(ユリウス暦:1467年10月31日)出家。
従一位・権大納言。
※没年は、家譜による。
正親町 公澄
[ 永享2(1430)年 〜 文明2年11月4日(ユリウス暦:1470年11月26日) ]
持季猶子(実実秀末子)。
享徳2年3月25日(ユリウス暦:1453年5月3日)任参議。
従二位・権大納言。
正親町 公兼(本名公遠)
[ 享徳2(1453)年 〜 大永5年8月13日(ユリウス暦:1525年8月31日) ]
持季男。法名・祥空。
文明7年正月28日(ユリウス暦:1475年3月5日)任参議。
永正4年2月28日(ユリウス暦:1507年4月10日)出家(戒師泉涌寺善叙上人)。
従一位・権大納言。
正親町 実胤(本名実枝)
[ 延徳2(1490)年 〜 永禄9年9月16日(ユリウス暦:1566年10月28日) ]
公兼男。法名・円空〔系図纂要・知譜拙記によれば、空円〕。
永正9年9月30日(ユリウス暦:1512年11月8日)任参議。
天文10年8月13日(ユリウス暦:1541年9月3日)出家。
従一位・権大納言。
正親町 公叙
[ 永正11年8月16日(ユリウス暦:1514年9月4日) 〜 天文18年8月7日(ユリウス暦:1549年8月29日) ]
実胤男。母三条西実隆女。法名・慈空。
天文4年12月4日(ユリウス暦:1535年12月28日)任参議。
正二位・権大納言。
正親町 実彦(改名季秀)
[ 天文17(1548)年 〜 慶長17年7月1日(1612年7月28日) ]
公叙男(実庭田重保二男)。母甘露寺伊長女(実母広橋兼秀女)。
法名・守源〔家譜作盈空。系図纂要作禅広院花伯守源〕。
天正4年正月11日(ユリウス暦:1576年2月10日)任参議。
従一位・権大納言。
正親町 季俊
[ 天正14年9月18日(1586年10月30日) 〜 寛永2年11月29日(1625年12月28日) ]
季秀二男。母烏丸光康女。法名澄空〔系図纂要作禅勝院月窓光蓮〕。
元和9年正月11日(1623年2月10日)任参議。
正四位上・参議。
※生年月は、家譜・系図纂要によれば、5月。
※法名は、家譜による。
公卿補任尻付
慶長14年4月16日(1609年5月19日)叙爵。元服昇殿。
慶長15年閏2月13日(1610年4月6日)任侍従。
慶長17年正月5日(1612年2月6日)従五位上。
同11日右少将。
慶長20年正月5日(1615年2月2日)正五位下。
元和3年正月5日(1617年2月10日)従四位下。
元和5年7月13日(1619年8月22日)補蔵人頭。
同日右中将。同日禁色。
元和5年12月25日(1620年1月29日)従四位上。
元和6年正月5日(1620年2月8日)正四位下。
元和6年閏10月27日(元和6年の閏月は12月)正四位上〔年中両度〕。
正親町 実豊
[ 元和5年12月8日(1620年1月12日) 〜 元禄16年2月3日(1703年3月19日) ]
季俊男。母従五位下越前守木村勝盛女。
法名理空〔系図纂要作禅淵院如源崇真〕。
正保元(1644)任参議。
正二位・権大納言。
※法名は、家譜による。
正親町 公通
[ 承応2年閏6月26日(1653年8月19日) 〜 享保18年7月12日(1733年8月21日) ]
実豊男(実者末子)。母藤谷為賢女。
法名秀空〔系図纂要作恵明院石峯常堅秀空〕。
延宝5年閏12月11日(1678年2月2日)任参議。
従一位・権大納言。
※法名は、家譜による。
正親町 実連
[ 享保5年7月23日(1720年8月26日) 〜 享和2年9月29日(1802年10月25日) ]
公通男(実中山兼親三男)。母家女房。
法名映空〔系図纂要作恵明院瓊岳理然映空〕。
寛延3年正月10日(1750年2月16日)任参議。
従一位・権大納言。
※実父名・法名は、家譜による。
正親町 公明(本名公功)
[ 延享元年3月25日(1744年5月7日) 〜 文化10年10月16日(1813年11月8日) ]
実連男。母広幡豊忠女。法名竟空〔系図纂要作恵明院珍巖実諦竟空〕。
明和5年9月20日(1768年10月30日)任参議。
享和3年10月29日(1803年12月12日)出家。
正二位・権大納言・本座宣下。
※没年は、系図纂要による。知譜拙記によれば、没日は13日。
公卿補任尻付
延享元年3月25日(1744年5月7日)誕生。
延享3年12月24日(1747年2月3日)叙爵(于時公功)。
寛延元年9月25日(1748年10月17日)侍従。
寛延2年6月14日(1749年7月27日)従五位上。
宝暦元年11月27日(1752年1月13日)元服昇殿。
同年12月22日正五位下。
宝暦3年3月29日(1753年5月2日)従四位下。
同年9月2日服解(母)。
同年11月18日除服出仕復任。
宝暦5年正月22日(1755年3月4日)左権少将。
同年2月5日拝賀。
同年12月24日従四位上。
宝暦7年12月25日(1758年2月3日)正四位下。
宝暦8年9月25日(1758年10月26日)右権中将。
同年10月5日拝賀。
宝暦9年12月24日(1760年2月10日)兼信濃権介。
宝暦12年12月19日(1763年2月1日)秩満。
宝暦13年11月4日(1763年12月8日)改公明。
明和元年8月25日(1764年9月20日)兼近江介。
明和2年6月19日(1765年8月5日)蔵人頭。
同月22日禁色。同月拝賀従事。
同年8月1日正四位上。
正親町 実光
[ 安永6年3月1日(1777年4月8日) 〜 文化14年11月22日(1817年12月29日) ]
公明男。母侍従鍋島治茂朝臣養女(実母家女房)。孝明天皇外祖父。
慧明院金龍神如崇空〔系図纂要〕
寛政10年5月7日(1798年6月20日)任参議。
正二位・権大納言。
嘉永3年正月27日(1850年3月10日)贈左大臣〔系図纂要〕
正親町 実徳
[ 文化11年9月29日(1814年11月10日) 〜 明治29(1896)年10月31日 ]
実光三男。母家女房。夫人山内豊敬七女美賀子〔現代華族譜要〕
嘉永2年6月11日(1849年7月30日)任参議。
明治元年時、正二位・権大納言・大歌所別当・皇太后宮大夫(55才)。
※生年日は華族名鑑によれば30日。
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羽林家家系別分類表



南家高倉(藪)流
3家
※南家高倉流は、閑院家に従属。
中御門家
9家
花山院家
5家
四条家
7家
(園池⇒櫛笥庶流だが公屋が正親町三条実昭の猶子となった為、以降、閑院家となる。)
 四条家庶流大綱略系図
御子左家
4家
水無瀬家
5家
高倉家
2家

村上源氏
8家
宇多源氏
3家