天皇系図索引
系図は、本朝皇胤紹運録を基本とした。〔〕書きで出典が書かれていない事項は、本朝皇胤紹運録 に記載されたもの。
纂輯御系図、皇親系、詰所系図(系図綜覧所収執次詰所御系譜)、系図纂要との異同を校訂した。
紙幅の関係上、一部省略している事項もある。
第102代

後花園天皇

生没年 応永26年6月17日(ユリウス暦:1419年7月9日)〜文明2年12月27日(ユリウス暦:1471年1月18日)
異称 彦仁。円満智。後文徳院。
後崇光天皇(伏見宮貞成親王)。
庭田経有女幸子(敷政門院)。
配偶者
藤原信子 初名郷子〔皇親系〕。嘉楽門院。藤原孝長女。典薬頭和気郷成猶子〔皇親系〕。 後、大炊御門信宗養女。准三宮。従二位。
応永19(1412)年生〔皇親系〕。
文明3(1471)年落飾号栄良尋〔皇親系〕。
文明13年7月26日(ユリウス暦:1481年8月21日)院号〔本朝女后名字抄〕。
長享2年4月28日(ユリウス暦:1488年6月8日)薨〔皇親系〕。
在位 正長元年7月28日(ユリウス暦:1428年9月7日)〜寛正5年7月19日(ユリウス暦:1464年8月21日)
皇居 平安宮。
陵名 後山国陵。

後花園天皇系図

後花園天皇 ┳ 後土御門天皇
  ┣ 皇女(観心〔纂輯御系図〕。母藤原孝長女信子〔嘉楽門院。大炊御門信宗猶子〕。
  ┃
永享6年10月28日(ユリウス暦:1434年11月28日)生〔皇親系〕。
  ┃
嘉吉元(1441)年落飾〔皇親系〕。安禅寺。
  ┃
延徳2年12月11日(ユリウス暦:1491年1月20日)卒)
  ┣ 皇女(※纂輯御系図・皇親系・系図纂要による。照巌。大聖寺。景愛寺。
  ┃
寛正5年10月13日(ユリウス暦:1464年11月12日)薨)
  ┣ 皇女(※纂輯御系図・皇親系・系図纂要による。入真乗寺為尼。
  ┃
文明14年5月4日(ユリウス暦:1482年5月21日)薨)
  ┃ ※以下、皇親系による。
  ┣ 貞常親王(猶子。実後崇光院〔伏見宮貞成親王〕皇子)
  ┣ 静覚親王(猶子。木寺宮邦康親王子)
  ┣ 堯胤親王(猶子。実伏見宮貞常親王子)
  ┗ 皇女(猶子。大聖寺。寛正6(1465)年生。長享2年7月21日(ユリウス暦:1488年8月28日)薨)
第101代
第103代
 

  • 本サイトの公卿に関するデータは、
    東京大学史料編纂所公開用データベースに公開されている家譜、
    公卿補任(新訂増補国史大系53-57吉川弘文館。国史大系第9-11経済雑誌社)、
    尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下吉川弘文館
    新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12吉川弘文館)、
    公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
    系図纂要(名著出版)
    を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。 知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
  • 菩提寺・居所に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕
    公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
    を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
    実地調査はおこなっておりません。
  • 家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
  • 家紋に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
    日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
  • 年数の表記に関しては、ユリウス暦1582年10月4日までをユリウス暦に換算し、
    その翌日からをグレゴリオ暦に換算してあります。
    ユリウス暦の場合は、西暦の頭にユリウス暦であることを表記してあります。 ユリウス暦の表記がないものは、グレゴリオ暦であることを示します。
    和暦の改元の表記に関しては、改元した年の改元日から新元号の元年としました。
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