生没年
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天徳3年3月2日(ユリウス暦959年4月12日)〔皇代畧記作、天徳3年2月2日。異本3月2日。
系図纂要作、天徳3年3月5日〕
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正暦2年2月12日(ユリウス暦991年3月1日)〔皇代畧記・系図纂要〕
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異称
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守平〔皇代畧記・系図纂要〕。覚如。金剛法〔皇代畧記・系図纂要〕。
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父
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村上天皇。
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母
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藤原師輔女安子。
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配偶者
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皇后
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藤原煌子
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藤原兼通女。母有明親王女昭子女王〔尊卑分脈・皇親系作能子女王〕。堀川中宮。
天暦元(947)年生。 天延元(973)年為女御。7月1日立為皇后称中宮。
天元2年6月3日(ユリウス暦:979年6月29日)崩御。
※出典:尊卑分脈・皇親系・系図纂要。
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中宮
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藤原遵子
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藤原頼忠女。母醍醐天皇皇子代明親王女厳子女王。 天徳元(957)年生。
天元3(980)年為女御。叙従四位上。 天元5年3月11日(ユリウス暦:982年4月7日)立為中宮。
正暦元(990)年改曰皇后。 長徳3(997)年落飾。 長保2(1000)年尊曰皇太后。
三条天皇即位曰太皇太后。 寛仁元年6月1日(ユリウス暦:1017年6月27日)崩御。
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女御
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藤原詮子
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東三条院。藤原兼家女。母藤原中正女。一条天皇母。
応和元(961)年生〔女院小伝による。女院記作応和3(963)年。本朝謚号雑記・皇親系作応和2(962)年〕。
正暦2年9月16日(ユリウス暦:991年10月26日)院号。
長保3年閏12月22日(ユリウス暦:1002年2月7日)卒〔尊卑分脈・女院記・本朝謚号雑記・皇親系・大鏡裏書による。女院小伝作長保2(1000)年〕。
同24日葬鳥部野〔大鏡裏書〕。
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尊子内親王
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冷泉天皇皇女。母藤原伊尹女懐子。二品。斎院。
康保3(966)年生〔皇親系〕。
康保4(967)年為内親王〔皇親系。大鏡裏書作9月4日(ユリウス暦:967年10月9日)〕。
安和元[康保5]年7月1日(ユリウス暦:968年7月28日)卜定斎院〔大鏡裏書〕。
天元3年10月20日(ユリウス暦:980年11月30日)入内〔大鏡裏書〕。
天元5(982)年落飾〔皇親系〕。
寛和元年5月2日(ユリウス暦:985年5月24日)薨〔日本紀略・大鏡裏書作1日〕。
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※諸本によれば、この他に藤原懐忠女と更衣一人がいる。
※皇代記の妻后は、尊子内親王・尚侍藤原怤子・藤原詮子・藤原婉子とある。
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在位
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安和2年8月13日(ユリウス暦969年9月27日)〔皇代畧記・系図纂要〕
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永観2年8月27日(ユリウス暦984年9月24日)〔系図纂要〕
安和2年9月丁卯(23日。ユリウス暦:969年11月5日)即位〔皇代畧記・系図纂要〕。
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皇居
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平安宮。
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陵名
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後村上陵〔皇代畧記作、崩於円融寺。19日葬当寺北原。置御骨於村上陵〕。
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