亀山天皇と亀山源氏(常盤井宮)

第90代

亀山天皇

生没年 建長元年5月27日(ユリウス暦:1249年7月9日)〜嘉元3年9月15日(ユリウス暦:1305年10月4日)
異称 恒仁。金剛眼〔本朝皇胤紹運録作金剛源〕。
後嵯峨天皇
西園寺姞子 大宮院。西園寺実氏女。母四条隆衡女従一位貞子。
嘉禄元(1225)年生。
仁治3年4月28日(ユリウス暦:1242年5月29日)叙従三位。6月3日入内。6月10日女御。8月9日中宮。
宝治2年6月18日(ユリウス暦:1248年7月10日)院号。
文永9年2月23日(ユリウス暦:1272年3月23日)為尼遍智覚。
正応5年9月9日(ユリウス暦:1292年10月20日)薨。
配偶者
皇后 藤原佶子 京極院。山階実雄女。母法印公審女従二位栄子。為大宮院所子養〔皇親系〕。
寛元3(1245)年生。
文応元(1260)年10月女御代〔女院小伝作12月11日〕。
同年12月7日叙従三位。25日女御。
文応2年2月8日(ユリウス暦:1261年3月10日)中宮。
同年8月20日皇后宮。
文永9年8月9日(ユリウス暦:1272年9月2日)崩。同日院号。
中宮 藤原嬉子 ※皇親系作瑄子。今出川院。西園寺公相女。 母徳大寺実基女従二位教子〔女院小伝作実中原師朝女〕。為大宮院所子養〔皇親系〕。
建長4(1252)年生。
弘長元年4月23日(ユリウス暦:1261年5月23日)叙従三位〔女院小伝〕。 6月20日為女御。8月20日為中宮。
文永5年12月6日(ユリウス暦:1269年1月9日)院号。
弘安6年8月13日(ユリウス暦:1283年9月5日)為尼仏性覚〔女院小伝11日〕。
文保2年4月25日(ユリウス暦:1318年5月26日)崩。
女御 藤原位子 新陽明門院。法名覚隆〔女院記作覚澄〕。近衛基平女。母久我通能女。
弘長2(1262)年生。
文永11年6月28日(ユリウス暦:1274年8月1日)入上皇宮。
文永12年2月22日(ユリウス暦:1275年3月20日)女御。同日従三位。同日准三宮〔女院小伝による。女院記作26日〕。
同年3月28日院号〔本朝女后名字抄作24日院号〕。
正応3年4月26日(ユリウス暦:1290年6月5日)落飾。
永仁4年正月22日(ユリウス暦:1296年2月26日)薨〔女院小伝・皇親系による。女院記作26日〕。
藤原瑛子 ※尊卑分脈作璞子、女院記作瓊子。昭訓門院。西園寺実兼女。 母中院通成女従一位顕子〔女院記によれば一位局〕。准三宮。従三位。法名真性覚。
文永11(1274)年生〔女院小伝〕。
正安3年3月19日(ユリウス暦:1301年4月28日)院号。
建武3/延元元年6月26日(ユリウス暦:1336年8月3日)御事〔女院記作25日〕。
藤原寿子 大膳大夫藤原景房女。西園寺公相養女〔皇親系〕。 称讃岐局。従二位〔皇親系〕。称京極局〔皇親系〕。初侍大宮院〔皇親系〕。
藤原禖子 山階実雄女。京極院妹。母後嵯峨院但馬局賀茂神主能直女〔系図纂要〕。従二位〔系図纂要従三位〕。
資子 従三位。
藤原俊子 日野俊光女。称帥局。従三位。
藤原雅子 藤原〔法性寺〕雅平女。母丹波守〔尊卑分脈顕隆卿等孫作丹後守〕藤原光氏女。 称中納言典侍、高倉局。 典侍。従三位。
藤原氏 三条実平女。称大納言典侍、三条局。典侍。
平氏 兵部卿平時仲女。称帥典侍。典侍。
藤原氏 僧玄駒女。花山院通雅養女。称廊御方、三条局。初北白河院大納言局侍女、称下野。
藤原氏 三条公親女。
源親子 北畠師親女。従三位。後入後醍醐天皇宮。
藤原氏 藤原雅藤女。称民部卿局。
藤原氏 藤原実任女。
藤原氏 小倉公雄女。
源氏 久我通能女。京極院侍女。称権大納言局。
某氏 称督局。准后藤原貞子侍女。
某氏 御霊社巫女。称貫川。為京極院雑仕。
在位 正元元年11月26日(ユリウス暦:1260年1月9日)〜文永11年正月26日(ユリウス暦:1274年3月6日)
皇居 平安宮。
陵名 亀山陵。

亀山源氏系図

亀山天皇 ┳ 知仁親王(無品。母山階実雄女京極院。文永2年7月11日(ユリウス暦:1265年8月23日)生。
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文永4年8月20日(ユリウス暦:1267年9月9日)薨〔皇親系作19日〕)
  ┣ 後宇多天皇
  ┣ 啓仁親王(母新陽明門院。建治2年11月17日(ユリウス暦:1276年12月23日)生〔皇親系〕。
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弘安元年12月9日(ユリウス暦:1279年1月22日)薨)
  ┣ 継仁親王(母同啓仁。弘安2年6月28日(ユリウス暦:1279年8月7日)生〔皇親系〕。同年為親王〔皇親系〕。
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弘安3年9月12日(ユリウス暦:1280年10月7日)薨)
  ┣ 守良親王 ━ 王女(九条房実室。※公卿補任・皇親系等による)
  ┣ 兼良親王(無品。母廊御方。弘安9年6月29日(ユリウス暦:1286年7月22日)生〔皇親系〕。
  ┃
正応5年10月24日(ユリウス暦:1292年12月4日)薨)
  ┣ 恒明親王〔常盤井宮
  ┣ 良助法親王(天台座主。青蓮院。常寿院。無品。母三条実平女三条局。
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文永5(1268)年生〔皇親系〕。文保2年8月18日(ユリウス暦:1318年9月13日)入滅)
  ┣ 道性(醍醐座主。三宝院。閼伽井。母准后藤原貞子侍女督局〔*纂輯御系図〕。
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僧正〔仁和寺諸院家記作大僧正〕。西院〔仁和寺諸院家記〕。※諸門跡譜作道惟権僧正)
  ┣ 聖雲法親王(無品。醍醐座主。三宝院。宝池院。僧正。母藤原実平女。
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文永8(1271)年生〔皇親系〕。正和3年6月15日(ユリウス暦:1314年7月27日)入滅)
  ┣ 覚雲法親王(二品。天台座主。梶井。母同。元亨3年10月18日(ユリウス暦:1323年11月17日)薨)
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文永9(1272)年生〔皇親系〕。元亨3年10月18日(ユリウス暦:1323年11月17日)薨〔皇親系〕)
  ┣ 叡雲法親王(初名定良。延暦寺。梨本。梶井。母藤原景房女讃岐局寿子)
  ┣ 性恵法親王(無品。延暦寺。妙法院。上野綾小路。母三条公親女)
  ┣ 性覚法親王(無品。園城寺。円満院。母左少将久我通能女)
  ┣ 性融法親王(無品。仁和寺。僧正。安井。西院〔仁和寺諸院家記〕。母同)
  ┣ 順助法親王(無品。園城寺。聖護院。母平時仲女。弘安2(1279)年〔皇親系〕。
  ┃
元応2年10月5日(ユリウス暦:1320年11月5日)入滅)
  ┣ 慈道法親王(天台座主。准后。青蓮院。十楽院。母同。弘安5(1282)年生〔皇親系〕。
  ┃
暦応4/興国2年4月11日(ユリウス暦:1341年4月27日)入滅。号青龍院〔皇親系〕)
  ┣ 行仁法親王(無品。延暦寺。十楽院。改行円。母同順助)
  ┣ 恒雲法親王(無品。延暦寺。城興寺。号小河。母小倉公雄女)
  ┣ 益性法親王(二品。仁和寺。上乗院)
  ┣ 道澄法親王(延暦寺。母藤原雅藤女民部卿局)
  ┣ 尊誓(号報恩。母安嘉門院)
  ┣ 寛融(一品。寛尊法親王。仁和寺。西院〔仁和寺諸院家記〕。安井。大覚寺。
  ┃
天王寺別当。号西院。号天王寺宮〔仁和寺諸院家記〕。母日野俊光女。
  ┃
永徳2/弘和2年11月26日(ユリウス暦:1382年12月31日)薨)
  ┣ 尊珍法親王(園城寺。准后。長吏。聖護院。母従三位資子。後醍醐天皇猶子〔皇親系〕)
  ┣ 女子(喜子。昭慶門院。准三后。母藤原雅平女従三位雅子。文永10(1273)年生〔皇親系〕。
  ┃
嘉元4(1306)年落飾号清浄源。元亨4年3月12日(ユリウス暦:1324年4月6日)崩御)
  ┣ 女子(睍子内親王。母同後宇多。弘長2年11月8日(ユリウス暦:1262年12月20日)生〔皇親系〕。
  ┃
文永元年7月9日(ユリウス暦:1264年8月2日)薨〔皇親系〕)
  ┣ 女子(理子内親王。母山階実雄女。建治元(1275)年生〔皇親系〕。
  ┃
弘安5年8月12日(ユリウス暦:1282年9月15日)薨〔皇親系〕)
  ┣ 女子(法名遍照覚。母山階実雄女京極院〔皇親系作母某氏称貫川〕。近衛家基室。経平母)
  ┣ 女子(九条師教室。母同良助)
  ┣ 女子(※皇親系による。母懌子内親王)
  ┣ 女子(※皇親系による。母未詳)
  ┣ 女子(※皇親系による。母未詳)
  ┣ 女子(※皇親系による。母未詳)
  ┣ 女子(※皇親系による。母未詳)
  ┣ 女子(※皇親系による。母未詳)
  ┣ 女子(※皇親系による。母未詳)
  ┗ 養女(※皇親系による。瑞子女王。実宗尊親王女〔後嵯峨天皇〕。永嘉門院)
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常盤井宮

皇親系作常磐井宮。
恒明親王 ┳ 全仁親王 ┳ 満仁親王 ┳ 直明王
  ┃   ┃   ┣ 尊興(准后。勧修寺。応永4(1397)年生〔皇親系〕。
  ┃   ┃   ┃   応永31年5月27日(ユリウス暦:1424年6月23日)薨〔皇親系〕。
  ┃   ┃   ┃   贈号安養院殿〔勧修寺長吏次第〕。
  ┃   ┃   ┃   ※勧修寺長吏次第・皇親系・系図纂要
  ┃   ┃   ┃   によれば、崇光天皇猶子)
  ┃   ┃   ┣ 恒邦王
  ┃   ┃   ┣ 恒興王
  ┃   ┃   ┗ 興胤(勧修寺長吏次第・系図纂要による。
  ┃   ┃   勧修寺。権僧正。号後安養院殿。
  ┃   ┃   安祥寺寺務。東大寺別当)
  ┃   ┗ 尊珍※1
  ┣ 尊守法親王(仁和寺〔系図纂要作延暦寺〕。安井〔蓮華光院〕。号光明乗院、
  ┃
西院宮〔仁和寺諸院家記・系図纂要〕)
  ┣ 深勝(系図纂要によれば、又尊観。後村上天皇猶子。他阿上人。
  ┃
応永7年10月24日(ユリウス暦:1400年11月10日)寂于藤沢道場)
  ┃
※他阿が深勝と同人かは不審。
  ┣ 聖珍(東大寺東南院。早世)
  ┣ 尊信法親王(勧修寺。勧修寺長吏次第・系図纂要によれば、後醍醐天皇猶子。無品。
  ┃
安祥寺寺務。号後宝泉院)
  ┣ 慈明
  ┣ 恒鎮法親王(天台座主。梶井。系図纂要によれば、亀山院猶子。号梨下。
  ┃
応安5/建徳3年正月6日(ユリウス暦:1372年2月11日)薨。※僧官補任作桓鎮)
  ┣ 恒助法親王(系図纂要によれば、仁和寺。相応院。本名宣助〔仁和寺諸院家記〕。
  ┃
大宮季衡猶子〔仁和寺諸院家記〕)
  ┣ 乗朝法親王(仁和寺。上乗院。号下川原〔諸門跡譜〕)
  ┣ 恒守法親王
  ┣ 仁誉法親王(園城寺。三井長吏。聖護院。母洞院実泰女)
  ┗ 桑朝法親王(※系図纂要による。仁和寺。上乗院。広隆寺別当)
※1 本朝皇胤紹運録によったが、鶴岡八幡宮寺社務次第によれば全仁親王の子に尊賢〔宝幢院宮僧正。号常盤井宮〕という僧あり。
┳ 全明親王 ┳ 恒直親王(後柏原天皇猶子)
  ┃   ┗ 義桓(園城寺。実相院。僧正)
  ┗ 恒弘法親王(東寺。勧修寺。無品〔皇親系作二品〕。後崇光院〔伏見宮貞成親王〕猶子。
  皇親系によれば、嘉吉3(1443)年為僧。初名恒興。
  永享3(1431)年生。永正6年閏8月8日(ユリウス暦:1509年9月21日)薨)
第89代
第91代