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中華への道!ダイアリー

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2004年12月





12月1日 水曜日


豆苗鶏線


家常豆腐


口袋豆腐(豆腐巾着)、豆苗鶏線(豆苗と鶏肉のスープ)、
家常豆腐(揚げ豆腐の炒め物)を習った。
なんか最近老師やねぶた君の言ってる事が聞き取れなくなってきた。
俺の耳がどうにかなったのか
それとも老師たちも慣れてきて標準語を話さなくなったのか。
微妙に聞き取れない。
困った。

口袋豆腐は豆腐を揚げたものに肉を詰めて煮たもの。
豆苗鶏線は胸肉をミキサーですりつぶして熱湯に搾り出し、
麺状にしたもののスープ。
家常豆腐は家庭料理の中で僕が一番好きな料理で、
揚げ豆腐の辛みそ炒めといったところか。

授業は淡々と進み、ちょっと緊張感がなくなってきたかなと
いった感じ。
もうすぐ四川料理の授業も終わることだし、
老師とねぶた君を誘って飯でも食いに行こうかな。
こういった気分転換が必要かも。

おかっぱ君は学校が斡旋してくれた仕事を断った様子。
ホテルの厨房とばかり思っていた仕事場は
実はそうではなく、ホテル横の小さな食堂だったようだ。
名前が似ていたので勘違いしてしまったらしい。

でもここで終わらないのがおかっぱ君のいいところ。
話によると、早くも西苑にあるレストランに新しい仕事が決まったらしい。
すばらしい行動力というか何というか…。

夜は家でキャベツの炒め物と今日習った家常豆腐を作った。
めでたく成功!
やっぱりしょっちゅう食べて味を知ってる料理は作りやすい感じがする。

さっき、ベットに寝る時にめまいがした。
疲れてるのかな〜?
朝起きたら死んでたなんて事にはなりたくない。
あまり無理せずにマイペースで行こう。










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12月2日 木曜日

もう12月なんだな〜。
日本は師走の真っ只中なんだろうな〜。
中国は来年の2月9日が春節だから、まだそんな雰囲気はない。

今日は朝起きて、アンパンと豆乳を買って近くの公園へ。
週に一回ぐらい、この公園を散歩している。
平日の朝でも公園にはいろんな人がきて、
思い思いの時間を過ごしている。

野外ジムでトレーニングをしている人、
筆で地面に漢詩を書いている人、
太極拳、武術を練習している人、
胡弓や笛などを演奏している人、
京劇の歌を歌っている人、
社交ダンスをしている人などなど。

達筆です(Quick Time)
太極拳や剣術をしています(Quick Time)

見ていて一番飽きないのは社交ダンスだ。
50代から70代位の人たちが音楽にあわせて自由に舞っている。
みんな結構練習を積んできているようで
相手の足を踏むなんてことはない。
ただ、体が少々硬いだけ。
レベルは人によってまちまちだが、
素人にしてはなかなかの腕前だ。

何が面白いかと言うと、
みんな楽しんでダンスをしている姿を見るのが面白い。

毎回目にする夫婦がいる。
二人そろってサングラスをかけ、
バレバレのかつらを二人ともかぶっている。
したがって否が応でも目立ってしまっているのだが、
ダンスをしている時は何もしゃべらず真剣そのもの。
曲が終わると、この曲は踊りずらいだの、
相手の動きを批評しあったりしている。(そんな気がする)
…おもしろい。

あとはいつも1人で踊っている太ったおばさん。
毎回同じ動きをしているんだけど、
いつも、ずっとニコニコしながら楽しそう。
見ているこっちも思わずニコニコしてしまう。

今日の公園は華北地区を襲った濃霧で視界は悪かったが、
みんなの顔は太陽のように明るかった。

授業では鶏肉団子、重慶排骨、きのこと野菜のあんかけ、
清炒wo筍を習った。
鶏肉団子は塩味のあんかけでさっぱりしている。
重慶排骨は麻辛醤で煮込んだスペアリブをこんがり揚げた物で、ビールにぴったり。
きのこと野菜のあんかけは盛り付け方が難しかった。
中華の盛り付け方は俺にしてみれば特殊だ。
日本料理だと付け合せや、飾りは皿の一方にまとめて盛るけど
中華のは皿の周りにずらりと飾り付けをしたりして、
左右対称を好むらしい。
しかも派手だ。

清炒は軽く湯通ししておいたwo筍(レタス系の野菜で主に茎を食べる。シャリシャリしておいしい)を強火で激しく鍋を返しながら水分を飛ばし、
水溶き片栗粉を混ぜた調味料を軽く合わせた料理だ。

簡単そうだけど、難しいのが作ってみてよく分かった。
中華は火力とスピードが命とよく言われるが、
この料理はその王道を行く。

鍋気と呼ばれる蒸気で火を通す方法なのだが、
焦げてしまった。
手際よく作ったつもりだったんだけどな〜。
鍋から出ていたのは蒸気じゃなくて煙だったらしい。

この料理には塩、味の素、葱油を使うのだが、
もうひとつの味が加わって初めて成功すると老師が教えてくれた。
それはなんと鉄錆味(鉄のさびた味)だった。

中華には味の表現の仕方がたくさんあるのだが、
鉄錆味まであるとは。
確かに老師が作ったのにはかすかに鉄の味がした。
俺のはこげた味が強く出てしまって、その味は出せなかった。

明日は四川料理の授業最終日なので、
老師とねぶた君を明日の晩飯に誘った。
老師は一気に目が輝きだし、授業の雰囲気にもハリが出た。
効果てきめん!
彼は嬉しそうにみんなに自慢していた。

誘ったのはいいけど、どこに行こうか。
いつもの食堂はちょっと味気ないし。

長屋の向かいの部屋から最近女の人の泣き声が聞こえる。
盛華に聞くと激しい夫婦喧嘩をしていたらしい。
子供二人とお母さんは見たことがあるけど
そういえば、お父さんは見たことがないな。
浮気が原因だろうか…?


きのこと野菜のあんかけ




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12月3日 金曜日


醤皇爆鮮イカ


川汁海螺


四川料理の授業は今日で終わった。
海鮮を使った料理を習った。
刺身じゃないにせよ、海のものを使った料理は嬉しかった。

本来、四川省は内陸のために海鮮料理は乾物を使うくらいで
あまり発展してこなかったのだが、
最近は交通手段の発達で海鮮も多く使われるようになったとのこと。
今日は、広東料理風の四川料理を習った。

老師は四川、広東でコックの仕事をしてきた人だから
うまく二つの料理を取り入れた料理は得意な様子だ。

ミル貝の炒め物、川汁海螺(螺の四川風)、醤皇爆鮮烏賊(いかのXO醤炒め)を習った。
やはり海鮮はうまかった。
すべて完食。
どの料理も、素材を一瞬湯通ししてから一気に炒める調理法で
火は通ってるんだけど、硬くなりすぎずに
素材の味が生きていた。
最終日にふさわしい料理だった。

授業が終わったあとは結局老師といつもの食堂へ。
ねぶた君は仕事が終わったら来るという事で
2人で飲んだ。
老師と2人で飲むのは初めてじゃないが話につまった。
話すこともあまりなかったので他の客を観察して盛り上がった。

店の中にはそんなに客は入っていなかったけど
10歳ぐらいの男の子が一人で火鍋を食っていた。
しかもビール付き。

店員との話を聞いていたら、彼は河北省から来てペットボトルの回収をして稼いでいるとのこと。
なるほど服はボロボロのジャージ姿で
足元に置いた袋にはペットボトルが数本入っている。

今日の夜、これから田舎に里帰りするとのことで
その前にちょっと一杯となったようだ。
体つき以外はもうほとんど大人で、態度は大きく口の方もかなり達者。
しかも食後の一服をしてたもんだからびっくり。
タバコを持つ手が、喫煙歴の長さを物語っていた。

中国ではタバコをすう子供というか学生が結構いる。
家の近くに高校があるのだが、
校門の前でタバコを吸ってる学生。
高校のほかに小学校もあり、さすがに児童が喫煙しているところは見かけたことはないが
校門の前にオリンピックの女子サッカー選手の顔写真入りの看板がある。
そこに書いてあるのは
「タバコを吸わない新世代 すばらしい」
のスローガン。
漫画や有名人を使って訴えかけているところが痛々しい。

おやじ坊やが火鍋を食い終わって帰っていくと
老師もつまらなくなった様で学校に電話をしてねぶた君を呼んだ。

しばらくして、ねぶた君と張生が来た。
待ってましたとばかり、駆けつけ一杯をして一瞬盛り上がったのだが
老師が漢詩の話を始めてからは危うい雰囲気に。
俺はもちろん聞き取れず。
張生は学校に戻り、ねぶた君もあまり興味がない様子だった。
楊老師は空気が読めない。

10時前にねぶた君は帰っていった。
来てくれてありがとう。
それと授業中はお世話になりました。

そのあとは2人で中国経済について話をした。
老師が言うには中国の経済は問題山積みで、
早くその問題が明るみに出てバブルがはじけてほしいといっていた。
老師の観点は一般の中国人とはちょっと違う。
中国の問題をよく知っている。

国有企業の膨大な借金、銀行の不良債権、人民元のレート、株などの過剰投資・・・。
決して楽観的ではなく鋭い目を持っていると感じた。

俺も楊老師とは同意見だ。
毎年経済成長率8%前後を保っているときくと聞こえはいいのだが
国の規模が日本や韓国とは違う。
間違いなく経済は上向きだが、規模が大きい分、8%ごときの成長率ではこの国を引っ張っていくことは出来ない。
中国で言う8%は日本の1%成長率ぐらいに値するのではないかと思う。
しかもその1%を一部の人たちだけが享受している。

中国の経済が華やかに見えるのはバブルだから。
バブルなんだけど街には失業者があふれ、
大学を卒業してもなかなか仕事が見つからない。
都市部では大卒者が飽和状態なのだ。
人脈重視、拝金主義が汚職を蔓延させ
貧富の差、地域格差は広がるばかり。

中国政府もうなぎのぼりの経済成長に手放しで喜んでいるわけではないが、
華やかさの陰にひそむ膿にもっと目を向けるべき。
日本の企業や個人投資家も然り。
周りの流れに乗るだけじゃいけない。

最後に楊老師と共通の話題を話すことが出来てまずよかった。





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12月4日 土曜日


老師作 南瓜の龍


午前中の冷菜課が終ってから呂さんと西単でカレーを食べてきた。
この前食べた日本式のカレー。
何度食べてもうまい。

呂さんは調理師試験の結果が出たら
実家のあるハルビンに帰って、今月の末に日本にいくそうだ。
お兄さんが日本で中華レストランを経営していて
そこで数ヶ月働きに行くと言っていた。
その後は中国に帰ってきてアフリカへ貿易の可能性を探りにいく様子。
ずいぶん飛ぶな〜。

本屋で中華の本をあさってから午後の授業へ。
瓜の形をした南瓜で龍を彫ったのだが、
さすがに難しかった。
龍って見慣れているけど、
いざ彫ってみると顔のパーツが思い出せない。
老師の彫った見本を見ながらの作業だったが
馬のようになってしまった。

この授業に18歳の若者が仕事の合間に毎週来ている。
小さな食堂で働いているようだが月400元の給料で
800元の授業料を払ってきている。
先週老師がその話を聞いて自分の職場に転職するようにと
勧めていたのだが、結局断った様子。

老師の職場は北京ダックの老舗で(学校の仕事を掛持ちしている)
環境は申し分ないと思うのだが、
その若者はすぐには辞められないといっていた。

きくところによると、朝9時から夜の12時まで働きづめの様子。
休日は無し。
なんかの間違いだと思い聞き返したが、本当にないようだ。
労働基準法に引っかかるぞ〜。
中国にも数年前にそのような法律が出来たようだが
あってないようなもん。
店自体も営業許可が出ていないところなそうだ。

彼は今年の春節に安徽省から1人で北京に出てきて
今の職場に転がり込んだ。
自分も高校卒業してから1人暮らしをはじめたので
その時の自分とダブってしまい何か手を貸したくなったのだが
まずはこれからビッグになってくれることを祈ることしか出来ない。

一生懸命彫刻を彫っている姿を見て
元気をもらった。
お互い頑張ろう。

帰り、公主墳の本屋に寄り中華の本をあさってきた。
大会で何を作るかまだ決まっていない。
応募締め切りは何とか延ばしてもらってるのだが、
ほんとに分からない。
この数ヶ月の間に学んだことを生かして何とかオリジナル料理を作り出したい。
あと一週間だ。
どうするべ。






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12月5日 日曜日


老師作 南瓜製の鷹

午前は冷菜の授業で大根、キュウリ、青菜などの和え物を習った。
塩、醤油、にんにく、酢などを使った一般的な味付けだったが
キュウリ、なすなどの切り方が独特なものでためになった。
バネのようにビロ〜ンと伸びるように切る方法(蛇腹切り)だ。
見た目がきれいだし、味がしみこみやすい。

昼は呂さんとドカベン君とで飯を食った。
いつものように近くの食堂で簡単に済まそうと思ってたら
呂さんはスタスタとホテルの中へ。
素通りして近道でもするのかなと思いドカベン君とついていったら
ホテルの中の高級レストランへ入っていくではないか!

「えっ?ここで食うの?」と聞いたら
「他のところと大して値段は変わりないよ」とのこと。
とっさに財布の中身が気になった。

聞くところによると、呂さんの御用達の店らしい。
飯を食う目的だけでホテルに入ったのは何年ぶりだろう。
武者震いがした。
西駅周辺では一番高級と思われる四川料理のレストラン。
道路に面したガラス張りの窓の席に座った。
ドカベン君はこういうところに来るのは初めてだろうな〜。
急に無口になりびびってる様子だった。

メニューは山峡石爆脆DUというホルモン料理。
これは山峡の黒い小石を熱して、その上に炒めたホルモンを載せた料理だ。
コックがわざわざテーブルまで持ってきて
料理の説明をしだしたが四川訛りがひどくて聞き取れず。
ウエイトレスを呼んでまた説明させたのだが
途中で恥ずかしがって逃げていった。
新人さんだったらしい。

呂さんに通訳してもらったらこれは雌豚の生殖器の一部なのだそうだ。
モロ生殖器じゃないから安心してと呂さんは言ってたが
どこだったんだろう。
コリコリして意外とさっぱりした味でうまかった。

他には店オリジナルの回鍋肉(衣を付けてあげている)、
辛子鶏(鶏の唐辛子唐揚げ)、水餃子、アヒルの食道の和え物などなど。
どれもうまかった〜。
途中から同級生の劉君が来て一緒に食べた。
みんな仲のいい友達なのでくつろいで飯を食うことができた。

呂さんはあさってに一週間の上海旅行に行き
その後日本にいくそうだ。
劉君はあともう少し学校で調理を学んでから働き、
2〜3年後にはレストランを開く予定なのだそうだ。
ドカベン君は今麺点を習っているが、あとのことはまだ未定。

いろいろ将来の話などをしていると、
ドカベン君がおもむろにカバンからオレンジを一個取り出して
彫刻用のナイフで切り出した。
「おいおい!ここはいつもの食堂とは違うんだぞ〜」
「うわ〜!やめてくれ〜」と劉君。
俺も止めたのだが、ドカベン君はもくもくとオレンジを8つに切り、
テーブルの真ん中に置いた。
服務員の目が気になって誰も食う気になれず
結局ドカベン君が全部食べていた(笑)。

そんなこんなで午後の授業の時間になり学校に戻った。
呂さんが全部ご馳走してくれた。
中国人はほぼ100%割り勘はしない。
100元を出したが案の定彼は受け取らなかった。
あまりしつこく割り勘を強要すると
面子がどうのこうのという話になるから
こういうときは状況をよく読まなければならない。
昨日俺がカレーをおごったからそのお礼だと言っていたが
なんか悪い感じがする。
次にご馳走しよう。

午後は鷹を彫った。
老師の腕はやっぱりすごい。
昨日校長に聞いたが、彼は日本に出稼ぎに行った師匠の代わりとして学校に来ているみたいだ。
師匠よりも腕は上になっていたようだが
やはり中国でも弟子が師匠を追い越すのは御法度のようで
自分を抑えていたとのこと。
師匠が日本へ行った今、存分に自分の才能を発揮しているようだ。

老師は新発売のソニーDVDビデオカメラが欲しいようで
日本円を売ってくれと言ってきた。
人民元は自由に外貨に両替は出来ないのだ。
10万円なそうだが、今のところそんなに人民元はいらないので
5万だったらと承諾した。
断ったほうがよかったかな。
偽札だったら困るしな。

学校の帰り、王さんと言う彫刻コースに来ている中年のおじさんに
夕食をご馳走になる。
彼はある会社の社食で働いているのだが、
しきりに俺に調理師の仕事はやめて貿易の仕事をするように勧めてきた。
中国では調理師の職業的地位は低く、そういってくる人は少なくない。
しかも彼は自分も貿易の仕事がしたいらしい。
俺は今は貿易をしようとは思わない。
時がきたら協力しようと言うことで断った。

王さんに来週の大会のことを話したら
彫刻の老師に相談してみるようにと言われた。
楊老師の教え方もいいけど、そのほかの秘訣を彫刻の老師は必ず知っているとのこと。
明日、電話して聞いてみろといわれた。

彼の言うことには楊老師と彫刻の老師はかなり仲が悪い様子。
彫刻の老師と仲のいい王さんは当然楊老師の事をよく思っていない。
生徒の間にも派閥が出来ているのかな。

最後に王さんが言っていた。
「彫刻の老師の言うことは聞いていたほうが得だぞ」
・・・10万円両替しろと言う意味だろうか。

家に帰ってきて日本に電話をした。
靖国参拝への反発、小学生無差別殺人事件などなど、
日本で報道されている中国のニュースを聞いた。
ニュースの逆輸入だな。
家族は皆変わりない様で安心。

盛華の就職先が決まったようだ。
なんと明日から出勤。
投資関係の会社でなかなかいいところらしい。
まずはよかった!
スーツを着るのがめんどくさいといっていたがすぐに慣れるさ!
がんばれ〜!

スーツ姿の盛華(撮影するために試着)






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12月6日 月曜日

「開好車住好房用松下数字電話機ー身分的象徴」
松下の電話機の新聞広告のコピーだ。
直訳すると「いい車のっていい家住んで、松下のデジタル電話機を使う。此れ即ち身分の象徴」
松下は高級路線をいっているが
たくさんの海外メーカーがひしめく今、あまり人気がない様子。
それよりも、ほぼ同じ機能で比較的安い韓国のサムスンとか
LG、または国産物に人気があるみたい。
それにしてもすごいストレートなコピーだな〜って思った。
デジタル電話機ってなんだろう?

先週で四川料理の授業が終って、
今日から楊老師の焼き物授業が始まった。
とても簡単な料理を習った。

鶏のレッグに下味をつけてオーブンで焼く。
麦芽糖を皮につけて焼くとパリッとなるのだが
普通に照り焼きにしたほうが俺は好きだな。
まずは明日に期待しよう。

帰りに本屋によって大会のメニューを考えた。
自分は健康には自信があったため、
栄養のバランスがとれた料理と言われてもあまりピンとこなかったのだが、
ありました!ちょっと不健康な部分が!
と言うことで、「頭のよくなる料理」をテーマに作ることにした。
これでいこう!

帰り、乗り慣れないバスに乗った上、乗り過ごしてしまい
家に着いたのは8時過ぎ。
盛華は出勤1日目から帰ってきて軽く飯を済ませていた。
仕事は忙しいらしく何をしたらいいのか分からなかったとのこと。
最初はそんなもんだよ。がんばれ!

新聞の記事によると、中国の平均給料は軒並み上がっている様子。
サラリーマンに限った資料なのだが、
一番平均が高いのは香港の隣のシンセン。
順に上海、北京、広州だとのこと。

ちなみにシンセンの平均年収は6万元ちょっと。(70〜80万)
北京が6万元弱といったところだ。
こんなにもらっているのはほんの一部の人たちだけだろうな。
どういうアンケートの集計の仕方をしたのかは書いてなかったけど、
信じられないな〜。これが平均だなんて。

でも、こういうところは日本も同じだね。
日本の30歳の男が平均500万の貯金があると以前新聞に書いてあったが、どこにそんな30男がいるんだよ。
自分も含めて、周りにも皆無だよ。
ちなみに前に楊老師から聞いたのだが、
北京の平均月収は2000元(3万円弱)ぐらいだそうだ。
盛華は3500元(4万円ちょっと)だって。


パリパリローストレッグ



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12月7日 火曜日

焼き物2日目。
なんてことないローストレッグ。
日本の照り焼き風のほうがまだうまい。
う〜ん、不満。
でもこんな時、老師になんていったらいい?
「まずい」or「もっとおいしいのない?」
困った。

授業中、老師に「おいしいか?」と聞かれて
ちょっと塩気が足りないとか白酒の風味がきつすぎると
軽く意見を言った。

正直、まずくはないけどおいしくもない。
でも、それは日本人の口に合わないというのが少しはあるから
おいしくないとは言いたくない。
老師は日本人の口に合わせて作るべきではないのだから。
本物の中華を教えてくれたらそれでいい。
俺はそれを学びに来ているんだ。

例えば、中国人が日本に行って生寿司を食べても
おいしいとは心から言えないだろう。
それと同じことだ。

大会で作る料理をやっと決めた。
特徴、栄養配分、レシピを書いて楊老師に見せた。
ひとつ目は魚団子と野菜のあんかけ。
これは高たんぱく低カロリーをうたい文句にした料理で
柔らかいので子供や老人にもぴったりで
魚嫌いな人でも難なく食べられる。

ふたつ目は野菜の鮭海苔巻きの揚げ物。
これはえのきだけと赤・青ピーマンの千切りを鮭のスライスで巻き、
海苔、春巻きの皮で巻いて揚げたもの。
これはすべて脳みそにいい素材を使った料理で
和の要素も取り入れた自信作だった。

鮭は脳の働きを活発にし、老人性痴呆症と目の衰えを防ぐ役割がある。
海苔は風味を高めるとともに記憶力を増強する作用もある。
えのきだけは子供の知力発育と健脳の作用があり、
同時に食物の栄養の吸収を助ける働きがある。
ピーマン(辛椒)は食欲増進の働きがある。
・・・という風に最強のレシピをまとめることが出来た。

授業が早く終ったので老師に添削をしてもらうことに。
快く引き受けてくれたので喜んだのだが、
「場所を変えて話そう」とのことだった。
つまり、酒を飲みながら添削するよ、の意味。
まあ、少し飲むくらいならと思いいつもの食堂へ。

食堂に行き席につくと、
「火鍋を食べよう!金あるか?」と楊老師。
このとき初めて添削と引き換えに飯をおごらせると言う楊老師の魂胆を知った。
これって中国の常識か?
こんなあからさまに取引されるの初めてだ。
この人だいじょうぶだろうか。
自分の顔がこわばってくのが分かった。

まず火鍋を注文して飲み食いする。
楊老師よりもたくさん食ってやろうと躍起になってしまった。
老師は添削が終ってから食うということで
皿の上の肉に熱い目線を送りながらも応募用紙に清書までしてくれた。
まあ、いっか。
ここまでしてくれるとは思わなかったし、
老師も恐縮したのかビールを注いでくれたりタバコをくれたりして
気を使っていた。

ただ、俺の考えたレシピはかなり簡単なものに変わっていた。
鮭のスライスと海苔を一緒に巻いてパン粉付けをしたものになっていた。
いろいろ話し合ったが、調理の制限時間の問題もあるから
極力シンプルにしろとのこと。
広東料理ではパン粉付けしたフライがよくあるけど、
俺にしてみればフライ=洋風料理であり
なんかしっくりこない。
魚団子は鶏団子に変わり、クコの実を添えることになった。

9時過ぎに家に帰り、盛華に楊老師の取引の件を話したら
普通のことだとのこと。
いまさらカルチャーショック。
すごい隔たりを感じた。




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12月8日 水曜日


左から私、楊老師、助手の張生


蜜汁チャーシュー、モモ肉のロースト中華風、洋風を習った。
まあまあかな。
いつもは1日に2種類の料理を作って終りだけど
3つに増えたのはよかった。

焼き物の授業は俺のために臨時に新設したコースで、
老師も慣れないところがあるのかなとは思うが
なんか適当な感じがする。
助手の張生も老師にいろいろと言ってはいるみたいだが
楊老師は人の話を聞く人ではない。

焼き物は下味をつけておく時間がかかるのでそのせいかもしれない。
待ち時間は世間話をしている。
老師に、前日つけておいたものを次の日に焼くという方法で
時間を短縮できないかと注文したら明日からそうするとのこと。
様子を見よう。

張生に春節の時に家に来いとおよばれされた。
彼の実家は山東省徳州。
俺も山東省で留学経験があるから、山東生まれの彼は
俺のことをラオシャン(老郷=同郷)と呼び、結構仲良くしてくれる。
中国の農村は好きだ。
行って見よう。

彫刻の老師がソニーのビデオカメラを日本にいる友達に買ってもらうということで日本円を欲しがっていたが
円高(1万円=800元)なので今は買い時ではないことを電話で教えた。

そしたら老師はもっと安く円を売ってくれとのこと。
物ならともかく金を安くしてくれとは何事だとおもったが
百歩譲って750元でどうだと言ってみた。
そしたらもっと安くしくれと値切ってきた。
駄目だと言っても食い下がってくる。
「プロが使う特注のナイフを買ってあげるから〜!」
と言われたが後で話そうといって電話を切った。
ふざけんな〜!
人の金を何だと思ってるんだ!
まあ、こっちも条件を出してそれに見合うものをくれるならまた考えてみよう。

しかし、昨日といい今日といいあからさまな取引。
日本人負けないぞ〜!
取引上手になってやる!
商売上手、口上手が得をするこの世の中。
少しでも有利な展開に持っていかないとやってられない。
老師に仕事を探してもらおうかな。
それとも老師の職場で北京ダックを教えてもらおうか。

やっぱりやめた。両替なんてしね〜!
警戒すべきだ。
人の金を値切ってくるような奴はろくな人間でないと思う。



蜜汁チャーシュー



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12月9日 木曜日

いつも通り盛華は7時前に出勤していった。
午前中は部屋に1人。
なんか勉強する気力がうせた。
焼き物の授業は面白くないしおいしくない。
復習する気もなくなった。

北京に来て3ヶ月が過ぎたが
部屋の中でボーっとするのは初めてだ。
今まではやることがたくさんあったし、
勉強してもしたりないくらいで
毎日、自由な時間が欲しいなんて思ってた。
が、いきなりの無気力状態。
来て2ヶ月までは孤独感を感じたりしてどうしようもない時もあったけど無気力は初めてだな〜。

最近日本人とおしゃべりしてないな。
呂さんや大姐と日本語で話すときは
口下手な俺でも次から次へと話したいことが出てくる。
この2人がいなかったらどうにかなってたんじゃないかと思うくらい。
ありがとう。

まあ、落ち込む時は結構あるけど
そういう時はしゃべるに限る。
何でもいいから笑顔で話してみる。
そして笑う。
いつもこうして3ヶ月乗り切ってきた。
これからもそうしていくしかないぞ!じぶん!

昼に学校に行く前にネットカフェに行こうとしたら
近所に住む、以前火鍋パーティーを開いてくれた友人と会った。
彼女と一緒に自転車に乗っていた。
今日の夜に田舎に帰るのでその前に故宮を見物に行くそうで、
デジカメを貸してといわれたが断った。
ごめん!中国不信の今はちょっと貸せなかった。

冬空の中、自転車に二人乗りして蛇行していく姿は
幸せそうだったよ、まったく!
そのあと俺はひとりネットして日本の友達にメールをかいた。

もうすぐクリスマス。日本はにぎやかだろうな〜。



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12月12日 日曜日 大会当日


協賛企業の出展料理

昨日は朝から晩まで日本料理の教室を貸しきって大会の準備をした。
下ごしらえを全て済ませてからでないと、
制限時間40分のうちに2つの料理を作ることができない。
楊老師が手伝ってくれたので助かった。

日本料理の老師の張さんと、弟子のヨウエン、
卒業生の兄ちゃん、そして俺の四人+コーチの楊老師の体制で
大会に臨んだ。

今日は朝5時ごろに起きて、
昨日下ごしらえをした鮭の海苔巻きにパン粉付けをした。
パン粉は水分を吸いやすいので今日の朝につけるしかなかったのだ。

なんか最近気苦労が多くてあまり眠れなかった。
大会当日だと言うのに絶不調。

メニューは三文魚紫菜巻(海苔と鮭スライスをタルタルソース中華風をつけて巻き、パン粉付けをして揚げたもの)
大根、ピーマン、にんじんの千切りを急きょ用意し、
昨日、赤カブで彫った牡丹を飾り付けることにした。
何とか中華風に見せるための自分なりの苦肉の策だった。
もうひとつのメニューは 三圓ゴウチー鶏球だ。
とは鶏団子、にんじん、wo筍の3種の球の意味で
ゴウチーはクコの実だ。

朝7時前に学校に行ったら張さんたちがすでに準備を開始していた。
気の入れようはパンパじゃない。
昨日は職場であるメディアセンターホテルに泊まったらしい。
下ごしらえをしておいた素材に問題が生じたらしく
最初から作り直していた。
素材をオブラートで包んでパン粉付けをものが溶けてバラバラになってしまったようだった。

張さんは今35歳。
18歳の時に単身日本に渡り日本料理の修行をしたというツワモノだ。
今日は和と中華を合体させた料理を作る。
メニューはアロエと海老のすり身のフライ
ごぼうと鶏のスープ冬虫夏草入りだ。
器や飾りつけなども日本色の濃い感じで
高級感を感じさせる料理。

弟子のヨウエン君は海老と百合根の炒め物、
魚の2色ソースかけをつくる。
どちらも師匠が考えた料理だが、
これも高級感を感じさせる料理だ。

彼は若干17歳。
職業訓練校を卒業したばかりだ。
飾り付けに使う小麦粉で作った人形などが得意。
今日は師匠の料理の飾り付けのために何個か作ってきていた。
かなり細かいところまで精巧に作られているので
とても17歳の人間が作ったとは思えないほどだった。

会場には8時ごろに着いた。
大きなレストランを貸しきっての大会で、
会場にはすでにたくさんのコックたちが集まってきていた。

今日の大会は俺が出場する炒菜部門、
小麦粉料理の麺点部門、
食品彫刻と冷菜の部門に分かれている。
全ての参加者を合わせると100人ぐらいいただろうか。

同じ学校の広東料理コースの生徒3人と
刀工の周老師も参加していたので
うちの学校からは8人と言うことになる。
校長も応援に駆けつけていた。

全ての調理器具、材料を下ろして順番待ちをしている時、
体の調子がますます悪くなり脂汗が出てきた。

料理の達人みたいに観客が大勢いる中で
俺の未熟な調理技術が暴露されると考えるだけで
めまいがした。
周りの参加者はいかにも一流ホテルのコックのように見えた。
勢いでここまで来たことに少し後悔。

開始まで時間があったので
ヨウエンと会場の中を見学して回った。
奥のホールには企業が出品した料理がどっさりと展示されていた。
ふかひれ、アワビ、北京ダック系の料理などなど、
普通は見れないような料理ばかり。
2人で写真を撮りまくった。

そして奥の方に行くと調理場があった。
幸い料理の達人のようなコロシアム式の公開競技ではないらしく
ほっと胸をなでおろした。
ヨウエンは大会に参加するのは2回目で歳の割には落ち着いた様子。
俺はというと顔面が冷たくなるのを感じるほど絶不調。
1分でいいから横になりたかった。

かなりの混雑だったが10時ごろに調理場入口に入ることが出来た。
約40人の炒菜部門の参加者が3つのコンロを使うのだから
ほとんどガスの争奪戦だ。
待ってる間に他の人たちの料理を見ていたがかなり豪華だった。
ふかひれ、ロブスター、アワビ・・・。
なんか恥ずかしさがこみ上げてきた。
俺の鶏団子。これどうしよう(汗)。
金粉でもかけたくなるくらいだった。


大会の現場

調理場に入ってから1時間ぐらいしてからやっとコンロを取る事が出来た。
中はかなりにぎやかと言うか、
罵声が飛び交い、のっけから緊張した。

ガス台が壊れているのか、何度も火が消えた。
点火棒もない。
モジモジしててもしょうがないので
「打火機!」
と叫んだらどこからともなくライターが飛んできた。
そしてライターで点火する時に手をやけど。くそー!

まずは鶏団子の飾りつけの野菜を湯通し。
続いて鶏団子の湯通し。
最後に合わせ調味料を温めて1品目の出来上がり。

鮭の海苔巻きは朝パン粉付けしたものを低温で揚げて盛り付け。
たったこれだけのことでも緊張しながらの作業はスムーズに進まなかった。
調理を終えた張さんや大会関係者が何度も「早く!」とか何とか言ってたが、聞いてる余裕なんて全くなし。
まずは早く済ませるよりも自分のペースで失敗しないようにと心掛けた。
張さんが盛り付けを手伝ってくれたので助かった。

審査員の味見用に小皿に4皿分盛り付け、
あとは展示用に大皿に盛り付けた。
ふと、味見をしてないことに気づき、つまもうとしたが時すでに遅く
係りの人が皿に名札を貼り付け、足早に持ち去って行った。

終った〜!
息つく暇もなく自分の持ち物を片付け、次の人にガス台をバトンタッチ。
ものの20分ぐらいですんだけど長く感じた。

さっきまで具合が悪かったのが嘘のように
調理場をあとにしたときはすがすがしい気持ちだった。


これが頭に効く三文魚紫菜巻オリジナル 


ゴウチー抜きの三圓ゴウチー鶏球オリジナル

料理が展示されている会場にヨウエンと行き、
自分や参加者たちの作品をカメラに収めた。
鶏団子は汁のトロミが足りなくて団子がすでに乾いていた。
しかも重大なミスに気づき、再びめまい。

ゴウチーをふりかけるのを忘れた。

名札にデカデカと書いてあるゴウチーの文字を消そうかとも考えたが、後の祭り。
何か聞かれたら忘れたって言えばそれでいい。
味は間違いなくうまいからこの際ゴウチーは無視。
周りの料理よりも見劣りするが味は俺のが一番だ!

楊老師は鶏団子はともかく、鮭海苔巻きは揚げ色、飾り付け共に
合格と褒めてくれた。
老師も疲れたらしく、みんなの料理が出揃った時点で帰っていった。
ご苦労様でした。そしてありがとう!

参加した学校のみんなや校長とお互いに労をねぎらって解散。
帰りはヨウエンのお父さんが車で迎えに来てくれ
ついでに一緒に遅い昼飯を食べた。
ビール、白酒で乾杯を繰り返し、東北料理に舌鼓を打った。
朝もろくに食ってなかったのでバキュームカーのように食いまくる。
ヨウエンはお父さんや張さんから軽い説教を受け、くたびれた様子。

学校に戻ると助手たちが「ご苦労様!」と迎えてくれた。
その一言でやっと一息つけた。
この半月、練りに練って作り出した料理。
簡単だけど一応オリジナル。
俺にとっては世界一の料理だよ。
もっと工夫して帰国してからもう一回作ってみよう。

教室の片づけをしてから
張さん、ヨウエン、俺の3人でピザ食べ放題の店へ。
久々に食べる洋食は最高だった。
腹いっぱい食って解散。

張さんとヨウエン、この二人は俺の戦友のような気がする。

ほどよい疲労感。
結果はどうであれ、みんな頑張った。
俺も頑張った。
これでいいのだ。


張さん(左)とヨウエン


左から卒業生、楊老師、ヨウエン


張さん作 ごぼうと鶏のスープ冬虫夏草入り


張さん作 アロエと海老のすり身のフライ


ヨウエン作 魚の唐揚南瓜ソース&紅糟ソースかけ


ヨウエン作 海老とユリ根の炒め物

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12月13日 月曜日

今週いっぱいで焼き物の授業をやめたいと楊老師に言った。
この内容だと3週間も学ぶ必要はないと思ったのと
来月の春節休みまでに麺点を学び終えたいからだ。
半年ビザで北京に来たのでもしも更新できない場合は
休みが明けてからすぐに帰国しなければならない。
時間を有効に使いたい。

老師は「そうか〜。」の一言。
焼き物の授業が終ると老師の受け持ちはすべて無くなる事になる。
学校内で何もすることがなくなるのだ。
申し訳ないが仕方がない。

夜は大会の時の指導のお礼にいつもの食堂で2人で飲んだ。
砂肝スライスの炒め物がうまかった〜。
砂肝はあまり食べたことがなかったけど、
調理法でこんなにうまくなるんだな。

気づくと11時近くになっていた。
10本のビールをあけてタクシーで帰った。
今日は老師のタクシー代まで俺が面倒を見た。
世話になったからね。

5時間以上も2人で飲んでたわけだけど
時間がとても短く感じた。
いつもの経済問題、調理の話、大会の時の批評などを話しまくった。

そういえば、あさって老師がうちに来て餃子を教えてくれることになった。
やった〜!
麺点を学びたいという俺の熱意が伝わったのかな。

盛華は今日の昼にいきなり天津出張が決まったらしく
今日は1人だ。



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12月14日 火曜日


羊肉串 ビールがあればいうことなし

授業では羊肉串を習った。
こういうのを学びたかったのだ。
日本に帰ってから羊のモモ肉を手に入れるのは難しいけど
帰国してからもぜひ作りたいと言う俺の大好物。
日本人が中国に来てはまってしまうメニューのひとつでもある。
特有の臭みは全くなく、香辛料が効いているのでビールのつまみにはもってこいだ。
臭みを消すための処理はちょっと面倒だけどうまく出来た。

ただ、この羊肉串はちょっと曲者で
俺が食べると決まって次の日は下痢になる。
道端で売っているのは不衛生なものが多いので要注意だ。
それでもやめられないんだよな〜。
数十本はいける。

明日の餃子大会に大姐も呼んだ。
「楊老師にワイロでもあげたの?」
と、冗談を言ってたけど喜んで行くとのこと。

老師が来て作るんだから台所を掃除しておかないとな。


羊肉串を焼く楊老師 








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12月18日 土曜日

最近日記を書いていなかった。
15日はうちで餃子大会。
皮は作るのに時間がかかるので、出来合いの物を買ってきたが
餡はしっかりと手作りをした。
ただ混ぜればいいと思ってた餡はしっかりと手順や方法が決まっていて目から鱗だった。

調理用具が足りなかったり、狭くて調理しずらかったようだが
出来上がりはかなりうまかった。
11時近くまで酒を飲んでギョーザ食って話も盛り上がった。


俺んちで餃子を包む大姐と楊老師

16日、北京に初雪が降る。積雪量5ミリ。

17日は焼き物授業の最終日で前々からリクエストしていた
「北京ダック風鶏の丸焼き」が完成した。

「鶏を使って北京ダックを作りたい」
と、老師に言った時は意味が通じなかったのか反応が無かったが、
しつこく言い続けていたら、老師が丸鶏2羽の発注をしてくれていたのだ。

北京ダックの作り方で鶏を焼いたらどうなるのだろうと言う
長年にわたる疑問が今日やっと晴れた。

北京ダック風鶏の丸焼きレシピ

2日前から下ごしらえをしてやっと3日目にして
黄金色に輝く丸鶏とご対面。
味は北京ダックにはもちろんかなわないが
脂身の多い品種を使えば何とかなるだろう。
まずは願望がかなった。
たまにはわがままも言ってみるもんだな。
しかし、楊老師へのわがままには代償がつきもの。

夜は楊老師と一緒に飲む。
彼は無料の奉仕なんてことはしない。
体調が悪いからビール4本だけならと言うことで
いつもの食堂へ。
この人は教える代わりに何かを要求してくる。
4本あけた後に会計をしたら
「ちょっと食事してビール飲んで終わりか・・・おもしろいな」
だとさ!
腹が立つよりも面の皮の厚さを測りたくなった。
肉も面の皮で出来てるんじゃないか?

しょうがなく4本追加。
まあ、今日で終わりだから思う存分飲んでくれ!
とばかりに注ぎまくったが、彼はつぶれるどころか
ますます饒舌に。
火に油を注ぐようなことをしてしまった・・・。

もう楊老師から学ぶものはすべて学んだから
もうおごるのも最後だぞ!

今日は午前の冷菜課で中華野菜のキャベツ巻き、
フルーツサラダなどを習った。
午後は高級クラスの一日目。
食品彫刻はちょうど満期の3ヶ月間学んだし、
あの両替をせびってくる老師とはもう会いたくないので、
生徒たちには申し訳なかったが黙ってコース替えをした。

高級クラスではスペアリブを中華風のタレにつけて蒸したものや
雷魚と黄ニラの炒め物、
雷魚のスープ、ホタテのドウチソースがけを習った。
どれも美味。
雷魚は臭みが全然なくて川魚が苦手な俺でもうまいと思った。

授業が終るとヨウエンが廊下で待っていて
四川料理の図解入りの本をくれた。
張さんには携帯型日本語辞典。
張さんと俺のためにわざわざ本屋で半日選んで買ってきたらしい。
ありがとう。

帰りにお礼として日本語のテキストを買ってきた。
将来日本に行きたいらしい。
脳みそ柔らかいうちに勉強頑張れよ!


焼く前の北京ダッグ風丸鶏を持つ私


ねぶた君こと張暁泉君




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12月19日 日曜日

ここ数日めっきり寒くなってきた。
最高気温3度、最低気温マイナス5度ぐらいの毎日だ。
うちの実家もこんなもんだけどかなり寒く感じる。

部屋の中の暖房器具といえばオイルヒーターと電気毛布のみ。
シャワーはトイレについているのだが
タンクの中の水を2時間ぐらいかけて暖めなければならなく、
しかも湯量は多くない。
天井に暖房・照明目的の500ワットの電球がついているのだがほとんど効き目なし。
北京の冬を思いっきり体感しています。

午前中の冷菜課では以前習ったことのある料理をやっていた。
と言うことはこの授業も卒業ということ。
この授業はあまり面白くなかったな。
調理法は参考になったが味が今ひとつ。

昼は大姐と食事をした。ご馳走になった。
この前お父さんがなくなり、一人残された母の面倒で疲れているようだった。
日本にいる夫と義父、義母も心配だと言うことで
本当に疲れ果てている様子。
顔色もさえなかった。

大姐は歳を重ねるにつれて夢を実現させる様々なチャンス、
勇気、環境がなくなってくるといっていた。
大姐は今までいろんな苦労をしてきた人だから
何とか花開いて欲しい。
自分も後で後悔しないように頑張ろう。

午後は高級班の授業を受け、帰りにセーターを買って帰ってきた。
今まで、セーター、トレーナー、長袖シャツ各一枚ずつを使いまわしてきたが、この寒さにこれでは勝てない。




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12月20日 月曜日


餃子用の麺棒

今日から麺点課が始まった。
この授業は女性が半数を占め、全部で30〜40人ぐらいの大所帯だ。
最近ずっと老師と1対1の授業を受けていたので
やたらにぎやかに感じる。
ここで1ヶ月勉強するのだ。
焼き物の授業ではあまり感じることが出来なかったワクワク感が
こみ上げてきた。

最初の一週間は
餃子の皮の作り方をみっちりと習うと言うことで
午前中は教室の後ろで1人黙々と餃子の皮作り。

今週の新入りは俺1人だけらしく、なんか寂しかった。
日本でも餃子を作るときは
皮から手作りしていて慣れてるつもりだったのだが
北京式の麺棒は円筒形ではなくなかなか手こずった。
両端が細く、中心が太いというなんとも形容しがたい形。
見慣れた円筒形の麺棒は南方式なそうだ。

何枚も作ったがなかなかうまく出来ずイライラしてきた。
左右の手、指がうまく連動してくれない。

他の生徒たちは昨日の午後習った麺点を作っている。
老師はそれにつきっきりで、
たまに俺の出来栄えを見に来るといった感じ。

昼休み、学校で出される昼食はとらずに
近くの食堂で刀削麺をたべた。
俺のテーブルの横で店員が餃子を包んでいたのを見てたら
6秒ぐらいに一個の速さで餃子を作っていた。
この速さを目標にしよう。

午後は引き続き麺点の授業。
老師が3品の麺点の作り方を教えてくれた。
鍋貼(焼き餃子のようなもの)、葱餅がおいしかった。
少し油っこくて改良の必要はあるが、
技術を学ぶのは本当に面白い。
これをしにわざわざ中国にやってきたのだ。
明日が楽しみだ。

学校の帰り、大姐に食事に誘われる。
広東料理クラスのお別れ会のようだが、
肝心の生徒が就職活動のためにこれなくなったので
何とか来て欲しいとのこと。
一度は断ったが、老師とだけ飲むのはつらいみたいなので承諾。

結局、いつもの食堂で火鍋を食べた。
広東料理の老師、生徒1人、大姐、俺の4人と、
そしてなぜか楊老師も来ていた。

広東料理の老師が1時間ぐらいしてから用事があると言って帰り、
その後は楊老師のワンマンショー。
みんなあからさまにうんざり気味。
きっと、広東の老師を誘った時に楊老師もついてきたんだろうな。
俺も具合が悪い上、空気が読めない楊老師にうんざり。

話すことと言えば、自分の授業の宣伝のみ(現在学内失業中)。
老師が言うことには四川料理こそ中華料理なのだそうだ。
あとは邪道みたいな事を広東料理を学び終えた生徒の前で豪語。
やめろよ楊老師!
そんな人から習った料理作りたくね〜!

広東料理の生徒は酒が飲めないのに
一生懸命老師と乾杯をして早くお開きにさせようとしていた。
俺も乾杯に付き合った。
そしてめでたくビールが全て空になり
みんな一斉に席を立ち帰り支度を始めた。

俺も席を立ち、店を出ようと思ったが
楊老師は椅子に座ったまま動かない。
「帰りましょうよ」
と言うと、俺と話がしたいとのこと。
頭が痛いと断ったが、
「もう少し座ってろよ、あわてるな」
とおねだりされた。

一人老師を残していくのは気が引けたから大姐に先に帰るように言ったら
「いいから!こんな酔っ払いはほっといて!帰ろう!」
と大姐に引っ張られた。
もちろん大姐は日本語で言ったのだが、
両方の言語が聞き取れる俺はあっけに取られるばかりであった。
すさまじい。

老師に再度一緒に帰るように言ったが一向に聞かなかったため
彼をおいて店を出た。
広東料理の生徒は満面の笑みで老師に「再見!」と手を振ったが
老師はブスくれたまま。
大姐は
「もぅ〜!全く意味のない話!つまんなかった!」
と、文句タラタラ。
て言うか、楊老師が来ることをはじめに言って欲しかった。

俺は老師のことが気にかかったが、
あのまま店にいたらますます頭は痛くなるし、
また、タクシーで帰るパターンになってただろうから
まずはこれでよかった。

考えてみると、老師が俺を呼び止めたのは
話がしたいということもあると思うが、
結局はビールを飲んであったかいタクシーで帰りたいだけ。
金を出すのは俺の役目と思っている。
そうは思いたくないが、老師の考えていることは
分かるようになってきた。

まず、楊老師から学んだ料理は彼とは切り離して考えることにしよう。
彼から習った知識、技術はもう俺のものだ。
こう考えでもしないと中華料理自体に興味がなくなってしまう。
料理は作る人である。

さよなら楊老師!
金目当てのにおいが少しでもする奴とは付き合えません!

この3ヶ月、自分の弱点を思い知らされた感じがする。
自分の考えをはっきりと明確にいえない。
日本では言わなくても分かってくれることが、ここでは通じない。

相手の気持ちを尊重するあまり、
自分の考えがなくなってしまっている。
自分の考えで進んでいいのだ。
大げさに言えば、自分の考えオンリーを通せばいいのだ。
いい意味でね。

こんなこと当たり前のことなんだけど、
日本にいたら気づくことが出来なかっただろう。
俺にとって今が大切な転換期だと思う。内面の。
このままの自分ではきっと気づかないうちに
流されるままの人生を送る人間になってしまうかもしれない。
変わろう!
チャンスをつかむためには変わんなければ。



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12月22日 水曜日

ここ最近、最高気温が0℃に満たない日が続いている。
まさに、しばれるといった感じだ。
風が弱いからまだいいが、少しでも風が吹くと
耳がもげるようにいたい。
足も冷たくて痛いくらい。

昨日、学校の帰りに前門に行って
モモヒキ、爺シャツ、厚手の靴下、マフラーを買ってきた。
マフラーだけでも効果抜群。

盛華は風邪でダウン。
昨日から会社を休んでいる。
この寒い中、片道一時間の満員通勤バスの中で風邪をひいてしまったんだろう。

防寒を万全にして「いってくるよ〜」とドアを開けると、
外は一面の銀世界。
雪が3センチぐらい積もっていた。

俺の実家岩手では3センチの雪なんてどおってことないけど
北京の雪はめったに降らないとのことだったから少しはしゃぐ。
盛華に「雪がこんなに積もったぞ〜」と手を思いっきり広げて見せて
家を出た。
ガキだな〜、俺って。
これでも32なんだよな。
恥ずかしい。

渋滞のせいで遅刻をした。
昨日、俺のほかに男女2人の新人が入ってきたので
一緒に餃子作りをする。

男の方は口がいつも半開きなので半開き君と命名した。
女の方は恰幅がいいので肝っ玉姉ちゃん→肝ねえ。
半開き君は26歳の湖北の出身で、仕事を探しに北京に来た様子。
思うように仕事が見つからなかったため、
まずはここで手に職をつける予定らしい。

肝ねえは見た目は40歳ぐらいなのだが
多分、俺より少し上のくらいだろう。
半開き君と同じく、仕事を探すためにここに来たと言うことだ。

二人とも標準語を話すし、飾らない人なのですぐに打ち解けた。
ただ、俺の作った餃子の皮を褒めちぎるのには参った。
まるで褒め殺し。
このような状況にはしょっちゅう出会う。
「日本人はやっぱり賢いね」
とか
「中国語うまいね」
など。

こういうときはホントかお世辞かを疑うよりも
「過褒了!」(褒めすぎです)
と返して相手を褒めるのがよい。
褒め合いってなかなか慣れないけども
それは習慣の違いなのでしょうがない。
たまにしつこい褒め殺しにあって、引きつってしまうこともあるが、
謙虚に対応しておけば大丈夫だ。

午後は黒米饅頭、普通の白饅頭、寿桃を習った。
饅頭は日本のように餡が入ったものではなく、
生地をふかしたもので主食となる。
そのままおかずと一緒に食べてもおいしいが、
これを揚げて、練乳をかけて食べると格別にうまい。

寿桃は桃の形をしたあんこ入りの麺点だ。
見た目は可愛いが結構技術がいる。

このクラスは女の子が多いせいか和気あいあいとしている。
老師と生徒の関係もなかなかよい。
麺点の老師は50代のひょうきんなおっさんで
休み時間中は生徒と楽しそうにおしゃべりをしているが
授業中は結構厳しく、生徒を怒鳴り散らす時もある。
このような環境で勉強するのも悪くない。

ドカベン君もこのクラスで一緒に授業を受けてるのだが、
彼にも春がやってきたみたい。
同級生の女の子といい感じになっているのだ。

授業中、2人はいつも行動をともにし、体を寄せ合っている。
中国人はスキンシップを大切にするため、
同性同士でも普通に肩を組んだり、体を寄せ合ったりするので
その延長かな〜?
と、観察をしていたのだが、
すごい時はほとんど抱き合っているのである。
「ゴースト」の有名なシーンを思わせるような熱々ぶりに
こっちが赤面してしまった。

相手の娘はドカベン君より2つ上の20歳。
決して可愛くはない。
女版ドカベンといった感じのずんぐりむっくりした体型で
少し腹が出ているショートカットの女の子だ。
(少しはいいとこ書けよと言う感じだけど、これが第一印象。勘弁して)

ドカベン君に、彼女はどんな人だ?と聞いたら、
「とても細やかで気が利く人だよ。」
とのこと。
完全に恋に落ちている様子だった。

彼女とも話したが、性格はさっぱりしていて、
しかもサバサバしていなく、とてもいい子だった。
まあ、二人を見ているとこっちまで幸せになってくるような
ほのぼのとしたカップルです。

授業が終ってから、張さんの韓国料理の教室をのぞきに行った。
彼は日本料理のほかに韓国料理の授業も受け持っている。
アサリのスープ、きのこの炒め物をごちそうになった。

ヨウエンは親の会社のクリスマスの飾りつけのために
家で麺細工をこしらえてる様子。

クリスマスか〜。
いつもクリスマスの時に限って彼女いないんだよな。
俺は仏教徒なんだ!と寂しい言い訳をするのも
めんどくさくなった今・・・。
末期だな。



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12月23日 木曜日

明日ってもしかしてクリスマスイブか?
もう来てしまったか!
そんな季節になったんだな〜、なんていってる暇はない。
どうやって過ごそうか。
盛華は会社でパーティーがあるといってたし、
管さんは出張だし、
張さんはホテルの仕事が忙しいだろうし。

大会の時、ヨウエンに
「クリスマス予定あるの?」
って聞かれたけど、見栄張って
「もしろん!」
と答えてしまったしな。
飲み友達全滅。

まっ、いっか。
中国では日本ほどクリスマスはにぎやかではないし、
まずはゆっくり休んで風邪を治そう。

今日も極寒の世界だった。
夜、咳が止まらずに寝不足。
学校から帰ってきてすぐに布団にもぐりこんだ。

大姐が心配していろんな食べ物をくれる。
昨日は寒い中、水餃子をうちまで届けてくれた。
今日は学校で肉ひとかたまりとトマトをもらった。

俺がありがとうと言うと
大姐は嫌な顔をする。
中国では親しい間柄の場合、ありがとうは言わないのだそうだ。
言葉ではなく気持ちで表せばいいとのこと。
気持ちを言葉で表してるんだけど・・・。
代わりに「おいしそー」とでも言えばいいのかな。
生肉ひとかたまりを見てそれはちょっとつらいけど。
何はともあれ、ありがとうと言わせていただきます。
非常感謝!

午前中はいつもの通り餃子の皮を作り、
午後は様々な形の饅頭を習った。
蝶形からイチョウ型まで10種類ぐらい。
老師は手際よく簡単そうに作るが、
なかなか難しそう。

マントウが蒸しあがるまでドカベン君とおしゃべりをしたり
からかったりしてあそんだ。
わき腹をつつくと異常に反応するので面白がってやってたら
女版ドカベンちゃんがムッとした感じで
「あんたたち仲いいわね!恋人同士みたい!」
だって。

やばい・・・。
嫉妬させてしまった。
三角関係なのかこれは!?(汗)

帰り道、西駅に向かって歩いていると
前方にドカベン君と彼女発見。
邪魔しないように速度を落として歩いてたら
彼女に気づかれ、結局一緒に帰ってきた。

別にこれといって話さなかったがいい子だ。
お幸せに!




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12月24日 金曜日


教室内の実習風景

メリークリスマス!
この前降った雪が全くとけずに残っているので
クリスマスの雰囲気はあるのだが・・・。
なんてことはない普通の日だった。

学校から帰って来ると盛華がすでに帰ってきてたので
航天橋近くのピザの食べ放題に行くことに。
行ってみると行列が出来ていた。
なんと40組が待っているとのことだったのであきらめる。

頭の中はピザでいっぱいだったのだが、
それを振り切って、なぜかイノシシ専門店へ。
イノシシの角煮、内臓の四川風煮込み、鹿の角入りスープ、
さやインゲンの炒め物。
しめて107元。
味はそこそこだったが高すぎる。
イノシシは初めてだったが、豚肉だったんじゃないか?

クリスマスイブの夜、男二人で何を話すわけでもなく、
イノシシをかっ食らってくるなんて・・・。
と、大笑いして帰ってきた。

しかし、中国のクリスマスは変わった。
97、98年の時のクリスマスは済南と天津で過ごしたのだが、
クリスマスのクの字もなかったように感じる。
でも、さすがに北京はあちこちでクリスマスの飾り付けがなされ、
ジングルベルの音楽が流れている。
クリスマスセールにつられて靴を買ってしまった。
自分にクリスマスプレゼント。
なんて、ただ単にしもやけ防止に底の厚いのが欲しかっただけなんだけど。

クリスマス・・・。
やっぱり俺は仏教徒だからどうでもいいや。
でも、イブに寂しさを感じなくなっちゃ、ちょっとヤバイな。
一人身がもう板についてしまったのだろうか?
1人でも平気になってしまったんだろうか?

いい出会いないかな〜。
でも、俺はあと数ヶ月で中国を去る身だ。
適当にお付き合いを始められる状況ではない。
いや、日本につれて帰る手があるな・・・。
なんて冗談いいながら04年のイブも終ろうとしている。

授業ではあんまん、肉まんなどを習った。
午前中は老師に餃子の皮の作り方を何度も直される。
「手はこの位置!指はここ!」
頭では分かってるけど、体が覚えない。
でもなんとか授業が終る頃には75点の採点をもらった。
5日間の練習にしてはよく出来た方だとのこと。
正直自分でもそう思う。
引き続き練習していこう。

帰国した後の計画を老師に聞かれ
「まずはレストランで働き、機会を見つけて自分で店を開く」
といったら
「店開いたら雇ってくれよ」
だって。
もちろん!と答えたけど、いつになるか分からないよ。
長生きしてくださいね。

半開き君と肝ねえに簡単な日本語を教えた。
「おはよう」と「どうも」
二人とも餃子の皮を作りながら
おはよう、ど〜もを熱心に繰り返すのだが、
なかなか覚えられないようだった。

「中国人って外国語を習得するのに時間がかかるのよね〜。あれ?さっき習ったのなんだっけ?オアヨ?ドモ?」
だもん。
漢字を使う中国人、日本人は音から言語を覚えるのはちょっと苦手みたいだね。




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12月25日 土曜日

日本は思いっきり年末だな〜。
北京はそのあわただしさが全くない。
今年の年越しは来年の2月9日の旧正月(春節)なのである。

ここ一週間、咳が止まらない。
布団に入るとひどくなる。
盛華もうるさくて眠れないだろうに、
気にしないようにと言ってくれる。

タバコは火曜日から全然吸っていない。
ここ数年、禁煙なんてしたことなかったから
5日間もタバコを断っている事は奇跡に近いのに
のどの調子は一向によくならない。

冷菜の授業が終ったので朝はゆっくり起きた。
週末も毎日授業があるのでこのような空き時間は貴重だ。

洗濯(手洗いなので冬はきつい)をして朝食を摂る。
ミルクコーヒーを作ってたら盛華はものめずらしそうに
「どんな味するの?」
「日本人はそうやってコーヒーを飲むのか?」
といった質問を何度もぶつけてきた。

食パンにジャムを塗ってたら、今度は
「それは日本式のパンの食べ方か?」
と、まじめに聞いてきた。

パン食はここ数年のうちに普及したばかりみたいで
ジャムをつけて食べるのは初めてということだった。
もちろんコーヒー自体も初体験。
今日の朝食を和食と勘違いしないといいが。

コーヒーはおこげの味がするといっていた。
なるほどね。

午後、学校に行くと、呂さんと劉君がいた。
もう卒業していった彼らとはてっきり会えないと思ってたから
うれしかったというか驚いた。

呂さんは上海旅行を終えて帰ってきたばかりのようだったが
どこから金が出てくるんだろうな〜。
不思議。

授業では幻の魚といわれるシュンユィー(魚へんに尋)
を使った料理を習った。
もちろん養殖ものだが、天然物は捕獲厳禁とされている。
見た目は小さい40センチぐらいのサメといった感じで
味は淡白である。

今日はその魚の揚げ煮、エビフライ、アヒルの足の煮物だった。
アヒルの足は皮に味がしみていて美味だった。
見たくれはよくないけど、コリコリしてうまい。
日本では鶏のモミジ(足)はスープを取るくらいにしか使わないが
中国では味付けしたものがスーパーなどで売られている
メジャーな食べ物だ。

張さんにすしを作ってるから食べにきなと誘われたが、
食欲が無いとお断りした。
早く帰って休みたかったし、弱ってる時に生ものはよくないしね。

夜、ボルシチ風スープを作った。
何とか薬に頼らずに風邪を治したい。
いろんな野菜と肉を煮込んだので効き目はあるような感じ。


来年の2月でビザが切れるから
その前に更新しないとな。
香港に行くか、いったん帰国するしかないのだが
ちょうど香港に済南の時の友人がいるので香港に決まりだ。
春節休みに香港に飛ぼう。

李波(済南の友人)と会うのは6年ぶりだな〜。
再会が楽しみだ。
明日メールを送って香港に行くことを伝えよう。




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12月27日 月曜日

昨日の日曜日、万通というデパートに行って
CDウォークマンとモモヒキを買ってきた。
SOYAというメーカーのを値切りに値切って230元で購入。
最初は350元だったから大満足。
しかもビデオCDとMP3も再生できるという高性能。

ルンルン気分で帰ろうとしたら
同じ機種を売っている店があり
軽い気持ちで値段を聞いてみたら、
「200!」
と、ぶっきらぼうに言い放たれた。
もう一回聞き返したがやっぱり200元だった。
ガ〜ン!

他のデパートでは300〜400元で売ってたので
てっきり230元が最安だとおもってたのに・・・。
道理で金を払った後に、店員に「謝謝!」と言われたわけだ。
普通、値切りに値切った後はお礼なんて言われない。
くやしい!

差額は400円だけなのだが、
おちょくられたと言うか、負けたって感じだ。

買い物をする時は向こうの言い値の1/3で値切る。
それで駄目だったら10元ぐらい上乗せして
それでも駄目だったら立ち去るふりをする。
ここで「待って!」と声をかけられたらこっちのもん。
譲歩せずに向こうが折れるまで粘るのだ。

中国の物価は日本の約1/4だから
それを考慮して値切る。
べらぼうに安い値を要求すると相手にされないから
加減が大切だ。
また、譲歩は一切せずに自分の言い値を通しきるのもいい。

店員が
「その値段じゃ、儲けがないからもう少しはずんでよ」
というのは
「儲けは確保したけどもう少し高く売らせて」
といってるのと同じことである。
本当に儲けが無かったら初めから相手にはされない。

次の買い物の時は必ず勝つぞ!

家に帰ってまもなく、大姐が寒い中を自転車に乗ってきて
毛布を届けてくれた。
ありがとう。

大姐と少し話をしたが、
毛布を持って家を出てくる時に
「また小日本のところに行くのか?」
と、甥っ子に言われたらしい。
笑いながら話す大姐が理解できなかった。

小日本・・・。
その時は慣れもあってかあまり気には留めなかったが
後で盛華に聞いてみた。

「小日本って蔑視の意味があるでしょ?」
答えはやっぱりYES。
その後、なぜ中国人が日本人のことを小日本と呼ぶのかを
たっぷりと聞かされた。

どうなってるんだろうな、日本と中国。
過去の歴史の問題は盛華とも何度も討論したので
今日は何も言わなかった。
出来れば、日本人の俺にとっては避けたい問題である。

俺にはたくさんの中国の友人がいる。
中国に滞在している期間もトータルでは決して短くは無い。
その中で中国人の日本人に対する見方を知ることが出来た。
歴史観を知ることが出来た。
一言で言うと中国は被害者なのである。
対して日本は加害者という帝国主義の罪人なのである。

様々なことを知ることが出来たのだが
理解できないことがある。
何で今の日本を恨むのか。
何で俺に当たってくるのか。
ここで靖国問題や、教科書問題が出てくると思うが、
問題はそれだけではないような気がする。

盛華と話して、ただひとつ彼が変わった所があった。
以前、歴史の話をする時には日本人全てに対する批判だったのに対し、
今回は政府と政治家に限られていた。

台湾のことも話した。
盛華も含め多くの人が
台湾が統一に同意しないならば
武力行使をすべきだと考えている。
もちろんすべての人の考えではないが、
若年層の間ではメジャーな意見なようだ。

この考えにはついていけない。
「そんなことすべきではない!」
といったが、
「これが中国人の考えだ!」
との一点張り。
納得いかない。
以前、管さんともこの問題は討論したが、
納得いくはずがない。

日本は明らかに加害者であるが、被害者の一面も持つ国。
中国は明らかに被害者であるが、加害者の一面も持つ国。




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12月27日 月曜日

今日は朝食の当番ということで
8時に登校した。
張り切っていったのだが、作るものは何も無いとのこと。
同じ班ののっぽ君と話をする。
将来、自分の店を持つのが夢だそうだ。
同じ夢を持っている人が身近にたくさんいることは嬉しいことだ。

半開き君と肝ねえは30分遅れでやってきた。
授業が始まるまで4人でおしゃべりをして過ごした。

月曜日ということで新入りの人が2人やってきた。
1人はなんとアルゼンチン人。
中国語は話せなく、通訳を伴ってやってきた。
彼は自分と似た状況な訳なので
何とかコミュニケーションを図った。
英語はほとんど駄目なんだけど。

「アーユーアメリカン?」
「No,I’m アルゼンチン」
「オー!フットボール!」
「Ha Ha! Yes」
という、訳の分からないやり取りから始まった。

「アイムジャパニーズ」
「Oh! really?」
「アイキャントスピークイングリッシュ」
と言ったら、
「そんな感じがするよ」
と、笑顔で言われた。ギクッ。
ここで順調に進んでいた交流がストップする。

can'tのtの発音が甘かったらしい。
キャント!と強調したら分かってくれて笑っていた。
ますます英語恐怖症になるところだった。

言葉が通じないのと、見た目がモロに西洋人ということで
他の学生たちはあまり彼と交流しなかったけど、
こういうときは気持ちを分かってあげられる俺が
何とかするべきだ。

英語・・・。
いつも英語だけは習得しておかないとって思ってるんだけど、
なかなか続かない。
交流する機会が多ければ多いほど勉強する意欲は湧くけど
日本で西洋人と交流する機会ってあまりないからな。
駅前留学以外は。

このアルゼンチンから来た青年はパウロと言うんだけど、
なぜか日本語が少し分かるらしい。
通訳が、きくらげのことをマッシュルームと説明したらしいが
理解に苦しんだようで、
「これはshiitakeのことか?」
と、俺に聞いてきた。
何でしいたけ知ってんの?と驚いたが
「ディスイズントシイタケ。ディスイズマッシュルームズフレンド」
といったら分かってくれた(みたい)。

彼は日本語の歌も知っていた。
「桜」だろうな〜と思ってたら、
「ある〜ひ〜、もりのなか〜くまさんに〜であ〜った〜・・・・」
といきなり日本語で歌いだした。
驚いたのと、俺の英語力の無さで
「グッド!」
としか言えなかった。
せっかくみんなの前で歌ってくれたのに、
グッドは無いよな〜。

今日の収穫は二つ。
@英語はある程度は習得しておくべきである。
A通訳にならなくてよかった。
である。(通訳の人ごめん)

通訳の業務は以前やったことはあるが、
その仕事を客観的に見たのは今日が初めてだった。

通訳は主役にはなれない。
道具に過ぎないと言う気がした。
こんなことをいったら
すべての仕事がひとつの道具になってしまうが、
通訳は以前自分がなりたかった職業だったので
なおさら理想と現実のギャップを感じた。

通訳をしている時の楽しさはよく分かる。
語学留学を終え、仕事を始めたときは
中国語の能力が役立ち、認められたからだ。
誰でも一生懸命取り組んだことが役立つのは
この上なく嬉しいものだ。

でも、今はさめた。
重要なことは語学力じゃなくて心だ。
相手に強烈な興味が無ければ、
外国語を話せても意味がない。



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12月28日 火曜日

今週いっぱいは8時に登校してマントウを作る係りだ。
最初の一週間は朝早く来てマントウを作り、
授業のあとは掃除をして帰らなければならない。
今日も8時に教室に入り、花巻をつくった。
同じ班の半開き君、肝ねえ、のっぽ君と
授業で習ったとおりに作った。

花巻というのはマントウの変形型。
生地を伸ばしてから巻いて蒸かすので
出来上がりが花のように膨らむ。
昼食用の昼飯になるようだ。
いつもは午前の授業で生徒が試作したのが出てくるのだが
今日は俺たちが作った花巻が昼食となるのだ。


それはともかく、
日本人と中国人の顔立ちは同じだからなのか、
周りの生徒たちは俺のことを外人だと思ってないようだ。
これはこれで嬉しい。
いつまでもよそよそしくされるのは好きじゃない。
でも、それがゆえに差別されてるんじゃないかと感じることがある。

生徒たちの間では日本のように丁寧な言葉が交わされない。
よく言えば、フレンドリー、
悪く言えば失礼に値する。
こんなことは習慣の違いで、大きな問題ではないのだが
日本人から言わせると礼儀を欠いた失礼な言動に感じることがある。

例えば、
「何やってんの!じゃまじゃない!」
こんなことを言われると誰だってムッとするよな。
「通してください」
と、ひとこと言えばすむ問題なんだけどな。
こういう時は冷静に無視することを心掛けている。

逆に、日本にいる中国人もちょっとした事で
人種差別されてるんじゃないかなって勘違いするんだろうな。
日本人が外国に行ってカルチャーショックを感じる分だけ
外国人も日本でカルチャーショックを感じるわけだ。

カルチャーショックが悪いわけではない。
むしろ大いに感じるべきだと思う。
ただ、日本で外国人と交流する時は
相手が大きなカルチャーショックを受けていることを理解してあげることが大切だ。


授業が終ってからいつもの通り、
工具を洗おうとしていたらのっぽ君が
「今日は洗わなくてもいいよ」
とのこと。
テストのため補習をする人たちがたくさんいるから
その人たちで洗ってくれるらしい。
ということで半開き君と肝ねえとで
みんなにお願いして帰ることにした。

ところが1人のやかましい女がなんか叫んでいる。
日本語をまねて、奇妙な言葉を発していた。
なんか侮辱されてる気分。

こっちも訳の分からない言葉を発して帰ろうとしたら
「あんた!洗ってきなさいよ!」
と、今度はちゃんと中国語を話してきた。
"あんた達"だったら分かるが、
俺を指定してきたことに腹が立った。

挙句の果てに
「洗っていかないとたたくよ!」
だって。アホか。

聞き取れないふりをして
「何言ってんの?」
と言ったら、半開き君がわざわざ殴るジェスチャーをしてきた。
お前な〜。呆れた。

最悪なことに老師が俺の前に来て
「本当に聞き取れないのか?」
と、笑顔で聞いてきた。
吐き気がした。
俺1人対老師&生徒という構図だろうか。

老師が帰っていいといってきたのでさっさと帰ってきたのだが、
ただでさえストレスがたまってんのに
吐き気はするは、腹が立つわで、
精神的ダメージは大きかった。

お前らな〜!出国したいと騒いでるけど、
あんたらみたいなのは異国の荒波にもまれて
負け犬になって帰って来るのが落ちだぞ!
異国の生活がどんなもんかお前ら分かってんのか!

・・・こんなことを書くのはよそう。
ネット上でしかものを言えない人と一緒になってしまう。

日本に留学または出稼ぎに来た中国人のHPで、
自分が被害者であるかのように
日本の短所を並び立てて、最後に「行くべきではない」と
しめくくってるのを見かけたことがある。
もちろん日本には嫌な奴がたくさんいるだろう。
でも、いい面を探しもしないで日本=鬼みたいに考えるのは
タマが小さすぎる。

そういう人は負け犬だ。
異国の生活の中で何も得ることが出来ずに帰ってきて
自分の力の無さを人のせいにする卑怯な奴。
そういう人間になりたくない!

まず、今日みたいな事がまた起きたら
聞き取れないふりはせず、真っ向からぶつかっていこう。
嫌な人はほんの数%でしかないのだ。
彼らすべては俺にとっては中国人の代表であるわけだけど、
ほとんどがいい人たちだ。
俺は彼らにとって日本人代表だ。
それを忘れないようにしよう。

それに俺には中国人の親友がいっぱいいる。
見方がたくさんいるんだぞ!




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12月29日 水曜日

朝、目覚まし時計が鳴らなかった。
壊れていた。
盛華が明かりをつけたときにいつも目覚めるのだが
今日は停電だった。
オイルヒーターも冷たくなっていて布団から出るのがつらかった。

急いで学校まで行ったのだが
今日の朝は何も作らなくてもいいとのこと。
早く言ってくれよ〜。
授業が始まるまでおしゃべりをして過ごした。

初めて同級生の本名を聞いた。
半開き君は韓君、
肝ねえは趙さん、
助手の女の子はマーリー。

趙さんは小太りで色が黒く、農村育ちと言う感じだが、
口調がゆっくりで、声もよく、聞いていて心地よい。
可愛い中国語と言った感じだ。

助手のマーリーは年齢不詳だが、
二十歳そこそこの学校の看板娘だ。
というか、生徒たちに絶大な人気を誇るかわいい子だ。
俺に対してはぶっきらぼうなのであるが、
たまにだけど、話しかけると笑顔を見せてくれることもある。

彼女は教室で金魚を飼っているのだが、
この前、俺が金魚鉢に餃子の皮の生地を入れていたら
怒られた。
ごめんなさい。

9時ちょっと前に老師登場。
黒い皮のハーフコートに黒のキャップ、ミラー系のサングラスという
いでたちで颯爽と教室の中に入ってきた。

外見はちょっとキザな成金といった感じだが、
キャップを脱ぐと禿げかけた頭、
サングラスを取るとつぶらな目、
コートを脱ぐと出っ張った腹がむき出しになる。
皮をむくと普通のおじさんである。
性格は軽いコメディアンのような感じかな。
授業中は厳しいけど。

ドカベン君はここ数日学校に来ていない。
彼女に聞くと、事故に遭いまぶたを切ってしまったらしい。
全治一週間だそうだ。
道路が凍ってるからバスで来いと言っていた矢先だった。
頑固に自転車通学を通したドカベン君。
こんな寒い時に片道1時間半もかけて通っていた。
大怪我で無ければよいが。

午前中は包子の実習をした。
包み方が難しい。
ショウロンポーの包み方だ。
左右の手が連動して動かず、
授業の2時間の中では習得することが出来なかった。
ただ、方法だけは頭の中で理解できた。

昼、外の食堂で食べようと歩いていたら
突然後ろから俺を呼び止める声。
家にも来たことがある四川の同級生だった。

一緒に近くの四川料理の食堂で飯を食った。
いきなり「煮ビールのむか?」
と聞かれたけど、さすがに断った。
これは、ビールに生姜、砂糖、各種香料をいれて
煮立てた飲み物らしい。
体にいいのは分かるけど、
めずらし物好きの俺でも勘弁してもらった。

ビール6本、ホルモン炒め、泡菜、酸菜魚をご馳走になってしまった。
ホルモンは柔らかくて最高!
石焼にしてもいいな。

昼間飲むビールはまた格別のものだった。
お湯の中に入れて、少し温めてから飲む。
でないと体の中から凍ってしまう。

彼は油田会社で働いていて、
社内でレストランを始めるためにここで勉強しているらしい。
俺と同じく調理長養成コースを学んでいる。

午後はマーラーカオ、麻花、中華風パイを習った。
普通の洋菓子に比べ、このような甘品はさっぱりしている。
作り方もかなり参考になる。
本を読んで作るだけでは得られないものがあるのだ。

昨日のうるさい女のことは完全無視を通した。
いまだに突っついてくるが、
「はぁ?」と強く言うと引っ込む。




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12月31日 金曜日 大晦日

毎日様々な出来事が起こる。
昨日日記を書かなかったけど、
たくさんありすぎて何が昨日起きたことなのか分かんなくなる。
ただの健忘症だろうか。

昨日・・・。
何をしたんだっけ?
あっ、そうだ、大姐が鶏の丸焼きを持ってきてくれた。
わざわざ自転車で来てくれたので
家の中に入ってもらい少し世間話をした。

彼女の甥っ子の話。
5年間、職場の女の子を想い続け、
ダイエットの末、やっと彼女をゲットできたと言う話などなど。
以前は相当太ってたらしい。

あと、ワインや梨、昆布、昨日までの新聞などももらった。
お父さんが軍隊関係の方だったので
毎月政府から食料の支給があるみたいだけど、
支給品とはいえ本当にいつも申し訳ない。
ありがとうございます。

そして今日は大晦日。
朝起きてから盛華が
「04年も今日で終わりだな〜。」
と言うのを聞いてハッと気づいた。
そうです。今日で04年ともお別れだ。

師走のあわただしさのない中で過ごす大晦日は
ちょっと物足りないと言うか寂しい感じがした。
いつもと変わらない寒い日だった。
日本にいる中国人が春節を過ごす時もこんな感じなんだろうな。

授業ではココナツタルト、くるみクッキー、油条、油餅を習った。
油条は生地を長細くして揚げたもの。
油餅は生地を平たく伸ばしてあげたもの。
形が違うだけで味は一緒である。
どちらも北京の朝ごはんには欠かせない主食だ。

午前中はその油条、油餅の実習。
簡単なようで、形作りがうまくいかず
老師に「何やってる!」と一喝されてしまった。
俺から見たら形が少しいびつでもおいしかったらいいと思うが
中国人から見たらそうはいかない。
もっと基本に忠実になろうと反省した。

その反面、パウロはテキパキと形よく作っている。
彼はアルゼンチンの調理学校で菓子の教師をしているそうだ。
道理でのみこみが早いわけだ。

昼休み、張さんに日本料理の教室に呼ばれ、
しゃぶしゃぶ、すき焼き、イタリア風お好み焼きをご馳走になった。
もちろんこれは授業で作ったやつだ。
彼は名古屋で和食の修行をしたので
俺の田舎の味とは微妙に違うが、激うまだった。

ひとつ発見。
中国人はお好み焼きが嫌いらしい。
張さんが作ったお好み焼きを8つに切って
生徒や助手達と食べたのだが
みんな一口食べて皿に戻してしまった。
中身がトロリとしているので生だと思ったらしい。
俺はそのトロリ感が好きなんだけどな。
いくら「生じゃないよ」と説明しても、
みんなはそれ以上手をつけようとはしなかった。

そういえば、韓国の友達が大阪に来た時
一緒にたこ焼きを食べたら、口から吐き出したことがあったな。
別に熱かったわけでもなかったので聞いてみたら、
慣れない味なのだそうだ。

中国人は一般的に和風の味付けを好まない。
さっぱりしすぎていると言う人もいるし、
はっきりしない味だと言う人もいるし。
一般的に簡単すぎて料理ではないと言うような意見が多い。

あと、吉野家の牛丼は中国でも評判だが、
「ついてくるスープ、あれ何だ?まずかった〜!」
みたいな事を何度も言われたことがある。
味噌汁はいただけないらしい。
吉野家は気づいてるのかな?

生ものはもちろんダメ。
納豆もダメ。
とろろ芋もダメ。
生卵もダメ。

日本料理の教室でこれらのものをうまそうに食う俺を見て、
生徒たちは毎回決まって奇人変人を見るような目つきで俺を見る。
結構楽しい。
和食は認知度がかなり高いのだが
今のところあまり好まれないようだ。

張さんと夜に一緒に火鍋を食べる約束をして別れた。
ごちそうさまでした。

午後は西洋風のクッキーを習った。
香港やマカオから入ってきた華洋折衷式クッキーと言ったところか。
あんこやココナツを使ったあくまでも中華風のもの。

ドカベン君が久々に学校に来た。
自転車に乗ってるときに転んでしまい
まぶたを縫う大怪我をしてしまったのだ。
まずは元気で何より。

4時半にいつもの食堂で張さん、楊老師とで火鍋を囲む。
楊さんとはあまり飲みたくなかったが仕方ない。
でも今日の楊さんはおとなしかった。
というか、張さんが暴走してしまったせいもあるが。

張さんが理解できなくなった。
ビール、白酒をちゃんぽんしたせいで
悪酔いしたせいもあるのだが、
わけがわかんなかった。

彼は友人の関係を越えて、兄弟の関係を要求してきた。
俺は断る理由もなく
「いいよ」
と答えたのだが、それだけではすまなかった。
かばんから調理用の小刀を取り出し、
指先を切ろうとしたのだ。

思いもよらない展開にあわてて止めた。
「何やってんの、張さん!やめてよ!」
と言ってもやめる気配はなく、
「一人一人血を一滴ビールに入れて飲むんだ!」
と言って聞かなかった。

兄弟の契りの儀式だってことは分かったが
俺はそんな儀式したくないし、させたいとも思わない。
何度止めても聞かず、刃先が指先の肉にめり込んだ。
楊さんのに止めてもらおうとしたが
彼は人ごとのように黙ってみてるだけ。

止めても無駄だと思い、
俺はとっさに笑う手に出た。
「ハハハ!本気?ほんとにやめてよ〜、張さんったら!」

彼はやっと小刀を手から引いてくれた。
楊さんは相変わらず何も言わずに黙ってみていた。
ビールがあればそれでいい人だ。

この時点では張さんは酒を飲んでいたとはいえ、
あまり酔っていないようすだったので
なぜこのような行動に出たのか理解できない。

そういえば、日本と韓国、タイ、ベトナムは中国と統一すべきだとか
訳の分かんないこともいっていた。
本当にわかんない。

その後張さんは袖をまくって火傷の跡のある腕を俺に見せた。
根性焼きのようだった。
話によると、日本に調理留学していた時に日本人の同級生のいじめにあい、
自分の意地を見せるために
彼らの前で自分でタバコを押し付けたのだそうだ。

張さんは18歳の時に名古屋の専門学校に留学して
日本料理を学んだ。
孤独な留学生活だったようだ。
俺も高校卒業後に1人暮らしをはじめたから寂しさはよく分かる。
外国でのそれはなおさら辛いものだったろう。
目に涙を浮かべながら当時の話をしてくれた。

血の酒を交わすという契りは日本で覚えたのだそうだ。
専門学校卒業後に日本料理店で修行を積んだのだが、
帰国する時に師匠が兄弟の契りとして
そのように張さんと酒を交わしたのだと言う。

彼の師匠は川上温之という方。
中国人の奥さんがいて、
当時(17年前)は新見市に住んでいたとのことだ。
奥さんは王景稔という方で
息子さんは川上龍さん。
中国に戻ってきてからずっと連絡を取れなくなり、
しきりに会いたいといっていた。

騒ぎからひと段落ついて
張さんはやっと落ち着いた。
彼は仕事でトラブルがあったらしく
酒を飲む前に上司との関係がうまく行ってない事を俺に明かしてくれた。
多分そのせいで心のバランスが崩れてしまってたんだろう。

彼の夢は日本で老人ホームを作ることだ。
高齢化、少子化を見込んでの話だが、
絵に描いた餅のような話だったので
あえて反対した。
来年、日本に行く手続きをするそうで
このまま老人ホームの話を進めていくことになりかねない。

人の夢をつぶすのは簡単だ。
人の夢をつぶすべきではないのだが、
あえていったん萎ませようとした。
日本の現状をもっと分かってから判断すべきと言ったのだが、
彼は聞かなかった。

夢を追いかける人の落とし穴はこれだ。
自分で夢の世界を膨らましていって
現実の世界がわからなくなってしまう。
以前の俺もそうだった。
自分なりの計画を立てて、
頑張れば店を開けると思っていた。
夢はどんどん膨らんでいったが、
第三者(コンサルタント)にこれでもかと言うくらい
メチャメチャにつぶされた。

でも、夢の風船がしぼんだ後、自分が何をすべきか分かった。
夢から覚めたのだ。
そして今、自分の技術を高めるためにここにいる。

彼を夢から覚ましてあげられただろうか。
いや、覚めてないようだった。
泣くなよ張さん!
泣くんだったら号泣するくらい泣くべきだ!
自分は泣く時はそうする。
涙を浮かべてめそめそするなんて男じゃないぞ!
血を飲んだからといって人間関係がうまくいくわけでもないし
信頼関係が生まれるわけでもない。
時間も必要だし、一緒にいる空間も必要だ。
わかってね張さん。

おっと、もうすでに2005年になっていた。
あけましておめでとう!
日本時間の11時45分頃に家族に電話した。
ばんちゃんもおきていた。
みんな、来年もよろしく!
心配かけてるけど、土産買って帰るからな〜。

今年はいろいろあったけど、
何とか中国に来ることが出来た。
来年も前進できるように頑張ろう。




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