公卿類別譜
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羽林家
(中山家)
羽林家家系別分類表
中山
【なかやま】
本姓:藤原氏。華族類別録第六十類。
旧家
内々
一条家門流
藤原北家花山院流。権中納言藤原忠宗の三男
(※公卿補任では二男となっているが、兄忠雅も二男と記載されているので三男とした。尊卑分脈も三男となっている。)
忠親を祖とする。
雲上明覧大全文久元年版巻末によれば、伝奏職として、五山・金戒光明寺・智恩寺・霊源寺・ 丹波法常寺・西宮・尾張東照宮御宮並神官・武州忍東照宮御宮金剛寺・尾州若宮八幡社家・ 足羽社社家・石州真福寺・播州月照寺・象頭山金毘羅・方広寺・美濃南宮社司・下州大平山別当・ 武家伝奏・西八条大通寺・座摩社とある。
家紋
杜若。
家業
花。
江戸期石高
200石。明治2年9月26日(1869年10月30日)、忠能が永世禄千五百石を賜る
(復古功臣賞典表)
。
明治期爵位
侯爵。明治17(1884)年7月7日忠能侯爵授爵
〔現代華族譜要〕
。
菩提所
蘆山寺。
居所
石薬師通北側。
中山家系図
花山院家忠
忠宗
忠光
忠雅
〔⇒
花山院
・
鷹司
・
五辻
〕
忠親
女子
(順徳院女房)
女子
(宜秋門院御匣)
兼宗
忠定
道平
(侍従)
基雅
家親
⇒
経親
(侍従)
道紹
(阿闍梨。遁世)
女子
(庭田経資室)
師親
良兼
(延暦寺。法印)
宗覚
(延暦寺。大僧都)
仲親
良豪
良兼
(延暦寺。法印)
宗覚
(延暦寺。僧都)
忠季
親平
有親
性親
明親
円兼
(延暦寺)
兼季
覚済
(東寺。金剛王院。醍醐座主。
東寺一長者。法務大僧正)
親豪
忠海
(仁和寺。心蓮院。法印大僧都。
※仁和寺諸院家記作忠明男)
女子
(藤原〔月輪〕基家室)
女子
(女御代大納言局)
忠明
忠朝
(侍従従五位下)
親覚
(仁和寺。東寺二長者。円楽寺。号内大臣法印。法印。
大僧都。保元元(1156)年生。
建暦3年9月29日(ユリウス暦:1213年10月14日)入滅)
雅明
(延暦寺。少僧都)
忠輔
(散位従五位下)
覚敒
(興福寺)
親慶
(園城寺。大僧都鎌倉御堂別当)
覚紹
(仁和寺。円楽寺。法印。少僧都)
女子
(三条公房室。実親母)
覚成
(仁和寺。法務大僧正。東寺一長者。号保寿院)
覚深
(仁和寺。阿闍梨)
女子
(藤原公行室)
忠能
忠兼
家光
尋覚
⇒
家宗
(侍従)
定宗
親雅
満親
女子
(権大納言局)
定親
親通
宣親
康親
⇒
重親
(庭田重経嗣)
深雅
(家譜作源雅。
(醍醐寺報恩院。
母法印兼寿女。
大僧正。一長者)
光尊
(家譜作光深。
南都。修南院。
大僧正。母同。
広橋守光養子)
女子
(母同。典侍興子。
勧修寺尹豊卿妾。
*家譜によれば、
女子二人は、康親の次)
女子
(母同。教行寺兼琇律詩妻)
女子
(
下冷泉政為
室。為孝母)
恵光
(恵光山本隆寺開山)
親輔
(従五位下。系図纂要作満親男)
賢深
(醍醐寺。大僧正)
有親
(左少将従四位上。入道応永)
定我
(花山院忠定養子。善門院僧都)
尊助
(本名政助。権大僧正)
女子
(政子。後花園院典侍。従五位上)
女子
(条子。同典侍)
行融
(※仁和寺諸院家記による。猶子。
皆明寺。法印。奝済法印舎兄。
号大納言法印)
尊雅
(延暦寺。定法院)
女子
(宗子。典侍)
女子
(崇光院御宇女房大納言典侍)
⇒
孝親
熈長
(
甘露寺伊長
為子。*家譜作経頼次項)
親綱
慶親
元親
英親
親量
(従五位下。早世七才)
篤親
男子
(早世)
兼親
栄親
⇒
秀憲
(母同。越前国
誠照寺相続。
法印。権大僧都)
男子
(母家女房。
正親町為実子)
女子
(母同栄親)
定綱
(従五位下。早世)
孝廉
(従五位下。遁世)
幸親
(
庭田重条
嗣。改重孝)
尊誠
(花山院定誠養子)
女子
(左少弁
柳原資堯
朝臣室)
女子
男子
(早世)
女子
(早世)
女子
女子
(早世)
女子
女子
寛済
(醍醐寺。報恩院。大僧正)
他
(家譜によれば、一本同腹兄弟14人云々)
為親〔
中山冷泉
〕
憲応
(醍醐寺。報恩院。法眼。号成就院)
女子
(後陽成院典侍親子。覚深親王・承快親王母。
慶長13年2月11日(1608年3月27日)卒〔系図纂要・仁和寺御伝〕)
女子
(
今出川季持
室。宣季母)
女子
経頼
(
大炊御門経名
嗣)
源俊
(菩提山。僧正)
禅海
(仁和寺。真光院〔仁和寺諸院家記〕。石山座主。
大僧正〔仁和寺諸院家記作権僧正〕。永禄10(1567)年生〔仁和寺諸院家記〕。
慶長3年8月28日(1598年9月28日)入滅〔仁和寺諸院家記〕)
女子
女子
⇒
男子
(母勧修寺高顕女)
愛親
忠尹
女子
(母家女房。早世)
忠頼
男子
(母家女房。早世)
男子
(母同忠能。早世)
女子
(母同。早世)
忠徳
(従五位下)
忠能
忠愛
(母園基茂養女〔実松浦清十二女〕愛子)
男子
(母同。早世)
女子
(母同。早世)
女子
(慶子。母同。明治天皇母。
天保8年11月28日(1837年12月25日)生
〔皇親系附録。「明治天皇御降誕と大阪」作
天保6年11月28日(1836年1月16日)〕。
(従)一位局〔明治天皇御降誕と大阪〕。
安栄〔明治天皇御降誕と大阪〕。
皇親系附録によれば、
任典侍。今上天皇即位叙
従五位上進従二位。
中山家譜によれば、
従二位、宮人元典侍。
系図綜覧詰所系図によれば、権典侍。
「明治天皇御降誕と大阪」によれば、
安政6年7月辞典侍、称新宰相、
慶応3年3月叙従五位上、
慶応4年8月叙従三位、称三位局、
任大典侍、
明治3年9月叙従二位、
明治22年3月叙正二位、
明治33年1月叙従一位、
明治40年10月5日逝去〔明治天皇御降誕と大阪〕)
公董
(正親町実徳嗣)
女子
(母同。早世)
女子
(母家女房。早世)
男子
(母同忠愛。早世)
男子
(実清水谷公正末子。東大寺龍松院)
男子
(東大寺正観院)
男子
(母家女房。興福寺惣珠院)
忠光
*1
女子
(仲子。嵯峨公勝妻。
慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)生)
男子
(母家女房。早世)
女子
(母同忠愛。早世)
女子
(栄子。母家女房。庭田重胤養女)
女子
(康子。本多正憲夫人)
勝任
(板倉勝殷養子)
女子
(兎美子。実正親町公董長女。
正親町実正夫人。*華族家系大成)
定平
(野宮定功為子。*系図纂要による)
女子
(能子。勘解由小路光宙夫人)
基万
(園基茂嗣)
男子
(母同。早世。系図纂要によれば、忠能の下に
能成(従五位下返上位記)という子があるので、
或いは、同一人物か?)
女子
(母同忠頼。早世)
女子
(母家女房。早世)
女子
(母同忠頼。早世)
女子
(母家女房。早世)
女子
(尹子。
大炊御門経久
室。経尚母)
女子
(母家女房。早世)
男子
(母家女房。早世)
男子
(母同忠頼。園為実子)
女子
(母同。早世)
女子
(母家女房。早世)
女子
(母同。早世)
韶有
(母同。
英彦山座主孝宥
養子)
男子
(母同。早世)
女子
(母同。早世)
女子
(母同。早世)
男子
(母同。早世)
女子
(母家女房。真宗東坊室)
寛尹
(母同忠尹。従五位下。後出家、日巌院権僧正法印)
女子
(母家女房。道明寺三之室号大和尚春寿)
男子
(母同忠尹。河鰭為実子)
女子
(母家女房。今城定成室。定章母)
女子
(母同忠尹。早世)
女子
(砥予子。母家女房。
藤波寛忠
室。光忠母)
女子
(母同。早世)
女子
(母同。早世)
男子
(母同。早世)
女子
(母同。早世)
女子
(母同。早世)
男子
(母同。早世)
女子
(母同。野宮定静室。定祥母)
女子
(母同。仁孝天皇典侍従三位績子。元名愛子。
明治8(1875)年2月12日薨)
重基
(母同。庭田重能嗣)
女子
(母同。道明寺一之室照範)
秀実
(母勧修寺高顕女。越前国誠照寺相続)
女子
(母同)
女子
(理子。母家女房。光格天皇典侍)
男子
(母同。早世)
女子
(母同)
男子
(母同。早世)
愛徳
(母同。花山院長熈嗣)
隆師
(母同。四条隆叙嗣)
男子
(母同。早世)
女子
(母同。夭折)
女子
(母同。早世)
*1
忠光 母同忠愛。忠愛養子。天誅組首領。
中山家公卿一覧
藤原 忠親
[ 天承元(1131)年 〜 建久6年3月12日(ユリウス暦:1195年4月23日) ]
花山院忠宗三男。母藤原家保女。号中山内大臣、或堀川、或三条。法名・静和。
長寛2年正月21日(ユリウス暦:1164年2月15日)任参議。
建久5年12月15日(ユリウス暦:1195年1月27日)出家。
正二位・内大臣。
※法名は、諸家知譜拙記による。系図纂要によれば、静如。
中山 兼宗
[ 長寛元(1163)年 〜 仁治3年9月3日(ユリウス暦:1242年9月28日) ]
忠親一男。母右中弁
藤原光房
女。
建久6年7月16日(ユリウス暦:1195年8月22日)任参議。
正二位・大納言。
中山 兼季
[ 治承3(1179)年 〜 ? ]
忠親三男。母平時忠女。
建保6年正月5日(ユリウス暦:1218年2月1日)叙従三位。
寛元元(1243)年5月出家。
従三位・非参議。
中山 忠定
(本名忠房)
[ 文治4(1188)年 〜 康元元年10月18日(ユリウス暦:1256年11月6日) ]
兼宗一男。母藤原重家女。
建保6年正月5日(ユリウス暦:1218年2月1日)叙従三位。
康元元(1256)年10月出家。
正二位・参議。
※没日は10月25日とも、11月日とも。
中山 忠明
[ 寿永2(1183)年 〜 ? ]
忠親男。母平時忠女。
仁治2年正月5日(ユリウス暦:1241年2月17日)叙従三位。
建長3(1251)年出家。
従三位・非参議。
※出家日は建長5年とも。
中山 基雅
[ 生没年不明 ]
忠定男。母家女房。
建長7年12月13日(ユリウス暦:1256年1月12日)叙従三位。
正嘉2年11月8日(ユリウス暦:1258年12月4日)出家。
正三位・非参議。
藤原 家親
[ 生没年不明 ]
基雅男。母姉小路実世女。法名・覚如、或いは証信。
延慶2年3月23日(ユリウス暦:1309年5月3日)任参議。
文保元年5月4日(ユリウス暦:1317年6月13日)出家。
従二位・参議。
※出家日は、諸家知譜拙記によれば、9月。
中山 定宗
[ 文保元(1317)年 〜 応安4/建徳2年3月15日(ユリウス暦:1371年4月1日) ]
家親男。
貞和5/正平4年9月13日(ユリウス暦:1349年10月25日)任参議。
従二位・権中納言。
中山 親雅
[ 文和2/正平8(1353)年 〜 応永9年5月27日(ユリウス暦:1402年6月27日) ]
定宗男。法名・宗雅、祐元、祐雅。
康暦2/天授6年12月14日(ユリウス暦:1381年1月10日)任参議。
応永2年6月20日(ユリウス暦:1395年7月7日)出家。
正二位・権大納言。
中山 満親
(本名親兼)
[ 応安4/建徳2(1371)年 〜 応永28年4月26日(ユリウス暦:1421年5月27日) ]
親雅一男。法名・祐親。
応永9年8月22日(ユリウス暦:1402年9月19日)任参議。
応永28年4月16日(ユリウス暦:1421年5月17日)出家。
正二位・権大納言。
中山 定親
[ 応永8(1401)年 〜 長禄3年9月17日(ユリウス暦:1459年10月13日) ]
満親男。法名・祐繁。
応永28年12月21日(ユリウス暦:1422年1月14日)任参議。
文安5年6月23日(ユリウス暦:1448年7月23日)出家。
正二位・権大納言。
中山 親通
(本名教親)
[ 応永33(1426)年 〜 寛正3年5月25日(ユリウス暦:1462年6月22日) ]
定親男。
文安4年3月17日(ユリウス暦:1447年5月1日)任参議。
正二位・権大納言。
中山 宣親
[ 長禄2(1458)年 〜 永正14年10月4日(ユリウス暦:1517年10月18日) ]
親通男。法名・祐什。
文明13年8月29日(ユリウス暦:1481年9月22日)任参議。
永正3(1506)年9月出家。
正二位・権中納言。
中山 康親
[ 文明17(1485)年 〜 天文7年8月14日(ユリウス暦:1538年9月7日) ]
宣親男。母法印兼寿女。法名・祐清。
永正8年10月11日(ユリウス暦:1511年11月1日)任参議。
天文2年11月25日(ユリウス暦:1533年12月10日)出家。
正二位・権大納言。
中山 孝親
[ 永正9年12月18日(ユリウス暦:1513年1月24日) 〜 天正6年正月16日(ユリウス暦:1578年2月22日) ]
康親男。母正親町公兼女。号・光恩院。
法名・臨空〔
系図纂要作
光恩院月窓臨空〕。
天文7年4月28日(ユリウス暦:1538年5月26日)任参議。
従一位・准大臣。
「孝親公記」
中山 親綱
[ 天文13年11月23日(ユリウス暦:1544年12月7日) 〜 慶長3年11月28日(1598年12月26日) ]
孝親男。母
五辻諸仲
女。法名・相空〔
系図纂要作
常照院真月想空〕。
天正4年正月11日(ユリウス暦:1576年2月10日)任参議。
正二位・権大納言。
「親綱卿記」
中山 慶親
[ 永禄9年11月29日(ユリウス暦:1567年1月9日) 〜 元和4年4月10日(1618年6月2日) ]
親綱男。母白川雅業王女。法名・向空 〔
系図纂要作
西照院凉月向空〕。
天正17年正月6日(1589年2月20日)任参議。
従二位・権大納言。
中山 元親
[ 文禄2年12月12日(1594年2月2日) 〜 寛永16年8月26日(1639年9月23日) ]
慶親男。光林院観月梵空
〔系図纂要〕
。
寛永4年正月29日(1627年3月16日)任参議。
正三位・権大納言。
中山 英親
[ 寛永4年4月15日(1627年5月29日) 〜 延宝2年2月18日(1674年3月25日) ]
元親男。 光浄院円屋宗空
〔系図纂要〕
。
明暦元年5月22日(1655年6月26日)任参議。
正二位・権大納言。
中山 篤親
(本名熈季)
[ 明暦2年11月25日(1657年1月9日) 〜 享保元年9月6日(1716年10月20日) ]
英親男(実正親町実豊末子)。母家女房。
敬徳院真空
〔系図纂要〕
。
貞享元年10月23日(1684年11月29日)任参議。
従一位・権大納言。
中山 兼親
[ 貞享元年12月9日(1685年1月13日) 〜 享保19年10月25日(1734年11月20日) ]
篤親男。母家女房。号・後光恩院。
後光恩院明空
〔系図纂要〕
。
宝永3年2月11日(1706年3月25日)任参議。
従一位・准大臣。
中山 栄親
[ 宝永6年11月9日(1709年12月9日) 〜 明和8年5月22日(1771年7月4日) ]
兼親男。母庭田重条女。松巖静空
〔系図纂要〕
。
享保17年4月20日(1732年5月14日)任参議。
正二位・権大納言。
中山 愛親
[ 寛保元年5月25日(1741年7月7日) 〜 文化11年8月18日(1814年10月1日) ]
栄親男。母勧修寺高顕女。神巖濶空
〔系図纂要〕
。
宝暦11年2月18日(1761年3月24日)任参議。
正二位・権大納言・本座宣下〔明治17(1884)年贈従一位〕。
※華族類別譜によれば、実は、正親町実連男。
中山 忠尹
[ 宝暦6年9月15日(1756年10月8日) 〜 文化6年12月20日(1810年1月25日) ]
愛親男。母
今城定種
女。俊巖照空
〔系図纂要〕
。
天明元年12月14日(1782年1月27日)任参議(右中将如旧)。同月25日拝賀着陣。同月26日聴直衣。
天明2年2月7日(1782年3月20日)叙従三位。
天明4年正月15日(1784年2月5日)叙正三位。
天明5年正月13日(1785年2月21日)任権中納言。同月28日拝賀。2月1日着陣。同日聴直衣。 同月26日直衣始。
天明6年2月3日(1786年3月2日)叙従二位。同月13日着陣。
寛政元年5月22日(1789年6月15日)兼左衛門督。補検非違使別当。。同月27日拝賀着陣。 同月28日直衣始。
寛政2年正月5日(1790年2月18日)叙正二位。正月15日為賀茂下上社伝奏。同19日着陣。
寛政3年11月28日(1791年12月23日)任権大納言。12月3日聴帯剣。同月4日拝賀着陣。 同月4日直衣始。
寛政6年9月6日(1794年9月29日)辞賀茂下上社伝奏(昨日分)。同10日為同社伝奏。
寛政8年7月3日(1796年8月5日)辞賀茂伝奏。
寛政10年4月28日(1798年6月12日)辞権大納言。
正二位・権大納言。
中山 忠頼
[ 安永7年後7月22日(1778年9月12日) 〜 文政8年5月21日(1825年7月6日) ]
忠尹男。母三条実顕女。円巖凉空
〔系図纂要〕
。
寛政10年5月7日(1798年6月20日)任参議。
正二位・権大納言。
中山 忠能
[ 文化6年11月11日(1809年12月17日) 〜 明治21(1888)年6月12日 ]
忠頼次男。母正親町三条実同女
〔「明治天皇御降誕と大阪」によれば、名前は綱子〕
。
天保11年3月27日(1840年4月29日)任参議。
明治元年時、従一位・准大臣(60才)。
摂家近衛家庶流中山
国史大系公卿補任の校訂によれば、
摂家近衛家庶流
の粟田口教経の孫忠定が中山を家名としている。
※系図は、
粟田口家系図
を参照。
中山 忠定
[ 正安2(1300)年 〜 康永3/興国5(1344)年11月 ]
左少将正四位下内基朝臣男。粟田口教経孫。
〔※公卿補任に父名不記載。尊卑分脈による〕
嘉暦3年5月8日(ユリウス暦:1328年6月16日)叙従三位。
従三位・非参議。
※生年は公卿補任の初見の年齢29歳から逆算したもの。系図纂要の没年齢44歳から計算すると正安3(1301)年生。
※没日は、系図纂要によると6日。
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※最終更新日 2016.11.12
明治天皇〈1〉
明治天皇という人
歴史読本2012年12月号電子特別版「明治天皇100年目の実像」
明治天皇“すり替え”説の真相: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌
羽林家家系別分類表
藤
原
氏
閑院家
20家
姉小路
、
阿野
、
梅園
、
裏辻
、
正親町
、
大宮
、
小倉
、
押小路
、
風早
、
河鰭
、
滋野井
、
清水谷
、
園池
、
高松
、
西四辻
、
橋本
、
花園
、
武者小路
、
山本
、
四辻
南家高倉(藪)流
3家
高丘
、
中園
、
藪
※南家高倉流は、閑院家に従属。
中御門家
9家
石山
、
石野
、
持明院
、
園
、
高野
、
東園
、
松木
、
壬生
、
六角
花山院家
5家
飛鳥井
、
今城
、
中山
、
難波
、
野宮
四条家
7家
油小路
、
櫛笥
、
四条
、
西大路
、
八条
、
山科
、
鷲尾
(園池⇒櫛笥庶流だが公屋が正親町三条実昭の猶子となった為、以降、閑院家となる。)
四条家庶流大綱略系図
御子左家
4家
入江
、
藤谷
、
(上)冷泉
、
下冷泉
、
水無瀬家
5家
桜井
、
七条
、
町尻
、
水無瀬
、
山井
高倉家
2家
樋口
、
堀河
源
氏
村上源氏
8家
岩倉
、
植松
、
梅溪
、
愛宕
、
久世
、
千種
、
東久世
、
六条
宇多源氏
3家
綾小路
、
大原
、
庭田
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