公卿類別譜
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公卿補任に記載された武家
(鎌倉幕府以前除く)
〔細川〕
※武家の官位・官職は元和6(1620)年以降、公卿補任に記載しなくなる。
細川家
【ほそかわ】
清和源氏。足利氏庶流。華族類別録第二十九類。
熊本藩
54万石。
外様。
大広間。
葬地:品川東海寺中 妙解院
〔華族名鑑〕
。
明治17(1884)年7月7日
細川護久
が侯爵を授爵
〔現代華族譜要〕
。
高瀬藩(熊本新田藩)
宇土藩
谷田部藩
細川刑部家
熊本藩細川家の一門。旧高一万石
〔最新華族名鑑明治41年12月調〕
。
明治30(1897)年10月27日細川興増が男爵を授爵
〔現代華族譜要〕
。
葬地は肥後国飽託郡黒髪立田
〔最新華族名鑑明治41年12月調〕
。
細川氏系図
義季までの系図は、
足利
氏系図を参照。
忠興以降は、家譜を基本とした。寛政重修諸家譜との相違は注記した。他、尊卑分脈・寛永諸家系図伝、系図纂要、戦国人名事典コンパクト版を参考にした。
義季
*1
義俊
*2
義有
(為祖父義季子)
義久
(為祖父義季子)
宗義
(為祖父義季子)
家俊
(為祖父義季子)
俊氏
(為祖父義季子)
義有
*3
義秋
元義
頼顕
*4
満秋
(三郎。駿河守)
之顕
(弥三郎。元僧)
義俊
*5
頼俊
(弥三郎。修理亮)
元俊
(弥六。掃部助)
義久
(弥四郎)
義世
(九郎四郎)
義員
(或義貞。九郎五郎。於出雲国討死)
義春
(六郎。河内国四国合戦討死)
義円
*6
頼顕
(弥三郎。伊豆守)
氏之
*7
氏有
(孫太郎)
氏勝
(孫二郎)
氏員
(孫六。於伊勢国自害)
義久
*8
⇒
A
宗義
頼種
(義久養子。七郎五郎。法名崇興)
家俊〔上地〕
俊氏
*9
公頼
*10
和氏
*11
清氏
*12
昌氏
(阿波守)
頼和
*13
義和
将氏
(九郎)
家氏
(左近将監)
頼春
*14
頼之
*15
基之
*16
頼久
*17
持久
*18
教久
*19
頼元
*20
⇒B
頼有
*21
頼顕
頼長
⇒
②-a
頼元
(為兄頼之子)
守慶
(尼。号嘉叟。系図纂要による)
守格
(号勤之。系図纂要による)
守明
(号月堂。系図纂要による)
頼雲
(系図纂要による)
詮春
⇒
C
満之
*22
基之
(頼之擬子)
頼重
*23
氏久
勝久
(類聚名伝抄
によれば、
兵部大輔。
法名道空)
満久
(義之嗣)
持常
※1
師氏
*24
⇒
D
頼貞
*25
顕氏
*26
⇒②-b
直俊
(民部少輔。帯刀)
氏之
(兄顕氏為子)
定禅
(若宮別当)
皇海
(若宮別当)
女子
(尼。系図纂要による)
禅衣房
(系図纂要による)
頼玄
(系図纂要による)
頼員
(系図纂要による)
※1 寛政譜による。尊卑分脈によれば、満之の子。
*1
義季 細川次郎。
*2
義俊 阿闍梨。
*3
義有 細川二郎、或三郎。
*4
頼顕 駿河守。
*5
義俊 四郎。上野介。
*6
義円 元弥七。遁世。
*7
氏之 弥二郎。加賀守。
*8
義久 細川又三郎。
*9
俊氏 細川八郎。
*10
公頼 細川八郎太郎。
*11
和氏 弥八郎。阿波守。従四位下。号補陀寺。
*12
清氏 弥八。左近将監。阿波守。伊予守。従四位下。相模守。本名元氏。貞治元年七月二十四日於讃岐白峯討死。
*13
頼和 左馬助。
*14
頼春 源九郎。刑部大輔。従四位下。讃岐守。四国管領。引付頭人。侍所司。号光勝院。
*15
頼之 世人号武州管領。弥九郎。右馬助。右馬頭。武蔵守。法名常久。号永泰院。
*16
基之 実満之男。弥九郎。兵部少輔。阿波守。永正15年2月6日(ユリウス暦:1518年3月17日)卒。常観院。
*17
頼久 或氏久。兵部少輔。阿波守。流源院。
*18
持久 或頼重。応永18(1411)年生。兵部大輔。阿波守。和泉守護。法名常泰。
*19
教久 九郎。民部少輔。
*20
頼元 法名頼基。実舎弟。
*21
頼有 讃岐十郎。掃部助〔家譜作介〕。右馬頭。従五位下。正慶元/元弘2年5月2日(ユリウス暦:1332年5月26日)生。明徳2/元中8年9月9日(ユリウス暦:1391年10月7日)卒。
*22
満之 兵部少輔。
*23
頼重 改満重。五郎、或九郎。兵部少輔。上総介。
*24
師氏 掃部助。彦四郎。淡路守。従五位下。
*25
頼貞 八郎二郎、尊卑分脈作八郎四郎。法名義阿。号長興寺。
*26
顕氏 兵部少輔。陸奥守。小四郎。
A
⇒
義胤
*1
義門
*2
氏清
*3
氏久
*4
氏家
*5
元家
*6
政清
*7
女子
(養子頼種妻)
頼種
頼行
(七郎四郎。母義久女)
義種
*8
氏之
*9
頼直
(大蔵少輔)
義幸
*10
義増
(又四郎。住阿波国)
氏世
*11
氏益
*12
元興
*13
氏盛
(中務少輔)
賢氏
(三郎。式部大輔)
満世
*14
元満
(修理亮二郎)
印世
(刑部卿公)
頼元
*15
頼益
*16
満益
*17
持益
*18
勝益
*19
政益
*20
国益
(中務少輔)
元治
元慶
*21
国慶
(玄蕃頭)
周透
(僧)
元賢
*22
光歳
(元慶定。与二。因幡守。兵部少輔)
女子
(源氏益妾)
氏有
*23
持有
(又三郎。掃部助)
*1
義胤 従五位下。細川左近蔵人。左近将監。
*2
義門 細川小四郎。
*3
氏清 又四郎。
*4
氏久 四郎。
*5
氏家 四郎。
*6
元家 改勝家。号蔵俊院。左京亮。駿河守。
*7
政清 四郎。
*8
義種 為源清氏子。三河守。法名興阿。
*9
氏之 住備中国。刑部少輔。
*10
義幸 掃部助。遠江守。又四郎。
*11
氏世 与一。中務少輔。
*12
氏益 与一。美濃守。
*13
元興 与一。中務少輔。
*14
満世 孫二郎、或孫三郎。修理亮。
*15
頼元 系図纂要作頼基。彦三郎。刑部少輔。法名頼円。
*16
頼益 彦三郎。遠江守。法名常隆、或常陸。号桂昌院。
*17
満益 土佐国守護代。三郎。遠江守。治部少輔。法名常復。号恵雲院。
*18
持益 土佐国守護代。法名常珍、或常補。三郎。遠江守。民部少輔。号観音寺。応仁元年12月7日(ユリウス暦:1468年1月2日)卒。
*19
勝益 土佐国守護代。三郎。治部少輔。
*20
政益 三郎。遠江守。
*21
元慶 源五郎。
*22
元賢 与二。
*23
氏有 又三郎。上総介。宮内少輔。
B⇒
満元
*1
持元
(五郎。右京大夫。右馬助。法名道秀。道号玉峯。
号性智院。応永4(1397)年生〔執事補任次第〕。
正長2年7月14日(ユリウス暦:1429年8月14日)卒。*寛政譜は頼元の子。)
持之
*2
勝元
*3
政元
*4
澄之
(実九条政基男)
高国
*5
稙国
(六郎。道号了然。
号清源院。
永正5(1508)年生。
大永5年11月9日(ユリウス暦:1525年11月23日)卒
〔執事補任次第〕)
氏綱
*6
藤賢
(※家譜)
女子
(北畠晴具室。具教母)
澄元
*7
晴元
*8
昭元
*9
頼範
女子
(秋田実季室)
女子
(尼)
女子
(
本願寺顕如
室。光寿母〔※大谷家譜〕)
女子三人
(寛政譜によれば、顕如室以外
に赤松某室、有馬某室、阿波国司室
の名が記載されている)
女子
(実三条西実隆女。勝興寺左計室。
※雲竜山勝興寺系譜による)
女子
(武田某室)
女子
(有馬重則室)
勝之
(猶子。実教春男)
女子
(猶子。称宝珠院。実徳大寺公有女*徳大寺家譜)
成賢
(為持賢子。家譜作政国男)
持賢
*10
政国
*11
政賢
*12
澄賢
*13
晴賢
女子
(武田信豊妾)
尹賢
*14
藤賢
政賢
(*家譜による)
満国
*15
持春
*16
教春
*17
勝之
(勝元猶子)
政春
*18
高国
(細川政元養子)
晴国
(八郎)
春倶
*19
高基
*20
女子
女子
(慶子。為久我通言子)
女子
女子
女子
政国
(為持賢子)
賢春
(五郎。兵部少輔)
*1
満元 五郎。右馬頭。管領。右京大夫。従四位下。元満基。母赤松則祐女。法名道歓、或道観〔執事補任次第此同〕。道号悦道。号岩栖院。永和4/天授4(1378)年生。応永33年10月16日(ユリウス暦:1426年11月15日)卒。
*2
持之 九郎。応永7(1400)年生。従四位下。中務少輔。右京大夫。管領。法名道喜、或常喜。号弘源寺。嘉吉2年8月4日(ユリウス暦:1442年9月8日)卒。*寛政譜は頼元の子。
*3
勝元 永享2(1430)年生。聡明六郎。従四位下。武蔵守。右京大夫。管領。法名崇法、或宗宝。文明5年5月11日(ユリウス暦:1473年6月6日)卒。号龍安寺。
*4
政元 文正元(1466)年生。九郎。右京大夫。従四位下。管領。法名宗興。道号雲淵。号大心院。永正4年6月23日(ユリウス暦:1507年8月1日)卒。
*5
高国 実政春男。六郎。文明16(1484)年生。武蔵守。民部少輔。右京大夫。従四位下。管領。法名常桓。道号松岳。号三友院〔執事補任次第〕。享禄4年6月8日(ユリウス暦:1531年7月21日)卒。
*6
氏綱 実細川尹賢男。次郎。右京大夫。道号悟峯。法名宗勒。号見桃院。永正13(1516)年生。永禄6年12月24日(ユリウス暦:1564年1月8日)卒。※生没年は執事補任次第によるもの。
*7
澄元 実義春男。延徳元(1489)年生。六郎。右京大夫。法名宗泰。道号安英。真乗院。永正17年6月10日(ユリウス暦:1520年6月24日)卒。
*8
晴元 右京大夫。以下、執事補任次第による。六郎。法名一清。道号心月。龍昇院。永正11(1514)年生。永禄6年3月1日(ユリウス暦:1563年3月24日)卒。
*9
昭元 信良。聡明六郎。右京大夫。室織田信長妹。元和元年11月7日(1615年12月27日)卒。
*10
持賢 右馬頭。従四位下。法名道賢。号崇福寺。寛政譜によれば、持之男。
*11
政国 実持春男。或成賢猶子。右馬頭。従四位下。法名道勝。号禅昌院。
*12
政賢 尊卑分脈による。家譜作持賢男。右馬頭。
*13
澄賢 弥九郎。右馬頭。母讃岐守源義春女。
*14
尹賢 実源春倶二男。改政光、或政元。
*15
満国 六郎。右馬頭。従五位下。号大寧寺。
*16
持春 六郎。民部少輔。下野守。号玉林院。
*17
教春 六郎。民部少輔。下野守。号長宗寺、或長泉寺。
*18
政春 九郎。贈従四位下。民部少輔。安房守。法名道亘。母公冬女〔徳大寺家譜によれば、公有女〕。永正十五正九卒。
*19
春倶 中務少輔。
*20
高基 民部少輔、或大輔。
※詮春 ⇒
C
以降の系図は、尊卑分脈、家譜、寛政譜、系図纂要で、大きく異なる。
尊卑分脈による系図。
C⇒
義之
*1
満久
*2
持常
*3
※1
成之
*4
政之
(九郎。兵部少輔。法名天蔵。号永元院。早世)
義春
*5
之持
(九郎。永正九正二十一卒)
澄元
(政元嗣)
教祐
*6
成之
(持常嗣)
※1 寛政譜によれば、満之の子。
*1
義之 兵部少輔。讃岐守。従五位下。法名常長。号宝光院。
*2
満久 実満之三〔或二〕男。兵部少輔。右馬助。讃岐守。従五位下。号心華院。法名齢延。
*3
持常 家譜无。号桂林院。兵部少輔。従五位下。讃岐守。法名晋翁。
*4
成之 実教祐男。*家譜によれば、義之男。六郎。永享6(1434)年生。兵部少輔。讃岐守。法名道室。号慈雲院。永正8(1511)年9月9〔或12〕日卒。
*5
義春 彦九郎。讃岐守。
*6
教祐 家譜无。六郎。兵部少輔。号善勝院。
家譜による。
C⇒
義之
成之
義春
澄元
(為政元嗣)
寛政重修諸家譜による。
C⇒
義之
*1
満久
*2
久之
*3
之勝
*4
持重
(讃岐守。仙岳常麟徳雲院)
氏久
*5
政勝
*6
元定
*7
⇒C-2
*1
義之 兵部少輔。讃岐守。従五位下。某年二月朔日卒。天祐常長宝光院。
*2
満久 右馬助。兵部少輔。讃岐守。従五位下。某年九月二十八日卒。齢叟常延心華院。
*3
久之 永正8年9月12日(ユリウス暦:1511年10月3日)卒。大川道空慈雲院。
*4
之勝 讃岐守。心岩道仙久昌院。
*5
氏久 文亀2(1502)年生。下総守。阿波国司。天文24年5月24日(ユリウス暦:1555年6月13日)卒。慶源道重華光院。
*6
政勝 駿河守。法名意政。
*7
元定 天文6(1537)年生。勘左衛門。上総介。剃髪号仰宝。紹高。文禄4年正月5日(1595年2月13日)卒。法名了安。
C-2⇒
全隆
*1
某
(五郎。瑞益)
女子
(称揚寺妻)
女子
(坂上池院宗説妻)
元隆
*2
某
*3
元策
(実山脇道立玄脩長男。輪斎。常謙)
元信
*4
光信
*5
某
(宗仙)
女子
(大久保三郎右衛門忠喜妻)
女子
(須田主税盛富妻)
女子
(武田杏仙信久妻)
某
(松軒。恭安。
武田長春院信郷養子、後帰)
*1
全隆 紹高。
*2
元隆 千松。宗仙。実坂上池院宗説二男。母全隆女。
*3
某 桃庵。法眼。養子。享保8年7月29日(1723年8月29日)卒。
*4
元信 元禄12(1699)年生。仲悦。桃庵。実黒川氏男。母武田長春院信成女。妻吉田策庵宗仲女。宝暦11(1761)年卒。
*5
光信 享保12(1727)年生。宗仙。桃庵。母宗仲女。安永2年7月25日(1773年9月11日)卒。
D
⇒
氏春
*1
満春
*2
満師
*3
持親
*4
成春
*5
尚春
*6
久安
(兵部大輔二郎)
俊春
*7
親経
(伊豆守)
安氏
(八郎)
信氏
(掃部助)
*1
氏春 正五位下。左衛門佐。淡路守。兵部少輔。淡路守護。嘉慶元/元中4年10月19日(ユリウス暦:1387年11月30日)卒〔系図纂要〕。松伯院、或松栖院。
*2
満春 左馬助。淡路守。応永6年11月20日(ユリウス暦:1399年12月17日)卒〔系図纂要〕。宝珠院大載地公。
*3
満師 改満俊。淡路守。号心香院。文安4(1447)年卒〔系図纂要〕。
*4
持親 中務少輔。淡路守。淡路守護〔系図纂要〕。号瑞雲院。寛正6年12月12日(ユリウス暦:1465年12月29日)卒〔系図纂要〕。
*5
成春 彦四郎。淡路守。隠岐守〔系図纂要〕。淡路守護〔系図纂要〕。文明17年5月15日(ユリウス暦:1485年6月27日)卒〔系図纂要〕。南陽院成伯栄公〔系図纂要〕。
*6
尚春 系図纂要による。本名之信。淡路守。永正4年5月23日(ユリウス暦:1507年7月3日)卒。桂堂院以久大公。
*7
俊春 帯刀六郎。駿河守。
②-a
⇒
持有
*1
教春
*2
常有
*3
岩室坊
(*家譜)
頼常
(九郎。右馬頭。早世)
政有
*4
当谷源諦禅師
(*家譜)
元有
*5
元常
*6
頼勝
(弥九郎。右馬助。
刑部少輔)
玉峰永宗西堂
(永源庵七世)
藤孝
*7
⇒
③
晴員
(三淵晴恒養子)
正倫永佶禅師
(永源庵弟子)
有盛
(*家譜による。五郎次郎。
松浦肥前守養子)
晴貞
(*家譜による。右馬頭。
民部少輔。刑部少輔)
元有
(政有嗣)
常有
(教春嗣)
合浦永琮長老
(永源庵五世。*家譜)
有勝
(十郎。右馬頭。阿波守。*家譜)
実夫通的西堂
(建仁寺塔頭永源庵三世。*家譜)
*1
持有 九郎。応永2年2月18日(ユリウス暦:1395年3月9日)生。刑部少輔。永享10年9月21日(ユリウス暦:1438年10月10日)卒。心伝常紹最勝院。
*2
教春 九郎。応永30年9月15日(ユリウス暦:1423年10月19日)生。刑部少輔。宝徳2年4月27日(ユリウス暦:1450年6月7日)卒。誓翁道弘等観寺。
*3
常有 実持有子。弥九郎。応永31年12月2日(ユリウス暦:1424年12月22日)生。刑部少輔。播磨守。文明12年10月7日(ユリウス暦:1480年11月8日)卒。春嶽通泰瑞高寺。
*4
政有 初名頼次。九郎、寛政譜作五郎。宝徳元年10月6日(ユリウス暦:1449年10月22日)生。刑部少輔。文明13年4月24日(ユリウス暦:1481年5月22日)卒。大隆通賢慈勝院。
*5
元有 実舎弟。五郎。長禄3年正月15日(ユリウス暦:1459年2月18日)生。刑部少輔。右馬頭。室三淵晴貞女。明応9年9月2日(ユリウス暦:1500年9月25日)卒。
*6
元常 十郎。五郎。文明14年8月5日(ユリウス暦:1482年9月17日)生。右馬助。刑部大輔。播磨守。実翁通真。天文23年6月16日(ユリウス暦:1554年7月15日)卒。
*7
藤孝 実三淵晴員二男。萬吉。与一郎。後改長岡氏。天文3年4月22日(ユリウス暦:1534年6月3日)生。母船橋宣賢女。兵部大輔。従四位下。侍従。幽斉。室沼田光兼女。慶長15年8月20日(1610年10月6日)卒。*一説に藤孝は足利義晴の子ともいわれる。
②-b⇒
繁氏
*1
祐氏
*2
信氏
信之
業氏
*3
満経
*4
持経
*5
成経
*6
尚経
*7
尹隆
*8
晴経
*9
⇒②-c
顕経
(民部大輔。上野介)
氏之
(*尊卑分脈による。従五位下。六郎。
伊予守。
延文4/正平14年8月8日(ユリウス暦:1359年8月31日)卒)
政氏
(或頼貞子。*尊卑分脈による)
*1
繁氏 式部大輔。伊予守。従五位下。天正14年6月8日(1586年7月24日)卒。或祖父子云々。
*2
祐氏 兵部大輔。以下の系図は、系図纂要による。
*3
業氏 実和氏男。八郎太郎。或改経氏。陸奥守。兵部大輔。従四位下。龍樹寺。
*4
満経 初経氏。陸奥守。従四位下。号宝泉寺。
*5
持経 中務少輔。陸奥守。
*6
成経 中務大輔。陸奥守。
*7
尚経 小四郎。中務少輔。陸奥守。
*8
尹隆 初尹経。小四郎。中務少輔。陸奥守。従四位下。
*9
晴経 三郎四郎。中務少輔。
②-c⇒
輝経
(中務少輔。従四位下。号意斎。
忠興
(実藤孝男。後帰実家)
光源院殿〔足利義輝〕供衆)
③
⇒
忠興
忠隆
(熊千代。与一郎。母明智光秀女。
従四位下。剃髪号休無。
後称羽柴、又長岡。天正8(1580)年生。
正保3年8月1日(1646年9月10日)卒。
号瑞岩宗祥泰仰院。
葬于紫野大徳寺高桐院。
室
前田利家
女)
興秋
(忠以。長岡与五郎。母同。細川興元猶子。
慶長20年6月6日(1615年7月1日)於山城国束林院自害)
女子
(長。母同。前野長重室)
女子
(古保。母郡氏〔寛政譜〕。家臣長岡佐渡守興長妻)
有閭
(系図纂要による)
忠利
*1
光尚
*2
綱利
*3
女子
(菊。母松平頼重養女。
松平豊後守頼路
室)
女子
(光。母同。酒井左衛門尉忠真室)
女子
(松。母同。許嫁西園寺左中将公満
、嫁せず卒)
女子
(揚。母同。細川利重養女。
松平志摩守直丘妻)
女子
(吉。母同。細川采女正利昌室)
女子
(伊津。母仁田氏。
家臣清水靱負勝貞妻)
女子
(※寛政重修諸家譜による。母平賀氏)
女子
(※寛政重修諸家譜による。母黒川氏)
男子
(※寛政重修諸家譜による。与一郎。
母仁田氏。貞享4(1687)年生。
元禄13年7月21日(1700年9月4日)卒。
海岸紹珠恵雲院。
葬于品川東海寺妙解院)
吉利
(利章。千次郎。内記。母同。
従四位下。侍従。兵部大輔。
元禄2(1689)年生。
宝永3年4月25日(1706年6月5日)卒。
恵海宗遠円明院。葬地同与一郎)
女子
(具。実細川利重女。
久我惟通室。通兄母)
女子
(実松平志摩守直丘女。
松平采女正定基室)
宣紀
*4
⇒④
利重〔
熊本新田藩
〕
女子
(藤。松平下総守忠弘朝臣室)
宗玄
(鶴千代。母金子氏。玄喝食。天岸和尚。不白。
妙解寺住職。後、大徳寺。
天和4年2月1日(1684年3月16日)寂。慈徳恵済禅師)
女子
(竹。家人有吉頼母英長妻)
尚房
(初尚良。松之助。左京。修理。母額田氏)
元知
(勝千代。左衛門。左近。道固。
家臣南条大膳元信養子)
女子
(多羅。母同。稲葉民部少輔一通室)
女子
(萬。母明智氏。烏丸光賢室。資慶母)
立孝
*5
行孝〔
宇土藩
〕
亀松
(母斎藤氏。早世)
女子
(母五条為適女。
大炊御門経光
室)
寄之
(岩千代。式部。佐渡。家臣長岡佐渡興長養子)
興孝
(天千代。母清田氏。刑部。剃髪号立白。
士族細川興増祖)
興元〔
谷田部藩
〕
幸隆
(幸賀。刑部少輔。号妙庵。母同)
孝之
(孝紀。茶知丸。与十郎。中務少輔。休斎宗也)
女子
(伊也。初嫁一色義有、後、吉田兼治室)
女子
(加賀。
木下延俊
室)
女子
(栗。長岡好重室。*家譜によれば、末女)
女子
(千。初め長岡与九郎室、後小笠原宮内長良室)
*1
忠利 忠辰。童名光。母明智光秀女。天正14年10月11日(1586年11月21日)生。内記。越中守。侍従。従四位下。左少将。寛永18年3月17日(1641年4月26日)於熊本卒。台雲宗伍妙解院。葬于肥後国飽田郡妙解寺。室徳川秀忠養女千代姫〔実小笠原兵部大輔秀政女。慶長元(1596)年生。慶安2年11月24日(1649年12月27日)卒。三英紹春保寿院。葬于品川東海寺〕。
*2
光尚 初名光利。光貞。六丸。母徳川秀忠養女(実小笠原秀政女)千代姫。元和5年11月19日(1619年12月24日)生。肥後守。従四位下。侍従。慶安2年12月26日(1650年1月28日)卒。囘岩宗夢真源院。葬地同忠利。室烏丸光賢女。
*3
綱利 六丸。母清水氏。寛永20年正月8日(1643年2月26日)生。越中守。従四位下。侍従。左少将。正徳4年11月12日(1714年12月18日)卒。雲嶽宗龍妙応院。葬地同忠利。室松平讃岐守頼重養女〔実水戸中納言頼房女〕。
*4
宣紀 実細川利重二男。母築山氏。利武。竹之助。主税。主税頭。延宝4年11月20日(1676年12月24日)生。越中守。従四位下。侍従。享保17年6月26日(1732年8月16日)卒。桃谷義幡霊雲院。葬地同与一郎。
*5
立孝 母清田氏。中務大輔。元和元(1615)年生。正保2年閏5月11日(1645年7月4日)卒。泰雲院立允宗功。
④⇒
男子
(※以下、9人は寛政重修諸家譜による。家譜无。
竹之助。母小野田氏。早世)
女子
(母鳥井氏)
女子
(母同竹之助)
男子
(八三郎。母同長女)
女子
(母同竹之助)
男子
(万次郎。母同。早世)
女子
女子
(母同長女)
女子
(母安野氏)
宗孝
*1
重賢
*2
治年
*3
斉茲
*4
斉樹
*5
斉護
*6
⇒⑤
女子
(篤)
女子
(邰。一条忠良室。
華族家系大成によれば、富子。
文政7年2月22日(1824年3月22日)没)
茲詮
(職五郎)
女子
(*華族家系大成による。芳姫。
松平斉恒夫人、後離縁)
女子
(咸。松平播磨守頼説室〔*寛政譜婚約〕)
年和
(雄次。寅次。、寛政重修諸家譜によれば、
応五郎。称長岡)
女子
(就。
久我通明
室)
女子
(親。母小川氏。細川長門守興徳室)
男子
(*寛政譜による。豪次。称長岡)
女子
(八代。母安野氏。
松平頼恭
室)
女子
(喜和。母鳥井氏。
宗義如
室)
紀雄
(宗孝養子。改重賢。母岩瀬氏)
女子
(三千。母鳥井氏。安藤信尹室)
女子
(豊。母岩瀬氏。
織田信旧
室)
紀休
(紀豊。伊三郎。織部。清記。母友成氏)
女子
(衛代。家臣長岡助右衛門是福妻)
女子
(幾。
細川興里
室)
女子
(津代。家臣小笠原備前長軌妻)
興彭
(隼人。青丘。一門長岡図書養子)
男子
(*寛政譜による。龍五郎。母鳥井氏)
*1
宗孝 初名紀達。六丸。主税。享保3年4月27日(1718年5月26日)生〔寛政譜作享保元(1716)年生〕。越中守。従四位下。侍従。延享4年8月16日(1747年9月20日)卒。廓然義周隆徳院。葬地同与一郎。室徳川宗直女。
*2
重賢 実宣紀男。紀雄。六之助。民部。主馬。母岩瀬氏。享保5年12月26日(1721年1月23日)生。越中守。従四位下。侍従。少将。天明5年10月26日(1785年11月27日)卒。徹巖宗印霊感院。葬地同与一郎。室久我通兄女。
*3
治年 賢年。胤次。母金沢氏。宝暦9年4月25日(1759年5月21日)生〔寛政譜宝暦8(1758)年〕。中務大輔。越中守。従四位下。侍従。天明7年9月16日(1787年10月26日)卒。室細川興文女。
*4
斉茲 実細川興文男。母薗氏。宝暦9年4月26日(1759年5月22日)生〔寛政譜宝暦5(1755)年〕。越中守。従四位下。侍従。少将。左京大夫。天保6年10月23日(1835年12月12日)卒。
*5
斉樹 茲樹。猶之丞。六之助。母芳沢氏。天明9年正月13日(1789年2月7日)生。兵部大輔。越中守。従四位下。侍従。左少将。文政9年2月2日(1826年3月10日)卒。室徳川治済四女紀。
*6
斉護 実細川立之長男。越中守。文化元年9月16日(1804年10月19日)生。侍従。従四位上。左中将。万延元年4月17日(1860年6月6日)卒。室浅野斉賢六女益。
⑤⇒
慶前
(護前。雅之進。早世。兵部大輔。従四位下。侍従)
女子
(勇。
松平慶永
夫人)
韶邦
(護順。訓三郎。六之助。
⇒
右京大夫。越中守。慶順。
天保6年6月28日(1835年7月23日)生。
正四位。明治9(1876)年10月没。
室一条忠香養女(実
三条実万
女)峯)
護久
(韶邦嗣)
承烈
(*華族家系大成作承昭。護明。寛五郎。
津軽順承
養子)
護美
(良之助。紀氏。金王丸。左兵衛督。従四位下。侍従。
喜連川熙氏
養子、後離縁。長岡子爵祖)
女子
(喜久)
⇒
護久
(実舎弟。義之助。澄之助。右京大夫。
正四位。熊本藩知事。
陸軍少将〔華族家系大成作海軍少将〕。
天保10年3月朔日(1839年4月14日)生。
明治17(1884)年7月7日侯爵授爵〔現代華族譜要〕。
明治26(1893)年9月没。室鍋島直正五女宏子)
細川 忠興
[ 永禄6年11月13日(ユリウス暦:1563年11月28日) 〜 正保2年12月2日(1646年1月18日) ]
細川藤孝の子。母沼田上野介光兼女。細川陸奥守輝経の養子。
熊千代。与一郎。越中守。
法名三斎宗立松向寺。
葬于肥後国飽田郡泰勝寺。
室
明智光秀
女。
初見は慶長9(1604)年に従四位下前参議として記載されている。
元和6(1620)年以降不見。
※家譜・系図纂要等によれば、従三位。
※最終更新日 2017.04.19
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