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中華への道!ダイアリー

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2004年9月


9月1日 水曜日

北京青年の家ロビーと8人部屋

10時にホテルを出て故宮へ向かい、天安門へぬけた。
今日は学校の場所確認にいってきた。半日歩いてやっと分校を発見。
目立たない通りを入ったところの建物だった。
1階を借りているらしい。

そのあと、数時間をかけて西駅近くの本校をやっと見つけたが、
ちっ違う!
学校のホームページに載っていたあのビルは何?
小学校の1階にあるとは聞いていたが、写真で見た立派なビルとは程遠い
普通の校舎だった。
でも、建物が立派だったらいいってことはないよ。中身です。
一応電話をして明日伺うことを伝えた。


いま、建国門近くの青年之家に泊まっている。
38元の4人部屋。

がらーんとした部屋の四隅にベットが置いてある部屋。
なぜか中国人といっしょの部屋に入れられた。
その中の一人と話をした。名はビンビン。23歳。
フランスに留学するとのことでがんばって勉強している。
明日、ビザ取得のための面接があるのでここに泊まっているらしい。
成功するといいな。みんながんばってる。

4年後の目標は?ときかれどぎまぎしてしまった。
それから中国料理界の成功者物語を聞かせてくれた。
その人は10代で田舎から出てきて北京の食堂で働き始め、
26で中国系ファストフードチェーンのトップに立った若者。
その人の記事も見せてくれた
確かにツワモノ。努力家。

俺の目標はビッグになることだけではない。
うまいものを作れるようになることが自分の目的であり目標でもある。

どんなものでも作れるように知識も必要だ。栄養学とか。


足が痛い。歩きすぎた。ひざの裏側が痛くて歩けない。


 

9月2日 木曜日

空調の音、ベッドがきしむ音でよく眠れず。
でも安いからいいや。トイレもシャワーも共同だけどもね。

今日は中国に来てから3日目。やはり長く感じる。
昨日、ビンビンと成功者の話をして少し怖じ気ずいてしまった。
彼のように頑張れるか、技術を習得できるか。

何か、何をしに来たのかわからなくなってきた。
本当に調理をしたいのなら、1年じゃ足りない。
かなり努力が要る。天性も。

昼に学校に行ってきた。
事務所に入ると60歳ぐらいの孫先生という
初老の先生がが応対してくれた。
校長が待っているのかと思いきや、孫先生は俺が来るのを知らなかった様子。

というか、日本人か来ると言う話さえも聞いていなかったらしい。
俺が予想していた対応とは程遠いものだった。

・・・学校に行くと受け付けに奇麗なお姉さんがいて、
俺が日本から来たことを告げると、
ようこそいらっしゃいました!さあどうぞこちらへ!と言われ、
応接室へ。
そこでは校長はじめ先生たちが待ち受けていて熱烈歓迎の洗礼を受ける。

…大体このような対応をしてくれるだろうと想像していったので、
なんか、自分が招かれざる客のような気がした。
日本の留学斡旋会社にすべて頼んでいたのだが、
ほんとにしっかりやってくれたんだろうか。

結局今日は授業課程の説明を簡単に受け、
軽く授業参観をして帰ってきた。
帰る途中、孫先生が近くのホテルに連れてってくれ、
俺の住む場所を探してくれた。
でも、半年契約でも1日180元(1元13円)といわれ即断る。
アパートもここらへんでは30uで1600元/月だって。これも即断る。

学校の帰り、用事もないのに2階建てバスに乗って郊外へ。
山のふもとまで行ったのに、人がたくさん。
たまには一人の空間がほしい。

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9月3日 金曜日


これが学校です

今日は午後に学校に行ってきて登録してきた。
なんか基本的には初中級クラスと高級クラスに大きく別れていて、
後は広東料理や四川料理のクラスなどがあるようだ。
普通の中国人は初中級クラスの2ヶ月コースを受けて卒業するらしい。
俺はなんだか説明を聞いてもよくわからなかったので6ヶ月コースに登録した。
学費は全部で6300元。9万ぐらいかな。

その後、西単の中国銀行本店にいって学費の10万円を両替。
74枚の100元札が新札で出てきた。
こんな大金もってる奴いないだろうな、と周りを警戒していたが、
俺の隣りに並んでいたおばさんがナイロン袋いっぱいに札束をつめていた。

ちょっとほっとした。

もし強盗が入ってきたら、俺の財布よりおばさんのナイロン袋をねらうだろう。
ガハハハ〜って笑いながら、これでマンション買うんだなんていってた。
盗まれないようにね。


夕飯は旅館近くの立派めな食堂で食べた。
ホイコーローとごはん、ビール。
最近とった野菜はホイコーローにはいっていたにんにくの葉だけ。
(中国のホイコーローはキャベツとは限らない)
でもうまかった。

ビンビン君は今日の朝チェックアウトしていった。
面接の試験はどうだったんだろう。
そういえば、昨日の夜にビンビン君と廊下で話をしていたら、
管さんという体格のいい中国人がいきなりビールを飲もうと誘ってきた。
何だろうと思ってたら日本語を教えてもらいたかったらしい。
日本語の発音を漢字を使った当て字で紙いっぱいに書いていた。
全部、日本人観光客に教えてもらったんだって。
がんばってるな〜。

夜、もう一人の同室と話す。
銭君という名で、彼もフランスへのビザのために北京に来ているらしい。

明日から授業だ。
午前は冷菜、午後は野菜の彫刻。
不安だけど何が起こるか楽しみだ。



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9月4日 土曜日


教室にて


平盤(冷菜)

どうしよう。学校の選択を誤ってしまっただろうか。
なんだ?この学校。

9時から授業が始まり、先生が冷菜を作り、生徒がそれを見るという内容。
まず、セロリを薄切りにして皿に敷き、
にんじん、大根、ハム、ブタの耳などを同じ大きさに薄切りして
皿にきれいにならべた。
簡単なようにみえて結構時間がかかる料理だ。
でも、セロリは洗ってないし、筋もとってない。
ハムはすでにすっぱい匂いがしていた。

生徒は訛りがひどいので何を言っているのか聞き取れないし、
ある生徒は、「先週作ったのよりいいね」なんて大声で先生を評価していた。
そんな感じのなかで冷菜が出来上がり、

10時半に授業が終わった。

料理が出来上がってからは余ったハムやブタの耳をみんなで食べた。
俺も腹が減っていたので負けずに食った。
授業終わるの早すぎないかと思いつつ・・・。

昼の空いた時間は西単の本屋に行って時間をつぶして、
その後時間通りに学校へ戻ったのだけど、

先生が来ない。

2時ごろに派手なTシャツを着てピアスをつけた、
今時の若い奴が教室に入ってきたなと思ったら、
なんと彼が先生だった。

ガ〜ン!

正直、なんか今までの中国に来るためにした努力が無駄になるんではと
不安になった。

でもまあ、見た目によらず、腕の方はすごかった。
赤大根を使ってあっという間に鶏を彫っていた。
俺も挑戦したが、先生にカタツムリか?と笑われた。
確かに足のついたカタツムリの形だった。無視。

結局午後の授業は3時半でおわり。
一日3時間しか授業がないのだろうか。
昼休みは長すぎるし、何なんだろうこの学校。


夜、旅館で管さんにまた日本語を教える。


日本人の旅行客が俺の部屋に入ってきた。
中国語が話せないようなので心配。


銭君といろいろ話をした。
日本の漫画、ドラマなどをよく知っている。
中国人と話していると必ず歴史の問題にぶつかるのだが、
彼が日本の政府は嫌いだと言ったときの憎しみがこもった目を見たとき、
問題が深すぎてもうどうにもできないと思った。


さっき、他の部屋から女の泣き声が聞こえた。どうしたんだろう。


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9月5日 日曜日


赤大根の薔薇

今日は午前の授業をキャンセルして午後の派手な先生の授業へ。
昼休みが長すぎるので午後だけを先に受けて、
2ヶ月後に午前の授業にチェンジすることにした。

花を彫ってきたが、先生の腕は本当に鮮やか。
バラの花のようなものを彫ってきたが、
花びらが厚ぼったくなってしまう。

先生からは初めてにしてはまあまあだといわれた。

夜は銭君と昨日来た日本人のN君と飯を食いに行った。
チンジャオロースーを頼んだつもりが京醤(ジンジャン)ロースーがでてきた。
どこからどう見てもピーマンが入ってなかったので銭君に聞いたら、
俺の発音が悪かったらしくてチンジャオじゃなくジンジャンがでてきたみたい。
末期です。

あとはエノキダケの和えもの、椎茸とチンゲンサイの炒め、魚の揚げ物を食った。
魚の口にブロッコリーが刺さっていたのを見て爆笑。
やっぱり、盛り付けの美的感覚が違いますね。


久々ににぎやかな食事をした。栄養も摂ったし。

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9月6日 月曜日


学校から支給された中華包丁

初中級調理クラスが始まった。
7時起床。N君は長城へ。
銭君はビザの選考試験に行った。

7時40分に旅館を出て、50分まで屋台でおかゆを食べ、
10分歩いて建国門駅へ。
地下鉄に乗って20分ぐらいで軍事博物館駅に到着。
その後15分歩いて学校到着。
片道1時間もかからないから苦にはならないな。

授業は9時開始。
周先生という30代後半の小太りな先生が最初の3週間、
包丁の使い方の授業を担当。
まずは丸太を輪切りにした分厚いまな板を用意して、
包丁の握り方、空切りの練習をした。

何でこんなナタみたいな大きな包丁を使うんだろう?と思った。
500g以上はある。
人差し指、手首が痛い。
とりあえずみんな早く空切りをやれるようになったので、
今度は研ぎ方を練習。
内側は少し角度をつけて研ぎ、外側は平らにして研ぐ。

次は大根の千切りの練習。これはまずまずの出来。
実際に野菜を切ってみると和包丁より使いやすいかもしれない。
手首のスナップを利かせて包丁の重さに任せて切ればいい。

11時から13時までは休み時間。
やはり長すぎる。

学校が出す3元の昼食を食べた。
授業中にインゲンの筋取り、切り方を練習したが、
それがそのまま炒め物になって出てきた。
おいしいけどちゃんと洗ったのかな?

あとは教室で放映している映画を見る。
聞き取れないから面白くない。

午後1時から3時までは理論の授業。
食品の知識などを習う。
まずまず聞き取れはしたが、眠かった。
3時から4時まではまた刀工。
平日の課程は週末よりもしっかりしているようだったのでほっとした。

帰りは時間を気にしなくていいからバスに乗ってきて王府井をぶらついてきた。
途中、雨が降ってきたので店の中に入り、
ついでにTシャツを2枚買った。
2枚で50元。ちょっと高かったかな。

夜は管さんに日本語を教える。
教えるよりも中国語を勉強しないとな。

 

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9月7日 火曜日


調理理論の教科書

ひたすら刀工、刀工、刀工…。
うまく切れるようになってきたが指を切るのが怖くて早く切れない。

休み時間に他の学生たちとロッカールームで話をした。
「日本人?中国語うまいね(お世辞?)いつ帰国するの?中華レストランを開くのか?」
などなど。
人なつっこくいろいろ聞いてくる人と、
人見知りしてか、日本人と警戒してか、または興味がないのか
チラッと俺を見て去っていく人もいる。

午後の理論の授業は眠くてしょうがなく、
集中力のなさ、リスニングの弱さを知る。

最後の1時間は、またひらすら刀工刀工刀工…。
疲れて少し休んでると
「切れ!切れ!切れ!ボーっとしてんな!!」

と、先生の喝が飛んでくる。

ほとんど体育会系のノリです。

夜はN君と飲みに出かける。
彼は会社の休みを利用して世界各地を旅行して周っているみたい。
トルコで食べたサラダが消化されずに原型の形を残したまま出てきた話や、手でお尻を拭く話などで盛り上がる。
いなくなると寂しくなるな〜。
あさって帰国するんだって。


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9月8日 水曜日

この旅館に来て1週間。もう1ヶ月は経った気がする。長かったな〜。でも仲良しもできたし、授業中に「千切りが早くてよろしい」とほめられた。

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9月9日 木曜日

中国に来てもう10日が過ぎた。
まだ10日と言った方がいいのかな。
いろんな出来事がたくさんあった。内容ぎっしり。

昨日もバスで帰ってきたんだけど、
部屋に着いたらN君がベットで休んでいた。暑さでバテたみたい。

同室のシンガポールのおっさんは身の回りのものをかばんにしまいこんで
帰りの身支度をしてたからびっくり。
なんだかんだ言って長居をするもんだと思っていたからショック。
メールアドレス交換をしたが、アカウントが「マフィア」。
何者だろう。

ありがとうの言葉を残して、その日の夜におっさんは旅館を出て行った。

なんだかんだいって、あの3人体制が自分には心地よかったな。
N君とマフィアのおっさん。
部屋に帰ってくれば2人のうちのどちらかが待っててくれるという感覚。

(おっさんは毎日観光に出かけるわけでもなく、旅館内をうろちょろしているだけだったので、いつも部屋にいた。そのためにみんなから怪しまれていたが…。)


夜にN君と少し話をした。
ソウルに3日ぐらい滞在してから帰国するらしい。
5日間だけの滞在だったけど、
なんか1ヶ月ぐらい一緒の部屋に住んでたような気がしてならない。
昨日、握手をして別れた。
今頃はソウルだろう。

今日、部屋に帰ってきたら鍵がかかってたので小姐に聞いたら「今日は1人部屋だよ、うれしいでしょ?」と言われた。

ガ〜ン!

嬉しくなんかないよ!

寂しさを紛らすためにBSを見た。
ワイン講座という大して面白くない番組をやっていたが、
日本語が恋しいというか、日本の友達が恋しい。

ちんたらテレビを見ていると菅さんが晩飯に誘ってくれて、
酒を飲みながら風俗の話など自由に話をした。
帰るときに「今日は心を開いてくれてありがとう」と言われた。
別にお礼を言われることはしてないんだよな〜。

なんか済南の時の中国人の友達とは違う。
かえってあの時のように「共産党を悪く言うな」とか言う純な部分があったほうが安心できるんだよな。

管さんと、教科書、歴史問題などいろいろ話したけど
なんか一線を越えられないもどかしさがある。
自分の考えをまっすぐに伝えられない。
思うように中国語を使えないのもあるけどね。

N君〜!マフィアのおっさ〜ん!戻ってこ〜い!寂しいよ〜!
でも、まずここで少なくとも6ヶ月過ごすんだから、
いろんな人と会えると言うことでいい方に考えるようにしよう。

一人で過ごす時間は本当に久しぶりで、
いろんなことを考えてしまうけど、
いつもなんでここにいるのか考えてしまう。

別に今の自分に疑問を持っているわけではない。
まずは自分の願っていた方向に来ていることは感じる。
その為に頑張っている。

でもいつも何か足りないって言う感覚が付きまとっているんだよな。
目標よりも目的を持って行動することを心がけているんだけれど、
達成感を感じることができないんだよな。

調理の技術、中国語のレベルなど、
足りないものはたくさんあるけど、
それらを抜かしてもやっぱり何か足りない。
金?結婚?いや、彼女?子供?

なんか分からないけど
明日の朝になってればこんなこと考えてる暇はなくなるだろう。
起きたらまた忙しい朝が始まってるさ。

実は足りないものは何か分かっている。
でもそれを認めれば、
今ここにいる自分が意味のないものになってしまうんじゃないかと不安で。
一人より二人の方が楽しいのは分かっている。
でも自分の能力を試してみたくてここにいる。

前に中国に来たとき考えていたことと同じだな。



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9月10日 金曜日

午後10時。眠い。

午前中はザーサイ、鶏肉、パンの千切りを習う。

来週から昼飯を作る係りがうちらの班に回ってくるので
いろんな人が学生たちの技術の進み具合を見に来る。
学校中の人が同じ昼飯を食べるので先生も責任を感じている様子。


午後の授業でおもしろい場面があった。

学生「この学校を卒業すれば、北京で仕事をすることができますか?」

先生「君は南方人だろ?普通の社長はあまり南方人を採用したがらないよ。東北人しか採らない社長がほとんどだよ。」

学生「なんでですか?」

先生「河南とか安徽省の人たちは素質があまりよくないからね。物を盗んだり、犯罪を犯したり…。何でか分かる?貧しいからさ。貧しいと盗みを働く。別に彼らのせいだけではない。共産党が悪いんだよ!」

学生B、C(あわてて口に人差し指を当てて)「し〜!」

先生「だいじょうぶだよ、だってそうだろ?そうおもわないか?中国を動かしているのは共産党なんだから。」

学生B「そんな事言って大丈夫ですか?」

先生「だから大丈夫だって。」

学生D「先生!今の会話はノートに取っておいたほうがいいですか?」

ここでどっどわらいが沸き起こる。

この時は珍しく全部聞き取れたので一緒に大声で笑った。
いつもはみんなが笑っても
自分だけ何が起こったのかわからず苦笑いすることが多いんだけどね。

2人の生徒が口に指を当てて先生を止めようとしたのが印象的だった。

帰りにバスの中から天安門にかかっている毛沢東の肖像画を見て、
ここは一党独裁の国なんだなと改めて感じた。

部屋に新入りが2人。
モンゴル人と河南の人。
出張に来ているみたい。
訛りがすごくて聞き取るのが大変だが
お互いの国のことを話した。
相撲のはなしなど。
マネーの虎に出ていた、モンゴルでタクシー会社を開いた日本人を知っているようだった。



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9月11日 土曜日


食品彫刻クラスの授業風景 帽子をかぶっているのが老師 

今日は土曜日。
午前中、BSで連続テレビ小説を見る。
天花をやっていたので思わず5話連続で見た。
話自体はつまらないが、
あの日本のドラマの独特の雰囲気が懐かしい。

河南の人と歴史、経済の話をする。
ほとんど聞き手に回るしかなかったけど。

昼前に歩いて前門まで行ってきた。
98年に来たときより、ごちゃごちゃしている感じ。

奥の方に風情のある商店街があったので
29元のズボンを買ってきた。(静電気がすごくて足にまとわりつく。
まさに安物買いの何とやらだな)

午後の彫刻の授業ではまた花の彫り方を習った。
宿題の昨日彫った花をみんなに見せたら一生懸命にほめてくれた。
ちょっとほめ殺しじゃないかい?と言うくらい。
先生はただ「まあまあだ」の一言。
先生の水準に少しでも近づきたい。



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9月12日 日曜日


自作大根製薔薇の花

午前中、ネットをする。
日本のニュースを隅々まで見る。
家に電話をした。
北京に着いた時に電話をしたっきりだったので
かなり心配していた様子。ごめん!

授業ではまた花を彫った。
先生から「この調子だったらこれからも続けていけるな」と言われた。
だんだんとコツがつかめてきたようだ。
でも先生の北京訛りが激しくてあまり聞き取れない。

授業が終わったあと学生たちとおしゃべりをした。
みんな初めて俺が日本人だと分かったようでびっくりしていた。
歴史、中国人留学生の殺人、サッカーのブーイングの件などを話したが、
結局は、政府間の問題は俺たちのような市民が影響を受けるべきではないと言うことで決着した。

旅館に帰ってきて管さんと晩飯を食いに出かけた。
SMなどの風俗に興味があるようで、
ブルセラ、出会い系メールなどのことを話した。
管さんはネットでもう調べはついてる模様で
俺が知ってる風俗系の知識はもうすでに学習済みだった。
恐るべし。

部屋に帰ってきてモンゴル人、河南人の同室と話をした。
どちらも40位の人で、モンゴル人は凛々しくたくましい感じ。
河南の人はどこにでもいる普通の小太りのおじさんと言った感じ。

聞く所によると、モンゴルには2千人ぐらいの日本人がいて、
日本人が開いたタクシー会社を皮切りに、
今ではたくさんの同様の会社ができているらしい。

そのほか、ピストルは自由に買えるとか、
賄賂を贈ってどうのこうの、
出生率が低いせいで子供を産めない女とは自由に離婚できるだの、
いろんな話を聞いた。

物価は安くはないみたい。
ゆで卵1個1元(ペキンでさえ0.5元)、
鳥のモモの照り焼き1本10元。
野菜は全部中国からの輸入品とのことで高いらしい。

モンゴルのおっさんは「20元でたらふく食えるんだぞ〜!どうだ安いだろ?」と言っていたが、俺も河南のおっさんもそれには同意しなかった。



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9月13日 月曜日 授業2週目

今日もまた刀工だった。
うまく切れるようになったが、まだやっぱり大きさ、薄さにばらつきがある。
バラ肉を切った。

今日から新入生たちが7〜8人入ってきた。
毎週次々と新人が入ってくるらしい。
ピストン方式なので毎週入ってくる人もいれば卒業していく人たちもいる。
一人だけ俺のグループに入ってきた新人がいたが
俺が見た限りでは粗末だった。
早ければいいってもんじゃない。

帰りにクラスメイトと帰ってきた。
よく話す奴。
彼のふるさとではジーダン(卵)をジドゥンと言うそうだ。
道理で彼の話す中国語は聞き取りにくい。
四合院に住んでるんだって。

…今、中国語がピンチ。発音もめちゃくちゃ。

ただいま午後10時。
時間がもっとほしい。
5時に帰ってきて疲れて1時間休み、
6時に飯を食いに出かけ、7時からシャワー、洗濯。
8時から管さんと話したり他の旅行客とおしゃべりをしたりと
自分の時間がほとんどない。
といってもサラリーマンしてた頃よりも時間はあるよな。

しかし、とにかくもう眠い。
さっき、2人の日本人旅行客と話をした。
一人は少数民族の研究、
もう一人は相声(漫才)の研究で来ているらしい。
面白い。
この前、内モンゴルに行って馬に乗り尻の皮がすりむけたそうだ。
痛そ〜っ。
5日後に帰る様子。

あ〜っ、ほんとに眠い。
明日からもっと時間を有効に使おう。
おやふみ〜。



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9月14日 火曜日


草魚

午前中 にんじんのスライス、ジャガイモの千切り、エンドウのぶつ切り、カリフラワーの切り方。午後 魚の下ろし方。

魚は難しかった。
初めて手こずった。
まず、草魚という鯉のような川魚の内臓を取り除き、
頭を切り落としてから背骨、肉とに切り分ける。
完全に3枚にはおろさずに、鹿の子切りのように肉に切り目を入れていく。
草魚は腹を切ったときに緑色の液体が出てきて思わず「オエッ」ときたが、
3枚におろした頃にはきれいな白身の肉になって、
刺身にして食いたいほどだった。

帰りは雨だった。
昨日一緒に帰ったクラスメイト(しょうゆ顔をしているのでしょうゆ君と呼ぶことにしよう)と雨の中を走っていると、
木の下で彼女が待っていた。
う〜ん、羨ましい。
西駅まで一緒に走っていって違うバスで帰ってきた。
一人身はしみるね。
こういう時は特に。

部屋に戻ると河南の人は帰ったらしい。
新しいおっさんが入ってきた。
天津から来たらしい。
夜、日本人旅行客と一緒に管さんに日本語を教える。

今まで学費、部屋代以外に一日50元ぐらい使っている。節約せねば。



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9月15日 水曜日

今日が何日かも忘れてしまう。
北京に来て2週間が過ぎてしまった。
何を習得できただろう?
刀工は魚意外はまあまあといった感じと言いたいところだが、
まだ片、絲の切り方にバラつきがある。
部屋に帰ってきてからも練習したいが、台所がない。

今日は天津の人が朝に帰って、瀋陽の人が新しく部屋に入ってきた。
夜、瀋陽の人と、彼の友人とで一緒に飯を食いに出かけた。
ん〜、同じ位の年の中国人となら平気だけど、
歳が上だとしきたりが気になる。

酒を飲むたびに軽く乾杯しなければいけないし、
ご馳走すると言われても何を頼んでいいのやら。
値段も気になるし。

食事中はほとんどその二人で話をしていたのだが、
聞き耳を立てていたら瀋陽の人には若い彼女がいるらしい。
愛人といったところだろう。
その愛人は日本で働いたことがある人で、結構若い感じ。
(電話で俺も少し日本語で話をした)
二人は結婚する予定らしいが、友人がしきりに反対をしていた。
性格に問題があるだの、金目当てだの…。

部屋に帰ってくると管さんが待っていて、
俺に湯飲み茶碗をくれた。ありがとう。

なんかどこに流されていくのか分からなくなる。
自分の力で泳いで岸にたどり着く力がなさすぎ。
いろんな人と会うたびに聞き取れなくてちんぷんかんぷん。
だけどいろいろ身についてる事もあるような…。

そんなごちゃごちゃした中で半月が過ぎた。
いまだに、突然、不安や孤独感にさいなまれることがある。
どうしようもない。
この生活に慣れるまで辛抱するしかないな。

そういえば今日、授業中に歴史の話が出てきた。
古代の調理の方法から始まって、近代の歴史の話に発展していった。
もちろん日本の占領時代の話も出てきた。

先生は一応俺に確認してから話し出した。
「歴史の問題は習ったことがありますか?」
「はい、あります。でもあまり詳しくはありません。」
「当時のことを今話しても問題ないですか?」
「もちろんいいですよ。」
と、こんな感じで。

内容はいつ戦争が始まり、日本軍がどのようなことをしたかなど
終始、客観的な内容だったが、
調理理論の授業に何の関係あるのだろうか?
分からない。



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9月16日 木曜日


今日は冬瓜、肉、カリフラワーなどを切った。
肉の薄切りは難しい。
途中で切れてしまう。
もっと練習したい。

具合が悪かった。
風邪でもひいたかな。
栄養が足りないからかな?

夜、マックに行ってセットを食べた。
こんなときにマックは良くないが、精神的に安心して食べられる。
たまに食べるとおいしい。

帰ってきてからうがいをするようにしているが、
水道がドブくさい。
ウェッときた反動で飲み込んでしまった。オエッ。

今日の朝、山東の人が新しく入ってきた。
前に山東で留学していたことがあるのでなぜか安心。
歳も近いし、普通語だし。

瀋陽の人は北京よりも瀋陽に来て勉強するように勧めてきた。
田舎だったら外国人は珍しいから
通訳などの仕事をしながら調理の勉強をすることができると。
有道理。
でも、美味しい物は都会に集まるものだよ。

彼はビザの仲介会社を経営しているらしい。
アイスを2つもらって食べた。
下痢してるにもかかわらず。

10時過ぎにモンゴルのおっさんが帰ってきた。
会社から電話がかかってきて書類を取りに行かないといけないらしく、
一人だと怖いから一緒に行ってくれないかと言ってきたが、
速攻で断った。
もぉ〜、一人で行ってよ!
俺だって疲れてるんだから!

結局明日行く事にしたみたい。

4人部屋に俺とモンゴル人、山東人、瀋陽人。
もう大学の休みも終わる頃だから旅行客が減ってきたが、
この部屋だけはなぜが満員。



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9月17日 金曜日

完全に風邪。せき、鼻水。

授業では野菜の千切り、胸肉のスライス、千切り。
胸肉のスライスがまぐれでうまくいったときに先生が通り過ぎ、
褒められる。

とにかく向こうに押すように切っていって、
最後に手前に引いて切り落とすとうまくいく。
後はまな板に平行に包丁を動かすだけだ。

昼休みは醤油君と南方から来た青年と話をする。
やっぱり、「これは日本でいくら?」という質問が多い。
車、パソコン、デジカメ、時給…。

そのほか、中国では長男があとを継ぐという習慣はないらしい。
子供は結婚した後自分の部屋を買って独立するのが当たり前のようだ。

授業が終わってから、先生が何か話があるらしく、
教室の後ろの方に集められた。

「一週目の班はまずまずみんな頑張っている。でも2週目の班(俺の班)はまだまだだ。お前たちは彼を見習いなさい!」
彼って誰だよ〜、と思ってたら俺のことだった(笑)。

「彼が日本人だからお世辞を言っているわけではない。別に頭がいいわけでもないし(えっ?)技術力も低い(えぇっ?)。でも、今まで中華料理の世界に触れたことのあまりない奴がこうやって頑張ってるんだぞ!この頑張りを見習うべきだぞお前らは!」

なんか喜ぶべきか困ったが、まずは褒められたからいいか。
でも自分はいつもこのような褒められ方だ。
成績は良くないけど頑張りましたね。という感じで。
万年がんばったで賞なんかな俺は。
まっ、自分としては嬉しいんだけど…。

帰りは醤油君が待っていてくれた。
バスで一緒に帰る。

部屋代を払わなければならないので途中下車をして西単の中国銀行によったら4時で閉店していた。
ついでに図書大厦に寄って食品彫刻の本をあさってくる。
中華料理って何種類あるんだろう?
どれもこれもためになる本で1時間以上立ち読みしていたが
さすがに腹も減ってきたので帰ってきた。

モンゴルのおっさんと瀋陽の人が帰り、
今日は東京語を話す中国人と天津から来た若者、
そして山東人と俺の4人だ。
モンゴルのおっさんはついに帰ってしまったな。

4人だとさすがに部屋が暑いし、
なぜか床を這う虫が増えたみたい。
誰だ〜!連れてきたのは!?



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9月18日 土曜日


大根製菊の花(教科書より)

午前中はネットしに出かける。
N君からメールあり。
中国に滞在中、ずっと下痢だったけど韓国で治ったらしい。

午後は学校へ。
中学生ぐらいの女の子と母親が参観に来ていた。
(この女の子は実は29歳ということが後で発覚する)

今日はカブを使って菊を彫った。
彫刻刀で一段目を彫ったら、
彫った跡をナイフで削りまた彫刻刀で彫っていく。
この繰り返し。

学校の帰りに本屋によって彫刻と調理の基本のVCDを買ってきた。

夕飯は旅館近くの食堂に行って摂ってきた。
旅館のある建国門はオフィスビルが立ち並んでいる一等地だが、
少し細い道に入ると
レンガ造りの平屋が立ち並ぶ昔ながらの住宅地があり、
果物屋や食堂、床屋などが立ち並んでいる。
夜に行くと裸電球の明かりで
旅館の周りのオフィス街とはまったく別の世界が浮かび上がっていて好きだ。

昨日と同じ食堂にまた行ってきた。
ダールー麺。
卵、トマト、きゅうり、きくらげの入ったとろみスープと手打ち麺が別々に出てくる。これがなんともうまい。5元。2日連続で食べた。

モンゴルのおっさんが帰ってきて、山東、天津の若者は出て行った。
そして、何日か前に出て行った天津のおっさんがまた来た。

昨日、管さんから
「明日は日本軍が侵略を開始した日だから言動に気をつけるように」
といわれたが何事もなかった。
ありがとう管さん。

何年か前に日本の企業が中国に来て集団買春をして反感を買ったことがあったが、たまたまそれがこの日だったために大きな問題になったらしい。




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9月19日 日曜日

午前中はネット、午後は授業。
授業では違うバージョンの菊を習った。
我ながらうまくいった。
先生は俺が中国のものを熱心に学んでいるのを見て、
中国人も外国人からいろんなものを学ばなければならないといっていた。

これでいいのだ。
お互いにお互いの長所を学びあう。

先月のアジアカップのサッカーを見て
「こりゃだめだ〜、日中関係最悪!」と思っていたのが嘘のよう。
改めて実際に交流をすることの重要さを感じる。

授業中、先生はしきりにこの前授業参観に来た女の子の歳のことで
ブツブツ言っていた。
彼女の身分証明書を職員室で見てしまったらしい。

見た目は中学生だが実は29歳。
詐欺に近い…。

でも、実は俺も詐欺と言われることがある。
たまに20代前半と言われるが、
実は32ですと言うと驚かれる…。

夕飯は近くの成都小吃で坦々麺を食う。
これがまずいと言うか口に合わない。
中国で何回か坦々麺を食べたが
未だに美味しい坦々麺をたべたためしがない。

いつも酸っぱいか、辛いか、痺れるか。
今日のは辛みとしびれ、そして脂っこかった。
ちなみに塩気はなし。
四川の人に言わせると麻(しびれ)がないと物足りないそうだ。

夜、大通りの公衆電話で家に電話をする。
バンちゃん(祖母)が出た。
自分で電話を取れるようになったんだ。
(2ヶ月前から車椅子生活をしているため)
元気そうで良かった。
俺の安全を毎日祈願しているといっていた。
ありがとう。

電話をしているときに管さんが自転車で通り過ぎる。
あっちも気づいたようでその後旅館の上のレストランで生ビールを一緒に飲んで帰ってきた。
彼とはなぜか良くバッタリ出会う。
2年後ぐらいに日本に行く予定だそうだ。
ガンバ!

部屋に戻るとテレビでモンゴルの歌の特集をやっていて、
モンゴルのおっさんは上機嫌。
テレビに合わせて一緒に歌っていた。
しきりにモンゴルに来いと俺をさそってくる。
正直行ってみたいな。

彼は22日に帰国して来月家族を連れて戻ってくるそうだ。



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9月20日 月曜日

授業3週目。
丸2週間勉強した。
肉の削ぎ切りは自分でもうまくなったと思う。
でも家で練習したらもっと上達することだろう。
早くこの旅館を出て台所のある部屋に移りたい。

米ナスの皮むき、白菜、肉、ザーサイの千切りなどなどを習う。
毎日同じようなことをやっているが、
なかなか太さが一定にならない。

刀魚のぶつ切りをしている時に、リズムに乗って切っていたら、
先生がいきなり
「何回言ったら分かるんだ!こう切るんだよ!」と言ってきた。

ぶつ切りをするときは包丁の手前を使って切るべきだった。

あと一週間で刀工クラスも卒業だ。
確実に身につけていこう。

調理師試験の募集が始まった。
初級、中級、高級の3種類があるらしいが、
外国人は高級は受けられない様子。

帰りに醤油君とこの事について話したが、
何で外国人が高級試験を受けられないかというと
外国人が中国の調理技術を身につけると
中国人の職がなくなるからとか、
もし短期間で技術を身につけて試験に受かったとしても
本当の中華を理解した事にはならないという事で
受けられないのではないか?ということだった。

安易な発想ではあるが、
試験に受かったからといって技術力があるとは限らないのは確かだな。
でもせめて中級の試験だけは受けてみよう。

今日の理論課は眠気との戦いだった。


この旅館にはきれいに着飾ったお姉さんたちが結構泊まっている。
夜になるとこぞって出かけていく。
管さんによると彼女たちは売春婦なのだそうだ。
ここら一帯は金持ちが結構いるから
夜になるとその男たち目当てにディスコやバーに行くのだそう。

ナンパ男も泊り込みで獲物を漁りに来ているらしい。
管さんとその話をしている最中にも
彼女たちは俺たちの前をきわどい姿で通り過ぎていく。
頑張って釣ってきなよ。

そうこうしてると
今度はナンパ男が部屋からモッコリパンツ姿で出てきた。
事が済んだらしい。
釣られた女はさっさと部屋から出て行った。

この旅館には様々な人たちがごっちゃになって生活している。
壁ひとつ隔てて。
そこが好きだ。



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9月21日 火曜日

昨日はモンゴルのおっさんは眠れなかったらしく
夜2時ごろまでテレビを見ていた。
明日一時帰国するということで超ゴキゲン。
息子の誕生日と奥さんの妹の結婚式があるらしく、
御土産にりんご1ケースを買ってきた模様。
モンゴルでは野菜、果物が高級品らしい。

授業は今日も刀工。
肉の薄切りも大体できるようになった。
ジャガイモの千切りは未だにバラつきはあるが、上達していると思う。

午後の理論クラスでは栄養学を勉強したが3回ぐらい当てられた。
びっくり。
脚気は日本から伝わってきたのを知ってたか?とか、
日本の学校では牛乳が無料で飲めるのか?とか、
あとは戦時中、日本人は鳥目防止のために動物の内臓を生食していたとか…。

今日、昼休みに日本人の女の人と会った。
数ヶ月前にここで自分と同じく調理を勉強していたらしく
中級調理師試験の合格証を取りに来たそうだ。

試験は筆記試験と3種類の調理の実習のようだ。
合計5時間ぐらいかかる試験らしいが、俺も挑戦しよう。

彼女は中国人と結婚して、
花嫁修業のためにここで調理を勉強していたらしい。
ツワモノだな。



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9月22日 水曜日

鶏の解体。
先生の説明が早すぎてよく分からず。
でも実際に解体してみて、ササミってここにあるんだとか、
手羽先ってほんの先っぽの部分なんだ〜と感心してしまった。

解体と言っても羽も取ってあるし、
内臓も処理済だったので草魚の時よりも抵抗はなかった。
足を関節からぶつ切り、
股間の部分に切り目をいれ、
レッグをたたみ、
膝の辺りに刃をいれ引っ張り、
レッグを取り出す。

部屋のみんなは入れ替わった。
モンゴルのおっさんは朝6時ごろに静かに去って行った。
新しく天津のおじさんと日本のおっさんが来た。

日本のおっさんは40位の人で海外旅行は29回目だそう。
一人で来ているところを見ると独身なんだろうな。
旅行をするために働いているような感じかな。
それだったら楽しんでいってください。

あとは若い日本の男女が来た。
女の方はスッピンでも平気なタイプ。
男の方はしきりに髪形とかを気にするという凸凹コンビ。
晩飯に何の肉とは分からずにロバ肉を食ってきたらしい。
爆笑!。
後で犬肉食って帰んなと勧めておいた。
楽しんでいってね。



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9月23日 木曜日

今日はイカ、豚の腎臓、ラージャオ(青唐辛子)などを切った。
新しい素材を切れたのは嬉しいが、
ラージャオは辛味がとても強烈で半日たった今でも手がヒリヒリする。
その手でつまんで小便をしたもんだから
アソコにもヒリヒリが感染してしまった。マジで痛い〜。

クラスにうるさい同級生がいる。
北京訛りがひどいし、
何といっても機関銃のように話すので正直避けていた。

彼の名前は王。
今日の昼休みに自分の旅館の部屋を見せてくれたり
近くの公園に連れてってくれたりした。
いろいろ話しているうちになんか少し理解できたような気がする。
昔の日本にもこのような荒くておせっかいな人がいたのだろう。
避ける必要はないよ。

それにしても手とアソコが痛い。



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9月24日 金曜日

刀工最終日。いつも通り、野菜を切って終了。

クラスメイトの一人から、アパートの同室にならないかとの誘いがあった。
元の同室が引っ越したために新しい同室を探しているらしい。
ちょっとびっくり。
そして不安。
1ヶ月の家賃が400元とのことだが、
信用できる人物だろうか?良く分からない。
あまり話したこともないしな。

まあ、とにかく3週間が過ぎた。
北京にはもう3ヶ月ぐらいいるような感じだが、
この1週間はあっという間に過ぎた。
進歩しているのだろうか?
中国語は確実に進歩していない。



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9月25日 土曜日

凸凹コンビのおしゃれ男とネットカフェへ。午後は学校へ。



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9月26日 日曜日

午前中、管さんとデパートへ。
昼はデパートの食堂で食べながらずっとSMの話。ちょっとうんざり。
その後学校へ。
牡丹を習う。

夜、家に電話をする。
稲刈りが終わった様子。
皆元気で何より。

その後管さんと世界情勢について話した。

重い。

中国は台湾を絶対に統一させるべきだといっていた。



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9月27日 月曜日


盛華の家周辺

同室探しをしていた盛華の部屋を見に行く。
西駅からバスに乗って10分。
それから歩いて20分ぐらい。

近くにはスーパーや、市場、公園、川があって、環境はなかなか。
川沿いは公園のように整備されていて、
SARSの時はここで運動をして鍛えてる人がたくさん居たんだよと盛華が教えてくれた。
細い路地をはいって、トタンのドアを開けるとまたさらに細い路地があった。
その奥の方に盛華の部屋はあった。
レンガ造りの長屋。

屋根には草が生えていて決してきれいなところとはいえない。
だが、中に入ってみると、
きれいに改装してあって掃除をすればなかなかいい部屋かもしれない。

台所といえるところは無いが、
玄関のドアを開けると洗面所があって、
床に直にコンロが置いてある。
その奥に入ると右手にトイレ兼シャワー室、
そのまた奥に10畳ほどの部屋があった。

南向きに窓がついているしなかなかの部屋。
しかし、テレビもないし、電話線も無い。
これは痛いな。
あるのはベッドと机、壊れたラジカセ…。
スチームヒーターも無いから冬はつらいだろうな。

でも、一番気になるのは何で盛華が俺に声をかけてきたかだ。

普通は外国人と一緒に住みたがらないのだが。
ましてや盛華は日本に対して反感を持っている。

部屋に向かっている時に過去の日本軍がいかに悪いことを中国人に対してやってきたのかを聞かされたのだ。
俺はこれからはお互いの国が交流をもっと深めることが大切だとしかいえなかった。

部屋についてから、何で俺と一緒に住もうと思ったのかを聞いてみた。
彼が言うには日本人がどんな人間なのかを知りたいということと、
自分を高めるためにいろんな経験をしていきたいためだということだった。
後はこの数週間、一緒に授業を受けてきて、
この日本人だったら安全だと思ったらしい。

帰りに近くの食堂で一緒に飲み食いして来た。
盛華は見た目は東南アジア系、実は安徽省出身。
性格は無口でぶっきらぼう。
第一印象は冷たい感じだった。
話すときは怒るように話す。
飯を食ってるときも黙々と食う。

果たしてうまくやっていけるだろうか。
不安が付きまとうが、悪い人間ではない。
あまり深く考える必要は無いのかもな。
とりあえず、国慶節の時に引っ越すことを伝える。



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9月28日 火曜日 中秋節

肉絲の下ごしらえ。
清汁(野菜の煮汁)を肉に浸透させる
→食粉(アルカリ性の粉)を肉の100分の1加える
→塩、料理酒、コショウを加える
→全卵液(牛肉の場合)を加え掴むように混ぜる
→澱粉を軽く混ぜる

午後は冷菜の作り方。
野菜やハムなどの肉を同じ大きさにうす切りしてきれいに並べるもの。
難しいけど、日本でも使えるかも。
ハムじゃなくて刺身を使った方が好きだな。

最後の1時間は教室を移動して中華鍋の使い方の練習。
全然できなかった。
左手で鍋を引いたときに右手のオタマを押す。
左右の手が連動してくれない。
へこむ。

心情不好。
何日か毎にいきなり襲ってくる。
ホームシックでもないし、寂しいわけでもない。
ただ、どうしようもなく孤独を感じてしまう。

一人では我慢できなくなって管さんを誘いビールを飲む。
21時過ぎに管さんの幼なじみが来て一緒に飲む。
上海から出張で来たようだがしきりに北京を悪く言っていた。
田舎だの旨い物が無いだの…。
ちょっと引く。

明日休もうかな。



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9月29日 水曜日

今日、ベッドの上で学校を休むかどうか迷ったが、
一日休むとかなり遅れを取ってしまうので布団を思いっきりはいで準備をする。
8:10に起き、(いつもは7:20)8:20に出発。
地下鉄を降りてバイクタクシーで学校へ。
5分遅刻。

紅焼魚、揚げ魚の甘酢がけ、鶏から揚げにんにく風味を習う。
唐揚の衣の見た目はケンタのと同じだ。

前の会社でケンタと同じような冷凍から揚げを企画したことがあったが
当時は作り方がわからず断念したことがある。
お宝を掘り起こしたような感動。
うれしい。

昼はあの同室を探している同級生の盛華と、
醤油君とで近くの食堂で麺を食べたのだが、
まずすぎて、完食を断念。

午後の冷菜は米型を習う。
一番早くできた。
中華鍋のほうはやはりうまくできず。

夜、管さんとビールを飲む。



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9月30日 木曜日

今日は、バナナフリッターと鶏肉の唐揚甘酢風味、
鶏肉フリッター、チキンカツレモンソースかけを習った。
レモンソースは甘くていただけなかったが、広東風味なのだそう。
正直、とんかつソースをたっぷりかけて食べたかった。

午後の冷菜の授業では先生に「うまい!」と褒められる。
切り方はもう習得したので、後は並べるだけだ。
根気の要る作業だ。

ただ、皿のふちに並べる野菜のデザインが良く分からない。
日本人の感覚だとシンプルが一番だと思うのだが、
中国人は派手好きなのでカラフルに並べなければならない。
自分の感覚で作っていいと思ったが、やっぱり中華に倣う。
なぜかって中国の日本料理の盛り付け方は奇妙だからな。

中華鍋は4日目にして何とかコツがつかめた。
昨日よりも手や腕が痛くない。
しかし、中華は体力勝負だ。大きな鍋とオタマで、
できるだけ力を使わずに如何に炒めるかを習得しなければならない。

1ヶ月が経った。
ここでちゃんと1ヶ月のまとめをしなければならない。
何を学んだか。
短い間にたくさんのことを学ぶためにどのようにしていったらいいか。
問題はたくさんある。

中国語の勉強もしないと。


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