ホーム レシピ マイナーレシピ 裏ワザ アルバム 留学への道 ダイアリー ペ☆キング リンク


中華への道!ダイアリー

index
back
next


2005年2月 新年快楽!






2月1日 火曜日

朝食は昨日の夜行ったところでくらげと白身魚のおかゆ、
郊外油菜を食べた。
おかゆは激うまだった!
ご飯の形はほとんどなくて、スープみたいだった。
海鮮と、鶏でとったダシがうまみたっぷり、
塩加減もちょうどよくて
こんなうまいおかゆがあったんだ〜と言う感じだった。

郊外油菜は青梗菜またはアスパラ菜を茹でたものに
オイスターソースをかけた簡単なもの。
郊外とは田舎でとれた新鮮な野菜という意味合いがあるようだ。
香港版おひたしのようなものだろうか。
香港に来て初めて野菜料理を食べたが、
名前の通り、新鮮な歯ごたえがなんともいえなかった。
おかゆが28元、油菜が13元。

油麻地のほうに北上し、また義順牛乳公司に行ってきた。
今度はホット卵プリンに挑戦。
素朴な蒸しプリンの味がした。
自分は蒸しプリンはあまり好きじゃないのでやはり牛乳プリンにしておくべきだった。

旺角駅方面へ歩き、広東焼味餐庁へ。
お目当てはここの乳猪飯だ。
子豚の丸焼きがご飯の上にのっているという贅沢などんぶりモノだ。

店の中はかなり混んでいて、
隅っこのひとり用テーブルしか空いていなかったのだが、
そこからはよく厨房の様子が見れた。
つるされた子豚の丸焼きを、豪快に切っている。
期待がみるみるうちに膨らんでいった。


厨房内 名物の乳猪飯やチャーシュー丼がどんどん作られてゆく

出てきた乳猪飯は皿に盛ったご飯の上に丸焼きの皮の部分がのっていて、別にタレがついてきた。
こんがりとした焼け色が食欲をそそる。

しかし!期待は裏切られた。
確かに皮はパリパリとしていたが、
これといった肉のうま味はなく、
やたらに甘い醤油タレもいまいち。
その上、冷めてるし、ごはんはポロポロのタイ米で、
俺の口には合わなかった。
38元はちょっと高かったかな。
チャーシュー飯にするんだった。


乳猪飯

バスに乗って九龍城跡に行こうと思ったが、
乗るバスを間違ってしまいオリンピック駅についてしまった。
疲れがたまってきたのかバスの中で爆睡。
マックでコーヒーを飲んだが、
だるさが消えなかった。
毎日歩きまくって、食いまくる生活も結構疲れるんだな。
胃腸の調子もよくない。
でも、そんなこといってられない。
今度いつ香港にこれるのか分からないのだと自分にいい聞かせ、
4軒目に向かった。(マック入れると5軒目かな)

地下鉄を乗り継ぎ、800メートルエスカレーター近くのレストランへ。
店の名前はmak's noodle ltd。
店員はおっさんが2人。
こじんまりとした食堂だった。
お目当てのワンタンメンが残念ながらなくなったとのことで、
京都ジャージャン麺を頼んだ。
京都とは首都と言う意味だが、北京のジャージャン麺とは違う味だった。
あのプリプリ細めんに甘辛い肉絲がたっぷりのタレをかけたもの。
甘みが強くて甘露煮みたいな感じだったが、まずまずの味。
38元。


京都ジャージャン麺

ハリウッド通りをぶらつき、市場を見物して九龍側へ帰ってきた。
今日は、香港最後の夜。
海岸へ出て、香港島の光のショーをまた見に行った。
この前よりはモヤが薄かったのでレーザー光線もきれいに見えた。
次に香港に来るときは2人で100万ドルの夜景を見れるといいな〜。
誰とくるんだか・・・。
一人旅もいいけど、2人だと楽しさも倍だよな。


香港光のショー

夕食はホテル近くの混んでいる食堂に入った。
ワンタンメンと、しいたけとレタスの料理を食った。
ワンタンメンはうまいのだが、さすがに毎日食べると飽きる。
残してしまった。
しいたけの料理はこれまたうまかった。
軽く湯通ししたレタスにオイスターソースで炒めた分厚い椎茸がのっていた。
レタスって火を通すと結構うまい。
ワンタンメン28元、椎茸19元。

メニューを見てたら、コーヒーあずきカキ氷というのがあった。
グラスの下に小豆、上はミルクコーヒーのカキ氷。
意外な取り合わせに思わず試してみたくなったけど、
胃が拒絶反応。
もう何も入る余地がなかった。
短期間にたくさんのものを食べるのはつらい。
消化を促すために、できるだけ交通機関は使わずに歩いていたのだが、
胃も、足もへとへとになってしまった。

店を出たあと、本屋で調理の本をあさった。
プリプリ麺は生蛋幼麺という名前だってことは分かったが、
作り方はわからず。
ハリウッド通り近くをぶらついた時に
偶然に麺の直売所を見つけたのでレシピを主人に聞いてみたのだが、
「卵は使ってない。かん水のみだ」
というだけだった。
謎だ。
かん水だけであんなえのき茸のような麺ができるのだろうか?


謎の生蛋幼麺

部屋に帰って来る前に、
ホテルの下の売店で、ビールとつまみを買いにいったのだが、
レジのおばさんに手を見られてしまった。

おばさん:「うゎ〜、その手どうしたの?」
俺:「やけどしました」
おばさん:「じゃあ、あんた、ピーナッツは食べない方がいいよ。そうよね?(主人に聞いていた)」
俺:「でも、もう痛くないし。大丈夫です」
主人:「こりゃすごい・・・くわねぇほうがいいな・・・」
おばさん:「ほらね、悪いけど、あんたに売れない」
とまで言われてしまった。
その心遣いに戸惑いながらもピーナッツの袋を陳列棚に戻すしかなかった。

食べ物には熱を取るのと熱を出すのがあるようで、
ピーナッツは後者に当たるので炎症がひどくなるのだそうだ。
それにしても香港の人は食への関心が深い。
医食同源を地でいっているのだ。

昨日のワンタン屋のおばさんといい、今日のおばさんといい、
食のアドバイス、ありがとう。


夜はこれから〜という人たちでごった返すホテル前




index  





2月2日 水曜日

朝起きて、チェックアウトの手続きをした。
ホテルの主人はしきりに俺の手のことを心配していた。

列車の出発時間までまだ時間があったので
荷物を主人に預けて佐敦の麺屋へ。
店の名はmak man kee noodle shopだ。

汁なしワンタンメン、郊外油菜を食べた。
ワンタンメンは麺の上にオイスターソースがそのままかかっていて、
スープは別に出てきた。
香港ではすごくオイスターソースを多用している。
日本の醤油に当たるものなのだろうか。
さすがにちょっと飽きた。が、やはり美味。

店の中のテーブルでは、
店員たちが海老ワンタンを包んでいた。
手際よくあっという間に包んでいく。
技だな〜。


汁なしワンタンメン 底に海老ワンタンが隠れている

ホテルに戻る前に義順牛乳公司に寄った。
最後は牛乳プリンでシメた。
ホット版牛乳プリン。
やっぱり何個食べてもうまい。
香港での1週間、合計何個のプリンを食べたんだろう。
それでも飽きない味だった。
ゼラチンや寒天を使ってないというから不思議だ。
蜜酢を使って固めるらしい。
濃厚な味を噛み締めながら最後の一個を味わった。

北京の友人へのお土産を何にしようか迷った挙句、
紅茶を買っていくことにした。
日本メーカーのお菓子にしようかとも思ったが、
新鮮味がないし、
香港にあるものはほとんど北京にもあるので悩んだ。

昨日、漢方の店に行ったら塗るバイアグラ的なものがあったので、
これにしよう!と思って店員に効果の程を聞くと、
「試したことはないけどアソコに塗ると猛虎のようになれるよ!」との事。
でも、よく見ると小さく「日本製造」の文字が。
おまけに「tsumura」と書いてあった。
怪しいので却下。
しぼんだら困る。

結局、スーパーでイギリス製のハーブティーやミルクティーを何箱も買ってホテルへ戻った。

宿を出る前に、フロントで主人とお姉さんとで写真を撮った。
聞くところによると、
主人のおやじさんの代からここでホテル業をやっているらしい。
壁には60年代からの写真がずらりと飾られている。
世界各国から来た留学生、旅人、ビジネスマン、サーカス団までいた。
そのほとんどがリピーターで、
結婚してから嫁さんと一緒に来たり、
子供ができたといって主人に会いに来たりしている人たちが
たくさんいるようだった。
主人は嬉しそうにその当時の話などを聞かせてくれた。

俺も、また香港に来たときは絶対にまたここに泊まろう。
次は調理師として来たいな。
家族を連れて。
その頃にはやけどしたこともいい思い出になっていることだろう。
ありがとう、香港の人たち!


旅館の小姐と主人 お世話になりました


主人と一緒に 壁には歴代の写真がずらり

巨大な廃墟のようなチョンキンマンションに別れを告げ、
九龍駅に向かった。

北京まで直通の列車に乗るので、ここで入境検査を受ける。
問題なく列車に乗ることができた。
15時香港発。

初めての軟ウォー(個室寝台)だ。
2段ベッドがふたつあって、
ベッドは広めだし、天井も高めだ。
茶色で統一されていて落ち着いた雰囲気。
乗務員もきれいだし。
さすが、硬ウォー(3段寝台)の2倍近い運賃だけのことはある。

まずはベットの上で大の字になってくつろぐ。
あとは一晩寝たら自動的に北京に着くわけだ〜!
便利だな〜!なんて思っていたら、
「あの〜、場所間違ってませんか?」
と、若い男が聞いてきた。
そこまでボケてないよ!と思いつつ、
切符を見てみると・・・。
部屋を間違えていた(汗)。
何度も確認したはずなのに。
狐につままれるとはこのことか・・・。

新しい本当の部屋にはすでに3人の同室が、荷物整理をしていた。

さっき、カップラーメンを食べる時に、割り箸が欲しいと乗務員に言ったら、
本当に持ってきてくれた。
忙しい夕食時の時間だったので当てにはしていなかったのだが。
結構感激した。

8号車、5号室、20号ベッド。
3人の同室は天津生まれで広東語がぺらぺらのヤンキー姉ちゃん。
香港に出てきて仕事をしているらしい。
男女別の部屋割りになってないことに少々驚愕。
あとは、40歳ぐらいの北京生まれの男と13歳の少年。
みんな春節の里帰りだ。

ヤンキー姉ちゃんは列車に乗ってからかなり長い間携帯でおしゃべりをしていた。
広東語だから聞き取れなかったが、
口調から察すると、彼氏または会社への不満を友人に漏らしていたのだろう。
電話を切ったあとはひとりで黙々とスナック菓子をたべていた。

寝台に乗ったときはどのタイミングで話し始めるかが鍵だ。
北京の男とは廊下で世間話を始めたが、
俺が日本人だと分かるとびっくりしたのか口数が減ってしまった。
こういう人は珍しい。

北京の男と少年は親子だとばかり思っていたが、
実は他人だった。
ヤンキー姉ちゃんと思いっきり驚いてしまった。
中学生とはいえ、一人っ子政策の中国では子供の一人旅は珍しい。

聞くところによると、少年の両親は数年前に離婚し、
今は父親と一緒に香港に住んでいるとのこと。
それで、年越しの時だけは北京に住む母親のところで過ごすのだという。
母親が恋しくないか?という男の問いに戸惑っていたが、
もう慣れたとのこと。
北京に戻ってもいいが、
香港の学校と授業方針が違うし、
北京はゆったりとしているので自分には合わないといっていた。
話し方がきびきびとしていて、身なりもちゃんとしてるし、
話の内容から察すると、
進学校に通ういいとこのお坊ちゃんと見た。

北京までのおよそ丸一日、この3人と一緒に過ごすのだ。
これもなんかの縁だろう。

消灯時間が過ぎてもヤンキー姉ちゃんと少年は
窓の外を見ながらコソコソと話をしている。

少年「線路に切れ目ってあるの?」
ヤンキー「わかんないよ、専門じゃないから」
少年「明かりが見えなくなくなったね」
ヤンキー「あっ、遠くに家があるみたいよ」
少年「あそこの家はろうそくを灯してるよ」

ガタンゴトンという音と、このようなおしゃべりを聞いてると、
なんか気持ちよく眠れそうだ。
少年は実は甘えたいんだろうな。
ヤンキー姉ちゃんは母性本能をくすぐられているのだろうか?
眠くなってきた。
明日は極寒の北京に到着だ。
おやすみ〜。


香港〜北京の直通列車



index  






2月3日 木曜日

15時20分頃に北京に着いた。
朝起きてからもゴロゴロとベットの上で過ごし、
昼寝なんかをしていたら、あっという間に北京着。
同じ部屋の3人とは「再見!」と言いあって各自散らばっていった。

入境手続きを再度して、晴れて北京の土を踏むことができた。
駅前は里帰りをする人たちでごった返していた。
マイナス3度。
やっぱり寒い。
昨日、寝ているうちにやけどの水ぶくれが破裂してしまい、
傷口ができてしまった。
冷気でヒリヒリした。

李波、盛華、大姐に電話で北京に帰ってきたことを伝えた。
大姐は「なんで1回しか電話くれないの!」
と、怒っていた。
香港についてから一回、北京に帰ってきてからも一回。
これで充分なのでは?何怒ってんだろう?

香港が宝石だとすると、北京は灰色の岩石だ。
香港が恋しくもなったが、
家につくと、やはりほっとした。
住めば都である。
疲れがどっと出てきた。

6日間の滞在だったけど、あっという間だった。
やけどをしたことは痛手だったけど、
李波にも会えたし、ビザも取れたし、うまいものをたくさん食べれたし、
観光もできたし、大満足だ。
たくさんの人とも会うことができた。
夜景はちょっといまいちだったけど、
また次がある。
絶対また行こう。
それまでに英語が広東語を少しでもマスターしておきたいな。




index  






2月6日 日曜日

ここ数日日記を書いていなかった。
いろんなことがあった。
手に入れたいものは手に入らず、
思いもよらないものが目の前に。
日記には書かないでおこう。

昨日、盛華が故郷の安徽省に帰省していった。
もうすぐ春節だ。

玉さん、なにやってんのかな。
俺のほうからは連絡をしてない。
もちろんあっちからもない。

昨日、夢を見た。
みんな一人一人には龍がいて、導いてくれている。
自分を助けてくれた周りの人たちにも龍がいる。
だから感謝の気持ちを忘れないようにと。




index 






2月8日 火曜日


大晦日はみんなで餃子を包んどけばよかった・・・

今日は大年三十。大晦日である。
大姐からお誘いを受けたけど、
丁重にお断りした。
張生からも山東の徳州で一緒に年を越そうと誘われていたのだが
香港での日程がはっきり決まってなかったので
これも丁重にお断りした。

家族団らんのひと時に
外国人がお邪魔しては気を使わせてしまうんじゃないかと思ったのだ。
中国では客は多ければ多いほど喜ばれるということで、
大姐と張生はがっかりしていたが
年越しにお邪魔するのはやっぱり気が引けた。
今年の春節は気ままに過ごしたかったのだ。

今日は昼からいたるところで爆竹の音が聞こえた。
北京では爆竹は禁止されているはずだが、
第三環状線内が禁止区域ということも聞かれる。
うちは三環と四環の間なのでお構いなしらしい。
とにかく、めでたい日に公安も取り締まりはしないらしいので
結局はやりたい放題なのでは?
暗くなるにしたがって、次第に音が近くでも聞こえてくるようになった。

爆竹ではない音も聞かれる。
のろしか打ち上げ花火だろう。
6時ごろ、外に出てみたら遠くの方で花火が上がっていた。


数年前、西寧という内陸の都市で春節を迎えたことがある。
家々には春聯という縁起のいい文句を赤紙に書いたのが貼られ、
街では獅子舞や太鼓隊が踊ったりしてとてもにぎやかだった。

夜はホテルの隣のマンションのベランダから
こちらに向かって花火が打ち上げられ、
驚いたことを覚えている。
一つや二つなら驚きはしなかったが、
全ての部屋から打ち上げられるもんだから驚愕した。
窓ガラスを閉めて花火を見物したものだった。


北京は西寧に比べて取締りが厳しいだろうし、
うちの近くにはマンションなんてないから
そんなに期待はしてなかったのだが、
期待以上というか、
盛り上がりを期待していた自分が馬鹿だったと思うくらい
恐怖を感じるほどのすさまじさだった。

8時ごろからうちの周りの長屋でも爆竹が鳴るようになり、
9時ごろには窓のすぐ外でもバズーカ砲のような音が聞こえた。
窓ガラスががたがたと震え、重低音が突き抜ける。
ひっきりなしに爆竹の音がこだまし、
銃撃戦が始まったんじゃないかと思ってしまうくらい。
カーテン越しに閃光が瞬いていた。

それからしばらくして、ピークが過ぎたという感じになった。
といっても外では銃撃戦はまだ続いている。
が、まずはみんな春節の番組でも見てるんだなと思いひと安心。
俺は春節映画の天下無賊というDVDを観賞する事にした。

そして、11時を回った頃から第二波がやってきた。
それからの1時間は恐怖そのものだった。
めでたいなんていってられない。

振動でDVDは画像が飛んでしまいそうなので、
壊れちゃいけないと思い、パソコンを消して布団にもぐった。
爆竹の音は、パパパパパンッ!という音からゴーーーーーという
地響きのような音に変わり、
バズーカ砲はひっきりなしに打ち上げられ、
地割れするほどの振動が伝わってきた。

レンガを積み立てただけの長屋は崩れてしまいそう。
おまけに誰かが鉄製のドアをがんがんたたいている。
戦争どころか略奪が始まってしまった!
日本人がこの長屋に住んでいることがばれてしまったんだ!
家中の電気を全部消して布団にもぐりこんだ。

濁流に飲み込まれて滝つぼに投げ出されたような音だった。
爆竹って、パンパンッっていう音を楽しむもんでしょ?
何でこんなにまで鳴らす必要があるの?
もうたくさん!という感じだった。

窓のすぐそばでのろしのような音がし、
俺の木製ベッドはスピーカー内臓の重低音体感型のベッドのよう。
田舎のラブホにこんなんあったな〜。
なんて考える余裕はあったけど、
ドアがたたかれるたびに恐怖を感じた。

湾岸戦争や、イラク戦争の映像をテレビで見たことがあるが、
音だけ言うと、比べ物にならないくらいのすさまじさだった。
あともう一時間あの状態が続いていたら、
ノイローゼになっていただろう。

外に出たら、火薬の集中砲火を受けそうなので一歩も出なかった。
もう火傷はこりごり。
午前1時ごろを回る頃には幾分静かになってきた。

”北京で春節を独りで迎えるべからず”
今年一つ目の教訓である。
”お呼ばれは買ってでもされろ”
人間ひとりでは生きていけないものである。




index 






2月9日 水曜日

盛華や張生から年賀メールが届いた。
昨日とはうって変わっていつもと同じ日常だった。

朝、玄関を開けると地面には爆竹の屑が積もっていた。
なかにはダイナマイトのような筒が転がっている。
昨日のドアをたたく音はこのダイナマイトの仕業だろうか。
重低音が鉄製のドアに響いて叩く音に聞こえたのだと思う。

爆竹は悪魔を追い払うためなので、
向かいの長屋の子供が俺んちの玄関前でも投げてくれたんだろうな。
新年快楽!

夜は自分で水餃子を作って食べた。
上出来。




index 






2月16日 水曜日

朝、早く起きて玉さんに書いた手紙を家のポストに入れてきた。
香港での出来事、ハプニング、会いたいということを書いた。
家に戻る途中、玉さんから電話が。
効果ありだった。
夜一緒にご飯を食べる約束をして電話を切った。

昼はヨウエンと一緒に日本語学校の下見に行った。
北京にはたくさんの日本語学校があって、
どれがいいか俺にみて欲しいとの事。
日本に滞在経験のある先生がいる学校に決めてきた。

帰りにヨウエンのお母さんに会ってきた。
予想していたよりも気さくな、普通の母さんだった。
日本語学校の授業料をもらいに行ったのだが、
無駄ずかいをするヨウエンに説教が始まり、
親子喧嘩に発展。
喧嘩するほど仲がいいというけど、
あの二人はその類だった。

夜、玉さんと待ち合わせをして韓国料理屋へ。
結構奮発したつもり。
焼肉を食べた。
ラム、バラ、タン、イカ・・・。
焼きあがると彼女は俺の皿に肉を入れてくれた。
感激。
何を話すことでもなく、しばらく無言でひたすら肉を食った。

ビールを一気飲みして、思い切ってきいてみた。
「君はいったい誰が好きなんだ?」
彼女は少しびっくりしたようだったけど、
「喜歓ni」(あなたが好き)
と、小声で答えた。(様な気がした)
結構俺も驚いてしまって、聞き直したら
「今の彼氏が好き」
と、はっきりと答えられた。
確かに「喜歓ni」といってたような気がしたんだけどな。
ま、いっか。
まだまだこれからだ。

帰りに歩きながら、明日のデートに誘った。
こんな初々しい気持ちになるのは何年ぶりだろう。
手をつなぎたいって言う気持ち。
まだ俺にもこんな純な部分があったんだ〜。




index 






2月17日 木曜日

10時、前門で待ち合わせ。
10分ぐらい遅れて玉さんが来た。
ひとりで来るとばかり思ってたのに、
もうひとり一緒だった。
ガ〜ン・・・。
彼女の友達だった。

その友達は今年の3月から日系の会社で働くらしく、
日本語を学びたいとのこと。
かなり気が進まなかったが、
大人がこんなことでムッとしちゃいけないと思い、マックで雑談。
「いらっしゃいませ」など、簡単なのを教えた。

玉さんは彼氏と電話。
嫉妬に燃えた。
何考えてるんだ?まったく!
こんな事ごときで嫉妬しまくるなんて、
自分でも思ってもいなかった。
こんなに成長してないなんて思ってもいなかった。

盛華が田舎から帰ってきた。
豚肉と鴨の塩漬けを背負ってきた。
お袋さんが日本人に食べさせろと作ってくれたそうだ。
重かったろうに。
ありがとう!




index 





2月18日 金曜日

玉さんが俺にメールをくれた。
ここぞとばかりにうちに誘う。
別に下心があったわけではないが、
盛華は仕事に行ったし、
少し二人だけの中でおしゃべりがしたかった。

しかし、俺の中国語はこういうときに役に立たない。
日常会話の域を脱していないのだ。
退屈そうにしていた彼女は部屋にあるものを物色し始め、
チョコレートの箱を発見した。
大姐が支給品を俺にくれたものだった。
すかさず彼女は
「誰からもらったの?」
と聞いてきた。

正直に言うべきだったのに動揺してしまって、
「盛華が・・・会社の女の子からもらってきた。全部会社で食べてしまったみたいで・・・俺は食えなかった・・・ハハハ・・・」
なんて答えてしまった。

しばらくしてついに彼女は
「あ〜つまんない・・・西単にいこう」
と、ボソリ。
正直ムッと来た。
いくら年下とはいえわがまますぎるよな。

結局、うちにいたのは1時間ぐらい。
デジカメで撮った香港の写真を一緒に座ってみてたとき
一瞬いい雰囲気になったのだが、
彼女の携帯がなってぶち壊し。

西単では、俺はもっとつまんなかった。
街中を二人でぶらつくのは苦手なのだ。
ただ、歩いている時、彼女は俺に顔を近づけて話す。
歩く時は身体を寄せてくる。
なんか身体の奥から熱いものが湧き出てくる感じ。

俺っておやじだな。
おやじ根性を悟られないようにするので精一杯だった。
12も年下だと、自分がおやじに見えてくる。
見た目は若く見られるんだけど、
中身はしっかり32だもんな。




index  






2月19日 土曜日

ドカベン君と中関村をぶらついてきた。
電気街を見るわけでもなく、古びた本屋に入った。
ずらりと並んだビデオCD。
映画、カラオケから、紀行もの、ハウツーものまで何でもあった。
面白かったのが、動物の交尾シリーズ。
哺乳類から昆虫まで、ありとあらゆるものの交尾を収録したものだった。
誰が買うんだろう?
どうせだったら人間の交尾のもセットにして欲しい(笑)

「これでも買って予習しとけよ〜」
と、ドカベン君に言ったら大笑いしていた。

そのほかに女体に絵を描くハウツーもの、
夫婦円満体位365日なるものがある。
AVがない中国ではこれらのものがおかずにされているのだろうか?

しかし、AVはしっかりと流通している。

うちの近くの橋の下でおばさんがよく声をかけてくる。
「CDいらない?」
これはAVの海賊版を売っているのである。
ほとんどが日本や香港、台湾のものらしい。
一枚10元。
中年のおっさんがよく買い求めているのを見かけるが、
品質がよくないから止めとけと盛華に言われたことがある。

ネットカフェでは自由に日本のエッチサイトにつなぐことができるが、
パソコンの横には
「エッチなサイトの閲覧厳禁!通報します」
と書いてある。
スリル満点である。

日本から見れば、禁欲そのものである。
おかずになるものをたくさん作れば一人っ子政策に有効だと思うんだけどな。




index  






2月20日 日曜日

休み最終日。
だらだらと洗濯をしたり、
ネットカフェに行ったり、
本屋に行ったりして過ごした。

今年の運勢なる本を見た。
ねずみ年の俺の今年の運勢はいいらしい。
大いに発展のチャンスあり。
やった〜!
俺の性格はねずみそのものでコツコツと少しずつ金をためるのだそうだ。
したがって博打には不向き。
食うものには困らない人生だが、
金に関しては老人になってから富を築くのだそう。
できるならば、健康なうちに金持ちになりたい・・・。

言われてみれば、よく、げっ歯類の動物に似ているといわれるし、
身体も大きくない。
博打には興味がない。
金に困っても食うものには困ったことがないな・・・。
うちが農家だし。
当たってるかも。
ミッキーマウスみたいなのだといいけど、ドブちゃんにはなりたくないな。
といってもディズニーランドに興味はない。

ねずみって汚いイメージしか湧いてこないんだけど・・・。
でも、子宝だけには恵まれそうだな。
がんばろ。




index  






2月21日 月曜日

今日から授業開始。

1ヶ月間の休みはあっという間に終った。
いろんなことがあった。
様々な人間関係。
本当にいろいろあった。
休み中にやりたかった麺点の自習は手の火傷で思うようにできなかったのが残念。
でも、手のほうは、毎日薬を塗っていた効果があり、
だいぶよくなった。

授業はいつもどおり、午前は実習、午後は作り方を学んだ。
朝行くと、生徒は俺のほかに2人だけ。
結局、来たのは全部で6人だけだった。
まだみんな田舎から帰ってきてないのだろう。




index  






2月22日 火曜日

玉さんからはこのところ連絡無し。
冷静になって考えてみると、
分かるような気がする。
俺はあと2ヶ月で帰国する予定だ。
残される身になって考えてみたこともなかった。
彼女は何も言わないけど、
分かってやるべきなのかもしれない。
それと同時に自分の気持ちもぶつけるべきだ。




index  






2月23日 水曜日

玉さんと5日間会っていない。
いろいろ考えた。
半分からかわれている感じ。
もしくは、俺が年上だからわがままし放題しても何も感じないのだろう。

俺も若い頃そうだった。
年上の人といい感じになったとき、
俺もわがままして相手を困らせた。
そのわがままで相手を傷つけた。

彼女は分かってないのだろう。
でも、相手の立場になって考えるよりも、
今の自分をぶつけたい。
相手は相手、俺は俺。

離れてみるといろんなことが分かってくる。
相手の短所、長所が見えてくる。
近くにいると、身体が触れ合うことばかり考えてしまって
他の事が見えなくなってしまうが、
大切なのは相手を思いやる気持ちだ。

今の俺は本当に好きなのか分からなくなってしまった。
このまえ、一緒にいたいというメールを送ったけど、
反応無し。




index  






2月24日 木曜日

玉さんから電話があった。
こういうときに限って、携帯をロッカーに入れっぱなしにしていたので
出ることができなかった。

折り返し電話をすると、
彼女の携帯は空号(残金ゼロ)で、通じなかった。
自宅にかけてみると、不在とのこと。
この前かけたときは家の人に一方的に電話を切られたのだが、
ちゃんと「いない」と答えてくれただけよかった。

この数日間、ずっと玉さんのことを考えていた。
行動、言動・・・。
冷静になってみると、何が好きなんだか分からなくなってきた。
自分勝手だし、言いたい放題、わがまま。
幼稚なところもあるし。

最近俺は相手をコントロールしようと躍起になっている。
かけ引きは彼女の方が数段上だ。
恋愛ゲームで対戦しているような感じ。
ゲームでもいい。
勝ちたい。

なんか、自爆行為に走りそうで自分が怖い。
当たって砕けろ方式で本当に砕け散ってしまいそう。
けど、言いたい事は言うべきだ。
長く付き合いたいんだったら
失敗してでも告白すべきだ。
それで関係が壊れてしまったとしても仕方がない。




index  






2月25日 金曜日

麺点コースを卒業した。
肉丁饅頭(肉の角切りまん)、肉そぼろサンドをならった。
最後にふさわしいおいしい麺点だった。
老師、友人たち、ありがとう。

帰りに学校の近くでドカベン君と酒を飲んだ。
ビールと白酒のちゃんぽん。
ドカベン君は秀梅がまだ忘れられないようだ。
涙を浮かべながら心境を訴えてきた。
自分の境遇とダブってしまい、
ダメでもともと、告白してしまえとアドバイスした。

中国に来てから恋愛相談をよく受けるようになった。
ドカベン君、韓君、ヨウエン、管さん。
たぶん秘密を打ち明けやすいんだろうな。

4時ごろ、玉さんから電話が来た。
いつも意外な時に電話が来る。
7時にそっちに行くことを告げ、電話を切った。

そして7時。
わざと遅れることにしたのだが、
その頃にはもうそんなことを忘れるくらいの泥酔状態。
あんなに酔ったのは何年ぶりだろう。
とにかく飲みたかったのだ。
また電話が来たが、
ろれつが回らないほどになっていた。

店を出る時、玉さんに電話をしようとしたけど、
目がぐるぐる回ってボタンを押せなかった。
代わりにドカベン君に電話をかけさせた。

「切られたよ〜。」
とのドカベン君の一言に何とか急いで玉さんの元へ行くことを決心。

結局、彼女の家の近くに着いたのは8時半頃。
少しはなれたところにいたら、走って迎えに来た彼女が見えた。
なんだかんだ言って俺のことが好きなんだな。

千鳥足で玉さんに支えながら部屋へと向かった。
正直、意識ははっきりしていたので千鳥足じゃなくても歩けた。
ちょっと甘えてしまったのだが、幸せだった。

遅く来たことは咎められなく、
お互いの友達のことを話しながら暗い道を家へと向かった。
酔った勢いで何でもできるような気になったのだが、
この幸せをぶち壊したくないという気持ちだった。

ばら色の道が永遠に続くような久々の幸福感。
まさか自分からぶち壊してしまうなんて・・・。

部屋について、
牛乳を一袋もらった。
それからベッドに横になったのだが、
いきなりあったかい部屋に来たせいで酔いが回ってきた。
そして・・・ゲロ。
中身はトイレに出したんだけど、
口の中はいくらうがいしても酸っぱい味と牛乳の香りがした。

彼女はトイレがくさいと笑っていたが、
申し訳ないのと具合が悪いのとで、そのまま帰ってきた。
最悪。
ごめんなさい。
失格だ〜!






index
back
next

ホーム レシピ マイナーレシピ 裏ワザ アルバム 留学への道 ダイアリー ペ☆キング リンク