天皇系図索引
系図は、本朝皇胤紹運録を基本とした。〔〕書きで出典が書かれていない事項は、本朝皇胤紹運録 に記載されたもの。
纂輯御系図、皇親系、詰所系図(系図綜覧所収執次詰所御系譜)、系図纂要との異同を校訂した。
紙幅の関係上、一部省略している事項もある。
第92代

伏見天皇

生没年 文永2年4月23日(ユリウス暦:1265年5月10日)〜文保元年9月3日(ユリウス暦:1317年10月8日)
異称 熈仁。素融。
後深草天皇
洞院〔山階〕実雄女愔子(玄輝門院)。
配偶者
皇后 藤原鏱子 永福門院。法名真如院。西園寺実兼女。母中院通成女従一位顕子。 従三位。
文永8(1271)年生。
永仁6年8月21日(ユリウス暦:1298年9月27日)院号。
康永元/興国3年5月7日(ユリウス暦:1342年6月10日)崩御。
藤原季子 顕親門院。山階実雄女。母後嵯峨院但馬局賀茂神主能直女。
文永2(1265)年生。
永仁5年正月29日(ユリウス暦:1297年2月22日)叙従三位。
文保元年9月9日(ユリウス暦:1317年10月14日)為尼。円常覚。
正中3年2月7日(ユリウス暦:1326年3月11日)准三宮。同日院号。
建武3年2月12日(ユリウス暦:1336年3月25日)崩。
典侍 藤原経子 藤原〔五辻〕経氏女。従三位。准三后。
典侍 源氏 中院具氏女。称権大納言局。
掌侍 三善衡子 修理権大夫三善俊衡女。称播磨内侍。
藤原英子 洞院公宗女。従三位。
藤原守子 ※皇親系作明子。正親町実明女。母三条公貫女。称三条局、又東御方。陽徳門院侍女。 従三位。後入後伏見院天皇宮。更後洞院公賢室。
藤原氏 藤原〔高倉〕茂通女。称春日局。
某氏 法印任快女。称治部卿局、又春日局。
某氏 法印深源女。広義門院侍女。称西御方。
在位 弘安10年10月21日(ユリウス暦:1287年11月27日)〜永仁6年7月22日(ユリウス暦:1298年8月30日)
皇居 平安宮。
陵名 深草北陵。

伏見天皇系図

伏見天皇 ┳ 後伏見天皇
  ┣ 花園天皇
  ┣ 寛性法親王(仁和寺。大聖院〔皇親系〕。俗名惟永。母洞院実雄女季子。北朝一品〔皇親系〕。
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正応2(1289)年生。貞和2/興国7年9月30日(ユリウス暦:1346年10月15日)入滅。
  ┃
号常瑜珈院〔皇親系〕)
  ┣ 恵助法親王(一伝豪助。園城寺。無品。長吏。聖護院。母法印任快女治部卿局〔後号春日局〕)
  ┣ 尊悟法親王(園城寺。円満院。俗名吉永。北朝二品〔皇親系〕。母中院具氏女権大納言局。
  ┃
延文4/正平14年2月19日(ユリウス暦:1359年3月18日)入滅。号平等院〔皇親系〕)
  ┣ 尊円法親王(延暦寺。二品。俗名守彦〔皇親系作尊彦〕。号大乗院。天台座主。青蓮院。
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母三善俊衡女播磨内侍。永仁6(1298)年生〔皇親系作8月1日〕。
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延文元/正平11年9月23日(ユリウス暦:1356年10月17日)於十楽院坊入滅。
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贈一品〔皇親系〕)
  ┣ 道熈法親王(延暦寺。青蓮院。十楽院〔皇親系〕。母正親町実明女東御方三位殿)
  ┣ 寛胤法親王(勧修寺。小河。母正親町実明女守子 *1
  ┣ 聖珍法親王(無品〔皇親系作二品〕。母法印深源女西御方。三宝院。
  ┃
本朝皇胤紹運録には東大寺東南院とあるが、諸門跡譜によれば
  ┃
聖珍は恒明親王息とある)
  ┣ 尊熈法親王(延暦寺。園城寺中桂園院。母高倉茂通女春日局)
  ┣ 皇子(早世)
  ┣ 誉子内親王(誉子。章義門院。母洞院公宗女従三位英子。准三后。女院小伝・女院記によれば、
  ┃
永仁3年8月15日(ユリウス暦:1295年9月25日)為内親王。同日准三宮。
  ┃
徳治2年4月22日(ユリウス暦:1307年5月24日)院号。
  ┃
正和2年8月13日(ユリウス暦:1313年9月4日)出家。法名解脱心。
  ┃
建武3/延元元年10月10日(ユリウス暦:1336年11月13日)薨)
  ┣ 璹子内親王(朔平門院。母洞院実雄女季子。准三后。女院小伝・女院記によれば、
  ┃
弘安10(1287)年生。正応6年正月24日(ユリウス暦:1293年3月3日)内親王。
  ┃
延慶2年6月27日(ユリウス暦:1309年8月3日)准三宮。
  ┃
同日院号。延慶3年10月8日(ユリウス暦:1310年10月30日)薨)
  ┣ 延子内親王(延明門院。母洞院実雄女季子。准三后。女院小伝・女院記によれば、
  ┃
正応4(1291)年生。応長元年8月10日(ユリウス暦:1311年9月22日)為内親王。
  ┃
同日准三宮〔女院記作従三位〕。
  ┃
正和4年2月24日(ユリウス暦:1315年3月29日)院号。
  ┃
文保元年9月28日(ユリウス暦:1317年11月2日)為尼。信正恵)
  ┣ 進子内親王(母正親町実明女守子〔皇親系作母未詳〕。皇親系によれば、初居播磨国賀茂荘。落飾及
  ┃
花園院上皇撰風雅集命還京師。貞和元/興国6(1345)年為内親王)
  ┗ 〔熈明親王〕(※皇親系によると、猶子。実久明親王〔後深草院孫〕子とあるが、
   
熈明が久明の子であるとしたら世代的に一致しない)
*1 纂輯御系図に寛胤法親王記載无。本朝皇胤紹運録には、母永福門院中納言局とある。後伏見院皇子寛仁法親王は一云寛胤で母は母正親町実明女守子。守子は二代に仕えたので同人と思われる。
第91代
第93代
 

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    公卿補任(新訂増補国史大系53-57吉川弘文館。国史大系第9-11経済雑誌社)、
    尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下吉川弘文館
    新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12吉川弘文館)、
    公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
    系図纂要(名著出版)
    を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。 知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
  • 菩提寺・居所に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕
    公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
    を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
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    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
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