シュクオル Scuol の裏山、冬は広大なスキーゲレンデになるモッタ・ナルンス Motta Naluns へは、ゴンドラリフトを利用して上がろう。乗り場はシュクオル駅から歩いて5分とかからない場所にある。ゴンドラリフトで上がったら、まずはレストランなどの入っている建物のすぐ下にあるモッタ・ナルンスのピークへ行き、準備運動でもしながら、しばしウンターエンガディンの谷と山々の素晴らしい眺めを楽しもう。ちなみに「モッタ」とははロマンシュ語で丘という意味だ。
一息ついたら早速歩き出そう。標識でアルプ・クリュナス Alp Cluenas(ueはuのウムラウト)という地名を確認し、そちらの方角へ向かう。いきなり急な登りがはじまるので多少苦しいかもしれないが、上方に見えるスキーリフト駅の建物まで到達したら、そこから先はほぼ平坦なコースに移行するので、とりあえずそれを目標にゆっくり登ると良い。なお、この登りの区間はいくつかのルートが並行して通っているが、幅の広い道はスキー場整備の工事用車両が上がって来るので注意しよう。スキーリフト駅までは20〜30分ほど。道はところどころ分岐しているので、"Alp Cluenas"の標識をたよりに進もう。やがて道はほとんど平坦になり、ここからいよいよ楽しいお花畑ハイキングのはじまりだ。
正面にピッツ・サン・ジョンやピッツ・リシャナの見事なカール、東には大きな氷河を抱いたエッツターラー・アルペンの山々、そして眼下のエンガディンの谷を望みつつのんびり歩いて行くと、ほどなくアルプ・クリュナスに到着する。可愛らしい小さな小屋のすぐ先が、小ピーク、ピッツ・クリュナス Piz Cluenas へ向かう道の分岐だ(ピッツ・クリュナス登頂断念記およびコースのディテールはこちら)。ピッツ・クリュナスに行かない場合は、標識にあるアルプ・ラレット"Alp Laret" の文字に従って、先に進もう。
分岐からちょっと歩くと、右手に広々とした浅いカールが口をあけるようになる。やがて道はいくつかの細流を横切るようになるが、この水はカールの奥のミンシュン湖 Lai da Minschun という美しい氷河底湖から流れ出して来るものだ(ピッツ・クリュナスに登る場合は下山時にこの湖を訪れることになる)。
カールを横切り終わると周囲は青々とした牧草地になり、道は次第になだらかに下降しはじめ、そのうちにどんどん斜度を増して下っていくうちに、アルプ・ラレットの小屋に到着。ここの見晴しの良いテラスでは、飲み物と軽食を取ることもできる。なお、このコースはここで切り上げ、フタン Ftan の村に下りてもかなり満足できるのではないかと思う。フタンからはバスで10分ほどでシュクオル駅、あるいはアルデッツ駅に出られる。
本項では更に歩くことにする。アルプ・ラレットの小屋の下で道が分岐するので、標識でアルプ・ヴァルマーラ Alp Valmala の文字に従って進もう。ここから先、道はイン川の谷の支谷、タスナ谷 Val Tasna の奥に入って行く。今までとはだいぶ雰囲気が変わり、軽装のハイカーたちで賑やかだったアルプ・ラレットと較べ、こちらへ入って来るのはいかにも山歩きという感じの人たちばかり。周囲の風景も、なんとなく急に深山に入り込んだような印象を受けるが、このコースは大きな氷河を抱くスイス/オーストリア国境の高峰群へと続いているのだ。花の種類もさっきよりかなり増え、山好きの人にとってはこちらの方が好ましいのではないだろうか。
道は徐々に高度を下げ、お花畑から疎林に入ると一気に急坂となって谷底に下りる。ここで道はいくつかの方向に分岐するが、私たちは目の前の川にかかる橋を渡ろう。橋を渡ったところがアルプ・ヴァルマーラ。小さな小屋があり、直訳すると「(アルプに出ている人が)お飲物とお食事に関して喜んで情報を提供いたします」という看板が出ているが、おそらく在庫があればここで自家製牛乳とチーズなどが買えるのではないかと思う。ちなみにこの時は近辺に人がいなかったようで、声をかけても誰も出てこなかった。
アルプ・ヴァルマーラからはタスナ谷の出口に向かい、川に沿って下り返して行こう。道は川の右岸、左岸 ※注 の両方についており、好きな方を歩けばよい。途中には何箇所か橋もかかっている。道がよく整備されて歩きやすいのは左岸のほうだが、車をどこかに停めて少し歩こうという犬連れの人やマウンテンバイクの往来が多く、落ち着かない。ここでは右岸のアルデッツ Ardez 寄りを歩くことにする。 途中いくつか分岐があるが、標識で"Ardez"の文字を確認しながら行こう。
道はしばらく明るいアルプと針葉樹の疎林をかわるがわる抜けて行く。このへんはアルプ・ヴァルマーラや、少し上のアルプ・タスナの放牧地になっており、牛や羊の群れが草をはむ姿がいかにものどかだ。この辺りに限ったことではないが、スイスでは普段登山道と放牧地を区切ったりすることはあまりないので(人がやたらと多いベルナー・オーバーラントあたりは別)、しばしば牛の群れが登山道をふさいでいることがある。普通はなんということはないが、仔を連れた母牛は雄叫びを張り上げ、登山者に威嚇の姿勢をとることがあるので、驚かさないように気をつけよう。
やがて周囲は次第に深い針葉樹林に入り、タスナ川の流れのすぐそばを歩くようになる。川は水量豊かで幅があり、水が光を反映するおかげで針葉樹林の印象を明るいものにしている。また、このタスナ谷は雪崩が多いようで、谷底まで押し出された雪が川をまたぎ、あちこちに巨大なスノーブリッジを作っている。これはかなり遅い時期まで残る年もあるそうで、なかなか豪快な眺めだ(スノーブリッジの下に入りこむなどという蛮行は絶対にしないように!)。とにかく進むごとにいろいろな景色があらわれる。
アルプ・ヴァルマーラから歩くこと1時間以上、いくら何でも風景に飽きてきたころ、アルデッツとフタンの集落を結ぶ舗装道路が見えてタスナ谷の出口に到着する。舗装道路を避け、川から離れて山道を少々登って行くと、森が途切れて再び広大なイン川の谷が目の前にあらわれる。気分爽快なことこの上ない。小高い丘のような地形になった山の鼻を曲がると、すぐに廃虚となった小城址があり、そこを過ぎると眼下に小さな山城を持つアルデッツの村が見えて来る。あとは村まで牧草地の中の道を標高差200mばかり一気に下り、エンガディンふうにスグラフィットを施した家屋が連なる鄙びた村落を通り抜ければ、レーティシュ鉄道のアルデッツ駅だ。
(注)右岸・左岸:
源流を背にして、つまり川が流れ下る方に向かって右が右岸、左が左岸
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