『ハイジ』に登場する、ペーターのおばあさん。貧しい生活を送る彼女のささやかな夢は、固くて噛めない黒パンではなくやわらかい白パンを食べることだった・・・
子供の頃この本を読んだとき、私の興味を強く引いたのは、おいしそうな白パンではなく、この「固くて噛めない黒パン」だった。当時、昭和50年代のチバの田舎には、どこを探したって黒パンなどというものは売っていなかったので(今もないが)、おせんべいのようなバキバキした皮に、乾いた中身の茶色いパンを想像していたものだ。何となく。
さて、時は流れてン年。スイスに行ける御身分になって、ついに知ったスイスの黒パンというのは・・・
「おせんべいではなくゴムぞうり。茶色ではなく灰色」
そういう物体であった。
「ゴムぞうり」は「おせんべい」より悪質な固さである。噛んでも噛んでも噛みきれない。歯のあまり丈夫でない筆者の父は、生まれて初めてスイスを旅行したときに、かような黒パンのサンドイッチをなんとか食いちぎろうと格闘した揚げ句、前歯を1本折ってしまった(なにせサンドイッチではちぎって食べる、と言うわけにはいかないので)。
きっとペーターのおばあさんもそうやって苦労したのだろう。
・・・と、ここまで書くとさぞかしひどいモンだろうと思われるかもしれないが、実際には灰色の中身はモチモチしていて日本人好みだし(いや、ちょっとゴムっぽいかな?)、がっちり焼かれた固い皮も噛めば噛むほど味が出てくる。その上、日本のパンにはない香ばしさがあって、うまいものである。以前誰かに「ハイジの黒パンって、パン・ド・カンパーニュみたいなものでしょ」と聞かれたが、それとはかなり違うと言っておこう。筆者の知る限り、日本に同じ食感のパンはない。あったとしても、その辺で容易に手に入るという感じではなさそうだ。
ついでなので白パンの方だが、『ハイジ』原文では Semmel (ゼンメル)となっている。これは日本で売っているフワフワした「ハイジの白パン」ふうのものではなく、しっかりと焼き色のついた、案外堅いパンだ。こちらも文句なくうまい。
関連:スイスの雑記帳・食べる!「ハイジの白パン」
「今どきの若い人は食生活が欧米風になって、柔らかい物ばかり食べている」という言い方をしばしば聞くが、実際の欧州の食生活はこのようなパンをはじめ、日本人が想像する以上に固いもので満ちみちている(米国はどうか知らないが)。
筆者の知るスイス人やドイツ人の多くは、やっぱり噛みごたえのあるしっかりしたパンが好きだ。そんな彼らが日本に住むようになると、最初に必ずヘチョヘチョ柔らかく甘ったるい日本のパンで悩まされる。どうもあの手の食感が苦手な人が多いらしい。かと言って「まともな」パンは高価で、とても毎日は食べられない。
そんなわけで、中には故郷のパンを自分で焼くようになった人もいる。このHPではパンのレシピもいくつか紹介しているが、その中のひとつは、そんな日本在住のスイス人に教わったものだ。彼は材料も日本のではイマイチと言って、スイスに帰省した時にできるだけたくさん小麦粉などを買い込むようにしているらしい。ある時などは60kgもの小麦粉をトランクに詰めて空港に持ち込み、チェックインカウンターの係員を拝み倒して無理矢理飛行機に乗せてしまったとか。しかもエコノミークラスでの話である。
「だって、日本人だってそうやって米を背負って来るよ」
確かに。
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