目次へ ホームへ
▲前のページへ ▼次のページへ
ハイジの黒パン
 『ハイジ』に登場する、ペーターのおばあさん。貧しい生活を送る彼女のささやかな夢は、固くて噛めない黒パンではなくやわらかい白パンを食べることだった・・・

 子供の頃この本を読んだとき、私の興味を強く引いたのは、おいしそうな白パンではなく、この「固くて噛めない黒パン」だった。当時、昭和50年代のチバの田舎には、どこを探したって黒パンなどというものは売っていなかったので(今もないが)、おせんべいのようなバキバキした皮に、乾いた中身の茶色いパンを想像していたものだ。何となく。

 さて、時は流れてン年。スイスに行ける御身分になって、ついに知ったスイスの黒パンというのは・・・
 「おせんべいではなくゴムぞうり。茶色ではなく灰色」
そういう物体であった。

 「ゴムぞうり」は「おせんべい」より悪質な固さである。噛んでも噛んでも噛みきれない。歯のあまり丈夫でない筆者の父は、生まれて初めてスイスを旅行したときに、かような黒パンのサンドイッチをなんとか食いちぎろうと格闘した揚げ句、前歯を1本折ってしまった(なにせサンドイッチではちぎって食べる、と言うわけにはいかないので)。

 きっとペーターのおばあさんもそうやって苦労したのだろう。

 ・・・と、ここまで書くとさぞかしひどいモンだろうと思われるかもしれないが、実際には灰色の中身はモチモチしていて日本人好みだし(いや、ちょっとゴムっぽいかな?)、がっちり焼かれた固い皮も噛めば噛むほど味が出てくる。その上、日本のパンにはない香ばしさがあって、うまいものである。以前誰かに「ハイジの黒パンって、パン・ド・カンパーニュみたいなものでしょ」と聞かれたが、それとはかなり違うと言っておこう。筆者の知る限り、日本に同じ食感のパンはない。あったとしても、その辺で容易に手に入るという感じではなさそうだ。

 ついでなので白パンの方だが、『ハイジ』原文では Semmel (ゼンメル)となっている。これは日本で売っているフワフワした「ハイジの白パン」ふうのものではなく、しっかりと焼き色のついた、案外堅いパンだ。こちらも文句なくうまい。
関連:スイスの雑記帳・食べる!「ハイジの白パン」

 「今どきの若い人は食生活が欧米風になって、柔らかい物ばかり食べている」という言い方をしばしば聞くが、実際の欧州の食生活はこのようなパンをはじめ、日本人が想像する以上に固いもので満ちみちている(米国はどうか知らないが)。

 筆者の知るスイス人やドイツ人の多くは、やっぱり噛みごたえのあるしっかりしたパンが好きだ。そんな彼らが日本に住むようになると、最初に必ずヘチョヘチョ柔らかく甘ったるい日本のパンで悩まされる。どうもあの手の食感が苦手な人が多いらしい。かと言って「まともな」パンは高価で、とても毎日は食べられない。

 そんなわけで、中には故郷のパンを自分で焼くようになった人もいる。このHPではパンのレシピもいくつか紹介しているが、その中のひとつは、そんな日本在住のスイス人に教わったものだ。彼は材料も日本のではイマイチと言って、スイスに帰省した時にできるだけたくさん小麦粉などを買い込むようにしているらしい。ある時などは60kgもの小麦粉をトランクに詰めて空港に持ち込み、チェックインカウンターの係員を拝み倒して無理矢理飛行機に乗せてしまったとか。しかもエコノミークラスでの話である。

「だって、日本人だってそうやって米を背負って来るよ」

 確かに。

スイスの典型的なパンのレシピはこちら

Buerli ビューリ…小型の農家パン
家庭パン
Zopf ツォプフ…日曜日のパン

ハイジもクリスマスに食べたに違いない、
グラウビュンデン州の名物甘パン
Birnenbrot ビルネンブロット…梨のパン


ハイジの黒パン、これが真実?
 ツェルマットのご近所、南西スイス・下ヴァリス(フランス語圏)出身の老婦人に聞いたのだが、昔、具体的には1940〜50年代くらいまで、彼女の出身地あたりの山奥の家庭ではだいたい年に数回(普通は2回くらい)しかパンを焼かなかったそうだ。しかも彼女の村の場合、パン焼き用の窯は村の共有物で、家ごとに決められた日があり、その時に一家が消費する分のパンを一気に焼き上げ、貯蔵庫に保存しておいたのだという。

 乾燥した気候の下、パンは貯蔵しているうちに当然石のように固くなり、ナイフの刃が立たなくなってしまう。そのため、あらかじめ一定の厚さに切ってから倉にいれたそうだが、そのままだと食べるのが非常に大変だったそうだ。また、貧しかった時代には、パンを固くすることには食べる量を減らすという目的もあったらしい。究極まで石化したパンは、水や牛乳に浸して別の形に料理された。
(もっとも、老婦人が生まれたころのスイスは既に豊かになりつつあったので、パンの貯蔵は単なる伝統的習慣として行われていたらしい)

 『ハイジ』の舞台はヴァリスではなく東スイスのグラウビュンデンだが、山村ならどこもだいたい同じようなものだろうとのことだった。ちなみにマイエンフェルトのあるスイス・オーストリア国境のライン川の峡谷地帯はその昔、スイスで最も貧しいとされていた地域のひとつだったそうだ。



その後・・・ハイジの黒パン、これが事実
 その後、ハイジの舞台・グラウビュンデン州や、ザンクト・ガレン州、グラールス州など、マイエンフェルト近辺出身のいろいろな人たちに話を聞く機会があったので、ざっとまとめてみよう。

 最初に誰もが口を揃えて言うには、先ほどの話で登場した下ヴァリスの山奥は、文句なくスイスの最極貧地帯(もちろん昔の話)で、いくらなんでもそれと一緒にされては……とのこと。そう言われてみればハイジの時代のマイエンフェルトは、既に他の地方よりひと足早く鉄道も通っていたし、何よりあそこはワインができるものな
※注ヴァリスのパン貯蔵の習慣は、スイスの中でもかなり変わったものに分類されるそうで、スイスではよく知られているだそうだ。

 グラウビュンデンの場合、ある程度人数のいる家庭であればパン焼き窯は家の中に備えており、大体1週間〜10日に1回のペースでパンを焼いたという。半年に1回よりはずっとマシだが、数日たてばパンは堅くなるから、やっぱり堅いパンばかり食べていたには違いない。

 ハイジの故郷の典型的な食卓イメージ……堅い黒パン、またはジャガイモや干し栗で作ったマカロニと焼いたチーズ。これらの合間に、鉢にたっぷり盛られたりんごのピュレー(Apfelmus)を匙ですくう……。秋に大量に収穫できるりんご、あるいはプルーンは様々な形で保存され、不足しがちな野菜のかわりに食卓にのぼった。

 これらを現代風にアレンジした料理、たとえばマカロニのチーズ焼きとりんごピュレーのセットなどは、いわゆるハイジ地帯あたりの山小屋レストランでは軽食メニューとしてしばしば扱っているので、「干し肉」ビュントナーフライシュと一緒に試してみるのも良いだろう。

※注:マイエンフェルト産のワイン(マイエンフェルダー)
白・ロゼが中心。辛口もあるが、これに関しては甘い口当たりのタイプがなかなか良い。筆者は甘い酒が苦手なのだが、それでもイケると思った。当然のことながら女性におすすめ。味にアタリハズレがあるのが難なので、ある程度上等なレストランで置いていたときに試した方がいい。お土産にもどうぞ。
マイエンフェルトのご近所のマランスのワイン(マランサー)も当地では有名。こちらは辛口がいい。
『ハイジ』原文では「黒パン」は "haltes, schwarzes Brot" ……堅くて、黒いパン。

ハイジの黒パンは、要するにライ麦パンか?という質問をよく頂くが、少し違う、とお答えしておこう。原文にも「ライ麦パン Roggenbrot」とは決して書かれていない。

貧しい山岳地帯では、そもそも単一の材料でパンを焼くことそのものが贅沢。精製度の低い小麦粉のほか、大麦、燕麦、ライ麦、時には雑穀や栗、ジャガイモなど、その時々で入手できるものがパンになる。
そんな材料で作った生地は、発酵させてもそれほど膨らまず、焼き上がりもガッチリと堅くなる

写真は今ふうに贅沢になったスイスの田舎パン。材料は半白の小麦粉と燕麦だった。ハイジならぬウルスリのグアルダ村にて

こちらは「ハイジの干し肉」ビュントナーフライシュ(赤身のほう)。ハイジの舞台・グラウビュンデン州の名物生ハムである。
牛肉を香辛料やハーブと一緒に塩水に漬け込み、乾燥・熟成させて作る。スイスに行ったらぜひお試しを
スイスのパンはまずいという「伝説」があるが、そんなことはない。麦の味のするおいしいパンだ。日本のパンだったら、あれが主食になるなんて絶対考えられないが、これなら全く飽きずに毎日食べられる。
ときに、
意外に思えるかもしれないが、ドイツ語圏スイスの場合、3食ともパンを食べる家庭は珍しく、昔から昼食や夕食にはコメやパスタ類を摂ることが多かったそうだ。特に近年はコメが人気で、消費がどんどん増えている
(mk)
こちらはおやつ用の甘いパン。スイスの甘パンは大抵それほど甘ったるくないので、ぜひ一度トライしてみるといいだろう(もちろんハズレもあるが)。

筆者のおすすめは写真中央のうずまき型「シュネッケ」。ヘーゼルナッツやドライフルーツで出来た「あんこ」をパン生地で巻いてある。フンワリした外観のものより、一見固そうに見えるみっちりした焼き上がりの方が絶対美味(実際には固くないからご安心を)。
写真の店はちょっと不合格かも。

日本では黒パンは酸っぱいものというイメージがあるが、スイスの黒パンに酸味はほとんどない。そのかわり、自然酵母を使う店や家庭のパンは、その家独特の複雑な酵母の香りがする。
皮の部分は必ず醤油せんべいのような香ばしい匂い、そして中身はフルーツのような香り、酒のような香り、藁の香りなどさまざま。中には納豆の香りのするパンもあった(案外おいしい)。

写真中央より少し上の、雑巾を絞ったような形の黒パンに注目。これはドイツ語圏スイスでよく見られるパンで(名前を忘れてしまった)、例によってゴムぞうり系の堅い皮と、しっとり粘りのある餠のような中身が特徴。パン屋にもよるかと思うが、スイスパンの特徴でもある長い1次発酵のため、なんとも言えぬうま味があり、あまりにも美味!
パンがお好きで歯の丈夫な方はぜひ一度トライしてみよう。

グラウビュンデン州の古民家。壁からドーム状に張りだしているのがパン焼き窯。現在ではこれが残っている家はめっきり減ってしまったそうだ。写真はミュスタイア谷・リュにて。

上の写真のようなスグラフィットが施された民家は、ハイジというよりはウルスリとフルリーナの故郷のもの。ハイジ地帯はどちらかと言うとザンクト・ガレンの文化圏に属し、民家の形もグラウビュンデンのタイプとはかなり違う。当然パン窯もこれと違った形態だと思われるわけで、どなたか興味のある方は調べてみて下さい。ぜひリンクをはりましょう!

パンが贅沢品だった時代
 近世以前のスイス山間部。当時は日本のコメと同じように、パンも完全なるぜいたく品である。では何を食べていたかというと、よく知られているオート麦などのほかに、アワ(Hirse ヒルセ)が多く食べられていたそうだ。また、ソバ(Buchweizen ブーフヴァイツェン)をパスタのようにして食べていた地域もある。

 18世紀末くらいにジャガイモが本格導入されてからは、ジャガイモがそれらに取って代わり、雑穀類の消費は一気に減った。

 また、イタリア語やロマンシュ語圏の一部では、乾燥したクリを粉にひいたものを小麦粉の代用としてパンやパスタに用いていた地域がある。ブレガリアの谷などはそれで有名だ。

 西洋人にとって、パンはいわゆる「ハレ」の食べ物のようだ。麦の収穫が困難でも、あるいは他においしい炭水化物があっても、彼らはやっぱりパンという形態にこだわる。スイスだったら、昔から上等とされてきたのはやっぱり小麦の白パン。そして庶民の食べ物・黒パン。

 一口に黒パンと言っても、日本人が想像するような小麦粉+ライ麦粉のパンだけではない。粉はもちろん捨てるところのない全粒粉。貧しい時代は、そこに挽き割りの雑穀を混ぜる、潰したゆでジャガイモを生地に練り込む、上で紹介したように栗や木の実の粉を混ぜる、ときにはその辺の植物を混ぜるなど、とにもかくにもパンの嵩を増やしてお腹と気分を充たすためにいろいろな工夫がされた。要するに日本の昔とまったく同じである。

 そしてこれまた日本と同様、以前は貧しさの象徴のようだったこの種のパンは、今では健康食として大変人気がある。たとえばジャガイモのパンはミグロあたりでも買えるが、むっちりとしてなかなか美味、事前に知っていなければジャガイモが入っているとはちょっと想像もできないものだ。しかし、昔の「本当の」ジャガイモのパンはもっと水増し的にベターッとしたもので、時にはジャガイモが変に発酵し、何だか怪しい臭いもしたと言う。粗食・素食も結局いま風に口当たりよくアレンジされているのである。

今では何やらぜいたく品の趣がある栗のニョッキ。昔はもっと貧しげな姿をした食べ物だったのだろう。
写真はソーリオにて(mk)
▼前のページへ
▼次のページへ
目次へ
ホームへ
さんざんパンのうんちくを書き散らしてきたが、実は筆者、三食米飯主義者なのである。この場でおおいに主張したい。

日本人ならコメを食え、千葉県人なら「ふさおとめ」

(そういや最近「初星」ってどうしちゃったんだろ?)