系図は、本朝皇胤紹運録を基本とした。〔〕書きで出典が書かれていない事項は、本朝皇胤紹運録
に記載されたもの。
纂輯御系図、皇親系、詰所系図(系図綜覧所収執次詰所御系譜)、系図纂要との異同を校訂した。
紙幅の関係上、一部省略している事項もある。
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生没年
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文永4年12月1日(ユリウス暦:1267年12月17日)〜元亨4年6月25日(ユリウス暦:1324年7月16日)
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異称
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世仁。金剛性。
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父
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亀山天皇。
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母
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洞院〔山階〕実雄女佶子(京極院)。
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配偶者
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皇后
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姈子内親王
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遊義門院。後深草天皇皇女。母西園寺実氏女公子〔東二条院〕。
文永7(1270)年生〔皇親系作9月18日〕。
正応4年8月4日(ユリウス暦:1291年8月29日)院号〔女院小伝〕。
徳治2年7月26日(ユリウス暦:1307年8月24日)薨〔女院小伝・皇親系24日〕。
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典侍
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藤原忠子
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談天門院。藤原〔五辻〕忠継女。
母平高輔女元帥局〔女院記・尊卑分脈・女院小伝。※吉田家譜卜部兼直女〕。
称中納言典侍。准三后。従三位。法名蓮華智。
文永5(1268)年生。文保2年4月12日(ユリウス暦:1318年5月13日)院号。
元応元年11月15日(ユリウス暦:1319年12月27日)薨。
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源基子
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西華門院。堀川具守女。母平親継女。堀川基具養女。初侍新陽明門院称東御方。
従三位。准三宮。法名清浄法。
弘安8(1285)年生〔女院小伝・女院記による。皇親系作文永6(1269)年〕。
徳治3年8月26日(ユリウス暦:1308年9月11日)為尼。
延慶元年11月27日(ユリウス暦:1309年1月8日)叙従三位。12月准三宮。同日院号。
文和4/正平10年8月26日(ユリウス暦:1355年10月2日)薨〔皇親系〕。
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瑞子女王
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永嘉門院。法名妙法智。宗尊親王〔後嵯峨院皇子〕女。
母源〔堀川〕通具孫女〔具教女〕。
文永9(1272)年生。 正安4年正月20日(ユリウス暦:1302年2月18日)准三宮。同日院号。 元徳元年8月29日(ユリウス暦:1329年9月22日)薨。
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掄子女王
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宗尊親王女。
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藤原氏
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花山院〔鷹司〕長雅女。
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藤原氏
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藤原親宗女。
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藤原氏
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藤原〔橋本〕実俊女。初遊義門院侍女。称一条局。
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在位
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文永11年正月26日(ユリウス暦:1274年3月6日)〜弘安10年10月21日(ユリウス暦:1287年11月27日)
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皇居
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平安宮。
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陵名
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蓮華峯寺陵。
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- 本サイトの公卿に関するデータは、
東京大学史料編纂所公開用データベースに公開されている家譜、
公卿補任(新訂増補国史大系53-57吉川弘文館。国史大系第9-11経済雑誌社)、
尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下吉川弘文館。 新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12吉川弘文館)、
公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
系図纂要(名著出版)
を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。
知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
- 菩提寺・居所に関しては、
雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕と
公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
を基本としました。
家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
実地調査はおこなっておりません。
- 家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
- 家紋に関しては、
雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
- 年数の表記に関しては、ユリウス暦1582年10月4日までをユリウス暦に換算し、
その翌日からをグレゴリオ暦に換算してあります。
ユリウス暦の場合は、西暦の頭にユリウス暦であることを表記してあります。
ユリウス暦の表記がないものは、グレゴリオ暦であることを示します。
和暦の改元の表記に関しては、改元した年の改元日から新元号の元年としました。
西暦への変換に関しては、和暦の各月の大小の値を
「日本暦日原典」内田正男/著に従って、算出したものです。
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父母名などを表記する場合、公卿に関しては、官位官職、卿・公の尊称は省略しました。
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