公卿類別譜
〜公家の歴史〜
サイト内検索
家名索引
公卿名一覧
家格
奈良華族索引
寺院索引
基礎用語
対照表
後白河天皇と
後白河源氏
第77代
後白河天皇
生没年
大治2年9月11日(ユリウス暦:1127年10月18日)〜建久3年3月13日(ユリウス暦:1192年4月26日)
異称
雅仁。行真。
父
鳥羽天皇
母
藤原璋子
待賢門院。藤原公実女。母藤原隆方女光子。
康和3(1101)年生〔女院小伝による。女院記作康和5(1103)年。本朝謚号雑記作康和2(1100)年〕。
天治元年11月24日(ユリウス暦:1124年12月31日)院号。
久安元年8月22日(ユリウス暦:1145年9月10日)崩御。
配偶者
皇后
藤原忻子
藤原公能女。母藤原俊忠女従三位豪子。
長承3(1134)年生。
久寿2(1155)年入宮。
保元元年10月27日(ユリウス暦:1156年12月11日)立為中宮。
承元3(1209)年8月崩
〔皇親系作12日〕
。
女御
平滋子
建春門院。初称小弁、後東御方。平時信女。母藤原顕頼女。
康治元(1142)年
〔女院記〕
。
仁安元年10月21日(ユリウス暦:1166年11月15日)叙従三位。
仁安2年正月2日(ユリウス暦:1167年1月24日)為女御
〔女院小伝によるが、女院記作20日〕
。
嘉応元年4月12日(ユリウス暦:1169年5月10日)院号。
安元2年7月8日(ユリウス暦:1176年8月14日)崩御
〔女院記・皇親系〕
。
源懿子
源有仁猶子。実藤原経実女。母藤原公実女従三位公子。
康治2年6月24日(ユリウス暦:1143年8月6日)薨〔皇親系〕。追尊皇太后。
女御
藤原琮子
藤原公教女。
高階栄子
称丹後局。法印澄雲女。従二位。
藤原成子
称按察局、又高倉三位局。藤原季成女。従三位。
藤原氏
藤原公能女。母藤原俊忠女従三位豪子
〔皇親系〕
。
源氏
称三条局。法印応仁女
〔纂輯御系図作法印仁操女〕
。
紀氏
称丹波局。内膳司孝資女。
某氏
称坊門局。兵衛尉信業女。
平氏
※尊卑分脈等による。御体
〔桓武平氏系図。諸本によれば御子姫〕
。平清盛女。 母厳島内侍。
在位
久寿2年7月24日(ユリウス暦:1155年8月23日)〜保元3年8月11日(ユリウス暦:1158年9月5日)
皇居
平安宮。
陵名
法住寺陵。
後白河天皇系図
後白河天皇
二条天皇
以仁王
*1
王子
(※皇親系による。称北陸宮。永万元(1165)年生。
寛喜2年7月8日(ユリウス暦:1230年8月17日)卒)
真性
(天台座主。号書寫宮又城興寺。或成真寺又上野。母藤原忠成女)
道性
(※皇親系による。嘉応2(1170)年生。文治3年2月10日(ユリウス暦:1187年3月21日)卒)
道尊
(仁和寺。東寺一長者。東大寺別当。蓮華光院。号西院。母伊予守[高階]盛章女。
牛車。安元元(1175)年生。安貞2年8月5日(ユリウス暦:1228年9月4日)入滅)
法円
(園城寺長吏。円満院。権僧正。号嵯峨僧正〔諸門跡譜〕。
寛喜3年9月18日(ユリウス暦:1231年10月15日)薨〔皇親系〕。
※本朝皇胤紹運録は北陸宮同人)
仁誉
(園城寺)
高倉天皇
守覚法親王
(仁和寺。二品。本名守性。号北〔仁和寺御室系譜作喜多〕院御室。母同以仁王。
久安6年3月4日(ユリウス暦:1150年4月3日)生。
建仁2年8月25日(ユリウス暦:1202年9月12日)寂)
円恵法親王
(園城寺。号八条宮。天王寺別当。母平信業女坊門局。
寿永2年11月19日(ユリウス暦:1184年1月3日)卒於華山寺辺)
定恵法親王
(无品。園城寺長吏。天王寺別当。号鳥羽宮。母同。
建久7年4月18日(ユリウス暦:1196年5月17日)薨〔皇親系〕)
静恵法親王
(園城寺。聖護院大宮。母同。長寛2(1164)年生〔皇親系〕。
建仁3年3月12日(ユリウス暦:1203年4月25日)薨〔百錬抄による。皇親系作13日〕)
承仁法親王
(梶井。無品。天台座主。本名寂恵。母仁操僧都女丹波局〔皇親系作紀氏、内膳司孝資女〕。
嘉応元(1169)年生〔皇親系〕。建久8年4月27日(ユリウス暦:1197年5月15日)薨〔皇親系〕)
道法法親王
(二品。本名尊性。仁和寺。号後高野御室又西院。母法印応仁女三条局〔纂輯御系図作
法印仁操女〕。仁安元年11月13日(ユリウス暦:1166年12月7日)生。
建保2年11月21日(ユリウス暦:1214年12月23日)寂。
号光明寿院〔謚号考・皇親系〕。※皇親系によれば、高倉天皇養子)
亮子内親王
(殷富門院。母同以仁王。安徳天皇准母。後鳥羽天皇准母〔女院小伝〕。
佐渡院[順徳天皇]養母〔女院記〕。久安3(1147)年生。
久寿3年4月19日(ユリウス暦:1156年5月10日)為内親王。即日為伊勢斎宮。
保元3年8月11日(ユリウス暦:1158年9月5日)退下。
寿永元年8月14日(ユリウス暦:1182年9月13日)為皇后宮。
文治3年6月28日(ユリウス暦:1187年8月4日)院号。
建久3年11月9日(ユリウス暦:1192年12月15日)為尼真如観〔或真如理〕。
建保4年4月2日(ユリウス暦:1216年4月20日)崩〔女院小伝1日〕)
式子内親王
(准三宮。斎院。高倉宮。号大炊御門斎宮。法名承如法。母同。
百人一首作者。平治元(1159)年卜定)
好子内親王
(斎宮。母同。保元3(1158)年卜定〔本朝女后名字抄〕)
休子内親王
(斎宮。母同、或平信重養女坊門局。保元2(1157)年生。
仁安元(1166)年卜定〔本朝女后名字抄〕。
承安元(嘉応3)年3月1日(ユリウス暦:1171年4月7日)薨)
惇子内親王
(斎宮。号堀川宮。母藤原公能女。
仁安3(1168)年卜定〔本朝女后名字抄〕。承安2年5月3日(ユリウス暦:1172年5月27日)薨)
覲子内親王
(宣陽門院。准后。母法印澄雲女従二位高階栄子(元丹後局。相模守平業房妻)。
養和元(1181)年生〔女院小伝・女院記。皇親系作10月5日。後宮略伝作建久4(1193)年生〕。
文治3年8月3日(ユリウス暦:1187年9月6日)着袴。
文治5年12月5日(ユリウス暦:1190年1月12日)為内親王。同日准三宮。
建久2年6月26日(ユリウス暦:1191年7月19日)院号。
元久2年3月11日(ユリウス暦:1205年4月1日)為尼。長講堂。性円智。
建長4年6月8日(ユリウス暦:1252年7月15日)崩)
真禎
(仁和寺。大僧都。号太秦宮。広隆寺別当。母同道法)
恒恵
(園城寺。僧正。法輪寺。母同円恵〔皇親系によれば、一云備中守大江信忠女〕)
*1
以仁王 号高倉宮。母藤原季成女従三位成子。仁平元(1151)年生〔皇親系〕。治承4年5月26日(ユリウス暦:1180年6月20日)薨〔皇親系〕。
第76代
第78代
関連書籍
後白河上皇 (人物叢書)
後白河上皇—中世を招いた奇妙な「暗主」
後白河法皇 (幻冬舎新書)
後白河天皇 日本第一の大天狗
当サイトへのリンクは、どのページに対してもご自由になさってくださって結構です。また、リンクしていただいた際のご報告も不要です。
本ホームページの内容・写真等を無断で転記、転載することを禁じます。
Copyright(C) 2003-2016 Kugyoruibetsufu. All rights reserved.