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中華への道!ダイアリー

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2005年6月






6月1日 日曜日


流行している青空社交ダンス


やっぱり、朝は早く起きてしまう。
5時に起き、公園まで散歩。
近くの老肉餅という食堂で朝食をとり、市場へ。
まるで退職した老人の生活パターンである。

ここの卸市場は、体育館ぐらいの大きさの建物が4つあり、
それぞれ肉棟、野菜棟、果物棟、衣類・雑貨棟に分かれている。
値段は安いけど、買いだめしても腐らすだけなので買い物をしたことはあまり無い。
調理師試験の材料を買いに来た時ぐらいかな。

野菜の種類は豊富で初めて見るものもあるし、
肉は、牛、豚、鶏、羊、犬、兎など、様々なものが置いてある。
魚やすっぽんは生きたままなので、
動物園や水族館に行くよりも楽しい。

帰りは玲瓏塔公園に寄って、胡弓や笛の青空演奏を聴いたり、
社交ダンスを見物して帰ってきた。
ここのダンスは月会費が5元(70円)、一回のみの参加は5角(7円)らしい。

朝早くから中年夫婦たちが、音楽にあわせて思いのままに踊っている。
レベルはピンからキリまでだが、
彼らの服装を見ると、力の入れようが伝わってくる。

その中の一組で、ひと際目立っている夫婦がいた。
60ぐらいの痩せたおばさんは、
白いレースが付いているようなブラウスに、
ピンクのヒダヒダのロングスカートをはいているのだ。

趣味ではないが、怖いもの見たさでついつい見てしまう。
アップテンポの曲でもないのに、その夫婦は広場をくるくると回り、
仕舞いにはおばさん自体が回り始めた。

嫌な予感がしたが、遠心力でスカートが開いてきた…。
ギャラリーを意識してか、おばさんの回転は絶好調!
やがてスカートは地面と平行に花開き、中身全開!
オバチャン大満足!

…朝っぱらからちょっと気分が悪くなりました。
でも、思いのままに楽しんで踊っている姿を見ると、
こっちまで踊りたくなってくるほど楽しい。

午前中は写真を編集しながら、厨房のみんなを思い出した。
いつか、飯を食いに行こう。

午後は自転車で西単まで行ってきた。
疲れた。
少し歩くと疲れる。
仕事しないと返って疲れるな。


西単商場にあった10元のニセモノカード入れ
130円也。ありえない・・・。
※もちろんすぐに破けました





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6月6日 月曜日


快晴の北京

ここ最近日記を書いていなかった。
自転車で北京を走り回ったりして探検した。
10分も走れば、見慣れない街に到着。
自分の行動範囲の狭さを改めて思い知った。

ここ一ヶ月は暑さが特に厳しくなってきた。
この前は近くの野外プールに盛華といってきたんだけど、
水が汚いのなんの…。
ほとんど抹茶浴といった感じで、
自分の足も見えないくらい。
塩素のにおいもしないし、ちょっと不安だったが、
思いっきり泳ぎまくった。
きれいなおねえさんもいたし、気持ちよかった〜。

帰りによく見てみると、プールと川の間には大きな水車があった。
きっとそれでプールに水を汲み上げているんだろう。
深刻な水不足の北京で、野外プールに水道水を使うはず無いもんな。

夏バテだ〜。
この暑さ、耐えられない。
朝から25度以上だもんな。
部屋にクーラーは付いているんだけど、使うと電圧が落ちてしまう。
ひどい時は、近所全体が停電に。

夏真っ盛りである。
夏はかわいい子とでも一緒に海に行きたいな〜。
ま、帰国前にすることはたくさんある。
海はお預けだ。
まずは麺点の復習をして、他の調理学校の調査もしていこう。

なんか全く帰国する感じがしない。なぜだろう。


長屋の門から見た玲龍塔






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6月8日 水曜日

昨日、自転車で西単に行ってきた帰り、いつもと違う道を通ってきたら、
ビルの建設ラッシュ地帯に遭遇した。
道路も歩道も植木もビルも全てが新品。
バブルだな〜。

そして、外から帰ってきたとたんに、
ビー玉ぐらいの大粒の雹がすごい勢いで降ってきた。
隕石の襲来かと思うくらいの凄まじさ。
危機一髪だった。
あれに当たったら、確実に禿が出来るだろう。

今日も雨。
雨季のせいか、最近続くな〜。

今日は南三環路にある全国規模の調理学校を見学してきた。
北京では一番大きな学校らしい。
南の郊外にあるので、家からは1時間以上かかったのだが、
初めての土地に足を踏み入れるのはワクワクした。

幹線道路から奥まったところに学校があったので、
何度も店の人などに道を聞いてやっとたどり着いた。

思ったよりもマンモス学校ではなく、古びたような感じの建物だったが、
俺の母校よりも10倍は大きい規模だった。
敷地内に、食堂、宿舎も備えられている。

受付に行くと、きれいな小姐が説明してくれた。
俺のへんてこな中国語に吹き出す彼女。
あくまでも上品に。
最後まで俺が日本人とは思っていないようだった。

授業参観は出来ないとの事で、
彼女が校内をくまなく案内してくれた。

倉庫のような感じの校舎は廊下に面した壁が全てガラスばりになっていて、
教室全体が見渡せるようになっている。
各教室にはたくさんの生徒が講義を聞いていた。

1年制(プロ養成コース)のクラス(50人)が4クラス。
その他にも半年コースや、四川、広東などの短期コースがあり、
どのクラスも1クラス20〜50人はいた。
常時、300〜400人の生徒が学んでいるらしい。

刀工クラスを見に行くと、
外の屋根付き倉庫みたいなところで200人ぐらいが練習に励んでいた。
ガスコンロも100口あり、
教室の数も多いし、
生徒も多いしで、びっくりした。

ただ、少人数制でないところが残念。
マンモス校ならでわの設備の充実が特徴だけど、
ガスが100口あっても指導する人員が少なければしょうも無いよな。

そこの所を小姐にきいてみたら、
老師もかなりいるから大丈夫との事。
刀工クラスには3〜4人ぐらいの老師しか見当たらなかったが…。

まあ、そこを除けば学費もそんなに高くはないし、
結構良い学校なのかも。
帰り際、
「外国人でも入学できるか?」
と、小姐に聞いたら、
「うちは海外の学校と交流があるので、これまでにもたくさんの留学生を受け入れました。」
と、自信たっぷりに言われた。

まあ、自分的には合格点だが、大規模校のやなところは融通が利かないところである。
これから調理留学をしたいと思ってる人には最適なところだろう。

学校を出たあと、近くに巨大なDIYのデパートがあったので寄ってみた。
大工道具から、家具、照明まであらゆるものが揃っていた。
日本では数千円するものが数百円で売ってあり、
日本に持って帰りたかった〜。
水洗洋式便器が3000円!。
洋式バスタブが3万円。
木製ドアが4000円などなど。
輸入したいよ。ホント。
まあ、品質は謎だけど。

今日から高校受験が始まったらしい。
うちの近くの高校にも人だかりが出来ていた。
新聞を見ると、
高校に近いホテルの客室は満室らしい。
数ヶ月前から住み込んでいる受験生もいて、
親の熱の入れようが伺える。

まるで、ゆとり教育が始まる前の日本みたい。
今のこの状態も異常だと思うけど、
ゆとり教育なんてものも異常だよな。
教育は国の柱である。
日本も中国も知識=教育になってしまってるんだな。





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6月9日 木曜日

午前中、水餃子を作った。
歯ごたえのある皮にしたかったので、
小麦粉に澱粉を入れて作ってみたが、
生地がねっとりして作りづらく、モチモチ感もあまり無かった。
次は分量を変えてためしてみよう。

午後は久しぶりに学校へ行ってきた。
といっても友人たちは皆卒業してしまい、
学校の中は知らない生徒ばかり。
ハン君も昨日卒業してしまって、
今日は面接に行ったらしい。

「仕事したいんだったら探してやるぞ〜!」
王老師は仕事を俺に紹介したい様子。
早速、平果園(北京の西郊外)にある天外天という
チェーン店での仕事を紹介してくれた。
月給400元。

正直迷った。
しかし、また皿洗いからはじめても、
ビザの期限が近づいている。
しかも、平果園だと、家からは通えない。

王老師、いろいろありがとう!




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6月10日 金曜日

今日はヨウエンの家の近くにある調理学校に行ってきた。
この前行ってきた学校と比べると規模は小さいが、
唐人が小規模校だとしたら、ここは中規模校である。

受付を入るとオバチャンが1人。
質問するたびにめんどくさそうに答えてくる。
ここの学校は学費も安いし、コースの数はどこにも負けないのでは?
プロ養成コースから始まり、
初中級コース、
麺点コース、
北京ダックコース、
ラーメンコース、
餃子コース、
などなど、全部で77のコースがあるようだ。
質はどうかは分からないが。

その中に焼き物コースがあり、
北京ダック、チャーシューなど、9種の焼き物料理が学べて1300元。
10日間で1万5千円は安いだろう。
唐人でも北京ダックのみで1100元なのだから。
しかも、唐人の北京ダックの老師は訛りがきつくて聞き取れないから、
ここで焼き物を学んでいこう。

まずは月曜日に初中級コースの授業参観をすることにした。
いくら安い授業料でも、
学校の内容をよく調べておかないといけない。

帰り、公主墳で服を買って帰ってきた。
BALENOという香港か台湾系の店に
スターウォーズTシャツが1枚19元(250円)で売ってあったので、
2枚買ってきた。
土産にしよう。
中国語が分かる友人にはDVDを土産に、
その他は財布や腕時計。
工芸品はあまり喜ばれたためしがない。
北海道の木彫りの熊と同じで、置く場所に困るもんな。

最近は土産物を買いまくっている。
さすがにとことん値切るようになったので、
西単デパートの売り場の姉ちゃんに顔を覚えられてしまった。

「あんた、来たことあるでしょう?」
「う、うん、覚えてた?」
…客の顔を覚えてるなんて、気があるのだろうか?フフッ。
「覚えてるわよ〜。あの、財布の中の金を全部出しても足りなかった人でしょ?アハハ!」
「…。」

そう、この前の買い物の時、とことん値切っていざ買おうとした時に、
小銭を全部足しても5元足りなくて、再度5元値切ったのだ。
それにしても、そんなことは早く忘れろよ〜。
そんな彼女は帰り際に、
「つぎ来ても安くしてあげないからね〜!バイバイ!」
と、ぬかしやがった。
絶対また来てとことん値切ってやる〜!




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6月10日 金曜日

平果園まで自転車で行って来た。
地下鉄1号線の西終点駅にもかかわらず、
そんなににぎやかな土地ではなかった。
むしろ自然が比較的多くて、住むには絶好の場所かもしれない。
実際、あちらこちらでマンションの建設が始まっていた。

地下鉄の駅まで自転車で2時間。
地下鉄を乗り継いだとしても1時間以上はかかるだろう。
王老師が紹介してくれた天外天というレストランは見つからなかったが、
家から通うのは到底無理そうだ。

また新しいレストランで働いても、
皿洗いを経験して帰国。
という結果になるだろうから、
残された時間を食べ歩きに費やすことにした。




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6月13日 月曜日

調理学校の授業参観に行ってきた。
午前は老師の調理を見た後、
実習、刀工。
午後は理論の授業と、唐人とほとんど同じカリキュラムだ。

設備は唐人よりも若干整っているけど、
老師の質は唐人の方が上かも。
午前は煮三絲(豆腐皮、ハムの千切りとカイワレのスープ煮)、
水煮肉(ピリ辛肉鍋)を習ってきた。

初中級コースの授業は50点ぐらいだったが、
焼き物の授業はここで受けることに決めた。
授業料を両替するために西単へ。

なぜかここ数日、疲れがたまっているらしくて、
吐き気がするほど眠くなってくる。
バスの中で熟睡して学校へ戻り、登録を済ませた。

1300元。
高い!
けど最後の勉強だ。
金に糸目はつけない。

家に帰る途中、スコールが降ってきた。
ここ一週間、毎日のように雨が降っている。
水不足の北京にとっては恵みの雨だろうが、
気分的に嫌になってくる。
洗濯物は酸っぱくなるしね。

家について、ベットで横になっていると、
「ピヨッピヨッ…」
と、小鳥の鳴き声。
向かいの家の子供たちが飼い始めたひよこが、
台所の野菜を食いに来たのだ。

しょうがないからいつも白菜を一枚、玄関の外に置いてやると、
夕方にはもうなくなっている。
今日は米も少し撒いてやったら、
雀が速攻で降りてきた。
どこで見てたんだろうか。


夜、盛華と航天橋のレストランに行って来た。
ホルモンの炒め物、
丸鶏ときのこのスープ、
キュウリときくらげの炒め物、
川海老とにらの炒め物を食べた。

うまかったが、高級レストランにしてはサービスがいまいち。
呼んでも来ないし、
料理も遅い。
文句を言いながら食べていたら、
笑っちゃうことに、服務員がお客様アンケートをとりに来た。

笑顔で「今日は行き届かない点がありまして申し訳ありません。忙しいもので。アンケートお願いします。ウフッ!」とのこと。
忙しい?ほとんど客もいないのに?

まずは盛華が吠えた。
「忙しいって!?客が呼んでるのにテーブル拭きと片付けがそんなに大事か?」
そこまで言わなくてもと思ったが、これが盛華の性格だ。

かわいいウエイトレスだったので、
俺は何も言わなかったが、
アンケート用紙にはしっかりと不満を書いてあげたら、
彼女の笑顔がサッと消えた。

フッ。甘いな、お嬢さん。




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6月14日 火曜日


下ごしらえを終えたチャーシューと鶏の丸焼き

焼き物の授業が始まった。
場所はうちからバスで1時間以上かかるオリンピック村近くの分校だ。
場所はすぐに分かったが、これじゃ、遠すぎる。

薄暗いビルの4階のフロアーが分校になっていて、
麺点と短期コースの授業が行われているようだ。

ロビーで待っていると、老師が登場。
意外にも俺より若い老師だったので不安にもなったが、
教え方は落ち着いていて、結構なれているようだった。
技術面もばっちり。
何より普通語を話すので助かった。

今日の授業の内容は、
チャーシューと、発酵豆腐を使った鶏の丸焼き。

チャーシューは日本のと違って、
した味をつけてから炭火で焼く。
楊老師から以前習ったチャーシューと、
どんな違いがあるのかが楽しみだ。

鶏の方は発酵豆腐を使っているので
独特な味になりそう。
今日は下味をつけて、干しておくところまでをやった。
焼くのは明日だ。
今からよだれが出るほど試食がたのしみ。


帰り、バスを途中で降りて、地安門近くのジャージャン麺店に行って来た。
結構有名なレストランなので、一度味わってみたかったのだ。

コシのある手打ち麺とタレ、
5〜6種類の野菜の千切りが一緒に出てきた。
これで10元と、普通の2倍以上の値段だが、
ボリュームは結構あった。

肝心の味のほうだが、
ん〜、いまいちと言ったところ。
麺はシコシコしておいしいのだが、
タレがショッパイだけでテンメンジャンのうまみがあまり無かった。
タレに関して言えば、学校近くの食堂のほうが断然うまい。
これが有名店のジャージャン麺とはがっかりした。
盛岡のじゃじゃ麺が一番うまい。

食べている時に、今日もスコールとヒョウが降ってきた。
この天気、どうなってんの?
まともに外にいたら怪我してしまう。




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6月15日 水曜日

今日は9時からの授業だった。
早めに着いたので、近くのマックでコーヒーを飲んでくつろいでいた。
やっぱり朝のコーヒーは最高!
なんて思いながら学校へ。

ところが歩いても歩いても学校に着かない。
昨日見たことのある風景なのだが、
どういうわけか校舎は見えてこなかった。

勘違いして、3つ前のバス停で降りてしまったらしい。
朝の3キロマラソンは結構きつかった〜。
10分遅れて学校到着。

老師と助手の金太郎が待っていた。
今日はチャーシューと丸鶏を焼く日だ。
まずは炭をおこして大きな鉄製のかまどに入れる。

昨日の内に漬けておいたチャーシューは鉄の棒にさして、
かまどの中に吊り下げ、
鶏の方も同じく中に吊り下げる。
一日干していたので、皮がすでにダックのようにパリパリになっていた。

15分毎に向きを変えて、チャーシューには麦芽糖を塗り塗りしながら
焼き目をつけて行く。
これがミソだ。
甘みや照り、パリパリ感が出てくる。

そして待つこと数十分。
出てきたチャーシューと丸鶏はテカテカと黄金色に光っていて、
肉汁が滴り落ちていた。

食べやすい大きさに切って、
待ちに待った試食タイム!
うまい!の一言。

チャーシューは照り焼といった感じで、
しつこい甘さも無く、柔らかくておいしかった。
鶏は皮がパリパリ、肉がしっとりといった感じで、
上出来。
発酵豆腐の独特な風味は気になったけど、
肉のうまみが出ていた。


焼きあがったチャーシュー バーベキューのような感じがした

2時間みっちりと授業を受け、午後はフリーになったので、
帰り道に食べ歩きをすることにした。

北京の食べ歩きの本に載っていた「上海小吃店」を探したが、
地図に乗ってる場所はすでにマンション建設現場と化していた。
本は去年出版されたばかりなのに当てにならない。
北京の変化の速さを身をもって感じた。

仕方なく、オリンピック村の近く「宏状元粥店」に行って来た。
名前の通り、粥専門店なのだが、
ここでは氷粥という冷たい粥も売っている。
夏バテした時にはぴったりだ。
しかも薬膳的な効能があるらしい。

飯時はとっくに過ぎたというのに、
店の中は満席状態で、
みんなお粥や、魚の揚げ煮などを食べていた。
この魚も名物らしい。

メニューを開くとたくさんのお粥。
迷った挙句、水果氷粥(フルーツ冷粥)、サトイモ粥、泡菜を頼んだ。
水果氷粥は、ほのかに南国フルーツの香りがして、
米というよりも、トロミの付いた冷たいジュースを飲んでる感じだった。
甘さも控えめで、何杯でもいける味。
効能は食欲不振、熱取りだそうだ。

サトイモは甘くて口に合わず。

粥は一碗5元からという高めの設定だが、
混む理由がよくわかった。
味が良い!
フルーツ粥なんて、意外なうまさだったな〜。
また行ってみよう。


うちの近くの橋の取り壊しが始まり、
2キロぐらいの間に3つの橋の建設が一斉に始まった。
川辺の木は全て移され、原っぱになってしまったが、
来年当たり道路が出来るらしい。
ということは、
俺が今住んでる長屋は道路か歩道になってしまうということだ。
悲しい。

玲瓏塔公園の木も移植工事が始まった。
オリンピックに向けて、北京改造が着々と進んでいる。


この狭い橋も取り壊され、来年には幹線道路が通る予定




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6月16日 木曜日

授業は休みだったので、日本に送る荷物をまとめて建国門郵便局へ行って来た。
北京に来た時よりも荷物が10倍ぐらいに膨れ上がり、送るのも一苦労。
服、本、調理用具、お土産…。
汗だくになって、バスや地下鉄を乗り継いで郵便局へ到着。
17キロで330元ほどだった。

まだ送る荷物はある。
あと何回この郵便局を往復しなければならないのか…。

ついでに国貿方面へ。
目的はもちろん食べ歩き。
たくさんの高層ビルを通り抜けて、
「現代城」というオフィスビルへ。

1〜2階には吉野家や上島コーヒー、日系ラーメン店などのレストランが
ぎっしりと入っていた。
お目当ては「不見不散」という、広東レストランなのだが、
引っ越してしまったあとらしく、見当たらなかった。

それにしても巨大なビルだった。
そんなに高くは無いが、横に広いというか。
10年後、果たして「現代城」と名乗れるかどうかは謎だが…。

「不見不散」というレストランの評判はいろいろだが、
若者に受けているレストランということで、
絶対に食べてみたかった。

王府井に支店があるらしいので、
そちらの方へ向かう。

こじんまりとした洋風レストランを想像していたんだけど、
それとは全く違う雰囲気の店にびっくりした。
なんか、スターバックスを広くしたような感じの店内。
ソファーがおいてあり、
カウンターでは飲み物が作られている。

肉末炒飯、手羽先揚げ、タルト、鴛鴦茶を頼んだ。
炒飯はタイ米で、漬物、インゲン、卵などが入ったあっさり味。
2人前はあったかな。
手羽先はXO醤で味付けしてあり、皮がパリパリで最高の味。
タルトはケンタッキーのやつよりも油っこくなくておいしかった。
茶はコーヒー+紅茶+ミルクの変わった味。
でも、これって結構いけるかもな。

これだけ食って50元(約700円)。
旅行者にとっては激安だが、
俺にとっては結構な出費だったな。
でも、満足した。

店内も清潔そのもので、
カウンターで飲み物を作るのを見れるのが暇つぶしになった。
調理場も開放すべきだよな。

帰り道、お決まりのマックソフト(2元)を食べてくる。
マックの前を通るごとに一個は食べる。
濃厚なミルクの味がなんともいえない。
やめられないんだよな〜。




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6月17日 金曜日


北京ダック

9時から授業。
1時間半かけて三環路を自転車をこいで学校へとたどり着いた。
数年前と比べて自転車の数はだいぶ減ったとはいえ、
ラッシュ時は結構命がけだった。

市の中心部はバイクの進入禁止(空気汚染のため)となっているので、
危険性は少ないが、
その代わりに電動自転車やエンジンつき自転車、リヤカー自転車など、
様々な車のオンパレードで、結構怖い。

以前、原動機付きベッドを見たことがある。
屋根付きベットが道路を走っているのである(目がテン)。
もちろん運転手は布団に入ったままだ。
ありとあらゆる車が走っている。

しかも、歩行者優先どころか自動車優先の世界。
右折自動車が目の前を減速もせずに横切って行ったり、
自転車専用道路を走って行ったりと危険がいっぱいだ。

かと思っていると、車道を猛スピードで走っている自転車もいる。
交差点では自転車同士が接触して、
口げんかをしているところを目撃することもしばしば。

暑さと冷や汗で汗だくになりながらの登校だった。

今日の授業では待ちに待った北京ダックを作った。
大き目のダックが2羽、教室の作業台に横たわっていた。

中国ではダックはそんなに高級食材ではない。
一羽20〜30元ぐらいだろうか。
一般的なレストランでは1000円(80元)以下で北京ダックを食べられる。
(安くて半身300円)
したがって、北京ダックを喜んで食べるのは外地の人だけらしい。

1人で感激している俺を尻目に、
老師は淡々とダックのさばき方を教えてくれた。

まずはきれいに水洗いをして、
首に切り目を入れて食道、気管を切る。
切り目から空気入れのパイプを胸元まで入れて、
空気を入れる。

ここまでは唐人で習った"鶏の丸焼き北京ダック風"での作業と一緒だったので、
とりあえずは出来た。
問題はわきの下から手を入れて内臓を取り出す作業だった。

老師は軽々と一気に全ての内臓を取り出せたのだが、
俺の北京ダックは中で内臓がぐちゃぐちゃになり、
最悪の状態。
血にまみれた腸やレバーがぐしゃぐしゃになって出てきて、
交通事故にでも遭ったかのような散々な状態になってしまった。

きれいに腹の中を洗ってから中に棒を立てて潰れないようにしてから、
熱湯をまんべんなくかける。(皮を収縮させる)
そのあと、水と麦芽糖を混ぜた皮水と呼ばれる液をまんべんなくかけて、
乾燥させる。
これでパリパリとした皮が出来上がるのだ。
午前の作業はここまでで、何とか老師のダックと同じ状態に保てた。
合格点だろう。

午後は4時からということだったので、
自転車をこいで、粥専門店へと向かった。

杏仁氷粥、牛肉粥、昆布の和え物を注文。
氷粥はこの時期に最適な料理だ。
病気になったときだけ食べるなんてもったいない。
牛肉粥もうまかったが、
香港で食べた海鮮粥のほうが、濃厚な味がしてよかったな。

腹5分目ぐらいにしておいて、
今度は人民劇場近くの聚徳華天という店に向かった。
ここは麺点の老師が勧めてくれた食堂で、
北京の伝統的な小吃(軽食)がずらりと並んでいる。

客はみんな胡麻のそばがきのようなものを食べていたが、
揚げドーナツと、杏仁豆腐を頼んだ。
ドーナツの方は唐人でも習ったことのある大好物で、
ミスドのフレンチクルーラーに似た味がする。
一皿にテニスボール大のが5個ものっていたが、
意外とあっさりしていてぺロッと完食。

杏仁豆腐は素朴な味で、
あんみつに入っているゼリーのような感じ。
甘みはかなり抑えてあって、杏仁そのものの味がした。
汁まで完食。

他には冷麺、涼麺、揚げ物などなど、
20種類以上の点心があったので、好きな人にはたまらない店だ。
有名人も結構来ているようで、
あの、自殺した張国栄の写真もあった。

満腹状態で学校へ戻る。
午後はいよいよ焼き方だ。
ダックは扇風機の風でカラカラに乾いていた。

腹の中に水を入れて、いよいよ釜の中へ。
ここまではほぼ100%うまくいっていたのだが、
この後思いも寄らないハプニングが…。

首に鉄具をかけていたのだが、
カマに運ぶ途中に大事なダックを落としてしまったのだ。
せっかく空気を入れて膨らましたダックはペシャンコに。
老師は
「糟了!糟了!」(最悪!)
と、繰り返すのみ。

まだひとつ完全なダックがあるから大丈夫だよなんて思っていたが、
俺が落としたのは老師のダックだった…。
ごめんね…。

老師はそんなにねちっこく言う人じゃなかったので、
気を取り直して、2羽のダックを釜の中へ。
15分毎に向きを変えるたびに、
ダックは黄金色に焼きあがっていった。

焼きあがる間に、鴨餅とタレ、葱、キュウリをスタンバイ。

1時間後、北京ダックが出来上がった。
落としてしまったダックはペシャンコになっていて、
かわいそうになってきたが、
色はすこぶるよかった。
テカテカに輝く黄金色。


焼きあがった北京ダック

老師が慣れた手つきでダックの皮をスライスしていった。
俺もスライスしたけど、
パリパリと音を立て、切り口から肉汁が「ジュワー」と出てきて、
もうタマラン状態。
よだれもジュワジュワと出てきた。

そして待ちに待った試食タイム。
鴨餅にスライスしたダック、白髪葱、キュウリ、特製テンメンジャンをのせて、
包んで食べた。

鴨餅のモチモチした食感に、パリパリとした濃厚なダックがよく合う。
油っこいのだが、キュウリのさわやかさがそれを中和してくれ、
葱がなんともいえない風味を添えてくれている。
テンメンジャンは塩、砂糖などを調合したあとに蒸してあるので、
柔らかい味がして最高だった。

北京ダックレシピ


究極の手作り北京ダック

ちょうど夕食時だったので、
もう、むさぼりつくしかなかった。
老師と金太郎はひとつだけ食べて、
あとは、俺がおいしそうに食べるのを楽しそうに見学していた。

前に、北京ダックの老舗で食べた時は
2〜3個食べてもうたくさんという感じだったけど、
今回のは何個でもいけた。

他の老師や、事務の人たちもやってきて試食。
「おいしいか?」
「うん、おいちい!」
「たくさんたべなよ。」
本当にうまいものは人を無防備にさせる。

遠慮なく食べた。
何個食ってもうまい!
肉の方も柔らかくジューシーで、一緒に包んで食べた。
結局、気づいた時は厨房に俺1人。

うまいものは人を幸せにする。
事実、俺は幸せな時を過ごせた。

残った炭に茶葉やヒノキの葉を加えて、
鴨とばら肉をつるしてきた。
明日、どんな燻製になっているのかが楽しみだ。

家に帰ってきてから、
盛華と夕飯を食べに出かけた。
彼は俺がもうじき帰国するので、
北京独特の料理をご馳走してくれる。

今日は何食食ったのだろう…。
夏バテしているとは言え、やせないのはこのせいだ。

家の近くの通りには食堂が軒を連ねているのだが、
野外にテラスを設けてビアガーデン風になっている。
中には歩道にテーブルと椅子を置いている食堂もあるので、
通り全体がビアガーデン状態だ。

兎の頭の煮込みが売りの店に入り、
ひとつずつ注文した。
こぶし大の鶏がらのような物が皿の上にゴロンとのっているのを、
ビニール手袋をはめて手に取り、
口の部分をガバッと開けて食う。
前歯が無ければ頭とは分からないくらい煮込んであるので、
柔らかくておいしかった。

脳みそはかなり小さく、
「兎ってアホなんだな〜。」
なんて冗談を言いながら、ありがたくいただいた。
ちょっと生臭みがあるが、まったりとした濃厚な味。

肉は牛肉と鶏肉を足して2で割ったような味で、
ピリ辛の味付けがビールに合う味だった。

夢中になってむさぼりついてると、
ビー玉ぐらいの丸いものがコロコロと転がっていったが、
無視。
目玉はさすがに遠慮した。

頭を食べ終わって、まったりしていると、
張さんと楊老師から電話が来た。
帰国する前に一緒に飲もうとのこと。
二つ返事でOKした。

この通りのT字路には、
最近「Rockin'Sushi」というレストランがオープンした。
前はおしゃれな火鍋屋が入っていた建物だが、
客の入りが悪くて潰れたらしい。

風水上、位置が悪いせいか、このすし屋も繁盛していないみたい。
きっと日本人が経営してるんだろうけど、
ここら辺で高い寿司を食べる中国人はいないだろうな。
香港のような日本食ブームが北京に来るのはいつの日か。

何はともあれ、外で飲むビールは最高!
盛華とは毎日顔を合わせているので、
別段話すこともあまり無いが、
気を使って話すことも必要ないので心地良い。




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6月18日 土曜日


琵琶鴨と焼鵞

数日前、大姐から電話があり、
北京ダックのレストランを見学しに行こうという誘いがあった。
老板にはすでに話をつけてきたらしい。
日曜日の夜に行こうということで承諾。

昼、涼麺を自分で作って食べた。
まかないで作った味と同じく、上出来。

授業では、昨日いぶしておいた鴨とばら肉の仕上げの作業に入った。
茶色に染まった肉を一回蒸してから油で揚げた。

燻製は日本でキャンプをしたときなどに作ったことがある。
唐人でも、鉄なべを使った燻製を習ったことがあった。
どちらもすごくまずかった経験があるので
今度の燻製もあまり期待はしていなかったが、
出来上がったラーロウ(ばら肉)を切ると、中から肉汁がジュワー。
思わず一口食べてみた。

「うまい!」
手作りベーコンといった感じか。
しかし、ベーコンよりも肉のうまみがしっかりと出ていて、
肉がモチモチしている。


ラーロウを持つ金太郎

鴨の方は脂が落ちてしまい、パサついてしまったが、
味のほうはまずまず。

試食タイムが終わり、
今度は次の料理の作業に取り掛かった。
琵琶鴨と焼我鳥(我へんに鳥)だ。

琵琶鴨は、琵琶の形に焼き上げるもので、
開いてから針金を入れて整形する。
焼(我鳥)はガチョウの腹の中に香料や調味料を入れて北京ダックのように焼くものだ。

今日から新しい生徒が入ってきた。
気さくなやつなのだが、俺が日本人だと知るとちょっと緊張してしまった様子。
「この鴨、ケツ穴デカイな〜。チンチン付いてないぞ、女の子か?」
と冗談を飛ばしたら、笑ってくれた。
「ケツ穴」は、最近覚えた単語である。

それはそれでよかったのだが、
あろう事に金太郎が「ケツアナ」という日本語を覚えてしまった。
中国語では「屁眼!(ケツアナ野郎)」という罵り言葉があるので、
面白がってしゃべっていた。
また変なものを教えてしまった…。

ま、罵り言葉やエッチ言葉を覚えるのが語学学習の第一歩だし、いいか。

学校の帰り、地安門の東にある白魁老号で海老ガータを食べてきた。
サイコロ状に切った生地と海老、野菜を醤油味で炒めたという、
北京の郷土料理だ。

生地のモチモチ感がなかなか良く、
醤油の香ばしさが食欲をそそった。
ただ、海老が極小な上、固かったのが難点だった。

この店は老字号と呼ばれえる北京の老舗食堂だが、
ビール1本10元というのはいただけなかった。
サービスは、老舗という名前の上に胡坐をかいているようなかんじで、
店員はやる気がなさそう。
もう行かないだろう。
老舗でなくてもおいしいところはたくさんある。

夜はミス&ミスタースミスというDVDを見た。
映画って本当に良いですね。


海老が見えない老舗の海老ガータ 




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6月19日 日曜日



朝、いつものように暑苦しさで目覚めた。
身体は汗でメタメタ。
でも幸せを感じる。
まだ眠れるというゆとり。
この幸せ、いつまでも噛み締めていたい。

1ヶ月ぐらい前から向かいの子供たちが飼っているひよこが
だいぶ大きくなってきた。
ピンク色のトサカも出来ている。

同じ長屋に住んでいる子供は全部で4人。
向かいの10歳ぐらいの女の子と、
4歳ぐらいの男の子。

軒先で会うと、「叔叔!(おじさん)」と挨拶してくれる。
最初のうちはおじさんと呼ばれることに抵抗があり、
「お兄さんと呼びなさい」
と、優しく教えてやったことがあったが、
単なる習慣の違いらしい。

お姉さんのほうはしっかりとしていて、
たまにお母さんの帰りが遅い時は外の台所でご飯を作っている。
したの男の子はここ最近、部屋に遊びに来ることもしばしばだ。
鼻たれ小僧という感じで、5厘刈りの頭の後ろには短い辮髪が付いていてかわいい。
お菓子を上げると喜んで食べていくのだが、
最近は駄菓子は食べずにチョコレート菓子だけ食べていく。

後は、長屋の入口に住んでいる家族の姉妹。
2人とも幼稚園生ぐらいの小さい子だが、
挨拶はしっかりとしてくれる。
子供たちの中国語は俺にとってとても聞きやすく、
また、勉強にもなるので楽しく付き合っている。

ここの長屋には4家族が住んでいて、
付き合いのあるのは向かいの家族だけであるが、
とても居心地がよい。
昭和の世界にタイムスリップしたような新鮮さもあり、
マンションなんかよりも魅力のあるところだ。

きょうは、午後からの授業だった。
最寄の西釣魚台という停留所でバスを待っていたのだが、
待てど待てど850路のバスはやってこなく、
40分ぐらいしてやっとギュウギュウ詰めのに乗ることが出来た。

これで遅刻は免れた〜。
と、ほっとしたのもつかの間、
2駅ぐらい走ったところでタイヤがパンクしてしまい、降ろされてしまった。
今までにもこういうことはあったが、返金されることもなく、
停留所もないところに降ろされるのが常だ。
他の乗客も黙ってバスを降りるしかない。
幸い10分ぐらいしてから次のバスが拾ってくれたので助かったが。

10分遅刻して学校に到着し、
すぐに授業が始まった。

昨日乾かしておいた鴨をかまどに入れて焼き、
焼きあがるまでに、ベランダでおしゃべりをして過ごした。
「おっ、美女が歩いてきたぞ!」
「どれどれ…。ありゃだめだ、スレてる。」
「あっ、あの子のほうがよっぽど良いよ」
「お〜!いいね〜!」
どこの国も話すことは一緒である。

「日本人の女の子ってかわいいよな〜。」
「会ったことあるの?」
「無いけど、山口百恵とか、浜崎あゆみとかさ〜、みんな美人でしょ?」
山口百恵は赤いシリーズのおかげでいまだに有名である。
「ブスもゲスもいっぱいだよ。」
と、思いっきり夢を壊すようなことを言ってしまったが、
信じていない様子だった。

中国人は男女共にスタイルがよい。
もちろん例外は大いにあるが、
モデルのような体型をした"磨けば光る原石系”がたくさんいる。
磨き終わったダイヤよりも、原石を見て未来を想像するのは楽しいものだ。

話は授業に戻って、
カマから出てきた鴨はあめ色のテカテカこんがりきつね色。
味のほうは北京ダックの方が好きだけど、
様々な香料を使った焼我鳥も、なかなかだった。

授業が終って、
雷のなる中、俺が働いていたレストランへ行き、
北京ダックの店に見学に行く前に大姐とご飯を食べた。

久々に会うみんなは暑さと忙しさのせいか、
ちょっと痩せたようだった。
「よう!スケベ男!」
「久しぶり!好色兄貴!」
「最近何してた?」
「俺はまじめだから毎日勉強していた。」
「この人は本当に頑張り屋だから、あんたたちも見習いなさいよ!」
と、大姐。
冗談で言ったつもりだったのに、ちょっと場のムードがしらけた。

涼麺、ホルモン炒め、昆布の涼菜を注文して、
大姐とおしゃべりをしながら食事をした。
「おいしい?」
「おいしいですよ。厨房にいた時は食べられなかったから余計。」
「ふ〜ん。」
「でも、このホルモン炒め、にんにくがすごい量だな。眠れないかも。」
「ホント多いわね。きっと、肉をケチったのよ。」
確かにホルモンをケチったのかなというにんにくの量だったので、
帰りに李亮に言っておこうと思った。
すると大姐が…。

「服務員〜!!(服務員の紅梅登場)このホルモン炒め、にんにくが多すぎるのよ。ケチったんでしょ?これじゃあ、ホルモン炒めじゃなくてにんにく炒めよ。ホホホホ〜!!」
けなすような言い方に、紅梅はムッとして去っていった。
大姐にはついていけない。
まずはみんなの元気な姿を見ることが出来てよかった。

レストランを出たあと、近くの北京ダック店へ。
店内に入ると、そこの老板は快く見学をOKしてくれたのだが、
調理長がなかなか承諾してくれなかった。
渋りに渋ったあげく、明日の9時にこいとの事。

まあ、そう簡単に調理場を見せてくれる所はないだろうな。
まずは復習のつもりで明日の朝行ってみよう。




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6月20日 月曜日


おいしくなる前の子豚ちゃんとワンレイ

9時に北京ダックの店へ。
大姐と一緒に店内に入ると調理長は不在で、
代理の人に11時に来いといわれた。
断りたいのが見え見えだったので、もう行かないことに。
大姐はカンカン。
「ここの店って、昔は結構はやっていたけど今はダメみたいよ。味が落ちたみたい。」
味が落ちた店のダックは学びたくもないや。

ハン君が"便宜坊”という北京でも有名なダックの店に就職したので、
見学したい時は頼めばいつでも出来るし、
今日のところは諦めた。

午前中は家に帰り、
日記の整理(ノートに書きためた日記をパソコンに打ち直している)をし、
昼過ぎから西単に行って両替をしてきた。
今月に入ってすでに5万円分の人民元を使ってしまった。
いつもは月に3万円ちょっとで済むのだけれど、
食べ歩きや、お土産を買っているので支出が大幅に増えてしまった。

4時から授業。
学校の厨房に入ると、ボウルの中に何かが入っていた。
最初は何なのか分からなかったが、
よく見ると、それは「子豚」だった。
そう、今日作る料理は子豚の丸焼き(火考(火へん)乳猪)なのだ。

生後一ヶ月も経たない子豚を、
鼻の先からケツまで開いて、U字型のフォークで刺して焼くのだ。
今日は時間が無かったので、軽く炙るところまでを習った。

新しく入ってきた生徒はほとんどひっきりなしに良くしゃべる。
正直、俺は拒否反応を起こしてしまい、無視することもしばしば。
根は良いやつなんだけど。

「日本ってどのくらいの大きさだ?」
「確か中国の1/23ぐらいだと思った。」
「フンッ…。」
「フンッってなに?中国よりも狭いけど、人口も少ないから。」

彼は鼻で笑っていたけど、
多分、ギュウギュウ詰めのいかだに乗ってる日本人でも思い浮かべたのだろうか。
大きいことは良いことだ的な考えなのだろう。

学校の帰り、彼はアイスをおごってくれた。
「謝々!」
と言って、アイスを受け取ると、
「何言ってるんだよ!」
と、怒鳴られた。
お礼は遠慮ととられ、遠慮は友人関係を拒否する行為なのだ。
大姐にも同じ事を言われたことがあったから、これは中国の習慣だ。

今度は道端でメロンを売っている出店に近づいていき、
「メロン安いから来いよ〜!俺も昨日ここで買ったけど甘かったよ。」
そして、買うと言ってもないのに、
色や形の良いものを選んで俺に手渡す。
おせっかい好きなのだ。

これが中国式。
悪意があるわけでもなく、
別にこっちも気を使う必要はない。

メロンは買わなかった。


メロン屋さん




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6月21日 火曜日


食べるのを躊躇してしまう表情である

今日は授業の最終日だった。
10日間の予定だったが、1日に2日分の授業を受けた日もあったので、
20時間のカリキュラムは今日で終了したというわけだ。

最後の料理は豚の丸焼きである。
昨日、少し焼いて乾燥させておいたものを再度釜に入れた。
だんだんと黄金色に輝いてくる豚を見て、一同よだれ垂れ流し状態。
専用のかまどがないために、北京ダックの釜で代用したが、
焼き上がりが遅いということで、炭の上であぶって焼いた。

およそ一時間の焼き時間の間、
老師、金太郎、生徒のワンレイ君とおしゃべりをして過ごした。
今日の議題は「ののしり言葉」。
俺の最後のリクエストである。

汚い言葉は時に人間関係を壊す原因になるものだが、
中国人同士はしょっちゅうこのような言葉を使ってコミュニケーションをとっている。
俺の場合は中国語のレベルも低いし、
笑顔でののしった場合は結構受ける。
礼儀正しい中国語を話すよりも早く溶け込めるのだ。
もちろん相手や状況によりけりだが。

今日は「ニュービー!」と「シャービー!」を教えてもらった。
どちらも「アホ!」という意味らしいが、
状況によってはファックユーのような強烈な意味にもなるし、
ニュービーは「すごい!」の意味にもなるようだ。

「ワーセー!」と「カオ!」は驚いた時に使う。
「マジ!?」に近い意味だろうか。
いずれにしても、この4つの罵り言葉は若者言葉で、
辞書には載っていなく、
使い方によっていろんな意味に変化するのが特徴だ。

正しい使い方をしてこそ、プラスの働きをしてくれるのが罵り言葉。
面白がって多用しないほうが身のためだな。

1時間して、やっと子豚が焼きあがった。
「熱かったんだろうな〜。ほら、子豚が怒ってるぞ。」
といったら、ワンレイ君は「ワーセー!」と、喜んでいた。

パリパリに焼けた皮を切り取って皿に盛った。
「これがあの(火考)乳猪か〜!」
日本で食べたら数万円は取られるだろうな…。
と考えると感激せずに入られなかった。

あめ色の皮は肉というよりも飴のようにパリパリしてるだけで、
味というものはなかったが、
香港で食べた乳猪飯よりはいけた。
きっと、ふかひれと一緒で食感を楽しむ料理なのだろう。

うまかったのは肉の方。
さすが子豚と言うだけあって、とにかく柔らかくジューシーで、
塩だけで満足できるうまさだった。

子豚の丸焼きレシピ

1週間の焼き物教室はこれで終った。
短い間だったけど、予想以上にたくさんのことを学ぶことも出来たし、
作ることも、食べることもできた。
第一、ここで習ったモノを店で食べるって言ったら1300元じゃすまないだろうし、
その上作り方を学べるんだから、
本当に大満足だ。

授業が終ったあと、ロビーでみんなで記念撮影をした。
黄老師、金太郎、ワンレイ君、ありがとう。
みんなと握手をして学校をあとにした。

帰り、ワンレイにアイスをおごった。
「良いよ俺がおごるから」
という彼に対し、半ば強引にアイスを渡したら、
「謝謝・・・」
と一言。
あれ〜?謝謝と言わないのが中国の習慣じゃなかった?

ワンレイがお別れに飯を食おうといってきたので、
近くの食堂でショウロンポーやビーフンを肴にビールで乾杯。
酔っ払ったままネットカフェに行き、
喜劇映画を一緒に見て周りも考えずに大笑いして帰ってきた。
(周りの人たちも結構騒がしいので浮くことは無い)

後は帰国するのみだ。


左からワンレイ、金太郎、老師、俺 楽しい人たちでした




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6月23日 木曜日


リューリーチャンで買った刺繍画

西単の航空センターでチケットを予約してきた。
来月の4日、9時40分、北京発成田行き。
北京に来てから10ヶ月、
出来るならまだいたいという気分だけど、
今が帰り時だ。
延ばし延ばしにするのはよくない。

チケット予約をした後、
南に30分歩いてリューリーチャンへ。
工芸品や美術品を売っているこの通りはあまりにも有名な観光地だが、
今日初めてそこを訪れた。

山東にいた時は水墨画などの工芸品をまとめ買いしたものだが、
ここは外国人が多く来るところで、値段も高く、
水墨画に関してはあまり良いものも無かった。

通りを2回往復して、刺繍画に狙いをつけて値切りに入った。
380元が100元に。
もっと安くはなると思ったが、
あまりに綺麗なシルク刺繍だったので額つきでこの値で決めてきた。

そのあとは歩いて前門へ
観光客が入り込まないような細い通りを伝っていくと、
生活の匂いを存分に感じることが出来る。
胡同と呼ばれる昔からある住宅地が続いていた。

道端で日向ぼっこをしている老人、
玩具で遊んでる子供。
ご飯を作ってるおばさん。

このようなところがマンションやビルに変わっていくということは残念なことだ。
外国人のエゴだろうか。
現地の人たちにとっては、
開発は止むを得ない、または開発歓迎の意見がほとんどだと思うが、
あの住宅地が10〜20年後に貴重な観光資源になることは確かだ。

日本の無機質なマンションもいづれは観光資源になるのだろうか…。

前門は相変わらずにぎやかだった。
5mほどの幅しかない通りにたくさんの店が連なっている。
よく、北京の浅草と呼ばれるが、
以前は北京一の繁華街だったところで、
伝統的というよりも、レトロな雰囲気がするところが好きだ。

たまに日本の団体客が列を成してここに観光に来るのを何度か目撃した事があるが、
きっと、カモにされているのだろうな。
ここで売っているブランド品は全てニセモノ。
しかも高い値段を吹っかけてくる。
百均で売っているような財布やカバンにロゴをつけて売っている様なものだ。
見た目は立派だが、
使ってみて初めて粗悪品だと分かる様な品だ。
それをわかって値切らないと大損をこくしかない。

俺は買い物をする時、前門か万通、西単に行くのだが、
この3箇所は値段と質のバランスが取れていると思う。
友人に言わせれば、もっと安いところがあるというが、
普通の市場には日本人の気を引くような商品は売ってないのが残念。
しかもそこでもとことん値段交渉をしないと大損をしてしまう。

考えてみると、いくら俺が値切って希望値で買ったとしても、
結局は粗悪品だったということがしょっちゅうある(使えるには使えるのだが)。
商売人に勝とうとするよりも、
彼らの口に騙されず、自分で物を見る目を養うことが大切だ。

まあ、今日は前門で買い物はせずに食べ歩きをしてきた。
ここには北京で一番古い精進料理の店があるということで、
前々から目をつけていたレストランがあるのだ。

店の名前は「功徳林素食館」。
結構綺麗なところで値段もそれなりに高かったが、
精進料理初体験の俺はわくわくしながらメニューを頼んだ。

「何がおいしいですか?」
と服務員に聞くと、
「フフッ。全部おいしいですよ」
と、ありきたりな答えが返ってきた。

変な人だな〜なんて思ってるだろうけど、
この会話で服務員のサービスが向上することもあるので、
初めてのレストランの時の決まり文句だ。

とりあえず、海老炒めと、魚香肉絲をオーダーする。
そしたら、
「言っておきますが、うちの料理は肉などは一切使っておりませんから。あなたがオーダーした料理には海老も肉も入っていません。」
と念を押された。
クレームをつける客がいるためだろう。

ちょっとしつこいような感じがしたが、
どんな素材を使って本物そっくりに作るのかが楽しみだった。

まずは海老の炒め物が出てきた。
見た目はどう見ても海老じゃなく、
マッシュルームをスライスしたものに衣を付けてあげたものだった。

なぜかほんのりと海老の香りがして、マッシュルームはプリプリとした歯ざわり。
けどやっぱりマッシュルームの唐揚だった。

魚香肉絲は生麩の千切りを四川風のタレで甘辛く炒めたものだった。
タレはそれなりにうまかったが、
かまぼこの炒め物を食べてるような感じ。

二つの精進料理を食べてみて気付いたことは、
もとの料理とはまったく別の料理だということ。
まねてはいるけど、似てもいないという、困ってしまう料理だ。
下手なモノマネのような感じ。

また、ヘルシーなイメージがあるが、
ダイエットには不向きである。
どちらの料理も油こってりで、食べ終わった後には油が皿の上にたまっていた。

食べてる途中、
外から店内をのぞいているホームレスがいた。
金髪の女の子が帰っていくと店の中に入ってきて、
彼女たちが残していった料理を持参したお碗に入れていた。

服務員たちは嫌な顔をしていたが、
容認しているらしい。
食べられるものを捨ててしまうよりはずっと良いが、
食欲が減退してしまうのも確かだ。

といいつつ、ご飯をおかわりして注文した料理もぺろりと平らげてきた。
精進料理にはまた挑戦してみよう。
もっと驚くようなおいしくヘルシーな中華があるのかも知れない。




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6月24日 金曜日

つい先日の新聞(環球時報)のトップに小泉さんの写真がデカデカと載ってあった。
何事か?
また靖国か?
それとも教科書問題?
と思ったら日韓首脳会談のことについてだった。

この人の写真を載せることでこの新聞の売上はかなり伸びたであろう。
注目度は良いも悪いもナンバー1である。
お題は「首脳会談成果なし」。
内容は日本のネットニュースとほぼ同じか、もっと冷ややかな内容だった。

中国の新聞には、日本に関する記事が載ってない日は無いと言うくらいに
日本に対する関心は高い。
歴史的な問題だけではなく、
経済や文化、習慣などなど様々である。
何だかんだいって、日中の絆は今も昔もかなり深いのである。

記事のひとつにドイツの新聞の切抜きがあった。
お題は「今は日本が中国を羨ましいと思っている」。
以前は逆だったという前提があっての記事だが、
そのひとつにエンジニアの数、質が取り上げられていた。
日本の技術者が中国や海外に流出していき、
日本メーカーは人材豊富な中国の状況を羨望のまなざしで見つめているとの内容。

日本って大丈夫か?
ものづくりが基本の日本はとっくに「工場」の座を中国や韓国にあけわたしているし、
エンジニアまでいなくなってはもうおしまいである。

家電量販店に行くと、かつて栄華を誇った日本メーカーの製品は、
デジカメとビデオカメラ以外、
他のメーカーに淘汰されているような印象を受ける。

白物家電はほとんど国内メーカー。
薄型テレビは日系メーカーもがんばっているけど、
「松下のテレビが一番!」なんて言われた時代はとっくに過ぎ、
世界中のメーカーがしのぎをけずっている。

携帯電話も芳しくない。
ソニーと松下がかろうじて生き残っている感じ。
NECは宣伝をガンガンしているが、効果はでないだろう。
というか、NECの宣伝を見ても購買意欲が湧かないのは俺だけじゃないだろう。
きれいなおねえちゃんやお兄ちゃんを使えば良いってもんじゃない。

もっと最悪なのは三菱だ。
ケータイのフロアの一角に三菱の大きなロゴが張ってあるコーナーがあったのだが、
ロゴ入りのショーウィンドウはガランとしており、
ロゴ入りの商品立てには他メーカーの商品が。
三菱の真っ赤なジャケットを着た店員は他メーカーのケータイを販売している有様。
いろいろ事情はあるにせよ、
これじゃあ、メーカーのイメージ低下は免れないだろう。
ただ、自動車のスキャンダルは中国には広まってないのがせめてもの救いだろうが。

日本のメーカーは営業が足りないのでは?
デパートに行くと必ず音響売り場をのぞいてくるのだが、
たまに最新式の中国メーカー商品に埋もれて、
骨董品のような分厚いCDウオークマンが
当時のままの値段で売られていることがある。
今人気のMP3も然り。

これじゃあ、誰も買いたいと思わないばかりか、
せっかく積み上げてきたブランドに傷がつくだろうに。
損をしてでもそのような商品は回収すべきだと思う。

数ヶ月前の新聞に「憧れの電機メーカーは?」というアンケート結果が載っていた。
デモが起きる前だから対日感情は関係ないと思うのだが、
トップテンに入っていたのはソニーと松下だけだった。

一位はハイアールだったと思うが、
その他はケータイのノキア、
家電のフィリップス、
韓国のサムスンなどなど。

トップ5はほとんど中国メーカーだったような気がする。
意外だけど、日本の家電メーカーが中国で左団扇でいられる時代は終焉したのだ。

今、安泰なのは自動車ぐらいか。
でも、韓国系の車がうなぎのぼりに増えている感じがする。
タクシーで言えば、
今まで一般的だった赤色のシャレード系が淘汰されつつあり、
韓国現代のソナタがすでに3割ぐらいを占めている。

ものづくり大国だった日本は居場所を失ってしまったのかな。
ましてや行く先が分からないんだから最悪だ。
固い頭の大企業の社長さんはどう思ってんだか。

新聞の記事の話に戻るが、
環球時報一部に書かれている日本の記事は本当に多い。

・「韓国、小泉に冷たい態度」
首脳会談のことで、韓国国民は小泉の訪韓に反対。
歴史問題で少しも譲らずと言う内容。

・「日本、沖ノ鳥島に地標」
満潮時にはベット2つ分の広さでしかなく、しかも億単位の金をつぎ込んで地面を高くしている。中国政府は経済水域を持てない島と見ており、話し合いで解決しようとしているとの事。

・「小泉、国会前に飲酒」
自民、民主の戦いを背景に事実は今のところ分かっていないと締めくくっている。
顔を赤らめて徳利を持ちながら投票している小泉さんの挿絵付き。

・「中国の離婚率、日韓を越す」
中国51%、韓国47%、日本31%だそうだ。
(※どのような基準で調査したのかは忘れた。)
女性の地位が高くなり、家庭に縛られる必要性がなくなったのが原因との事。
日本も低くはないな〜。

・「私は日本捕虜を感化するのに参加した」(体験談)
1945年、日本人捕虜に日本軍の悪行を題材にした劇を何回か見させ、
感化させた中国軍人の体験談。
最初は暴れまくった日本人捕虜も、最後には涙を流しながらその劇を見ていたとの事。
帰国する時になって、1人の捕虜が走って戻ってきて泣きながら謝り、
新四軍への入隊を希望してきたとのこと。
「たくさんの日本人捕虜はこのような経験を持っているだろう。大多数の日本人は良心を持っており、悪魔のような状態から正常な人間に戻ることも出来るのだ。」と締めくくっている。

・「台湾・日本の漁業問題」
台湾は日本政府の機嫌を取りながらも、漁民の反対運動を先導しているとのこと。

以上、一部の新聞にこれだけの日本に関する記事が載っている。
この新聞は一般的な大衆紙ではないが、
世界情勢を中心に伝える有名な新聞である。
ちなみに日本で有名な人民日報は誰も読まない。

こうして新聞を見ていると、
日本の記事のほかに、
中国の経済発展を賞賛する記事が増えてきたように思える。
なんかこれは日本のバブル期と同じような状況だ。

バブル当時俺は高校生で恩恵を受けることはなかったが、
あの時は「japan as no,1」など、
日本の経済から雇用体制までが海外から賞賛され、
自信のない日本人が有頂天に達した時でもあったと思う。

中国も同じ道をたどらないことを願う。




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6月22日 木曜日



国内映画のほかに、どこのCD屋にも必ずと言って良いほどおいてあるのが
韓流映画と日本軍の映画だ。
日本軍のは韓流のように流行っていると言う訳ではないが、
前々からかなりの種類の日本軍映画が作られている。
ホラー映画のようなパッケージを見ただけで具合が悪くなってきそうなので、
見たいと思ったことはなかった。

が、今日、「南京大虐殺」というDVDを買ってきて見た。

パッケージには日の丸や残虐なシーンはなく、
日本人女性と結婚した中国人男性の家族が受けた迫害を描いた映画のようだった。
出演の欄には「愛原友子」の文字。

中国人がどのような大虐殺映画を見ているのか知りたかったのと、
あいはら友子にも興味があったので、買ってきたのだ。

残念ながら、海賊版であったためか中身は違う映画のDVDが入っていたが、
題名は同じ南京大虐殺であったので見ることにした。

ただただ虐殺、強姦を繰り返す日本兵。
子供を先に逃げさせたおばあさんが強姦され、
子供は泣きながらも逃げる。
逃げる市民。
西洋人が設けた難民区にも入り込み、
日本軍に加担する中国人も殺してしまう100人斬りの日本兵。
逃げ惑う人々に無作為に発砲する日本軍。

山と積まれた死体が焼かれていくシーンで映画は終った。

あらすじという物語性はなく、
ドキュメンタリー映画のような感じだったので、
日本軍の残虐性を淡々とつづるような感じの映画だった。

感想としては、
当時の体験談や、写真を見たことがあるせいか、
インパクトはあまり大きなものではなかったが、
中国人がどのような旧日本軍の残虐映画をみているのかを知ることが出来ただけでも
大きな収穫だ。

今、日本と中国、韓国の間では、
歴史観の違いが大きな隔たりになっている。
山東に留学していた時、
歴史学科の聴講生として来ていた日本人の友人がいた。
彼は歴史クラスの授業に出るたびに疲れきっていたのだが、
今、その気持ちがよくわかる。

語学的な問題はしょうがないことだが、
周りからの圧力や歴史観の違いから、
精神的に疲れていったのだろう。

彼は、南京大虐殺について話したことがある。
「中国は被害者が30万人と言ってるけど、日本は数万人と言っている。客観的に見てみるとその中間あたりが本当の数字じゃないだろうか。」

この被害者数などの相違は大きな問題として取りざたされている。
犠牲者の数がどうこうといっても、
残虐な行為を消すことは出来ないが、
再度検証すると言う動きが日本に出てきてから久しい。

数年前、産経新聞などが主催する歴史展に行ったことがあるが、
この展の主題は客観的に歴史を見直すとの事だった。
つまり、教科書問題のもとになる事柄である。

内容としては、
「南京から逃げる人々の写真があるが、元の写真は遠足に出かける子供たちの写真の一部である。」
「南京大虐殺が行われていたとされる日に、蒋介石が街中で買い物をしている写真がある。中国政府が言うような大規模な虐殺が行われている時に笑顔で買い物はおかしいのでは?」
「30万人を殺すだけの人数や時間はなかった。」
「日本刀を振りかざして首を切ろうとしている日本兵の写真。日本軍の軍服ではないし、日本刀の持ち方も日本人の持ち方ではない。」
「生首が数個、地面に置かれている写真。日本軍の仕業とされているが、この写真は実は民族間の戦いの際に撮られた資料の中から引っこ抜いてきた写真である。」

このほかにも様々な写真や、当時の新聞を検証して、疑問を投げかけると言った内容だった。
当時、この検証を見て正直言って少し安心した。
旧日本軍は確かに悪事を働いたが、
不確かなこともたくさんある。

この展が言っていることは確かに信憑性があった。
間違った資料は削除するのは大切なことだ。
ただ、気をつけなければならないのは
100ある資料のうちから、疑わしいのを数個拾ってきただけのこと。
これによって事実は変えることはできない。
虐殺などの残虐な行為がなされていたことは確かなことであり、
それを新しい歴史だと言って、罪が美化される方向に行っては
どんな国だって怒るだろう。

文化大革命やチベット侵略、天安門事件などなど、たくさんの国民を迫害してきた共産党に、
日本を攻撃する権利なんてないという見方や、
中国政府は国民の不満を日本に向けさせることによって、
共産党体制を維持させようとしているなどと言う見方があるが、
その通りだと思う。
政治カードにも使われてしまっている。
でも、
だからと言って歴史が変わるわけではない。
中国政府の行動は中国国民が裁くこと。
いずれ、そうなることだろう。

日本は過去にしっかりと目を向けることから、
始めないといけないのでは。
自虐的な歴史観は良くないなんて言ってる場合じゃない。
それは決して自虐的ではないと思う。


ヨウエンから電話あり。
帰国する前にみんなで酒でも飲もうとのこと。




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6月26日 日曜日

夜、航天橋のサービスの悪い高級レストランに行って来た。
何でまたそんなところに行ったかというと、
50元無料券が今日で期限切れになるからだ。
「50元分だけ食ってこようぜ!」
「50元じゃあんまりだから51元にしようぜ!」
と、盛華と一緒に乗り込んだ。
飯を食うより、店をぎゃふんと言わせるために行った様なものだ。

注文する時に、合計金額が50元前後になるように慎重に選んだ。
せこい…。
結局はコーラや料理を追加したので70元ほどになったのだが。

セイロで蒸した牛筋のおこわ、
グリーンピースと牛肉の炒め物、
大豊収(生野菜のテンメンジャン付け)
丸鶏スープ、
おこわを薄焼き卵で包んで焼いたもの、
日本豆腐(卵豆腐)の揚げ物を食べた。

おこわ関係はちょっと重かったが、
後はおいしくいただいた。
丸鶏スープはマグカップのような容器に、
春雨や鶏のぶつ切りが入った濃厚スープで、
ラーメンを入れて食べたくなるくらいのうまさだった。

満腹になって帰って来る途中、
張さんに電話をした。
来月の1日にみんなで飲むことに。
お別れ会である。

電話を切ると、今度は管さんから電話が来た。
深刻そうな声で
「もうすぐで会社を辞める…。」
と言ってきた。

会社を辞めて田舎へ帰り、
日本語を勉強して出国する予定らしい。
「お金などの面倒はかけないから、ビザを取るときは手伝って欲しい。」
との事だった。

今まで貯めた金で1年ぐらいは家族を養っていけるとの事だったが、
日本ビザを取るのはかなり難しくなっている。
仕事を辞めるよりも先にビザの件を調べるのが先だと思ったので、
後で話そうと言うことで電話を切った。

管さんはロシア人の友人と貿易会社を起てたのだが、
最近は以前のような関係を保てなくなったと、前に言っていた。
何があったのかは詳しくは分からないが、
日本に行くために会社を辞めるのは早急すぎるのでは。




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6月27日 月曜日


軍事博物館

軍事博物館に行って来た。
学校の近くにあるため、何度となく前を通りかかったことのあるところだが、
永遠に行くことはないだろうと思ってた。
否が応でも歴史問題にぶつかる毎日に辟易していたのだ。

しかし、これからも中国人と交流を続けていくには避けては通れない道。
最近、反日デモや、靖国、教科書問題が取りざたされる中、
中国人の考えをもっと知りたいと言う気持ちが強くなってきたのだ。

門のところで20元のチケットを買い、
大きな社会主義的なデザインの建物に入っていった。
この建物は多分60〜70年代に建てられたものだろう。
天井が高くて重厚な感じのするソビエト式の建物だった。

玄関を入るとまず現れるのが抗日戦争記念館である。
抗日戦争に参加した各地のリーダーたちの写真や展示物で、
日本の侵略から戦争に勝利、建国するまでを説明していた。

国がガタガタに崩れていく中で、
毛沢東と周恩来が中心となって抗日戦争に参加し、
何人もの仲間を失いながらも中国建国までの道筋を立てていったのだ。

抗日戦争に勝利した後も、
困難はまだ続く。
蒋介石率いる国民党との内乱があったのだ。

当初は国民党の完全有利の状態であったが、
毛沢東率いる共産党が多くの犠牲者をだしながらも勇敢に戦った結果、
中華人民共和国が建国されたわけである。

ここは共産党の博物館である。
すなわち、共産党を賞賛する施設なのだから、
抗日戦争を一緒に戦った国民党でさえも敵でしかない。
敵が勝手に作った台湾と言う国は、
親の苦労も省みないで反逆して出て行った息子のようなものなのだろう。

1階のフロアを出て中庭に出ると武器館があり、
たくさんの戦車や大砲が所狭しに並ばれていた。
兵器に興味は無かったので足早に見て回ったのだが、
おや?と思い立ち止まってみた。

100以上はある戦車や大砲のほとんどが外国製なのだ。
日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどなど、
あらゆる国のものであったが、
戦利品と言うことで実際に中国軍が使っていたらしい。
アヘン戦争を皮切りに、列強がこぞって中国に進出していったことを物語っている。

2階に上がると、南京大虐殺のコーナーが比較的小さくまとめられていた。
そこで目に留まったのが、
100人斬りの日本軍人が載っている新聞の記事だ。

東京日日新聞のこの記事は以前なんかの本で見て大きなショックを受けたことがある。
日本兵2人が殺人競争をして、
104人と106人を殺したと言う接戦の模様を記事にしたものだ。
「勇敢」などなど、様々な言葉でその2人が賞賛されている。

この記事の内容の信憑性についてはいろいろ言われているが、
これは紛れもなく当時の日本の新聞であり、
戦時中とはいえ、その当時の日本がこのような記事を受け入れられるという、
今では考えられないような異常な状態であったことは確かである。

新聞のほかにも、国内各地の犠牲者数を示した表や、
多数の遺骨が発掘されている場面を写したビデオも上映されていた。
俺が展示を見ている間に多くの人が足を止めては去っていったが、
原爆資料館に行ったときに感じたなんともいえないような無念さを感じたと共に、
日本人と言うことがここで知れたらと言うことを考えると、
怖さを感じないわけでもなかった。

南京大虐殺の犠牲者の人数に関して、
日中両国政府の見解はバラバラであるが、
しっかりと事実を追求するべきだ。
そして、俺達は顔を背けずに知るべき。

なぜ暴徒とも言える反日デモがあれほどまでに膨れ上がったのか、
日貨不買運動が起こったのか、
なぜサッカーアジアカップであんな幼稚なブーイング現象が起こったのかを、
批判する前に知るべきだと思う。

そのうえで日本も言いたいことを言うべき。
言った後に謝罪するなんて事は卑怯である。
そして中国は一刻も早く極度の被害者意識から脱却してほしい。
そういう一方的な考えが破壊的デモからテロへも繋がっていくと思う。

3階に行くと、近代の軍事関連の歴史コーナーがあった。
第一次、二次アヘン戦争、中仏戦争、八カ国連合(義和団事件)、日中戦争から、
抗日戦争、朝鮮戦争までの出来事が、
コーナーごとに分けられて説明されていた。

紆余曲折を経てきた中国の歴史が克明に記されていて、
それを見ていると、
砂漠の中で弱り果てた人間を鷹が寄ってたかって突付いていて、
そんな危機の中、その人間はボロボロになりながらも鷹を追い払い、
また力強く歩いていった…。
と言うような状況を連想させた。

完全な勧善懲悪の世界である。
不利な状況の中で立ち上がった人たちが悪と戦い、
たくさんの仲間を失いながらも勝利したのである。

悪とは西側列強であるが、
もちろん日本も含まれており、
小日本のした事だけは忘れることが出来ないのである。

軍事博物館は共産党の歴史館ともいえる施設であり、
内容もまた勝利者である共産党の主観的な内容である。
当たり前と言えば当たり前なのであるが、
これが丸々中国人の思想であると言ってよく、
デモに代表される反日感情に繋がっていってるのだ。

でも、一番心に残ったのは展示関係ではなく、
来館しているたくさんの人の反応である。
親子で来ていた二人の会話が一番印象に残った。

抗日記念館の中に、日本軍を迎え撃つ市民らを再現した模型があった。
住宅の地下にトンネルを掘る人々、
屋根の上に隠れて日本軍が来たことを知らせる人などなど、
一般の市民が日本軍に立ち向かっていった姿を表わしていた。

そこに若いお母さんと小学校にあがったばかりぐらいの男の子が見学に来た。
「これ何なの?地下に人がいるよ。屋根にも。」
と、はしゃぎながら男の子がお母さんに聞くと、
「これはね、日本鬼子が中国人を殺しに来た時に、みんなでやっつけようとしてるところだよ。緑色の服を着てるのが日本鬼子で、悪い事をいっぱいしたんだよ…。」
さっきまではしゃいでいた男の子が、
じっと模型を見ながらお母さんのいうことを聞いているのを見て、
このままじゃ、今の子供達が大きくなってからも状況は変わりないだろうと、
大きな不安を感じた。

日本と同じく、戦争で出来た癒えることのない傷は、
これからも消えることなく受け継がれていくことだろう。
ただ、反日感情は変えることが出来ると思う。
日本と中国政府の出方次第で。

そういえば、大姐がいつだったか言っていた。
「中国は今まで国際的な国力がなかったから何にも言えず悔しい思いをしてきたけれど、これからはアメリカや日本に堂々と抗議が出来るんだ。」

戦後60年も経った今になって抗議行動がピークに達したのは、
日本政府の対応の悪さでもあるし、
好調な中国の経済成長をバックにした自信が一気に盛り上がったからなのだろう。

様々な抗議の矛先が日本に向けられることは、
確かに共産党にとって有利なことではあるが、
彼らの癒えることのない傷を無視した行動はしてはならないと思う。





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6月28日 火曜日


全話で700円ぐらいだった

午前中は部屋の掃除をした。
9ヶ月世話になったこの部屋とももうすぐお別れな訳で、
油まみれになった台所を4時間かけてピカピカにした。

玄関と洗面所を兼ねた狭く不便な台所なのだが、
授業で習った中華を毎日のように作ったわけで、
汚れが付いたままでは帰国できやしない。
この部屋の中で一番思い入れの深い場所である。
切れていた蛍光灯も全部新品に取り替えたので、
ホテルのロビーのような(?)台所に変身した。

午後、老師や助手のみんなに挨拶をしに学校に行く途中、
張さんと偶然出くわした。
俺もびっくりしたが、
張さんも「俺たち縁があるんだな〜。」と言って驚いていた。

授業を終えて職場に戻る途中だったらしく、
お呼ばれされて職場見学をすることになった。

学校から自転車で10分ほどの距離にある職場は、
中央電視台の裏手にあるメディアセンターホテルと言うところで、
NHKが出資していたホテルである。

張さんはここで日本料理と韓国料理を担当し、
その上、学校の老師もしてるんだから超多忙な様子。
厨房の中には入れなかったが、
テキパキと部下達に指導をしていた。

張さんは俺の仕事のことをずっと心配していて、
北京で働くことを勧めてくる。
今日も日本人向けの雑誌を何冊かくれ、
日本人の求人がたくさんあることを教えてくれた。

「帰国して良い仕事がなかったら北京に戻って来いよ。」
「そんな〜。良い仕事がないなんて予想しないでよ。」
「北京にずっといればいいのに。」
「オリンピックの時に来るよ。その時には料理長になっててね。」
「そっちこそその頃には自分の店を持ってろよ。」

なんて話をして職場を離れた。

それから前門に行き、車付きの旅行カバンを買ってきた。
値切りに値切って買ったカバンが壊れないかどうかを試すために
カバンをゴロゴロ引いて通りを歩いていると、
しみじみとした気分になってきた。
ここも思い出の深いところである。

レトロな雰囲気の食堂で酢豚を食べながら通りを眺めていると、
西洋人のバックパッカーなどの旅行者が俺をじろじろ眺めていく。
彼らからすると俺は庶民的な食堂で酢豚を食ってる現地の人なんだろう。

隣の席で食事をしていたおじさんは俺の食べていた酢豚が珍しかったらしく、
何という料理かを聞いてきた。
奥さんに恥ずかしいからやめなさいといわれていたが、
気軽に声をかけられるとたのしい。
これは相手が俺のことを中国人だと思っていることが前提なのだが、
中国人の素の状況を垣間見れるような感じがして楽しいのだ。

すっかりと慣れ親しんだ北京を去るのは残念だ。

帰り、張さんとヨウエンと管さんへのプレゼントとして
日本のドラマのDVDを買ってきた。
ブラックジャックによろしくと、
末っ子長男姉3人、
踊る大捜査線だ。
3人とも日本に興味がある人たちだから喜んでくれるだろう。

中国人は友人などの大切な人へのプレゼントを重視する。
友達の間で物のやり取りは抵抗があったが、
中国人の間では習慣的なこと。
これが社会に根深いワイロに繋がってないともいえないが、
中国の礼儀といえるものだろう。

ただ、値段が高ければ良いというわけではなく、
喜んでくれるものを選べば良いのだ。
人間関係をスムーズにしてくれる潤滑油の役割である。

しかし、白い巨塔が売り切れていたのは残念だったな〜。




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6月29日 水曜日

もう水曜日だ。
ここでの生活もあと5日。

朝6時半に起き、いつものように近くの老家肉餅という食堂で朝食。
豆腐脳、豆乳、肉まん、お粥、シャオビンなど、結構うまい。

この1ヶ月、同じところで朝食を摂ってから公園へ行き、
トレーニングをしてくると言う習慣が身についた。
川岸の公園では自由に市民達の胡弓や京劇の歌を鑑賞することが出来る。
うちの近くの橋が取り壊されたので対岸の玲龍塔公園へは行けなくなったが、
どこの公園でもお年寄り達が趣味にいそしんでいるので、
それを見ていて飽きることがない。

「あ〜、この風景を見られるのもあと何日か〜。」
なんて、いつもカウントダウンするほど中国の公園は心地よい。

昼は部屋の掃除と荷物をまとめた。
もって帰るものがたくさんありすぎて、
この分だともう一回小包郵便を送らなければならない。
この暑さの中リュックと大きなカバンを持っていくのは結構疲れる。

午後からは食べ歩きのために、
美術館後街の近くにある精進料理の店へと出かけた。
地図を見ながら探し回ったのだが、
奥まったところにあったので結構見つけるのに苦労した。
しかも、一目で分かる店の看板が付いていなく、
店の窓に「素菜」(精進料理)と書かれているだけ。

ガイドブックには店の主人が仏教徒で、
時にはお客さんに教えを説くこともあると言う一風変わった店なのだが、
店に入ると、こじんまりとした和風カフェといった雰囲気だった。

観音様のような優しい顔をした服務員が女主人らしく、
笑顔で注文をとりにやってきた。
メニューには見慣れた料理の名前がなくて、いつも通りに、
「おいしいのはどれですか?」
と聞くと、彼女は笑いながら、
「全部おいしいですよ。おいしくないものはお客さんには出しませんが、それも人の好みによります。」
と、やんわりと仏教的な(?)対応が帰ってきた。

オススメメニューの牛肉の串ステーキと、
野菜の湯葉包み揚げを頼んだ。
あとは仏教徒らしく(?)ノンアルコールビールを一本。

テーブルの上には仏教的な教えがかいてある紙があり、
店内の本棚には仏教についての本や仏像が置いてあり、
なかなか落ち着いた雰囲気だった。

他の客達は精進北京ダック(野菜を包んだ湯葉を揚げたもの)や、
10センチはある巨大焼き餃子などを食べていた。
どれもうまそう。

牛肉の串ステーキは鉄皿の上でジュウジュウと音を立てながら運ばれてきて、
テーブルの上でオイスターソースのタレをかけたものだった。
見るからに牛串だ。
食べてみると、牛肉は畑の肉と言われる植物蛋白を固めたもので、
そのほかに玉こんにゃくやピーマンが刺さっていた。

牛肉と思って食べると物足りないのだが、
最初から畑の肉料理だと思って食べればちょっとしたアイディアメニューだ。
歯ごたえやタレのしみ具合がなんともうまかった。

湯葉包みのほうはシナチクが入っている淡白な味。
皿にてんこ盛りにされた湯葉包みを全部食べるのは至難の業だった。
箸で中身をつついて具を調べていたら女主人がやってきて、
「どうしました?おいしくないですか?」
と聞いてきたからびっくり。

食べてる間中、視線を感じてはいたのだが、
これも気遣いのひとつだろう。

何はともあれ、ノンアルコールビール以外はおいしかったし、
女主人は見れば見るほど観音様に見えてくるような不思議な人だった。






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6月30日 木曜日

建国門郵便局に行った帰り、
管さんへのプレゼントを旅館に置きにいった。
フロントへ行き、小姐に「久しぶり!」と声をかけると、
彼女は笑いながら逃げていった。

訳が分からなくてそのまま待っていたら、
本物の小姐が登場。
さっきの彼女は妹だったらしく、
まるで双子だった。

来月帰国することを告げ、
旅館を後にした。

北京に来て2日目からここに住み始めたのだが、
いろいろと思い出深いところだ。
いわば北京の別荘的なところである。
またいつでも来れるだろう。

夜、管さんと一緒に飲みに行った。
大使館街にあるロシア料理バイキングだ。
ボルシチや肉料理、サラダ、フルーツ、ケーキ、ビール、ワイン…。
これで時間制限無しの1人30元(400円)だから驚きだ。
あと、北京ダックもあったな。

管さんは元気な様子だったが、
会社を辞めることはもう決心したらしい。
日本に行くために頑張って勉強するとの事で、
そのためには俺が会社を興して招聘ビザを作らなければならないから、
頑張ってくれとのことだった。

俺は日本に帰った後も修行を続けるつもりなのだが、
管さんはすぐにでも日本にいって商売を始めたい様子。
彼は俺が厨師を目指していることをいまだに不思議がっていて、
貿易の仕事を勧めてくるのだが、
夢と言うものは絶対に譲れない。
彼の夢はアメリカンドリーム的な一攫千金なのだ。

色々とああでもないこうでもないと話は尽きなかったが、
まずは2人で協力できることを模索していこうと言うことでレストランをあとにした。

管さんは地下鉄の駅まで送ってくれ、
見えなくなるまで手を振ってくれていた。

俺は時間と金があれば自由に北京に戻ってくることが出来るのだが、
一般の中国人はそう簡単には出国できない。
外貨を集めるのも簡単ではないし、
金があったとしてもビザを取るのが難しい。
仲介料だけでもべらぼうな金額だ。

俺はいつでもまた会えるさといった気持ちで手を振っていたのだが、
管さんはどんな気持ちで手を振っていたのだろうか。

以前飲んだときに、
「これからは日本と中国で自由に往来できない日がきっと来る。電話やメールだってやり取りできなくなるぞ。」
と、管さんがいっていた。
俺は笑い飛ばしたものだが、
そうならないようにするのが俺達だ。





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