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中華への道!ダイアリー

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2004年10月




10月1日金曜日


林檎の飴からめ

今日は国慶節にもかかわらず授業があった。
バースーピンゴー(林檎の飴からめ)を作った。
飴に粘りを出すために、砂糖の炒め具合が難しい。
試しに伸ばしてみたら教室の端までビョ〜ンと伸びた。(10m位)
さめるとおいしくないけど、ミルクとカラメルを使えば冷めてもおいしいのでは。

午後の冷菜の授業では野菜のスライスを使って皿の上に絵を描いた。
手前にはきゅうりの松の葉、奥には大根とにんじんの岩山、
にんじんの夕日、きゅうりの鳥、にんじんの雲。

根気の要る作業だった。

祭日だということで3時に授業が終わる。
帰りに天安門でバスを降りて、旅館のある建国門まで歩いてきたが、
人、人、人で疲れた。

夜、管さんが連休を利用して田舎に帰っていった。
最初は日本語を教えるのが面倒になった時もあったけど、
彼がいなかったらノイローゼになっていたかもな。
とても大切な相談係です。

シャワーを浴びている時に腿のあたりに無数のあざが出来ているのを発見。
いつ虐待されたんだろう?病気かな…。




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10月2日 土曜日


故宮と天安門広場

今日は学校が始まってから初めての休み。
ネットバーに行ってメールを送ってから歩いて前門へ。
寒くなってきたので服を買おうとしたが
明日引っ越すので物を買うのをやめた。
でも革靴が安かったので買う(30元)。
実習の時、油がこぼれた時のために革靴を履かなければならない。

今日は国慶節ウィークのためにいつもの週末の10倍ぐらいの人出だった。
面愛面という日本ラーメン屋でとんこつラーメンを食べる。16元也(約200円)。
味はまあまあだったが、ダイエーのフードコートで食べるようなちょっと軽めの味だった。
しかし、値段が高い割には混んでたな。

隣のカップルはカレーとラーメンとサラダを食べていた。
金持ちかな?休日だから彼氏が出血大サービスしたんだろうな。

前門のメイン通りから少し横に入ると昔ながらの雰囲気の通りがある。
手付かずのまま残っているといった感じ。
そこでまずい水餃子を食べ、日が沈むのを待って天安門広場へ。
50万人収容できるという広場は人でいっぱい。
今日は20万人位はいたんじゃないかな。



建国55周年という事でいつもよりも賑やかな様子。
今年は広場の中心に噴水と花畑、周りには神船(ロケット)の模型や
山水の世界の飾りがあり、電飾も派手だった。
6年前の国慶節の時に天津から自転車で来たことを思い出ししみじみとする。

たくさんの人が凧をあげていて、みんな笑っていた。
俺もあんなふうに笑いたい。

バスで帰ってきて旅館仲間の李君と飲む。
映画や、夢のはなしをしていたらいつの間にか午前1時だった。
4時間ぐらい話していたんだな。
なんか酒を飲まないとここを離れるのが寂しくて、ちょっと飲みすぎた。
部屋に帰ると新入りが2人来ていた。


祝日の天安門広場

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10月3日 日曜日

朝遅めに起きて引越しの準備。
1ヶ月、ここでいろんなことがあった。
いろんな人たちと出会い、別れ、寂しくてつらい時は管さんに愚痴をこぼしたり…。
本当になんか周りの人たちに支えられてやって来れたという感じ。
4人部屋でプライバシーが無くてやだなと思っていたが、
いつも誰かが近くに居たからやってこれたような気がする。

旅館の小姐たち、近くの食堂、毎日通った道…。
いい所だった。
昼は李君と飯を食った。
またビールを飲んでしまった。
それから一緒に俺の新居に来てくれた。

地下鉄とバスを乗り継いでいったのだが、
地下鉄に乗っている時、途中の駅で李君が突然降りようといってきた。
乗り換える必要も無いのに何で?と聞いたら、
なんと地下鉄の車両の中に霊気を感じたんだって。
そういえば、具合悪そうにうずくまっている女の人がいたな。ぞくっ。

新居は公園と河の近くの長屋。
レンガ造りの外観は物置みたいなところだ。
李君が帰る時についでに布団と枕を買う。

第一日目が始まった。
同室の盛華はずっと本を読んでいる。
俺にも本を読むことを勧めてくる。
確かに中国語の勉強にはなる。

もう寝る。詳しくは明日書く。



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10月4日 月曜日


うちの近所

昨日は部屋の中でほとんど本を読んで過ごした。
盛華は熟語、ことわざなどを教えてくれた。
確かにこれらの熟語などは必修科目だ。

・鶏毛蒜皮 取るに足らないこと
・杯弓蛇影 相手を疑いすぎて損をすること
※出されたお茶に蛇の影が映っているのを見て警戒したが、実は壁にかかっていた弓だったと言う意味だそう。

また、盛華が貸してくれた青年文稿という雑誌はとても内容が濃い。
感動させられる文章がいっぱい。

「生活不是完美無缺的。不過不完全坏。還是去品味一下薔薇的芳香」
人生は決してばら色じゃないが、真っ暗なわけでもない。だったら薔薇の香りを存分に楽しもうじゃないか…。


今日は5週目で、あのうるさい王君と同じ教室になった。
彼はいまだに俺の名前を正しく発音できないので、
呼ばれても無視していたら、
「俺の中国語が聞き取れないのか」とブツブツいっていた。
俺は疲れていたせいもあって、ムッとして「お前の発音が悪いんだよ!」と怒鳴ってしまった。

それから、あまり以前のように話しかけてこなくなった。
悪気は無いよ。
中国人はおせっかいだし、からかってくるけど悪気は無い。
こっちが気にしすぎてムッとしてしまうと相手は???になってしまう。

授業は乾物の戻し方の講義、午後は皿のふちの飾り方。
最後の1時間は水を使って中華鍋に油を入れる練習。

帰りは醤油君が「これから一緒に帰れないね」と一言。
俺が引っ越したので帰る方向が逆になってしまった。
中国人はにぎやかで明るく見えるけど、結構寂しがり屋なのかも。

途中の市場で肉と油麦菜、もやし、にんじんを買ってきた。
にんじんと肉の炒め物、もやしのラージャン炒め、油麦菜の炒め物を作った。
盛華は炒め物は得意らしく味付けは旨かった。
ご飯もおいしかった。
久々においしい米を食った。



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10月5日 火曜日

朝、登校する前に学校前の食堂に入ったら、同級生が4人いた。
そのうちの一人と一緒のテーブルで食べていたら、強引におごってくれた。断ったが聞かず。
割り勘の方がいいな。

午前中は引き続き干物の戻し方の講義。
なまこ、するめ、竹の子、魚の浮き袋…。
戻すのに何度も水を取り替えたりして2,3日はかかる。
気が遠くなる。

中国では新鮮な海鮮がないために干物が発達してきた。
中国で新鮮な海魚をあまり見たことがない。
よく市場で見かけるピンク色に変色した、硬いイカは干したスルメをアルカリ性の水で戻したやつだ。
味は、旨みはあまりないが、歯ごたえが良い。

授業中、眠くてたまらなかった。
太ももをつねって眠気と格闘した。
そういえば太ももにできた無数のあざは毎日つねっているからできたのだと気づいた。
午後は野菜を使った簡単な花の作り方、中華鍋の返し方。

昼休みに太極拳の真似事をしていたらみんな寄ってきた。
「もっと膝を曲げて!」「もっと腕を高く!」「もっとゆっくり!」
ただ単に真似事をしていただけだったんだけど
本格的な指導を受ける羽目になった。
筋肉痛になるかも。

夜は小白菜ときのこ、にんじんの炒め物の3品。
白菜はあまり火を通さなかったので、
盛華にあまりおいしくないと言われた。
はっきり言う人だな〜。



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10月6日 水曜日

今日も干物の戻し方。
きくらげ、なまこ、腐竹(湯葉を棒状にして干したもの)。
腐竹の煮物はおいしかった。
日本で受ける味付けかどうかは別だけど。

午後は配菜の講義と食品彫刻。
簡単な花とはすの花を彫る。
まずまずうまくいった。

中華鍋の練習は、なんとなくコツをつかんできたけど、体力が足りず、すぐ疲れる。
手が疲れてくると抑制が効かなくなり鍋の中の具が少なくなってくる。
そしてコンロの周りには具が散乱。

広西出身の同級生が久々に学校に来た。
彼は半月前に自分で高級な中華包丁を買い、
研ぎ味を調べるために指に当てたら…。
何針も縫う大怪我をしてしまい学校を休んでいた。
回復したようで何より。

夜は家でマーボードーフ、チンジャオロースー、麺を作った。
盛華にいろいろ口出しされたが(マーボーに牛肉使うのか?とか、
油が足りないとか)、まずは出来上がった。
50点かな。
マーボー辛すぎ、うまみなし。
初めてだからこんなもんでしょ?と盛華に言ったら、
少し間を空けてうなずいていた。
初めての本格的な中華だから勘弁してくれよ。

商店街で米を買った。
米500g1.6元だって。10kg32元ということは400円?



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10月7日 木曜日

今日も干物の戻し方。
イカ、ナマコはまだ毎日煮なければならない。
玉蘭片(筍の干物)はやっと食べれるようになったので
しいたけと一緒にいためて食べた。

干ししいたけの調理の仕方は日本と違い、水で2時間戻した後、あのおいしい戻し汁は捨て、ねぎ、生姜、オイスターソース、ラード、酒、スープで炒め煮しなければならない。
しかもその後、しいたけは軽く水洗いする様子。
そして初めて素材として使える。
ホテルのレストランでの調理法とはいえ、もったいなかった。

二つ目の料理は昆布の和え物。これも戻し汁は捨ててしまう。
千切りにした後にんにくのみじん切りで和えて臭みを消し、
ラー油、塩、味の素で味付けをしたもの。
「おいしいけど、硬いよ!」の生徒の一言。

中国人は遠慮なくなんでも口に出して言う。
でも確かに硬かった。

3番目は春雨の和え物。
味付けは塩、味の素、からし油(抽出液)。
そばを食う要領で思いっきり吸い込んだら、
肺、鼻、脳天にズカーンとワサビが来てしまい、
咳は止まらないは、口の中のものは出すは、鼻水は出てくるはで、
みんなに大爆笑されてしまう。
おいしかったけど、トイレに駆け込みました。

苦しかった〜。けど、なんかこの一件のおかげで今まで話しかけてこなかった生徒からも気軽に声をかけられるようになった気がする。

午後は食品彫刻。
大根を使って花を彫る。
俺は毎週末に彫刻の授業を受けてるから基本的には周りの生徒よりもレベルは高い。
いつの間にかみんなは彫るのに飽きてしまい、
あちこちからガリガリと大根を食う音が聞こえてきた。
俺もさすがに集中力が続かず、花びらをつまんで食べてみたら、
美味!。
ボリボリと食べていたら、隣の太った生徒から「外側より内側の方がおいしいよ」とのアドバイスを受ける。
確かに内側は辛くなくておいしかった。

中華鍋の返し方はコツがつかめてきたけど、
同級生に「君のやり方だと顔に油がかかってしまうよ」との指摘を受ける
体力がついていかなくて鍋を引く力が持続しない。
鍛えないとな。

夜は家でほうれん草と卵の炒め物、油麦菜の炒め物を作った。
盛華からは味付けが薄いということと、ほうれん草と卵に火が通り過ぎだということを言われた。
まあ、口うるさいけど厳しい先生ほどいい勉強になる。
彼は食堂で食べるおかずがしょっぱかったりすると作り直させるような人だ。
今は疲れたようでいびきをかいて寝ている。

今日、大家さんが来た。
日本人とバレるとここに住めないかもしれないということで盛華がうまく同郷だということで話してくれた。
部屋をきれいに掃除しときなさいといわれる。
しかし、俺の中国語レベルからすると日本人とばれるのは時間の問題のような…。






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10月8日 金曜日

今日は午前中の授業でいきなり調理実習テストがあった。
まずは先生が醋溜白菜(白菜の甘酢炒め)を作って見せて、
そのあと生徒たちが一人一人みんなの前で同じ料理を作った。

一番手は同室の盛華。
調味料の順番を間違ったりして、先生に怒鳴られていた。
2番目はなんと俺。
見るのとやるのとでは大違い。
周りの生徒がジェスチャーで何を入れるのかを教えてくれて何とか作り終えた。
油が多すぎたようでギトギトだった。
スピード勝負なので頭の中が真っ白になる。

そのほかの生徒はどういうわけか水を入れてしまったり、
醤油と黒酢を間違えて入れてしまったりしていたが、
何とかみんな作り終えた。

タライいっぱいに山盛りになった醋溜白菜は案の定、給食のおかずになっていた。食欲が一気になくなる。
が、食べた。
砂糖が多すぎるような感じ。
うまいとはいえなかった。

昼休み、ティージェンズ(重りのついた羽を蹴鞠のようにして遊ぶ)を何人かでやった。

結構これが燃える。いい汗かけるし、スポーツはいいコミュニケーションの手段になる。

そういえば、汗をかいて休んでいたら一人の体格の良いおばさんが話しかけてきた。
日本人と結婚して茨城に住んでいたが、
日本でラーメン屋を開業するために北京に里帰りして、
広東料理を習っているらしい。
開業の仕方など、いろいろ教えてほしいとのことだった。
そのほか、日本で困ったことなどを話してくれた。

「日本では近所の家に遊びに行っても玄関先で立ち話するだけで絶対に中に入れてくれない。北京だったらお客さんが来たら中に招くのは当たり前よ」
といっていた。
ただの習慣の違いではあるが、こういう小さい事から人間関係がこじれてくる場合もあるものだ。
習慣の違いは馬鹿にはできない。

午後は彫刻。
昨日と同じく、あちこちからガリガリと大根を食べる音が聞こえてきた。
中華鍋は結局2週間ではマスターできなかった。
左右の手が連動してくれるようになってきたが、
体力が続かず具があちこちに散らばってしまう。

夜は俺が大根の炒め物、ウォースンの炒め物を作り、
盛華が海苔と桜海老の入った卵スープを作った。
どれも合格。
卵スープは卵を投入した後に酢を数滴入れると塊にならずに綺麗になるらしい。
盛華はいろいろ教えてくれる。
学校で昼休みに放映している調理師ドラマでいっていたそうだ。



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10月9日 土曜日


我が家の入口

午前中は部屋の掃除。
自分は台所の掃除を担当。
床に直にコンロを置いているので床がべとべと。
壁と床が白で統一されているので汚れがさらに目立つ。
白いパンツが売られてないのはこのためだ。1日も持たない。
大工さんはどういう考えでこの色を選んだんだろう。

盛華はトイレと部屋の掃除を担当。
2時間ぐらいかけて掃除が終わった。
このきれいさ、いつまでもつんだか。


掃除した後の玄関兼台所兼洗面所


我が家はこんな感じです(Quick Time)ちょっと重いです。


昼前に公主墳に行き、ズボンを買ってくる。

食品彫刻の授業では、菊を習う。
彫刻の老師は北京訛りでいろいろ話しかけてくるので集中できなかった。
外貨収集が趣味なようで、南スラブの50億紙幣を見せてくれた。
諭吉さんが欲しいといってたが、日本円は高いぞ〜。

彫刻の方はうまくいって、他の生徒から「先生が二人居るみたい」といわれた。
お世辞がうまい。
先生は帰国前にレストランで実際に働いてみることを勧めてくれたのだが、
実際俺もそうしたい。
半年後、先生にお世話になろう。

本屋によって7時ごろ帰ってくると、盛華はいなかった。
夕飯の準備が半分出来ていたので、
急用でもあったのかなと思ってたら薬を持って帰ってきた。
CONTAC。
風邪を引いたらしい。
クラスでも流行ってきている。

俺はというと大丈夫。
日本にいるときは3年に1回しか風邪を引かなかったほど。


なぜ日本嫌いの盛華が日本人の俺を同室にしようとしたのか分からない。
やなことをもちろん考えてしまうが、
俺は中国でひとりでは暮らせない。
プライバシーは相変わらずないけど2人部屋でよかったと思う。
不安はやっぱりあるけど杯弓蛇影にはしたくない。





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10月10日 日曜日


食品彫刻の道具

午後の彫刻の授業に行ったら
作業台の上に50cmはある大きな皿がおいてあった。
食品彫刻の大会があるようで、その準備のようだった。

先生が作るのをじっと見ていたら、
クラッカーを細かく砕いて粉を作り、きゅうりを彫って節状のものを作っていた。何が出来るのか見ていたら、
きゅうりが椰子の木に、
クラッカーが砂漠の砂になり、
あとは小麦粉を練って作った象、
像の上に乗っている天女を置き、
色のついた油でオアシスを作り、
沢ガ二のような小さいカニがオアシスの水辺に。
これは大会用なので食べられないのがあるが、
普通の食品彫刻はすべて食べられるように作るのだそう。

先生は「これが中国の文化だぞ、しっかりと見とけよ!」といっていた。
食べられないのは残念だが、このような作品を見れる機会は二度とないだろう。
かなり高級なレストランや宴会にお呼ばれしない限り。



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10月11日(月)


実習教室

今日から第6週目。
楊老師から記老師に変わり、初中級コース最後のパートだ。
午前は調理場で実習。
午後は教室で老師の調理を見ながらの勉強。
最後の1時間は理論課だ。

実習は、とにかくきびし〜っ!
朝、うちらの班と1,2週間前に入った先輩たちと一緒に出席確認から始まり、それから調理室へ。
調理室にはコンロが6つあり、先に先輩たちが紅焼茄子を作った。
一人一皿作って、今度は自分たち班の番。

一気に罵声が飛んできた。
「火が強すぎる!」「揚げすぎだ!」「調味料全部入れたか?」
正直、ガスの音と鍋とオタマがぶつかる音で先生が何を言っているのか分からなかったが多分そう言っていたんだろう。

自分の番になって、鍋を竹の箒で洗っていたら老師が何か言っている。
「水を入れろ!」といっていたので、鍋にもっと水を入れて洗っていたら
「П〇△♯×Щ!!◎▽!!」
何か言ってるのは確かだったが、火の音と金属音しか聞こえなかった。
気づいたら老師が俺に代わってさっき揚げた茄子をいためていた。

次の瞬間にはもう皿に茄子の炒め物が出来上がっていた。
ボーっとしてしまった。
作り方を覚えていない。
確か、鍋に少量の水を入れて先に調味料を入れていたような。

後で生徒に聞いたら、醤油、塩、味の素、酒を煮立たせ、
その中に茄子を入れていたそうな。
茄子はすでに油を吸っているので、あえて油はしかずに水を使ったそうだ。
何をしていたんだろう俺は。

次は素炒土豆絲(ジャガイモの千切りの炒め物)。
先輩の作り方をしっかりと見て作ったつもりだったが、
塩と味の素しか入れなかった。酢と砂糖を忘れてしまう。
俺の作った素炒土豆絲はどうなったんだろう。
老師に味見をしてもらうのがいやでそのまま通過しようとしたのだが見つかってしまい…。

老師の前に皿を出したのは覚えているが
どんな批評があったのか覚えていない。
その後老師の後ろに立って作り方を見ていたら、
あれ持って来いこれ持って来い!といわれドギマギしてしまう。
口が動いているのは分かるが、聞こえるのはガスの音だけ。

作った後は皿を洗ったり、コンロの掃除をしたりして午前の授業は終わった。
もちろん俺たちが作った料理はみんなの昼飯に。
食いたくなかったが、試しに食ってみた。

気持ちの問題だが、食えなかった。
本場の調理場はもっとすさまじいんだろうな。
今日は家に帰ってきてすぐビールで乾杯した。
自分にお疲れ様。優しい声をかけてあげる。

夜、玄関で星空を見ていたら盛華が唐詩を教えてくれた。
酔っ払ってたせいか、内容は分からなかったが、
どれも心にしみる唐詩だった(感覚で理解したつもり)。
盛華は見た目によらずロマンチストなのかもしれないな。

そういえば、楊老師も授業中に唐詩を詠って聞かせてくれたことがあった。
自国の文学に誇りを持っている証拠だな。

こんな風にして何がなんだか分からないまま6週目に突入した。



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10月12日(火)

朝、学校に行きたくなかった。
今日はどのような日になるのか、
また聞き取れなくてオロオロしてしまうのか。
でもまあ、新鮮な毎日だ。
人生ってこんなもんだ。
ぬるま湯に浸かっていてはどんどん駄目になっていく。
挑戦していこう。

思い切って布団をはぎ、ぎゅうぎゅう詰めのバスに乗って学校へ。
途中、同級生が道端で揚げパンを食っていた。
いつも笑顔で「ハロー!」と声をかけてくる。
下校の時は「グッバイ!」だ。
英語でも挨拶をしてくれると嬉しい。

外で豆腐花と包子を食べて学校へ。

午前中は昨日習った冬筍里脊絲と香菜、ねぎ、にんにくの入った里ji絲の実習。
一品目は澱粉が多すぎると老師に指摘された。
冬筍と肉がひと塊になってしまった。

2品目はまあまあうまくいったなーと思ってテーブルに置いてたら、
老師が「誰だ、これを作ったのは?」と言うもんだから、
おそるおそる「私です…。」と言うと、
「炒め具合はちょうどいいな!余分な汁がなく、適度なツヤ、香菜の色も死んでない。ただコショウをもう少し入れたほうがいいぞ!」だって。
やったぁ〜。

中国のコショウの風味は日本のよりも薄い。
それを理解しないとな。
塩や醤油、味の素も然り。
手の平大の肉には2つまみの塩で十分。
今のところそれしか把握できてない。

手が空いたら皿洗いで他の生徒たちの動きをチラッとしか見ることが出来ない。
忙しい。
でもこの雰囲気が好きだ。
本当に新鮮。

中華料理はスピードだ。
ボーっとしてると鍋がすぐに赤く燃えてくる。
隣の鍋からは出火するは、老師が何か怒鳴るはで大変だ。
この騒がしさが現場だ。
少しでも本場の調理場の雰囲気を体験できているような気がする。

時々自分は何でここまでして中国で調理の勉強をしているのだろうと不思議に思う時がある。
中国人と一緒に学び、中国人と一緒に住み、日本とのかかわりがほとんどない生活。
ふと立ち止まって辺りを見てみると周りの世界がガラリと変わっていたような感じ。
中国人から見ると変なやつなんだろうな。
いや、日本人から見ても変だろうな。
なんか勢いでここまで来たような気がする。
何かに押されて。
ここまで来たら小さなことは考えている暇はない。
進んでいこう。

午後はまた竹の子と肉の炒め物を習う。
材料は昨日と同じだが、
同じ炒めるのでもとろみを多くつけたり少なくしたりで
料理の名前も変わってくる。
とろみが多いものは火留(火ヘンに留まる)、
強火で一気に炒め、とろみをすべて材料に絡ませるものは爆。
同じように見えるものでもいろんな種類がある。複雑だ。

後は牛肉のオイスターソース炒め、豚肉の麹炒め、揚げた鶉卵と竹の子、しいたけを使った琥珀炒めを学んだ。
オイスター炒めは絶品。
脂っこさは感じなかった。

最後の時間は理論。
生徒が自由に質問できる時間。
みんな分からないところを何でも老師に聞いていた。
俺も聞きたいことはたくさんあるのだが、
ここは中国語教室でもないし、基本を学ぶクラスでもないので尻込みしてしまう。

夕飯はマーイー上樹(直訳/アリの木登り→ひき肉と春雨の炒め物))、
白菜の炒め物を作る。
カリフラワーにマヨネーズをかけたのを作ったら、
盛華は「奇怪!」といっていた。
マヨネーズを食べるのははじめてだったらしい。


盛華、中古のデスクトップパソコンを買ってくる。
1000元。
電話線があればなおよかったな。




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10月13日(水)


実習風景

午前の実習では筍と細切り肉の炒め物、
牛肉のオイスター炒めを作った。
前者は老師に味見をしてもらったら「よしっ!」と言われた。
自分で味見をしたら料理酒の味が濃すぎたと言うか、
アルコールがまだ飛んでない感じだった。
塩味はちょうど良かった。

後者はオイスターソースと油を先に乳化させるのを忘れてしまい、
調味料を一気に入れてしまった。
塩気はちょうどいいが、
色が薄いので塩を減らして醤油を多く入れるようにとの事だった。

自分の分を作ったらすぐに皿洗い、後片付けと相変わらず忙しい授業だった。
今日は出火が2件。熱い油に水分を多く含んだ肉を入れたために一気に火柱が立った。
後はカリフラワーを炒めていた隣の鍋から出火。
人間は火を見るととっさに水をかけようとするが、
油に水は御法度だ。
あわてずに火を止めてさめた油を入れたりして対応するしかない。

調理場内は炎と怒鳴り声が飛びかい、
俺の鍋の周りには具が飛び散っていた。
やはりまだ中華鍋の返し方を把握していない。

午後は4つの料理を習う。
油爆鶏丁(鶏肉のさっぱり炒め)、宮爆鶏丁(鶏肉とピーナツの甘辛いため)、油爆海螺片(ツブのスライス炒め)、重慶辣子鶏(鶏のぶつ切り唐がらしいため)
どれもうまかった。

特にツブはコリコリして、しかもやわらかくおいしい。
湯通し、油通しの時間がカギだ。

重慶辣子鶏はほとんど赤唐辛子で鶏肉を掘り起こして食べるような感じなのだが、辛さと鶏のうまみが絶妙。

帰りに盛華と本屋に行って点心の本を買ってくる。
この本屋では値切ることができるので便利だ。
しかも新品。
大体2割引かな。

家に帰ってきてから、「中国にいる間にもっと高級なうまいものを食べてけ」と言われる。
そうだよな〜。
外食すると言えば、近くの屋台か小さい食堂で家常菜を食べるだけだもんな。
自分に投資しないと。



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10月14日(木)

午前中は昨日習った油爆鶏丁と宮保鶏丁を作る。
油爆は味付けが今まで作ったのとほとんど同じだったのでうまくいった。
ただ、とろみが少し足りないとの事。
俺が作ったのは肉を皿から取ってみるとトロミがゆるくて流れ出ていた。
これが肉の方に着く位がいいとの事。


宮爆は唐辛子と麻椒を最初に焦がしてしまい、
その上、豆板醤をあまり炒めないまま肉を投入してしまった。
結果は、唐辛子が黒くなり辛味もなく麻椒の風味もなかった。

豆板醤の香味もなく、豆板醤自体の塩気を考えずに味付けしてしまったのでしょっぱくなってしまった。
醤油の色も足りなかったみたい。
と言うことは塩はほんの気持ち程度でいいんだな。
昨日老師が作ったのはかなりおいしかったので自分でまた作ってみよう。

相変わらず今日も調理場の中は騒がしかったが、
うちら生徒が皆作り終わったあと、
老師が「ハオ〜ッ!」(よ〜しっ、終了!)と言うのを聞くとなんだかほっとする。任務完了といった感じ。
このパート3週目の生徒は明日で卒業だ。
彼らは今日初めて俺が日本人だと知ったらしくびっくりしていた。

昼休みは醤油君と他の学生たちと調酒(カクテル)クラスを参観してきた。
ウィスキーの説明のところでなぜか日本の話題が出てきた。
「日本人はアジアで最も西洋化されてる国だけど清酒などの自国の酒ももちろん飲む。でも、コーヒーとか洋酒ももちろん好きで特にスコッチを好んで飲む。もしお前たちが日本人のたくさん来る店で働く場合、スコッチを多く用意しておけ。ただ日本製のスコッチもあるにはあるが余り品質はよくない。店にそれを置いても売れ残ってしまうぞ!覚えとけ。」だって。

老師の言う言葉は標準語で聴きやすかった。
しかも質問に答えられない生徒には厳しく注意する人だったので、
受講してみたくなった。
ただ、時間が合わない。断念。
酒の味見をしてみたかったが、午後の授業が始まるので途中で退席してくる。
なんてまじめなんだろう。

午後は油爆腰花(腎臓のさっと炒め)
爆二様(内臓2種のさっと炒め)
油爆イカ巻(イカのさっと炒め)
鶏茸バー菜心(鶏のひき肉と青梗菜のとろみがけ)を習う。
内臓物は下処理をあまりしていないのに臭みはあまりなかった。
いや、何か下処理をしたに違いない。
それとも火加減とスピードのせいだろうか。

夜は子だこを3匹買ってきて炒めて食べた。
味付けを失敗して中途半端な味に。
盛華はたこを初めて食べたらしく「イカのような味だね」と言っていた。
あまりおいしくないといいながらも(バッサリ!)バクバク食っていた。



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10月15日(金)

午前の実習では油爆腰花と油爆イカ巻を作った。
腰花(腎臓)は唐辛子と麻花を先に炒めて香りを出すのを忘れてしまい、
後から入れたのだが後の祭り。
辛味が全然なかった。

老師からは湯通し、油通し加減、塩加減、色はまずまずと言われた。
イカの方は味はいいといわれたが澱粉が濃すぎてかたまりが出来てしまった。
来週から王君の班もこの調理場で一緒に受けることになるのでしっかりコツをつかんでおこう。
1週間先輩だからね。

昼、学校の昼食に飽きたので醤油君とドカベン君と一緒に近くの食堂に行く。
ドカベン君は俺よりも1週間早く入学したので、初中級クラスは来週で卒業だ。
ずんぐりむっくりしていてドカベンに似ている。

3人で刀削麺を食べた。
ビール付。
休み時間とはいえ、午後の授業があるのに酒なんか飲んでいいのかなと思ったけど、水と同じ値段だし、すごくのどが渇いていたし、誘惑に負けてしまってコップ一杯おもわず一気飲み。うまかった〜。

ドカベン君は見た目は30歳ぐらいだが実は18歳と言うことが今日発覚。驚愕!

午後は京醤肉絲、肉丁、醤汁魚、魚と春雨のスープを習う。
醤爆はテンメンジャンを使った甘辛味噌的な味付け。
たくさん食べると飽きそうだけど葱と一緒に豆腐皮で包んで食べるとこれがまたうまい。
ソースを作るときに二回泡が立つまで焦がさずに乳化させるのがコツだ。
なぜ2回かというと砂糖の粘りを出すためだ。
ヒレ肉がシコシコ、ソースがトロッとしておいしかった。

理論課の後、先輩方の卒業テストあり。
課題は冬筍里脊絲だ。
4時15分から各自、筍とヒレ肉を千切りに切っていた。
包丁を使うのは刀工課以来なので結構手こずっていた。
ちなみに、筍と肉の比率、長さ、太さもちゃんと規定がある。
みんな緊張しているらしく、あまり芳しくない様子。
肉が鍋にくっついて取れなくなったり、
切り方が太すぎたり短かったり。

老師の評価も厳しく一見よさそうなものでも低い点数の人もいた。
基準は刀工が最も高い比率で、後は味、色、材料の比率、料理価値、衛生、順序など。
今日は面白がって見学してたけど、来週は俺らの班が初中級コース卒業試験を受ける番だ.。武者震い。

今週の卒業生は6人で、うち2人が出国組。
カナダに家族3人で行く人、オーストラリアに行く人。
この人たちは必ずしも調理師になりたいわけではなく、
出国してから職がなかったらコックになろうという予備的な考えでこの学校に通っていたらしい。

すでに卒業した人が午後の授業を見に来ていたが、
仕事が決まったらしく老師に報告していた。
月給400元(5000円)。
コックの給料のレベルは日本の昭和30年代ごろの水準なのかな。
また、日本の物価の感覚に置き換えて言うと、飯、部屋付で3万円といったところだろうか。
最低ラインだ。
でも最初は修行が大切。

試験の見学が終わった後、大姐(日本人と結婚したおばさん)に家にお呼ばれする。
普通の肝っ玉母さんみたいな気さくな人なので、気軽にオッケーして一緒にタクシーで大姐(お姉さんの意。おばさんとは言えない
(汗)の家へ。
着いてみると俺の家から1キロぐらいのところだった。
立派な茶色のマンションの前に止まり、
その周りには普通の高層アパートが林立している。

その立派なマンションは政府関係退職者専用のらしい。
その隣の高層マンションは省の幹部専用。
そこら一帯は高級住宅地らしかった。

そこを通り過ぎて普通の4階建てアパートに向かうもんだとばかり思ってたら大姐は茶色の高級マンションへ。
なんとそこが彼女の家だった。
本当に高級マンション。
日本から送金して買ったのかなとも思ったが、ここは軍事関係者しか入居できない棟。

19階建ての11階に張さんの部屋があった。
玄関に入ると右にダイニング、左にキッチン、トイレが2つ、3LDKの間取りだ。
ダイニングルームは20畳ぐらいの広さで、
大きな水槽に熱帯魚、大型テレビに長いソファー。
おじいちゃんとおばあちゃんに挨拶をして思わず部屋をぐるっと見回してみたらテレビの横に周恩来が写っている集合写真があった。
愛国心が強いんだなとしか感じなかったが、なんとその周恩来の斜め後ろに立っているのがおじいちゃんとの事。

驚いた。

後もう一枚の写真は毛沢東の後継者と海岸を歩いている写真。
聞くところによると大姐のお父さんは政府要人のボディーガード責任者で周恩来などのトップ要人の警衛をしていたとの事。
何かそれを聞いたとたん、えらいところに来てしまったなとおもったが、
おばあちゃんは優しい声で他の部屋も案内してくれた。

ダイニングの隣にはおじいちゃんとおばあちゃんの部屋があって、結婚した当時の大きな写真が飾ってあった。
今年で結婚60周年との事。
そういえば、今年は終戦60周年だな。
おじいちゃんが77でおばあちゃんが80歳。
2人ともあまり体調がよくない様子だったが仲のいい夫婦だった。

おじいちゃんは頑固タイプでずっと黙ってソファーに座ってテレビを見ていたが、話しかけると笑顔で答えてくれた。

「水槽の魚を見ていると心が安らぎますね。」と言ったら
「うん、見た目もいいけど水槽があると部屋の中が乾燥しなくていいからね。」
とのこと。一石二鳥と言うわけね。

やがておばあちゃんがアルバムを数冊持ってきてくれた。
ここにもたくさんの要人と写ってる写真が。
周恩来とケ小平しか分からなかったが、大姐がいろいろ説明してくれた。

「おじいちゃんってすごい人ですね」というと、
大姐は不満げに「そんなんじゃないよ。普通地位が高かったら家族のためにコネをきかせて職などを世話するのに、父は他の人たちのために頑張って、私たちには何もしてくれないのよ。ただ厳しいだけ。」と言っていた。

今の時代におじいちゃんみたいな人は本当になくてはならない人だと思った。

大姐の日本にいる旦那さんとも電話で話した。
いきなり受話器を渡されたので困ったが、
大姐も頑張って勉強してますよと伝えた。

それから一緒に住んでいる大姐の甥が帰ってきたので5人で食事に出かけることに。

おじいちゃんがスタスタと先頭を歩き、おばあちゃんは孫に手を取られながら歩いていた。

レストランの名前は忘れたが高級なところだった。
大きな丸テーブルに5人座り、大姐がずっとメニューを見ていたが何を注文したらいいのか分からないらしく、
甥に「それでも料理を習ってる学生?」とからかわれていた。
鶏を壷で煮込んだスープ、大きな肉団子、湯葉の炒め物、筍の炒め物、魚の浮き袋の炒め物を食べた。
特に湯葉がおいしかった。
鶏のスープもおいしかったので作り方をウエーターに聞いたら丁寧に答えてくれた。

でも覚えていない(汗)

こんなサービスのいいレストラン初めて。
この前行った西駅の近くの食堂なんか、
テーブルに着くやいなや、おばさんがメニューをテーブルに投げつけ、
「何食う?」だもんね。
しかも仁王立ち。

食事中、おじいさんとおばあさんは黙ってるだけ。
具合が悪かったのかな。
こっちも何を話したらいいのか困った。
ひとつ聞けばひとつ返ってくる。
そんなこんなで時間が過ぎ、みんなと握手をして別れた。
帰り、大姐が心配して途中まで送ってくれた。
いい人たちだった。ありがとう。



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10月16日(土)


朝、盛華が天津に出張に行った。
前の会社の顧客のパソコンソフトのメンテらしい。
彼の専門はコンピュータで前はソフト関連の会社で働いていた。
何で今、調理を習っているかと言うと自分が自炊するためだと言う。

中国では共働きのため、女性が食事を作るとは限らない。
自分なりの統計では、北京で料理も作れない男はあまり歓迎されないという日本とは逆の状況だ。
人口的に見ても女性よりも男性の人口が圧倒的に多いから、
女性が優位に立っているのではないか。
男はつらいね。


午前はネットしたり部屋の掃除をしたりして、午後は授業へ。
帰ってきてから近くの大きな市場に行って中華なべとオタマ、砥石を買ってきた。

店で値切っていると「どこの人?中国人じゃないでしょ?韓国人?」と主人に聞かれ「はい」と答えてしまった。
ショックだった。
自分では中国人のふりをして流暢な中国語をしゃべってるつもりだったんだけどな。
せめて南方人(広州方面)と言って欲しかった。


夜は香茹油菜(椎茸と青梗菜のオイスター炒め)と日式ラーメンを作る。
日式ラーメンはかんすいを多く含んだ日本風の黄色い切り麺。
干しえびと岩のりでだしをとった。
我ながらうまかったけど、日本のラーメンが食べたい。


夜遅く盛華が帰ってきた。天津名物「狗不理包子」をひっさげて。
「こんな大しておいしくないものがなんで全国的に有名なのか分からない!1個1元だぞ!」と文句を言っていた。

以前、俺も天津で食べたことがあるが、
たしかにこの狗不理包子は有名な割には味はそんなでもない。
しかも普通の肉まんの2倍の値段だ。
あと天津名物に「猫不聞餃子」というのがあるが、これもそんなでもない。
名前の奇妙さが受けてるだけなんだと思う。
「犬も食わない肉まん」「猫も嗅がない餃子」と言ったところだろうか。

本当にそうならないことを願う。    


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10月17日(日)

午前中、髪を切りに行った。
店の中に貼ってあった俳優のポスターを指差して
「この人のようにしてください」とたのむ。

別に俳優のようになりたいと思ったわけでもないが、俺の表現力ではうまく伝わらない可能性があるからだ。
でも、かっこよくなりたいな〜。身も心も。

結果はまあまあ、希望通りの髪形になったが、ショッキングな事がひとつ。
白髪がたくさんあるから染めていきなと言われた。
商売上手なやつだと思ってたら、何本も抜いて見せてくれた
ほらここにも、またここにもと言う感じで。
手品のようだった。
後頭部にはゴマ石とまではいかないが白い線が結構見受けられた。

ストレスだろうか。
歳だろうか。
染めるように何度も勧められたが60元と言うことで断る。


授業では大根でこおろぎを彫った。
足が細すぎると指摘される。
でも、虫の食品彫刻は日本では受けないな。
虫自体を食べる習慣がほとんどないし。

助手の張生という山東青年が来年の11月から日本で働くことになったらしい。がんばれ!

帰り、前門によって服を買ってきた。
昨日、市場にあったセーター(手を尽くし値切って70元)と同じのが定価39元で売られていた。
買わないでおいてよかった。

夜は盛華と外で夕食を摂る。
西湖煮魚(草魚のスープ)、蕨の和え物(塩、唐辛子、ラー油、味の素)、ほうれん草の炒め物。うまかった。

家に電話したら、日本で北京マラソンが生中継されていたとの事。
そういえば朝に家の前の川べりを大勢の人が走っていた。
中継車も走っていたから多分それのことだろう。
うちの長屋も国際中継されたのだろうか?


うちの前の川辺



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10月18日(月)

授業のシステムが変わり、
今まで3つに別れていたパートが2つになったため、
実質2クラス制となった。

あまり広くない調理場には20人ぐらいの生徒が押し込められめちゃくちゃ状態。老師も2人体制。
この2人の老師は仲が悪いらしく話をしているところを見たことがない。
少人数制がこの学校の売りだったのにちょっと残念。
でも、今日作った醤爆肉丁と京醤肉絲はまずまずだった。
ただ、肉丁は油が多すぎてソースが固まらなかった。
澱粉を入れても後の祭り。
最初に油を鍋にしいて、余計な油は油つぼに戻しいれるとちょうどいいかもしれない。
塩も減らして、その分醤油を増やして色を濃くすべきだ。

老師が花椒油をザルを通してジャガイモの千切りにかけているとき
1人の生徒がせっかく濾した花椒をジャガイモに入れたため老師が激怒。
ザルが中を舞い、花椒が床に飛び散った。
隣にいた生徒の顔に揚げたての花椒が当たったらしく熱がっていた。
生徒もふざけ調子だったので怒られて当たり前だが、
周りの生徒にとってはとんだ迷惑。
幸いやけどはしなかった様子。

今日はいってきた生徒は皿洗いなどを手伝ってくれたが、
人が多すぎて何をしていいのかわからない状態。
少人数制に戻してくれ!

昼休み、銀行に行って1万円を両替してきた。
少し円高になって750元になっていた。

午後は葱姜魚塊(トロミのかかった魚の揚げ物)、紅焼劃水(魚の甘辛煮)、紅焼鶏柳(鶏の唐揚甘酢がけ)をならった。
魚は鯉を使っているため、生臭みを感じた。
鶏柳は糖酢の味。

そういえば、授業のはじめにヤン老師が教室に入ってきたら記老師はあからさまに嫌な顔をしていた。
この2人、ヤバイかもしれない。

そのあと午後の授業の時に、居眠りをしていた生徒がいたため老師の激が飛んだ。
「眠るんだったら帰れ!お前らが不真面目だろうと俺は知ったこっちゃないけど、何のためにここで勉強してるんだ!」
もっともだけど、今日は先生もちょっとゴキゲンななめだった。



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10月19日 火曜日

午前は、昨日習った葱姜魚塊と紅焼鶏柳を作った。
魚の方はまずまずの出来だったが、鶏肉の方は汁が多すぎたせいか、トロミが足りなかった。
疲れた。生徒が多すぎる。
でも積極的にやっていこう。

今日は盛華が夕食を作った。
うまくて久々にご飯2膳食べた。
自分が作るとなぜかうまくいかないんだよな。
もっと身につけていかないとな。

調理師試験の勉強もしなくちゃいけないし、
生徒が多すぎるとか何とか言って周りのせいにするのはやめよ。
しかし、テストのことを考えると気が重いな。



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10月21日 木曜日

疲れた!
ストレスがたまりにたまってきた。

なんか、みんなによってたかって標準語じゃない中国語で一気に話しかけられる感じで圧力を感じるし、
周りの目が全部自分に向けられている気がして崩れそう。
日本人と言うことでみんな注目するのは分かるけど、ほっといて欲しい。

その上、日本人だから特別扱いされてるだの言われるとムッとくる。
反論したいけど言葉が出てこないし、
冷静に対処すべきだとも思うしストレスがたまる一方。
なんか新人アイドルの苦悩を語ってるみたい。
芸能人にならなくてよかったとつくづく思う。
と言うかなれないんだけど。

午前はメロンの揚げ物と牛肉のケチャップ炒めを作った。
メロンは衣が膨らまずに失敗。
油温が低すぎた。
牛肉の方は褒められる。

ここの学生はあまり働かない。
後片付けはしないし掃除もしないし、なんとも不満。

夕食は牛肉のオイスターソース炒めと豆腐のオイスターソース炒めを作った。
初めて学校で習ったものを家で作った。
何も同じ味付けのものを二つ作らなくともと思われそうだが、
一番食いたかったのがこの2つだったのでしょうがない。
出来はまあまあ。
豆腐を揚げすぎて苦味が出てしまったのと、
汁気が多すぎたのをぬかすと90点といったところか。(あくまでも自己採点)

本当に疲れた。学校にも行きたくない。



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10月22日 金曜日

盛華は生徒が多すぎて授業が面白くないと言って午前の授業をボイコット。
1人で登校する。
筍と肉の千切り炒め、葱姜魚塊を作った。
二つとも失敗。

筍の方は汁が足りなくとろみが硬くなりすぎたし、
魚は汁が多すぎてゆるくなってしまった。
澱粉の量を把握しなければならないし、
汁の量も調整しなくちゃならない。
あとは魚を上げるときの油温が高過ぎて焦げてしまった。

午後は楊州チャーハン、福建チャーハン、干したくあんの牛肉炒めの作り方を習った。
中国のチャーハンは油っこいのであまり好きではないが、
老師が作ったのはあっさりめでおいしかった。
が、せっかく海老などの材料を使っているのに全然海鮮の味がしなかった。
素材のせいもあるけど、湯通しの時間が長すぎたのかな。

中華料理は湯通し、油通しを多用するのだが、
湯通しした汁は捨ててしまう。
しいたけの戻し汁も然り。

チャーハンではないけど、ニチレイのえびピラフが一番うまいかな。
冷食がうまいっていってるようじゃまだまだだけど、あれはうまいと思う。
バカには出来ない。

午後の2講目はスープの作り方を習う。
授業の前に老師が「厨師は日々是学習で、少しうまくなったからと言って天狗になっちゃ終わりだぞ」といっていた。
もっともだけど、俺の目を見て話すのはなぜ?と思った。


休み時間、相変わらず「バカヤロウ!」と騒ぐやつら。
「トツゲキ〜」「メシメシ」「ヨシヨシ」などなど。
すべて抗日映画の日本語の台詞だ。
他の生徒は笑いながら見ている。
相手にしないのが得策だと思ったが、なんか圧力みたいなのを感じたので逃げるのはよした。
はっきりと皆の前で「昔と今の日本は違う!馬鹿野郎とかそんな言葉を使うのはよせ!」と言った。
通じたかどうかはわかんないけど、その場は収まった。
やれやれ。

帰りにバスを途中で降りて公主墳の本屋によって帰ろうとしたら、
バス停で偶然旅館仲間の李君と出会った。
あの霊感のある李君だ。

彼は俺んちに様子を見に来る途中だったらしいのだが、
偶然にせよ、この広い北京で久々に会うなんてほんとにびっくりした。
しかも相手は俺の家に行く途中だったなんて。

話によると、おととい悪夢を見て俺のことが心配になったのらしい。
どのような悪夢なのかは言わなかったけど、李君らしい理由だ。
まずはともあれ、心配してくれてありがとう。
昨日は心身ともに最悪の状態だったからそのせいかな。

彼には霊感があり、たまに予知夢を見るそうで、
霊界の話とか、最近の話などをして近くの食堂で3時間ぐらい過ごした。

彼は俺の同室が気に入らないらしい。
顔つきが悪いとか、話し方が気に入らないとか…。

あとは好きな子が出来たらしく、相談を受けた。
クラスで一番かわいい子らしいんだけど、そのこに恋をしてしまったらしい。
彼氏はいないようなんだけど、いつも周りにはかっこいい男がいるらしく、李君はちょっと自信をなくしてる様子だった。

李君は色白ポッチャリ系で見た目は良いとはいえないけど、性格は落ち着いてるし明るいし、話していて心地いいやつだ。
告白しろ!とアドバイスをした。
実は俺自身、告白して成功した確率は極めて低いのだが、
失敗しても後々それが自分の糧になるんだから、やっぱり告白した方が良いと思う。
ただ単に拒まれたらそれまで。
いつまでもネチネチしないこと!と付け加えておいた。

 


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10月23日 土曜日

今日は週末だが、午前中から授業に出た。
冷菜の作り方。あまり興味が湧かないが、習っておこう。
昼はドカベン君とネットカフェに行って時間をつぶす。

午後は菊の彫り方を習った。

盛華はマルクス主義の試験に行って遅くに帰ってきた。
家で宮保鶏丁、豆腐皮の炒め物、菜芯の炒め物を作ったが、塩加減がうまくいかなくてどれもいまいち。
盛華からも辛口の評価を頂く。

 


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10月24日 日曜日

午前は涼菜の作り方。
この授業は20人ぐらいの大人数だ。
仕事をしている人、韓国人留学生、おじいちゃんなど、老若男女すべて勢ぞろいと言った感じ。

4つの料理を習ったが、その中でも夫婦肺片と胡麻魚排がおいしかった。
夫婦肺片は牛の内臓をゆで、スライスしたものに中華風のぴり辛ソースをかけたもの。
ひと昔前に日本で流行ったねぎチャーシューのような感じだった。

口に合わないものでも工夫次第で日本人の口にあった料理に変身させることが出来ると思う。
ヒントは注意してみるといたるところにあるものだ。
心掛けひとつだ。

昼はドカベン君と飯を食う。
トマト炒鶏蛋麺、四川泡菜を食べた。

泡菜は発酵系の漬物をラー油で和えたもの。
すっぱ辛くて炒めてもうまいと思った。

午後はえびの彫り方を習う。
彫りを深く掘るのがコツだ。
でも海老は彫るよりも実際に食いたいものだ。


帰りに阜成門の万通という市場方式のデパートにコートを買いにいった。
北京の冬は半端じゃなく寒いと言うし。
ノースフェイスのダウンジャケットがあったので入ってみた。


「お兄さん、試着してみな」

試着するだけだったらいいかなと思い、一番かっこいいのを選んで着てみた。

「これいくら」

「380」

「いらない!」

「あんた北京の人か?」

ドキッとして即答できなかった。南方人か?と聞かれ、そのままうなずいてれば良いものの、おもわず「済南(以前語学留学したところ)です」と答えてしまう。

「へぇ〜、じゃあ、北京とちかいね。学生さんでしょ?寒いから買っていきな。」

「じゃあ200元にして」

「だめ!360!」

「じゃあ210!」

「だめ!370!」

この調子だと中間値で買わざるを得なくなるので220元で止めた。

「220元しかない」

「おばさんをだましちゃ駄目だよ!」

「本当に220しかない!」

「だめ、だましちゃ。」

「ほんとだって!」

「わかった。220ね。あんた学生さんだから特別だからね。同級生には300元で買ったっていっておくんだよ。」

日本人とばれていたら220元では買えなかっただろう。
少し買い物の仕方が進歩したかな。
ここは値段が決まってないからあまり買い物はしたくないが、
交渉一つで普通の店よりも安く買える。
交渉してみるのも面白い。

夜、同級生が遊びに来た。
呂さん、革ジャン兄貴、近所の同級生の3人。
兄貴は呂さんが日本に行きたがっているから面倒見てくれと俺に言ってきた。
彼はハンガリーに移民して衣服の貿易をしている人だが、
今回は一時帰国をして手に職を付けに来たのだ。
しょっちゅう冗談を言って周りの人を笑わせている。
「死体処理の仕事でも何でもいいからやらせて、ゴミ箱に住まわせてもかまわないから!こいつ(呂さん)を日本に連れてってくれ!」だって。
大笑い。
1時間ぐらい話をして帰っていった。

日本にいる中国人が、割のいい仕事として「死体運び」をしていると言うことを多くの中国人が知っている。事情は分からないが、日本人がやりたがらない仕事を中国人がやっているという受け取り方をしている人が結構いる。

新潟で昨日地震があったらしい。
学校で呂さんとおかっぱ頭の王君が教えてくれた。
王君はバカヤロウが口癖のうるさいやつだが、慰めの言葉をくれた。
ありがとう。

会う人みんなが地震の事を聞いてきたんだけど、
ニュースで大きく報道されたんだろうな。大丈夫かな。
テレビがないって不便だな。


週末も終わってしまった…。

 

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10月25日 月曜日

昨日の夕刊一面トップで新潟の地震の報道。
バスの中で盗み見しただけだったからよくわかんなかったけど、
かなり強い地震だったんだな。
今日買った新聞の2面にもその後の経過が小さく報道されていた。
最後のまとめには、東京ではみんなもう地震に慣れているし、準備も万全、建物も頑丈に出来ているから市民はあまり動揺していないと書かれていた。
ホントかな。

参政消息と言う新聞を買ったのだが、日本に関する記事もたくさん。
この新聞は世界各国の新聞の記事を中国語に翻訳している新聞だ。
たとえば、台湾問題に関する話題について日本、香港、欧米の新聞の記事をすべて載せてあり、比較でき、まずまず中立的な新聞なので好きだ。

今日の記事は、石原知事の台湾訪問、
仙台で魯迅の孫と藤野先生の孫が会って魯迅公園の銅像のテープカットに参加したという事、朝鮮問題などなど、
「日本」の文字が多く出ている。
戦時中の日本軍の記事もあったな。

石原さんについては、
右翼の政治家で台湾には歓迎されているようだけど
糖衣をかぶった毒薬のような人物かもしれないとか、
いい顔をして近づいていろいろ悪さをしていくのが日本の右翼のやり方だとも書いていた。
大げさだよな〜。

でも、中国の大部分の人は台湾は統一するべきだと考えている。
中国の歴史を勉強すれば彼らの考えもある程度納得できる。
しかし、中国人は台湾人がこの問題についてどう思っているのか知らないみたい。と言うか、台湾人がどう考えているのかは関係ないと思っているみたい。
もちろんすべての人の考え方ではないが。

台湾問題はよく夫婦関係にたとえられる。
自分なりに例えると…
一緒に苦労をともにしてきた夫婦が、ある日価値観の違いから関係が冷めてしまい、妻は家を出て行ってしまった。
妻は富豪と結婚し幸せに暮らしていた。
頑固一徹の夫はたくさんの子供を養いながら妻を戻らせるべく
コツコツと働き贅沢は出来ないがやっと一家を養っていけるだけの金をため、
妻に戻ってこいコールを送った。
しかしすでに自分の家庭を持っていた妻は夫の要求を拒む。
ここで夫は妻にこう叫ぶ。
「俺たちはまだ離婚届にも判を押してないじゃないか!法律的にはまだ俺たちは夫婦だぞ!今までの俺の苦労は何なんだ!戻ってこないんだったら力ずくでお前を連れ戻すぞ!」
妻は前夫を怒らせたくなかったが、
「もうすでにここが私の故郷よ!」と叫ぶしかなかった…。

俺は台湾はひとつの独立国家だと思っている。
でも、そう習ってきたからに過ぎない。
夫婦関係にたとえてみると、双方の考えを知ることが出来る。
大事なことは平和的に解決すると言うことだ。

今日の授業はチャーハンの実習。
うまく出来た。
ご飯の水分と火加減が鍵だ。
ずっと強火で炒めればいいと言うものでもないことが分かった。
午後は以前習ったことがある料理をまた習った。
課程が変わったせいで先生も前に何を教えたのか忘れてしまったのかな。

もうすぐ2ヶ月だ。
何を身につけたかな。
自分で作る中華はまだあまりおいしくないし、中国語の進歩もない。
きっと自分の進歩を気づかないだけなんだろうと思うけど、
ちょっと不安になる時がある。

醤油君、3日連続登校せず。

 

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10月26日 火曜日

午前中、冬筍里ji絲と芫爆里ji絲をつくる。
どちらもまずまずの出来。
老師はとても良いと言ってくれるが、後者のほうは汁が固まらなかった。

授業中、スーツを着た日本人2人が教室をのぞきに来た。
久々に話す日本語。
なんか丁寧な日本語を使うのも疲れるなと思った。
校長に会いに来たらしい。
何をしに来たのか聞いたけど、ただ校長と話があったから等等、訳がわかんなかった。
ここでの暮らしはどうかなど一般的なことを聞かれただけだった。

午後は宮保鶏丁、芙蓉鶏片、鍋貼牛肉を習った。
ちょっといまいちだな。
と言うのは宮爆はもう習ったものだし、芙蓉は前に習ったもののアレンジ、
牛肉はピカタのようなもの。
先生の意図は多分、重要なものは2回習わせ、後はアレンジの仕方を教えたいのだろう。
アレンジは一番大切なことかもしれない。

午後の授業でいきなり褒められる。
午前中につくった料理は2回目だけど、
俺は前に習ったときのコツを忘れずによくつくられている。
みんな見習えということだった。
褒められるのはいいことだけど、照れるな〜、さすがに。

帰りに大姐と盛華の3人で西駅まで歩いて帰ってきた。
大姐曰く「日本人が中国に来てもみんなにつらく当たられるし、中国人が日本に行ってもつらく当たられるし、どこの国も同じだね」とのこと。
はっきり言ってそうだ。
でもつらいこともあるが、嬉しいことはその倍はある。
あまり神経質になってちゃ生活していけない。

あ〜あ。大きなコンロでつくりたい。
授業では6つのコンロを20人で使う。
一日2つの料理をつくり終えたら後は昼食作り。
その昼食作りの当番は早い者勝ち。
いつもコンロを取ろうとスタンバイしているんだが負けてしまう。
明日は取ってやるぞ!

 


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10月27日 水曜日

夜、同級生たちが遊びに来た。
自分も合わせて8人。
もうすぐみんな卒業だからお別れ会みたいなもんかな。
俺と盛華、呂さん、劉君、ハンガリーに移民した革ジャン兄貴、
四川の小太り、ケーキ職人、近所の同級生。

授業が終わった後みんなでバスに乗って帰ってきて、
近くの市場で買出し。
みんな、家で調理をするのは久々と言うこともあって、
買い物をしている時の彼らのまなざしは真剣そのものだった。

メニューはマーラー魚片、ウォースン肉片、素炒菜心、
にんにくの芽と肉の炒め物、豆腐の煮物、うこっけいの丸鶏スープ、
きゅうりの和え物、素炒土豆絲、トマトと卵の炒め物、トマトサラダ、
ビール29本!

各自1品をみんなで2時間ぐらいかけて一生懸命作った。
特にマーラー魚片は四川人が作った本格的な味で絶品!どれもうまかった。
酒を飲みながら、この料理はこうしてつくるとか、
ちょっとしょっぱいとか、批評しあいながら食べた。

この中で全員が調理師になるとは限らないけど、
やっぱり調理が好きなんだね。
ちなみに俺はトマトサラダを作った。

トマトにマヨネーズをかけたやつ。

和食を披露する絶好の機会だと思ったのだが、
台所がせますぎてそれどころじゃなかった。
簡単な料理だったけど油っこい物の後のトマトはうまかった。
でもみんなやっぱりマヨネーズは慣れていないらしい。
トマトには砂糖派が圧倒的に多いようだった。

兄貴が、「お前のやってること(調理留学)はみんながやってることじゃないから日本に帰ったら絶対成功できるぞ!」と激励してくれた。
ありがとう。

乾杯を何度も繰り返し、ベットに寝込むやつ、ビールとスプライトを混ぜて飲むやつ、ある人は武術を教えてくれたり結構盛り上がった。
11時30分ごろにお開き。
いつの間にか台所も掃除されていて、感動する。
ありがとう。

 


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10月28日 木曜日

朝、二日酔い。
盛華は寝ていたので一人で登校。
体調が悪くて午前中につくった塩椒鶏柳と魚香肉絲は失敗してしまう。
鶏柳は油の温度が低くて衣が膨らまず。
しかも一気に入れてしまったのでくっついてしまった。

魚香は油が少なくて豆板醤を炒めても風味が出てこなかったし、
澱粉が濃すぎてメタメタになってしまった。
とにかくまずかった。

体調によってつくる料理の味が大きく左右されてしまう。
調理師は自分の健康にも気を使わないとな。
先生の評価も当然いまいちだった。
何もいわずにボウルの中へ廃棄されてしまった。

悔しいと言うよりも、
具合が悪かったせいでどうでもいいやと言う感じで投げやりになってしまった。
うまくいかないな。
最近作ったものはどれも失敗。
明日は初中級クラスの最終日で、
実習試験もある。
うまいの作るぞ!

午後は広東料理を習う。
ドウチ牛肉、黒椒牛柳、木(キヘン)覧菜肉砕四季豆。
ドウチ
は納豆のような香りがして癖になるような味。
黒椒は牛肉の黒コショウソース炒めをホイルで包んで上から白酒をかけて点火するというしゃれた料理。
四季豆(インゲンの長いやつ)はあっさりしていて、素材の味が出ていた。

授業中にしょっちゅう聞かれることがある。

「学得会ma?」(習得できるか)

自分でも分からない。
今までに何を作れるようになったのか、
何を習得したのか分からない。
知識は増えても体が習得していないような感じがする。
塩加減にしても何にしてもグラムを計って味付けするものじゃない。
自転車と同じだ。
体が覚えるまで練習しないとすぐに忘れてしまう。
頭で作る料理は本物じゃないからね。

 


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10月29日 金曜日

今日は初中級クラスの最終日だった。
いつもどおり、午前中は実習。
ドウチ
は最初にちゃんと炒めなかったので風味が出ず。
四季豆は火を通しすぎて素材の味がなくなっているとの評価をもらう。
午後は広東料理を習う。
最終日にふさわしく、ちょっと豪華な料理を習った。

そして4時から実習試験。
学科の卒業テストのようなものだ。
お題は冬筍里脊絲だ。
授業中に2回作ったこともあり自信があったのだが、
今日作ったのは満点ではなかった。

まずは包丁とぎ。
そして肉を千切りにする作業。
スライスするのが手こずった。
厚さにばらつきがある。筍も然り。
筍は厚くなったところを捨ててしまうのがもったいないから
そのまま使ったらやはり見た目に影響が出た。
肉はまずまずの形に切り終えた。
他の生徒や老師が見守る中での試験は結構緊張した。

肉に下味、澱粉をふって、筍を湯通しし、
油を温めていたら後ろから老師が「もう揚げろ!」と言っていた。

が、これは俺の試験だ。
自分の感覚で作りたかったので敢えて無視をした。(ごめんなさい)
結果は、老師のいうことを聞かなかったために油温が高すぎて肉同士がくっついてしまい、少し焦げてしまった。

88点。合格点だが5人の中ではトップになれなく、真ん中ぐらい。
自分のレベルを知ることが出来ただけでも大きな収穫だが、
さすがにへこんだ。
何を学んできたのだろう。

帰りはあまりしゃべらず。
景気付けに盛華の卒業を祝うと言うことでレストランに行った。
阜成門の三湘儿女という湘菜料理の店。
初めて湘菜を食べたが、
今まで食べた中華の中でも結構上位の方に入る料理だった。

四川料理はしびれ辛い料理だが、湘菜はピリ辛い。

特に酸辛脆肚という豚の胃袋の炒め物の絶妙な酸味と辛さがとてもホルモンと調和して感動するほど美味だった。
インゲンの古漬け、にんにくの芽、しょうが、唐辛子、唐辛子を漬けたものが入っていた。
その他には土鶏ときのこの土鍋スープ。
これもまたうまかった。
とりくささがなく、それでいて旨みがしっかりと出ている。
薄い黄色できのこがどっさり入っているが、あくまでも鶏スープの味だった。
このスープでラーメンを食べたら絶対うまいだろう。
まだまだおいしい料理はあるはず。
探していこう。


初中級コースの卒業写真

 

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10月30日 土曜日

午前の冷菜課の授業では4つの冷菜を習った。
この授業はたくさん学べるからいいけど、老師が作るのが早すぎてメモできない。

干炒牛肉。
硬くて噛むのがしんどかった。

素什錦。
しょっぱい。スパイス利かせすぎ。

魚善魚の和え物。
にょろにょろして見た目も悪かったしおいしくなかった。

つらい。
同級生たちもおいしくないといっていた。


午後はすずめの食品彫刻を習う。
老師は北京訛りがひどくて聞き取れない。

最近、日本と言う発音を聞くとビクッとくる。
小日本とか抗日とか。
1人だもんな日本人。
でも、こんなことでくじけていては来た意味がなくなってしまう。
この2日間、沈みっぱなしだったけど(ちゃんとした中国語を話せ!と小声で言っているやつがいる)
負けるなよ!自分!頑張れ自分!1人で寂しい思いをするのはどこの国でも同じ事。
寂しいのは自分ひとりじゃないぞ!
今までやってきたんだし、元気出しな!


最近、布団一枚では寒くなってきた。
帰りに天意市場と言うデパートに寄って毛布を買おうとしたら、
いきなり蛍の光のメロディー。
まさか5時半閉店なわけないだろうと思い入っていったら次々と店のカーテンが閉められていき本当に閉店してしまった。

まだ夕方だぞ!国営なのかな?

 

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10月31日 日曜日


自作 鶴と雀

午前中は冷菜課。
魚の燻製、しいたけの煮物、豚の腎臓、口水鶏を習った。
魚の燻製は、ヒノキ、おこげ、茶葉などを使った本格的な料理。

でも、煙の味しかしなかった。
子供の頃、外でごみを焼いている時に箸にソーセージをさして焼いて食べた時の、
まさに煙の味。
この料理は賛否両論だった。

しいたけは甘露煮、口水鶏は中華ソースをかけた煮鶏。
腎臓は湯通ししただけだったのでちょっと生の感じがした。
油で揚げた方が良い。
この老師の場合、味付けはあまり参考にならないが、調理法、秘訣などは参考になる。
燻製だって、少し方法を変えればおいしい料理になると思う。

昼はドカベン君とラーメンを食べる。
19歳とは思えない老けぶりだが、モンチッチみたいで愛嬌のあるやつで、

自分が欠席した時の俺のノートを一生懸命写していた。
北京訛りがひどくて聞き取れないけど、
なんか感覚で言っていることが分かるような気がする。

1時間早めに教室に戻って、宿題のすずめを彫っていたら、
楊老師がきていろいろ指導してくれた。

今日は大根で鶴を彫った。
彫刻は自分で言うのもなんだけど進歩があると思う。
この2ヶ月でいろんな彫刻を習った。
俺はクラスでもトップレベルの方だ。
しかし、帰国した後この技術を使う機会があるだろうか。

授業が終わってから阜成門の万通に行ってセーターを買ってきた。
向こうの言い値は160元だったが、60元で買ってきた。
800円ぐらいかな。

中国の服の値段は日本の半分か1/3ぐらいで、
中国の物価からすると高い。
値切らないと損をする。

今日は店の売り手の手法がだんだん分かってきた。
最初はすこぶる高い値段を出してきて、
こっちが希望の値段を言うと「そんなに安く出来るわけないでしょ!」
と返してくる。
「いくらだったら買う?」と聞いてくるので、
ここで希望値を高くしていったら相手の思う壺。
強気で自分の希望値段を通して、それでも駄目だったら帰るふりをする。
普通はここで「いらないの?お兄さん!分かったから、あんたの言い値でいいからさ、かっていって!」となる。
もちろん安く言えばいいってものじゃないけど、
現地の経済価値観を養うのが大切だ。

しかし帰ってきて着てみたら、ウールじゃなくて綿セーターだった。
値切る前の問題だ。
タッグに書いてあるウール100%は偽者だった。
値切るよりも前に物を見る眼を養わないとな。

帰りに東方餃子王で夕飯を食べてくる。
安いので一両(50グラム、6個)3,5元と少し高めだった。
味は普通。
焼き餃子は油っこくて胸やけした。
6年前、天津のぼろい食堂で食べた水餃子が一番うまかったな。


熱心に授業を受けるドカベン君



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