公卿類別譜
〜公家の歴史〜
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公卿補任に記載された武家
(鎌倉幕府以前除く)
〔畠山・福島〕
※武家の官位・官職は元和6(1620)年以降、公卿補任に記載しなくなる。
畠山
、
福島
、
細川
畠山氏
【はたけやま】
清和源氏。足利氏庶流。畠山氏は室町幕府三管領家のひとつ。 足利義兼の子義純が、滅亡した桓武平氏秩父氏の裔畠山重忠にとついでいた北条時政の娘を妻とし、重忠の旧領を相続し、畠山を称したという。
畠山氏系図
義純までの系図は、
足利
氏系図を参照。
義純
*1
泰国
*2
時国
*3
高国
国氏
国詮
*4
満泰〔二本松〕
直泰
貞国
*5
家国
*6
国清
*7
義清
清貞
義深
*8
基国
*9
⇒
深秋
満慶
清義
*10
貞清
(左近大夫将監)
義熈
*11
満熈
義生
*12
義方
宗義
宗生
宗国
直宗
頼継
直顕
宗泰
義広
女子
女子
女子
(比丘尼法仙)
盛氏
(十郎)
康成
*13
成家
貞康
基国
義成
義直
国兼
時朝〔田中〕
時兼〔岩松〕
*1
義純 足利太郎。従五位下。遠江守。母遊女。安元2(1176)年生。承元4年10月7日(ユリウス暦:1210年10月26日)卒。
*2
泰国 母平時政女。畠山三郎。上総介。従五位下。法名空蓮。
*3
時国 清和源氏系図・寛政重修諸家譜作国氏。畠山三郎太郎。式部丞。阿波守。河内守〔清和源氏系図〕。正五位下。号徳聚寺。
*4
国詮 次郎。
*5
貞国 畠山二郎。式部大夫。民部丞。従五位下。叙留。
*6
家国 治部大夫。尾張守。式部大夫。従五位下。叙留。
*7
国清 修理大夫。阿波守。法名道誓関。
*8
義深 畠山三郎。尾張守。号増福寺。康暦元/天授5年10月2日(ユリウス暦:1379年11月11日)卒。
*9
基国 右衛門権佐〔清和源氏系図作右衛門佐〕。右兵衛督。法名徳元。号長福寺。応永5年8月5日(ユリウス暦:1398年9月15日)補執事〔執事補任次第〕。応永13年正月17日(ユリウス暦:1406年2月5日)卒。
*10
清義 大夫将監。
*11
義熈 播磨守。式部大夫。
*12
義生 三郎。
*13
康成 四郎。
⇒
満家
*1
持国
政長
*2
尚順
*3
稙長
(両畠山系図作植長。尾張守。永正元(1504)年生。
天文14年5月15日(ユリウス暦:1545年6月23日)卒。
号大和寺殿覚源悟公。葬地同満家)
長経
*4
安鶴
岩鶴
政氏
(石垣播磨守。為宮原長経於石垣城生害)
政国
*5
⇒
晴熈
*6
男子
(九郎)
女子
(万里小路惟房母)
政慶
晴国
(播磨守)
男子
*7
女子
(一色式部少輔藤長母)
女子
(観音寺尼)
女子
(久世殿室)
女子
(徳大寺実規母)
女子
(山本氏妻)
女子
(誉田左衛門尉母)
女子
(唐橋殿妻)
女子
(日野内光室)
女子
(楢原壱岐守妻)
女子
(能州修理大夫妻)
政清
*8
男子
(僧。嵯峨覚勝院住持)
義就
*9
義豊
*10
義英
*11
義宣
(上総介。右衛門督。
享禄年中自害。号隨心院)
在氏
(左衛門督)
男子
(※両畠山系図による。弥三郎。一度相続家督)
基家
*12
男子
(弥九郎。早世)
持永
(寛政重修諸家譜作持長。左馬助。永享13年正月29日(ユリウス暦:1441年2月20日)家督被仰付。
於越中国生害〔建内記作播磨。大乗院日記目録作摂津〕。
*畠山系図に持永記載无)
持富
*13
政長
(持国養子)
満則
*14
義忠
*15
義有
*16
義統〔
能登畠山
〕
政国
(二郎。能登守〔両畠山系図〕)
*1
満家 左衛門督〔両畠山系図作右衛門督〕。尾張守。従三位〔畠山系図。公卿補任不記載〕。法名道瑞。号真観寺。応永17(1410)年6月任管領〔執事補任次第作応永17年6月19日(ユリウス暦:1410年7月20日)補執事[管領]〕。応永28年8月18日(ユリウス暦:1421年9月14日)再任執事[執事補任次第]。
*2
政長 実持富男。弥三郎〔系図纂要〕。左衛門督。尾張守。従三位〔畠山系図。公卿補任不記載〕。号勝仙院。長禄4年9月26日(ユリウス暦:1460年10月10日)家督。寛正5(1464)年8月任管領。明応2(1493)年4月於河内国正覚寺細川政元与合戦討死。自害とも。
*3
尚順 改尚長。尾張守。従五位下。常徳院殿〔足利義尚〕賜御一字。文明13(1481)年生。十八歳隠居。出家。法名卜山。号勝仙院龍源。又号徳陽。
*4
長経 石垣左京大夫。号宮原。
*5
政国 修理大夫。播磨守。初住紀州宮原。在岩室城。植長〔稙長〕卒去。依無嗣継家督。而移高屋。岩室城高政居。後譲家。天文19年8月12日(ユリウス暦:1550年9月22日)於宮原卒。円満寺。
*6
晴熈 伊予守。播磨守。
*7
男子 和束屋形。
*8
政清 是石垣城主岩鶴早世。和泉守護細川和泉守子。以卜山為養子。為石垣領主。号細川刑部大輔。
*9
義就 初義夏〔両畠山系図〕。右衛門佐〔両畠山系図作左衛門督〕。伊予守。号宝泉寺〔両畠山系図〕。
*10
義豊 ※両畠山系図作義昭〔初元家又豊義〕。弾正少弼。二郎。上総介。右衛門督。弾正少弼。号善応寺。
*11
義英 上総介。右衛門佐。永正18年7月10日(ユリウス暦:1521年8月12日)早世。号善音寺〔両畠山系図〕。
*12
基家 ※両畠山系図による。弥二郎。弾正少弼。
*13
持富 尾張守。左馬頭。出家。妙音寺。
*14
満則 或満慶。修理大夫。能登守〔両畠山系図〕。法名道祐〔両畠山系図〕。
*15
義忠 初号義慶〔両畠山系図〕。能登守〔両畠山系図〕。修理大夫。左衛門佐〔尊卑分脈〕。法名賢良。
*16
義有 二郎。治部少輔。能登守〔両畠山系図〕。
⇒
高政
(播磨守。尾張守。
⇒
天正4年10月15日(ユリウス暦:1576年11月5日)卒。
号高玉空外一空多宝寺。
葬河内国錦部郡観心寺)
政尚
(初政義。播磨守。法名一風雲松融岩院)
昭高
(高政嗣)
女子
(家臣遊佐紀伊守某妻)
⇒
昭高
(実政国三男。初政頼。左衛門督。
⇒
天正2年自害。号高源道看釈迦寺。葬地同満家)
女子
(貞政妻)
⇒
貞政
(実政尚男。左衛門佐。
⇒
寛永18年3月7日(1641年4月16日)卒)
畠山 持国
[ 応永5(1398)年 〜 康正元(享徳4)年3月26日(ユリウス暦:1455年4月12日) ]
満家男。法名徳本。号光孝寺
〔畠山系図・両畠山系図〕
。
嘉吉元年2月27日(ユリウス暦:1441年3月20日)叙従三位、同年出家。
※没年の月日は、両畠山系図・寛政重修諸家譜による。
福島氏
【ふくしま】
系図纂要によれば、正則は実星野二郎成政男で福島正光の養子。福島氏は清和源氏で 源頼光の後裔となっている。しかし、寛政重修諸家譜では、藤原氏支流に分類され、元は平氏という。
福島家系図
※寛政重修諸家譜を基本とした。
正信
女子
(別所主水正重宗室)
正則
正友
(早世。八助。母津田長義女)
正之
(実別所主水正重宗七男。母正信女。八助。伯耆守。刑部大輔。侍従)
忠勝
正長
正勝
正視
正興
(早世。市松)
某
(早世。市万)
正森
正韶
正聖
市松
(早世)
女子
女子
女子
松次郎
方糓
(清九郎)
兵三郎
女子
(中川左平太昌栄妻)
貞居
(左吉。新六郎。由良播磨守貞整養子)
女子
(正森妻)
女子
(巨勢伊豆守至信妻)
隆豊
(初正盛。兵之丞。主税。弾正。山名伊豆守矩豊養子)
正利
女子
(久留嶋丹波守通春養妹)
女子
(母津田長義女)
女子
(母同。水無瀬兼俊室)
女子
(母同。家臣大野猪右衛門某妻)
女子
(実水野久右衛門忠正女。久留嶋右衛門長親妻)
※系図纂要によれば、正則の女子は二人で、
円証寺法印寿増妻と福島兵部生武正妻。
高晴
高経
忠政
定正
正武
権之助
半之助
女子
(稲垣数馬昭在妻)
女子
(伊東長左衛門祐持養女)
正胤
義富
女子
(日下作左衛門房盛妻)
女子
(一橋家臣中村新左衛門某妻)
亀松
高広
女子
(久留嶋信濃守康親室)
女子
(五条為適室)
女子
(仏照寺某妻)
女子
(藤堂和泉守家臣藤堂石見雅久妻)
助六
福島 正則
[ 永禄4(1561)年 〜 寛永元年7月13日(1624年8月26日) ]
本姓・源
〔寛政重修諸家譜作藤原氏支流〕
。
母木下氏
〔寛政重修諸家譜〕
。
市松
〔寛政重修諸家譜〕
。左衛門大夫
〔寛政重修諸家譜〕
。 号高斎
〔寛政重修諸家譜〕
。
従四位下。
元和3年6月21日(1617年7月23日)任参議
〔寛政重修諸家譜此同〕
。11月2日辞退。
元和5(1619)年月日出家。
室:津田長義女
〔寛政重修諸家譜〕
。
継室:牧野康成女(徳川家康養女)
〔寛政重修諸家譜・越後長岡牧野家譜〕
。
※生没年は、寛政重修諸家譜による。
長野 若松院福島正則公霊廟
岐阜 関ヶ原 福島正則陣所古趾
〔売薬版画〕江州近江製剤 福島正則
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