天皇系図索引
系図は、本朝皇胤紹運録を基本とした。〔〕書きで出典が書かれていない事項は、本朝皇胤紹運録 に記載されたもの。
纂輯御系図、皇親系、詰所系図(系図綜覧所収執次詰所御系譜)、系図纂要との異同を校訂した。
紙幅の関係上、一部省略している事項もある。
第103代

後土御門天皇

生没年 嘉吉2年5月25日(ユリウス暦:1442年7月3日)〜明応9年9月28日(ユリウス暦:1500年10月21日)
異称 成仁。
後花園天皇。
大炊御門信宗養女、実藤原孝長女信子(嘉楽門院)。
配偶者
源朝子 庭田重賢女。典侍。称新大納言。永享9(1437)年生〔皇親系〕。 明応元年7月19日(ユリウス暦:1492年8月12日)叙従三位、賜准三后。 20日薨。号蒼玉門院。27日葬于般舟院〔親長卿記〕。 永正元年7月10日(ユリウス暦:1504年8月19日)贈皇太后宮。
藤原兼子 花山院持忠女。従二位。称東御方。
藤原房子 勧修寺教秀女。母飛鳥井雅永女。称新大納言局、新典侍局。従三位。典侍。
在位 寛正5年7月19日(ユリウス暦:1464年8月21日)〜明応9年9月28日(ユリウス暦:1500年10月21日)
皇居 平安宮。
陵名 深草北陵。

後土御門天皇系図

後土御門天皇 ┳ 後柏原天皇
  ┣ 尊伝法親王(俗名尊敦。母庭田重賢女准三宮朝子。文明4(1472)年生〔皇親系〕。
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文明4年12月3日(ユリウス暦:1473年1月1日)為親王〔皇親系〕。青蓮院尊応附弟。
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長享2(1488)年落飾。隠遁号不遠院。
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文亀4年正月26日(ユリウス暦:1504年2月12日)早世〔皇親系27日〕)
  ┣ 仁尊法親王(改仁悟。二品、贈一品〔皇親系〕。母花山院持忠女従二位兼子。園城寺。円満院。
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又号平等院・三山検校〔諸門跡譜〕。
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文明14年閏7月6日(ユリウス暦:1482年8月20日)生〔皇親系〕。
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永正12年閏2月12日(ユリウス暦:1515年3月27日)薨〔皇親系〕)
  ┣ 皇子(入室。下河原上乗院。童形早世〔皇親系作
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明応3年9月13日(ユリウス暦:1494年10月12日)薨、未落飾〕)
  ┣ 皇女(大慈院。母勧修寺教秀女従三位房子。
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延徳元年8月26日(ユリウス暦:1489年9月21日)生〔皇親系〕)
  ┣ 応善女王(母同仁尊〔本朝皇胤紹運録作母房子〕。
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文明8年5月24日(ユリウス暦:1476年6月15日)生〔皇親系〕。
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長享元(1487)年落飾〔皇親系〕。安禅寺。
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明応6年6月11日(ユリウス暦:1497年7月10日)薨)
  ┣ 皇女(母同仁尊。比丘尼。文明5年10月22日(ユリウス暦:1473年11月12日)生〔皇親系〕。
  ┃
長享元(1487)年落飾〔皇親系〕。保安寺〔皇親系作宝安寺、一作法安寺〕)
  ┣ 智円女王(母房子。文明18年12月28日(ユリウス暦:1487年1月22日)生〔皇親系〕。
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比丘尼。安禅寺。永正10年9月21日(ユリウス暦:1513年10月19日)早世)
  ┣ 椿性女王(纂輯御系図による。皇親系によれば、応仁元(1467)年生。落飾為尼。
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住三時知恩寺。永禄8(1565)年8月30日卒〔※三正綜覧等によれば、
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永禄8年8月は小の月〕)
  ┣ 慈勝女王(纂輯御系図による。皇親系によれば、文明4(1472)年落飾。大聖寺。景愛寺。
  ┃
永正6年7月15日(ユリウス暦:1509年7月31日)寂。号無礙心院)
  ┃ ※以下、皇親系・系図綜覧詰所系図伏見殿による。伏見宮
  ┣ 邦高親王(猶子。実貞常親王男。※或花園院猶子)
  ┣ 道永法親王(猶子。実貞常親王男)
  ┣ 常信法親王(改覚円。猶子。実貞常親王男)
  ┣ 覚胤法親王(猶子。実貞常親王男)
  ┣ 慈運(皇親系・系図纂要による。猶子。実貞常親王男)
  ┗ 道応法親王(猶子。実貞常親王男)
第102代
第104代
 

  • 本サイトの公卿に関するデータは、
    東京大学史料編纂所公開用データベースに公開されている家譜、
    公卿補任(新訂増補国史大系53-57吉川弘文館。国史大系第9-11経済雑誌社)、
    尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下吉川弘文館
    新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12吉川弘文館)、
    公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
    系図纂要(名著出版)
    を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。 知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
  • 菩提寺・居所に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕
    公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
    を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
    実地調査はおこなっておりません。
  • 家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
  • 家紋に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
    日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
  • 年数の表記に関しては、ユリウス暦1582年10月4日までをユリウス暦に換算し、
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