永世中立の本音
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 その昔、まだ世界地図に「ソビエト連邦」「東ドイツ」「西ドイツ」なんて文字があり、いわゆる冷戦構造が崩壊する以前のことである。 当時の筆者はひとつの疑問を抱いていた。
スイスはえいせいちゅうりつこくです。これは世界中ぜんぶの国とせんそうをしません、ということです

 はるか昔の小学生の頃、スイスについてこんなふうに習った記憶がある。これは筆者だけではないだろう。しかし、その国がなぜ、こんなハイパーそうな軍隊を持っているのか?そもそも永世中立国・スイスには一体「仮想敵(国)」なんていうのがあるのか??その疑問を友人のダンナさんであるスイス人男性(兵役経験もちろんあり)にぶつけてみたら、あっさり答えが返ってきた。

「Red Army」

ありゃりゃ。

 その後も行く先々で思い出すたびに人に尋ねてみたが、やはり同じ答えだ。赤軍、要するに当時の共産主義諸国(の軍隊)である。それも感覚的になんとなく敵っぽいかな〜?ではない。演習の時など、もろに仮想敵として赤軍が設定されていたという。※注1

 なんだ、あるじゃん。仮想敵国。

「あの〜、私は子供の頃、スイスは永世中立国で、世界中のどの国ともケンカをしません、と学校で習ったんですけど」

「冗談でしょう、逆ですよ。世界中のどの国とだってケンカする用意があるという意味かもしれませんよ!まあこれは冗談ですが。いずれにしても、外国軍の攻撃を受けることなく中立を維持するには力(Macht)が必要です。この国の場合それは軍隊というよりむしろ、スイスフランですな」
★ ★ ★

 冷戦終結から10数年、国家間のパワーバランスもおカネの流れも当時とは大きく変わった。2002年、スイスはついに国連へ加盟し※注2、完全な意味での中立国ではなくなった。現在はEU加盟をめぐる攻防の真っ最中で、スイスも徐々にそのスタンスを変えつつある。

 ある時、山歩きで知りあったスイス人のおば様たちとそのことが話題になった。このおば様たちは、保守的でEU加盟反対派が多いとされるドイツ語圏の住民である。

「スイスがなんで中立国かっていえば、今のところ中立がこの国にとって得になるからよ。将来もしも損になるようだったら、また話は違ってくるでしょうね」

「なぜこの国がこれまで外から攻め込まれずに中立を保っていられたかと言えば、他の国にとっても、スイスという中立国の存在が便利だったからよ」
「そうそう、おカネ貸してくれる国がなくなっちゃうものね!」
(ここで一同オバちゃん笑い)
「でも、スイスの存在意義も昔とはだいぶ変わっちゃったわね。もうこのままではいられないと思うわ」

 この会話の中の「このままではいられない」という言葉の意味をよくよく尋ねてみると、形而上的・テツガク的なものではなく、要するに「このままではスイスはゴハンが食べられなくなる」という意味だった。ゴハンで家族を養う任務を背負ったおば様方が、即物的・現実的な物の考え方をするのは世界中どこも同じだが、それにしてもなんだか、今までイメージしてきたスイス像とは随分違うんだけど……

★ ★ ★

 スイス北部、ドイツとの国境にシャフハウゼンという町がある。スイスとドイツの国境は概ねライン川を境に、北はドイツ・南はスイスとなっているが、この町だけはまるで飛地のように、ライン川の北、ドイツ側に大きくはみ出している。第二次世界大戦中、この町はアメリカ軍の空爆を受けて40人の死者を出した。「ライン川の北にあったのでドイツの町と間違えた、誤爆だった」というのが連合国側の言い訳だが、実際のところは、中立とは言いながらもあからさまに枢軸国寄りのスタンスを取っていたスイスへの制裁だったとも言われている。

 また、同じ大戦中スイスと同じように中立の立場を取っていたスウェーデンは、他国の軍隊による侵攻を免れるために、ドイツ軍の領内通過を許すことで事実上枢軸国に協力し、近隣諸国、特にフィンランドが多大な犠牲を被る結果となった。フィンランド人と話をして、スウェーデンに対する反感の強さにドキリとさせられたことが何度かあるが、その原因はこの辺りにあるのだろう。
(フィンランドの西部海岸地域にはスウェーデン系住民が多数居住しているが、第二次世界大戦直後の彼らの立場もまた、非常に困難なものになったろうと想像する)

 永世中立国の理念って実際のところ一体何なんだろう。平和への愛?その平和は誰にとっての平和?

注1:
後日複数の人(冷戦時代に兵役経験済みのスイス人やら、日本人やら)に聞いたのだが、そもそも演習というのは具体的な仮想敵なしでは不可能なのだそうだ。なぜかというと、「敵」の戦法、兵力・兵器の詳細がなければ、それを封じ込めるための作戦は立てられないというわけで……。スイス人に「そんな事も知らんのか!」と呆れられてしまった。

注2:
スイスでは過去にも国連加盟の是非が国民投票にかけられ、反対多数で否決された経緯がある

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首都・ベルン。
キルヒェンフェルト橋から見た夕暮れの国会議事堂
氷河に突き当たって行き止まりのはずの小さな谷に、不相応に立派な橋が。この先に人家はないと思ったが……
そういう時はたいてい軍関係の施設。橋が頑丈そうなところを見ると、重量のある軍用車両か何か入ってるのかしらん。立ち入り禁止の表示も何も出ていないので、近寄って観察(見られて困りそうなモノは当然何もなかった)。

1980年代くらいまで、スイスで発行された地図では軍関連の施設は空白になっていた。もしも古い地図をお持ちだったら、たとえばインターラーケン南郊の軍用空港のあたりを見てみよう。真っ白!
おスイス
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12. Sep. 2005