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中華への道!ダイアリー

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2005年4月






4月1日 金曜日


中華風うどん


学校での最後の週末だ。
明日は調理師試験が開催されるので授業はない。
広東コースの同級生たちの何人かは
明日テストを受けるとのことでテキストを見て問題を出し合っていた。

今日はうどんと全蛋麺を習った。
うどんは袋入りのチルド釜茹でうどんを使ったのだが、
日本のとは調理法がちがかった。

茹でうどんを袋からどんぶりに出して
塩味スープをかけて蓋をし、蒸らしておく。
そのあとゆでたブロッコリーや蟹かまぼこを麺の上にのせて
イカ、海老、黄ニラ、椎茸の入ったトロミあんをかけて出来上がり。
麺は鍋でゆでた方がよかったが、おいしかった。
スープはあっさりした薄味だけど、トロミあんが麺に絡んでしっかりとした味になっている。
ちなみにうどんはスーパーでも売られている。
烏冬麺(wu dong mian)と書いてウドンミィエンと読む。

全蛋麺はオイスターソース、醤油、ドウチーで味付けした中華風焼そば。
もやしと、ニラのしゃきしゃきがよかった。
もやしはちゃんと頭としっぽを取り除いてから使ったので、
面倒じゃない?と思ったが、
食感、味、見た目は格別によくなっており、効果抜群だった。

そういえば管理コースの時に、
一人の生徒が頭を黄色に染めてやってきた。
おとなしい生徒だっただけに老師も驚愕。
聞くところによると、金髪兄ちゃんと賭けをして負けてしまい、
泣く泣く染めたとの事。
恥ずかしそうにずっと帽子をかぶっていた。



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4月2日 土曜日


お気に入りのVCD SMAPのOnly Oneのカバーもある

今日は授業がなかったのだが、
学校に行ってテストの様子を見てきた。
みんな筆記試験を終えて、実技に入っていた。
すでに卒業していった懐かしい生徒たちが結構いた。
みんな俺を見ると
「よう!ひさしぶり!」
と、声をかけてくれた。
実技中ということもあって話はできなかったが、
みんな俺のことを覚えてくれていて嬉しい。
がんばれよ〜!

学校を後にして西単の本屋へ。
DVDやCDを買いあさった。
中国のCDなどは日本ではあまり売っていないからだ。
台湾や香港の音楽がほとんどだが、
聞いてみるといい曲がたくさんある。
日本の曲を中国の歌手がカバーしてるのは結構あるが、
その反対がないのが不思議だ。
ドラマも結構面白い。
今はアジア全体で韓流ブームが吹き荒れているが、
次は絶対華流が主流となるだろう。

歩きつかれた。
あと学校生活も一週間だ。
帰国の日も近づいてきたな。




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4月3日 日曜日

午前中は盛華と一緒に魯迅博物館に行ってきた。
ここには魯迅が一時期住んでいたという家がある。

俺が中国に興味を持ち始めたのは中学の頃で、
教科書に載っていた魯迅の「故郷」を読んでからだ。
こんなことを言うと文学少年と思われがちだが実はそうでなく、
教科書に載っていた小説の中で興味を持ったのは唯一、この「故郷」だった。
小説の中の人物や風景が今の中国にもあると信じて、
一度は行って見たいと思ったものだ。

上海にある彼の墓や、旧居にも行ったことがあるし、
仙台の青葉城跡にある石碑を見に行ったこともあるので
魯迅関係のスポットはほとんど制覇したのではないか。(?)
といっても、彼の作品は読破していない。
読んでると眠くなる作品が結構あるしな〜。

でも、尊敬している。
彼は若いときは医者を志して仙台の医科大学に留学したことがある。
それから文学者に転向したわけだ。
留学生活はかなり厳しく、作品もなかなか認められなかった。
20世紀のはじめに海外留学をしたのにもかかわらず、
小説家に転向するのはかなりの労力だっただろう。
当時としては変わり者だ。
世間の目は厳しかったであろうに自分の道を貫ぬいた魯迅はすばらしい。

「藤野先生」は俺の好きな作品の一つだ。
読み終わったあとの涙が出てくるほどの爽快感というか、
感動は忘れられない。

しかし今日、魯迅博物館に行った第一の目的は
講座を聴くことであった。
それも魯迅には関係のない内容。
お題は「唐の時代の文化交流」。
盛華が毎週ここの講座に参加していて、俺も誘われたというわけだ。

9時から講座が始まった。
日本は遣唐使を送ったくらいだからそれについても出てくるだろうと思っていたら、
案の定それについても説明が始まった。

唐の時代は中国の歴史上、一番外国との交流が盛んにされた時期だ。
シルクロードを伝い、西域との交流も活発になった。
日本は十数回、遣唐使を送っている。
他の国に比べれば少ないほうなのだが、
結構長い時間が遣唐使について割かれた。
日本に対する関心が高いことをうかがわせた。

・・・日本から海を渡ってくるのには大きな危険が伴い、
莫大な資金も要った。
そのため、回数は少なかったものの選ばれた人たちだけが送られ、
唐から学び取っていくこともことのほか大きかった。
漢字、ひらがな、和服など、その数は計り知れない・・・。

中華思想的なニュアンスは全くなく、
歴史に忠実な講座だった。
戦時中の歴史を語るときもこのようだといいんだけどな。
日中関係はどうなってんだ?まったく。

午後の授業があったので途中で講義を抜け出し、
旧居を見て帰ってきた。

夜、盛華と初恋の話をした。
今日、彼は2年も続いているメル友とチャットをして初めて顔を見た様子。
まあまあ可愛かったといっていたが
人は顔じゃないと力説していたところを見ると
タイプではなかった様子。

彼女を見つけるときはまずは顔を見ないとね。
別に俺は面食いな訳ではないが、
先に顔を見ないと自分の中で妄想が広がっていって、
実物を見たときに冷めてしまうというオチがついてしまう場合が多いからな。
メル友は当てにはならんよ。

それよりも現実を見てから中身を知っていったほうが面白い。
人の魅力は外と内とのギャップにあると思う。
例えば、きつそうな人が、付き合ってみると可愛い一面があったり・・・。

俺にギャップはあるのだろうか?
以前、この話をしたら友人に
「お前って、見たまんまの奴だよな〜」
ってからかわれたことがある。
余計なお世話だよ!




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4月4日 月曜日


鶏肉のドウチー炒めwith青蛙

今日は管理コースの授業に出なかった。
もともと4週間のカリキュラムを5週間受けたのだから
学ぶものは学び取った。
別にもう出なくてもいい。

結局あの老師は俺に攻撃してこなくなったのだが、
ハン君という、以前俺の援護射撃をしてくれた同級生が
いまだに攻撃を受けてる模様。
四川料理コースの授業中、何かにつけてけなされるとの事。
「怒鳴られるんだったらまだいいけど、目の敵にされるんだ・・・」
と、俺に訴えてきた。
つらいと思うけど、学ぶものは学び取れと言ってあげた。
俺はあの老師にもう興味はなくなった。

昼休み、ハン君と一緒に鍋の返し方の練習をした。
練習の甲斐があってか体力もだんだんついてきたし、
コツがつかめてきた。

午後は広東コース。
最後の一週間だ。
牛肉のオイスター炒め
細切り肉の五目炒め、
鶏肉のドウチー炒めを習った。

牛肉のオイスターソース炒めは初中級コースでも習ったことがあるが、
味は若干違うし、手順も少し違う。
作る人によって違いが出てくるのだ。
だから楽しい。


もやしたっぷりの細切り肉の五目炒め 




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4月5日 火曜日


余った野菜を使って鍋振りの練習

午前中は広東コースの教室を使ってずっと鍋返しの練習をした。
助手の老大(兄貴の意味)は、
毎日ここで昼食の準備をしている。
といっても生徒用のではない。
上の階にある小学校の先生方の昼食なのだ。

ここぞとばかりに俺も手伝った。
鶏肉や豆腐を油通ししたり、スープの味付けをしたり・・・。
忙しかったが、途中からハン君も来て一緒に手伝った。
老大は直径1メートル近くある中華鍋に材料を入れて
うまく返し炒めをしている。
これができなくては調理師とはいえないよな。
俺もがんばろ。

授業が終ってから、ハン君と涼皮を食べに行った。
これは上新粉や澱粉を水で溶いて、蒸した麺の一種だ。
日本で言う冷やし中華といったような夏を代表する麺。
ラー油と黒酢がよく合う。

2軒目は羊肉串の店でビールを飲んで盛り上がる。
でもやっぱり話題はあの管理コースの老師の話になっちゃうんだよな。
ハン君は2日繰り上げて四川料理コースを卒業することにしたらしい。
あのオヤジ、腐ってる。


肉そぼろのレタス包み




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4月6日 水曜日

午前中は翻鍋(鍋返し)の練習、
昼食作りの手伝いをした。

ここ数日、世間は教科書問題の話題でもちきり。
新聞各社は連日のように「歴史の湾曲」などという見出しで
一面トップで状況を伝えている。
学校ではたくさんの生徒が新聞を読んでいるのだが、
これまでは不思議なくらいその話題を振ってくる生徒はいなかった。

そして今日、ついにその日がやってきた。
といえば少し大げさなのだが、
予想していたとはいえ、嫌な感じだった。
授業が始まる前に空き教室に新聞があったので見せてもらおうとしたら、
「教科書問題って知ってる?」
と聞かれた。
「うん知ってる」
と答えると、どんどん質問や意見が矢のように飛んできた。

「新聞読んでたらわかってるよね?どう思う?」
「新聞は読んでいるけど、ここに書かれてることは事実じゃないよ」
「日本はよくないよ。自分たちがしたことを認めないなんて間違っている」
「でも、新聞の内容だと、日本人はみんな極右(右翼)みたいなことを書いてるけど、実際は違う」
「中央電視台のニュースでも言ってたから本当だよ」

一緒に飲んだことのある同級生一人と大姐、助手と俺の4人が教室にいたのだが、同級生と大姐は熱く話してきた。
俺も負けずに新聞の内容の信憑性のなさを訴えた。

「日本人って、潔くない!中国に対してひどいことをしたのに謝りもしないなんてひどすぎる!大体日本の男って好きになれない。男じゃないよ!」と大姐。
日本への批判が、日本人男性のだらしなさへの批判に変わってった。
「男がどうのこうのって関係ないじゃないよ。日本が過去にひどいことをしたのはわかるけど、今の日本人は変わったんだよ!大姐だって分かってるでしょう!」

「国家間の問題はうちらに関係ないじゃない」
と、助手が言ってくれたが、大姐は一回熱くなったらなかなか冷めない性格だ。
「そんなこといったって、日本が悪いことをしたのは事実なんだから言われたってしょうがないじゃない!」

大姐と俺の関係は最近あまりよくない。
その鬱憤がたまっていたのだろう。
以前の大姐とはだいぶ変わってしまった。

久しぶりに激しい議論をした。
同級生が言った、
「中央電視台のニュースでも言ってたから本当だよ」
という言葉が印象的だった。

自国だけの新聞、ニュースだけでは真実は見えてこない。
第一、テレビ局、新聞社は事実を伝えるのと同時に売れる文章を書かなくちゃいけない。
見方は当然主観的なものであり、読者の目をひきつけるために強烈な言葉を見出しに持ってくる。
日本人の俺から見るとそう思ってしまう。

新聞に書かれているのは
日本人は過去の侵略について全く反省していない。
以前、村山内閣が謝罪したのは形だけだった。
戦争を美化して帝国主義思想がまた、はびこってきている。
侵略を美化した教科書を政府は黙って容認した。
アジアの国々をさげすむ態度は以前と全く変わっていない・・・。

内容は、政府だけでなく日本国民が全てそうだと言わんばかりだ。

今日は矢のように飛んでくる批判に、もうどうでもよくなってきた。
正直、俺の親友だけそばにいてくれたらそれでいい。


黒酢の酢豚




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4月7日 木曜日

午前はいつものように翻鍋の練習。
老李も来ていた。
腐りかけて食べれなくなった大根を千切りにし、鍋に入れて練習をした。
実際に火と油を使って炒める時よりも体力がいるのでトレーニングになる。
もうすでに日中は20度を越す暑さなので汗びっしょり。

午後は代理の老師が来て講義をした。
油泡鮮蝦球、XO醤爆花枝片、雀巣龍鳳球を習った。
3つ目の料理は、色とりどりの生めんをお椀にきれいに並べ、
そのまま揚げて、麺の容器を作った。
中身に入れる料理は蝦と鶏肉のあんかけ炒めだったが、
容器があると高級料理に変身してしまう。

揚げ麺の容器

会東が今日卒業していった。
田舎に少しでも早く帰って仕事を探すのだそうだ。
授業で習った料理の写真をCDに焼き付けてプレゼントしたら、
とても喜んでくれた。
訛りを聞き取るのが大変だったが、
温かくて、まっすぐないい奴だった。

俺も明日卒業だ〜。
卒業したあとは少し食べ歩きをしてから帰国しよう。
正直帰りたくない。
ここの友人たちと別れがたいし、
あの長屋は住み慣れると天国だ。

学校の帰り、同級生が公園に桜を見に行こうといってきた。
彼の職場はテレビ塔近くの公園にあるホテルだ。
本当に公園の中にある。
ちょうど俺の帰り道なので自転車の後ろに乗っけてもらって見に行った。
今は桜祭りと凧祭りが同時開催されていて結構にぎやかだったが、
桜は残念ながら3分咲き程度だった。
あと数日で満開になるだろう。

きっと彼は日本人が桜を見るのが好きなことを知っていて、
俺のことを誘ってくれたのだろう。
満開でないことをしきりに残念ながっていた。
ありがとう。


油泡鮮蝦球


雀巣龍鳳球




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4月8日 金曜日

今日は広東コース最終日。
この学校での調理師養成コースの課程は全て終ったわけだ。
あっという間の半年間だった。

卒業というと、「別れ」「涙」「旅立ち」の言葉が浮かんでくるが、
そんな湿っぽい感情はわいてこなかった。
課程は終ったけど、帰国するまでまだ時間がある。
ちょくちょく学校に来て、復習するつもりだ。

最後に習った料理は
油浸鮮魚(魚の揚げ浸し)、
金銀蛋浸時蔬(ピータンと季節の野菜にタレをかけたもの)
姜葱覇黄鶏(三黄鶏の丸揚げ)
揚げたり、湯通しした素材にトロミのないタレをかけて作る調理法である。

授業の途中、茶髪兄ちゃんが一週間ぶりぐらいに登校してきた。
みんな驚きを隠せない。
登校してきたのにびっくりしたわけではなく、
髪が黒くなっていたのに驚いたのだ。
髪を真っ黒に染め、ジャケットを着て、いつもよりもフォーマルないでたちだった。
心変わりしたんだろうかとも思ったが、中身は変わってなかった。
授業中は老師の話も聞かず、新聞を広げて読んでいる。
足を蹴ってやったら、ようやくノートをとり始めた。
しょ〜がね〜な〜。

彼は8月に日本に行く予定なのだそう。
いとこが横浜で働いているらしい。
「俺、明日日本に帰るんだ・・・。次は日本で会おう・・・(泣くふり)」
と、悲しい演技をしたら、残念ながっていた。(すぐばれたけど)

授業が終わってから
廊下で卒業記念写真を撮り、
老李と事務室へ卒業の手続きに行った。
彼も今日卒業である。

書類に名前や、学校への評価を書く。
評価はもちろん「非常によい」ということを書いた。
他の学校に比べると規模はあまり大きくないのだが、
それが長所だ。
老師の指導方法も理論的で分かりやすかった。
最大の長所は少人数制である。
時期やコースによって多人数になることもあるが、
それでも大規模校と比べると環境はいい方らしい。
その上、人数が少ない分、人間関係が密になる。
欠点といえば、管理コースの老師のような人物がいることぐらいかな。
でも、この前管理コースの授業をのぞいてみたら生徒がかなり激減していた。

書類の最後に「職業斡旋希望」という欄があった。
自分の希望する職を書くのだ。
俺には関係ないなと思い、老李が空欄を埋めてくのを見ていた。
彼は田舎に帰らず、北京で広東料理のレストランで働きたいらしい。
俺に「給料の希望はどのくらいにすればいい?」とかと聞いてきた。
以前老師が、広東料理のレストランだったら
800元以上はもらえると言っていたので、
少し控えめに700元以上と書いたら?とアドバイスした。
北京で働けることが羨ましく思えた。

事務のお姉さんに書類を出すと、
「あなた、働きたくないの?」
と俺に聞いてきた。
「俺のビザは出張用だから働けないんです。」
と答えるしかなかったのだが、
「ビザなんてどうにでもなるわよ。どお?希望を出すだけ出してみたら?」
「でも、公安に見つかったら学校にも、職場にも迷惑かけることになるし・・・」
「うちの学校は生徒に勉強を教えて卒業したら、バイバイでないのよ。ちゃんと生徒の希望する仕事を見つけてあげることまでするのよ。」

この事務のお姉さんの兄弟は
名古屋でレストランを経営しているので、
ビザの事はよくわかってる様子。
ビザの問題があっても、人脈でカバーできるとのことだった。
「中国は日本とはシステムが違うのよ」
との彼女の言葉に斡旋希望を出す決心をした。

北京で働ける(かもしれない)
と思っただけで飛び上がるほど嬉しかった。
とりあえず、広東料理のレストランで給料の希望額は無し、住居の希望も無しということを書いた。
ダメでもともとだけど、挑戦してみよう。
チャンスが与えられたのに黙って帰国するわけにはいかない。

ついでにあと一週間卒業を延ばすことにした。
職が見つかるかもしれないという時に家で待ってるわけにはいかない。


姜葱覇黄鶏


お頭つきです




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4月9日 土曜日

高級コースでは
すっぽんのスープ、
鶏肉の胡桃揚げ、
松鼠魚(魚を鹿の子切りしてあげたものに甘酢あんをかけたもの)を習った。

この授業もあと一日で終わりだ。
最近になってこのコースの老師も俺に話しかけてくるようになった。
日本のどこから来たか
中華料理は好きかなど、
当たり障りのない会話だけだが、
物腰の柔らかい老師だ。
白衣の下にはいつもネクタイを締めていて
品がある。

高級コースの授業風景(Quick Time)

最近盛華に彼女ができたらしい。
最近チャットをはじめたという南方の女の子で、
今のところ、容姿、性格ともに合格みたいだ。
さっきからずっと彼女と電話でおしゃべりをしている。

盛華は今日、中関村に行って英語教室の登録をしてきたらしいが、
そこで反日デモがあったらしい。
参加はしてこなかったらしいが、
すごい規模で過激なデモだったみたい。
興奮して彼女にその時の状況を話している。

ほんとにデリカシーがないというか、怖い。
俺の前でそんな話するなよ!
俺の周りには日本人がひとりもいない。
そういう中で反日デモが行われているのは、
やっぱりちょっと怖いんだけどな。

最近では友人とおしゃべりをしてると必ずと言っていいほど
教科書問題やデモの話題が出てくる。
中国での報道はきつすぎる。
もっと客観的に述べられないのか!

といっても俺の周りの中国人はとても気遣ってくれる。
「気にするなよ」
「気をつけて帰れよ」
「デモがある場所には絶対行くなよ」
「なんかあったら電話しろよ」

かえって、申し訳なく思ってしまうほど心配してくれる。
テレビや新聞、ネットニュースを見てなければ、
なんら恐怖も感じないくらい。
新聞にはデモの記事は載っていない。

まだ盛華は電話でデモの話をしているが、
お国訛りで話しているので何話してんだかわかんなくなってきた。
なんかさっきからずっと一人でしゃべってるけど、
彼女の話も聞いてやれよ〜。


松鼠魚 揚げることで臭みが取れている




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4月10日 日曜日


桜をバックに「茄子(チエズ〜)!」=チーズ!

テレビ塔近くの公園で桜祭りが開催されている。
毎日バスで前を通るのだが、
入口は大勢の人でごった返しているのが見える。
満開になったらしい。

午前中、盛華と一緒に桜を見てきた。
見頃はちょっと過ぎてはいたが、
結構たくさんの桜の木があった。
山桜みたいな真っ白な花だった。

俺は花よりもたくさんの人を見ているほうが楽しかったかな。
和服を着て(試着10元)、写真撮影している女の子たち、
軍服を着た軍事関係の学校の人たち、
家族連れ・・・。
みんな花を見るよりも写真を撮るのに忙しそうだった。

俺たちも負けずに写真を撮りまくってきた。
パンダの凧と桜をバックにして。
盛華は
「中日友好記念だ〜!」
といって、はしゃいでいた。









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4月11日 月曜日


中華世紀壇の鐘の前で

午前中、広東コースの同級生たち8人と中華世紀壇に行って来た。
もうすぐみんなも卒業でバラバラになる前に思い出を作ろうという趣旨。
隣接する桜祭りの公園にもまた行って来た。
これで3回目。

月曜日にもかかわらず、公園内は人でいっぱいだった。
みんなで冗談を言い合いながら公園の中を歩いた。
本当にみんな個性あふれる人たちで笑いが絶えない。
カメラを向けると一人一人のポーズも個性的。
広東コース以外の初対面の友人たちも来たのだが、
すぐに溶け込めた。


武術系ポーズ

ほんとの初対面だと、こうはいかないが
友人つながりの出会いだと本当にスムーズにつきあえる。
人脈を大切にする中国の習慣が人間づきあいにも出ているのだろうか。
みんな何だかんだいって、ざっくばらんに友好的だ。

アーミンはいまだに「小日本」と呼んでくるときがあるが、
ほとんど気にしない。
知らないやつに言われたら頭にくるが。
でもまだまだガキだよな、あいつは。

日本は国土が小さいから小日本。
歴史的な問題があるから小日本。
彼の言う小日本になぜか悪意は感じない。
そういえば、小日本は蔑視の意味だけではないらしい。
ホントかどうかはわからないが、
年下への敬称「小」の意味もあるにはあるみたいだ。

公園の通路に沿って、桜祭りの旗が何百枚も立てられているのだが、
そのほとんどに落書きがされていた。
旗の下には日産ティアナの広告があるのだが、
”日産”の部分に白いマーカーで×印が付けられていた。

ある旗には
「歴史を直視しろ!」
「謝れ!」
と書いてあったり、
「FACK!」
「FAKE!」(偽?ファックと書きたかったのだろうか?)
と書いてあるものもあった。
昨日は落書きの旗はなかったから昨晩のうちに書かれたようだ。
全て白いマーカーで書かれていたので1グループの仕業だろう。
ご苦労様。
もっと他にするべきことがあるだろうに。

以前、日産の漢字表記は「尼桑」であった。
これで「ニーサン」と読む。
上海など、対日感情が比較的よい地域では(関係ないかもしれないが)
ずっと「日産」であったが、
最近はこの表記に統一されてきたようだ。
中国人からすると「日産」は「日本産、メードインジャパン」になってしまう。
ブランドが定着してきたのだろう。

ちなみに「全日空」は「終日ヒマ」の意味にとられてしまうようで、
「ANA」の表記に統一したようだ。

反対に俺が変だと思う名前もある。
うちの近くに大きなビルがあるのだが、
その名前は何と「金玉ビル」。
マリオットホテルが入っている真面目なビルだ。
済南には「金玉食堂」というのもあったな・・・。
中国語の「金玉」とは、金や宝石などの高貴なものを意味するようだ。
キンタマも、ある意味そんな感じだけどね。


これが金玉ビル

昼、みんなとご飯を食べてきた。
さやインゲン、キュウリ、カシューナッツの炒め物、
水煮豚肉、
インゲンのドウチー炒め、
えのきだけの和え物、
などなど。
みんなでわいわい酒を飲みながらの食事は最高だった。
老李が全部払ってくれた。
なんかでお返ししたいな。

昨日の日曜日には北京だけではなく広州でも1万人規模のデモがあったようだ。
張さんと管さんから「デモに気をつけろ」という電話をもらったし、
李波からも同様のメールをもらった。
心配してくれてありがとう。

でも、ほとんどの人が日本の行為に反感を持っているとはいえ、
俺の周りの友達は関係なく付き合ってくれる。
もちろん危機管理はしっかりとせねばならないが。


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4月13日 水曜日


授業風景 中央が王老師

午前中はいつも通り昼食の手伝いをした。
肉やジャガイモを油通ししたり、
スープを作ったり。

広東コースの王老師が10時ごろに学校に来た。
いつもは2時ごろに来るのに。
ホテルの仕事を辞めたんだろうか?

昼休みはいつものように外の食堂でザーサイ肉絲麺を食べ、
ネットバーへ。
ここの食堂は学校からは少し遠いが、
麺がうまいので毎日通っている。
いつも頼むのはザーサイ肉絲麺か米粉なので、
わざわざ注文しなくても女主人が作ってくれる。

4件のメールが来ていた。
日本の友達からであった。
全てデモに関する内容で、
「大丈夫か?早く帰ってきたほうがいいぞ!」
というものだった。
ありがとう。

でも、自分の北京生活は相変わらず平和なので、
(言動に気をつけたり、、デモの場所には行かないようにしている)
メールを見てから恐怖感がわいてきた。
平和な生活もいつ崩れるか分からない。
しっかりとした友人関係を築いていくのが唯一の方法だ。

でも、新聞やニュースというのはやっぱり厄介なもので、
事実ではあるが、百聞は一見にしかずである。

午後は相変わらず十数人での授業。
にぎやかな風景。
あ〜、この雰囲気とももうすぐお別れなんだな〜。
王老師とはあまり話したことはないが、
気を使わずに話せる。
技術も、授業の進め方も、性格も申し分なしだ。
あさって、広東コースの卒業実技試験がある。
牛肉のオイスターソース炒めだ。
何とかなるかな。

デモか・・・。
日本のメールニュース読むと、結構大変なようだな。
もっと、日中は交流を深めるべきである。
と同時にお互いに心の中のモヤモヤを出し切る場が必要である。
お互いのくすぶっている火薬を早く燃やしきらないと、
いつ大爆発するかわからない。

その点を考えると小泉さんの行為は評価できるかな。
二国間に潜んだ問題を表面化させた意味では。

ただ、なんで靖国参拝を固持するのかをはっきりと説明すべき。
小泉さんは自分のポリシーをしっかりと持った人だから好きだが、
そのポリシーを声にして伝えて、討論する方向に持っていかないと、
このままではただの変わり者である。

日中国交正常化から32年が経ったが、
その始まりがなんとも”なあなあ”だったような気がしてならない。
田中角栄と周恩来の偉大な業績ではあるが、
当時、周恩来は補償を要求せず、平和的な関係の構築を望んだ。
そして、日本は補償の変わりに円借款や開発援助などをつぎ込んだのである。
国交樹立という偉業を成し遂げた2人だが、
政治家の考えてることはわからない。
これじゃあ、お互いに問題の先送りをしただけである。
というよりも、その2人の後の指導者たちが怠慢だったのかな。



日本豆腐(卵豆腐)と海老の揚げ物




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4月14日 木曜日

午前中は昼食作りの手伝い。
いつも30人分位の量を作るのだが、
上の階の小学校は分校なので本校の先生方の分まで作ってるらしい。

午前中はいつも校庭で生徒たちが音楽にあわせて体操をしている。
毎朝国家も斉唱している。
どこの国の子供たちも同じ。
分校の生徒たちは全て低学年で、
とてもやんちゃで元気がいい。
子供たちの歓声を聞きながら昼食を作るのは気分がいい。

老大と世間話をしながら、11時30頃までに作り終える。
おかずはいつも3品、それとスープ。
今日は牛肉とジャガイモの煮込み、
家常豆腐、
白菜の唐辛子炒め、
トマトと岩のりの入った卵スープと、結構豪華。
献立はいつも老大が考えている。
予算や、栄養配分を考慮して作るのが難しいようだ。

手が空いた時は鍋に水を入れて翻鍋の練習。
今では水が飛び散らずに返しをできるようになった。

11時30分になると初中級クラスの生徒たちが作った料理が運ばれてくる。
これは生徒たちの昼食だ。
おかず3品とご飯。
一食3元(45円)と格安。

12時ごろになると調理室の前に生徒たちの行列ができて
学校中が一気ににぎやかになる。
生徒たちの食欲は旺盛で、
おかわりをする生徒たちでまた行列。

昼食の時間は各教室で映画やドラマのVCDが放映される。
昼休みは2時間と長めだが、
おしゃべりをしたり、新聞を読んだり、外に出掛けたりと自由だ。

俺は最近学校の昼食を食べていない。
飽きてしまった。
外の食堂でほとんど毎日麺を食べに行っている。

あ〜、この生活とももうすぐおさらばだな。
初めは登校拒否になりそうな時もあったけど(この歳で)、
今では、学校に毎日でも進んで来たい。
いつも新しい発見がある。
新しい出来事、出会いがある。

今日、廊下で管理コースの老師に後ろから肩を叩かれた。
振り向くと、何も言わずに彼はトイレへ。
俺もトイレへ。
用を足しながら、しばしの沈黙。
無言の状態に耐え切れず、先に俺のほうから口を開いた。

「老師はどこに住んでるんですか?」
「天意市場の近くだよ。知ってる?」
「あ〜、一回行ったことがあります。」
「今度遊びにきな」
「ありがとうございます。」

個室の方から「ブ〜〜ッ」と、長めの屁の音が聞こえてきたが
老師は反応せずにトイレを出て行った。
結構クールなんだな。

おとといの昼休み、
外でハン君に散打(武術の一つ)を習っていたら、
この老師がはなしかけてきた。

「お前って、武術にも興味があるのか?」
「はい。ハン君って子供の頃に少林寺で修行したことがあるんですよ」
「中国のものは何でも興味があるのか?」
「なんでもって訳じゃないですけど・・・」
「変わった奴だな・・・」

そのあと老師は新入りの生徒たちに俺のことを紹介していた。
「彼は中国人じゃないんだぞ」
「えっ?南方人だと思ってた」
「彼はな〜、日本人だ。ひとりで中国に来るなんて変わってるだろ?でも、学び取る進歩は中国人よりも早いぞ。見習えよ・・・。」

いきなり褒められたもんだから赤面してしまった。
進歩は早い方ではない。
ただ単に始めた時のレベルが低すぎただけだ・・・。
でも、褒められたんだからいいか。

午後、いつもどおりに広東コースの授業を参観した。
1週間ぐらい前に入学してきた30代後半のおばさんがいる。
天然の入ったお嬢様っぽい人で、
名前は静。(静なんとか)
男ばかりのクラスでは結構な人気者。
お嬢様なので、調理の腕はあまりよくなく、
いつもとんでもないものを作っている。
でも一生懸命。
そこが人気の秘密だ。

静さんは数日前から俺に彼女を紹介してやるといって聞かない。
俺はもうそろそろ帰国の時を迎える事もあって、
お付き合いすることに興味は無かったのだが、
会ってみるだけだったら・・・と、OKの返事をしていた。

そしたらいきなり、今日、彼女が来るとの事。
OKの返事をしたのは昨日だったのだが、即アポをとったらしい。
授業が終ったあと、待ち合わせ場所の軍事博物館に一緒に行った。

話によると、静さんは仲人的なことをするのが趣味なようで、
今までに仲を取り持ったカップルはかなりの数らしい。
スペシャリストだ。
「可愛い子だからきっと満足すると思うよ」
「私の親友の娘さんだから保障する」
「性格もいいしさ」
スペシャリストの言葉を信用するしかなかった。

軽い気持ちで行ったのだが、こんなお見合いみたいなことをするのは初めてで、ちょっとドキドキ。
彼女は仕事が忙しいようでなかなか来なかった。

しばらく待っていると、静さんがボソッと爆弾発言。
「実は彼女とここ何年も会ってないんだ〜。だからいま可愛いかどうかは分からない。でも小学生の時はすごく可愛かったよ。」
と、あっさり言ってのけた。
そんな無責任な!
小学生って・・・。いつの話だろう?

そういえば、学校を出る前に老大と王老師に軽い警告を受けた。
「何か買ってくれとか、おごってくれとか言う女だったら、しっかりと断れよ!」
タイプじゃなかったら断るのも重要である。

空がもう夕日色になる頃、やっと彼女が来た。
白いレースっぽい上着を着たショートカットの清楚な感じの子だった。
彼女が着くやいなや静さんは
「じゃ〜ね〜!」と言って笑顔で去っていった。
いきなり2人っきりかよ!と思ったが仕方なく、
ベンチに腰掛けておしゃべりをした。

顔はモンチッチ系の可愛い感じで、
口調ははきはきとして、しかも雰囲気が上品。
最初は大人びた感じだったので緊張したが、
話してみると、結構素朴な楽しい子だった。

仕事のことや、学校のこと、日本のことなどを話した。
彼女は西単のデパートで携帯を売っているらしい。
思い切って歳を聞いたら27歳との事。
6年前に湖北から上京してきて妹と一緒に住んでるそうだ。

気づくともう空は真っ暗になっていたので
近くのレストランで食事をとる。
ビールを頼んだのだが、
「私、お酒はあまり飲めないので・・・」
ということで、ひとりで飲んだ。

おしゃべりをしながら食事をして結構盛り上がった。
彼女は実はビールが大好きなようで、
2人でビールを2本あけてきた。
「だって、日本人はお酒を飲む女の子は好きじゃないと思って・・・」
と言う彼女は遠慮していたようだった。

8時ごろ、レストランを出た。
西単の職場に今度行くからといって別れて帰ってきた。
いい子だった。
彼女とは友達として付き合っていくつもり。
もう少し早く出会えたらよかったな。




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4月15日 金曜日

今日も午前は昼食の手伝い。
肉を切ったり、炒めたり、
湯通し、油通し・・・。

昼休み、外に出掛ける時に王老師とバッタリ。
老師は昨日のことを聞いてきた。
「どうだった?彼女。」
「可愛かったか?」
「付き合うのか?」
などなど・・・。

聞くところによると、王老師も独身らしい。
「老師も静さんに紹介してもらったら?俺が静さんに頼んでおきますよ」
といったら、
「やめとけ。ほんとにやめとけ。絶対にそんなことするなよ。」
と、老師。
真顔で照れていた。
王老師は学校ではテキパキと、しかも厳しく授業を進めていくが、
恋愛に関しては奥手な感じらしい。
根っからの職人肌だもんな〜。

別れ際に老師が、
「お前の仕事探してやるから心配するなよ〜」
と言ってくれた。
やった〜!!頼りにしてます。

昼食をとった後、公園で雑誌を読んだ。
表紙には舞妓の写真と、
「何で日本は謝らないのか?」の文字。
前半の内容は、靖国や教科書問題などの日本政府の理解できない対応が書かれていた。
一番印象的なのは
「日本の首相が変わるたびに歴史への姿勢もころころ変わる。謝ったと思えば、今度は靖国に参拝したり・・・。このような対応に日本政府は信用を失った・・・。」
そりゃそうだよな。

後半は日本や台湾の官僚(?)の記事が載せてあった。
日本人の記事の内容は、
教科書に関しては政府が言論や出版の自由を侵すことは法律で禁止されている。これからも中国に理解を求めていくと言うことだった。

台湾人の記事は、
複雑な文化の違い、歴史の観点の相違から誤解が生じているのではないかと言うことだった。

この雑誌は新聞に比べるとかなり客観的な内容だ。
しかし、これを買って読む中国人がどのくらいいるのかは謎だ・・・。

学校に戻り、午後の授業を受けて、
卒業試験の準備に取り掛かった。
牛肉の赤身をスライスして、
流水にさらして臭みを取る。
水が澄んできたら水分を軽く絞って、
炭酸カルシウムと調味液に浸して水分を吸わせる。
これが肉を柔らかくする秘訣だ。
一緒に卒業試験を受ける老李と慎重に下ごしらえをした。

離れにある卒業試験の教室は
四川コース、初中級コースの卒業生たちでいっぱいだった。
20人ぐらいはいただろうか。
老師たちや、事務室の人たちも全員来て目を光らせていた。
出来が悪かったとしても、卒業できないわけではないが、
今まで学んだことの集大成である。
職探しには多少の影響が出るのだ。

俺は一番先に実技を始めた。
調理師の経験はなくとも、
6ヶ月の調理師養成コースを受けたのは俺一人だ。
在学の期間は一番長いという自負があったのだ。

にんじんと椎茸、青梗菜を湯通しして、
青梗菜は軽くいため、トロミコートをかけて味付けしておく。
肉は低温で油通し。
それから材料を合わせて軽く炒め、味付け。
皿の周りに青梗菜を並べて肉を盛りつけ出来上がった。

隣で老李がああしろこうしろと指導してくれた。
いろんな試験を経験してきたせいか、落ち着いて調理することができた。
出来栄えは、色がちょっと薄い感じがしたけど、
味はしっかりとついているだろう。
自分としてはぎりぎり合格点だった。

そして、その場で採点。
老師方が一人ずつ味見をしていく。
緊張の瞬間。

「肉が硬い」
「ちょっとしょっぱいな」
「硬いな〜」
「色がダメ」
「青梗菜が茹ですぎている」
「・・・。」
ひとりぐらい褒めてくれる老師はいないのか?
と思ってしまうほど、散々な結果だった。

そして、最後に校長が味見をした。
「うん、まあまあ。俺は肉は硬い方が好きだからこれでちょうどいいんじゃない?」
フォローありがとう・・・。

校長は帰り際に
「少ししょっぱかったけどおいしかったよ」
と言ってくれた。

でも、料理がしょっぱいのは致命的だ。
俺が作ったのは客には出せない。
きっと、肉を漬ける調味液に塩を入れすぎたのだろう。
そして、重曹の量が少なすぎて肉が硬くなったのだ。
油通しは完璧だったんだけどな。
醤油も少なくて、色が薄くなってしまった。

教室に戻ってからみんな集まって、王老師に軽い説教を受けた。
「あれほど言っただろうに!もっと肉を柔らかくしておかないとダメだよ!まったくもぉ〜。」
「重曹入れたか?」
「入れるの少なかったんじゃない?」
生徒たちも軽く批判。
「何だよ、あの色は?醤油入れたか?」
「オイスターソースは結構塩気があるから塩は少なめにって言ったろ?」

俺と老李は何もいえず、縮こまることしかできなかった。
でも、老師や同級生たちが言ってることは正しい。
素直に聞けた。
王老師は最後の最後まで手を抜かなかった。
ありがとう。

これで全ての課程は終った。
最後に作った料理は出来の悪いものだったけど、
失敗は次へのステップだ。
意味のある失敗だった。

老李に仕事の話が来たようだ。
面接に行くらしい。
がんばれよ〜!




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4月17日 日曜日


景山公園の野外版歌声喫茶

昨日は平凡な一日だった。
午前中はネット。
午後は公主墳で服屋によってから歩いて学校へ。
高級コースがまだ残っている。
とっくに2ヶ月の課程は終っているのだが、
帰国の日まで学校へは通いつめたい。

途中、中年の夫婦に道を聞かれた。
西駅までの道のりを教えてあげたら、喜んでいた。
日本人の俺が、役に立つ。
これほど嬉しいことはない。

授業ではいつもの通り、3つの料理を習ってきた。

帰り、王府井の本屋で調理の本を買いあさった。
日本にもって帰るやつだ。
結構高くついてしまったけど、本を買うのにケチっちゃいけない。
といっても日本円で3000円程度なんだけど・・・。

今日、17日は張生と一緒にちょっとした観光をしてきた。
帰国する前に北京を見て回ろうと約束していたのだ。
10時に西駅で待ち合わせてバスで天安門へ。
相変わらずすごい人だった。

それから北へ歩いて景山公園へ。
天気もよく、故宮や西単、王府井まで見渡せた。
あそこは夜景もきれいだろうな。

公園の中を歩き回っていると、
あちらこちらから歌声が聞こえてきた。
人ごみの中をのぞいてみると
中でマイクを持って歌ってるおじさんがひとり、
曲にあわせて踊るおばさんがひとり、
周りの人は一緒になって合唱していた。
野外版歌声喫茶のようだった。

このようなコロニーが公園中にいくつもあり、
中国人の趣味の広さを感じた。

そのあと、歩いて地安門の調理器具の店を見て回り、
後海へ。
バーの外に柔らかそうなソファーが並べてあって、
いかにも気持ちよさそう。
少し休みたかったのだが、
「座ったら飲み物を注文しなければないんだぞ」
と、張生に引っ張られるようにして後海を後にした。
コーヒー一杯30元らしい。

スターバックスのコーヒーは12元なので入ろうとすると、
「家でインスタント飲めよ」
と、また却下。
金銭感覚がしっかりとしたやつだ。

公園の隅の広場で、野外マッサージをしているおっさんが
取っ組み合いのけんかをしていた。
しばらく観戦。
客の取り合いでもめたらしいのだが、
ぼこぼこに叩き合う姿はなんだか見ていて悲しくなってきた。
2人とも生活がかかっているのだ。
金を稼ぐのはどこの国でも苦労するのだ。

それを横目に歩いて西単へ。
日曜ということもあり、すごい人手だったのでどこへも寄らずに
軍事博物館までバスで戻ってきた。
近くの屋台で羊肉串をつまみにビールビンをラッパ飲み。
お互いに労をねぎらった。
今日はずっと歩きっぱなしで、足が棒のようになっていたのだ。

途中で近くを通りかかったねぶた君と助手が合流。
4人で飲んだ。
屋台で友人たちとわいわい飲むのはこの上なく楽しい。
道路の上で食ってるようなもんなのだが、
誰もじろじろ見たりしない。
これが普通なのだ。

朝10時から夜の7時までずっと歩きっぱなし。
地図を見ると、15キロぐらいは歩いたようだ。
張生はいいやつだ。
8月に子供が生まれるらしい。
きっと、しっかりとした人間に育ってくれることだろう。

景山公園にいる時、
大姐から電話があった。
彼女のマンションの近くの四川料理レストランで働いてみないかとの事。
給料はないが、食事と住居付きらしい。
経理(社長)に電話してみるように勧められた。

いくらなんでも給料がないのでは働く気力が出ない。
100元でもいいからくれないかな。
交渉してみよう。
でも、日本人の素人を雇ってくれるレストランなんてそうないだろうな。
学校からは仕事の話は一向にないし、
このチャンスを逃したら、もったいないかな。
でも、俺が中国のレストランでやっていけるんだろうか?

正直、あと数週間北京で過ごして帰国する予定だった。
思ってもいなかった話がいきなり飛び込んできたので、
どうしていいか迷う。
明日学校に行って老師に相談してみよう。

いや、こんなチャンスはめったにない。
そこで働こう。
やってみよう。


景山公園にて 故宮をバックに張生と 




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4月18日 月曜日

今日は一日中部屋でDVDを見て過ごした。
なんか怖気づいてしまった。
中国人のなかで働いていけるのか?
ただ働きで続けていけるのか?
公安に見つかったらどうする?

一日中考えた。
怖い。
このチャンスを逃して帰国しそうで怖かった。
うまくやっていける自信もない。

ただ、なんとなく自分はそこで働くのだと感じる。
飛び込むのも怖いが、
後悔するのがもっと怖い。

ドカベン君が久々にメールをくれた。
彼は数日前に調理師の職を見つけて出勤していたようだが、
2日間でクビになってしまったようだ。

材料のきり方がわからなくて怒鳴られ、
次、何をしたらいいのかわからなくてボーっと立ってると
また怒鳴られる。
先輩も忙しくて指導する時間はほとんどなく、
本当に厨房の中で自分のすべきことが分からなくなってしまったようだ。
追い出されるように出てきたらしい。

自分がこれから働こうという時に
ドカベン君のメールを読んで怖気づいてしまった。
俺もクビになるのでは・・・。
でも俺まで怖気づいていては
ドカベン君は行き場を失ってしまうだろう。

「失敗した人こそが、次何をどのようにすべきか分かることが出来るんだから、失敗を恐れるな」
「失敗を恐れず後悔することを恐れろ」
と返信を送った。
失敗は成功の素なんだから、ドカベン君には挑戦し続けて欲しい。

これは自分へのメッセージでもあった。

夜、1人で西駅近くの食堂に行ってきた。
北京に来たばかりの頃、一回来たことがある。
当時のことを思い出してみた。

あの時は今と同じく怖気づいていた。
学校でうまくやってけるんだろうかという不安。
あの時は不安でしょうがなかったが飛び込むしかないという心境だった。
今と同じ。
やっぱり飛び込むしかない。
俺の辞書に後悔の二文字は載っていないのだ!

ビールを飲んでいたら隣に座っていたおっさんが、
ビールと白酒をちゃんぽんしていた。
それを横目にちびちびとコップに注いだビールを飲んでいたら、
「お前、飲むの遅いな〜」だって。
俺は「これでも毎日2本ビールを飲んでいるんだ」
と、もう一本追加してみせた。
ここの羊肉串と砂肝串は北京一うまい。
ビール2本なんて軽く空けてしまった。

おっさんは帰り際に
「無理して飲むなよ。お前はそんなに飲めるようじゃないからな。やめときな」
と言って席を立っていった。
俺は子供じゃないんだぞ〜!まったく!
でも、やっぱり飲みすぎた。
やけ酒してるように見えたのかな。

歩いて家まで帰ってきた。
暖かくなったな〜。
と言うかもう暑い。
夏がやってきた。

そういえば、今日の昼、向かいの家に泥棒が入ったみたいだ。
部屋でうとうとしていたときに
ドアや窓を軽くノックする音が聞こえたんだけど、
無視してたら今度は向かいの家のドアをノックする音。
水道代の集金かなと思い、そのまま居留守をしていたら、
いきなりの怒鳴り声。
ののしる声と、許しを請う声、そして殴るような鈍い音が聞こえてきた。
絶対空き巣だ。
俺も気をつけよう。




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4月19日 火曜日

昨日、一日中考えて四川レストランに電話をすることにした。
午後3時ごろ、思い切って経理に電話を入れた。
忙しかったようで5時に電話をして欲しいとのことだった。
5時に電話をすると、今来れるか?との事。
30分後に伺うといって電話を切った。
何が起こるか不安だが、乗り越えないと。

大姐に電話をして場所を確認。
急いでひげを剃って、顔を洗い、着替えて出掛けた。

レストランは一階建てでで、
マンションの谷間にポツリとあるような感じだった。

店の中に入り、レジにいた服務員に
「陳経理はいらっしゃいますか?」
と聞くと、怪訝そうな顔をして
「本店にいますけど・・・。」
と言われた。
「さっき電話で話したんですけど、こちらへ来る様に言われまして・・・。」
と言ったが、服務員は事情がわからないらしい。
周りの服務員も何も聞いていなかった様だったので
道を聞いて本店に向かった。

本店は歩いて3分ほどのところにあった。
玄関を入ると店員がドアを開けてくれ、
チャイナ服を着た服務員が一斉に
「歓迎光臨!(いらっしゃいませ)」
と迎えてくれた。
高級な雰囲気に緊張した。

事情を話すと、チャイナドレスの小姐は笑顔で
奥に案内してくれた。
丁重な扱いにおののいた。

ソファーに座って待っていると、
陳経理登場。
痩せ型で、口ひげを生やした40代ぐらいの人だった。

「わざわざここまで来なくても、電話してくれれば行ったのに・・・」
「それはすみません」
「北京で中国料理を勉強してるんだって?」
「はいそうです」
「そこまでしてどうして中華料理を?」
「好きだからです」

面接とはいえないほど、簡単で短い会話だったが、
支店のほうで待っているように言われた。

再び支店に向かうと、
数人のコックや服務員が
玄関の外で俺が来るのを待っているのが見えたのだが、
走っていくと、彼らはぞろぞろと中に入っていった。

まず、白衣を着て厨房に案内され、
とりあえずは見てるように言われた。
中では7〜8人のコックがせわしなく働いている。
邪魔にならないように隅で見ていた。

学校の授業とは速度が違う。
一つの料理があっという間につくられて、運ばれていく。
みんな俺の存在に気づいてないといった感じで
黙々と働いていた。

料理長は俺と同い歳で、13年のキャリアがあるらしい。
慣れるまで頑張ってと声をかけてくれた。

9時に店は閉店して、みんなと一緒にまかないを食べた。
ピリ辛の汁の中にジャガイモや白菜など様々な野菜が入っていて、
結構美味。

俺が日本人だと言うことを知って、びっくりしていた。
大姐のことや、日本のことなどを話して少しは溶け込めたが、
やっぱり新しい環境にはすぐに慣れるはずもなく、気疲れした。
店のコックや服務員のほとんどは四川出身なので、
彼らの間で交わされる言葉は全く聞き取れなかった。

明日は何時に来てもいいとのことだったが、
一応朝の6時に来ると言って店を出た。
学校の友人たちが恋しい。
長い4時間だった。




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4月20日 水曜日

朝6時に出勤するつもりだったが、やめた。
明け方夢を見た。
・・・コックがものすごいスピードでシャオビン(生地を伸して焼いたもの)を
切っている。
それを見ているうちにものすごく重い気分になってきて、
出勤する気も、調理を学ぶ意欲もなくなった・・・。

目が覚めてからは眠れず。
重い気持ちを振り切ろうにも振り切れなかった。

7時半に起きてDVDを見たり、ネットカフェに行ってメールチェックした。
友人からはメールは来ていなかった。
また孤独な世界に逆戻りした気分。
あの夢を見てからと言うものすっかりブルーになってしまったが、
重い気持ちを振り切って10時半に出勤した。

店の前まで行くと、携帯が鳴った。
学校の事務をしている老師からで、俺を雇ってくれる所が見つかったとの事。
大姐の紹介で既に昨日から出勤していることを伝え、
仕事の話を丁重に断った。
学校が紹介してくれたレストランの方がいいのかもしれない。
でも、ここでの仕事が始まったばかりなのに投げ出すわけにはいかない。

「遅くなりました〜っ!すみません!」
と笑顔で挨拶して厨房に入った。
コック長は「お〜、来たか!」と言う感じで迎えてくれた。

昨日のようにただ突っ立てるばかりじゃ心苦しいので
食器洗いや野菜洗いを手伝った。
この仕事だけが、俺でもできる仕事だったのだ。

洗い専門の周伝奇は18歳の四川人で、1ヶ月前に北京に出てきたらしい。
ここで働いている人たちの性格や、人間関係、
要注意人物などを教えてくれた。
陳経理は要注意人物の1人で、かなり厳しいらしい。

2時にみんなでまかないを食べ、5時まで休憩。
その時間を利用して学校に行ってきた。
広東コースの教室に入ると、みんな歓迎してくれた。
友達がたくさんいるところ。ほっとした。

老師に挨拶をすると、
「仕事始めたんだって?どんなことやってるの?」
と聞かれ、
「今日は皿洗いと野菜洗いをしてきました」
と答えると
「はぁ?そんなことしてるんだったら、学校に他のところを探してもらえ」
といわれた。
同級生たちにも同じようなことを言われた。

ギクッときた。
自分でもうまくやっていけるか分からないときにそういわれるとへこむ。
「まず、続けてみなければわからないから!」
と、強気で返したが不安が募った。
4時まで授業を参観して職場に戻った。
まずは友人たちと会うことができてホッとした。

大姐から電話が来て、
「ただ働きなんだから、あまり動かなくてもいいんだよ」
とのこと。
そんなことわかってるけど、やれることからやっていかないと。

5時に職場へ。
洗い物ばかりしていてもしょうがないので、
コック長の横に立って、彼が作るのを見ていた。
速い。
下ごしらえされた材料が次々と並べられていき、
それが、次の瞬間には一つの料理として盛り付けられていく。
ガス台の周りにはものすごい数の調味料。
動体視力はいい方だと思うが、
記憶力がついていけない。

話せない。
みんな話せる状況じゃないのはわかるが、
そっけない感じ。
いきなり新入りが来て、しかも日本人だと言うもんだから
みんな驚いたのだろう。

皿洗いをしていた時に聞いたけど、
みんな俺を本店から来た幹部だと思っていたらしい。笑!

客が引けてからコック長が話しかけてきた。
当たり障りのない内容だったが、
それから他のコックたちも話しに加わってきて、
いろいろとおしゃべりができた。

「日本人は中華を食べるのか?」
「中華や西洋料理、もちろん和食も、何でも食べるよ。マーボー豆腐なんかはもう家庭料理になってるほどだよ」
「箸を使うか?」
「もちろん。アジアの国はほとんどみんな箸を使ってるよ。日本も同じ。」
「給料はどのくらい?」
「俺の田舎だと、1万5千元ぐらいかな。」
「うそだろ〜!」
月給千元に満たない彼らにとっては信じられないようだった。
「日本女性はみんな綺麗だよね〜。」
「中国と一緒だよ。だって、日本人の起源は船に乗って中国からやってきた500人の男女なんでしょ?」
みんな笑っていた。

正直ホッとした。
普通、中国人は人なつっこく、初対面でもいろいろと聞いてくるものだが、
ここのコックたちはずっとそっけない感じだったからだ。
やっぱり何でも話して見なければわからないもんだよね。
話さなければ、相手は何もわかってくれない。

夕食の時は陳経理がやってきて「どうだ?慣れたか?」
と声をかけてくれた。
2日目で慣れる筈もないが、笑顔でとっくに慣れたと答えた。

帰り際、料理長に、
「今、中日関係がとても悪くなっているから、外を出歩く時は気をつけるように。」
と言われた。

俺が心配しているのは自分のことじゃなくて、
職場全体のことだ。
デモのときは日系の店が被害を受けたと聞いたが、
俺がここで働いてることが知れたら、
売上に影響してくるんじゃないかと思ってしまう。

例えば、反対に外国人が作った寿司をあまり食べたいとは思わないだろう。
特色のある寿司だったら別だが。
まっ、それは今気にすることではない。




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4月21日 木曜日


朝のピークが去った後の調理場

6時に出勤して朝のメニュー作り。
肉まん作りを手伝ったと言うか、練習した。
ん〜、うまくいかない。
綺麗にひだがよらないのだ。
学校で実習した時はショウロンポーぐらいの小さい肉まんだったので
うまくできたのだが、
ここの肉まんは日本の2倍ぐらいはある。

結局俺の作った肉まんは売り物にはならず、
生地を使ってひたすら練習した。
280個作った肉まんはたちまち売り切れた。

他には油条(生地を棒状に伸ばして揚げたもの)、
豆腐脳(寄せ豆腐のあんかけ)、
マントウ、ワンタン、おかゆなどを売っているのだが、
油条と豆腐脳も売り切れた。

残ったおかゆを食べて、8時に帰ってきた。
家に戻り寝ようと思ったのだが、ついついDVDをみてしまう。
中国のドラマは結構面白い。

11時、出勤。
昼はかなり混みあった。
洗い物がないときはコック長の横に立ち皿の準備をしたり、
出来た料理を運んだりした。

皿の種類がたくさんあるもんだからてんてこ舞い。
「この皿は違う!四角のを出せ!」
忙しいと彼も苛立ってくる。
何か四川語で怒鳴ってるけど聞き取れない。
慌てて材料の入った皿をひっくり返してしまうし、
足を滑らして転びそうになるし・・・。
そうこうしていると、洗い物はたまる一方。
伝奇と協力して急いで終らせた。

朝と昼とで3000元の売上があったらしい。
日本円で4万円ぐらいかな。
ふ〜っ。

2時に終って、また5時に出勤。
早めに職場に着くと、服務員1人とコック1人が当直していた。
し〜んと静まり返った店内。
誰も話さない。
黙々と瓜子を食べる音だけが響きわったった。

何でもいいから話しかけた。
すると、コックは俺と同じ学校を卒業したらしい。
老師や、学校の話題で盛り上がった。

夜は客があまり入らなかった。
コックの人たちとは少しずつではあるが溶け込めてきた。
まだ来てから3日。
もう1週間は経った様な気がする。
出勤する時は相変わらず気が重いが、
乗り越えていける気がする。




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4月22日 金曜日


はまっているドラマ

朝、3人体制で肉まんを作った。
やってみると何とかうまくできた。
売り物になるらしい。
でも、俺が作ったのは300個のうちのほんの10個ほど。
速さについていけなかった。

自分の作ったものをお客さんが金を払って食べる。
こう考えただけで嬉しくなった。
1個、不良品で返品されてきたが、
もう少し辛抱してください。
必ず絶品の肉まんを作れるようになりますから。

返品されてきた肉まんは、
底の皮が薄くて破れてしまったのらしい。

8時に休憩に入った。
出勤のラッシュアワーの時に家に帰るのは優越感に浸れる。
朝早いのはつらいが、休憩が2回あるおかげで一日があっという間に終ってしまう。

シャワーを浴びてからDVDを見て泣いた。
ドラマの最終回だったのだ。
このドラマは1920年代の富豪一族の終焉を描いたもので、
最終回は男女2人がすれ違いで会えないまま、
激動の時代へと突入してしまった・・・。
なんとも泣けてくる内容だった。

昼は結構忙しく、皿洗い、野菜洗い、コック長のアシスタントをした。
コック長は時々味見をさせてくれる。
うまい!
俺も早くおいしい物が作れるようになりたい。

夜もまあまあ忙しかった。
夕食のまかないの時、白酒を少しいただいた。
仕事の後の酒はやっぱり一番だねぇ〜。




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4月23日 土曜日

疲労のピーク。
休憩時間に家で寝たのだが、疲れが取れない。

夜、閉店したあと、会議が開かれた。
調理師9人、服務員4人の全ての従業員が招集され、
陳経理が何か話していた。
社員たちはうつむき加減。
陳経理と料理長が何かをいいあっていたが、
全て四川語だったので、ほとんど聞き取れなかった。
いつの間にか居眠りをしてしまった。

途中、陳経理が帰ってもいいということで俺だけ抜けてきた。
本当に疲れた。




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4月24日 日曜日

肉まん。
まだ形は悪いが、いろいろ手ほどきを受けて少しづつではあるが
進歩はしている。
朝、大姐が来て肉まんを食べていった。
特大のを2つ。
ここの肉まんは本当にうまい。


大人気の肉まん

午後の休憩の時に、みんなが住んでいる寮に行って見た。
寮は大姐のマンションの地下にあり、
10畳ぐらいの部屋に2段ベッドが4つ、7人が住んでいる。
コック長と弟子の2人は別室で、
服務員の女子部屋は別になっている。

まさにすし詰め状態。
ちょっと大変だな〜。
プライバシーも全くない。
ここで昼寝してけと言われたが、
みんな出掛けてしまったので俺も家に戻って昼寝をした。
やっぱり自分のベッドがいい。

夜は結構忙しく、てんてこ舞いだった。
しかし、コック長の作るのをただ見てるだけでは何にもならないな〜。
進歩しているのを祈るしかないと言う感じ。

客の入りがピークの時に、店に公安が来た。
俺の件で来ているのでは?と、ドキッとした。
聞くところによると、料理に文句をつけてきた客が、
店内で騒いでいたのらしい。
厨房の中は炎と怒鳴り声、圧力鍋の音でホールの騒がしさに気づかなかった。
幸い、30分ぐらいして公安と客は出て行った。

このレストランの経営者が変わるらしい。
本店がここの経営から手を引くようだ。
昨日の会議はそのことについてだったようで、
陳経理は状況が厳しくなることに対して理解をみんなに求めていた様子。
詳しいことは聞かなかったが、このレストランどうなるんだろう?
ここに来てまだ数日。
つぶれなければいいが。

とりあえず、明日は休みだ。
ゆっくり寝られるだけで嬉しい。




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4月25日 月曜日


料理のビデオCD


休日。
久々に自由になれたという感じ。
もうあそこで1ヶ月ぐらい働いたと言う感じがする。

午後、学校に行ってきたが、友人たちが帰った後だったので
西単に行って、DVDやVCDを買い込んできた。

夜はバスをのり違えてしまい、
西駅の南側へ行ってしまった。
来たことのない所ってのは、嫌なものだ。
なんか急にさびしくなってきた。
1人じゃないことはわかっていても、孤独を感じる。
明日、また仕事だ・・・。
ブルーだ。




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4月26日 火曜日

レストランの新しい経営者が決まったらしい。
陳経理がここの経営の権利を得たらしく、
今日は朝からホールを見張っていた。

朝と昼はかなり込み合ったが、
夜は暇だった。

肉まんは底抜けのが続出。
俺の作ったのではないみたいだけど、
みんな俺を疑っていたんだろうな〜。

朝は、麺点担当の光富、刀工担当のイーレイ、
洗い物の伝奇と俺の4人体制で朝食を作っている。
光富は麺点歴10年のベテランだ。
手品のように肉まんを次から次へと作っていく。

だんだん同僚との会話も多くなってきた。
あまりカッカしないことが何よりも大切。
いろいろ腹の立つことも言われるけど、
冗談で跳ね返すのが最良の方法だ。

政治関係に関してはあまり口を出さない。
と言っても、靖国や教科書問題などの問題があり、
討論せざるを得ない状況だけれども、
最近になって、新聞には日本の庶民の歴史観をつづった文章が載せられるようになって来た。

「日本人は政治に強い関心を持たず、そのせいか、教科書問題についてもあまりしっかりとした考えを持っていない。それよりも隣国との関係悪化によって旅行が制限されたり、映画やドラマが見れなくなるのではないかと言う懸念の方が大きい。もっぱら自分の生活に密着したことのみに関心を持っているのだ・・・。」

旅行や映画にしか関心がない日本人。
恥ずかしくもなるが、事実だ。
攻撃的な内容から理解しようという方向に変わっては来ている。

昨日、学校に行った時も教科書問題の話になった。
老師の弟子が授業に来ていて、
北京でデモが行われているけど、どう思う?と聞いてきた。
「デモするよりも、日本に行って政府に抗議したらいいと思う。」
と答えた。
「日本にいけないからここでみんなデモを起こしてるんだよ。」
と、弟子。
そんなことわかっている。
でも、俺から見ると、集団でしか行動できない人の集まりにしか思えない。

「新聞には日本人の大部分が極右みたいに書いているけど、違うよ。新聞の記事が本当だったら中国人は怒ってもいいけど、そうじゃないんだから止めるべきだよ。」
と言った。

「でも、靖国とか、教科書問題からもわかるように、日本は侵略に対して何の反省もしてないでしょ?それに対してのデモだよ。」
と、弟子。
「侵略は悪いことだけど、今の日本は前とは違うよ。」

・・・と言った感じで、話は平行線をたどった。

この前読んだ雑誌には、
日本人は南京大虐殺を知らないとかいてあった。
知らない日本人って、そんなにいるか?

以前(98年)、中央電視台の番組で
日中の歴史的問題を題材にしたのをやっていた。
その中で、日本人留学生がインタビューに答えていた。
彼女は日本人の歴史観について
「日本人は過去の歴史について知りませんよ〜。」
と、人事のように淡々と語っていた。

これが発端とはいえないが、
日本人は歴史について全く知らないと言う印象を植え付けてしまったのだろう。
このシーンは何度か放送されていた。

中国から見ると、
日本人の侵略に対する知識ははっきりいって乏しい。
それが、反省していないと言う印象を与えているのかもしれない。

以前、留学から帰国したばかりの頃、
図書館で当時の資料を調べたことがある。
中国人と交流する上で、知らないでは済まされないと思ったからだ。

歴史年表を見て調べるのは簡単なことだったが、
日本人兵士の手記や、
当時の体験を映像にまとめたビデオを見てからは、
それ以上のことを調べるのをやめてしまった。
吐き気を催してしまうほどの内容で、
普通の人間の感覚を持った日本人が日本鬼子と呼ばれるまでに至った経緯が細かく描かれていた。

おじいちゃん、おばあちゃんから悲惨な戦争体験を聞いたときの
平和を尊ぶ気持ちは誰でも持ったことがあると思うが、
加害者の体験を知ったとき、
俺はもう知りたくないと思った。
できることなら、被害者側の立場として平和を愛していきたい。

だから歴史の問題を突きつけられると、
あの手記を読んだ時の気持ちがよみがえってきてつらくなる。
知らないのではない。
過去の問題には触れたくないのだ。

平和を尊ぶ=反省にはならないのだろうか?




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4月27日 水曜日


レストラン前にて

朝、肉まんを作れなくなってしまった。
昨日まではうまく行っていたのに、
今日は全くダメ。
どうしちゃったんだろう?
自分にもわからなかった。

夜、陳経理がいきなり俺をガス台の前に呼んだ。
「やっと炒め物を学ばせてくれるんだ〜!報われる時が来た!」
と、喜んで調理長の横にスタンバイした。

マーボー豆腐作れるか?」
と調理長。
「学校で作ったことはあります」
と、俺は自信満々に答えた。
すると、陳経理は
「オーダーが入ったから作ってくれ。作れるだろう?」
と一言。
「えっ?」

自分の耳を疑った。
お客様に俺の作った中華を出すなんて正気か?と思った。
「あの・・・、いいんですか?俺で・・・」
と聞くと
「自由に作っていいから頼むぞ!」
と、陳経理。
そんな無責任な〜。

助けを求めるように調理長を見ると、
「見ててやるから自由に作ってみろ。」
とだけ言われた。
ひょっとして、これは俺のレベルを調べるためなんだろうか?
と思い、作るしかなかった。

とっさのことでレシピが浮かんでこない。
台の上に用意された豆腐を見て、
やっと豆腐が浮かんできた(汗)。

この時こそ丸美屋のマーボー豆腐の素が偉大に感じられたことはなかった。
周りを見渡すと調味料が20種類ぐらい並んでいる。
豆板醤を使うことは思い出したが、
似た様なのが3つぐらいあった。
楊老師に電話をかけてレシピを聞きたかった。

まず、鍋に油を敷いた。
でも、次が浮かんでこない。
考えているうちに鍋から煙が上がってきた。
煙が出た油は使えない。
ポットにその使い物にならなくなった油を戻しているときに
やっと思い出した。
豆腐を型崩れしにくくするために湯通しするんだった!

鍋に水と豆腐を入れ、沸騰するまでの間、頭の中を整理した。
「これが俺のデビュー戦だ。失敗は許されないぞ・・・。」
「確か、唐辛子を炒めて、色が出てきたら取り上げて豆板醤だったな・・・。」

豆腐を無事に湯通しし終えてから、笊に取った。
油を敷き、唐辛子を入れると、調理長が横から何かをドサッと入れてきた。
ひき肉だった。
「そうだった・・・。最初にひき肉をポロポロになるまでいためるんだった・・・。」

チラッと調理長を見ると、彼は無表情だった。
「やばい・・・。これでマイナス10点だ・・・。」
と考えながらも次の動作に移った。

豆板醤を炒め、香りが出てきたところでドウチーを入れた。
それから生姜のみじん切り。
焦げないように火から下ろしながら炒めたのだが、
この時点で唐辛子はすでに真っ黒になっていた。

「ここで諦めちゃいけない・・・。俺のデビュー戦・・・。」
酒と醤油、その他の調味料(何を入れたか覚えていない)を入れ、
水と豆腐を加えた。

見た目は普通のマーボー豆腐に仕上がったのだが、
味見をしたらなんとも締りの無い味。
ここで粉末唐辛子とガラスープの素を加えた。

調理長に味見をしてもらうと、
「ん〜・・・。ガラスープの素をもう少し入れてみろ。何とかなる。」
との事だった。
確かに何とかなる味にはなっていた。
何というか、日本のマーボーに近い味。

水溶き片栗粉でとろみを上手につけて、仕上げに油を少したらした。
皿に盛り付け、刻み葱を散らすと、
陳経理はニコニコして俺のデビュー作品を客席に持っていった。

「終った・・・。」
炎の暑さと冷や汗のせいで体中がべとべと。
ほっとしたのもつかの間、今度はお客さんの反応が気になった。

おそるおそる客席を覗いてみると、
なんと、マーボー豆腐を食べているのは大姐だった。
「そういうことだったんだ・・・。」
複雑な気持ち。

考えてみれば、普通のお客さんに俺の中華を出すわけがないもんな・・・。
大姐は俺の視線に気づいたのか、
おいしいと笑顔でgoodサインを出してくれた。
俺も思わず笑みがこぼれた。

おいしいと思ってくれたことは嬉しい。
でも、何かが引っかかる。
本場の中華の味ではなかったからだ。
料理長に聞いてみると、醤油と砂糖、ドウチーは入れなくてもいいとの事。
それ以上のことは言われなかった。

後で大姐に電話をかけて感想を聞いてみた。
「おいしかったよ〜!できるじゃん!」
といってくれた。
大姐は俺が毎日洗い物をしているのを知って、
陳経理に俺に作らせるように頼んだと言うことだった。
俺のことをかなりプッシュしてくれたらしい。
ありがとう・・・。

家に帰ってからすぐ、レシピノートを開いた。
粉末唐辛子は水を入れる前に炒めて辛味を出さなければいけなかった。
醤油とドウチーはレシピにあったが、砂糖は無かった。
あとは塩と花椒(山椒)を入れるのを忘れた。
花椒を入れ忘れるなんて、致命的な失敗だった。
辛味と花椒の痺れ味は四川料理の命だ。
料理長は知ってて言わなかったんだろうな。

半年間学んで来たのにもかかわらず、
ノート無しでは何もできない自分にへこむ。
以前、学校で校長や老師に言われたことを思い出した。
「学ぶだけじゃ何にもならないぞ。実践を重ねていかないと。」
まさにその通りだ。

自分のレベルの低さをさらけ出してしまった今、
実践させてもらう機会はあるのだろうか?
失敗するのをいまさら怖がってられない。
ただ、衰退していくのが怖い。
レシピだけでも忘れないようにしてないと。

俺のデビュー戦は満足のいかない結果に終ったが、
このマーボー豆腐は一生忘れないだろうな。
次がんばろ!




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4月28日 木曜日


黄砂の季節

今日も肉まんが上手に作れなかった。
どうしてしまったんだろう。
試行錯誤しているうちに
別の作り方を創作してしまったらしい。
ブサイクな肉まん。
愛情はたっぷり込めてるんだけどな。

だんだん仕事がつまらなくなってきた。
いつも野菜洗いと皮むき、皿洗い、掃除だけじゃ、面白くない。
もっと先に進みたい。

昼、混雑している時に魚の下処理をした。
別に頼まれたわけじゃないけど、
下処理ぐらいは学校で何度もやったことがあるので、
やめろと言われてもする覚悟だった。

床でピチピチ跳ねている草魚(鯉に似た川魚)の頭を包丁でたたき、
鱗、内臓、鰓を取って、きれいに水洗いして出来上がり。
たったこれだけのことでも嬉しかった。

刀工係の李亮に渡すと、
何も言わずにさばいていた。
まずはうまくいった。

夜、大姐がレストランに来て、
ワインと白酒を置いていった。
ワインは俺に、白酒は俺の手から陳経理に渡すようにとのことだった。
白酒は数十元もする高級物らしい。
「白酒は自分で買ったって言うんだよ!」
と言って、大姐は去っていった。

大姐の心遣いはうれしかった。
彼女は俺が洗い物ばかりしか任されていないことを心配している。
白酒を渡せば、陳経理が俺に目をかけてくれて、
ワンランク上の仕事を任される事ができると思っているようだ。
ありがとう。

でも、白酒は大姐からと言うことで渡した。
陳経理は受け取れないと拒否していたが、
強引に納めてもらった。
白酒一本で他の仕事を任せられるのだったら大喜びだが、
今は何とか自分の力で道を切り開いていきたい。

黄砂の季節がやってきたらしい。
空が黄土色になり、眼を開けてられないほどだ。
中国人はよく唾や痰を吐くのだが、
その気持ちがよくわかる。
口の中がジャリジャリするのだ。

でも、自転車に乗ってる時は唾を吐くもんじゃない。
全部自分の服や顔に唾が引っ付いてしまった。




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4月29日 金曜日


神業で肉まんを包む光富

朝、5時30分に出勤。
毎日少しづつではあるが、出勤時間を早くしている。
4時30分に出勤している光富には及ばないが、
今のところ、5時に起きるので精一杯。
この調子で何とか早起きを心掛けていこう。

肉まんは何とかコツがつかめてきた。
相変わらず形はよくないけど、
手の微妙な動かし方の部分を習得できた。
まずは練習あるのみだ。


午後の休み時間、
伝奇とネットカフェに行ってメールの送り方を教えた。
大喜びの様子。
これで俺が帰国した後も連絡を取り合える。

今日も一日中、洗い物。
野菜の準備をして、皿洗い、そして掃除。
悲しくなってきた。
こんなことをしに来たんじゃない!
不安になってきた。
何も学べずに日本に帰るのかと思うと焦りを感じてしまう。

でも考えてみると、
普通の中国人も皿洗いから仕事を覚える。
自分の場合は、給料無し、まかない付きという
ちょっと変わった状況ではあるが、
だからと言って優遇されるわけではない。
みんな初めはこんなもんだろう。
頑張れ自分!

なんかみんなが忙しくしている時に
黙ってみてるのは嫌で、自分で仕事を探してやってしまう。
自分ができるのは掃除ぐらいだ。
そして何も学べない。
悪循環かな。
まあ、整理整頓は基本中の基本だ。
いくらおいしい料理でも汚いところで作ったものは
誰も食べたくないもんな。

まず、今の目標は
@包子や他の麺点のマスター
これはひたすら光富に付いて練習するしかない。
A燕波の技
燕波は調理長の弟子で、俺と歳も近いし、
コック歴3年にしては炒菜技術が高いので、
まずは彼を手本に頑張ってみることにした。

明日からまた頑張るぞ〜!

そういえば、明日盛華の彼女が北京に来ることになっている。
俺は気を使って旅館に住むことにしていたんだけど、
盛華も俺と一緒に旅館に行くとの事。
彼女は1人でうちらの部屋に住むことになりそうだ。
不思議。
一緒に住めばいいのにな。

盛華が言うことには、結婚前に一緒の部屋に住むのは御法度との事。
その反面、ネットで1ヶ月前に知り合ったばかりなのに
両親には報告済みで、着々と結婚への準備を進めているようだ。

盛華はまだ25歳だけど、
田舎の同級生がみんな結婚してしまったとのことで
少々焦っているようだ。
「30前に家庭を持たないと負け犬になってしまう〜」
と、俺の前で嫌味くさく言う時もあるんだけど、
結婚は焦ってするもんじゃないぞ〜!
適齢期は人それぞれ。
でも、まだ若い彼には何を言っても通じない。
まっ、俺もそうだったから気持ちはわかるんだけどね。

以前、山東で道端の占い師に見てもらった事がある。
結婚は34歳・・・。
将来は社長になる・・・。
と言われた。
今年、数えで34なんだよな。
何にも予兆と言うものがない(汗)。

まず、盛華にも春がやってきたんだから、
できるだけ応援しよう。




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4月30日 土曜日

土曜日と言うこともあって、客の入りはあまり多くはなかった。
週末は本店の方に客が行ってしまうのだろう。

夜、仕事が終わってから、従業員全員で本店に行ってきた。
明日はメーデーと言うことで、
グループ全体の食事会があったのだ。

初めて入る本店の厨房は支店の数倍もある広さで、
ガスが8つあり、コックの人数も数え切れないほどだった。
支店のガスは全部で6つだが、
そのうち炒菜のガスは2つだけである。

麺点と冷菜の厨房は別にあって、
広めで作業がしやすい感じだった。

ただ、厨房の騒がしさだけは支店も負けちゃいない。
怒鳴り声だけは支店のほうが勝っているかな?
俺はこの厨房の騒がしさが好きだ。
みんなの熱意がぶつかり合い、おいしいものができていく瞬間。
静まり返ったところで作る中華は考えられない。

みんなと一通り参観した後、食事会の会場へ。
丸テーブルの上には四川料理がずらり。
水煮猪肉、マーラー鍋、回鍋肉、魚のマーラー醤揚、胡麻団子・・・。
ビールも飲み放題である。

会は社長夫人と副社長の挨拶から始まった。
「皆さん毎日ご苦労様!これからも会社の発展のために頑張ってください!乾杯!」
とりあえずビールを一杯飲んで、後はみんなで食いまくった。
いつもまかないの簡単な料理しか食べていないので、
体が肉を欲していた。
どれも絶品。
辛いんだけど止まらない。
そしてビールも進んだ。

伝奇はひとくちビールを飲んだだけでダウン。
李亮は酒豪とまでは行かないが、結構いける口で
一緒に乾杯をしまくった。
コックの中ではただ1人東北生まれの彼とは話が9割がた通じる。
付き合っている彼女が本店に勤めているようで、
俺にこそっと教えてくれた。
「まだみんな知らないから誰にも言うなよ!」
と照れくさそうに。

そして、その彼女がカラオケを歌いだした瞬間、
ひやかしの歓声が沸いた。
みんなに交際を知られていることがわかり、
李亮は顔を真っ赤にして照れていた。
歌のほうはビミョーにずれていたけど、
素敵な2人でした。

そのあと、本店の麺点コックから熱烈歓迎の祝杯を受けて帰ってきた。
光富と、系列店で働く奥さんと一緒にほろ酔い気分で帰ってきた。
この夫婦は四川に子供を一人残してきて、
北京に出稼ぎに来ている。
子供と離れて暮らすのはつらいけど、
お金を一生懸命稼いで故郷に帰るのが夢との事。
がんばれ〜!
俺も頑張る。

うちに帰らずにまっすぐ旅館へ向かった。
俺が食事会で遅くなったから
布団や歯ブラシなどを盛華が全部旅館まで運んでくれていた。

ここの旅館はうちの近くの商店街の一角にある。
本業は電話亭と呼ばれる公衆電話業で、
俺も盛華もよく利用しているのでここの主人とは面識がある。

旅館と言っても、副業なので旅館的な設備はないのだが、
部屋だけは広い。
15畳ぐらいはあるんじゃないかな。
そこにベッドが二つと、ダンボールが数個。
トイレは共同。
”大”は禁止。
バケツが外に一個置いてあるのみ。
大がしたくなったら主人に店の鍵を開けてもらって
外の公衆便所に行くしかない。
店の玄関=旅館の玄関なのだ。

こんな感じではあるが、
なんといっても2人で1週間100元という破格値が魅力だ。
眠れればそれでいいや。

盛華の彼女は結構可愛いらしい。
きょうは会えなかったけど明日会うのが楽しみだな。






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