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ソーリオからスタンパ ランク★
ソーリオ(標高1097m)〜カッチオール(933m)〜コルトゥーラ(999m)〜スタンパ(994m)
地図:スイス国土地理院地形図1:25,000 VAL BREGAGLIA (Blatt 1276)
コース概況:
 所要時間は1時間半〜2時間程度。コースは一部、木の根がゴツゴツ張り出してやや歩きにくい急な下り斜面があるが、あとはきれいに整地・または舗装されており、危険な箇所はない。歩きやすいウォーキングシューズを履けば、誰でも楽しめるようになっている。

 ウォーキングそのものはたいした時間もかからないが、これにプラスして、美しい山村・ソーリオを散策する時間を充分に取りたい。お弁当持参でない方は、昼食もソーリオで取ることをおすすめする。また、終点のスタンパ村は、スイスが生んだ世界的彫刻家で、日本でも非常にファンの多いアルベルト・ジャコメッティの生地。村の小さな博物館には、彼と、やはり造形家として名を知られている、ジャコメッテイ一族の他の人々の作品も合わせたコレクションがある。所有する作品の点数はそれほど多くはないが、内容は意外に充実しており、かなり楽しめる。こちらもぜひ合わせて見学しておきたいところ。日の長い夏はともかく、秋であればこのコースだけで丸々1日と見ていいだろう。

地域図はこちら

 マロヤ Maloja(あるいはサン・モリッツ)から キアヴェンナ Chiavenna かカスタセーニャ Castasegna 行き郵便バスで40〜50分、プロモントーニョ Promontogno 下車、ソーリオ Soglio 行きのバスに乗り換えて15分ほどで、今日の最初の訪問地・ソーリオに到着する。

 新田次郎のエッセイでも知られるこの村は、スイス人にとっても「スイスの中のスイス」として愛されている。一般にアルプス南面はスパーンと切れ落ちた断崖絶壁のような急斜面が多いが、そんな斜面の中腹の、テラス状の狭い平地にびっしりと肩を寄せ合って小さな石造りの家々が佇む様子は、まさしく「隠れ里」という言葉がぴったりだ。スイスの山奥の古民家でよく見られるスレート(鉄平石)葺きの屋根も、これだけ集まると印象的である。村の上手には旧領主サリス家の大きな館があり、現在も一族が館をホテルとして維持している。筆者はここには泊まったことはないが、いかにも旧家の人らしいおっとりとしたマダムの姿が印象に残っている。

 村をひとまわりしたら、適当な道を選んで裏山の斜面を少し登って行ってみよう。高いところから見下ろすと、ソーリオの村の個性的なたたずまいが一望できる。天気が良ければ深い谷の向こうに、スイス・イタリア国境のシオーラ山塊の山々が連なり、しばしボーッと眺めていたいところである。

 ところで、ここソーリオは「栗の村」としても知られている。プロモントーニョからソーリオに上がるクネクネ道を走るバスから外を見れば、周囲の急斜面はほとんど全て栗畑だ。この栗は、昔から山村の食糧として重要なものだったそうで、往年の利用方法を聞くと、主食を補うものとして、ちょうど日本の栃の実と同じような扱いをされている。

 ただし、日本の栃の実の場合は自生のものを採集するか、あるいはそれに近い利用のされ方だったが、こちらの栗は計画的に栽培されてきたものだという。しかも、栗畑の維持には、しばしば奴隷労働に例えられたような辛い作業を、年間を通して連綿と続けなければならなかったそうだ。今でもソーリオの栗畑はまるで庭園のように手入れが行き届いている。

 現在では「ソーリオの栗」は自然な食事の象徴としてもてはやされており、秋にここを訪れると、村に何軒かあるレストランではとびきり美味しい栗の料理が食べられる。生地に栗を練り込んだニョッキなどパスタ類は絶対おすすめの逸品。他に栗の粉を練り込んだ重たいパンや甘パン、栗をソースに使った肉料理などもある。また、いわゆる「モンブラン」ケーキのことをスイスではバーミセリ vermicelli と呼び、秋になるとあちこちのレストランやカフェで供されるようになる。日本のそれよりも香りが良く、大変おいしいものなので試してみてはいかがだろうか。
(しかし残念ながら筆者は、ここソーリオでは美味しいバーミセリにはめぐり会えなかった)
バーミセリを日本へのおみやげにするには

 さて、村を満喫したらいよいよ歩き出そう。サリス家のホテルのある通りを東に向かって(すなわち郵便局のある通りを山側に歩き、突き当たった道を右に曲がる)しばらく歩くと村は終わり、明るい草地の中に入っていく。ここから振り返るソーリオの村も美しい。このへんは草刈りの道や出作小屋へ行く道が交錯しているが、黄色い登山標識で「Caccior カッチオール」または「Stampa スタンパ」を探し、そちらへ向かう。

 草地を抜けると道は明るい広葉樹の疎林に入るが、村を出て15分ほどで再び崖の上の草地に出る。ここからはもう村は見えないが、谷側の眺めがよい。この草地が終わるとしばらく視界の効かない樹林の歩きになるので、充分景色を楽しもう。

 樫の大木やモミの仲間の針葉樹で構成された樹林の中に入っていくと、木の根がゴツゴツ張り出したような、歩きにくい急なつづら折りの箇所が時折出てくる。それほど長い区間ではないが、滑ったりつまづいたりしやすいので充分気をつけよう。ところで、このあたりの樹林にはしばしば、一瞬ウ○コかと勘違いするようなすばらしい色つやの、たまげるほど長い松ぼっくりが落ちている。その昔はじめてこれを見た瞬間(と言うより踏んづけた瞬間)、「やっちまった〜!」と目の前が真っ暗になったのを思い出す。それはさておき、この松ぼっくりを踏んで滑り、転倒する人を何度も見かけたことがあるので、ぜひ気をつけよう。

 道が平坦になってくると次第に樹林はまばらになり、小さな沢にかかった橋を渡れば、農家が数軒立ち並んだだけの、小さなカッチオールの集落に着く。ここからは先は舗装道路。周囲は広い牧草地になり、緩やかなダラダラ登りの坂は、夏だとアスファルトの照り返しもあってかなり暑い。この次のコルトゥーラ Coltura の集落までは1kmプラス少々くらいなので、良い景色でも見物しながら少々辛抱しよう。

 コルトゥーラの集落の手前で、右に曲がって谷底の国道に降りる道もあるが、ここは無視してまっすぐ集落の中に入っていこう。さっきのカッチオールよりはいくぶん大きな集落だ。泉の水が冷たくておいしい。ここからはもう終点のスタンパが見えている。コルトゥーラの村を通り抜け、緩やかな坂を10分ほど下り、最後にメラ川にかかった趣のある石橋を渡ればゴール。

 さて、スタンパ村のバス停のすぐ近くに、キェーサ(チェーザ)・グランダ Ciaesa Granda という旧領主の館があり、現在は小さな博物館になっている。ここでは村の自然や民俗にまつわる収蔵品を置いているほかに、この村が生んだ世界的芸術家、アルベルト・ジャコメッティ(1901〜66)をはじめとする、ジャコメッティ家が輩出してきた造形家たちの小さなコレクションが見られる。展示内容は時期によってバラツキがある可能性があるが、なかなか充実しているので、ぜひとも見学したいものだ。

 実は筆者、ジャコメッティというのは長らく「1人」だと思っていた。それにしても、例の独特の、不要なものを極限まで削ぎ取ったようなストイックな作風の彫刻群に対し、絵画はあまりにも強烈な色彩が画面を支配し、ずいぶん違ってしまうものだなあ、と考えていたものだ。ところがここに来て初めて、ジャコメッティ一族はこれまでにアルベルトを含めて5人、造形で御飯食ってる人間を輩出していることを知った。筆者はこれでもM美の出身である。トホホ。

 ちなみに、彫刻で名高いのがもちろんアルベルト、ギラギラした絵画がその父ジョヴァンニ。更に、どのガイドブックを見ても「ジャコメッティ作」となっているチューリヒのフラウミュンスター(一部)とグロスミュンスターのステンドグラスは、調べてみたら従兄のアウグストの作であった。
(日本でなんの前置きもなしに「ジャコメッティ」と言ったら、普通はアルベルトと思うだろう……)

 ところで、アルベルト・ジャコメッティの非常に印象深い顔立ちは、すぐに記憶に浮かんでくる方も多いのではないか。異様な感じがするくらい彫りの深い、翳りのある細い顔で、まさしく彼の彫刻のフォルムそのものだ。ところが博物館の資料で見ると、あの強烈な印象の顔立ちはアルベルトだけでなく、ジャコメッティ一族皆に共通していたものだった。親族だから当たり前だと言えばそれまでだが……

 このあまりにも個性的な顔立ちは、スイス人に言わせると典型的なグラウビュンデン人の顔(「御覧なさいあなた。皆なんて暗い顔をしているのでしょう!」)ということになるらしい。言われてみて気がついたが、確かにグラウビュンデンの山村の住人にはこのタイプの容貌の持ち主が非常に多い。やはり造形は環境から生み出されるものだという思いを新たにした。

 さて、博物館の見学は終わっただろうか?スタンパからはマロヤ、あるいはキアヴェンナ方面に向けて郵便バスがある。行きに乗ったものと同じ路線だ。

メランコリックな秋のソーリオ。プロモントーニョからバスに乗らず、色づいた栗林の中を歩いて登ってきてもいい

   

一転してこちらは夏。村を後に、まずは明るい草むらの中の道を進む

     

樹林の中のつづら折り。エンガディンあたりに多い、密に生えた針葉樹林に較べると、ちょっと峠を越えただけでこんなに風景は変わってしまう

    

問題のウ○コ風松ぼっくり。この写真を見た瞬間ギョッとなさった方も多いのでは?一見間抜けな外観だが、非常に堅いので、これを踏むとちょうど足の下でコロの役割をしてしまい、歩き慣れていない人は転倒することがある。充分に御注意を

     

カッチオールから先はこんな道になる。写真右下の物体は筆者の叔父。このように、見るからに運動不足の御仁でも楽しく歩けるコースだ(…けど、相当バテているようにも見える)

    

この橋を渡れば終点のスタンパ村

    

スタンパの集落の中。規模こそ小さいが、こちらもまたそれなりに趣のある村だ

    

再びソーリオの秋に戻る。うっすらと冠雪したピッツ・バディーレ(3305m)やピッツ・チェンガロ(3369m)などシオーラ山塊の山々