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Sさんの家の猫
 スイスの田舎を歩いていると、やたらと猫の姿を目にする。屋外はもちろんだが、企業や役所、レストランにホテルと、日本の感覚だと「えっ?」と思うような場所にも、いきなり猫が現れたりしてびっくりすることがある。これをお読みの方の中にも、宿泊したホテルで猫に愛想を振りまかれた経験のある方は多いのではないだろうか。

 筆者の友人・知人を見渡しても、犬のいない家はあっても、猫のいない家というのはちょっと見当たらない。スイスの猫たちはどんな生活をしているのか、ちょっとのぞいてみよう。


 ベルン近郊の田園地帯で農業と牧畜を営むSさんのお宅には、現在8匹の猫が住んでいる。1匹はブリーダーから購入した猫で、名前は「ルファー」、もう1匹は、以前この屋敷の2階に間借りしていた学校教師が置いて行った、ペルシア猫ふうの雑種「トゥーラ」。残りはこの屋敷に代々住み着いている猫の一家で、名前はあったり、なかったり。

 Sさんの住む家は、築300年以上経過した木造3階建て、屋根裏・地下室つきの豪壮な農家屋敷である。美しいし、住み心地はいいし、すばらしい家なのだが、大体こういう家にはネズミがつきものである。しかも、「ネズミの天国」干し草置き場や牛舎もあるので、Sさんの家では、常に数匹の猫を住まわせて「ネズミ捕り猫」として任務にあたってもらっている。

 別にスイスに限ったことではないのだろうが、ネズミ対策として猫を住まわせることはごく一般的に行われている。Sさんのような個人宅だけでなく、古い建物に入居する企業や役所も同様で、猫にきちんと肩書きと予算をつけている所もあるという。また、普段からそんなふうに猫になじんでいれば、ネズミ捕りとは無関係に、単に猫と一緒に暮らしたいという人も多いのは当然だ。

 Sさんのお宅の場合、8匹の猫のうち、ルファーとトゥーラは人間と同じ部屋に住む「家猫=ペット」で、残りが「ネズミ捕り猫」ということになっている。ネズミ捕り猫たちは基本的に居室には入らず、納屋やガレージなど思い思いの場所に寝床を取り、半野生の生活を送っている(ネズミを捕らなくなるので、ネズミ捕り猫に餌をやらないという人もいるが、Sさんの家では一応ネズミ捕り猫たちにもカリカリ餌だけ与えている)。彼らは家猫ほど人懐こくないが、Sさんや奥さんが外にいる時など、しばしば獲物をくわえて自慢しに来るところを見ると、自分たちとSさんたちとの関係をよく理解しているのだろうか?

      * * *

 ルファーとトゥーラは同じ屋根の下でまあまあ仲良く……というより、お互いの存在を無視しあって生きているが、彼ら2匹とネズミ捕り猫たちは、完璧な対立関係にある。体つきの小振りなルファーは、以前屋外でネズミ捕り猫たちの包囲総攻撃を受けて大けがをして以来、彼らを怖がってまったく外に出なくなってしまった。外で生活するネズミ捕り猫たちの中には病気を持っているものもいるので、Sさんはルファーに何か起こらないかと心配し、医者に連れていったりしたが、幸い何事もなかった。

 日本と違い、スイスでは飼い犬だけでなく、飼い猫にも年1回、感染症の予防接種が義務づけられている。毎回かなりの費用がかかり、今のところSさんはルファーだけにしか予防接種をしていない。トゥーラは予防接種の通知が来るたびに、以前の飼い主だった学校教師に連絡して、予防接種を受けさせるように促すのだが、この学校教師ときたら少々だらしのない人間で(だからトゥーラを置いていったのだろう)、結局ずっとそのままになってしまっている。

 ネズミ捕り猫たちは、安全な寝場所と餌を貰ってはいるものの、やはりペットの猫たちに較べ、寿命が格段に短い。Sさんの家では毎年新しい小猫が生まれるが、特に何もしなくてもだいたい今くらいの数で推移している。元気なオス猫などは、新天地を求めて他所へ移っていくのだろうが、行方不明になってしまったものの中には、交通事故や病気で死んでしまったものもいるに違いない。

      * * *

 Sさんの家のネズミ捕り猫たちは、歴代にわたって人間にさわられるのを嫌がるものが多かったのだが、1匹だけよく人に慣れている猫がいた。白地に少し灰色虎斑が混ざったきれいな猫で、Sさんの奥さんは「ヴィッツリ(シロちゃん、くらいの意味)」と名付けて可愛がっていた。

 ところがある日、ヴィッツリはSさんの家からぱったりと姿を消してしまった。普段なら、ネズミ捕り猫が行方不明になってもそれほど気にしないのだが、ヴィッツリを特別に可愛がっていた奥さんは、次第に心配になりはじめ、散歩の途中にあちこち尋ね歩いたりするようになった。
「ヴィッツリがいなくなって何日かしたとき、空を見上げたら、ワシがこうやって羽を広げて飛んでいたの。何年か前から夫婦でこの近くに住んでいるのよ。山のワシじゃないからそれほど大きくはないんだけど、あれにやられた猫や子犬がこの近所にも何匹かいるの」

 奥さんの実家のあるベルナー・オーバーラントの山間部では、小猫どころか若い家畜が猛禽に持っていかれることも時折起こる。ここは実家と違って都市部だが、彼女の心配も、やっぱりそれが一番最初に来るようだ。
「ヴィッツリはこれといった病気はないから、それで死ぬというのは考えられないし、車にはねられたのならすぐにわかるし。自然界には1年中真っ白い動物なんていないでしょ?ヴィッツリは白くて目立つから、天敵に狙われやすいのよ」

 それから随分たったある日、ヴィッツリはSさんによって偶然発見された。場所は、Sさんの家とアーレ川を挟んだ対岸の牧草地。Sさんは最初、ヴィッツリに似た猫がいると思い、まさかと思いながらも呼びかけて見たという。そうしたら、思いがけずその猫はこちらに向かって走り寄ってきた。

 Sさんは最初のうち、それが本当にヴィッツリとは信じられなかったという。なぜなら、Sさんの家からそこへ行くにはアーレ川を渡る必要があるが、その近辺は上流・下流ともそれぞれ3〜4kmほど行かないと橋がないのである。ふつう、猫の行動範囲はそんなに広くない。しかし、氷河直結の冷たい水がとうとうと渦巻いて流れるアーレ川を、猫が泳いで渡り切れるとはとても思えない。ま、何はともあれ、ヴィッツリは無事Sさんの家に戻ってきたのだが……
「猫ってのはよくわからないね。それがいい所かね」

毎回筆者に居候されて困っている
G家の猫どん
母屋が貸しシャレーとして使われている屋敷の、物置き小屋に住んでいる猫たち。典型的な「ネズミ捕り猫」の一家。写真のクロと白灰トラのほか、茶トラ2匹とシロがいた。飼い猫と違って警戒心が強いが、まったくの野良と違い、人に慣れるのが割合早い
スイスならぬフランス、シャモニ。山ヤ御用達の小さな民宿の飼い猫・アニエス嬢。5つほどある客室を毎日尋ね歩いては、ドアをあけるよう催促し、中を歩き回って異常がないか点検する。ひとしきり見回って気が済んだら、次の部屋へ。
写真のように、お客に邪魔されても絶対怒らない(けどイヤそう)
ドアに取り付ける猫用扉は最近日本でもよく見かけるが、こちらは外壁に取り付ける猫用階段。時には地上から屋根まで、これを縦横に張り巡らせている家もある(フロアごとに1世帯ずつ間貸ししているような建物に多い)。どんな際どい高所も平気で駆け登っていくのは、さすがに猫ならではだが、ネズミの進入口にもならないのかな?
「金曜日の晩から行方不明です。名前はミヌーシャ」
ベルン市電の切符販売機に貼られた、探し猫の張り紙。単なる家出や交通事故を心配するのはもちろんだが、ベルンのような都市部近郊でも、ワシ・タカ類の猛禽による動物の連れ去りがときどきあり、人々はそれを一番心配する
犬と猫、仲良く並んでお休み。

余談だが、スイスで犬を飼う人にとっての脅威は狂犬病。動物・人間とも発病すれば死亡率ほぼ100%の恐ろしい病気だ。日本では根絶したとされる病気だが、スイスでは今でも時折キツネなどの野生動物に狂犬病が発生する。そうなると発生地域一帯での犬の散歩は禁止され、飼い主は犬を遠い安全地域まで連れていって散歩させなければならない。特に、車を持っていない人にとっては一大事だ

       

       

       

ついでの実験コーナー
「猫にカツブシ」は海外でも有効か
カツオブシと縁のない生活を送ってきた猫が、果たしてカツオブシまぶしの「猫まんま」を食べるかどうか実験してみた

その1 スイスにお住まいの、上の写真の猫さん
見向きもしないで終わり。ご主人は「もったいないから食べなさい!」と怒る。ちなみにこの猫、気に入らない餌が出されると、ごはん皿をまたいで、ウ○コに砂をかける仕草をする。
「こんなものは糞である」
おお……

その2 ドイツ、バイエルン州におすまいの猫さん
生まれてはじめて見たはずの「猫まんま」に、なんの迷いもなくスッと近づき、ペロリと食べた

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