公卿類別譜
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た行(高倉・高辻・竹内・富小路)
家系別分類表
[
高倉
、
高辻
、
竹内
、
富小路
]
富小路
【とみのこうじ】
本姓:藤原氏。華族類別録第四十二類。
旧家
内々
近衛家門流
藤原北家二条庶流とされている。(二条道平の次男?三男?道直が祖?)。富小路家の出自については、疑うむきがある。公卿補任では、大永6年に従三位俊通
[資直の尻付には従三位とあるが、公卿補任には記載されていない。]
の子、資直
[次年以降不見]
の時から、その名が見られる。
明治2年に敬直の次男で、興福寺中慈門院住職となっていた富道が相楽家を興す。
家紋
藤の丸。
家業
歌俳詩文。
江戸期石高
200石。
明治期爵位
子爵。明治17(1884)年7月8日富小路敬直が子爵を授爵
〔現代華族譜要〕
。
菩提所
松林院。
居所
中筋東側。
富小路家系図
道直までの系図は、
二条
家系図を参照。
※尊卑文脈には、二条道平の子に道直の名前はない。但し、醍醐源氏の康俊の子として、附載で俊通から種直の名が見える。 それによれば、俊通は、「実浄土寺門跡侍法師石見法橋・・子。改姓為藤原但无宣下歟。従三位。 石見守」とある。
道直
*1
道則
*2
永職
*3
永則
*4
則氏
*5
通治
*6
俊通
*7
資直
⇒
女子
女子
女子
女子
女子
通慶
俊通
女子
女子
承意
(僧)
承円
(僧)
守円
(僧)
女子
女子
円意
(僧)
通氏
通信
通永
女子
乾北庵主
女子
*1
道直 正四位下。左衛門佐。伊予権介〔富小路家譜〕。
*2
道則 知譜拙記作通則。従五位下。早世〔富小路家譜〕。
*3
永職 従五位下。石見守。
*4
永則 従四位下。修理大夫。
*5
則氏 正四位下。修理大夫。
*6
通治 正五位下。石見守〔知譜拙記作石見権守〕。知譜拙記には一本永則朝臣男とある。
*7
俊通 家譜等によれば、宮内卿従三位とある。
⇒
氏直
(従四位下。刑部卿)
種直
(従四位上)
⇒
⇒
秀直
良直
(於大坂戦場討死)
頼直
永貞
貞維
重直
総直
⇒
資福
(
北小路徳光
嗣)
女子
(
大原栄敦
室)
重直
(実利直子。貞維嗣)
員従
(為
萩原兼従
子)
利直
*1
重直
(為永貞子。貞維嗣)
房恕
(後快弁。清閑寺共房猶子。
延暦寺。大僧都。常住金剛院)
女子
(
後西院
帝内侍右京局)
女子
*1
利直 治部大輔。正五位下。
⇒
与直
貞直
貞随
政直
⇒
政直
(貞随嗣。*系図纂要による)
重成
(大原重尹嗣。*系図纂要・知譜拙記による)
女子
(
光格帝
小侍従局明子。
元称右衛門掌侍〔本朝皇胤紹運録〕)
演隆
(醍醐寺。護智院。権僧正)
女子
(福子。
持明院基政
室)
貞随
(貞直嗣。*系図纂要による)
⇒
永忠
(母家女房。正四位下。刑部大輔。
⇒
文政元年12月17日(1819年1月12日)生。
弘化2年8月14日(1845年9月15日)卒)
女子
(愷子。
伏原宣諭
夫人。現代華族譜要によれば、
文政6(1823)年正月生。明治40(1907)年12月卒)
女子
(豊子。
五辻継仲
夫人。
嘉永5年5月25日(1852年7月12日)没〔華族家系大成〕)
女子
(元高松藩老大久保某室)
具綱
(
岩倉具視
嗣)
女子
(増子。実岩倉具視長女。具綱妻)
⇒
敬直
(母伏原宣明女成。中務大輔。正四位下。
⇒
天保13年5月12日(1842年6月20日)生。
天保15年10月28日(1844年12月7日)叙爵。
明治25(1892)年10月卒〔現代華族譜要〕。
夫人泉州貝塚願泉寺住職卜半了諦二女篤子
〔華族名鑑・現代華族譜要による。
天保12(1841)年6月生〔華族名鑑作25日〕。
大正6(1917)年3月卒〕)
女子
(熊子。竹屋光昭夫人。
天保11年10月16日(1840年11月9日)生〔華族名鑑〕)
女子
(久志本常緩室)
⇒
治直
(安政3年7月21日(1856年8月21日)生〔家譜〕。
文久3年4月25日(1863年6月11日)叙爵〔家譜〕。
明治元年9月8日(1868年10月23日)元服聴昇殿〔家譜〕。
明治元年9月14日(1868年10月29日)叙従五位上〔家譜〕)
富道
〔
相楽
〕
毅直
(三雄。分家)
綱直
(相楽富道嗣)
女子
(定子。実杉山元介二女。
日野純夫人)
富小路 資直
[ ? 〜 天文4年12月1日(ユリウス暦:1535年12月25日) ]
俊通男。
大永6年3月23日(ユリウス暦:1526年5月4日)叙従三位。
大永7(1527)年以降、不見。
従三位・非参議。
富小路 秀直
[ 永禄7年11月26日(ユリウス暦:1564年12月29日) 〜 元和7年正月19日(1621年3月12日) ]
従四位上種直朝臣男。泰照院正翁宗本
〔系図纂要〕
。
慶長18年正月5日(1613年2月24日)叙従三位。
従三位・非参議。
富小路 頼直
[ 慶長18年10月1日(1613年11月12日) 〜 明暦4年3月12日(1658年4月14日) ]
秀直男(実左中将持明院基久朝臣男)。法名・光清。
明暦2年正月5日(1656年1月31日)叙従三位。
従三位・非参議。
※生年月日は、家譜作12月1日。
富小路 永貞
(本名尚直)
[ 寛永17年7月12日(1640年8月28日) 〜 正徳2年12月25日(1713年1月21日) ]
頼直男。母清閑寺共房女。一字名・栄
〔類聚名伝抄〕
。
延宝6年9月16日(1678年10月31日)叙従三位。
正三位・非参議。
※没日は、知譜拙記作26日。
富小路 貞維
(本名貞俊)
[ 寛文8年4月30日(1668年6月9日) 〜 正徳元年5月9日(1711年6月24日) ]
永貞男。母家女房。懐徳院藤原観志
〔系図纂要〕
。
宝永5年12月21日(1709年1月31日)叙従三位。
従三位・非参議。
※生年日は、系図纂要作21日。
富小路 重直
[ 元禄5年2月25日(1692年4月11日) 〜 寛保3年9月9日(1743年10月25日) ]
永貞男(実治部大輔利直男)。母家女房。
心徳院覚岩正海
〔系図纂要〕
。
元文2年2月19日(1737年3月19日)叙従三位。
従三位・非参議。
富小路 総直
[ 享保4年11月9日(1719年12月19日) 〜 天明2年11月10日(1782年12月14日) ]
重直男。母家女房。 松月院霊峯慈眼
〔系図纂要〕
。
宝暦4年正月26日(1754年2月17日)叙従三位。
正二位・非参議。
富小路 与直
(改名良直)
[ 延享2年8月17日(1745年9月12日) 〜 享和2年5月2日(1802年6月1日) ]
総直男。母東本願寺末寺唯念寺巧雅女。
天明元年12月19日(1782年2月1日)叙従三位。
従二位・非参議。
富小路 貞直
[ 宝暦11年12月24日(1762年1月18日) 〜 天保8年8月3日(1837年9月2日) ]
良直男(実
伏原宣条
末子)。母
柳原光綱
女。満假賢院
〔系図纂要〕
。
寛政5年正月5日(1793年2月15日)叙従三位。
正三位・非参議。
富小路 貞随
[ 天明3年6月14日(1783年7月13日) 〜 文政10年7月16日(1827年9月6日) ]
貞直男。母家女房。信成院現岳良心
〔系図纂要〕
。
文化15年正月5日(1818年2月9日)叙従三位。
正三位・非参議。
富小路 政直
[ 寛政11年正月21日(1799年2月25日) 〜 文久3年4月28日(1863年6月14日) ]
貞随男。母家女房。
天保3年正月5日(1832年2月6日)叙従三位。
正二位・非参議。
※系図纂要・諸家知譜拙記によれば、実は貞直男。
別系
藤原北家閑院流。花園天皇の頃、小倉実教の二男、公脩が富小路を称した。
系図は、
小倉
家系図を参照。
富小路 公脩
[ 永仁2(1294)年 〜 建武4/延元2年2月17日(ユリウス暦:1337年3月19日) ]
小倉実教
二男。母小倉季雄女。
正和3年10月21日(ユリウス暦:1314年11月29日)叙従三位。
正二位・権中納言。
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半家26家
家系別分類表
安倍氏
2家
倉橋
、
土御門
卜部氏
4家
錦織
、
萩原
、
藤井
、
吉田
大江氏
1家
北小路
大中臣氏
1家
藤波
清原氏
3家
沢
、
伏原
、
船橋
宇多源氏
2家
五辻
、
慈光寺
花山源氏
1家
白川
清和源氏
1家
竹内
菅原氏
6家
唐橋
、
清岡
、
桑原
、
五条
、
高辻
、
東坊城
丹波氏
1家
錦小路
桓武平氏
2家
石井
、
西洞院
藤原氏
2家
高倉
、
富小路
本サイトの公卿に関するデータは、
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公卿補任(新訂増補国史大系53-57
吉川弘文館
。国史大系第9-11
経済雑誌社
)、
尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下
吉川弘文館
。
新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12
吉川弘文館
)、
公卿諸家系図(土橋定代。
続群書類従完成会
。※知譜拙記)、
系図纂要(名著出版)
を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。 知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
菩提寺・居所に関しては、
雲上明覧大全
〔慶応4(1868)年版〕
と
公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ
〔※この2冊は同内容〕
を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
実地調査はおこなっておりません。
家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
家紋に関しては、
雲上明覧大全
〔慶応4(1868)年版〕
を基本として、
日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
年数の表記に関しては、ユリウス暦1582年10月4日までをユリウス暦に換算し、
その翌日からをグレゴリオ暦に換算してあります。
ユリウス暦の場合は、西暦の頭にユリウス暦であることを表記してあります。 ユリウス暦の表記がないものは、グレゴリオ暦であることを示します。
和暦の改元の表記に関しては、改元した年の改元日から新元号の元年としました。
西暦への変換に関しては、和暦の各月の大小の値を 「日本暦日原典」内田正男/著に従って、算出したものです。
父母名などを表記する場合、公卿に関しては、官位官職、卿・公の尊称は省略しました。
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