系図は、本朝皇胤紹運録を基本とした。〔〕書きで出典が書かれていない事項は、本朝皇胤紹運録
に記載されたもの。
纂輯御系図、皇親系、詰所系図(系図綜覧所収執次詰所御系譜)、系図纂要との異同を校訂した。
紙幅の関係上、一部省略している事項もある。
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生年
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寛喜3年2月12日(ユリウス暦:1231年3月17日)
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没年
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仁治3年正月9日(ユリウス暦:1242年2月10日)
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異称
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秀仁。
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父
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後堀河天皇。
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母
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九条道家女竴子(藻璧門院)。
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配偶者
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女御
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藤原彦子
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宣仁門院。九条教実女。
母西園寺公経女〔西園寺家譜によれば名は嘉子〕。
安貞元(1227)年。
仁治2年12月1日(ユリウス暦:1242年1月3日)叙従三位。13日入内。
17日為女御。 仁治3年12月17日(ユリウス暦:1243年1月9日)准三后〔女院記作仁治2年12月17日(ユリウス暦:1242年1月19日)〕。
仁治4年2月23日(ユリウス暦:1243年3月15日)院号。 寛元4年10月2日(ユリウス暦:1246年11月11日)為尼。法名清浄阿。
弘長2年正月5日(ユリウス暦:1262年1月26日)薨。
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在位
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貞永元年10月4日(ユリウス暦:1232年11月17日)〜仁治3年正月9日(ユリウス暦:1242年2月10日)
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皇居
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平安宮。
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陵名
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月輪陵。
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※本朝皇胤紹運録・纂輯御系図等には、皇子女は記載されていない。
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- 本サイトの公卿に関するデータは、
東京大学史料編纂所公開用データベースに公開されている家譜、
公卿補任(新訂増補国史大系53-57吉川弘文館。国史大系第9-11経済雑誌社)、
尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下吉川弘文館。 新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12吉川弘文館)、
公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
系図纂要(名著出版)
を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。
知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
- 菩提寺・居所に関しては、
雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕と
公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
を基本としました。
家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
実地調査はおこなっておりません。
- 家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
- 家紋に関しては、
雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
- 年数の表記に関しては、ユリウス暦1582年10月4日までをユリウス暦に換算し、
その翌日からをグレゴリオ暦に換算してあります。
ユリウス暦の場合は、西暦の頭にユリウス暦であることを表記してあります。
ユリウス暦の表記がないものは、グレゴリオ暦であることを示します。
和暦の改元の表記に関しては、改元した年の改元日から新元号の元年としました。
西暦への変換に関しては、和暦の各月の大小の値を
「日本暦日原典」内田正男/著に従って、算出したものです。
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父母名などを表記する場合、公卿に関しては、官位官職、卿・公の尊称は省略しました。
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