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中華への道!ダイアリー

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2005年1月 あけましておめでとうございます!





1月6日 木曜日


極寒の中、モッコリパンツで湖畔を走るおじさん

人付き合いの消化不良を起こしそうだ。
そして本当に下痢も併発。
日記を書く暇もなかった。
今年に入ってからシャワーも浴びていない。

今日は3時過ぎに帰ってきてまずは部屋の掃除をした。
大家さんが家賃の集金に来る日だ。
汚くしてると注意を受ける。

これからシャワーを浴びて大姐の家に行く。
だんなさんが北京に来たと言うことで
ご飯に誘われていたのだ。

ここ2日間部屋に帰ってなかったからほっと一息できた。
やっぱり我が家はいい。
ほんとにいい。

日記を書いてなかったここ数日、いろんなことが起きた5日間だった。
遅い師走がやってきたと言う感じだ。

元旦の1月1日、中国では1日だけの祝日だ。
午前中は友人に年賀メールを送るためにネットカフェへ。
ニュースや紅白の話題を読んだりしたら
少し正月の雰囲気を味わうことが出来た。

こたつにあたって正月番組を見ながら
みかんや餅を食べてゆっくりと過ごす・・・。
日本の正月はやっぱりいいな〜。

この日は盛華も会社が休みだったので
午後は一緒に後海に行って来た。
そこは昔の運河が残っているところで
四合院などの伝統的な住宅が残っている観光地だ。
以前はお偉いさんたちが住む高級住宅地で、
大姐も小さい頃にここに住んでいたようだ。
今は、水辺にバーが立ち並び人気スポットになっている。

バスを乗り継いで近くの湖に着くと、
湖全体が天然のスケート場になっていて
たくさんの人が氷の上で楽しんでいた。
俺も遊びたかったがスケート靴が20元ということで断念。

そこから20分ぐらい歩いて後海に到着。
運河(ほとんど湖)の周りには昔ながらの家屋を改造したバーが立ち並び、アジアの中の西洋というような感じだった。

宋姉妹の元住居があったりして写真を撮りながら散策。
カメラを構えていたらブリーフ姿でジョギングしているおっさん発見。
なんだありゃ?と驚いてると、
今度は湖で泳いでる人を発見!
15センチ以上はある氷の間を数人のおっさんたちが元気に泳いでいた。
唖然。
身体に気をつけて・・・。
身体にいいからやってるんだろうけど、死なないでね。


極寒中水泳の図

後海を一周し、スターバックスでコーヒーを飲んで休憩。
何も北京に来てまでスタバに行かなくともと思ったが、
他のバーは入りずらくて。
ぼったくりバーもあるらしい。

北京にはスタバが何軒もある。
故宮の中にもあるから驚きだ。
でも、金持ちしか入らないらしい。
コーヒー一杯の値段ででラーメン10杯食えるんだからそりゃそうだろう。

中国式建築の建物の中は洋風で日本と変わらず。
客層は観光地と言うこともあって半分は西洋人だった。
さすがに地元と思われる人はいなかったな。

本日のコーヒーを俺が勝手に2杯頼んだのだが、
盛華はカプチーノが飲みたかったようだ。
小説の中に出てきたカプチーノに憧れを持っていたらしい。
しきりにどんなものか聞いてくるんだけど、
俺はブラックしか飲まないのでよく分からなかった。
コーヒー牛乳と一緒だよ。
と答えたが、そうなのだろうか?
次の機会に飲んでね。


バーが立ち並ぶ湖畔にて(盛華)

夜は航天橋の近くのレストランに入った。
吹き抜けの2階建て方式の大きなレストランで、
10分ぐらい待たされてから2階の席に案内された。
祝日と言うことでかなりの混雑だった。

メニューは鴨1匹を煮込んだスープ、
砂肝と泡菜の炒め物、
きのこなどを湯葉で巻いて焼いた精進北京ダック、
カイワレの和え物、
米酒(甘酒のような感じ)で新年の乾杯。
どれもうまかった。

2005年はこんな感じで始まった。

1月2日は午後から高級班の授業。
その後大姐と約束をしていたので学校で待ってたら
広東料理クラスのお別れ会(2度目だけど)に出席して欲しいとのこと。
王老師、大姐、生徒3人、助手、俺の7人で飲み食いした。
この生徒3人は大会に一緒に参加した仲間だ。

話についていくので精一杯だったが
王老師とも話が出来たのでよかった。
と言うのも、先日の大会の時に彼も参加していたのだが、
てっきり外部の人間だと思って、無視してしまった上に、
睨んでしまったのだ。
うるさいやつだな〜と思って(笑)。
その時は老師とは知らなかったもんな〜。
いずれは俺も広東料理クラスに入るのでよろしく。

1月3日は麺点老師を見直した。
授業中、麺点が焼けるまでの自由時間に
1人の生徒とおしゃべりをしていると、旧日本軍の侵略の話に。
「そのときのことを知ってるか?」
との問いに、知ってると答えると、
「南京大虐殺、盧溝橋事変・・・」
と大声で羅列しだした。
正直、また始まったか・・・と思った。

その時、老師がその生徒にほえた。
「おまえ!何言ってる!!」
何がなんだかわかんなかった。
「この日本人は中国の麺点を学びにここに来てるんだ!過去のことと何の関係がある!ごっちゃにするな!」
老師のこの一言で騒がしかった教室内はし〜んと静まり返った。
パウロは何が起こったのか分からずぽか〜んとしていた。
俺もびっくり。
思いがけない助け舟に嬉しいやら悲しいやら。
この件はその生徒が俺に握手を求めてきたので丸くおさまった。
と言うか無理やりおさめたと言った方がいいだろう。
俺みたいな一般人にまで押し寄せる重圧。
こんなことは初めてじゃないが気が重くなる。

パウロは通訳にこの出来事を説明してもらっていた。
日本と中国の関係を聞いて怪訝そうな顔をしてうなずいていた。
あ〜情けない。

1月4日は飲んで食って、また飲んだ。
授業が終ると、呂さんが廊下で待っていた。
一緒にご飯を食べようとのこと。
いつもおごられっぱなしだから今日こそご馳走しようと思ったら
呂さん主催の飲み会だった。
もうすぐ日本に行くということで、
お世話になった老師たちにも声をかけていた。

場所はこの前入った四川料理の高級レストラン。
しかも今回は別の大きなホールに予約を取っていたらしい。
吹き抜け3階建ての京劇の劇場のようなところだった。

記老師、周老師、事務のお姉さん、四川の同級生、呂さん、俺の6人で
火鍋をご馳走になった。
老師も一緒だから少し緊張した。
しかも、丸テーブルが大きすぎて話が聞こえない。
でも、ちょっとかわった火鍋はうまかった。

鴨の気管はコリコリ。
百葉(牛の胃袋)もコリコリ。
ツブもコリコリ。
具が50種類くらい用意されていた。

あと、豚の脳みそも食べた。
てっきり魚の白子だと思い、
「トロッとしておいしいね。何の魚?」
と聞いたら笑われた。

脳みそって、濃厚な白子の味がする。
結構いけたのでむしゃむしゃ食べてたら
「コレステロール多いから一個だけにしときな」
と四川君。
いくらおいしくても2個目の脳みそに手を出す勇気はなかった。

ほろ酔い気分になってると、
真ん前のステージでキューバのダンサーのショーが始まった。
Tバックのお姉さんが、ケツをフリフリ、胸をフリフリ。
裸のマッチョ兄さんがその周りでフリフリ。
北朝鮮の喜び組みまでは洗練されていないが、
中国で見るステージはモザイクを付けたくなるほどきわどかった。
最近こういうの見てなかったから結構きました。(笑)

記老師を横目で見たら
酔ってるせいか、陶酔し切った表情に。(爆笑)
老師のクールなイメージがあっけなく崩れ去りました。
そりゃなるわな〜。

ダンスの後は手品や歌などの出し物を見て10時ごろに店を出た。
タクシーで帰ろうとしたけど、
呂さんと四川君に止められ、近くの旅館へ。
部屋でまた飲もうということだった。

ところが、学校近くの旅館はすべて満室。
この辺で大きな会議が開かれているようで
全国から人が集まってきているらしい。
仕方なくタクシーに乗って5分ほどの旅館に泊まった。

その夜は、「友とは何か」の議題で
朝の5時まで飲み明かした。
みんな熱かったな〜。

(四川君)呂さんが日本にいったら家族で遊びに行くから。

(呂さん)いいよ、でも俺が日本で成功してたらね。

(四川君)成功してなくても行くよ。

(呂さん)だめだ!成功してない時に来られても、見下されてるようで嫌だ。

(四川君)成功してようがしてまいが友達には変わりないだろ!

(呂さん)俺が成功してたら、日本での面倒をすべて見てやることが出来る。だってそれが友でしょ?

(四川君)面倒は見なくてもいい!成功してなかったら俺が自分で金を出すから。

(呂さん)見下されてるようで嫌だな。そういうのは。

(四川君)今までお前のことを親友だと思ってたけど、がっかりした。俺たちの関係って何?友達って言える?

(俺)成功してない時に懐かしい友達と会うのはやっぱりつらいよね。訪ねて来られても盛大にご馳走することも出来ないし、ちょっと自分に対して劣等感を持ってしまう。

(呂さん)そうでしょ?俺がいいたいのはそういうこと。何も冷たいわけじゃない。成功してない自分が嫌なんだ。

(俺)俺はそういうときには会いたい友とは会うようにしている。どん底の時に会いたいと思える友は本当の友だし、そういうときに変わりなく付き合ってくれるのが本当の友でしょ。

(四川君)日本人の一般的な考え方は結局どっちなわけ?

(俺)人それぞれ。

(四川君)呂さんは半分日本人だから中身が日本的になってるんじゃないか?中国人だったら情を一番に考えるはず。

(詳しくはわからないが、呂さんの母親は日本人である。)

つたない中国語で自分の意見を一生懸命言ったのだが、
二人の激論の波にあっという間に飲み込まれて
跡形もなくなっていた。

同じ内容を朝まで繰り返し、結局結論は出なかった。
3人とも疲れ果て、四川君は最後までやりきれない様子だった。
缶ビール1ケースは朝までにほとんどなくなっていた。

次の日、10時ごろに腹痛で目が覚めた。
ひどい下痢だった。
昨日の討論が後を引いて、2人の関係はなんとなくギクシャクしたまま。
近くのラーメン屋で遅い朝食をとり学校へ。

寝不足、ゲリ、二日酔いで絶不調。
それでも授業は進む。
具合が悪くておとなしくしてても中国語が矢のように飛んでくる。
「午前中どうしたんだ?朝帰りだろ〜?ひゃひゃひゃ!」などなど。
休ませて〜!と叫びたかったが、学ぶものはしっかりと学んだ。

授業中、トイレに行こうと教室を出ると、
張さんとヨウエンがドアの前に立っていた。
びっくり。
2人はこの前の大会の賞状と楯を自慢げに見せてきた。
張さんは金賞、ヨウエンは銀賞を獲得したらしい。
他の生徒たちもみんなもらったみたいだ。
俺に声がかからないということは、
賞は無かったのかな〜。
まあ、いいや。
いい記念になったし、度胸試しにもなった。
これでいいのだ。
まだ先がある。がんばろう。

帰り、雪が降っていた。
張さんとヨウエンと一緒に帰る。
「おまえにも絶対賞があるから職員室にいって聞いてみな」
と言ってたが、聞いて、もし何もなかったらどうする?
後で楊老師に聞いてみよう。

張さんは仕事へ、
俺とヨウエンは西単へ遊びにいくことに。
新しい地下デパートに行ってきた。
日本式カレーの店があるところだ。

ヨウエンはここの服屋で働いていたことがあり、
まずは前の職場に行って昔の同僚たちとご対面。
みんな今風の若者で日本と全く変わりなかった。
おしゃれに時間と金をかけているのがよくわかる。

ヨウエンは自慢げに賞状と楯を見せびらかすのだが、
同僚たちはあまり関心がない様子。
と言うか、調理自体に興味がないのだろう。
でもヨウエンはよっぽど嬉しいんだな。
知り合いと会うたびにカバンから楯と賞状を出していた。

その後は早めに帰る予定だったのだが、
ヨウエンの家の近くの鍋貼屋でご飯を食うことに。
俺のことをそこで待ってる友人がいるとのことで
渋々了解。
雪のせいでバスはなかなか来ず、タクシーもつかまらず、
雪の降る中をさまよった。

約束の時間に大遅刻して食堂についたら
外で彼の友人が肩に雪を積もらせながらたっていた。
不可抗力とはいえ、申し訳なかった。

鍋貼を腹いっぱい食べた後は
ヨウエンの部屋を見に行くことに。
楼房といわれる5階建ての普通のアパートで
爺さんと2人暮らし。
両親とは別々に住んでいるらしい。

6畳ぐらいの部屋に、パソコン、ベッド、
年代物の大きな携帯(90年代初頭15万円!)
小さい頃遊んだと見られるおもちゃ類。
初恋の彼女の写真。(なかなか可愛かった)
などなど所狭しに並んでいた。

さすがに疲れたので帰るといったら
「ダメだ。今日はもう遅いから泊まってけ」とのこと。
「昨日も帰ってないし、風呂にも入ってないし、着替えたいから帰る」
「この辺は治安が悪いから一人じゃ危ないし、タクシーもつかまんないよ」
「俺は子供じゃないんだぞ!帰るよ。第一どこに寝ればいいんだ?」
「俺はいつも朝までチャットしてるからベッドで寝ればいい。」
「チャットは程々にしてちゃんと寝ろよ」
「たのむ!俺の顔を立ててくれ」
また面子の話が始まった。
何でこんなんで顔を立てなければならないんだろう。

何度もこんなやり取りをした挙句、ヨウエンの友達にも止められ
結局泊まることに。
チャットや映画なんかを見て過ごした。
寝不足・・・。

1月6日、朝起きると、ヨウエンは机に伏せて眠っていた。
俺はというとベッドで大の字。
申し訳ない。
寝たりなかったが、タクシーで急いで登校する。

学校へ行くと大姐から伝言があり、
だんなさんが北京に来たと言うことで
一緒にご飯を食べようと言うことだった。
前々から約束をしていたので承諾。

授業が終ってから即家に帰る。
何日かぶりにみる家の近くの商店街を通って、ほっとした。
ここが俺のホームグラウンドだ〜っていう感じ。


近所の商店街 食堂、雑貨店、米屋、八百屋、卵屋などなど、
何でも揃う。これでも夜は結構にぎやかになる



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1月7日 金曜日

昨日は今年初めのシャワーを浴びて大姐の家に行ってきた。
一週間身体を洗わなかったのは生まれて初めてかもしれない。
新記録達成〜!!

川が完全に凍っているので川の上を走って近道をし、
10分ぐらいで着いた。

高級マンションなので門番に電話確認をしてもらってから
中に入ることが出来た。

部屋には亡くなったおじいちゃんの写真があり、
ダイニングルームがやけに広く感じた。
おばあちゃんは思ったより元気そうでニコニコしていたが、
俺に小声でこういった。
「あの人、中国語が話せないから私ちょっと慣れてないんだ」
あの人とは大姐の旦那さん(日本人)であるが、
関係はあまりよくないようである。

そこに旦那さん登場。
話には聞いていたが、シャイな人だった。
大姐とは全く正反対の人。
彼女はいつも旦那さんの文句を言っているが、
もしかしたら、合ってるかもしれない。
旦那さんは完全に尻に敷かれているが、
そうなるべく生まれてきたような感じの人で、
大姐は全くの逆。
なかなかお似合いですよ。

お茶を一杯いただいた後、
近くのおかゆ専門店へ。
向かう途中、旦那さんと少し話をしたのだが、
「中国人と結婚するなんて思ってもいなかった」
と、いきなりの爆弾発言。
「なに?私と結婚したこと後悔してるんでしょ?」
と、大姐。
すかさず旦那さんは弁解をしたが大姐は無視。

久々に会う夫婦の会話じゃないよな〜。

地雷を踏んでしまった旦那さん。
踏んでしまったら最後、
一生動かないか、死を覚悟で走って逃げるしかない。
レストランでは彼はあまりしゃべらずに黙っていた。

ピータン粥、小豆粥、木の実粥、魚粥、昆布と豚の煮物、鶏の丸煮、炒め物など、たくさんご馳走になった。
体の調子が悪い時にはやっぱりお粥が一番だ。
旦那さんは中国料理があまり口に合わない様子だったので
ジャージャン麺を勧めたら、
「ジャージャン麺?食べたことないな〜、試してみようかな」
と結構乗り気。

そしたらすかさず大姐が、
「日本にいる時に作ってあげたでしょ!」
と、切りかかった。

切られた旦那さんは何を考えたのかボソリと一言。
「あ、味噌がかかったやつ?あまりおいしくなかったよ〜。」
・・・また自ら地雷を踏んでしまった旦那さん。

「あの時おいしいって言ってたじゃない!」
・・・大姐はしばらくこの調子だった。
その間、おばあちゃんはご飯ものどを通らないらしく、
ただただ外の景色を眺めていた。

マンションに戻ってくると、
ドアに鍵がかかっていて中へ入れず。
甥っ子が出かけてしまったらしい。

帰って来るまで地下の多目的室でおしゃべりをして過ごした。
夫婦の言い合いはまだ終ってないらしく、
今度はどこに観光に行くかでもめていた。
旦那さんはどこにも行きたくないが、
家にもずっといたくない様子。
「どこに連れて行っても喜ばないんだよ、この人は!全く!」
と、大姐は最後まで文句タラタラだった。

俺はおばあちゃんと話をしていたが、
俺のへんてこな中国語は聞き取れないらしくて
話があまり成り立たなかった。
ずっと元気でね。

俺の祖母は元気だろうか。
心配になる。

この日は久しぶりにぐっすり眠れた。

そして今日。
疲れが抜けず、学校から帰ってきてすぐにベットで休む。
なんだか胸が苦しい。
ゆっくり休もう。



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1月8日 土曜日

午前中、呂さんと西単で待ち合わせをして買い物に行った。
なんとロレックスをゲット!
もちろんニセモノなのだが、デパートで堂々と売られていた。
安いのをひとつ60元→30元で買って、
高い自動巻きのを460元→120元(1500円)で買った。
さすが呂さんは値切るのがうまかった。

安いのはすぐにニセモノと分かるが、
高いのはパッと見たかんじ、本物と区別がつかない。
俺見たいな素人は全然分からないほどよく出来ている。
質はどうか分からんが、
おみやげにしようかな。

買い物が終ってから回転寿司をごちそうした。
元禄寿司だが、日本のよりもかなり味が落ちる。
回っているのはほとんど鮭、海老っ子、うなぎで、
マグロなんかは注文しないと食べられない。
味は”すし花館”に近いものがあるが、
それよりも質はよくなかった。
とはいえ、久しぶりに寿司を腹いっぱい食べて大満足。

本当の寿司を中国人に食べて欲しいな。
といっても寿司のうまさが分かるのは日本人だけなんだろうけど。

呂さんはこの後、ハルビンの子供の所によってから、
15日に日本へ発つそうだ。
春になったらモンゴル、アフリカに行って
貿易の可能性を探ってくる様子。
なんと行動的なんだ。
俺も負けちゃいられない。

久しぶりに日本語だけでおしゃべりをしてスキッとした。
言語は一番大切な問題ではないけど、
心を通わす大切なツールだとつくづく感じた。

今日は試験のため、授業は休みだった。
呂さんと別れて、一人で王府井にいってきた。
久々の1人の時間をエンジョイしようと思ったのだが、
急に寂しくなって帰ってきた。
1人でぶらつくのは好きなんだけど、
ここのところ1人になる時間が全然なかったからな〜。


こういうものはすぐ壊れるので買わないようにしましょう。


こういうものもすぐ壊れます。



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1月9日 日曜日

俺は恋をしてしまったのだろうか。
気になる。
学校で会うときは何も感じないのだけど、
会わないときはなぜか気になる。
こんな気持ち久しぶりだな〜。
発展の可能性はあるのだろうか。
自分にも分からない。

友人からたくさんの年賀メールが来ていた。
留学時代からの友人に水虫の薬と香港の地球の歩き方を送ってくれるように頼んだ。
ナイロンの靴下を何重にも重ねてはいてたらかゆくなってきたのだ。
水虫は中国語で香港脚と言うが、
革靴文化が根源らしい。

香港に行く準備をしないとな。

午後、高級班の授業が終ってから適当にバスに乗って郊外に行ってきた。
2階建てバスに乗りたかったのである。
あとは、いつも家と学校の往復だけなので
他の所もちょっと見てみたかっただけ。

軽い気持ちで出かけたのだが、
帰りはラッシュに引っかかってしまい、ずっと立ったままでへとへとだった。

夜は盛華がスペアリブの煮物を作っていた。
激うまだった。



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1月10日 月曜日

今年もすでに10日。
学校があまり楽しくない。
新しい発見がない。

そんな中、うれしい事がひとつ。
調理師試験に受かったのだ。
パスポートの大きさの証書をいただいてきた。

筆記試験はぎりぎり合格の64点、
実技は余裕の72点だった。
俺の友人たちもみんな受かった様子。
まずはよかった〜!


中級調理師の資格証書(右)


証書の中身 テストの点数が明記されている




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1月11日 火曜日

午前中、カレー風味のそぼろが入ったモチモチ餃子と
ココナツ団子の実習をした。
ココナツ団子はあんこを変えていろいろなバージョンで楽しめる。
モチモチ餃子はうまいけど歯にくっつく。
冷えてからが問題だな。

午後は春巻きとラーメンを習った。
ラーメンはゴムのように伸び、そうめんのように細く、
美しかった。
明日、実習の時にどんな感触なのか確かめてみよう。

春巻きは皮から作った。
てっきりクレープのように作るのかと思いきや、
生地を丸ごと鍋に押し付け引き離し、
鍋底に引っ付いたやつを焼くという方法だった。
おもしろかった。

今日は老師の講義中に隣に立ってアシスタントをした。
コミュニケーションをとりたいし、
座って見てるだけじゃ影が薄くなってしまう。

パウロの姉さん(一緒に留学に来た)も参観に来たので
教室の中は結構にぎやかだった。

突然だが、中国人は体のふれあいをよくする。
いやらしい意味ではなくて、
肩を組んだり、腰に手を回してきたりという
ちょっと過激なスキンシップといったところだろうか。

最初は慣れなかったが中国ではこれが一般的。
セクハラとの区別がつかないときがあるが、
あそこを触らない限り大丈夫なのだろう(?)。

授業中、老師の作業台の周りにはいつも黒山の人だかり。
老師が動く方向に生徒たちも一斉に動くので
否が応でも体が触れ合う。
たまにケツをなでられたりするんだけど、
これはただのスキンシップか?
どうでもいいか・・・。

そういえば昨日、女版ドカベンちゃんと話をした。
彼女の名前は秀梅。
きれいな名前だ。
ドカベン君との事を聞いてみた。

俺:「いつから付き合ってんの?」
彼女:「はあ?付き合ってないよ」
俺:「え?でもドカベン君は君のことが絶対好きだよ」
彼女:「それは分かっているけど、彼も口に出さないから私も何も言わないし、断りもしない」
俺:「いいやつだよドカベン君は」
彼女:「わかってる。でも年下は好みじゃないし、私には4年間付き合っている彼氏がいるの」
俺:「・・・。」

絶句した。
ドカベン君にチャンスはないのか?
春が来たと思ったらいきなり冬か?
てっきり授業中のアツアツぶりをみて付き合ってるとばかり思ってた。
あれはただの体のふれあいだったんだろうか。

今日、彼女は学校を休んだ。
ドカベン君は何も知らなく、元気だった。
何かアドバイスするべきか。
まあ、彼がどんな気持ちを彼女に対して持ってるのか
はっきり聞いてからにしよう。

あ〜、胸が痛い。
俺にも春がやってきたのだろうか。
あの子のことを考えると、胸が痛い。
歳が10歳以上は離れている。
こんなんでいいのだろうか。



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1月12日 水曜日

昨日、エイベックスのCDをふんぱつして買ってきた。
TRFから最近のものまで、なつかしい名曲揃いだった。

CD屋に行くと浜崎、中島美嘉、宇多田のが目に付く。
でも高い。
普通のが12元(高くても40元)なのに対し、
日本人のは2倍ぐらいする。
もちろん正規版なのだが。

ちなみに今日買ったのは60元(約800円)だった。
TRF、安室、globe、ボンバヘッドまで入っていた。
これって15年ぐらい前の曲なんだよな。

15年前の1990年。
高三だったな。
クラブ活動が心に残っている。
山岳部。
毎日近くの山のてっぺんまで走りこみ。

あの頃はハリウッドに行って大道具になるのが夢だった。
趣味が、映画鑑賞と山登り、日曜大工というおっさんくさい高校生だった。

あれから15年。
俺の人生は当時予想もしなかった展開に。
そして15年後、どうなってるのかは分からないけど、
自分の店を持っていたい。
必ず。




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1月12日 水曜日


ラーメンを作る職人(イメージ図)

午前中は待ちに待ったラーメンの実習だった。
小麦粉と水を捏ねて、ラーメン剤(かんすい)を加えて更に捏ねる。
エキスパンダーのように伸ばすのを何度も繰り返しコシを出す。

俺の場合、何度も麺がプツンと切れた。
太さもバラバラ。
老師に「30点!」と言われてしまった。
何人かの生徒はうまく出来ていたので悔しい。
パウロもなかなか上手に出来ていた。
自分で練習するしかない。

昼は、クラスメイト7人で飯を食った。
最初はドカベン君と秀梅を誘ったのだが、
雪だるま方式に人が増えていき、
7人という大人数で四川料理の食堂に行った。

1人ひとつの料理を注文して、
ビール4本、白酒1本でわいわい飲み食いした。
俺とドカベン君、秀梅、趙さん(肝ねえ)、気取った娘、歴史問題で老師に怒鳴られた男、秀梅に心を寄せている男という異色の顔合わせであったが、
みんな俺の仲良しだったので昼間っからいい気分になった。

男3人で白酒を飲んだのだが、すきっ腹に白酒はさすがに効いた。
ドカベン君はうつむいてご飯をもくもく食べていたので
深刻な恋わずらいだなと思ってたら、
白酒で具合が悪くなったらしい。
トイレへ直行。

先に会計を済ませてたら、
秀梅がやってきてAA制(割り勘)だからねといって聞かない。
今日は俺が出すから次おごってくれと言ったが
もうすぐみんな卒業で次いつ会えるか分からないからと
みんなからお金を徴収し、渡してくれた。
学生にとって十数元は決して安くはないだろうに。

中国で割り勘をした経験はまずない。
誘った人がすべて持つのが普通だ。
割り勘をするのは盛華と外で食べる時ぐらい。
(メモをしておいて月末に清算している)

秀梅はしっかりとした子だ。
性格もいい。
姿かたちの女らしさよりも、内面から湧き出てくる魅力がある。
ドカベン君は女を見る目があるのかも。

午後は刀削麺を習ったのだが、ドカベン君は机に伏せてへたっていた。

夜、大姐がうちに遊びに来た。
旦那さんが中国を立つ少し前に熱を出してしまったみたいだが、
日本に帰ったらケロッと治ったんだって。
慣れない中国での生活で体の調子を崩したんだろうな。

明日は刀削麺の実技だ。
絶対習得するぞ!



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1月13日 木曜日


刀削麺を作る職人(イメージ図)

最近、昼休みは外に1人で出かけて飯を食い、
公園で日向ぼっこをしている。
ひとり物思いにふけってしまう。
いろいろひとりになって考えたいことがたくさんある。
その中にあの子がいる。
これって完全に恋わずらいだよな。

今日、学校の帰りにあの子を食事に誘ってみた。
快く返事をしてくれた。
なんか、突然大胆だったかな。

友達だったら食事に誘うのは普通だけど、
あの子は俺にとってすでに友達以上の人になっている。
歳の差とか考えてしまうけど、
好きなもんは好きとはっきり態度に出さないと
このままずっと一人のような気がする。
明日は当たって砕けないようにしよう。

今日は刀削麺の実習だった。
生地の塊を左手に持ち、専用の鉄板のようなもので削っていく。
太さや、長さはまちまちになってしまったが、
コツはつかんだ。
このまま練習を続ければ、何とか形になるだろう。


刀削麺用の刃



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1月14日 金曜日

午前中は桃花餅、カスタード椰子団子の実習だった。
我ながら成功した。
ココナツの餡がうまくて隠れてつまみ食いしまくった。

昼は、今日卒業する生徒たちと外で一緒に飯を食った。
食事会というかほとんど飲み会。
昼間っから白酒持込で、やる気満々の生徒たち。
ひとり一品注文して飲み食いしまくる。
きのこと肉のオイスター炒めは格別だった。

この仲間たちとはほんの短い間だったけれども
なかなか個性的で面白い人たちだった。
ドカベン君こと白蕾君も、秀梅も今日で卒業だ。
ドカベン君は家が遠いから卒業したら会う機会はあまりないだろうな。
秀梅は朝食に重点を置いた店を開くらしい。
他の生徒たちはとりあえず就職口を見つけるのが先決なので
遠い未来のことは考えてない様子だった。
みんな若くてやる気満々。
まずは卒業したと言うことで晴れ晴れしているようだった。

酒のにおいをぷんぷんさせながら午後の授業へ。
秀梅が酒を飲むことをあらかじめ老師に断っていたので
何も言われなかったが、
「おまえらくせ〜ぞ〜!」と、数人の生徒に言われたので
わざと息を吹きかけてやった。

授業が終ってから、クラスのみんなを集めて記念撮影。
パウロも今日で最後の授業だった。
あさってアルゼンチンに帰国する。
寂しくなるな。
ドカベン君、秀梅もいなくなる。

でも、これからあの子と一緒に食事が出来ると考えると、
心が何というか、満開気分だった。

西駅の待ち合わせ場所に行くまで、
ルンルン気分を抑えるのに大変だった。
顔がにやけてくる。

待ち合わせ場所に途中、あの子が俺のほうに歩いてきた。
新しいコート、そしてほのかに香水の香り。
俺のためにおめかししてきたのかな?

バスに乗ってピザレストランに行った。
開店時間までの1時間半、店の中に入れてもらって
雑誌を読んだりおしゃべりをしたりして過ごした。
思わず見つめてしまう。
スケベおやじだな〜俺って。

5時きっかりに店が開店すると同時に
腹が減ってた俺はピザ、パスタ、肉、サラダ、果物等々を食いまくった。
あの子は俺にソフトクリームやコーヒーを持ってきてくれた。
コーヒーは甘ったるかったが、
いままでで一番うまいコーヒーだった。

満腹になって店を出ようとした時、
あの子(玉さん)の友人から電話がかかってきて
一緒にカラオケに行くことになった。

待ち合わせ場所に行くと玉さんの幼なじみたちが待っていた。
みんな20そこそこ。
化粧が濃い女の子、おでぶ君、凛々しい顔つきの兄貴、ひょうきんな男、そして俺たち2人。
カラオケは遠いと言うことで
結局近くのビリヤード場に行くことになった。

ビリヤードなんて何年ぶりだろう。
いいところを見せてやろうと頑張ったが、
ルールすら忘れていた。トホホ。

みんな、じゃれあったり、ののしりあったり、大声で騒いだり・・・。
度が過ぎると兄貴が一言いってみんなを制する。
なんかいい感じの仲間たちだった。
日本と同じだな〜って言うより、
アメリカ青春映画のワンシーンを見ているような感じだった。

俺と玉さんはいい感じだった。
前に、付き合ってる人がいるといっていたが、
なぜか俺は気にならない。
自信がある。
だが、歳の差だけがやけに気になる。


麺点コースのみんなと
中央が老師、右が助手のマーリー、中段右がドカベン君、
赤い帽子が秀梅、後列左が半開き君こと韓君、
一番後ろがパウロ、前列左が俺です



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1月15日 土曜日


年末目玉映画の功夫

昨日は遅くまで遊んでいたので、
帰ってきたのが明け方になってしまった。
2時間ぐらい寝て、シャワーを浴びて学校へ。
スープの作り方を習った。

授業が終り、久々に以前住んでいた青年の家に行ってみた。
3ヵ月半ぶりの里帰りだ。
夏はあったビアガーデンも今はなくひっそりとしていたけど、
旅館の中に入ると
「久しぶりだね」
と小姐達が笑顔で迎えてくれた。
覚えてくれてたんだ〜。
感激。

管さんの部屋に行ってみると
髪が伸びた管さんがいた。
雰囲気が変わっていたので部屋を間違ったかなと一瞬思ったほどだ。
夏の時はいつも短パンにTシャツ、短髪姿で
裸の大将っぽかったんだけど、
今はちょっと痩せてしまってたかな。
風邪をひいていたらしい。
でも、話をしてみると前と変わらない管さんで
うれしかった。

彼はまず、連絡をよこさなかった俺に軽い説教。
元旦の時は一緒に飲もうと連絡をずっと待っていたらしい。
ごめん。
積もる話をしていたら李君が帰ってきた。
あの、霊感のある李君だ。
彼はビザの試験が近いらしくちょっと疲れていた様子だった。

俺と管さんとで旅館上の東北料理の店でウィスキーを飲みながら
語り合った。
中国での生活の中で困ったことなどを相談して
いろいろアドバイスを受けた。

分かったのは、日本人の俺が変だと思うことでも
中国では当たり前のことがたくさんあるということ。
中国を理解したつもりになるのはとても馬鹿げた事だということ。
同じアジア人ということで同質な部分を見つけだそうとするのは意味がないということ。
あくまでも俺は外国人だということ。などなど。

例えば、前に中国の友達から
いきなりプレゼントをあげるといわれたことがある。
俺は誕生日でもなんでもないのに
プレゼントをもらうのは慣れてないので
受け取らなかった。
なんか賄賂性があるものと疑ってしまったのだ。

しかし、中国では友人同士のプレゼントのやり取りは
結構頻繁に行われるらしい。
性別や季節に関係なく、
いいものがあれば大切な友人にプレゼント。
と言うのが当たり前とのことだった。

後は、中国にはこんなことわざがあるらしい。
「子供の時は親に頼るべし、大人になったら友に頼るべし」
俺から見ると自立できない情けないような感じがするが、
中国では人に頼るのが当たり前とのこと。
そういわれてみると、中国人からよく頼まれごとを受ける。
断ったり、ずうずうしさを感じて嫌になったりしたことがあったけど、
習慣を先に理解しておくべきだったな。
そうすれば何も相手を嫌いになる必要なんてなかった。

また、中国人は食事などの時、
おごると言う習慣があるが、
やはり、おごられっぱなしはよくない。
毎回、おごらなければ気がすまないというような人がいるが、
そういう時はせめて自分が出すと言うか、
次は自分がおごるからという誠意を見せなければならない。
中国人は面子を大切にしておごりたがるが、
台所事情はどこの国の人間も同じなのである。
おごってもらったら、
後でプレゼントを渡すというのもいい手なのかもしれない。
割り勘は状況に応じて。

管さんとおしゃべりをしてると、今までの疑問がきれいに解決していく。
血のビールの件も話してみた。
指を切って血を酒にたらして友の契りを交わすというのは
管さんも以前やっていたそうだ。
ただ、彼は仕事柄、外国人と接する機会が多く
少しは改革開放の影響を受けたのか
そのようなことはしなくなったのだそうだ。

話によると、この血の酒は高倉健映画の影響だそうな。

これだけ人口が多いと人の考え方も様々だ。
中国には13億の種類の人間がいるのだ。
疑うよりも先に、
人に相談したりして理解する方法を探っていく必要がある。

中国人を型にはめるつもりはない。
13億の人間がいれば、13億種類の考えがある。
ただ、習慣を理解することは重要だ。
管さんとの会話はとても有意義なものだった。
彼にとっても俺の疑問はとても面白かったはず。

店を出てから、管さんの仕事場へ。
「エッチビデオ見せるから来てみな」とのことだった。
行ってみると、
旅館近くの一等地。
オフィスビルの中に事務所があった。
狭い8畳ぐらいの
事務所だったが、眺めは最高!
すぐそばに賽特デパート、国際ビル、遠くには国貿が見えた。
裏には長富宮ホテル(ニューオータニ)がある。
家賃は月4000元(5万円)だそうだ。

AVよりも夜景に見とれていた。

旅館に帰ってきて夜みんなでフロントに集まり映画を見た。
春節映画で一番話題になっている”功夫”(日本名カンフーハッスル)だ。
DVDはまだ売り出されていないのだが、
ここ建国門一帯は海賊版がいち早く流通している。

張り切って見ていたが、途中で睡魔が襲ってきたので
部屋に入りぐっすり寝た。
あの時と同じ部屋だ。
暖房がよく効いていて暑いくらい。

「我在北京有個家」(私は北京に家を持ってます)
これは不動産屋の広告コピーだが
まさにそんな気分だった。
帰るところがあるっていいね。






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1月16日 日曜日

朝起きると、同室の人たちはチェックアウトした後だった。
トイレで管さんとバッタリ会うと顔色が悪かった。
やはり風邪で具合が悪いらしい。
心臓の具合が悪いらしく、
しきりに胸をさすっていた。
気をつけて!

8時過ぎに旅館を出てケンタで朝食。
午後の授業の時間まで西単の本屋で調理の本をあさった。
麺点、刀工、タレの本を買った。計122元。
最近、いつもの2倍のペースで金を使っている。
人付き合いも広くなってきたし、
身なりにも気を使うようになったのが原因かな。
まあ、有意義な使い方だからいいや。

午後の授業は、
出ました!アワビ、ふかひれ!
ふかひれ、なまこ、ホタテ、魚の浮き袋などが入った濃湯を使ったスープ、
濃汁鮑魚という、アワビのクリームソースがけ、
木瓜魚翅という、パパイヤの器に入ったふかひれの煮込み。

どれもこれもアワビ、ふかひれづくしで超豪華だった。
感想は、「うまい!」の一言。
でもこれはアワビやフカヒレそのものがうまかったわけではない。
スープなどの味付けがうまかっただけだ。
フカヒレなんて味なんてしないし、
ただ、コリコリしてきれいなだけ。
アワビはうまいにはうまいけど、これもコリコリしてるだけで
ツブの方が安いし旨いから好きだ。

夢にまで見たアワビとフカヒレってこんなんだったんだ〜、
と言うのが正直な気持ちでした。
贅沢かな?



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1月17日 月曜日

ドカベン君たちが卒業していったので
クラスの人数が一気に減った。
さすがに寂しい。

午前中は中華式ドーナツの実習。
しっとり系の生地の揚げバタードーナツは成功。
ミスドにも似たような味のがあったな。
あとは、桂花ジャムを入れた揚げドーナツ。
今日はどちらも成功した。

午後は4種の麺を習う。
ジャージャン麺、坦々麺、涼麺、ダールー面。
待ってましたと言う感じだった。

その中でも坦々麺がうまかった。
中国に来てから初めておいしい坦々麺に出会うことが出来た。
日本のそれとは全くの別物だけれど
辛味と胡麻の風味、ひき肉のうまみが調和していておいしい。

ジャージャン麺は味噌を使った本格派。
テンメンジャンを使うものもあるが、
地方によって違うらしい。

授業が終った後、
香港の李波(語学留学時代の友人)に電話をした。
6年ぶりに話をした。

6年間、メールでのやり取りは全くないわけではなかったが、
電話で話をしたことは全くなかった。
中国語が通じなかったらどうしようと言う不安もあったが、
久々の会話はスムーズにいった。

しかし、今日は三言ぐらいしか話せず。
途中できれてしまった。
向こうの携帯の金がなくなってしまったのだろう。
中国では携帯、固定電話ともに
電話を受ける側も同じ金がかかる。
しかも携帯はプリペイド式が主流なのである。

日本の友人から荷物が届いた。
水虫の薬と地球の歩き方香港版を頼んでいたのだが、
ダンボールの中にはカップラーメンなどの食料品や、
カイロ、靴下まで入っていた。
ありがとう!
夕食の時に送られてきた即席の味噌汁を盛華と飲んだ。
味噌汁なんて中国に来てから飲んでなかったので感激。
盛華も不思議な味がするけどおいしいといって飲んでいた。



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1月18日 火曜日


真剣な眼差し

午前中は涼麺と坦々麺の実習だった。
麺は機械で作ったので日本のラーメンの麺に近いものがある。
伸ばして作るラーメンよりもコシがあるのでうまい。

麺のゆで方、タレの調合は老師の前で一人一人作った。
少しでも間違うと老師の喝が飛んでくる。
韓君が、
「老師はしょっちゅう怒鳴るから怖いよ〜。」
と、小声で言ってきた。
いいやつなんだけど度胸がないんだよな。
ちょっと精神が不安定気味だ。
顔色もよくない。

趙さんは最近風邪をひいて休んでいたのだが、
久々に登校してきた。
顔が赤く、まだ熱が下がっていないようだった。

午後は餃子の作り方を習う。
前に楊老師から基本を教わっていたので
補習のような感じだった。
あとは皮の作り方と、包む速さが課題だな。

夜、李波に電話をした。
今度はうまくつながった。
大学の仕事や勉強が忙しいようで春節休みは1週間しかない様子。
実家の山東には帰らないらしいから、
俺も香港で年を越そうかな。


長寿麺を作る職人



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1月19日 水曜日

午前中は餃子の実習だった。
皮の作り方は褒められたが、
「大きすぎる!」とのこと。
老師は容赦なく大声で怒鳴る。

最初はムッとしていたが、
厳しい先生ほど学び甲斐があるというものだ。
外国人だからとといってチヤホヤされたらたまらない。
包み方は指の位置を細かく指導を受けて、
形よく作ることができた。
ありがとう老師。

午後は様々な形の餃子を習った。
金魚、セミ、トサカ型、白菜、ひづめ、帽子などの形をしたもの
計10種類を習った。
日本にいるときに、このような変わった餃子を見て
どうやって作るんだろうと疑問に思っていたのだが、
やっと謎が解けた。

でも作ってみると難しそう。
実際に老師が残した生地で白菜型を作ってみたが、
大根みたいになってしまった。
みんな生地を手に取り老師のを見本にしてもくもくと作り出した。
小学生との時のねんどあそびのようだ。
これは練習のし甲斐がある。

授業が終ってから香港行きの切符を買いに
家の近くの鉄道服務部へ。
そしたら、出発の3日前じゃなければ買えないとのこと。
予約も出来ないらしい。
確か以前は1週間前だったような。
無事切符が買えるといいな。

春節も近くなり、
西駅の切符売り場にはすでに長い行列が出来ている。
外にも70もの臨時窓口のプレハブが建てられていた。

夜は爆竹があちらこちらから聞こえてくる。
春節まで我慢できない〜!っていう感じだ。
北京では爆竹禁止なはずだが。

あ〜胸が痛い。
本当に好きになってしまった。
10歳以上も歳が離れているのにいいのか?
授業中以外はずっとあの子のことを考えてしまう。
今日電話しようと思ったけど、結局しなかった。
いい年して緊張してしまう。
まあ、熱を上げてもあと数ヶ月で別れる運命だ。
一線をしかないとつらくなるだけだよ。



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1月20日 木曜日


賞品や賞金はないが、やっぱり嬉しい

首都栄養美食技芸大会
金賞受賞!

先月の大会の楯をやっともらうことが出来た。
てっきり賞はもらえなかったものだと思っていたので、
なおさら嬉しい。
また一つ、努力が報われた・・・と言うかまぐれっぽいけど。


午前中は変わり餃子の実習。
手間はかかるし、うまく出来ないし、なかなか手ごわい餃子だ。
でも、作っててなぜか楽しい。
実際食べたらどんな感じなんだろう。
今日は、餡を入れずに生地だけで作ったので試食はなかった。

汽車の切符を再度予約しに行ったけど、
やっぱり3日前なのだそうだ。
並んでいる人の様子を聞いていたら、
汽車によって予約できるものと出来ないものがあるらしい。
予約制限の日数も便によって違うらしい。
ややこしいな。


俺作 花様餃子 カエルもあります




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1月21日 金曜日

中国での生活も折り返し地点を曲がり終わった。
明日から1ヶ月の春節休みだ。

この5ヶ月近くを振り返ると
たくさんの友が自分の前を通り過ぎていった。
初中級クラスの仲間たち、麺点の仲間たち・・・。
時には仲間との人間関係で悩んだりもしたが、
救ってくれたのも仲間だった。
ほとんどは習慣の違いから生まれる誤解で一人悩んでいたのだ。

この5ヶ月、たくさんの友人が出来た。
親友と呼べる友も何人かいる。
これは大きな収穫だ。
たぶん交友関係が今回の大きな収穫だろう。

その他の収穫はやはり調理技術だろう。
駆け足でここまで進んできたけれど
5ヶ月前と比べるとやっぱり多少なりとも進歩があったと思う。
あとは自分で経験をつんでいくのみだ。

この世においしい物はもっとたくさんあるはず。
楽しいことや面白いことももっとたくさんあるはず。
嫌なことや悲しいことも当然もっとたくさんあるのだが、
やっぱり、楽しく面白いことを探していきたい。
宝探しをして生きるべきだ。

昼、韓君と趙さん、軍隊出の同級生とご飯を一緒に食べた。
冗談をいいながら大笑いして
飲んで食って帰ってきた。
そして、明日の土曜日、韓君と趙さんと
一緒に動物園に出かけることに。

この世に宝物はまだたくさんある。
北京に来たばかりの頃は気持ちが下向きになってしまって、
宝を探す気力さえなかったけれど、
自分の気持ちの持ちようひとつで
キラキラするものを掘り起こすことが出来るんだなって思った。

なんとも楽観的な、幼い考え方かもしれないけれど、
そう生きた方が得だよな。
あまり深く考え込まず、
宝探しをするために生きる。
それでいいよな。

今日携帯を買った
最近学校の友人と連絡を取る必要が増えてきて、
わざわざ電話をしに外に出るのがおっくうになってきたし、
俺の友人たちも俺に連絡の取りようがなくて
不便を感じているらしいから。

デジタル式のモトローラ。
日本ではもう売ってないような古い型式だが、
通話とメールができたらそれでいい。

中国の携帯事情は日本とは少し違う。
大きく分けてデジタル式、CDMA、PHSの3種類があるところは
大して変わりはないのだけれど、
中国の場合はまず、
電話機を買う、
通信会社を選ぶ、
電話番号(ICチップ)を買う、
プリペイド式カードを買う。
と言う手順をふんで、初めて携帯が使える。

中国の携帯のメリットとしては
携帯一台でも、ICを変えれば様々な電話番号を使えて、
また簡単に通信会社を変えることが出来る。
通信料が安い。(1分約7円)
基本料金がない。
プリペイド式なので使いすぎが防げる。

デメリットとしては
携帯本体が高い(おれの買った一番安いのでも480元(約6000円)
電話を受ける側も通話料を払わなくてはならない。(固定電話も)
電話をする場所によって通話料が高くなる。

例えば俺の携帯は北京で契約されているから、
どこにいても北京経由でつながる仕組みになっていて、
上海から香港に電話をする場合は
上海→北京→香港と言うように電波が飛び、料金が高くなってしまう。
こういうときは上海で電話番号を買えば解決なんだけどね。

CDMAはまだ全土に普及していなく、電波も悪いとのこと。
PHSは北京でしか使えないとのことであきらめた。

機能はあまりついてないけど、
あと数ヶ月だからまあ、いいや。



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1月22日 土曜日


パンダって意外と目つきが悪いです

朝9時に家を出て、
10時前には待ち合わせ場所の中関村のバス停に着いた。
今日は韓君と趙さんと一緒に動物園に行くことになっていたのだ。
とても寒く、足は感覚がなくなるほどだった。

ところが10分待っても20分待っても2人はこなかった。
正直、中国人って時間にルーズなんだなと思い、
時間通りに来た自分があほらしくさえ感じた。

電話をかけようにも昨日買った携帯は故障してしまい、
電源さえ入らない。不良品か?
50分ぐらい待って、もしかして隣のバス停にいるかもしれないと思い
行ってみたが、2人は見当たらなかった。

昨日あれほど時間と場所を確認しあったのにどういうこと?
不思議に感じた。
やっぱり外国人と一緒に出掛けるのには抵抗があったのだろうか?
それともただ単に寝坊したのか。
でも2人揃って来ないのはおかしいよな。
なんて考えもした。

待ち合わせの時間から1時間経った11時、
帰る決心をした。
せっかく動物園に行くためにここに来たのにむなしかった。
トボトボと帰るためにバス停に向かっていると・・・、

いました!
韓君がひとりバス停に立っていた!

近づいて「遅いぞ!」と言おうとしたら、
向こうから「何やってんだよ!遅いぞ!」と先手を打たれた。
何がなんだかわかんなかったけど、
すっぽかされなかったという喜びでいっぱいだった。

彼が言うには
韓君と趙さんの2人は交差点を挟んだ向こう側の「中関村バス停」で
待っていたらしい。
しかも、韓君は9時30分から待っていて
趙さんも10時前には来て待っていたとのこと。

ところが俺がいくら待っても来ないもんだから
趙さんは怒ってしまい、
バスに乗って少し前に帰ってしまったみたい。
韓君もバスに乗って帰ろうとしたが、
100元札しかもってなくてバスのおばちゃんに乗車拒否され、
降りたところを俺が発見したと言うことだった。

まずは2人で大爆笑。
すぐに趙さんに電話をして戻ってくるように伝える。
俺と韓君はもうひとつの中関村バス停に移動して彼女を待った。
確かにバス停の看板には「中関村」の文字が。
同じ名前のバス停が隣り合わせで存在するってありか?

15分ぐらいして趙さんがやってきた。
そして3人で大爆笑。
「あんた何やってんのよ〜!ガハハ!」
「寒くて死にそうだよ〜、ガハハハ!」
「何やってんだろ俺たち、ガハハハハ!」

バスの中でも、怪訝そうに見る乗客を尻目に
大笑いして動物園に向かった。
きっとこの2人も俺と同じく、
「日本人って時間にルーズ、信じらんない!」
なんて思いながらバス停で待ってたんだろうな。

動物園に到着。
まずは入る前にレストランで腹ごしらえをした。
台湾料理ファーストフード店で
台式ジャージャン麺、湯包、中華バーガーを食べた。
ジャージャン麺は甘すぎず、クセのないタレで日本人の口にも合う味付けだった。
中華バーガーはほんのり甘いマントウで漬物、ばら肉の煮込み、
ピーナッツをはさんだもの。これもうまい。
マントウは歯にくっつくので、焼いたらどうか。


趙さんと中華バーガー

まずは3人でバーガーを分解し、どうやって作ったのかを討論した。
何の粉を使い、どれくらい捏ねて、どうやって形作ったか・・・。
俺たちは食べるごとにこんな調子で討論が始まる。
たのしい。

1時ごろから動物園に入り、
サル山、熊、象、キリン、チンパンジー、パンダ、蛇、亀、トカゲなどを見て回った。
その中でも一番面白かったのが猿だった。
まだ生まれて間もないようなテナガザルが
母猿と一緒に移動の仕方を練習していたのだけど
失敗してばかり。
それを見かねた父猿がすいすいと鉄棒を移動して見せたら、
小猿は一生懸命父について行こうとしていた。
動物って人間が手本にしなければならない生き物なんだな。



動物園の中を全部回ろうとしていたのだが、
途中で日が暮れてきた。
時間が足りなくて、半分ぐらいしか回れなかったのに、
みんな足がパンパン。
もう動けない状態だった。

その足で、今度は夕食場所を探してまた数キロ歩いた。
動物園の近くは高級なレストランが多く、
こういうときは困ってしまう。
安めのところを探してさまよっていたのだが、
空腹と疲労には勝てず、
結局高級なところに入ってしまった。

豚肉の煮込みに揚げ卵、鴨肉、海老、いか、筍が全部入った
五目あんかけ、
豚の胃袋とザーサイの炒め物、
キュウリの和え物、
ワーワ菜(小さい白菜で柔らかい)の炒め物。
&なんと白酒2本!

韓君は酒があまり飲めないので
白酒2本はほとんど俺と趙さんで空け切った。
京酒という38度の白酒は寒いこの季節、
体を芯から温めてくれる。

趙さんはおしゃべり好きでいろんなことを話した。
以前、衣類を売る店を経営していたのだが、
人に3万元(約40万円)を騙し取られ、倒産してしまった話など、
今までの苦労話から旦那さんの話などなどを話してくれた。

韓君は
「俺はダメだ・・・。意気地がないから・・・。」
なんていう陰気な言葉を連発。
今始まったことではないが、
趙さんに叩かれていた。

レストランを出て、3人とも千鳥足でバス停へ。
趙さんと手をつないでいったのだが、
彼女がバスに乗る瞬間、
唇が俺の頬に触れたような・・・。
いや、ただかすっただけなのか・・・。
かなり酔っていたから定かではないけど、
これもスキンシップの一環かな?

韓君はネットカフェで夜を明かすということで
先にバスに乗って帰ってきた。
年明けにまた飲もうということで別れた。
今日は本当に楽しい時間を過ごすことが出来た。


動物園にて 左から俺、趙さん、韓君



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1月23日 日曜日

携帯を買った店にもって行き、
調べてもらう。
電池を新しいものに換えてもらった。

香港行きの切符が買えた。
奇跡だ。
26日の夜、北京西駅発シンセン行きの寝台。
一番上の3段ベッドがひとつ空いてるだけだった。
香港のホテルを予約して、
李波にも連絡した。

これで香港に行ってビザの延長をすることができる。
まずはひと安心。



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1月24日 月曜日

携帯の電池を換えたものの、今度は充電できなくなった。
店に行って、今度は本体ごと変えてもらった。
こういうときは客のいる前でクレームを付けるのがいい。
今度は大丈夫だろう。

昼に玉さんにメールを出した。
驚くだろうな〜みたいな感じで返事を楽しみにしていたのだが
いくら待っても来なかった。
夜、再度メールを送ると
今度は、はね返されて戻ってきた。
電話をしてみると
「この電話番号は使われていません・・・」
のアナウンスが流れてきた。

昼に俺のメールを受け取ってから携帯を解約したと言うことか?
俺、なんか悪い事したか?

家の電話に直接かけてみると、
「誰?何の用?」
と、家の人に怒鳴り口調で言われた。
俺とわかって知らんぷりしたのかな?
いつもは俺の名前を言うとすぐに分かってくれるんだけどな。
ガ〜ン。
親に交際を止められたのだろうか?
沈む。
こんなに沈んだのは過去あまりない。
うわ〜、でもなんでこうなるの?

こうなるとは知らずに、
昼過ぎに大姐とテレビ塔に行ってきた。
北京の街は灰色だ。
俺んちも見えた。
俺んちの一帯は全て平房と呼ばれる長屋が連なっており、
そこだけ改革開放の波に乗り切れなかった
離れ小島のようだった。

テレビ塔を見学した後、
近くのレストランで飯を食って帰ってきた。
大姐の母親は高熱を出し入院中で、
まだよくならない様子。
この前は元気だったのにな。
早く良くなってください。


テレビ塔からの眺め
中央左が玲龍塔で、対岸のビルのないところが俺んちがある長屋地帯




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1月25日 火曜日

午前中、玉さんに手紙を書く。
原因を知りたかった。
何か俺に悪い所があったら直接言ってくれと。

昼に大姐から携帯に電話が来た。
俺の声が聞こえないみたい。
俺は大姐の声がはっきりと聞こえたんだけど。
もしかしたら玉さんも俺の声が聞こえなかったのかな?
そうだったらバンバンザイだ。
でもなんで携帯を解約したんだろう。
そんな事はどうでもいい。
まず、明日電話をして確認してみよう。
大切な人だ。

この役立たず携帯め〜!!

日本の友人にDVDを郵便局で送ろうとしたら、
レシートがなければダメだとのこと。
明日、建国門の国際郵便局に行って来よう。
そこだったらレシートはいらないとの事。
システムがよく分からん。



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1月26日 水曜日 香港へ


きっとこれもニセモノ・・・
※中国で携帯を買う時は多少高くても大きな電気店で買いましょう

朝起きて、公主墳の携帯屋へ。
電波のはいりが悪いようだ。
このクソ携帯!
店長に文句を言ったら、新しいのを持ってきた。
何度も確認したが、今度のは問題なし。
3回も変えてやっといいのが手に入った。
安かろう悪かろうとはこのことだな。
いい物を安く買おうなんて10年早いのかも。

建国門郵便局でDVDを日本の友人に送ってきた。
30枚ぐらいはあっただろうか。
船便で1ヶ月かかるとの事。
無事着けばいいが。

その後、前門で春物コートを買ってきた。
いくら北京が真冬でも香港は春。いや、夏かな?
ダウンジャケットを着ていっては荷物になってしまう。

部屋の掃除をしてシャワーを浴びていると
大姐が遊びに来た。
俺が今夜香港に発つので食事を一緒にしようとの事。
近くの食堂で京醤肉絲、肉団子と冬瓜、春雨のスープを食べた。
京醤は激うま。

大姐は日本にいるときに床屋を経営していたそうだ。
従業員に店の金をネコババされたのでクビにしたら、
訴えてやる!といわれたそうな。
でも大姐のほうが先に相手を訴えたら
その元従業員は和解を申し立てたそうだ。
異国での商売は難しいね。

家に戻って準備をした後、
22時ごろに西駅へ。
大姐も来てくれた。
たった1週間香港に行くだけなのに見送りはいらないと
何度も断ったが、
来ると言って聞かなかった。

これが中国人だ。
掴み取って離さない。
何でも掴む文化。
対して日本は撫でる文化。
当たり障りのないように心掛ける。

23時56分、北京を離れた。
列車の中は清潔で心地いい。
香港はどんなところだろう。
わくわくする。



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1月27日 木曜日

ただいま午後2時。
寝台列車に乗ってから、もう14時間ぐらい経った。
やっと半分ぐらいきたかな。
大姐がたくさんのパンや果物、ジュースをくれたので、
今それをバクバク食っている。

ゲリがひどい。
寝台の一番上なのでトイレに行くのが面倒だ。
はしごを降りるときは冷や汗モノ。
全神経をお尻に集中。

しかも、通路とベッド側が壁で区切られている新型車両で
降りずらい。
見通しもあまりよくない。

約30時間の列車の旅。
明日の早朝にシンセンに着く。
シンセンには2年ほど前に行った事がある。
その時は知人を頼って就職活動に行ったのだ。
前の会社も辞めて、まさに背水の陣で挑んだのだが、
自分の考え方の甘さを思い知らされて帰国した。

その当時、俺の留学仲間が上海で駐在員をやっており、
その友人がシンセンで日本人相手に職を紹介していたのだ。
その斡旋業者とは初対面であったが
快くマンションの一室を貸してくれ、
シンセンの日本人留学生や日本人会の人たちも
いろいろと応援してくれた。

俺も日系企業の面接に行ったり、
自分で五つ星ホテルを回り、
自分を売り込みに行ったりして頑張ったのだが、
すでに日本人がいたり、
変な顔をされて断られたりで散々な結果に終ったのだ。

ただひとつ、
人事の責任者が、いい回答をしてくれたホテルがあったのだが、
結局自分から断ってしまった。

自分の考えが煮詰まっていなかったのだ。
自分の中国語の能力を過信して、
語学を生かせる仕事だったら何でもいいなんて
安易な考えで中国にわたり、
いろんな人たちを巻き添えにしてしまったのだ。

これから最低でも数年、中国人の中で仕事が出来るか、
月給3万円(中国系ホテル)でやっていけるか、
日本に帰国した後の進路などを考えた時、
本当に怖気づいてしまった。
情けなかった。

ただ、あの時があるから今があると思う。
面接の時に履歴書を破られた時もあったし、
日本人客が多く泊まるホテルを飛び入りで回り、
「ここで働きたい。日本人いりませんか」
と言うのはとても勇気が要った。
あの一件で海外で生きてく度胸が少しはついたのかもしれない。
また、あのときの後悔や、くやしさがあったから
今度こそ!という決心がついて、今中国にいるのかもしれない。

俺にとってシンセンは苦い思い出の土地であり、
また、現地で力強く生きる日本人たちが印象的だった土地でもある。
漢字一文字で表すと"痛”だ。
明日の朝、今度はどんな印象を受けるんだろう。


午後8時。
さっき、玉さんに電話してみた。
「間違い電話です」
と、一方的に電話を切られた。
何度も俺の名前を言ったが、間違い電話だって。
腹立つ!

まあ、山あり谷ありだ。
また谷がやってきただけ。
また登ればいいことだ。

明日になればシンセンに着く。
ビザの延長が出来て、李波に会えて、うまいものが食えればそれでいい。




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1月28日 金曜日


初めての香港 九龍の尖沙咀駅近く

朝5時30分、シンセンについた。
前来た時はちょっと古ぼけた大きな駅だったが、
今は地下が新しくなり、地下鉄ももうすぐ出来るようだ。
まだ建設中だが、ガラスがふんだんに使われていて空港のよう。
湿気とカビ臭いにおいでクラッときた。
このにおいだけは前と変わってない。
前来たときよりも自分は少しは成長したと感じた。
進むべき方向がしっかりしているだけましだ。

暑かった。
Tシャツの上に直接薄手のコートを着てちょうどよくなるくらい。
北京では考えられない。

駅の案内板の通りに進み、
2ヶ所のパスポート検査などのチェックを通り、
香港側へ渡ることが出来た。
通路を通っていたらいつの間にか香港に来ていたという感じだった。

すぐに2万円を香港ドルに両替した。
銀行よりもレートが悪いのだけれど、しょうがない。
1万円=700香港ドルだったから元よりもちょっと少ないかな。

まずはオクトパスカードというSuicaのようなものを買い、
繁華街へ通じる電車に乗った。
小さいホームとこぎれいな電車。
スーツ姿のサラリーマンがたくさん乗っていて、
スポーツ紙を読んでいる。
日本と錯覚するところだった。

外の景色は山山山・・・。
香港に緑豊かな山々があるとは思わなかった。
電車の中はコロンの香りが充満していて、
女の人の肌がきれいだなって思った。
湿気のせい?

地下鉄を降り、ホテルのある九龍の尖沙咀へ。
出口を出ると、そこは100%香港だった!

あの道路に張り出したたくさんの看板。
しかも簡体字じゃない、繁体字で書かれている。
それと、たくさんの2階建てバス。
思わず喜びがこみ上げてきてニヤリとしてしまうほどだった。
外国に来た〜と言う感じ。
見慣れた大陸の風景とは全く違う。

宿泊先のチョンキンマンション(重慶ビル)はすぐ近くにあり、
ビザ手続きが出来る旅行会社もホテルの向かいにあったので
便利だった。

まずは李波に電話。
「来たか〜!」とテンションが若干高めの彼。
6年ぶりにもうすぐ会えると考えると、
うれしさ、恥ずかしさ、怖さが入り混じった気持ちになった。

・・・山東で初めて会ったのは俺が24の時。
なつかしいな〜。
当時、ルームメイトだった韓国人留学生と一緒に大学の教室に家庭教師を探しに行ったのがきっかけだった。

中国語を学ぶのに日本語は必要ないと考えていたので
英語学科の教室に行ったのだが、
積極的に俺に話しかけてくるのが彼だったのだ。

人なつっこい性格と、どこか俺の田舎にもいるような顔つきのため、
李波はめでたく(?)俺の中国語の先生になったのだが、
中国語と英語を交えた勉強は過酷なものだった。
だって、どっちもほとんど聞き取れなかったんだもんな(笑)。
そのうえ、発音には特に厳しく、
「何で中国人と同じ顔つきなのにこの発音が出来ないんだ!」
なんて怒鳴られたことも。

でも、その厳しさのおかげで俺の中国語はめきめきと上達していき、
先生と生徒の関係から親友の関係になったわけだ。
彼のおかげで交友関係も広がっていき、
前回の留学生活が成功したといっても過言ではない。

そんな李波は数年前に高校のときの同級生と結婚して
今は、ここ香港の大学で英語を学びながら講師もしている。
奥さんは広東の大学院に通っているので今回は会えないが、
3人で会って飲みたかったな・・・。


時間が早かったので先にビザの手続きをしに旅行社へ行った。
公安局では安く手続きが出来るようだが、
チェックが厳しいらしい。
高い金を払っても半年ビザがなんとしても取りたかった。

ここ香港では思ったよりも北京語が普及していないようだ。
最初に受け持ちをしてくれたお姉さんは
北京語が話せないらしく、おばさんにバトンタッチ。

「半年ビザをもう半年延長したいのですが」
「パスポート見せてください」
「はい」
「あんた、このビザもう切れてるじゃない!」
「はぁ?」

・・・一瞬血の気が引いた。

「2月の末まで大丈夫なはずですよ」
「ダメ、延長できない。あんたのビザは香港に来た時点で切れたのよ」
「じゃあ、どうすればいいんですか?何とかお願いします!」
「手続きしなおせばいいわよ」

・・・早く言ってくれよ!と思った。

しかし、やっとスムーズに事が進むと思ったらそうはいかなかった。
「あんた北京でなにしてんの?」
「調理学校で中国料理を習ってます」
「留学?あんたのビザ、留学ビザじゃないわよ」
「そうですよ。半年間の旅行ビザです。大学じゃないので留学ビザは取れなくて・・・しょうがなく・・・」
「あんたね〜、旅行ビザに半年のは無いの。あんたのは商用ビザよ」
「じゃあ、商用ビザで手続きお願いします」
「だって、あんた留学してんでしょ?仕事じゃないでしょ?仕事してなかったら商用ビザは取れないわよ」

・・・嫌な予感がした。

日本の斡旋業者は確かに旅行ビザだといってたはず。
てっきり、また旅行ビザが取れると思っていた。
ビザが取れなかった場合、
春節休みが終って半月後には帰国しなければならない。
もうほとんど学校で勉強することも出来ない。
血の気がサッと引いた。

「わかった。なんとかするから、学校の先生の名刺かなんかない?」

・・・あるわけない。

「困ったわね〜」
「何とかお願いします。ここでビザの手続きが出来なかったらもう勉強できなくなる。くやしい・・・。勉強しに来たんです。なんかいい方法ありませんか!お願いします!」

懇願した。

「じゃあ、半年ビザはあきらめて、3ヶ月の旅行ビザ取りなさい」

・・・3ヶ月ということは4月で帰国だ。
麺点の授業残り2週間と広東料理の6週間はぎりぎり間に合う。
妥協するしかないかなと思ったが、
食い歩きも出来ないままいそいそと帰国するのは嫌だと思った。
玉さんと少しでも長くいたかったというのもあった。

「何とか半年ビザを取れる方法はありませんか?」
おばさんは黙り込んだ挙句、上司に相談に行った。
上司はチラチラとこっちを見ながら困った顔をしていた。
とても時間が長く感じた。

ドキドキしながら待っていると、
おばさんは笑顔で戻ってきた。
この時、やっと息を吐くことが出来た。
「何とかするからさ」
このおばさん、頼りになる。上司を説得したらしい。
「本当は半年ビザの手続きをするときは名刺がいるんだけど、それは何とかしておく。ただ、大陸に帰る時は絶対に留学してるって言っちゃダメよ。先生してるっていいなさい。分かった?」

おばさんに何度もお礼を言って旅行社を後にした。
ビザが出来るのはあさってとのこと。
おばさんありがとう!

香港での任務がひとつ終って、ほっとした。

李波に会う前にチョンキンマンションにチェックインした。
このでかくて古びたマンションの中には
たくさんの安宿が入っている。
俺が予約したのはウェルカムゲストハウスだ。
建物の前には黒人や白人がたむろしていて、
なんか物騒な雰囲気だった。

中には民間の両替屋や雑貨屋があり、
2つしかないエレベーターには行列が出来ていた。
ここの宿泊者はほとんどが黒人系みたい。
数人でたむろしているのでちょっと怖かった。
どこの国の人でも、たむろしているのを見ると怖くなる。
中国にいる日本人も然り。

7階にあるゲストルームに行くと、
主人のおじいさんが迎えてくれた。
27日に予約を入れてしまってたので、待っていた様子。
(列車の中で訂正の電話を入れたが、北京語が小姐に通じなかった)

まずは、主人とお茶を飲みながらおしゃべりをした。
昨日は江沢民の前の主席(趙紫陽)の告別式があったため
自然に政治の話になった。
主人は共産党に賛同していないらしい。
民主的でないとしきりに批判をしていた。

趙紫陽は天安門事件の責任を取らされて失脚した。
学生との対話を試みたために問題が大きくなったと言われたのだ。
彼は民主的な書記長だったと言えるだろう。
今でも彼を慕う庶民が多いため、葬儀は物々しい雰囲気の中執り行われた。
ただ、元主席にしては質素な葬儀だったらしい。
反逆のレッテルを貼られた彼の後世はどんなだったんだろう・・・。

主人と政治の話をしたり、香港の名所を教えてもらった。
なかなかいい人だ。
その上、120香港ドルの部屋はシャワー、トイレ共同だが、
ワンランク上のシャワートイレ付きの部屋をあてがってくれた。
このホテルに決めてよかった。

主人とのおしゃべりが楽しく、
李波との待ち合わせに遅れるところだった。

待ち合わせの香港芸術館に向かうと、
交差点で道を聞いている男がひとり。
もしや・・・と思い目を凝らしてみると、やっぱり李波だった。

「李波〜!」
と、大声で呼ぶとすぐに俺と気づいて大笑いしていた。
俺もつられて大笑い。
握手をして再会を喜び合った。

人のことは言えないが、ちょっとふけ顔になっていた。
俺は顔から性格まで全然変わってないとの事。
少しは変わったって言われたかったな・・・。

いろいろ思い出話や、最近の話をしながら名所を回った。

まずは腹ごしらえに吉野家へ。
俺が和食が食べたいだろうと思ったらしく、
李波の方から入ろうといってきた。
鶏の照り焼き丼を注文。
味はまあまあ。

李波は香港に来る前に広州で大学院に通っていた。
北京に帰る前に広州で飲茶をしたかったので
広州の治安をきいてみた。

するとおもむろにカバンを見せてくれた。
厚めの布で出来たカバンなのだが、
ナイフのようなもので切られた跡がある。
以前、広州の食堂で奥さんと食事をしていたら、
後ろから誰かがナイフで切って中の物を盗もうとしたらしい。
気づいたときは切り口から財布が半分出ていたそうだ。
でかい財布でよかった〜、なんていっていた。
こわ〜。
一発で広州行きの話はなくなった。

俺も中国でそういう目にあったことはある。
99年にチベットに行った帰りに寝台バスに乗ったのだが
西寧に着いたらバスの上に乗っけていたザックが丸ごとなくなっていたことがあった。
地元警察にも協力してもらったが、見つからず。

あとは数年前、シンセンの街中をぶらついていたら、
後ろから何者かが俺のリュックを開けていたとか・・・。
気配を感じで振り向いたら、逃げていったのだが、
中には鼻をかんだ後のティッシュしかなかったのでセーフだった(笑)。

海外では慣れてきたときが危ない。
危機感を持続して行動することが大切だ。
ここ香港でも例外ではない。
気をつけていこう。

照り焼き丼を食べながら
結婚生活の話や、山東の話をして盛り上がり
観光地めぐりに向かった。

→星光大道(アベニューオブスターズ)
海端にある散歩道のようなところに香港スターの手形などがある。

→フェリーで香港島へ

→ピークトラムにのってヴィクトリアピークへ。
100万ドルの夜景を楽しみにしてたんだけど
小雨で霧が濃く、少しの光も見えなかった。残念!
李波に
「お前には福がついている」(雨男の意味)
と嫌味を言われた(笑)。
今年の香港は日照り気味らしいのだが・・・。

→2階建てバスで蘭桂坊というバー街へ。
オープンバーが乱立していて客のほとんどが欧米系。
タイ料理の店で海鮮あんかけ丼を食べてきた。
ビール1缶30元(約400円)にはびっくり!
あらためて北京との物価の差を思い知る。


蘭桂坊 サラリーマンが多かった 

飯を食って、いい時間になったのでもう一回会うことを約束して李波は帰っていった。
寮まで1時間ぐらいかかるらしい。

6年ぶりの再会だったが、
そんなにブランクがあるとは思えないほど
普通にいれた。
不思議だな。

ここ香港では北京語が通じないことが多いので
英語を話せる彼がいて助かった。
テレビでもほとんど北京語は聞こえてこない。
英語か広東語だ。
字幕で北京語が出てくるくらい。

明日は歩き回ってまず香港の地理を把握しよう。


チョンキンマンション 九龍城を彷彿とさせる雰囲気だった


こちらが李波 九龍公園にて




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1月29日 土曜日

やけどをした。
重症だ。
ついてない・・・。
香港に来て一日目、とんだ災難に遭ってしまった。
左手の指が3本、風船のように膨れている。

昨日の夜、テレビを見てからシャワーを浴びたのだが、
湯沸かし器から熱湯が噴き出してきたのだ。
本当についてない。

古びた湯沸かし器だったのだが、
使い方を誤ってしまった。
ノズル側を閉めてからお湯の元栓をまた開けてしまったので
ホースが破裂してしまったのだ。

ホースが破れてすごい音を立てて熱湯が噴出した時は
一瞬何が起きたのか分からなかった。
ノズルは蛇のようにくねくねとシャワールームの中を踊りだし、
ノズルの付け根からは蒸気とともに熱湯が噴き出してきた。
とっさにタオルで押さえつけたのだが
どうにも出来ずにシャワールームから飛び出した。
左手が熱いと気づいたときは
タオルを持った手の皮がすでにただれていた。

思い出すだけで鳥肌が立ってくる。
深夜2時をすでに回っていた。
何とか湯沸かし器の熱湯を止めて
ひたすら手に水をかけた。
水から手を出すとすぐに我慢できない痛みが襲ってくる。
あんなに痛いのは生まれて初めてだった。
皮をはいで、砂をガリガリと擦りこんだ感じ。

夜も遅いし、水が手放せなかったので
朝になったら主人に助けを求めることにした。
ゴミ箱に水をためて床に置き、
左手を浸しながらベッドに横になった。
でもすぐに水はぬるくなり、激痛が走る。
一睡も出来なかった。

朝8時ごろに睡魔が襲ってきて、
目覚めた時には刺すような痛みは引いていたが、
指の皮は膨れたまま。
水ぶくれだ。

10時ごろに起きて下の階のフロントへ。
手を見せると小姐はさすがに驚いたようだった。
当たり前だよな〜。
自分でもめまいがするくらいぞっとする手だ。
「what's happend?」
と心配そうな顔をして聞いてきたので
「シャワー・・・ホットウォーター・・・」
と言うと、意味は分かったみたいだった。

「主人に電話をしてすぐにきてもらうから、部屋で休んでて。」
そう言う彼女は俺よりも動転していた。
違う部屋を用意してくれ、しきりに心配してくれた。

部屋でうとうとしていると手の痛みはいつの間にかなくなり、
やっと安心できた。
病院に行く必要もないらしい。

ベッドの上で休んでるときに、
中国に来る前に祖母に言われたことを思い出した。
「お前の今年の運勢はいいが、火傷に気をつけろ」

授業中、火を使うときは注意を払っていたのだが、
まさか、シャワーのお湯で火傷するとは思ってもいなかった。
祖母の言った通り、
旧正月を迎える直前、つまり今年のうちにやけどをしてしまったのだ。

こうしちゃいられない!限られた香港での時間をベッドの上で過ごしたくない!ただの火傷じゃないか!
と我に返り、出掛ける準備をしてフロントに行った。

フロントには帰ってきたばかりの主人がいて、
俺の手を見るなりしきりに謝ってきた。
漢方の塗り薬を綿棒で塗ってくれ、
太極の形をした石でできたお守りをくれた。
もう少し早くこのお守りを渡しておくべきだったと、
最後まで謝り通しだった。

火傷は災難だったけど、
助けてくれる人、心配してくれる人がいてよかった。
病院にいこうといってくれたけど
「ちんちんは無事だったから大丈夫」
と、訳のわかんないことを言って何とか二人を安心させた。

その時は冗談で言ったのだが、
股間に熱湯がかからなかったのが不思議なくらい。
手のほかには腹の部分が赤くなったくらいですんだ。
アソコまで水ぶくれになったらたまったもんじゃない。

チョンキンマンションをでて、食べ歩き開始。
まずは近くの食堂で上海ラーメンを食べた。
毛湯スープにスペアリブの唐揚が乗っているラーメンだったが、
味が薄くていまいち。
食べてる最中にふと、
「何で香港に来て上海ラーメン食ってんだ?」
と、我に返った。
昨日眠れなかったせいで頭が朦朧としてたんだろう。

次は漢方の店で川貝枇杷膏という
咳を止める効果のある漢方ゼリーを食べた。
前に見た香港ドラマで川貝枇杷甘湯というスープを
主人公が飲んでいたので試してみたかったのだ。
甘湯ではなかったけど、効果てきめん。
北京にいるときから続いていた咳が不思議と出なくなった。
30ドルと高めなうえに苦かったけど、
大満足。


川貝枇杷膏 黒蜜をかけて食べる

食事の後、九龍公園でひと休みした。
緑が生い茂り、南国の鳥たちのさえずりが聞こえてくる
とてもいいところだ。

ベンチに座っていると、フィリピン系の女の人が俺の隣にやってきて
「どうしたの?その手」
と、いきなり聞いてきた。

片言の和製英語で、身の上話をしていたら、
彼女の友達が隣のベンチから俺の隣にやってきた。
不自然な登場の仕方に疑問を感じた。
暗い感じの彼女はいきなり日本語で話しかけてきた。
「パパがいなくなっちゃった。日本のパパ」

俺はてっきりそっちの”パパ”だと思い、
「新しいの探しな」
と言ってしまったのだが、
話によると、実の父親が熊本出身の日本人で
彼女が小さい時に日本に帰ったっきり連絡が取れなくなってしまったとの事だった。

これまでの苦労話を聞かされたが俺にはどうすることもできない。
何も要求してくることはなかったが
あまりにも話ができすぎていたので、忙しいからといって立ち去ってきた。

「夜会えるか?部屋に行っていいか?電話してね。」
と、彼女は番号の書いたメモを最後にくれた。
なかなか手の込んだ誘い方であったが、
俺はそれどころではない。
お姉さん方をつまみ食いするよりも、
俺は食べ歩きがしたいのだ!

九龍公園を後にして、油麻地方面に歩いた。
歩くにつれ、古いビルが多く見られるようになり、、
それに比例して道路に張り出した看板も増えていく。
俺の香港のイメージにぴったりのところだった。


油麻地近辺の裏通り

廟街に入り、占い屋、仏具屋などの怪しい店が立ち並ぶ通りを抜けると
調理用品の店が3〜4軒ほど連なっていたので立ち寄ってみた。
中華、麺点の用具などがずらりと並び、
欲しい物だらけだったが、まずは寿司を作るすだれを買った。
北京に帰ったら巻き寿司を作って食おう。

適当に裏道を歩いていると、
倉庫のような大きい食堂を発見。
中に入ると、屋台がたくさんありアジアンチック。
アサリのオイスター炒めとビールを注文した。
味もいけたし、少し小汚い雰囲気もなかなかグッドだった。




食堂内部と、アサリのオイスター炒め

ガラクタ市を過ぎると、
義順牛乳公司という変わった名前の喫茶店があったので入ってみた。
結構この近辺には支店があり、牛乳プリンが売りの様だったが、
木瓜牛乳(パパイヤミルク)を注文。
濃厚な果汁と牛乳の味。
青臭さが気になったが、一気に飲み干して店を出た。

大きな通りよりも裏道の方が下町的で好きだ。
生活の匂いがぷんぷんする。

海側の星光大道に戻ってきて香港島の夜景を見に行くと
光のショーをやっていた。
春節が近いので各ビルには縁起のいい絵柄の電光が飾られていて
ビルの屋上からレーザー光線が音楽にあわせて動いていた。
天気が悪く、ビルに雲がかかっていたがすばらしく綺麗だった。
ちょうどいいタイミングに感動。
よく見ると、ビルの屋内の電気も音楽にあわせてチカチカと点滅している。
係員が部屋の中でスイッチを点けたり消したりしているのだろうか?
まさかな〜。
でも、なんと大掛かりなショーだろう。

最後は「ようこそ香港へ!」のアナウンスで終わり、
あちこちから拍手歓声が沸き起こった。
香港ってすごいな〜。
世界有数の観光都市というだけの事はある。
こういうのは日本もお手本にすべきだろう。
きれいなだけじゃなく、人も礼儀正しいし、下町もたくさん残っている。
物価も日本よりは安いしね。

ホテルに帰ってきてから、李波に電話をした。
今日は広州から友人が遊びに来て、
一日中案内して回ったから疲れたといっていた。
2日連続の案内ご苦労様。

火傷の痛みは全くなくなったが、
水ぶくれが大きくなってきた。
こういうときは潰さないほうがいいんだよな。
でも、いつになったら腫れが引けるんだろう。

旅行社に行って、帰りの切符を買うことができた。
個室寝台しか空いてなかったが、帰省ラッシュの最中に買えたなんてラッキーだ。
安い寝台よりも500元高い930元だが北京まで直通だし便利だ。
飛行機は1500元らしい。


香港島の光のショー 宝石のようだった



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1月30日 日曜日

10時起床。
ぐっすり寝れた。
ホテル近くのマカオ茶餐庁で朝食を摂った。
このレストランの前にはいつも行列ができていたので
気になっていたのだ。

港式早餐(香港式朝食セット)と言うのを注文。
香港の人たちはどんな朝食をとってるのか楽しみに待っていた。
しか〜し!
出てきたのは日清(?)チキンラーメンの上に
カレー味の手羽元の煮込み2本がのってるのと、
目玉焼き、
ココナツクリーム入りロールパンひとつ。

まさかインスタントラーメンが出てくるとは思ってもいなかった。
味はそれなり。
値段も安いわけではなく、ちょっとがっかりした。

でも、一緒に注文したマカオミルクティーは
濃い目に入れた紅茶と濃厚なミルクの味で、
大人の味といった感じでうまかった。

後で吉野家の前を通った時に気づいたのだが、
午後のメニューの中に出前一丁牛肉麺というのがあった。
名前の通り、日清出前一丁のうえに牛丼の具がのってるやつだ。
軽食として、インスタントラーメンを店でだすのは普通らしい。
トリビアの泉に投稿できそうなネタだな。

その後、フェリーに乗って香港島へ。
今日も小雨交じりの天気だったので800メートルエスカレーターに向かった。

フェリー乗り場で法輪功の人が活動をしていた。
北京でこんなことをやってたら即拘束されてしまう。
彼らはビデオで江沢民がいかに国民を苦しめていたのかを流していた。
大陸では考えられないことだ。
ポスターもたくさん貼られたままなので、
香港政府による規制はないようだ。
活動は自由らしい。

李波も言っていたが、
香港の人たちは中央政府に対して少なからず反感を持っているらしい。
そういう世論が法輪功の活動を自由にしているのだろう。


法輪功の活動

800メートルのヒルサイドエスカレーターは
ビルの谷間を縫うような形で高台までをつなぐ
生活に密着したようなところだった。
朝は通勤者のために下向きに動き、
その他の時間は上に動いているらしい。
途中、恋する惑星という映画のロケに使われた場所があるとの事だったが、
どこか分からなかった。


ビルの谷間を縫うように通るヒルサイドエスカレーター
(左)

古いビルの間を上まで行って見たけど特に何もなかったので
階段を下ってハリウッドロードまで降りてきた。
骨董屋などが連なるこの通りは
ちょっとおしゃれな通りだった。

途中で生ジュースの店によってオレンジジュースを飲んだ。
じいさんがその場で絞ってくれたジュースは
酸っぱくなく、甘すぎず、すっきりした味で、
パック入りの100%ジュースとは雲泥の差だった。

その後、香港で一番古い寺院とされる文武廟でお参り。
文字通り文武の神様を祭っているのだが、
まずは香港での無事を祈った。
渦巻状の線香がたくさんつるされていて独特な雰囲気だった。


文武廟の内部

ハリウッドロードから下のほうに下ると、
乾物屋が連なる通りに出た。
フカヒレ、ツバメの巣をはじめ、海老、カキ、魚、ソーセージなどの乾物がずらりと店頭に並んでいる。
500グラム60元の干し牡蠣を買ってきた。


近くに庶民的な点心屋があったので
カズタードまんやマーラーカオなどを食べてきたが、
冷凍食品の安っぽい味がした。
手作りの本場の飲茶が食べたい。

その後は李波の大学で会う約束をしていたので
地下鉄とバスを乗り継いで郊外にある嶺山大学へ。
周りは緑があふれるベッドタウンといった感じで
中心街とは一風変わった小ぎれいな所だった。
しかし、郊外とはいえ、40階建てぐらいのマンションが林立していた。

李波の仕事場(講師室)で少し話をしてから、
近くのショッピングセンターにある広東料理の店で夕飯を食べた。
ホタテのニンニク蒸し、
里芋とベーコンのホワイトソース煮込み、
鶏の丸焼きを注文。
ホタテはぷりっとしていて、
鶏はカリッとしていて中はジューシー。
火加減が難しいんだろうな。

帰りに、スーパーで本場の冷凍点心を買ってきて、
李波の宿舎でチンして食べた。
手作りにはかなわないが、
以前の会社で輸入した点心に比べるとおいしかった。
海老シュウマイはニチレイのに似た味だったので
香港の点心は北京のよりも日本人の口に合うのかもしれない。

彼の寮は結構広くて新しい2人部屋だ。
月に8000元の奨学金をもらい、部屋代は無料で、
節約をすると3000元は貯金できるそうだ。

俺の手を見てしきりに心配してくれた。

奥さんと離れて暮らしているので寂しさを感じるらしく、
毎日、寝る前の電話は欠かさないらしい。
早く子供作りなと言ったら、
「お前が結婚もしてないのに子供なんて作れるか。」
と、冗談を言われた。
6年前よりも、返し方がうまくなってきたな・・・。

次は日本で会おうという約束をして李波と別れた。
(日本旅行の懸賞に応募しているらしい)
6年のブランクを全く感じさせない再会だった。
次会うときも自然体で再会できればいいな。

23時ごろホテルに帰ってきた。
相変わらずアフリカ系の人たちが大勢玄関の前でたむろしていたが
この光景にもなれた。
香港はまさに人種のるつぼだ。


チョンキンマンション ネイザンロードに面しているので深夜でもにぎやかだった




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1月31日 月曜日

朝9時に起床してホテル近くの鴻皇海鮮酒家で飲茶を食べてきた。
かなり高級な雰囲気で入るのを躊躇したくらいだったが、
ここの飲茶は全て手作りらしい。
蟹味噌ショウロンポー、
海老餃子、
カスタードまん、
チャーシュー腸粉(澱粉の生地でチャーシューを巻いたもの)
チャーシューとパインのパイ皮包み、
蟹の形をした揚げ餃子、
を注文した。

15分ほどたった頃から次から次へとセイロがテーブルに運ばれてきた。
ちょっと時間がかかったが、冷凍物を使ってない証拠。
ショウロンポーは客の前で調理師が包んでいた。
まずは蟹味噌ショウロンポーが出てきた。

店員がセイロのふたを開けると湯気が立ち上り、
これぞ点心といった感じだった。
だけど、信じられないことにセイロの中には小さなショウロンポーがぽつんと一個だけ。
思わず「一個だけ?」と聞いたが、無視された。

これ一個で20元?ということは300円?
でも騙されたつもりで食べてみたら、確かに300円の価値はあった。
黒酢と生姜をのせて皮をかじると中から肉のスープと蟹味噌が入り混じった黄色いスープが出てきて、よだれも出てきた。
濃厚な味。
塩加減も絶妙で、ぷ〜んと蟹味噌の香りがしてくる。

しかし、一口で食べ終わってしまった。

次に出てきたのは海老餃子。
これは4つ入っていたのでひと安心。
質より量を重視する貧乏癖が抜けてない。

透き通った皮から海老の紅色がうっすらと見えるところが食欲をそそった。
一個の餃子に4つぐらいの大きな海老がはいっていて、
驚くほどプリッとしていた。
昨日の冷食もまあまあだと思っていたが、
さすがに大違い。
感動。

チャーシューとパインのパイ皮包みはいまいち。
メロンパンの生地のようなもので餡を包んで焼いたもの。
歯にくっつくし、甘かったので俺の好みではなかった。
酢豚のパインが好きな人にはいいかも。

腸粉は薄いツルンとした生地でチャーシューのみじん切りを巻いて蒸したもの。
特製醤油タレをつけていただく。
チャーシューに脂身があったらもっとおいしいだろうな。

カスタードまんは濃厚なミルク味でココナツも入っていた。
今まで食べたカスタードまんの中では一番だった。

蟹の形をした揚げ餃子は
形を参考にしたかったので注文した。
味のほうはまずまず。
餡に蟹を入れて欲しかった。

ほとんど完食。
本場の点心はやはりちがかった。
特に、海老のプリプリ感が忘れられない。
あとはショウロンポーのスープの味、
大きなセイロに一個だけという演出(?)。
カスタードの濃厚な味もよかったな。
かなり満腹になり、大満足だった。

会計をして、店員が皿にお釣りを持ってきたので
紙幣をまずとったら、残りの小銭は何も言わず持ち去っていった。
唖然。
これがチップというものか?
初めての飲茶はいろんな意味で驚きの連続だった。


カスタードまんと海老餃子

そのあとは船で香港島に渡り、ビクトリア公園を見てきた。
南国の植物が生い茂っていて、まさにオアシスといった感じ。

コーズウェイベイというところに義順牛乳公司があったので
そこで牛乳プリンと生姜プリンを食べてきた。
あまり期待はしていなかったのだが、
激うまだった。
牛乳プリンは上に膜が張っていて、なんともいえない濃厚な味。
プリンというよりも絹ごし豆腐のように柔らかく、
本当の搾りたての牛乳をそのまま食べている感じ。
ゼラチンは使ってない感じだった。

生姜プリンは牛乳プリンにしょうがの風味がきいていた。
なかなかの味。
冬はみんな温かくして食べるみたい。


義順牛乳公司 ショーケースにプリンが積まれている


牛乳プリン うっすら膜が張っている

店を出て少し歩くと、デザートの店があった。
マンゴーココナツ黒米カキ氷なるものを試してみた。
ココナツミルク風味のカキ氷の上にマンゴーが乗っていて、
底の方に黒米があった。
カキ氷自体はおいしかったが、黒米は普通にご飯の味がしてミスマッチな感じがした。
香港ならではの甘味を食べることができてまずはよかった。

茶碗に入ったプリン2個と皿に盛られたカキ氷を食べたので、
歩くと腹の中でダップンダップンと波打っていたが、
今日は天気が幾分よくなってきたので
ヴィクトリアピークにバスで登って夜景を観賞してきた。

この前よりも見晴らしはよかったのだが、
頂上はもやがかかって100万ドルの夜景とまではいえなかった。
恋人たちや家族連れの観光客を尻目にしばし見とれていたら、
写真を次から次へと頼まれて、浸る時間もなかったよ(笑)。
でも、楽しかった。
韓国人や、台湾から来た人が多かったな。

夕暮れ前の山頂より(Quick Time)


ホテル近くに帰ってきて、食堂で海老ワンタンメンを食べた。
女主人が俺のやけどをした手を見て、
「あらまぁ、あんた動物性のものは食べない方がいいよ」
とのこと。
でも、食べたくてしょうがなかったので強引に注文した。

この海老ワンタンメン、絶品。
極細の麺がプリプリしていてまるでえのきだけを食べてるような食感。
ワンタンはピンポン玉ぐらいの大きさで、
コショウのきいた肉餡の中に大きな海老が2つ入っていた。
プリプリした食感がたまらない。
これで19元は安い。
やっと出会えた!という感じ。
強引に注文した甲斐があったよ。
明日も食べてみよう。



ヴィクトリアピーク(大平山頂上)からの夜景


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