公卿類別譜
〜公家の歴史〜
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羽林家
〔石山〕
石山
【いしやま】
本姓:藤原氏。華族類別録第五十八類。
新家
内々
一条家門流
藤原北家頼宗流。中御門家・持明院庶流。江戸時代、壬生家より分家。 従三位葉川基起の次男師香(初名基信・基董)を祖とする。
家紋
杜若。
家業
筆道。
江戸期石高
御蔵米30石。
明治期爵位
子爵。明治17(1884)年7月8日基文子爵授爵。
菩提所
阿弥陀寺。
居所
新在家西側。
石山家系図
師香
基武
(母家女房。
元禄15年正月13日(1702年2月9日)生。
従五位下。
宝永4年7月17日(1707年8月14日)卒。
円慈院光岩理覚)
直宗
*1
利香
*2
基名
基陳
篤熈
⇒
基逸
(篤熈嗣。左少将正四位下)
女子
(陳子。新清和門院女房)
忠能
(母師香女)
利香
(直宗嗣)
基名
(利香嗣)
女子
(養子基名室)
*1
直宗 母家女房。宝永2年4月4日(1705年4月26日)生。左少将。従四位下。享保7年3月19日(1722年5月4日)卒。覚舜院。
*2
利香 実師香末男。母家女房。享保5年6月17日(1720年7月22日)生。侍従。正五位下。享保17年5月2日(1732年5月25日)卒。法光院覚性了義。
⇒
基逸
(実基陳男。母家女房。寛政8(1796)年生。
⇒
左少将。正四位下。
天保元年12月19日(1831年2月1日)辞官)
⇒
基文
基正
(系図纂要によれば、実基逸男。
⇒
天保14年4月7日(1843年5月6日)生。
明治27(1894)年12月28日没。
室
沢為量
女延子)
女子
(輝子。大伴義正妻)
文珉
(嘉永6年4月生〔人事興信録3版〕)
女子
(菊子。
阿野実允
妻)
基正
(基文嗣。*系図纂要による)
⇒
基則
(慶応元年5月19日
(1865年6月12日)生。
明治37(1904)年3月11日没。
夫人
大炊御門家信
女吉子)
女子
(正子。
北畠通城
妻、
後小山諦念妻。
文久2年正月6日(1862年2月4日)生
〔華族名鑑〕)
公政
(基遂。姉小路公義養子)
女子
(加寿子。長尾收一妻)
基威
(分家)
女子
(晨子。綾小路家政妻。明治10年1月生〔人事興信録3版〕)
基陽
(侍従。明治18年1月生〔人事興信録3版〕)
石山家公卿一覧
石山 基董
(初名基信・師香)
[ 寛文9年5月13日(1669年6月11日) 〜 享保19年10月13日(1734年11月8日) ]
葉川基起
次男。母家女房。至誠院茂林善樹
〔系図纂要〕
。
元禄16年正月8日(1703年2月23日)叙従三位。
従二位・権中納言。
公卿補任尻付
寛文9年5月13日(1669年6月11日)誕生。
延宝5年叙爵。
天和2年12月29日(1683年1月26日)元服昇殿。
同日侍従。
天和3年正月5日(1683年2月1日)従五位上。
貞享4年正月5日(1687年2月16日)正五位下。
同2月29日左少将。
貞享5年5月6日(1688年6月3日)喪母。
同6除服出仕復任。
元禄4年正月6日(1691年2月3日)従四位下。
同12月21日左中将。
同25日改基董(元基信)。
元禄8年3月29日(1695年5月11日)従四位上(去正五分)。
元禄12年正月22日(1699年2月21日)正四位下(去五分)。
石山 基名
[ 享保5年11月11日(1720年12月10日) 〜 寛政4年後2月27日(1792年4月18日) ]
師香男(実
姉小路実武
次男)。母家女房(実母家女房)。
徳行院
〔系図纂要〕
。
宝暦4年正月5日(1754年1月27日)叙従三位。
正二位・権大納言。
公卿補任尻付
享保5年11月11日(1720年12月10日)生。
享保11年12月24日(1727年1月15日)叙爵。
享保18年4月3日(1733年5月16日)為師香卿子。
同11月9日元服昇殿。侍従従五位上。
享保19年10月13日(1734年11月8日)服解。
同12月4日除服出仕復任。
元文2年正月14日(1737年2月13日)正五位下(去六分)。
同4月2日左少将。
寛保元年6月15日(1741年7月27日)従四位下。
延享元年9月8日(1744年10月13日)服解。
同11月22日除服出仕復任。
延享2年4月12日(1745年5月13日)従四位上。
寛延元年9月21日(1748年10月13日)兼丹波介。
寛延2年正月25日(1749年3月13日)正四位下。
寛延3年正月10日(1750年2月16日)右中将(介如故)。
宝暦2年正月21日(1752年3月6日)去介。
石山 基陳
[ 延享元年6月23日(1744年8月1日) 〜 文政3年8月24日(1820年9月30日) ]
基名男。母石山師香女。覚輪院円峯晴輝
〔系図纂要〕
。
安永6年正月5日(1777年2月12日)叙従三位。
正二位・権大納言。
石山 篤熈
[ 宝暦12年9月5日(1762年10月21日) 〜 天保8年9月24日(1837年10月23日) ]
基陳男(実
壬生基貫
次男)。母
難波宗城
女。
玄光院寂円明空照寿
〔系図纂要〕
。
文化9年9月26日(1812年10月30日)叙従三位。
正二位・権中納言。
石山 基文
[ 文政10年正月7日(1827年2月2日) 〜 明治24(1891)年11月4日 ]
左権少将基逸男。母家女房。
慶応4年3月20日(1868年4月12日)叙従三位。
明治元年9月14日(1868年10月29日)任左兵衛督(42才)。
公卿補任尻付
任天保3年後11月21日(1833年1月11日)叙従五位下(6歳)。
天保12年12月13日(1842年1月24日)元服聴昇殿(15歳)。
同日任叙左京権大夫従五位上。
弘化2年3月23日(1845年4月29日)叙正五位下(19歳)。
嘉永2年2月14日(1849年3月8日)叙従四位下(23歳)。
嘉永6年正月4日(1853年2月11日)叙従四位上(27歳)。
安政4年正月4日(1857年1月29日)叙正四位下(31歳)。
安政6年12月21日(1860年1月13日)服解(父)。
安政7年2月11日(1860年3月3日)除服出仕復任。
文久3年10月3日(1863年11月13日)任左少将(37歳)。
同月28日拝賀。
慶応3年3月23日(1867年4月27日)転左中将(41歳)。
慶応3年4月15日(1867年5月18日)拝賀。
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※最終更新日 2017.09.13
羽林家家系別分類表
藤
原
氏
閑院家
20家
姉小路
、
阿野
、
梅園
、
裏辻
、
正親町
、
大宮
、
小倉
、
押小路
、
風早
、
河鰭
、
滋野井
、
清水谷
、
園池
、
高松
、
西四辻
、
橋本
、
花園
、
武者小路
、
山本
、
四辻
南家高倉(藪)流
3家
高丘
、
中園
、
藪
※南家高倉流は、閑院家に従属。
中御門家
9家
石山、
石野
、
持明院
、
園
、
高野
、
東園
、
松木
、
壬生
、
六角
花山院家
5家
飛鳥井
、
今城
、
中山
、
難波
、
野宮
四条家
7家
油小路
、
櫛笥
、
四条
、
西大路
、
八条
、
山科
、
鷲尾
(園池⇒櫛笥庶流だが公屋が正親町三条実昭の猶子となった為、以降、閑院家となる。)
四条家庶流大綱略系図
御子左家
4家
入江
、
藤谷
、
(上)冷泉
、
下冷泉
、
水無瀬家
5家
桜井
、
七条
、
町尻
、
水無瀬
、
山井
高倉家
2家
樋口
、
堀河
源
氏
村上源氏
8家
岩倉
、
植松
、
梅溪
、
愛宕
、
久世
、
千種
、
東久世
、
六条
宇多源氏
3家
綾小路
、
大原
、
庭田
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