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中華への道!ダイアリー

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2005年5月






5月1日 日曜日


エスビ〜?

早めに出勤。
朝はいつも通り、ひたすら包子を作った。
450個の大口注文を受けていたので
みんないつもよりも必死になって作ったのだが、
売れ行きについていけずに残業をする羽目に。
足りなくなってしまったのだ。
結局、700個ぐらいの包子を作って朝の部が終了した。

9時ごろ部屋に戻ると盛華と彼女がくつろいでいた。
彼女は23歳。
丸一日寝台に乗って北京にやってきた。
写真で見るよりも可愛い感じでスタイルも結構よく、
何よりも性格がきつくなくて好感を持てた。
天然が入ってるっぽくて、中国人では珍しいタイプ。
2人をからかいたい衝動に駆られたが、
今日はそっとしてあげた。

というか、まだ会って間もない2人の絆はまだそんなに強くなく、
緊張気味の2人を見てると何かをしてあげたい気持ちになったのだが、
変なことを言って仲を壊してしまうことは避けたいと思った。
口は災いの元。

職場では今日も洗い物と掃除。
隙を見て他の仕事にも積極的に手を出そうとしたのだが、
今日はそんなに忙しくもなく
仕事にあぶれてしまったと言う感じだった。

皿洗いをしていると
「ここで何やってるんだろうな・・・。」
ってつくづく思う。
帰国の時は刻々と迫って来ているのに・・・。
でも、手を抜いてはいられない。
厨房の衛生は基本中の基本。
これは俺の任務だ。
まず、最低1ヶ月は頑張ってみよう。




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5月2日 月曜日

最悪の日だった・・・。
朝から忙しく、経理は怒鳴りっぱなし。
上が怒鳴ると下の人間もピリピリしてくる。
みんながピリピリしてくると早口になり、
俺に直接四川訛りの中国語で話してくるのだ。
周りの雑音のせいもあるが、そうなると全く聞き取れない。
聞き返すと「あ〜あ、めんどくさい」みたいな顔をされる。

そんな呆れ顔をされるとこっちも黙っちゃいられない。
「こっちだってめんどくさいんだよ!普通語話せ!」
と怒鳴ってしまった。
でも分かっていない。
俺が何でも聞き取れるとでも思ってるんだろうか?

昼前、いつも通り、空心菜とほうれん草の準備をした。
空心菜はお客さんから硬いと言うクレームがあったので
太い茎の部分は思い切って捨てた。

すると料理長が
「こんなに食えるところまで捨てるなんて何やってんだ!」
と、四川訛りでしゃべっていた。
イントネーションの違いだけだったら聞き取ることはできるんだけど
俺は訛りには反応しない。
料理長は俺に話すときは普通語を話すので、
愚痴を言ったのだろうと思い反論はしなかった。

ほうれん草はもうすでに蕾ができていて硬くなっていたので
葉だけを取っていたら、
また料理長が後ろで叫んでいた。
「まだほうれん草やってんのか!また食べられるところも捨てんじゃないのか!」

無視。
こんなほうれん草を仕入れる方がおかしい。
単価が安いとしても太くなった茎を誰が食べるんだ?
葉っぱだけ取るのも手間がかかるんだ!

場の雰囲気を察したのか、
光富がゴミ箱のほうれん草の茎を調理長に見せて、
「こんなに年とったほうれん草なんだからしょうがないですよ。」
と、弁解してくれた。

結局、3把のほうれん草から1把分の葉っぱしか取れなかった。
経費削減はいいけど、ここまで素材の質を下げたら悪循環だよ。
こんなほうれん草、どこの食堂でも食べたこともない。

これからランチの稼ぎ時って言う時にむしゃくしゃしながら
伝奇と皿洗いに精を出してストレスを発散するしかなかった。
調理長もかなりピリピリモードだったんだろうな。
ランチのピークの時にクライマックスがやってきた。

皿洗いをしていると、いきなり陳経理の尋常ではない怒鳴り声が飛んできた。
四川語だったのであまり聞き取れなかったが、
経理と調理長の猛烈な口げんかが始まったのだ。

お互いに顔を真っ赤に染めて、今にも取っ組み合いの喧嘩になりそうな様子にみんなの手が止まった。
客席にも聞こえてしまうだろうに・・・。
と、呆れながらもリスニングに徹した。

集中して聞いてると、経理は何か俺のことを言ってるみたいだった。
「ほうれん草・・・無給料で仕事・・・朝早く来て包子を作って・・・。」
伝奇に内容を聞いてもわからないの一点張りだったが、
直感で俺のことを言ってるのだとわかった。

料理長の言ってることは全く聞き取れなかったが、
経理は俺の見方だってことはわかった。
料理長は俺に不満があるらしい。

仕舞いには
「出てけ!」と経理。
調理長も負けずに怒鳴り散らしていたが、
結局彼が折れたようで、口げんかは終了。

何を怒鳴りあっていたのかみんなに聞いても
「よくわかんない」
とか、
「料理についてどうのこうの・・・。」
と、はっきりしない。
最悪。

午後出勤すると、なんかみんなの俺を見る顔が違う。
じろじろ見られてるような感じがした。
彼らの話しているのを聞いてたら
俺が無給料で働いていることを初めて知って驚いたらしい。
「珍しいやつもいるもんだ・・・。」
「人それぞれだよ・・・。」
と、ひそひそ話。

なんかいずらいな〜、っていう感じがした。
仕事も面白いわけではないし。
俺が口げんかの原因だとしたら
ここには居れない。

夜、陳経理が調理長に話していた。
「もう2週間たったぞ。違うことやらせろよ。」
調理長はまだ不満があるらしく苦笑いをするだけだった。

俺がここに来てから2週間がたった。
せっかく環境に慣れ始めていたときにそりゃないよ。
俺に直接不満をぶつけてくれた方がまだましだ。
ただでさえ、言葉が通じないストレスがたまってんのに
いい加減にしてくれよ〜。

夜の部後半は客が全く来なくなったので、
厨房の大掃除が始まった。
冷蔵庫や作業台を動かすと、
下にごっそりとゴミがたまっていた。
唐辛子や、野菜屑。

22時を回った頃、やっと掃除が終った。
精神的疲労と空腹でぐったりしていたら
調理長が声をかけてきた。
「疲れたろ?」
「(当たり前だ!)少し。でも明日休みを取ったので平気です。」
「俺もあさって休めるんだ〜。」
と、彼は昼とはうって変わって笑顔だった。

なんかこの調理長とはうまく合わない感じがする。
心をぶつけ合えないような違和感。

今日は2人のコックが面接に来たが、
不合格だった様子ですぐに帰っていった。
コックよりも皿洗いを雇ってくれ!っていいたくなってくる。
無料の奉仕は誰も好きでやってるんじゃないぞ〜!




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5月3日 火曜日


羊肉串の屋台

休日。
他の同僚たちは原則的に年中無休なので休みを取るときは気が引けるが、
給料も休みもないでは働く意味がない。
中国には労働基準法ができたとはいえ、
まだ普及していないのが現実だ。

みんなに、休みとったら?と言うと、
「休みを取ったら給料が減ってしまうからどうしようもない」
と、絶望的な言葉が帰って来る。
刀工係の李亮はここに来て3年になるが、
春節が過ぎてからの数日間が唯一の休みだそうだ。
来たばかりの伝奇はもちろん休みを取ったことがない。
「休むよりも、早く技術を習得して他のレストランに移るんだ。」
と、いつも前向きな彼だが、いつまで続くんだか。
かわいそうになってくる。

今日はゆっくり休もうと思ったが、
いつも通り5時前には目が覚めてしまい、
結局出掛けてきた。

ネットカフェでメールチェックをし、
西単で日本に持って帰るお土産を買い、
昼過ぎに学校に行ってハン君と飯を食ってきた。

羊肉串、筋串、砂肝串、鶏串などを食べながら
近況を報告しあった。
彼はもうすぐ卒業と言うことで喜んでいた。
今は麺点コースに通っているようで、
管理コースの老師とは関わりがなくなり
すっきりした様子。

俺はというと少し酔ったせいか、
弱音がぼろぼろ出てきた。
「洗い物しかすることがない・・・。」
「調理長と経理が俺のことでもめて居づらい・・・。」
「あそこで1ヶ月辛抱できなかったら調理師を諦める・・・。」

もちろん1ヶ月ぐらいは辛抱できる自信もあったし、
調理師を諦めるなんて思ってもいないのだが、
たまには俺だって弱音を吐きたいこともあるんだ。
吐き出して少しはすっきりしたんだけど、
ハン君は俺が弱音を吐くのを聞いて困惑した様子だった。

「お前が弱音吐くとは思わなかったよ。だって、俺より年上だし・・・。」
「年上だと弱音はいちゃダメなの?」
「なんか、イメージが変わったと言うか・・・。」

俺はどういうイメージなんだろう。

歴史問題の話題も出てきた。
この話題は最近必ずと言っていいほど出てくるので
半分慣れっこになっていたけど、
ハン君がこのような話題を持ち出すのは初めてだった。

「日本のやってることは理解できないよ。ひどすぎる」
「うん、最近の動きは俺でも怪しいと思ってしまう。」
「日本人は過去に何をしたのかわかってるの?」
「わかってるけど・・・、俺もそうだけど、できるなら触れたくない問題なんだ。」
「でも日本人は歴史の事実を受け入れてないよ。」
「それは問題だと思うけど、日本人は平和的だよ。俺はハン君よりも日本の事情はよくわかってるから。」
「なんか日本人って何もわかってないと思う。反省してない感じ。」
「わかってるよ。ちゃんとわかってる。ただ、見方が違うだけ。ここに来て知ったけど、日本人と中国人には大きな違いがある。」
「なに?違いって?」
「加害者と被害者だってこと。見方が全然違ってくる。」
「日本人は餃子皮しか見ていない。中身に何が入ってるか知らないのに外見だけ見て知ったつもりになってるんだ。」

彼の言ってることはすんなりと頭に入ってこなかったが、
俺の言いたいことがちゃんと伝わってないことは分かった。
歴史の話題はこれで終ったが、
彼にとってみれば、やっぱり日本人は何も知らないと思ったのだろう。

何度となくこのような話題を討論してきたけど、
お互いの意見を分かり合えたためしがない。
話せば話すほど友人関係が一歩後退してしまう感じだ。

今気付いたけど、
俺の言ってることは弁解でしかないのではないか?
「過去に中国に対して残酷なことをしたけど、
今の日本は平和を愛する国だからわかってくれ!」
といっても、現在よりも過去に主眼を置いている彼らにとっては
言い訳にしか聞こえないのかも。
彼らは日本が本当に反省してるのか、
それとも右翼的な考えを持っているのかのどちらかを知りたいのだ。

俺がハン君に謝ったとしても何の解決にもならないが、
もっと歴史を知って、反省の気持ちを伝えなければならないのでは?
そこで初めて中国も本当の日本を理解しようと言う気になるだろう。

なんか、戦争や戦後などとは程遠い生活を送ってきた自分が、
何でこんな目に遭わなければならないんだ!
と、合点が行かないけど、
このままではちっとも未来が見えてこない。

中国政府も過去にばかりこだわってないで
現在にも目を向けるべき。
中央政府に対して疑問に感じることは多々あるけど、
それを口に出したことはほとんどない。
政府に意見を言える環境に中国がなったとき、
日本も初めて中国を本当に理解しようと言う気になるのでは。

早く歩み寄ろうよ。

夜は盛華と彼女とで夕飯を食べに出掛けた。
2人は有名な喜劇俳優が出る軍隊主催の演劇を見てきた様子。
「おもしろかった〜。」
と、満足していた。
いい感じになってきたね。
ただ、盛華はシャイなのかあまり彼女と話さない。
硬派だからな。

旅館に帰ってきた後、今日の感想を聞いてみた。
「彼女はどんな感じ?」
「ん〜。どんな感じといわれても・・・。写真の方が可愛かったな。まず、うまくいかなかったとしても、次があるから。上司が看護婦を紹介してくれるって話もあるし。」
「看護婦?でも、彼女と付き合うんでしょ?」
「わかんないよ。なんか合わない感じがする。何をしたいって言う主体性が彼女にはないんだ。」

この2人、どうなるんだろうか。




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5月4日 水曜日

経理は一日中怒鳴りっぱなしだった。

昼休み、みんなで丸テーブルを囲んで食事をした。
いつもは小さいテーブルに分かれて食事をするのだが、
今日はなぜか招集がかかった。
ちなみに中国の普通のレストランでは
まかないを客席で食べる。
初めはお客さんに対して申し訳ない感じがしたが、
これが中国の習慣だ。

自分のご飯を持ってテーブルにいくと、
陳経理に隣に座るように言われた。
彼とはあまり話をしたことはなかったので、
良い機会だと思い席についたのだが、
みんなは”触らぬ神に祟り無し”といった感じで
一言もしゃべらず飯を食っていた。

すると、陳経理はみんなに語り始めた。
「お前らは、日本の精神を学ぶべきだぞ。日本人はよく働く。だから金持ちなんだ。そうだろ?」
「それはそうかもしれませんけど・・・。」
「日本の精神って”武士道”のことか?」
と、李亮。
「武士に会った事があるか?」
と、伝奇。
富士山と武士、芸者的な日本のイメージは健在のようだった。

少し話が脱線してしまったが、陳経理の話は続いた。
「経済発展を遂げた日本をもっとお前らは学ぶべきだぞ。この日本人の働きを見てみろ。掃除とか、洗い物とかをせっせと頑張っているだろう?この日本人は中華料理を学びに来てるんだから、お前らも何か学び取れよ。」

赤面してしまった。
褒められるなんて思っても見なかった。
「実は掃除は嫌いだけど、汚いのはもっと嫌なんでやってるだけです。」
なんて優等生的な答えを言ってしまったが、
事実だからいっか。
俺は中国人から学んで、
みんなは俺から何かを学べればそれで良い。

今日はずっと忙しくなかった。
午後、張さんから携帯に電話があった。
俺のことを心配していたらしく、
暇が出来たら様子を見に来るとの事だった。

仕事が終わり、9時過ぎに自転車をこいで帰ろうとすると、
通りを出たところに怪しい人がいた。
警戒して近づいてみると、なんと張さん。
俺が教えたレストランの住所が間違っていて、迷っていたのらしい。
ちょうど家に帰る途中だったのだ。

俺の家の近くの屋台に行って羊肉串を肴に結構飲んできた。
久々の再会。
うれしかった。
張さんはいろんな資格を取って、将来オーストラリアに出国する予定らしい。
俺の目標は炒菜係の燕波だ。
早くあのレベルになりたい。

もっと話をしていたかったが、
旅館の門限の時間がとっくに過ぎていたのでお開きにして帰ってきた。
久々にリラックスした時間を過ごすことができた。
ありがとう張さん。

今日新しい炒菜係のコックが入ってきた。
同じ料理でもやはりレストランによって具や味付け、手順が若干違うらしくて戸惑っていた。
調理長はというと今日も休みで、
燕波がいろいろと指導していた。

考えてみると、今日は4日だから5・4運動の記念日に当たるわけだな。
気付かなかったけど、
それを意識して経理はみんなと食事を摂るようにセットしたのだろうか。
だとしたら、経理はかなり気を使ってるんだろうな。
ありがとう。

(1919年5月4日、列強の不平等な講和会議に反対した民衆によって、デモや排日、ストライキなどがなされ、反帝国主義運動の原点ともされている。)




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5月5日 木曜日


最年少コンビの伝奇と文全


朝起きると外は雨。
朝雨が降るのは北京に来て2回目だ。
ほんとに雨が降るのは珍しい。
家に寄って傘を取りに行ったが、
彼女はまだ寝てるようだったので、そのまま職場へ。

厨房に入ると
「雨が降ってるのに来たのか?」
と光富。
当ったり前じゃないか〜。

包子をせっせと作り始めたが、
雨のせいか、開店時間の6時半になっても客は1人も来なかった。
7時ごろになってやっと満席に。
雨は止みそうにもなかったのでランチの時間は休みをもらった。
暇があるうちに休みを取っておかないと、
今度いつ取れるかわからない。
陳経理はいつでも休んで良いよといってくれるのだが、
忙しい時には絶対に俺も働きたい。

家に戻ると、盛華と彼女は各自、本を読んでいた。
2人の間に会話は全くなかった。
毎日観光詰めで疲れてしまったと言っていたが、
2人の間には既に亀裂が生じているみたい。
俺を介してしか話をしないのだ。

北京で心に残ったことは?と彼女に聞いたら、
「無い。」
と断言。
俺も返す言葉が無かった。

かわいい子なんだけどな。
せっかくはるばる北京に来たのに
何の収穫もなく田舎へ帰るなんて可愛そうだ。
盛華を責めたくもなるのだが、
彼はもう子供っぽい彼女に嫌気がさしたのらしい。
どうやって交際を断ったら良いか、昨日旅館で聞かれた。
もう末期である。
記念に北京観光だけはちゃんとさせときなよ。

2人に気を使って、早めに出勤するふりをして家を出て、
ネットカフェで時間をつぶした。
もう気を使う必要もないのだが、
彼女はもうすぐ田舎に帰るので話し合って欲しかったのだ。

メールチェックすると、金髪兄ちゃんからメールが来ていた。
学校を休んで、田舎へ帰ってしまったらしい。
俺と同じように、地元のホテルで見習いコックをするそうだ。
なんか同じ境遇の友人がいると心強い。
がんばれよ〜!

午後は家に戻り、爆睡。
気付くともう出勤の時間になっていた。
休憩の時間って何でこんなに短いのだろう。

夜の部はほとんどお客さんは来なかったので、
光富に麺の作り方を教わった。
小麦粉と塩、卵、水を入れ、機械で混ぜ合わせるのだが、
水の量は目分量だ。
その日の湿度などで微妙に違ってくるために、
全て手の感覚をたよりに水を加える。

一通りなじんだら、ローラーにかけるのだが、
一見簡単なようでやってみると難しそう。
絶対、習得するぞ〜!

後の時間は燕波と肉団子を作った。
こぶしほどの肉団子を揚げて、
蒸し上げたものを冷凍しておく。
これは獅子頭という、スープ肉団子になるのだ。

何もすることがなくなったので、
唐辛子をはさみで細かく切る作業をしていたら、
李亮が話しかけてきた。
日本に興味があるらしく(特に女性)、
いろいろと聞かれた。

「日本ではどんな男が受ける?」
「肌の色はどんなのが流行ってる?」
「髪型は?」
「中国人は日本女性にもてるか?」

彼は性格もいいし、凛々しい感じの良い男なんだけど、
外見にあまり気を使っていない。
いつも無精ひげを生やし、
髪はおかっぱ。
磨きをかけるといい線いくと思うんだけどな〜。
やんわりとアドバイスしてあげた。


夜、帰って来ると、彼女はもういなかった。
今日の昼の列車で帰ってしまったのだ。
いなくなるとちょっと寂しいな・・・。

盛華にこれからの事を聞いてみると、
交際はしないとの事。
性格が合わなかったのらしい。
詳しくは聞かなかったが、
服装が子供っぽくて一緒に歩くのも嫌だったとか、
初恋の子と比べてかなり落ちるとかといっていた。
まず、もっと恋をしてから結婚した方がいいよ!

そういえば、今日李亮から調理長が辞めたという話しを聞いた。
俺が休んだ日に出て行ったとの事。
ずっと前から転職先を探していたとのことで、
経理との口げんかが直接の原因ではないようだが、
俺にもひとこと言ってから出て行って欲しかった。
てっきり連休でも取っているのかと思っていた。

俺にとっては、
なんか馬が合わない人だったが、
今頃になって、もっと素直に接するべきだったと感じる。




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5月6日 金曜日

朝、包子を作っていると、
「形がだいぶよくなってきたな」
と、師匠の光富に褒められた。
やった!
実は自分でもそう思ってたんだ〜。
まだまだ光富にはかなわないが、
売り物になる形になってきた。
まずは自惚れずに引き続き頑張っていこう。

いつものように包子は蒸し上げた瞬間に売り切れるという状態。
一回に100個ぐらいの包子を20分かけて蒸すのだけど、
お客さんを待たせてしまうほどの盛況ぶりだ。

朝のまかないの時に伝奇が包子を2個おごってくれた。
やっぱりうまい。
ひとつ5角(7円)と言う安さなのに餡がたっぷりはいっていて、
肉と野菜の比率がちょうどよく、
飽きの来ないうまさだ。
テンメンジャンの風味がミソである。


肉まんを包む伝奇


午前休みは爆睡。
11時に出勤すると洗い場に新しく来たおばさんがいた。
燕波が、
「これからは表の方に出てきてもいいよ。」
との事。

やった〜!
昇格だ〜!
やっと皿洗いから開放される!
単純に嬉しかった。

麺の作り方を教えてもらったり、
四喜餃(四つの具材をトッピングした蒸し餃子)を作ったりして、
久々に物作り作業をした。

だいぶ仕事量が減り、
狭い洗い場から脱出できたおかげで
厨房の動きがよく見れるようになった。
何の注文が入ったのか、
何を準備して何を片付ければいいのかがよくわかる。
俺はまだひとりで物を作れるレベルではないので
スムーズにみんなが動けるようにアシスタント的な仕事をした。
掃除もこまめにして清潔を保つようにした。

燕波ともよく話した。
彼は十代で北京に出てきて
様々な仕事を経てから調理師の道を進み始めたのらしい。
味のあるやつだ。

包丁を持つ機会も増えた。
包子の具をきったり、
揚げた唐辛子をみじん切りにしただけだったが、
包丁を持てるだけで幸せだった。

伝奇は相変わらず経理に怒鳴られっぱなし。
彼も俺と同じく昇格したばかりだから
はやる気持ちを押さえられないのはわかるが、
おいしい仕事ばかりしようとするもんだから
すぐ怒鳴られる。

夜は洗い物がたまっていたのでおばさんの仕事を手伝った。
ウェイトレスに
「あんたいい人だね。人の仕事を手伝って。」
と言われた。
決して俺はいい人ではないのだけど、
おばちゃんだって好き好んで皿洗いをしているわけではないのだ。
お礼にウェイトレスを”美女”と呼んであげたら喜んでいた。

やっと道が開けてきた感じがする。




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5月7日 土曜日

朝、いつもどおりに包子を作り、
休憩時間は爆睡した。
昼は普通に忙しかったが、
皿洗いをしなくてもよくなったおかげで
厨房内の仕事に少しでも携わることができた。
麺点を手伝ったり、
新しく入ってきた調理長代理や、燕波の作るのを見たり、
素材を準備したり・・・。
やることはたくさんある。

炎の音などの雑音が大きすぎて相変わらず聞き取れなく、
間違った材料や、皿を用意してしまうこともあるが、
それはそれでしょうがない。
みんなには迷惑かけるけど、
そのうち慣れてくるさ。

夜、厨房はいきなりめちゃくちゃになった。
俺がここに来てから一番の忙しさに厨房のシステムがパンク状態になった感じだった。

魚料理の注文が入ると、
伝奇の先輩のイーレイが本店まで行って活魚を仕入れてこなくてはならない。
彼が抜けるときはみんなでフォローしあってるのだが、
今日みたいに忙しい日だとみんな自分のことで手一杯なのだ。

そういう時は俺の出番だ。
みんなの動きを見て、俺がアシスタントをするのだ。
でも、今日はうまく行かなかった。
俺がフォローすると、たちまち歯車がギシギシ言ってきた。
聞き取れないんだもんな。
何度も聞きなおしてもわからず、
ジェスチャーでやっと分かり合えると言った感じ。
トホホ。

空いた時間に床をモップで拭いていたら、
経理がまた何か怒鳴っていた。
聞き取れた単語をつなげると、
「何で日本人に掃除をさせているんだ?誰がやらせた?自分で進んでやってるのか?お前ら掃除ぐらい自分でできないのか?」
みたいな事を言っているようだった。

燕波や光富に聞くと、
「お前のことじゃないから気にするな」
との事。
予想の範囲内で俺も反応することはできるが、
あくまでも予想。
何も言えない自分にも腹が立つ。

閉店時間の少し前に、急遽、会議が開かれることになり、
みんな作業をやめて厨房の片隅に集められた。
経理が一人一人に何か怒鳴っていた。
もう少し早く出勤して来いとか、
休憩時間は出掛けないで部屋で休めとか、
規律を厳しくしたらしい。

俺は何も言われなかったけど、
自分の思うとおりにやっていく。
人に迷惑をかけない範囲で、
正しいと思うことを行動していく。
みんなが怒鳴られることに疲れてきたけど、
ここで淘汰されたくなかったら、潰れないように頑張んないと。




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5月8日 日曜日


朝の定番「油条」

いつものことだけど、朝はとにかく眠い。
今日は5時半に起きて、
10分で身支度をしてパンを頬張りながら自転車で出勤。
10分程度で職場に着くから、
遅くても6時前には包子の作業に取り掛かかれる。

伝奇と余レイは7時出勤になったらしく、
朝は俺と光富、昨日来た新人の3人体制になった。
包子は出勤してからほとんど一人で作った。
光富は油条とおかゆをつくり、
新人は豆乳と豆腐を担当した。

とにかく早く作らなければいけない。
しかも綺麗に。
光富に「早くなってきたな。」
と、褒め言葉をいただいた。
「いや〜、まだまだだよ。」
と、謙遜したが、
実は今日の包子の出来は自分でも満足がいけるものだった。

ちょっとルンルン気分で作業をしていたら、

「ボンッ!!!」

と言う凄まじい音とともに厨房内が振動した。
新人がガスの点火に失敗したらしい。
軽いガス爆発。
気をつけてくれよ〜。
怪我だけはしたくないよ〜。

そんなこんなで騒がしかった朝の部が終わり、
昼の部へ。
日曜日の昼は平日ほどではないが、
周辺のマンションの住民たちがわんさか食べにくるので気を引き締めて行った。

ところが、何時になっても燕波が出勤してこなかった。
最初は久々に休日でもとったのかなと気にはしていなかったが、
だんだん嫌な予感がしてきた。
昨日、料理について経理に怒鳴られていたからだ。
メニューにない料理(大学芋)を作って、失敗してしまったのだ。
飴が上手に固まらなかったらしい。

「大学芋も作れないやつは他の所に行け!」
「他の所って本店ですか?」
「誰が本店に行けって言った!よそに行けって言ってんだ!」
と、こんな感じで経理に一日中ガミガミ言われていたのだ。

そして予感は的中。
昼過ぎに厨房に彼が顔を出しにやってきたが、
俺もみんなも忙しくてかまってられなかった。
「今日は休みとったのか?」
と聞くしかできなかったが、彼は苦笑いするだけ。
みんなは仕事に熱中していると言うか、無視しているようだった。
そして、彼の「走了(じゃあ、また)」の言葉に誰も返事をするものはいなかった。

その時はいつもと違う場の雰囲気が理解できなくて訳が分からなかったけど、
後で光富に聞いて辞めていったことが分かった。
燕波は昨日の夜、みんなが止めるのも聞かずに辞める決心をしたらしい。

ほんとに悔しい。
炒菜の目標にしていただけに、
経理に怒鳴られ、負け犬のように去っていったかと思うと、
悔しさがこみ上げてくる。

逃げたら負けだぞ!
俺だって負けたくないからここで頑張っているのに、
お前がいなくなったら本当につまんない。
進んで掃除はするし、性格は落ち着いているし、
いいやつだった。
ここをやめて北京でどうやって生活していくんだろう。
心配になってくる。

夜の部はいつも通りの忙しさだった。
燕波が抜けたことで、炒菜は大忙し。
俺は光富に付いて麺点を担当した。
水餃子を作っていたらいきなり注文が殺到。
新人と2人であたふたしてしまったが、
こういうときは落ち着きが必要。
彼は皮を作り、俺はひたすら包んで茹でる係りに回った。
形はちょっと不揃いだったけど、心を込めて包んだ餃子だぞ〜。
日本人が作った水餃子なんて、言ってみればレア物だぞ〜。
ほんとにレアだったりして・・・。
心して食べて欲しい。

ピークが過ぎた時に、
涼菜のコックが、李亮に一緒に辞めようと誘っていた。
嫌な感じだなぁ。
李亮は最近、刀工係から炒菜係に昇格しつつある段階で、
先行きがようやく明るくなってきたって言うのに、
辞めるのを勧めるなんてろくなやつじゃない。
やつは前の調理長と仲がよかったので今は居心地が悪いらしいのだ。
李亮まで辞めないで欲しい。

皿洗いのおばちゃんと話をした。
一人で北京に来たらしい。
湖北省の人で、それ以上は聞かないようにしたが、
バスと列車を乗り継いで丸一日かけて北京に来たようだ。
見た目は60ぐらいだけど、10代の息子さんがいるらしい。
なんか事情があるんだろうな。
極力手伝うことにしよう。
みんな精一杯がんばってるんだ。
俺も頑張っていこう。
相変わらず居づらいけど、このままの状態で帰国したくない。

夜の部はほとんど餃子を作りっぱなしだった。
みんなが手が空いた時は手伝ってくれたけど、
注文に追いつかなくなり、キャンセルになってしまったのも結構あった。
速さが課題だな。

今日は風が強くて、突風で入口のガラスが割れてしまった。
不吉だな。




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5月9日 月曜日

夜は連休明けのせいか、客足はまばらだった。
そこで、厨房内の大掃除が始まった。
棚や冷蔵庫、倉庫内のガラクタなどを全部動かして床を磨いた。
隅には土と化した野菜や唐辛子、
いつのものかも分からない乾物類がどっさり・・・。

話によると、このような大掛かりな掃除はここ数年なかったとの事。
一番多かったごみは唐辛子かな?
厨房、倉庫、洗い場などのいたるところから唐辛子が出てきた。
さすが四川レストラン。

掃除が終ってまかないを食べて、帰宅したのは11時近かった。
おつかれ〜。




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5月10日 火曜日


俺の十八番「寂しい時、君は誰想う」(直訳)

朝は5時45分に出勤。
少しづつでも起きる時間を早めて、いろいろ学んでいかないと。
イーレイも今日は早く出勤してきた。

ここの人たちは歌を歌うのが好きだ。
包子を作りながら歌を歌う。
一人が歌うと、2人、3人と一緒になって歌うのだ。

俺は歌詞はわからないけど、流行っている歌のメロディーはわかるから鼻歌でついていく。
いつも先頭を切って歌いだすのはイーレイだ。
ぶっきらぼうな上、物をはっきりと言うやつなので
最初は「なんだこいつ!」なんて思ったけど、
裏も表もないさっぱりとしたいいやつだ。
歌を歌いながらの作業は楽しくて疲れなんて吹っ飛んでしまうから不思議だ。

そのイーレイは今では俺の作業を手伝ったりしてくれる。
今まではお互いに警戒しあって、一触即発の関係だったのが嘘のようだ。
持ちつ持たれつで、いい感じ。

ここでの人間関係は俺にとっては新鮮だ。
日本の常識は通用しない。
腹が立つことがあっても信用を得るまでじっと我慢するか、
一気にぶつかり合うかのどちらしかない。

ぶつかり合って分かり合うのも大切だけど、
俺は冷静に対処していきたい。
なぜかって、向こうから見れば俺は日本人と言う外国人だから。
教科書、新聞、ニュースなどの中で報じられる日本のイメージが、
俺そのものなのだ。

長い間中国にいると日本にいるような感じになってしまって、
きつくしゃべったり、ここでの不平不満などを自由に表に出してしまうと
すぐに誤解を受けてしまう。
多分、中国を蔑視しているとかと言う考えにつながっていくのだろう。
どこの国でも同じだと思うけどね。

そして3週間経った今、信頼関係がだんだんと築かれてきて、
俺は少しずつ自由に振舞うようになって来た。
というか、忙しくて冷静になってる暇なんてなくなってきた。

仕事中はこっちもピリピリしているから、
相手のしゃべってることが聞き取れない時は
「はぁ?何?何だって?はっきり言え!」
と、理解できるまで、威圧をこめて聞く。
相手も怒鳴り散らすように言ってくるのだが、
そうじゃないとお互いの仕事をしっかりと遂行できないのだ。

反対に聞き取ってもらえないと、怒鳴るような声で言ってしまう時もある。
帝国主義者だなんて思われてなければいいけど(笑)。
でも、これで関係が悪くなることはないだろう。
怒鳴りあうって、ある意味いいストレス発散にもなるしね。

昼の部はかなり忙しかった。
燕波がいなくなったせいで、李亮も光富も炒菜にかりだされ、
皿洗い仲間の伝奇も経理に怒鳴られながら炒菜の補佐に回った。
がんばれよ〜!

少し暇になった時を見計らって、麺の作り方をじっと見ていた。
結構勘のいる作業で、麺の水分は手の感触で決める。
水が少なくても多くてもいけない。

伸ばしも麺切りも機械でやるのだが、
頭では分かっていても、実際にやってみると難しいんだろうな。
もう少ししたら自分でも挑戦してみよう。

午後、広東コースの王老師から電話があった。
知り合いの広東レストランで働かないかとのことだったんだけど、
きっぱりと「行きません」と断ってしまった。
もう少しやんわりと断りたかったのだが、
中国語のレベルのせいもあり、複雑な表現は出来なかった。
これが中国式なんだから、いっか。
でも、何度もお礼を言った。
本当にありがとう。気遣ってくれて。

夜の部は相変わらず客足はまばらだったけど、
水餃子と麺類の注文が殺到して、てんてこ舞いだった。
餃子はほとんど俺が包んだのだが、
形はまずまずの出来で、自分で食べたいほどだった。

俺は焼き餃子よりも水餃子の方が好きだ。
何個でも食べられる。
腹いっぱい食いて〜な〜。
まかないで水餃子でてこないかな。

炒菜のほうも、一時てんてこ舞いだった。
炒菜は炎との戦い。
炎と戦ってる厨師はかっこいい。
俺もそういうカッコいい厨師になりたいな。




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5月12日 木曜日

昨日、今日と一日中忙しかった。
厨房内は炎の音と金属音、怒鳴り声で騒がしくて、
相変わらず中国語が聞き取れない。
「何ていった?」
が、口癖のようになってしまった。
まあ、しょうがないや。

今のところ自分がやっている仕事は、
@朝の部の準備(包子など)
 ひたすら包子をつくり、空いた時間で洗い物や掃除。
A野菜の下処理(洗浄、皮むきなど)
 注文が入ったら一皿分の素材を刀工係に渡す。
B包子の具を切る
 白菜10個、葱10本をみじん切り。
C麺点(小麦粉料理)の製作
 主に餃子やワンタンを作る。
D掃除、整理整頓
 ごみ捨て、床拭き、下水掃除などなど。

とまあ、こんな内容だ。
あとは、調理長が調理するのを見学したり、
光富が麺を作るのをアシスタントしたり、
洗い物をおばちゃんに渡したり、
唐辛子をはさみで切ったり、
そのほかにもすることは山ほどある。

今日は麺の出来がよくなかったらしくて客から苦情が来た。
光富にも原因が分からなかったらしく、
2週間前に辞めていった麺点の師匠を呼んで
作り方の再確認と夏に向けて涼麺の試作などをした。

原因は麺を伸ばしたり切ったりする圧麺機の具合が悪かったらしい。
あとは水分。
長年麺点一筋の光富でも水分調整がうまく行かない時があるようだ。
頭で理解するよりも経験をつんでいかないとどうにもならないんだな。

圧麺機に生地を3回ぐらいかけてから麺切りしてOKなのだが、
実は一番難しそうだ。
問題がすぐに表に出やすいからだ。
失敗したらまた捏ね直すという訳にもいかない。

以前、涼菜係の同僚が「寿司なんて簡単だよ」
と、俺の前で作り方の講義をみんなの前で始めたことがある。
「ご飯を握って刺身をのせるのと、ご飯と具を海苔で巻く2種類がるんだ・・・。」
全く分かっていない。
たぶん本当の寿司なんて食べたことも作ったこともないだろうに。

中華も見てる分には簡単そうだが、
実は全く簡単ではない。
調味料の風味の出し方、
火加減、
鍋ふり、
油温などなど、素人にはまねできないのだ。
これらをマスターするのはいつの日か・・・。

まずは調理長の作り方を見て覚えるのが今の任務だ。
麺点の方も実際に作ってはいるが、
引き続き光富を見習って向上していかなければならない。
毎日作っている包子でさえ、日によって出来具合がばらばらだ。
生地の発酵状態にも左右される。

そういえば今日の朝も包子の出来がよくなかった。
光富は、
「気分が優れない時は、そのまま形に出るもんだよ。」
と言っていたが、今日は目覚めもよく気分も最高だったんだけどな。
やっぱり腕に問題ありか・・・。

朝の部が終ってから麺点の新人を自転車の後ろに乗せて
公衆電話のあるところまで連れて行ってあげた。
家族に電話するとのことだったが、ホームシックにでもかかったんだろう。
誰でも最初のうちは都会暮らしがなれないもんだ。

午後はいつもどおりに白菜のみじん切りに追われた。
人が汗を流してナタのように重い包丁を振り上げている時に、
みんなはワイワイ騒いでいた。
今日は給料日だったのだ。

3年目の李亮で1000元弱らしい。
1000元は日本円で1万3千円ぐらいだが、
中国の物価で考えると6〜7万円ぐらいの価値がある。
俺もほしい!ほしいな〜。
でも今は金を稼ぐ時ではない。
金を稼ぐ準備をする時だ。
しっかりと技術を身につけていこう。

今日、魚の下処理をした。
40センチぐらいの鯉に似た川魚の草魚である。
袋に入れたまま床にたたきつけて気絶させてから処理をするのだが、
なぜかピクピク動くのだ。

鱗を取るとき、口に親指を突っ込んで滑らないようにするのだが、
噛まれそうなのでえらに指を突っ込むと、
「ピクピクッ(苦しいよ〜)」
腹を割いて内臓を取るときも
「ピクピクッ(痛いよ〜)」
えらを取るときも
「ピクピクッ(残酷者めが〜)」
と言ってるような気がする。
ガバッと見開いた目がなんとも薄気味悪い。

こんなことで怖気づいていられないのは分かっている。
「いや〜ん、魚がこっち見てるぅ〜」
なんて言うブリブリ女みたいにはなりたくない!
今まで何匹もさばいてきた俺だけど、
今日はなぜか弱気になってしまった。

でも、お前たちの命は無駄にしてないぞ!
ちゃんと調理してあげて、
お客さんもおいしいと言って食ってるからな。
恨むなよ〜。
南無阿弥陀仏・・・。

心の中で念仏を唱えながら最後の仕上げをしていると、
「魚のさばき方が早くなってきたな。」
と褒められた。
ちゃんとさばいてあげることが何よりも供養になると言うもんだ。

そんなこんなで、騒がしい一日が今日も終った。
そういえば、洗い場のおばちゃんが俺に愚痴をこぼしてきた。
「腹立つ〜!あの若いもんに洗い方が遅いって言われた〜。」
若いもんとは伝奇のことである。
気にしないでと言ってあげるしかなかった。
本当にここでは人の言うことをいちいち気にしていられない。




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5月13日 金曜日

朝と昼は忙しくててんてこ舞いだった。

最近職場のみんなは俺の名前を覚えてくれたらしい。
今までは俺の名前が覚えづらいと不評だったため、
日本語名で呼ぶように言ってきたのだが、
最近ではフルネームの中国名で呼ばれるようになって来た。

ちょっと嬉しい。
もちろん俺はみんなの名前をフルネームで呼んでるんだけど、
たまに「美女」とか「イケメン」と呼ぶと喜ばれる。
みんなが喜んでくれると俺も嬉しい。
欲を言うと俺のことも「イケメン」と呼んでくれるともっと嬉しい(笑)。

午後、部屋に大家さんが家賃の集金に来た。
まずはいつも通り、部屋の中を点検。
床が汚くなってるから掃除しなさいと言われた。
さすがにおばさんの目は厳しい。
白いタイル張りの床はこれだから困る。

1人で大家さんと話をするのは初めてだったので緊張した。
というのも、まだ彼女に日本人だと言うことがばれてないからだ。
中国語を話せば話すほど彼女は怪しく感じるんでは?
と、気が気でなかった。

「仕事はどう?」
と、部屋の中をじろじろ見渡しながら彼女が聞いてきた。
「何とかやってます。」
「どんなことしてるの?」
「主に麺点とかを作っています。」
「何時から何時まで?」
「この後また5時に出勤して、夜の9時半頃に帰ってきます。」
「いくらもらってるの?」

ドキッ。
無給料で働いてるなんて言ったら
根掘り葉掘り聞かれると思ったので「500元」と答えたが、
もっと大ボラ吹くんだった〜。
500元の給料で300元の家賃を払って住んでるのは不自然だよな。

大家さんは集金するのが後ろめたいと思ったのか口を閉ざしてしまったので、
「まだ始めたばかりなので金を稼ぐよりも勉強のために働いてるようなもんです。」
と答えておいた。
彼女は「早く仕事変えなさい」とのこと。

それから二言三言話してから彼女は無事帰っていった。
ホッ・・・。

夜の部は暇だった。
先週の金曜は忙しかったんだけどな〜。
全然客の入りが予測できない。
葉物の野菜が余ってしまった。

餃子やワンタンを作ったり、
冷凍保存しておく南瓜団子やサツマイモ団子を作った。
麺のほうは、今は目で見て覚えていくことしか出来ない。
もう少ししたら作らせてもらおう。

経理は今日はゴキゲンだった。
何があったんだろう。




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5月14日 土曜日


葱油餅

朝起きるのがつらい。
昨日は盛華が夜の一時ごろに帰ってきたからあまり眠れなかった。

今日は週末と言うこともあり超多忙。
厨房の中は相変わらず騒がしく、
誰かが俺の名前を呼んでるんだけど誰が呼んでるのかも分からない。

今日始めて刀工らしい仕事をした。
ジャガイモの千切りである。
スライスする厚さがなかなか一定にならず、練習が必要。

伝奇と一緒に並んで切っていたら経理がやってきた。
「なんか、外国人のほうがさまになってるぞ〜。」
と一言。
伝奇は少し落ち込んだ様子だった。

しばらくして、伝奇が俺に愚痴をこぼしてきた。
「最近、師匠(光富)が俺のことを馬鹿だって言うんだ・・・。」
このごろ彼はしごかれっぱなしで辛そうだけど、
彼なりによくやっている。
ただ、一番若い上に、焦りやすく、おっちょこちょいのくせに
みんなを牛耳ろうとするところが馬鹿といわれる原因かな・・・。
まあ、そこが彼の「味」でもあるんだけど。
「お前は馬鹿じゃなくて、ただ単にまだ慣れていないだけだよ。めげないで続けていけよ。」
といってあげた。

元気付けるために、伝奇が欲しがっていた日本の小銭を両替してあげたらとても喜んでくれて、
夜のまかないの時に羊肉の唐揚をご馳走してくれた。
おいしかったよ。

今日は餃子の生地から自分で作ったし、
葱油餅(葱を混ぜ込んだ生地を焼いたもの)も作れたから進歩ありかな。
あとは12個の白菜をみじん切りにした。
これが一番疲れる。
汗はだらだら流れてくるし、手は痛くなるは、葱の時は泣きながら切っている。
でも夢中になってやれるんだよな。

新調理長も毎日汗だくになって炒菜を作っている。
俺はいつあのようになれるのだろうか。




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5月16日 月曜日

昨日は夜の部を休んで青年の家に行ってきた。
管さんと飲む約束をしていたのだ。
なんか久々に出かけられるのと、
次の日が休みだってことでワクワク気分で建国門に向かった。

管さんのオフィスに行くと、
部屋を移ったばかりで部屋の中はガラ〜んとしていた。
机とパソコンが2つづつおいてあるだけだったけど、
窓の外の景色はやっぱり抜群だった。

北京の一等地と言うこともあって、
外には賽特デパートや高層オフィスビル、
遠くには国貿の高層ビル群が見える。
俺は景色のすばらしさに1人ではしゃいでいたが、
管さんはちょっとお疲れの様子だった。
すみません・・・。

とりあえず、近くの食堂へ。
ここら一帯の平屋はもうすぐ取り壊されるようだが、
なんとも残念。
怪しい売春床屋や、食堂が軒を連ねている通り。
なくなると寂しいな。

ロバ肉専門店に行って、ロバ肉ハム、タン、内臓の燻製、山菜料理を食べた。
クセもなくて、脂身が少ない分さっぱりとした味だった。
まずは管さんが持参してきた白酒で乾杯。

そして酔いが回ってくると政治の話が始まった。
「ドイツは戦後生まれ変わったのに何で日本はそれが出来ないんだ?」
と不満をぶつけてくる。
「日本もアメリカの指導の下に二度と過ちを繰り返さないように改革をしてきたんだよ。」
と返したが、管さんは納得がいかない様子だった。

この前、盛華に言われたこと(旧日本軍への憎しみ、米同時爆破テロの正当性など)を話したら、
「普通の中国人はほぼそういう考え方だよ。ただ、最初に言いたいことを言って、だんだん共通点を探していくと言うのが中国人のやり方だから、お前個人を敵視してるわけではないと思うよ。」
といっていた。
俺は「ん〜」と言うだけで納得がいかなかった。
戦後から現在にかけて言うと、日本のほうが平和主義的国家だ。

「俺は国交が回復した時の両国のリーダーが好きじゃない。立派なことを成し遂げたように見えるけど、今の結果がこれだよ。」
当時のリーダーの周恩来を批判するのは気が引けたけど、
管さんだから言えた。
管さんは、
「段階的に友好を深めていくことを考えれば、当時の出来事はすごい進歩だよ。」
と言っていた。

確かに大きな進歩だったと思う。
でも何で周恩来は、賠償はいらず、友好関係を築くのが先決だなんて言ったのか。
賠償させて、謝罪させるのが本当じゃないか。
田中角栄もそういう言葉に甘えず、しっかりと決着をつけるべきだった。
円借款やODAが補償の代わりになったともいえる状況だが、
中国人はそういう事は知らない。
日本人は反省も、謝罪もせず、裕福になってアジアの国々を見下しながらのうのうと生きてるなんて思っている人もいると思う。

当時の両国政府と現在のとでは全く違う位置に来てしまっただけかもしれない。
当時は教科書問題も靖国問題もなかったわけだし。

結局、両国に問題があるとはいえ、俺と管さんとの間の友人関係はこれからも続けていくと言うことで政治の話は終った。
これだけが唯一お互いに理解し合えた事柄だった。
たった一つの事柄とはいえ、一番重要なことだ。

10時ごろにお開きして、地下鉄に乗って帰ってきた。
ちゃんぽんしたせいで、目がぐるぐる回り、
駅を出たところで戻してしまった。
一回目は水餃子、2回目はロバと山菜・・・。
せっかく食べたご馳走が・・・。
もったいない・・・。
と思っていたら、盛華から電話。
鍵を部屋に忘れてしまったとの事。
タクシーで急いで帰ってきた。

以上が昨日の出来事。
今日は久々の休みで、朝はゆっくりと起き、
DVDを見てから自転車で出かけた。

まずは床屋へ。
入ろうとしたら、「停電だからごめんね。」と言われた。
別に暗くてもいいから切ってもらおうとしたら、
「髪洗ってきた?」と聞かれ、
「昨日洗ったよ」と答えたら、
「やっぱり停電だから・・・。」
と、断られてしまった。
そんなに汚い髪してないんだけどな〜。

4時ごろにおいでと言われたのでネットカフェへ向かったが、
ここでも停電。

近くのレストランで点心を食べ、繁華街へと向かった。
自転車で出かけるのは初めてと言うこともあったが、
風を切って走るのはとても気持ちがよかった。

途中、テレビ塔の下の電気店に行ってMP3を見てきた。
今一番欲しいのがソニーのMP3だ。
128Mで700元(1万弱)。
セールをしている時を狙って買ってやろう。

その後は西単の中国銀行で両替。
数ヶ月前は1万円=800元だったのに、750元に落ちていた。
くそ〜っ!
まとめて両替しておくんだった。

レートは落ちたとはいえ、700元あればいろんなものが買える。
西単デパートに行って、家族や友人のお土産を買ってきた。
ロレッ○スの腕時計、ヴィ○ンの財布などなど計10点ほど。

だんだんと物を買うのもうまくなってきたと思う。
中国での買い物のコツは、
@無口を通す。
A商品を勧められたら品質に文句をつける。
B日本人かと聞かれたら、広東人だという。
C目をつけたものは欲しがらない。
D複数買って値引かせる。
E値引きしない時は帰るふりをする。

まずは、いろいろ商品を勧められても反応はしない。
「そんなブランド知らない」
とか、
「使いづらい、高すぎる」
と言って文句をつける。
欲しい商品が見つかっても、ひたすら文句をつけ、
欲しくないものを第一希望に、欲しいものを第二希望に設定する。

値段を聞く時には
「最低いくらだ?」と聞く。
そうすると店員は
「いくらだったら買う?」
と必ず聞いてくるから、希望の値段を言う。
このときはブランドのロゴマークを意識しちゃいけない。
ニセモノなのだから。

でも、こっちの希望値をすんなり受け入れる商売人はいないので、
「○○元で売る?売らない?どっち?」
と迫ってみる。
しかし、素人が迫ったところで崩れる商売人もいない。
そこで帰るふり。これ重要。

黙って客を逃がす商売人は売る気がないやつだ。
「他の(実は第一希望)商品だったら○○元でいいよ。」
と言ってきたらこっちのもん。
嬉しさを表に出さないようにして店に戻り、欲しいものをさりげなく値引く。
そして、他の客も逃がしたくない商売人は、
早く決着を着けるために値引きを無下に断ったりはしない。

とまあ、こういった具合だ。
ここで生活していくためには
日本の価値観を脱ぎ捨ててショッピングをするしかない。

一通り買い物を済ませて外に出ると小雨が降っていた。
4時頃まで本屋で時間をつぶしたが、雨足はますます強くなっていた。
天気予報を見て来れば良かったなと思いつつ、
雨の中を自転車をこいでいく事に。
ところがスピードを出しすぎたのか、いきなりパンク。
プシューッという音とともにペダルが重くなった。

幸い、近くに露天修理屋があったので行ってみたら、
修理材がなくなって直せないとの事。
同業者の場所を聞いてそこに向かったが見つからず、マックで雨宿り。
カルビと焼きご飯を皮で包んだ新メニューを食べてきたが、
まずかった〜。

結局、雨は土砂降りになり、
修理屋も雨のせいでみんな帰ってしまったらしく、
無理やり自転車をこいで帰ってきた。
途中、タイヤのカバーが取れたりして、分解寸前だった。
ずぶ濡れのまま入ったスーパーでは変な目で見られるし・・・。
そりゃ見られるわな・・・(笑)。

とんだ休日になってしまった。
働いていた方が疲れなかったかも。

自転車は近所の修理屋でタイヤ全部を取り替えた。
もうパンクはごめんだ〜!
トホホ・・・。




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5月17日 火曜日

朝出勤すると、
「会いたかったよ〜!!」
と、イーレイ。
「どこに行ってたんだよ〜。」
と、伝奇。
「コンニチハ〜!」
と、覚えたての日本語を披露する李亮。

ちょっといつもとは違う熱烈歓迎モードに驚いた。
びっくりしたけど、俺に無関心じゃないってことだけは確かだな。
関心をもたれなくなったら最期です。

今日は、朝昼ともに忙しく、
夜は大掃除をしたので、まかないを食べたのが10時ごろだった。
やっぱり休み明けは疲れる。


真ん中が作業台で、向こうにコンロが並んでいます




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5月18日 水曜日

朝5時過ぎに起きて出勤。
これでも早いと思うけど、光富はもっと早くて4時半出勤だ。
俺もそろそろ出勤時間を早めないとな。
いろんなものを学びたい。

朝の包子は生地の発酵具合で形が成功するかが決まる。
発酵が足りないと、皮が破れてしまうのだ。

朝の部が8時過ぎに終わって、やっと朝のまかないだ。
緑豆おかゆ、マントウ、泡菜(酸味のきいた漬物)など、
毎日同じものを食べてくるんだけど、
これがなんともうまい。

おかゆは自然の甘みがあって、やさしく身体に染み渡る感じ。
泡菜はラー油をかけて食べるとおいしさが増す。
すっぱ辛いけど止まらない。
マントウは、腹持ちがよいので食べておく。

家に帰って休もうとしたら、
向かいの家で口げんかが始まり、寝られやしなかった。

昼は忙しかった。
これでもかというほど注文が入った。
相変わらず厨房はパチンコ屋並みの騒がしさ。

餃子や、シャオビン(薄い生地を焼いたもの)を作るのが主なしごと。
注文が入ったら必要な材料を準備して、手際よく作っていく。
皮作りも包み方もだいぶよくなってきた。

炒菜の注文が入ったら何の野菜を使うか計算に入れて、
ある程度準備をしておく。
天気のいい日はほうれん草や油売菜(レタス系の葉物)がよくでる。

夜はうって変わって暇だった。
暇な時は各自素材の下ごしらえをするのだが、
俺はピーナッツの皮むきをした。
昼にイーレイが、
「2〜3日したら辞めるから。」
と、ボソリとつぶやいていたのを思い出して、聞いてみたら、
なんと、四川に帰って彼女と結婚するとの事。

「ほんとに彼女いるのか〜?」
と、からかったらムキになっていた。
とりあえずはおめでとう。

でも、また寂しくなるな・・・。
まだ21なんだから
もう少し経験をつんでからのほうがいいかと思うが、
国情が違う。

いつの間にか、李亮と伝奇もピーナッツ剥きに加わってきて、
話が盛り上がった。
話題はやはり女の子のこと。
しきりに日本の女の子の事を聞いてくる。
やはり中国でも日本人女性は大人気だ。
中国人女性の事を聞くと、みんな口をそろえて最低だといってくる。

ことわざかなんか知らないが、
李亮が世界の女性を語りだした。
「フランス女は気が強く、日本女はロマンチック、中国女は役立たず。」
まあ人それぞれだけど・・・。
何で中国女は役立たずなんだと聞いたら、
マグロだからとのこと(笑)。
「お前の彼女ももしかして・・・。」
と、李亮に聞いたら、顔を真っ赤にしていた(笑)。

俺らが楽しそうに話をしているのを聞いてか、
皿洗いのおばちゃんがイーレイに何か怒鳴っていた。
「あんた!そこに皿を置くな!」
「濯いでから置いていけ!」
汚れた皿が次々とたまってくるとストレスがたまってくるよな〜。
イーレイはムッとしたらしく早口でおばさんに何かを言っている。
いいコンビだ。

おばちゃんは50回目の誕生日をまもなく迎えるらしい。
見た目が老けているところを見ると、きっと苦労してきたんだろう。
実家では農業をしていたみたいだが、
それでは生計が成り立たず、出稼ぎは今回で2回目だとのこと。
息子2人は都会に出て行って、
田舎に夫1人をおいて北京に出てきたらしい。

さすがに旦那さんが恋しいといっていた。
昨日電話をかけてその気持ちを伝えたみたい。
かわいいな。
先日もらった給料は全部夫に送金したみたいだけど、
自分を犠牲にしてまで稼ぐというおばちゃんはすごい。
旦那さんは幸せ者だ。

あ〜ぁ、今日は何を学んだだろう。
新しい発見がなくなってきた。
この先を考える時かもしれない。
光富は、このまま日本に帰っても意味ないぞと言っていた。
そうだよな〜。
肝心の炒菜がまだ出来てない。
かといって、鍋を持たせてくれるにはあと何年かかるやら。
もう5月も後半だな。




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5月20日 土曜日

つかれた。
何でここで働いているのか分からなくなる。
欲が出てきた。

前は、包子の具を切るだけで嬉しかった。
包丁を持つだけで満足だった。
でも今はもっと他の事をしたくてたまらない。
腕を磨きたい。

ということもあってか、今日は一日重い気分だった。

白菜を切っている時に、
生ごみ集めのおっさんがやってきた。
重くて持てないから手伝ってほしいといってたけど、
みんな手がふさがっていて、結局俺が抜擢された。
はっきり言われなかったけど、みんなの目線が俺に集中したわけ。

まあ、こういう仕事は下っ端の役目だから仕方がないけど、
だんだん腹が立ってきた。
雑用するためにここに来たんじゃないぞ!
ただ働きに雑用させんな!
と言いたかった。

ごみ集めのおっさんは腰が低くて、
いつも手伝ってあげると「悪いね。」といってくれる。
でも俺は自分のことばかりを考えて、
めんどくさいとか手や服が汚れることばかり気にして、
おっさんをただの雑用係としか見てなかった。

老板(店主)になるには下積みが大切だと思ってやってきたけど、
人を見下すような態度をとるなんて、
なんて俺は小さいんだ・・・。
ごみ収集の仕事は俺の仕事よりももっとつらい。多分。
汚いなんて言ってられないんだもんな。
反省。

ここで働き始めて1ヶ月以上が経った。
伝奇は相変わらず経理に怒鳴られっぱなし。
でも、少し羨ましい。
厳しい師匠がいると言うことだ。




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5月21日 土曜日

朝5時半出勤。
伝奇と新人の樹和は俺とほぼ同じ時間に出勤してきた。
光富に早く出勤するように言われたらしい。

今日は土曜日ということでいつもより多めに包子を作った。
平日の朝は会社勤めお客さんが多いが、
週末は家族の分を買い込んでいく人が多いからだ。

ところが7時ごろから雨が降り出してきて、
客足が途絶えてしまった。
最近雨がよく降る。
この時期に雨がよくふるのは珍しい。
日本に比べたらずっと少ないほうだけど。

午前と午後の計4時間は家に帰ってきて休めるんだけど、
眠れない。
さすがに疲れがたまってきた。
その上、ここ数日は忙しい割りに麺点の注文が少なくなり、
ものづくりをする機会が減ってきたものだから、
ストレスがたまってくる。

掃除をしている時は特にそう。
床掃除や下水溝掃除をしている時は屈辱すら感じてくる。
別にやれと言われているわけではないから
彼らのせいではないのだけれど、
きれいにしようよ〜って言いたくなる。
結構みんな散らかし放題。
自分の仕事が忙しいのは分かるけど、
掃除するものの身になって欲しい。

この気持ちは忘れないぞ〜。
いつまでも掃除夫で終らないぞ。
掃除も出来る厨師になってやる!

昼休み、カメラを持っていって玄関前で集合写真を撮った。
女の子連中は恥ずかしがって遠慮していたが、
経理の「早く集まれ!!」の一言でようやく集まった。

イーレイが明日田舎に帰るので、そのための写真だ。
俺も遅かれ早かれもうすぐ去る側になるから、
記念の写真だ。

撮ってみるとみんな乗り気になってきた。
ポーズをとったり、髪が乱れているだの、服を着替えるだの・・・。
さっきまで恥ずかしがっていた服務員の紅梅は、
前列の中央にしゃしゃり出てきていた。
まずはみんなと一緒に記念の写真を取れて俺も満足した。

夜の部はそこそこ忙しかったのだが、麺点の注文はほとんどなし。
暑い時に熱い餃子や麺類を食べる人はいないみたい。
涼麺だけがよく売れた。

夜のまかないのジャガイモと肉を切った。
ジャガイモの千切りをサクサクと切っていると、
李亮が「お〜・・・。」と、感心した様子で見ていた。
知らん振りして「何?何か用?」といったら、
「いいよ、続けて。」だって。
フフッ。
刀工だけは自分でもなかなかいい線いってると思うんだよな〜。
学校で頑張った甲斐があったよ・・・。

帰る前に昼撮った写真をみんなに渡したら想像以上に喜んでくれた。
よかったよかった。
ただ、イーレイがいなくなるのは寂しいな。
口は悪いが、さっぱりとしたいいやつだった。
仕事中はお互い気を使わずに怒鳴りあうことも出来たし、
面白いやつだった・・・。
俺ももう少しで去り時だな。


全職員で記念撮影
右後列がイーレイ 前列中央は自称看板娘の紅梅




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5月22日 日曜日


麻団

むか〜し、昔、秦の始皇帝の時代、500人の男女が大陸から海を渡って日本にたどり着き、今の日本人の基となった。

この話は中国でよく聞く話しだ。
最初はおとぎ話の類だろうと思って聞き流していたが、
みんながまじめに言うのを聞いていると、そうは思ってないらしい。
日本人はもともと中国人だってこと?
500人の男女がいなかったら日本はなかったってこと?

正直いい感じはしない。
中華思想は好きじゃない。
でもこれは友好の証としての話では・・・?

「大陸から中国系の人たちが渡ってきて、日本にいた民族と混ざり合って今の日本人があるんだよ。船に乗ってやってきたというのは初めて聞いた。もし本当ならばロマンチックだけどね。」
と答えるだけにした。
500人の男女が渡ってくる前に日本にも民族がいたのは知らなかったらしい。

「万里の長城が出来た時、日本はなかったんだぞ〜。」
「始皇帝が遣わせた人で日本が始まったんだから。」
学校で習ったんだろうな。
事実、当時の日本には国という体制がまだなかったとはいえ、
視点がずれている感じ。
想像以上に中華思想の考え方は根強い。

少し前のニュースで、
昔の朝鮮半島は中国の一部だったという論が韓国人の感情を傷つけているというのがあった。
もし、そのような考えがまかり通ったとしたら、
アジア全体が中華思想に飲み込まれてしまう。

中国は歴史を重んじる国。
日本は現在を重んじる国。

台湾だってそう。
祖国統一が叫ばれて久しいが、
日本から見ると、長い間独立した国。
これはどちらが正しいとは言い難い。
唯一正しいのは台湾人自身の考え方である。


仕事の方は相変わらず忙しかった。
ちょっとした戦力になりつつある俺だけど、
やっぱり気力だけではどうにもならない。

昼過ぎに麻団(胡麻団子)の注文が入ったので全部俺が作った。
忙しくて誰も手が空いてなかったのである。
その都度、光富に分量を聞いたり、捏ね具合などを確認しながら、
「俺の力を発揮する時が来た!」
とばかりに、最高の麻団作りに取り掛かった。

「白玉粉に砂糖は必ず入れろよ。じゃないと揚げた時に割れてしまうから。」
光富が作業をしながら、出来る限りの指示を出してくれた。

調理も化学の世界である。
何で砂糖がそんな働きをするんだろうな〜。
と思ったが、まずは入れるしかない。
小麦粉も入れるらしい。
その後、澱粉がどうたらこうたら言っていたので少し加えた。

胡麻餡を生地で包んだ後、白胡麻をまぶしてフライヤーに入れた。
大きさ、形も程よく、美しい麻団。
黄金色の油の中でぷくぷくと泡を立てている。
ほっと一息・・・。

と、思いきや!!!

麻団の一つに亀裂が入り、風船のように膨らんでしまった。
「言われた通り、砂糖を入れたのに・・・???」
「砂糖が少なかったのか・・・!?」
「箸でつつこうか・・・。誰も見てないし・・・。」
「これじゃあ、開口笑(割れ目のある揚げドーナツ)になっちゃうよ〜。」
そうこうしているうちに、またひとつ・・・。
そしてまたひとつ・・・。

結局、揚げあがる前に全部割れてしまった。
焼き餅のように膨らんでしまった麻団は、
油から取り出してもなかなかしぼんではくれなかった。

出来を見に来た光富はさすがに目が点。
でも、彼は冷静に作業手順の確認をしてきた。

「砂糖入れたか?」
「入れた。」
「小麦粉は?」
「入れた。」
「おかしいな。ちゃんと捏ねたか?」
「捏ねた。」
「油温は?」
「ちゃんと低温で揚げたよ。なんでだろう。澱粉もちゃんと入れたし。」
「誰が澱粉入れろって言った!?」

原因は澱粉であった・・・。

光富に、また作り直すことを伝えたが、
彼は布巾で包んでふくらみを押さえ、
割れたところを下にして応急処置をしてくれた。
真上からの見た目は問題なく仕上がったが、
客席に届くまでに皿の上を転がらないように祈るほかなかった。

服務員に渡すためにカウンターに皿を置くと、
運悪く、経理が受け取って客席へ。
小窓から祈るような気持ちで様子をのぞいていると、
経理はそれをいったん涼菜の調理場へもって行き、
出来を確認しているようだった。

それからはどうなったのかは分からない。
残り物に麻団がなかったところを見ると、
お客さんは完食してくれたらしいので、結果オーライなのだが、
へこむよ〜。
技術的な問題ならまだしも、
リスニングの甘さが問題だったなんて・・・。

でも、一個余分に作っておいたものを後で食べてみたら、
すこぶるおいしかった。
手塩にかけて作った分、なおさらうまかった。




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5月24日 火曜日


仕事後に 寮にて 中央は伝奇、右が李亮

そろそろ辞め時かもしれない。
今月いっぱいでここを去ろう。
単純作業に追われながらの毎日ではいけない。

麺点に関しては大きな進歩があった。
自分の力を思い知っただけでも大きな収穫である。
まだまだ修行が足りない。

包子にしても、俺の場合はその日の生地の発酵具合によって
形にバラつきが出てくるんだけれど、
光富はどんな生地でもいつもきれいに包めてしまう。
右手の親指を深く入れて包むのがコツだ。

餃子の皮、包み方はうまくなって来たといわれるが、
形の統一感がまだない。
皮の厚さ、大きさ、水分にバラつきがあってはダメだ。

おとといの夜に、寮で撮った写真を李亮と伝奇に渡したら、
とても喜んでくれた。
写真のプレゼントは一番喜ばれる。
カメラがないから写真を撮る機会があまりないからかもしれない。

みんな田舎から出てきて、休日も無く、給料も安いから、
カメラを買ってる余裕なんてないのだろう。
伝奇は1ヶ月500元(住み込み食事つきで7000円ぐらい)。
学校近くの食堂で400元、軽食食堂で300元〜400元だから、
他のところよりは若干給料はいいが、
やっぱり低いよな〜。

経営者が変わってから状況が厳しくなってきたのは分かるが、
みんなの不満が俺の耳にも入ってくるほど、
今にも爆発しそう。
この前、樹和が10分遅刻してきた日に、
給料から20元引かれたらしい。
10分の遅刻で、一日タダ働きという計算になる。
きびし〜!!




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5月25日 水曜日


紅梅と

朝、昼、晩、ずっと忙しかった。

夜のまかないの時に、経理からのご褒美ということで、
1人にビール一本が付いた。
陳経理が経営者になってからの一ヶ月、
客足も順調に増えてきて経営状況は改善されてきたらしい。
コックの入れ替わりは激しいけど、
みんな頑張っている。

ビールを飲みながらウェーターの文全と話をした。
彼は高2の時に北京に出てきて働き出し、今19歳。
8月にはここを辞める予定で、高3から出直し、
大学進学を目指している。
服務員らしく、俺が冗談を言うと、うまく返してくる賢いやつだ。

日本の給料の話をしたら、
「お前(俺)は金持ちだな〜!」
なんて言っていたが、物価の話をするとこれまた驚いていた。

何はともあれ、ビールうまかったな〜。
今日のビールは最高のご褒美だった。

仕事を終えてから、
李亮、紅梅、皿洗いのおばちゃんと近くの公園へ出かけた。
水面に映るテレビ塔は最高だった。
ここの仲間たちも最高だ。



左から李亮、おばちゃん、紅梅




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5月26日 木曜日

朝、包子の出来はいまいち。
今頃になって俺と師匠の手の動きが若干違うことに気付いた。
かといって、思うように指が動いてくれるわけでもないが。
奥が深い・・・。

午前中の休み時間は久々に眠れた。

昼はそこそこ忙しく、
目玉メニューの1元酸菜麺を作った。
麺の茹で具合は、コシよりも喉ごしを重視して柔らかめに。
あとは塩味の酸菜(野沢菜漬けのようなもの)スープをかけて出来上がり。
これがなんともうまい。
油っこくなくて、酸菜の酸味がなんともさわやか。

ただ、1元という安さからか、かえって客の注文は少ない。
高所得者地域という場所柄、受けはいまいちのようだ。
せめて2元ぐらいの設定にしたほうが、
店の名に傷も付かないと思うのだが。

あとは、葱油餅の注文が入ったので、率先して作った。
葱を混ぜた生地を捏ねて平たく伸ばし、
油を塗って薄く粉をふり、
巻いてからまた伸ばす。
そして多目の油で焼く。
これによって、パイ生地に近い状態になり、パリパリ感が増すのだ。

ここまでは上出来だったのだが、
ひっくり返してみると、真っ黒にこげていた。
応急処置も出来ない状態で、
ゴミ箱に捨てられてしまった。

自分の作ったものが捨てられるほど辛いことはない。
トホホ・・・。
次は絶対成功するぞ!

餃子はスピード以外は習得できた。
あとは生地の水分調整だ。
ここには分量計などというものは一切ないので、
感覚、感触がモノを言う。

昼休み、伝奇と紅梅の3人で近くの公園に写真を撮りに出かけた。
まずは寮で着替え。
伝奇はどれを着て行ったらいいのかだいぶ迷っていた。
といってもシャツ2枚しかないのだが・・・。
俺は龍の刺繍の入ったシャツを勧めたのだが、
結局は無難な緑色のシャツに決めた様子。

そして、しばらくしてから紅梅登場!
彼女もかなり吟味したらしく、
お気に入りの服を全て着て来たといった感じで部屋から出てきた。
ピンクのピチピチパンツに、鳥の羽が付いた真っ赤な服。
隙間から飛び出した腹の肉がポイントかな・・・。

公園についてからは2人ともおおはしゃぎ。
花壇で、桃の木の下で、川べりで写真を撮りまくった。
なんか2人とも俺よりずっと年下でとても幼いけれど、
自分の弟、妹みたいに可愛かった(笑)。


電話でデートのお誘いを断っていた決めポーズの紅梅ちゃん

そして夜の部。
李亮と伝奇が口げんか。
いつも冗談を言い合う2人が顔を真っ赤に染めながら言い合うのは珍しい。
原因はなんてことなく、
李亮が「俺の彼女、今日来なかったか?」と聞いたら、
伝奇がちょっとからかっただけのことらしい。
仲がよすぎて上下関係が崩れてしまったんだろうな。

中国に来てから強烈な口げんかをしていない俺はちょっと羨ましくも思えた。
もともと口喧嘩はするほうじゃないのだけれど、
中国に来てからはなぜか無性にぶつかり合いたくなってくる。
なぜなんだろうな。

俺はどこに流されていくんだろうって、たまに思う。
いや、泳いでいこう。
何だかんだ言って、自分の力で泳いでいる。
流されてもいるけど、
この先ずっと厨師を続けていく自信だけはある。

今日は棚卸ということで、先に仕事をあがってきた。
だまっていても汗がだらだら流れてくるほど暑い。
まだ5月とはいえ、北京の夏はもう本番である。




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5月28日 木曜日

北京の朝は早い。
朝の5時だというのに外を行きかう人は結構いる。
万寿路の道端は路上洗車場と化していて、
タオルをふって客引きをする人や、
洗車をしてもらってるタクシーがずらりと並んでいる。

水は川からバケツで運んできて車内も丁寧に水拭きしているようだ。
料金はいくらか分からないけど、
タオルとバケツがあれば始められる商売とあって、
夫婦や親子が一生懸命に車を磨き、
夜になると若者のグループもタオルをふっているのをよく見かける。

出勤途中の俺にしてみれば自転車通路での商売は邪魔なのだけれど、
彼らも生活のために一生懸命だ。
公安の取締りがあまりきつくならないように願うばかりだ。

レストランの近くには川が流れていて、公園もあり、
環境は最高にいい。
隣には大姐の住む軍関係のマンション、
周りには国の機関のお偉いさん方専用マンションが立ち並んでいる。

レストランの裏手には洋式庭園になっていて、
様々な花が咲き乱れ、噴水まである(水は出ていないけど)。
ちなみにこの軍関係マンションの管理や警備をしている職員は15人ぐらいいて
毎日うちのレストランで給食を食べていく。
結構な大所帯だ。

川の向こう岸は平屋が取り払われ、
大型マンションが建設中である。
西釣魚台という名の5棟からなる高層マンションで、超高級。
近くの船上レストランが受付になっていて、
先週の日曜日には野外ステージで誰かがワンマンショーを開いていた。

不動産ブームの今、いたるところでビルやマンションが建設中で、
伝統的な四合院や長屋が取り壊されている。
俺の住んでいる地域は最後の砦みたいな感じだけど、
ここも例外ではなく、
近くにはマンションの模型を置いた事務所がある。
最近営業していないところを見ると計画が頓挫しているようだが、
少なくともオリンピック前には俺の長屋はなくなってるんだろうな。

周辺の状況はこんなもんだ。

仕事の方はラストスパート。
包子は波に乗ってきたが、まだまだ改善の余地あり。
5時前に起きて、眠気と格闘しながら職場へと向かったが、
雲ひとつ無い良い天気と、久々に澄んだ空気をすって元気が出た。

朝休みは家で麺点のビデオCDをみて勉強。

昼は猛烈に忙しかった。
麺や餃子の注文が殺到し、てんてこ舞い状態。
慌てて皿を割ってしまった。

実は洗い場のドアのところに就業規則とともに罰金表が貼ってある。
インクが薄くなっていて、読みづらいのだが、
小さな文字で「皿を割ったら○○元の罰金」と書いてあるのだ。

「ガシャ〜ン」という音を聞きつけて経理が飛んできたが、
怪我は無いかなどど、心配してくれた。
罰金のことは何も言われなかった。
ホッ。

夜は四喜餃子、サツマイモ団子を作ったのだが、
四喜餃子は手間がかかり集中力がいる。
まだ早くは作れないけど、形は上出来。
師匠には及ばないけど、これに限っては俺はNO2だ。

ここでの仕事もあと4日を残すのみ。
きついけど、離れがたいな。


休み時間の光景・・・このふたり、結構仲がいいです




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5月29日 日曜日

朝4時半出勤。
さすがに眠かった。
昨日の夜は床について数秒で熟睡。

4時半でも今の時期はもう外は明るく、
人も活動を開始している。
みんな頑張ってんな〜。
でもみんな眠そう。

道路わきではたくさんのタクシーが洗車をしている。
日本では4時過ぎから働く人はそんなにいないよな。

都会の早朝は好きだ。
車が走っていない道路。
信号だけが動いている。
田舎者のせいか、都会の朝焼けを見ると「頑張ろう!」っていう気になれる。

厨房に着くと、光富はもうすでに包子の生地を捏ねていた。
俺はまず油条の生地をこね、
包子の具を作り、
マントウを作り、
包子を包み・・・。
と、フルコースの作業だった。
光富が気を使って出来る限り俺に作業をさせてくれたのである。

休む間もなく、開店前からお客さんが入ってきて、
「包子はまだか?」
と聞いてくる。

6時15分頃にやっと一回目の包子が蒸しあがり、
10分も経つと売切れてしまった。
大体20分で100個の包子が蒸しあがるからスチームはフル稼働。
俺もフル稼働で包子をせっせと作った。

伝奇は包子&油条を担当し、
樹和は油条&豆乳、豆腐脳、
光富はおかゆ、麺を担当した。


豆乳つくり 水と豆を分離機にかけ、沸騰させる


油条つくり 油を塗って、生地を延ばして揚げる

包子は蒸しあがったとたんに売り切れ、
豆腐脳はすぐに完売。
油条も飛ぶように売れていった。

ただでさえ忙しいのに、
めずらしく麺の注文が殺到したためにパンク状態。
ホールの方も服務員二人だけではまかないきれず、
お客さんが厨房に入ってきて注文をしてくる始末だった。
いままでで一番忙しい朝であった。

昼も朝ほどではないが忙しかった。
麺点の注文が殺到し、俺は麻団を担当することになった。
この前と同じような失敗だけは避けたく、
リベンジをかけて慎重に作業した。

白玉粉5、小麦粉1、砂糖2、イースト菌小さじ1、水適量を加えて捏ねる。
凍らせた胡麻餡を小さく切って生地て包む。
白胡麻をつけて150度ぐらいの油で揚げる。

以前のように膨らまないか気が気でなかったが、
本当に今まで見たことも無いような完璧な麻団が出来上がり、
最高の気分で、喜んでホールへと出した。

ところが一分後、経理が厨房に入ってきて、
「さっきの麻団を作ったのは君か?」
と聞いてきた。
さすがに血の気が引いたな・・・。
前科があるし。

何がいけなかったんだろうと恐る恐る返事をしたら、
次の瞬間、親指を立てて、
「とてもうまく出来たね!」
と、思いがけないお褒めの言葉をかけられた。

嬉しいやら、はずかしいやらで、
「謝々・・・。」
というので精一杯だった。
チラッと光富をみると、嬉しそうに笑っていた。

何はともあれ、光富のおかげだ。
数々の失敗を繰り返しても見捨てずに
たくさんのチャンスを与えてくれた光富に感謝。

夜の部では、餃子の注文が殺到した。
何度か自分で生地を捏ねたが、
水分調整がまだ把握できていない。
何度か水を足したり、粉を足したりして調整する始末。

皮も厚さや大きさ、形が同じになるように、
そして早く伸ばせるようになるのが大きな課題だ。
包み方は調理長に悪いところを指摘されて、
うまく出来るようになった。
あとはスピードだな・・・。

夜のまかないは俺が涼麺を作った。
昨日も作ったのだが、みんなの評判がよかったので、
リクエストに答えたのだ。
黒酢2:1醤油に、うまみ調味料、ガラスープの素、ラー油、唐辛子、山椒、砂糖をよくかき混ぜてから麺に絡めて出来上がり。

「味は普通だけど、日本人の作った涼麺は普通ありつけないぞ〜。」
といったら、みんな大笑いして食べていた。

あと3日だ。

そういえば、老李から昨日電話があった。
仕事を辞めて学校近くの旅館に戻ってきているらしい。
近況を話し合って、また飲みに行こうと約束をした。


涼麺




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5月29日 日曜日


麺を延ばす光富

朝、音楽を聴いてる夢を見ていた。
ピピピピッという音楽・・・。
どれくらい聞いてたのか分からないが、
気付いたら目覚まし時計の音だった。
早朝4時過ぎ、盛華も目が覚めてしまったようだった。
申し訳ない。

昨日よりも遅く出勤すると、
光富と樹和はもうすでにせっせと働いていた。
昨日と同じようにいろいろな作業をした。

今日も引き続き、朝はてんてこ舞い状態。
ひたすら包子を作っては蒸すという作業。

全ての包子を蒸してから、麺を作る手ほどきを受けた。
機械は止まってくれなくて、
ついていくのが大変だった。
これは機械に慣れる事が重要だな。

何はともあれ、麺を作ることもできた。
挑戦したいことは全てしたと言った感じだ。

でも、言葉の壁ってきついな〜。
普通語だったらほぼ聞き取れるけど、
四川訛りの普通語は未だに慣れなく、
今日は意志の疎通がままならない場面が多くあった。

なんか最初のうちは気を使って、みんな普通語で話してくれてたんだけど、
最近はズバズバとお国訛りが飛んでくる。
俺もいちいち聞きなおすのは嫌なんで、
相手の意味を探って会話をしている状態だ。
結構ストレスがたまってくる。

野菜の呼び名も全然違う。
俺が勘違いして覚えていただけかもしれないが、
油菜(青梗菜)は菜心、
菜心と思って呼んでいた野菜は芥蘭だった。

また、
「芹菜(セロリ)なくなったから注文しておいて。」
と李亮に言っても、今日は通じなかった。
芹菜(普通のセロリ)、香芹(細いセロリ)のように、
同じような野菜でも彼らにしてみれば全く違うものなのだ。
それにしても、李亮はワザとらしかったな〜。
いままでは芹菜でちゃんと通じてたのに。
このやろ〜。
(※香芹はセリのことでした)

昼に香菜を洗っていたら、
「それはしなくて良いから!」
と、伝奇。
強い口調で言われたもんだから俺もムッとして、
「何だよ!」
と言ったら、
「分かんないのか!洗わなくて良いから!」
と、向こうもムッとしている様子だった。

「それくらい聞き取れてるよ!だから何!?」
と、俺も訳のわからないことをわめいていたら、
「こっち来て手伝え!」
だってさ。
早くそれを言えよ。

そのあと、
「ドウチー持ってきて。」
と、光富。
ドウチーがなんだかも忘れてしまい、
とりあえず倉庫に行ったが、思い出せない。
しばらく考えこんで、やっと思い出した。
「あ〜、あのしょっぱい黒い豆な・・・。」

しばらく探したが、俺の頭の中にあるドウチーはどこにも無く、
光富にまた聞きに言った。
「どこにも無いよ。」
「うそだろ?今日の朝食ったやつだよ。」
「食った?俺は食ってないよ。」
「今日の朝に食ったものも忘れたのか?」
呆れた光富は俺をつれて倉庫へといった。

「ほら!ここにあるだろ!」
「これって・・・、ドウチーだったの?」
「まったく!」
光富は呆れかえっていた。

俺が茶色い豆の煮物と思っていたものは、
光富が大豆で手作りしたドウチーだったのである。
見た目が全然ちがうんだもんな〜。
勘弁してよ〜。
トホホ・・・。




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5月30日 月曜日

朝からデジカメを厨房に持ち込んで写真を撮った。
包子の包み方、ワンタンの皮の作り方、豆乳の作り方・・・。
動画を撮って見せたら、みんな喜んでカメラの画面に釘付けだった。

昼はかなり忙しく、麺点の注文も殺到した。

夜は客足があまり延びずに大掃除をすることになった。
厨房は毎日掃除しているつもりでも
棚や冷蔵庫の下にゴミがたまってしまう。
注意していないと最悪の事態を引き起こしかねない。
衛生第一!




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5月31日 火曜日


見てるだけだったら簡単なんだけど・・・

今日は最終日。
朝早めに目覚ましをセットしておいたのだが、
2度寝してしまい、5時ごろの出勤となった。

包子餡を仕込んでいる時に、
伝奇も遅れて出勤。
いくら若いとはいえ、疲れがたまってきたのだろう。

朝起きるときはつらいが、仕事中は眠気なんて吹っ飛んでしまう。
包子は30秒に一個の割合で包めるようになった。
ということは1時間に120個。
結構良い線ではないか。

光富、伝奇、樹和と包子を作りながら、
「今日で最後だな・・・。」
「08年のオリンピックには四川にも来いよ。」
「日本で店を開いたら呼んでくれよ。稼ぎに行くから!」
などと、いろいろ話をした。

この1ヵ月半の間、毎朝包子を作り、
自分なりに試行錯誤してきたが、なかかなうまく出来ない。
師匠の包子に少しでも近づいていると思うけど、
道のりはまだまだ遠いと感じた。

この3人と働くのも今日で最後だなと思うと、
早起きのつらさなんてどこへやら。
良い仲間であり、ライバルでもある。

・包子餡レシピ
ひき肉5キロ、白菜大7〜8個(塩もみ→脱水)、塩大さじ2、味の素大さじ2、ガラスープの素大さじ5、コショウ大さじ1、生姜のみじん切り大さじ2、ごま油大さじ10、テンメンジャン2,5カップ、醤油1/2カップ、葱のみじん切りどんぶり2杯。


昼はそこそこ忙しかった。
この騒々しさの中で働くのがやっぱり好きだ。
唐辛子の煙で厨房は霧がかかったようになり、
みんな一斉にくしゃみを連発。
めがねは油で曇るし、くしゃみと涙は止まらないしで大変だった。

麺点の注文はほとんど自分で作った。
注文が殺到した時以外は、俺に作らせてくれたのだ。
餃子の生地、餡、包み方から茹でるまで、
全ての工程を1人でこなした。
責任重大である。

葱油餅、肉餅、四喜餃子、麺類などなど、
タレの調合なども指導を受けながらつくり、
忙しくても決して焦らないように、
汗だくになりながらも汗が落ちないように、
自分が老板になったつもりで、
客の立場にも立って、
心を込めて作った。


四喜餃子

料理長が、俺が作業しているのを見て、
「お前、日本に帰ったら餃子屋開けるな〜。」
と一言。
「そりゃ、当然ですよ〜。」
と返した。
腕はまだまだなんだけどね。

麺は、粉の調合から麺切りするまで全て自分で作った。
もちろん指導してもらいながらだが、水分調整なども習得できたつもり。

・中華麺レシピ 
中力粉5キロ、水1リットル、ジェン粉(アルカリ性の粉)大さじ1、卵4個をポロポロになるまで混ぜる。握っても、指で押すとポロポロと崩れるくらいの水分にする。
圧麺機に3回かけ、0,8ミリぐらいの厚さになったら反物のように、くるくると棒に巻いておく→麺切り→30cmほどの長さに手でちぎって、150gの玉に丸めておく。

俺の作った麺は極太麺になってしまったので最初から作り直した。
全て勘がものをいう世界。
麺って奥が深いな〜。


大姐から電話がかかってきて、
坦々麺の作り方を教えて欲しいとのことだったが、
俺も忙しいし、疲れていたのでまた日を改めてということにする。
ここを紹介してくれた大姐に感謝。
お陰様でした。

昼のまかないの時に、
光富が坦々麺をご馳走してくれた。
みんながいつもの野菜の炒め煮を食べているときに、
1人だけ麺を食べるのは気が引けたけど、おいしかった!

日本の坦々麺はまろやかな胡麻みそ風味だが、
本場四川のは、さっぱりとした辛さに胡麻のまろやかさが隠れているような感じで、どんどんいける。

飯を食べていると、突然のスコール。
やがて、1〜2cmほどの大粒の雹がふってきた。
驚いて外を見ていると、
皿洗いのおばちゃんが、隙を狙って俺の坦々面をつまみ食いしたもんだから、
みんな大笑い。

おばちゃんは朝から、
「今日の空は怪しい・・・。」
と言っていたのが的中した。

外を見ながら、
「不吉だ・・・。」
と、何度もつぶやいていた。

昼休みは家に帰ってゆっくり休もうと思ったのだが、
寝付けなかった。
体中の筋が痛んでくるほど疲れがたまってきた。
こういう時は温泉にでも浸かって、ビールでも飲んでゆっくりしてぇ〜!
日本の健康ランドが恋しい。
マッサージ椅子にも座りたいし。

夜の部。
李亮が、
「もうすぐで終わりだな・・・。」
と、ボソリと一言。

調理長も同じことを言っていた。
また遊びに来るからさ〜と、言っては見たものの、
やっぱり寂しいんだろうな。
俺は去る側、彼らは送る側。
送る立場の方が寂しいものだ。

客の入りも多くなってきたその時、
またスコールがやってきて、
昼よりも大きな雹が降ってきた。

みんな一斉に仕事を投げ出し、
窓際に殺到して騒ぎ始めた。
俺も例外ではなく、みんなと一緒に雹の凄まじさに圧倒された。

道路の上には大きな飴玉のような雹が弾け飛び、
街路樹の葉はバラバラと落ちてくるし、
路上に止めてある車の防犯装置が一斉に作動するしで、
すごい光景だった。

スコールも収まってきた頃、
大姐の家族が食事をしに来た。
光富がご馳走した坦々麺をおいしそうに食べていた。
大姐は中国の麺食を日本でも売れないかと考えているので、
学習意欲だけはある。
あとは食欲も・・・かなり。

ホールも満席になった頃、
いきなり「ガシャン!」という音と共に真っ暗になってしまった。
幸い、ブレーカーが下りただけだったらしく、
経理よりも背の高い楊姐がテキパキと処理をした。

この2人は夫婦である。
経理はもともと本店で働いており、
楊姐は支店のホール責任者だったのだ。
子供はまだいなく、2人ともこのレストランを軌道に乗せるのに必死だ。
それが従業員の反感を買うこともあるのだが・・・。

そして30分後、また真っ暗に。
こういうときは慌てず騒がずが第一。
俺は麺をゆでていたが、暑さと疲れで朦朧としていたので、
慌てる気力も無かった。

閉店の時間が近づき、
いつものように下水溝の掃除をしている時に
「この嫌な作業も今日で最後か・・・。」
としみじみしてきた。

汚いよごれ作業でも重要な仕事だ。
生ごみ収集のおっさんたちの仕事も見下されがちだが、
誰かがしなくちゃいけない。
下水もそう。
こういう地味で汚れる作業をする時は、
いつも屈辱を感じたものだが、
その反面、ハングリーにもなれた。

「いつか厨師になって下積みの作業ともおさらばしてやる!」
なんて考えたもんだけど、
下積みの辛さを忘れてはいけない。
誰かが汚い作業をしてくれるから
厨師は炒菜を作っていられるのだ。

そんなこんなしていると、
みんなは今日のまかないを作り始めた。
経理の取り計らいで送別会を開いてくれる事になっていたのだ。

李亮が冷蔵庫にある残り物(?)で献立を考えてくれたらしく、
みんなに指示を出していた。
俺もただ見てられないので野菜を洗ったり、切ったりした。

こんなにみんなが一つのことに一生懸命取り組むのは珍しい。
調理長は黙ってみていたが、
普段、炒菜をする機会のない光富や伝奇も
豪快に鍋を振っていた。
「もっと塩入れろ!」
「もっと炒めろ!」
などと、文句を言い合いながら作っている姿を見て、
心からありがとうと思った。

ホールの丸テーブルの上にはご馳走がずらり。
毛血旺(血豆腐の鍋)、魚香肉絲、羊肉のフライ、酸菜スープが
てんこ盛りに盛られていた。

まずは料理長のあいさつ。
「一路平安!」とか「一路順風!」の掛け声でカンパ〜イ!
その他は何を言ってるのか聞き取れなかったけど、
ありがたい言葉だと感じた。

いつもは1〜2品の野菜料理のまかないが、
今日は4品。
しかも肉料理!ほとんど食べ放題!
味のほうは正直言って満点ではなかったが、
何よりも気持ちが嬉しかった。

一人一人から送る言葉をもらって、その都度乾杯した。
「元気で!」
「私たちを忘れないでね。」
「オリンピックの時にまた会おう!」
「日本の美女を紹介してくれ!」
などなど、個性のあふれるお言葉だった。

一方、李亮と伝奇、紅梅は終始元気が無かった。
俺が来てからの1ヵ月半、
ここを辞めていった仲間は5人。
俺を含めて6人にもなる。
週に1人が去っていく計算になるんだよな。
彼らにしてみると、「またか・・・。」という感じなんだろうか。

一代目麺点師匠、前調理長、燕波、イーレイ、そして最近四川に帰ってしまったウエートレスの陳恵。
みんな個性の強い、たのしい人たちだったな。

陳経理・・・このような社会情勢の中で見ず知らずの日本人を雇ってくれてありがとう!
楊姐・・・しっかり者で、きついイメージがあったけど、たまに見せるおっちょこちょいなところがかわいかった。
料理長・・・ずんぐりむっくりの体型とは裏腹に、毎日炎と戦う姿は誰よりもかっこよかったよ!
光富・・・ここで学んだことのほとんどは光富が教えてくれたもの。一番世話になった。ありがとう!
李亮・・・スケベ男と呼び合うのも今日で終わりだと思うとしんみりしてしまうな。
伝奇・・・生意気なところがあるけど、なぜか憎めないやつ。彼女がいるってのは嘘だろ〜?。早くいいの見つけろよ!
樹和・・・一緒に働いた期間は短かったけど、話しやすかった。彼女大切に!
涼菜係・・・ねちっこい性格だったな〜。早く直せよ。
紅梅・・・声がめちゃくちゃかわいい。その声を生かして羽ばたけ〜!
文全・・・いつもみんなに辛く当たられて大変だと思う。絶対大学入っていろんなことを勉強しろよ〜。
先日入ってきたばかりの新人・・・一緒に働いたのはほんの2〜3日だけだったけど、ここでめげずに頑張ってください。

最後まで迷惑かけてしまったけど、お世話になりました!

一時間ぐらい飲み食いして解散した。
帰り際に、陳経理に
「得がたい機会をくださってありがとうございました。」
とお礼を言うと、プレゼントをもらった。

四川料理の分厚い本だった。
ありがとう。

レストランを出たあと、みんなの寮に行ってテレビを見てきた。
80年代の映画だろうか、
ブレイクダンスがやたらに出てくる香港映画を見て大笑いしてきた。

なんかみんながかわいく見えてくる。
仕事はきつく、経理に怒鳴られながらも頑張って、
喧嘩をしながらも、夜になるとみんなでテレビを見て一緒に笑う。
みんな今の生活に決して満足はしていないだろうが、
目標を持って頑張ってれば、よくなっていくさ。

映画が終ってから、すぐに
「じゃあ、またくるよ。」
といって帰ってきた。
また来る訳だし、あっさりと帰りたかった。

この1ヵ月半、あっという間だったな。
最初は吐き気を催すほど出勤したくない時もあったのが嘘のよう。
本当にあっという間だった。
お世話になりました。


陳経理からもらった料理本






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