4. 山麓の町をめぐる
プレー山の山麓には、有名なサン・ピエールの町のほかにも、可愛らしい町や村が点々と散らばっていた。

マルチニーク……カリブ海と大西洋の境目、飛行機を乗り継いで丸2日がかり。場所が場所だけに、再度訪れる事はないようにも思えるが、ついつい次回はどこに滞在しようか、などと考えてしまうのもニンジョ〜なのである。


モルヌ・ルージュ Morne Rouge
プレー山の登山口。
丘の背につけられた石畳の細いメインストリートに沿って家が立ち並ぶ、高原の村。

雑貨屋、甘物屋、サッカーおやじの集うカフェ兼飲み屋、etc... 瀟洒な雰囲気と雑多な生活感が程よくミックスされた、感じの良いところだった。
村の中には宗教系私立の中等学校もあるらしく、午後にはこざっぱりした制服を着た女の子たちが狭い道に溢れ、可愛いやら危ないやら。

村の中心には、美しい尖塔を持つ小さな教会がある。地元の信仰を集めているらしく、常に人が出入りしていた。

1902年5月8日のプレー山熱雲災害の際、サン・ピエール市の牢獄に幽閉されたまま生き残った囚人のシパリスを保護していたのは、この教会の神父だった。


モルヌ・ルージュ村はプレー山頂からおよそ4〜5kmに位置し、火口から最も近い集落だが、サン・ピエール市を壊滅させた熱雲は、この村を襲わなかった。

しかし4ヶ月後の8月30日、モルヌ・ルージュ村は新たな熱雲に襲われて焼き払われる。神父はその時に亡くなった。

8月30日の熱雲災害では、モルヌ・ルージュと付近の住人およそ1000人が亡くなった。

プレー山の噴火が始まってから、山に最も近いこの村では、目の前には巨大な噴煙柱が立ちのぼり、大量の火山灰も降り注いだ。当時の付近の様子は、米国のジャーナリスト、G. ケナンの著書 "The Tragedy of Pele A Narrative of Personal Experience and Observation in Martinique" に詳しい。

その状況下で生活を成立させるのはほとんど不可能ではないかと思われるのだが、人それぞれの理由により、なかなか村を離れられない。8月の火砕流で殉職した神父は、そんな人々を見捨てられずに村に残ったのだった。


熱雲被災当時の高温で焼けたのだろうか、それとも(プレー山の方角に近い)北寄りから吹きつける湿った貿易風でコケ類がついたのか。教会の尖塔をプレー山の側から見ると、真っ黒に煤けていた。


フォン・サン・ドニ Fond Saint Denis の火山観測所

サン・ピエールから車で20分ほど、モルヌ・ルージュと谷ひとつ隔てた丘に、サン・ドニという村がある。

モルヌ・ルージュと同じ、高原の村……いや、山がちなこの島の地形では、海岸以外の町はすべてこんな調子で、急斜面にしがみつくように集落が広がっている。

ここで生きていくには、頑健な足腰と自動車は必須なのである。

サン・ドニの村外れ、プレー山を真正面に見わたす高台にモン・プレー火山観測所があった。

教授様いわく
「グスコーブドリの火山観測所!」

(宮沢賢治『グスコーブドリの伝記』をアニメ化した映画に出てくる火山観測所のデザインと、この火山観測所の外観はそっくり同じだそうな)

観測所から見たプレー山はあいにく雲の中だったが、プレー山を中心に成り立つ付近の地形がとても良く観察できる。


ひとやすみ:
モルヌ・ルージュからフォール・ド・フランスまで、山間部を抜ける絶景の国道が通っている。これはその途中の森林公園にて。

島じゅうどこでも見かけるスズメちっくなこの小鳥は、人間を全く気にせず、しばしば食卓から大胆にクロワッサンをむしって去っていく(バゲットは取らず、必ずクロワッサン)。この時も、人間よりは周囲のライバル鳥を気にしつつ、手のひらから直接パンを取って行った。


プレシュール le Precheur

サン・ピエールの北にある、説教師という名前の集落はカリブ海(正確にはアンティル海)に面した、波のおだやかな海辺の村。

フォール・ド・フランスから島の西岸を北上してきた国道は、一旦ここで途切れる。

自動車道は途切れても、徒歩で行けるハイキングコースが島の北岸をめぐっていて、東海岸の国道の北端、グラン・リビエールの町まで続いている。

ハイキングコースの途中にはビーチや滝などもあるらしく、海水浴セットやバーベキュー道具を持ったグループが盛んに通る。

また、コース沿いには製糖工場の廃虚がある。隣接する屋敷と庭園跡には、観賞用に植栽された植物がいまだに生き残っていた。


バス・ポアント Basse Pointe から
北端の町、グラン・リビエール Grand Riviere まで

バス・ポアントはサン・ピエールとはプレー山を挟んで島の反対側(東側)にある町。

常に一定方向から吹く貿易風がプレー山にぶつかって雲を作るため、マルチニーク島の北東海岸部はいつもなんとなくこんな空模様。

1902年のプレー山噴火の際、この一帯は熱雲には見舞われなかったが、土石流(ラハール)で大変な被害を出した。

左の写真は、町の中心部を流れる小さな沢 "Rivier Basse Pointe"。 G. ケナンの"The Tragedy of Pele" には、1902年当時にこの写真とほぼ同じ場所で描かれたと思われる、巨大な岩と流木で埋め尽くされた沢のスケッチが添えられている。

町を出ると、周辺にはプレー山起源の堆積物によるなだらかな地形と肥沃な土壌を生かした、広大なプランテーションが広がっている。おもな作物はバナナとサトウキビ。

プランテーションの中には古風な館が残っていたりして、18世紀あたりまで時代を遡ってしまったかのような錯覚に囚われる。

また、地形が険しく開発もされなかったような傾斜地には、豊かな熱帯雨林の植生がきれいに残っている。

島の北端、グラン・リビエールに到達。
自動車の通れる道はここで途切れ、先はハイキングコースとなってプレシュールまで続いている。


さすが行き止まりだけあって、バス・ポアントからここまでは、人口過密気味のマルチニールには珍しく、乗用車の往来が疎らである。しかしこのルートは、乗用車の代わりに土砂を山積した大型トラックが盛んに行き交う。

トラックは小さな島に似付かわしくない大陸サイズだが、例によって華麗なるおフランス走りで、見通しの悪いカーブが続く狭い道でもブイブイ飛ばす。カーブミラーなどはないので、外来者はおっかなびっくり先に進む。

……そういえば、沿道では道路補修だ護岸工事だと、やたら工事現場が目立つ。

島の北東部は、大西洋からどっぱ〜んと押し寄せる荒波のため遊泳には全く不向きで、観光産業の発展はあまり望めない。
また、フォール・ド・フランスのような「稼げる」産業の集約地まで車で数時間。


何もかもが石灰の乳白色に輝く可愛い町、グラン・リビエールは、もしかしたら公共事業で保ってるどん詰まりの町でもあった……


もいっぺんひとやすみ
サン・ピエールの町から、プレシュール方面に向かって海岸沿いの道を北上すると、サン・ピエールを出て間もなく、
道路沿い右手に採石場(?)があり、こんな崖が見られる。

この高さのうち上3段は、たった1回の「イベント」で積もったのではないか? ??

私は地質のことは知らんので、これがラハールの堆積物なのか、それとも岩屑なだれなのかは皆目見当がつかないが、いずれにしても強烈な体積感だった。

マルチニークは島じゅうこんな崖だらけである。



写真は単なる「すごい崖」だが、
専門家が見て興味深いタイプの露頭に関しては、
> 教授様のブログ

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4. 山麓の町をめぐる
5. ダイヤモンド岩と「開聞岳」
6. 趣味の植物図鑑・地味編
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