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天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
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彦五瀬命(母玉依媛命〔海神豊玉彦命少女〕)
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稲飯命(母同)
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三毛入野命(母同)
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神武天皇
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生没年
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神代庚午(前711)年正月1日 〜 神武天皇76年3月11日(ユリウス暦:紀元前585年4月9日:グレゴリオ暦:紀元前585年4月3日)
※生年は、本朝皇胤紹運録による。※没年は、纂輯御系図による。
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異称
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神日本磐余彦尊・神倭伊波礼毘古命・始馭天下之天皇。狭野。
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父
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彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊。
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母
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海童小女玉依姫。
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配偶者
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皇后 媛蹈韛五十鈴媛命(古事記作比売多多良伊須気余理比売〔元名・
富登多多良伊須須岐比売〕。
父:事代主神〔古事記作大物主神〕。
母:三島溝橛耳神女玉櫛媛 〔古事記作三島湟咋女勢夜陀多良比売〕。
綏靖天皇・神八井耳命〔・彦八井耳命〕の母)
妃 吾平津媛(吾田君小椅の妹。古事記作阿多之小椅妹阿比良比売。
手研耳命〔・岐須美々命〕母)。
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在位
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神武天皇元(前660)年正月1日〜神武天皇76(前585)年3月11日
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皇居
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大和国畝傍橿原宮。
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陵名
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畝傍山東北陵。
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華族類別録
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第一類
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皇別 阿蘇公
神武天皇皇曾孫速甕玉命裔
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従五位
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阿蘇惟敦
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肥後国阿蘇神社大宮司
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華族類別録第一類には、神武天皇の後裔として肥後国阿蘇神社大宮司の
阿蘇家が類別されている。
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公卿類別譜〜公家の歴史〜について
- 本サイトの公卿に関するデータは、
東京大学史料編纂所公開用データベースに公開されている家譜、
公卿補任(新訂増補国史大系53-57吉川弘文館。国史大系第9-11経済雑誌社)、
尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下吉川弘文館。 新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12吉川弘文館)、
公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
系図纂要(名著出版)
を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。
知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
- 菩提寺・居所に関しては、
雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕と
公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
を基本としました。
家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
実地調査はおこなっておりません。
- 家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
- 家紋に関しては、
雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
- 年数の表記に関しては、ユリウス暦1582年10月4日までをユリウス暦に換算し、
その翌日からをグレゴリオ暦に換算してあります。
ユリウス暦の場合は、西暦の頭にユリウス暦であることを表記してあります。
ユリウス暦の表記がないものは、グレゴリオ暦であることを示します。
和暦の改元の表記に関しては、改元した年の改元日から新元号の元年としました。
西暦への変換に関しては、和暦の各月の大小の値を
「日本暦日原典」内田正男/著に従って、算出したものです。
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父母名などを表記する場合、公卿に関しては、官位官職、卿・公の尊称は省略しました。
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