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中華への道!ダイアリー

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2005年3月






3月1日 火曜日

朝、部屋の鍵と財布を部屋の中に忘れてしまった。
財布がなければバスに乗れない。
1元もない。

盛華に電話して会社に行くといったが、
交通費がない。
盛華はタクシーで学校に行って、
事務の子から金を借りるようにアドバイスしてくれた。

だが、雪が降っているせいでタクシーはどれも客が乗っていた。
15分ぐらいしてやっと空車が来たので手を挙げたら
他の人にとられてしまった。

あきらめて学校に欠席の電話を入れる。

こういうときに頼りにできるのは友人だ。
玉さんに電話をした。
「パソコン修理の人が来るから・・・午後だったら・・・」
この寒空の中、午後まで待てない。
俺は彼女の呼び出しに俺は飛んで行ってるのに、
それはないんじゃない?

管さんは上海に出張中だし、
学校の友人に電話をしてタクシー代を借りようかとも思ったが、
歩いていくことにした。

バスで西駅まで行くと20分かかるので遠いような感じがしたけど、
実際歩いてみると、1時間ぐらいで学校に到着した。

麺点クラスの同級生に10元を借りて飯を食った。
財布がないから貸せないというやつもいた。
財布がないのは俺くらいだろ〜!

自分が困ってる時に頼れる人は北京にどれくらいいるんだろうと
考えてしまった。
海外での生活は友人と財布の中身で決まるといっても過言ではない。
金がないと、一気に不安が押し寄せてくる。

外国人のへんてこりんに10元とはいえ貸す人はあまりいない。
ちなみに貸してくれた人はあまり話したことのない同級生だった。
ありがとう。

学校の帰り、趙さんと韓君とで酒を飲んだ。
財布と鍵を忘れたことをからかわれながら、
楽しい時間を過ごせた。
やっぱり持つべきものは友だな。
ありがとう。

助けを求めれば、救ってくれる人がいくらでもいるんだと思えた反面、
玉さんの態度は納得行かない。

なんて、実は人のことを批判する資格なんて俺にはない。
数年前、天津から北京に自転車で来たときの出来事。

早朝、芳園ホテルの前でぶらついていたら、
日本人女性がいきなり声をかけてきた。
「すみません!ここら辺に銀行ないですか?」
かなり慌てている様子だった。
「いゃ〜、わからないっすね〜。でも、まだ開いてないですよ」と俺。
「これから帰国するんですけど、お金がないんです。もう時間もないし、バスじゃ間に合わないんです・・・・」
雰囲気で俺が日本人だと分かったらしい。

あと100元あればタクシーで空港まで行けるとのことで、貸して欲しい、日本に帰ったら必ず返すからということだった。
初めての一人旅で、バスに乗り遅れたらしかった。
でも俺は通訳してあげるからホテルで両替するように勧めた。

それから彼女はどうなったか分からない。
あとになって後悔した。
金がなかったわけじゃない。
他人事のように考えてしまっただけだった。
俺のほうが旅慣れているという優越感、
中国語が話せるという優越感に浸り、
彼女を見下しただけだったのだろう。

人に金を貸せばいいって言うもんじゃないけど、
あんなに困ってる人を目の前にして、
100元(当時1500円)ぽっちも貸さなかった俺が小さく思えて、
今でも彼女を思い出すときがある。
彼女にしてみれば初めての中国でやっと見つけた日本人が頼りにならなかったわけだ。

そんな俺が、今日、逆の立場になった。
しっかりしなければ。
1元の大切さ、友人の温かみを感じた一日だった。




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3月2日 水曜日


ノートを書き取るのは至難の業

今日から新しい授業が始まった。
午前は管理コース。
老師は新しく来た太った中年の方だ。
結構厳しい。
内容は文字通り、人の管理、厨房の管理などを学ぶ授業。
黒板はほとんど使われず、
聞き取ってノートに書き写す状況だったのでつらかった。
中国語のレベルがまだ上がっていない。
意味は分かるんだけど、集中力が続かないのだ。

午後はその老師の四川料理コースを1時間だけ見学して、
2時から広東コースの授業を受けることにした。

鶉の丸揚げ、黒椒牛柳、チキンカツのオレンジソースかけを習った。
広東コースの老師とは一回飲んだことがあったので初対面ではなかった。

老師の作ったのをみんなで味見したあと、
各自、実習。

鍋の返しは出来なくなってしまって、
まだ油温も把握できていなかった。
老師たちがみんな見に来て、指導してくれたのだが、
俺はただ焦ってしまうだけ。

このクラスは俺のような素人が少なく、
みんなコック経験者なので緊張する。
でも、この環境が自分にとって成長するチャンスなのだろう。

嬉しいことがひとつ。
夜、玉さんがメールをくれた。
明日、飯を一緒に食うことに。
やった〜!

あともうひとつ。
張生が縁起のいいメールをくれた。
あいつは俺のことを同郷といって慕ってくる。
前に俺が山東省で留学をしたことがあるからだ。
いい奴だ。
がんばるぞ〜!


チキンカツオレンジソースがけ




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3月3日 木曜日

管理コースは相変わらずへとへと。
聞き取りをずっとしてると頭が疲れる。

午後は広東コース。
中華風あんかけ玉子焼き、
ゴーヤの肉詰め、
魚の炒め煮を習った。
玉子焼きはふっくらさせるために2回に分けて焼く。
半分をスクランブルエッグのように軽く炒め、
卵液にまた戻してから焼くのだ。

5時過ぎに学校が終わり、玉さんの家へ直行。
疲れなんて吹き飛んだ。
恋をしてるな。
勉強に身が入らない。
何とか両立させなければ。

家に行くと、出掛ける準備はまだしていなかった。
髪を触ったり、ずっと見つめていると恥ずかしそうに目をそらす。
可愛かった。

食事はいつもの焼肉コース。
なぜか無性に肉の塊が食いたくなる。

彼女の周りの人たちは俺のことをみんな知っているらしい。
部屋に来ていることも全て筒抜けみたい。
その上、部屋に入れることは何も特別な訳じゃなくて
友達の間では当たり前のことだそう。
少しは秘密にしてくれよ〜。


ゴーヤの肉詰め




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3月10日 木曜日

ずっと日記を書いていなかった。
ここ最近疲れがたまってきてへとへと。
午前中の管理コースはほとんど書き取りなので集中力が続かない。
おまけに老師はたまに歴史問題を持ち出してくる。
ダブルの圧力。

昼休み、ロッカー室に行くと老師を囲んで数人の生徒がおしゃべりをしていた。
この老師は人相が悪いのであまり好きじゃない。
避けようとしていたら、話しかけられた。
歴史問題のことである。

「以前の問題はな〜、もう昔のことだ。今の日本人の80歳以上の人たちは悪いことをしたけれど、お前のような若者には関係ないことだ・・・。日本よりもっとたちの悪いのはロシアだよ・・・」

もちろん俺は戦争に参加などしたことはない。
当たり前だ。
「侵略行為をした人だけが悪い、日本よりもロシアの方が悪い」
直感で彼のいってることは本心じゃないと感じた。
かえって嫌な感じ。

老師が話してるのを聞いて、一人の生徒が言った。
「本当にそう思ってるんですか?」
すると、老師は怒るように言った。
「俺はな〜、本心を言う時は相手の目を見て話すんだよ!」
動けなくなった。
老師が話すときに俺の目を見て話していたかは覚えてないが、
そんなあやふやなことを言われても困る。
ひとりの広東コースの同級生がそれを見かねたのか
俺に話しかけてきてその場を去るように促してくれた。

俺が何をした!
中国人をいじめたか?
日本人ひとりで来ているのが分からないのか!
あんたの国の技術を学びに来てるんだぞ!
中国が好きだからここにいるんだぞ!

最初の3日間は四川コースに見学に行っていたが、
今日からは行かないことにした。
老師と顔を合わせたくないというのもあったが、
鍋の返しができなくなってしまったので、
その時間を使って練習をすることにした。

広東コースは今のところ5人の生徒がいるが、
そのうち3人はコック経験者だ。
みんなテキパキと動くし、
ノートもわざわざとらない。
そのくせ実習の時には上手に作る。

俺はというとノートを見ながら作るもんだから、
出来上がりが一番遅い。
しかも、しょっぱい。
へとへと。
疲れた。
疲れているときや、気持ちがぐらついている時は
作る料理がしょっぱくなってしまうようだ。

疲れている理由はこれだけではない。
この前の日曜日、玉さんにデートをすっぽかされてしまった。
電話も通じず。
あとで電話したら、寝ていたとのこと。
アホか!
しかも、俺が中国語を聞き取れないといかにもめんどくさそう。
ごめんの一言もいえないのか!

中国人には謝る習慣がないというが、
すっぽかしてしまったらさすがに謝るだろ、普通。
ほんとつまんね。
温度差を感じる。
少しのわがままは許せるが、今度ばかりは納得いかなかった。
振り回されてる。


冬瓜と金華ハムの蒸し物



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3月12日 土曜日

心情不好。
ずっと玉さんのことを考えている。
末期だな。
絶望感が押し寄せてくる。
何でこうなるんだろう。
原因があるはず。

俺の短所はあまり気持ちを表に出さないのと、
鈍感であることだ。
明日あったら気持ちを伝えよう。
好きなら好き、嫌なら嫌でいいじゃないか。
白黒はっきりさせて前に進もう。
うじうじ考えたってしょうがない。
成功するのを想像していこう。
絶対成功する!
未来を切り開くのは自分自身だ!


蟹の炒め蒸し


アワビのスープ



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3月14日 月曜日

失恋した。
きついです。

昨日の午前中、ネットしてると玉さんから電話が入った。
「いつくるの?」
電話の声は暗かったので何事かと思った。
午後の授業をサボり、彼女の家に直行。

着いてみると、いつもの明るい彼女だった。
期待した。
ベッドの上で音楽を聴いたり、おしゃべりをしたり映画を見たりした。
俺の隣に彼女が座り、
身体が触れ合った。

しばらくしてから「少し寝る」と彼女。

またしばらくしてから無理やり起こして抱いた。
そして聞いた。
「もし俺が好きだといったらどうする?」
彼女は笑って
「自殺する」と答えた。
「・・・。」

「好きだ」
「えっ?」
「好きだ」
「やだよ〜」
「なら自殺しな」

なんてこと言ってしまったんだろう。
もう書きたくない。

そのあと、彼氏に会いたいとか、
本当の友達がいないから寂しいとかと言われたが、
俺は今更友達にはなれない。

帰りのバスの中で泣けてきた。
分からない。
何で、その気もないのに思わせぶりな態度を見せたのか。
ただ単にからかっていたのか?


冬瓜の蒸し物



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3月15日 火曜日

心の変化が。
彼女は俺のことを好きだ。
態度で分かる。
嫌だったら身体を触れさせはしないだろう。
無理やり起こした時の笑顔。


老師から習ったにんじんの飾り切り




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3月16日 水曜日

あ〜、また沈んでしまう。
やっぱり彼女は気なんてなかったみたい。


海老のチリソースがけ



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3月18日 金曜日

管理コースでの出来事。
嫌なことは続いて起きるものだ。

授業中、具合が悪かったのでうつむきがちにして聞いていた。
すると、老師がいきなり
「おい!聞いてるのか?抬頭!(頭を上げろ)」
と言ってきた。
混乱してしまって、抬頭と点頭(うなずく)をごっちゃにしてしまい、
何度もうなずいて見せた。
アホです。

するといきなり、
「日本は国土が小さいんだよ!だから食料も足りないんだよ!」
と怒鳴った。
ろくに授業も聞いていなかったので前後関係が分からずボーっとしてたら同級生が、
「日本はだから物価が高いのであって、バランスは取れてると思います。」
と、助け舟を出してくれた。

それから攻撃の矛先がその同級生に向けられ、
いきなり宗教の話が始まった。
「お前は何か宗教を信じてるか」
「仏教を信じてます」
「はぁ?お前、仏教徒なのにコックになろうとしてんのか?おかしんじゃないか?仏教徒は動物を殺さないんだぞ!」

厨師は生きてる鶏などの動物を自分でしめてから調理をするのでこんな事を言ったのだろう。
同級生は何度も反論しようとしたけど、
あいつはその隙も与えないほど強烈に批判しまくっていた。
俺はといえば、ただただびっくりして何も言えず。
情けない。

管理課の老師が日本の事について言うのは初めてじゃなく、
憎んでいるのはよく分かっていた。
だけど、それが俺の友人にも及んだのがショックだった。
この友人は度々俺のことを助けてくれるいい奴だ。

家に帰ってきてからその話を盛華にした。
てっきり俺の肩を持ってくれるとばかり思ってたら、
日本はそれほど悪いことを過去にしたんだと
これまでの歴史を語り始めた。
またか・・・。

日本軍の数々の悪行から始まり、
アメリカの9・11の話まで及んだ。
アメリカの帝国主義が、テロ行為をもたらしたのだと。
彼の言いたいことは
国が悪い事をしたらその問題が個人にまで影響するのは当たり前だと言うことだった。

ショックだった。
泣きたいくらいショックだった。
今までの数ヶ月間一緒に住んできて、
理解しあえると思っていたのに、
それが全て水の泡となったのだ。
国=個人?
アホなことも休み休み言えよ!

盛華の話を途中で遮り、
疲れたから寝ると言うので精一杯だった。


鶏肉の柱候醤炒め




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3月19日 土曜日

気を取り直して学校へ。
あの、攻撃を受けた同級生は元気だった。
あの件に関しては何も話さず。

学校が終ってから本屋などをぶらついた。
帰りたくなかった。
公主墳の公園でボーっとして時間をつぶしてから家路に着いた。

盛華はもう家にいた。
歩きつかれて、ビールを一気飲み。
飯も作る気がしなく、外で食べようと言うことに。
とはいえ、俺も盛華も余り腹は減ってなく、
しばらく部屋で話をした。

酔いが回ったせいか、
今まで話さなかった事までどんどん口から出てきた。
不思議なくらい。
田舎のこと、家族のこと、子供の時のこと・・・。
盛華は昨日とはうって変わって表情が和らいでいる。
何か心境の変化があったようだった。
そうとわかると俺もどんどんしゃべりだす。

ここ最近会話が足りなかったな〜としみじみ感じた。
俺は自分のヤな出来事ばかり考えてふさぎこんでしまい、
全然コミュニケーションが図られていなかったな〜って。

壁を作っていたのは自分かもしれない。
昨日言われたことは納得できないが、
自分から相手に飛び込んで話し合うだけでいいと感じた。

外で夕飯を食ってるときも話は盛り上がった。
俺が一方的に話して、時々盛華が口を挟んでくると言う程度だったが、
ほぼ溝は埋まった。(と思う)

家に戻る途中、
「日本に帰ったら必ずメールくれよ。読める中国語でな。あと、文字化けにならないように」
と、盛華。
「俺の中国語はめちゃくちゃだけど、親友だったら意味は分かると思うよ」
と、俺。

人生山あれば谷あり。
谷あれば山あり。
だなっ。


鶏肉、金華ハム、椎茸の蒸し物




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3月20日 日曜日

午前中、広東コースの会東とその友達とで天安門に行ってきた。
会東は山東の出身で無口なやつだけど、
俺と同じ日に広東コースを始めたこともあってか
結構打ち解けている。

2人とも北京に来たばかりなので
俺が案内役になった。
日本人の俺が北京を案内する。
ちょっと変な感じがしたが、地理的な事情は俺のほうが詳しい。

前門から人民広場に出ると長い行列ができていた。
毛沢東記念館に入る人たちだ。
北側の玄関から記念館を囲むようにして蛇行し
前門まで行列が延びていたので500mはあっただろうか。
しかも横5列ぐらいに並んでいたのでかなりの人だった。


記念館へと続く行列

会東はどうしても入りたいと聞かないので
俺ともうひとりの友人はしぶしぶ並ぶことに。
同じ色の帽子をかぶった団体客や、
地方から来たと思われる家族客がほとんどだった。

列の長さから見て1時間ぐらいはかかるだろうと思っていたのだが、
15分ぐらいすると列の中間あたりまで来ていた。
何回も来た場所であるが、記念館にはこれまで入ったことがない。
いつも行列ができているからだ。

入口に近づくにつれて進み方が鈍ってきた。
背伸びして先の方を見ていたら、
スーツを着た男に声をかけられた。

「手荷物の持込はしないでください」

向こうのほうに預け場所があるからそっちの方に行くように言われた。
今まで並んでいたのが水の泡に。
早く言ってくれよな〜!
会東は一緒に入れないことを残念がっていた。

列を抜け、指をさされたほうに行ったもののそれらしいものはなく
迷っていたら、
今度は少し汚れた格好をした少年に声をかけられた。

「荷物預けたいの?」
「そう。どこにあるの?」
「どこからきた?」
「日本」
少年は俺が日本人だと分かると連れてってあげると手招きした。

うかつだった。
困っている時は防備が軟弱になってしまう。
外国人観光客はいいカモにされるのだ。

怪しいと思ったので逃げようとしたら
スーツを着た私服警官みたいな男が登場。
少年を追い払ってくれた。
聞くところによると、
あの少年は案内した見返りに金を要求するのだという。
やっぱり・・・。
男は丁寧に預け場所を教えてくれた。

預け場所に行くと、これまた行列。
見学は諦めて記念館の出口で2人を待つことにした。
30分ぐらいしてから2人が出てきたのだが、
会東は毛沢東に会えたことにとても満足している様子だった。

人民大会堂、天安門を回り、
東のほうに抜けて飯を食った。
昼間のビールはやっぱりうまい!
会東は山東訛りが強くてたまに聞き取れないけど、
山東人に悪いやつはいない。(と思う)
広東コースを卒業したら山東に帰り、チンタオで働くのだそうだ。

俺は午後の授業があったので2人と別れた。
2人は記念にもっと写真を撮りたいというのでデジカメを貸した。
俺も初めて東京に行った時はあんなだったな〜と思いつつ。


天安門前にて 中央が会東

授業が終ったあと、久しぶりに青年の家へ。
管さんと一緒に飯を食う約束をしていたのだ。
旅館の上のレストランで久々の再会。
管さんの会社にパソコン修理に来ていた人も交えて酒を飲む。

アルコール度56%の二鍋頭(白酒)はきつかったけど、
いろんなことを相談できてよかった。
この前の管理課での出来事を話した。
泣きたいくらいまで悩んでいたのは昨日までのことだったので
客観的に話すことができた。

管さんは
「日本には1億2千万人それぞれの考え方があるが、中国にはそれよりももっと多い13億の考え方がある。あきらめるな。」
と言ってくれた。

何かある毎に管さんに相談しているのだが、
彼のアドバイスを受けると不思議と気持ちが楽になる。
主観的に考えるからドツボにはまってしまうのだ。
もっと客観的におおらかに見てみると違うものが見えてくる。
ありがとう管さん。

あきらめね〜ぞ〜!




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3月21日 月曜日

今日も管理コースにでた。
こうなったら意地でも毎日授業に出てやる。
と、意気込んで行ったのだが、
あの老師、レベルが低すぎ。
調理に関することは高いレベルかもしれないが、
人格がなっていない。
料理は味+人格だって事分かってないのだろう。

授業中、老師の言ってることが聞き取れないから
ノートを見せてくれと頼んだ。
そしたら、あの低レベルの老師は俺の発音を真似してこう言った。
「ノートは周老師がもって行きました〜」
むかついた。

「じゃあもういいです」
と話をさえぎったが、ふざけた表情をして
「だからここにはありません。アイムソ〜リ〜」だと。

・・・唖然。
唖然の極み。
反応がないのに業を煮やしたのか、
「聞き取れないんだったらいい」だとさ。

「ハァ?つまんない!」
と言ったら無視された。
こんな低レベルの男が老師をしていていいのか?

この低レベルはまたも暴走する。
韓国料理の話になってから、いきなり俺にこう聞いてきた。
「韓国人好きか?」
「好きです。」
留学時代から付き合いが続いている韓国の友人は多い方だ。
「俺は嫌いだ。長髪で、黄色に染めて、ピアスして・・・日本人は昔は礼儀正しく身なりもしっかりとしていた。でも今はどうだ?」
お前、身なりでしか人を判断できないのか!
今度は俺が無視した。

そのあと老師はご機嫌取りのためか、
日本の調味料や広東コースでの状況を聞いてきたが、
話す気もおきなく、ただ「忘れた」とだけこたえた。

四川料理をこの男でなく楊老師から学んだのがせめてもの救いだ。

昼休み、幸か不幸かこの男とトイレですれ違った。
男は何も言わず俺の肩を握り締めて去っていった。
仲直りのつもりなんだろうか?

13億分の1。
世界にはいろんな人がいるもんだ。




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3月22日 火曜日

管理コースの授業は平穏に終った。
俺はただ負けたくないだけだ。
だから毎日授業に出る。
俺には友達がたくさんいるんだ。
逃げたくない。

家に帰ると、数日前に盛華が買ってきた瓜子があった。
瓜子は南瓜の種大のスイカの種を乾燥したものだ。
何気なく食べていたらやみつきになり、
テーブルの上は殻だらけに。

食べながら思った。
俺も含めて、一般的な日本人の中国人に対する考え方は
瓜子のようなもんなんじゃないかと感じた。

97年、中国にはじめてきた時、
スイカやひまわりの種を食ってる中国人を見て驚いた。
「種って、鳥が食べるもんでしょ?何でこんなの食ってるの?」
「食べるのがめんどくさい割には中身は少ないし、わかんね〜」
「何であんな器用な食べ方ができるの?」
と、疑問と驚きを感じた。

でも、瓜子を食べてる人がたくさんいたので
ちょっと食べてみたくなった。
本場の食べ方は口に種を入れて歯で割り、
舌で中身を取り出してから殻だけを吐き出すという器用さなのだが
俺にはできなかった。

かじって殻を割って、手で中身を取り出して食べてみた。
「あれ?うまい。うまいよこれ!」
と、ちょっとした感動を感じたんだけど
やっぱり食べれる中身が小さくて物足りない。
そして10個ぐらいまとめて殻を割って一気に食うようになった。
「ん〜、うまい!でもやっぱりめんどくさい・・・」
それ以来、瓜子を買ってまで食べることはなかった。

そして今日、久々に瓜子を食べた。
最初は歯でわって・・・手で取り出して・・・パクッ。
グビグビ〜ッ(ビール)。

だんだんとコツがつかめてきた。
歯で割ってから、舌で中身を取り出して、ペッ。
ワザのスピードが上がってくると、食べられる量も多くなってきた。
やった!うまい!
今日やっと瓜子を食べる人の気持ちが分かった。


この数年間、さまざまな中国人と接してきて
彼らの考えは知ることはできた。
ただ、理解するのにはかなりの時間がかかるだろう。
追求していきたい。

日本人を恨んでいる人、それはそれでいい。
自分がもし、今の中国で生まれ育ったら多分そう思うだろう。
でも俺は日本人。
日本人の考え方を持っている。
日本は加害者、中国は被害者という位置関係。
歴史上、同じひとつの事が起きたのだが、
立場が違うから見方も違うのは当たり前だ。

新聞やニュースも然り。
同じひとつの出来事でも日本と中国の見方は全然違う。
しかし、片方の情報だけを鵜呑みにするのは危険である。
もっと高い位置から問題を見つめるのが重要だ。
二つの違いを知るだけでも大きな進歩につながる。

夜、楊老師にのみに誘われた。
広東コースの助手にやめとけと耳打ちされたが、
飲みたかった。
飲んで、話し相手が欲しかった。

楊老師と管理コースの老師は仲がいいので、
程よく酔っ払ってきた頃を狙って探りを入れたが、
何も収穫は無かった。


サンラータン



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3月23日 水曜日

全くわかんない。
管理コースの授業が始まる前に老師はクイズを出してきた。
小学生の娘さんが学校のテストに出てきた問題だという。
数字のクイズ。
計算じゃなくてとんち問題だ。
昨日の夜、楊老師も同じような問題を出してきて盛り上がった。

俺に「わかるか?」
と聞いてきたが、わからず。
他の生徒たちもわからなかった。

この老師、俺と話すきっかけを作りたいと思ってるのか?
きっと、楊老師から昨日のことを聞いたのだろう。
俺がこの手の問題を好きだって事。
それだったらそう言ってくれればいいのにと少し嬉しくはなった。

が・・・。
授業中、鯨の話に。
「鯨を食べたことがあるか?」
と老師は俺に聞いてきた。
きっと鯨の肉はどんな味だと聞いてくるんだろうなと期待しつつ、
「一回だけだけど食べたことがあります」
と答えた。

すると・・・
「当たり前だ!今は禁止されてるんだぞ!あんな利口な動物食うな!!」
と、怒鳴られた。
犬肉食ってるあんたは何?

挙句の果てに、自分(老師)は動物をたくさん殺してきたから地獄に落ちるだろうと自分で自分の死後を予言してきた。
勝手にどうぞ!
お行きなさい。
訳が分からん。
懺悔のつもりだろうか?


広東コースでは魚香茄子bao(保の下に火)、
八珍豆腐bao、
開bao兎肉を習った。

baoとは揚げた素材をトロミの濃いソースで絡めて土鍋に入れて出す料理だ。
魚香茄子は豆板醤、酢、砂糖、ケッチャップなどを使った甘酸っぱいソースと、
カリカリの衣で揚げたナスを絡めたもの。
四川コースでも同じ料理を習ったことがあるが、
それよりも甘酸っぱさが強調された味だった。

八珍豆腐は広東風家常豆腐のような感じ。
四川風よりも辛味を抑えてあって、柱候醤の風味がきいている。
柱候醤はテンメンジャン、海鮮醤、オイスターソース、豆腐乳(豆腐を発酵させたもの)や、各種スパイスをあわせたもので
なんともいえない独特の味がする。
例えようのないまろやかさと香りがして、
何というか、ホントにたとえようがない。
まろやか過ぎてちょっと重くなりすぎる感じがする。
実習では自分好みに控えめに使った。

兎の肉は思ったよりも臭みがなく、鶏肉を硬くしたような感じ。
噛めば噛むほどうまみが出てきた。
でも、どうしても二本の耳が目に浮かんでくる。
しまいにはピーターラビットが絞められるところを想像してしまい、
箸をおいてしまった。

まだまだ甘いな、自分。


ピーターラビット 調理後




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3月24日 木曜日

管理コースの授業は何事もなく終った。
あと2日を残すのみだ。
早く終ってほしいかというと、
そうでもない。
もっと、あの低レベル老師を知りたくなってきた。
いつも言われっぱなしなんだけど、
俺はマゾではない。
ただ、この壁を乗り越えたいだけだ。
今日のように、何事もなく円満で終りたくないな。
なんか、こうガッチリと掴めるものが欲しい。
収穫が欲しい。

玉さんにメールを出したが、返事はなし。
俺は陰気さのある性格だが、
ふられたら意外とあっさりする方だ。
俺を振ったことで悪く思ってたらかえって申し訳ない。

広東コースの授業中、
新しくはいってきた同級生が歴史的な問題に触れたが、
自分からはあまり反応しないようにした。
彼らにとって俺は初めての日本人であり、
いろいろ知りたい事もあるのだろうが、
俺は疲れた。

この学校で俺の前をたくさんの中国人が通り過ぎていった。
週ごとに新しい生徒が入ってくるし、
いろんなクラスを渡り歩いたからだ。
新しい出会いがあれば、当然歴史の問題にもその都度触れる。
全ての人がそうではないのだが、避けては通れないのだ。

彼らにとって、”侵略”に対する見方に限って言えば、
戦前と今の日本人像はなんら変わりがない。
その誤解が根底にしっかりと根付いている。
それと、日本人は過去の侵略の歴史を知らない、
反省してないと思っている。

日本人としては、正直中国人よりも無関心だ。
無関心というか、考えたくないし、触れたくない。
反省してないわけじゃない。
過去の過ちを繰り返さないようにすることに心を注いでいるのだ。
ドイツに比べるとなんとも中途半端な歴史問題に対する心理。
これが日本=右派という誤解を招いている。

本当の日本を知ってもらいたいが、
実際に経済以外で交流する機会もないし、
彼らが頼れる日本の情報といえば自国の新聞、ニュースのみ。
これは日本も同じ事だが、これじゃしょうがない。

自分ひとりで草の根交流をしようと思ったわけではないが、
少しでも誤解を解こうとして今までやってきた。
弁解ではなく、自然体で相手に自分を知ってもらおうと心掛けてきたのだが、
そううまくはいかない。
誤解を解こうとすればするほどかえって誤解されるのだ。
言葉の問題がまずひとつ。
言いたいことや、細かいニュアンスが伝わらない。
あともう一つは歴史などに関する無知、無関心。
これが一番の問題だ。

よく、小泉さんの靖国参拝について聞かれるが、
俺はそれについてあまり興味がなかった。
ただ、漠然と戦没者の供養に行ってるとしか感じない。
そこに戦犯が居るからといって、
その戦犯を崇拝したり正当化してるのじゃないってことは感じる。
こういうあやふやな考えの自分に対して、
生徒たちは次々と質問を浴びせてくる。


「日本人は新年の時に神社に行くんでしょ?」
「そう。よく知ってるね。俺もほとんど毎年行ってるよ。」
「テレビで和服を着ている女性を見たことがあるけど、みんな和服を着ていくの?日本女性はきれいだよね。」
「日本の女の子も中国と一緒でピンからキリまでだよ(笑)。和服は一部の女の子は着ていくよ。あとは、成人式の時や、結婚式の時。」

「和服は唐の時代に中国から伝わったって知ってた?」
「そうらしいね。衣服のほかにも文字とか食べ物だとか、いろんなものや文化が日本に伝わったよ。」

「日本人も元はといえば中国人だったんだよ。秦の時代に始皇帝が不老不死の薬を探させるために500人(2000人という人もいる)の男女を船で出させて、遭難し、たどり着いたのが日本だったって訳さ。それから子孫が増えて今の日本人になったわけ。言ってみれば兄弟さ。」

「500人かどうかはわからないけど、日本の土着の民族と大陸から来た人たちが混ざり合って、今の日本人がいるって習ったけど、その話は初めてきいた。」
「文献に残ってるから間違いないよ。そういえば、和服を着た女性は何か背負ってるよね?何?」
「あれは帯といって飾りだよ。」
「なんか腰が曲がってるみたいでかっこ悪いよね。」
「・・・。」

「元旦に神社に行って何するの?」
「新年が良い年でありますようにって・・・。」
「お前も靖国神社に行くのか?」
「行かないよ〜。普通は近所の神社に行ってお参りをするんだよ。」

「靖国は日本で一番大きい神社だろ?じゃあ、たくさんの人が、行ってるわけだ?」
「日本で一番大きいのは明治神宮だよ(?)。普通は靖国には行かない。」
「でもテレビでたくさんの人が行ってるのを見たことがある。」
「(そうなの?)一般の人は入れないよ(?)。一部の人だけ。(靖国に初詣って聞いたことがないよな)」
「政治家だけが入れるのか?」
「・・・たぶん。(知らない)」

「じゃあ、政治家は東郷にお参りに行ってるんだろ?」
「違うよ、あそこには戦争で死んだ人たちが入ってるんだ。東郷だけじゃない。」
「戦争で死んだ人たちは中国に侵略した人たちだろ?その人たちにお参りして何するんだ?」
「先祖にお参りするのは間違ったことじゃないだろ?」

「小泉の靖国参拝はどう思ってる?」
「どうって・・・、政治家は戦犯だけのために行ってるわけじゃないし・・・、戦没者の供養に行ってるわけであって・・・」
「でも、小泉の心の中は分からないだろ?」
「わからないけど、多分違うって!多分・・・小泉が好きな本があって、それは戦時中の若者の話であって、罪のない人たちが死んでいって・・・あの時の彼らがあって、今の日本があるから・・・」

「小泉の靖国参拝に賛成か?」
「(賛成、反対、どっちでもないが・・・)こんなに中国や韓国が反対して騒いでるんだからやめればいいと思う。」
「・・・。戦没者の子孫とかが靖国に行くのは別にいいけど、日本の国の代表が、堂々と参拝に行くのはどうしても理解できないよ。」
「実は俺もわからない・・・」

・・・反対されるんだから参拝をやめたほうがいい・・・。
ということは彼らから見ると日本人はやっぱり戦犯を参拝したいのだということになる。
こういう会話は何回もしてきたが、
きまって、500人の男女が日本の起源という話から始まる。
何が言いたいんだろうか?

それはそうと、過去の歴史に対して明確な考えが欠如している自分に対して、
やりきれないまどろっこしさを感じる。


話は変わるが、
広東コースの同級生は個性の強い面々が集まっている。
まずは、吉林から来た茶髪男。
北京では珍しく髪が真っ黄色で、
渋谷にいる若者がそのまま北京に来たって感じの身なり。
いいとこのボンボンらしい。
口が悪くてむかつく時もあるけど、
授業中にノートを見せてくれる。
きれいに字を書くので助かっている。
日本語を習ったことがあるというのだが、
聞いたためしがない。

あとは、アーミン。
アー(阿)は敬称の一種で「ちゃん」の意味。
名前は明だ。
俺のことをアーチュンと呼んでくるので俺も勝手にアーを付けて呼んでいる。

ちなみにNHKの「おしん」は中国では「阿信」という。

東北人の彼は元気がよくて、クラスのリーダー的存在かな。
この前、俺のことを「小日本」と呼んで来たので
「小さくて悪かったな〜!」
と冗談で返したら笑っていた。
実際、俺の身長は低いのだが、
こういうときはあまり相手にしないのが得策だ。

そして石岩。
いつも冗談を言ってみんなを笑わせている。
ムードメーカーだ。
ただ、東北訛りがあるので聞き取れない。

あと、老李。
ドラキュラに雰囲気が似ている。
口数は多くはないが、性格がすこぶるいい。
みんなに好かれている。
授業が終ったあともちゃんと掃除をして帰るし。

あとは、老李の子分的存在の雲南から来た若者。
この前、彼の作った料理にケチをつけたら、
「何だこのヤロ〜」
見たいな目つきで見られたが、
今では結構お互いにケチの付け合いをしている。

最後は会東。
無口だけど、一生懸命頑張っている。
実習の時、俺と材料を分担して下ごしらえをしている。
下ごしらえに時間がかかるとコンロの取り合いになってしまうからだ。
この前、日本語で書いている俺のノートを見て、
「お前すごいな〜。漢字も書けるんだ?」
と、感心された。フフッ。
山東訛りが強くてスムーズに会話は進まないが、
気持ちで通じ合ってるような感じ。

そのほか、あと3人いるが、
みんな本当に個性的。
今まで会った同級生たちも負けないくらい個性的だが、
人数が少ない分、まんべんなく相手を知ることができる。
いい雰囲気だ。

広東コースの授業風景(Quick Time)


老李とのツーショット


実習風景


試食タイム




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3月25日 金曜日

今日は管理コースの最終日だった。
「今日でお前は卒業だけど、べつに来週も続けてきてもいいぞ」
と、老師に言われた。
目を合わせずに照れくさそうに言う老師。
しょ〜がないな〜。来週も行ってやりますか。


ライチの海老詰め




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3月26日 土曜日

久々の週末と言う感じだ。
午前はネットしてきて、午後は高級料理コースの授業に出た。
それから、張さんの日本料理コースを参観。
しゃぶしゃぶ、すき焼き、寿司、刺身などをご馳走になった。
豪華だったな〜。

和食を食べると、日本を思い出す。
もう北京に来てから半年以上がたった。
和食が恋しいかと聞かれるとそうでもないのは、
たまにこうして学校で食べれるからかもしれない。
ありがとう張さん。

夜9時ごろに授業が終ってから張さんと学校近くで飲み、
いろいろと今後のことなどを話した。
俺が最近元気がないことを指摘され、
今後の仕事のことで悩んでいたのをズバリ当てられた。
そう、
このまま帰国しても調理師にはなれないような気がして怖いのだ。
広東コースもあと残すところ数週間。
帰国の時期が迫ってきている。


蟹の卵白とじ



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3月27日 日曜日

午前中、部屋の掃除をして、午後はいつも通り高級コースの授業。
帰り、ドカベン君と駅前のケンタでコーヒーとタルトを食べてきた。
このポルトガル風タルトがうまい!
日本のケンタでも売ってるだろうか?
麺点コースでも香港式タルトは習ったことがあったので、
いろいろ作り方などを議論して帰ってきた。


ケンタッキーのポルトガル風タルト




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3月28日 月曜日

週末はあっという間だった。
今日から午前中は空きが出来たのだが、
復習の意味も兼ねて、管理コースに出てきた。

朝、老師が教室に入ってくると、
俺の顔を見て「おっ?来たか!」と言う感じで上機嫌。
何も言われなかったけど、
あきらめないで出てきた甲斐があったかな?
運気が上向きになってきたぞ〜!

何が彼を変えたんだろうか?
俺は相変わらずリスニングに疲れてしまい
ボーっとしてしまう時があるし、
発言するわけでもない。
やっぱりあきらめないで授業に出続けたことが功を奏したのか。
あの強烈な老師がここまで変わるとは思ってもいなかった。

授業中に言われた訳のわからないことは忘れないだろうが、
この変化も一生忘れない。

広東コースでは米粉を習った。
いわゆるフォーである。
意外とコシがあってさっぱりしていて食欲のないときでも
するすると入ってしまう。
焼き米粉と海老や野菜たっぷりのカレー味、ザーサイ肉絲湯粉を作った。
カレーはルーを手作りするところから習えたのでよかった。
香りが独特で苦手な中国スパイスも、
カレー粉と混ぜると本場のカレーに変身する。

玉さんからメールの返事が来ない。
さよならかな・・・本当に・・・。


ザーサイ肉絲湯粉




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3月29日 火曜日

午前は管理コースに出た。
もう、攻撃をしてくることはない。
復習に専念できた。

昼休みに、広東コースの同級生と学校の周りを散歩しながら話をした。
この同級生は見た目は40代だが実は30歳。
失礼だが、驚きを隠せなかった。
彼は、
「歴史や民族の問題よりも、生活(経済)の方がもっと重要なんだよな」
と言っていたが、なんか引っかかる。
歴史問題を突きつけてこられる事に
俺はある意味慣れてしまったのかもしれない。
それか、彼は俺の意見に話を合わせていただけなのか?
考えすぎかな?

授業では伊麺を習った。
今週はほとんど麺づくしである。
どんな麺が出てくるのか毎日楽しみだ。

伊麺とは全蛋麺(卵で捏ねた麺)を油で揚げたインスタント風の麺だ。
インスタントラーメンはこの麺にヒントを得て作られたと聞いたことがある。
元祖即席めんである。
味、食感は太麺の即席めんといった感じで、
コシが強いが少しフカフカした食感の不思議な食感だった。

オイスターソースで味付けした干焼伊麺と
肉と野菜がたっぷり入った肉絲炒伊麺の2品。
うまかった。
出来ることなら焼そば風にして紅生姜なんかを散らして食ってみたかった。

生徒は12人に膨れ上がって厨房はかなりにぎやかだったが、
今日は一番に作り終えた。
みんな俺の伊面を試食して、うまい!というやつもいれば、
うなずくだけのやつもいる。
まずいときははっきりといってくるのが中国人だから
今日は合格だったのだろう。
実際、うまかった。




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3月30日 水曜日

中国ではチャットが大流行。
Eメールでのやり取りはあまりされていないようだ。
ネットカフェに行くと
大勢の人がQQというサイトで相手の映像やアバターを見ながらチャットをしている。
出会い系サイトと化しているのだ。

俺もチャットをしたくなり、
金髪兄ちゃんにやり方を教えてもらうことに。
今日の昼休みにネットカフェで約束をしていたのだが、
現れず。
仕方ないのでネットでホラー映画を見てきた。
昼間見るホラーも結構いけた。

授業が始まって金髪兄ちゃんの肩をノートでバシッと叩いたら、
「日本人が俺を叩いた〜」だと。
すっぽかしたことを全然悪いと思ってないんだからむかつく。

むかつくことは多いけど、
なんかこのクラスのやつらは面白いというか好きになれる。
日本人の常識はここにはないのだが、
そういう常識だけじゃ、物足りなくなってきたのかも。
人間関係の起伏が激しいほど苦労が増えるが、喜びも大きい。
日本に帰ってから帰化できるかが心配だ。
帰化する必要なんてないか。

今日習ったのは牛河。
これも麺の一種である。
澱粉で作ったきし麺のようなもの。
きし麺版冷麺といったところか。
干炒牛河と五目牛河の2品。
もちもちした食感がなんともいえなかった。


五目牛河




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3月31日 木曜日

今日はチャーハンの日。
揚州炒飯、福建炒飯を習った。
正直、中国で食べたチャーハンは油っこくて好きではないのだが、
今日習ったのは激うまだった。

揚州炒飯は五目炒飯、
福建炒飯はトロミがけ炒飯である。
このトロミがけが意外とうまい!
トマトの角切りを使ったソースが、炒飯によく合う。

老師は最初に半分だけ卵を炒め、
ご飯→もう半分の卵液の順に入れていく。
仕上げは強火で激しく鍋を返す。

毎日、授業が始まる前の1時間、
鍋の返し方を練習しているのだが、いまいち自信がなかった。
返しが出来なければおいしい炒飯は作れない。
実習の時は半ばやけっぱちでやってみた。
自分が老師になったつもりで。

すると・・・できた!
ご飯が一粒一粒、鍋と空中を激しく行き来している。
かといって、コンロの周りに散乱することもなかった。
プロになった気分だった。
味のほうも合格。

炒飯って、よく火力が命って言うけど、
はじめから強火で炒めることじゃなかったんだな。
老師は最後だけ強火でガッッと仕上げるといっていた。


揚州炒飯


あんかけたっぷりの福建炒飯






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