ツィリスのシャムス谷博物館を見学しているときに、民族衣装風にアレンジした一揃いの、しゃれたスタイルの老紳士(推定70歳前後)が筆者に話しかけてきた。近くの村に住んでいて、たまにここに見物に来るという。
彼は私にくっついて歩き、展示品についていろいろ説明してくれる。どうやら年寄りのいいヒマつぶしの種にされているな、よくあることだ、と思ったが、筆者のおぼつかないドイツ語でも結構話がはずみ、なんのかんの言って楽しく時間を過ごすことができた。
数日後、ちょっと用を足そうと思ってクールに出た帰り、偶然にもトゥージスの駅でその老紳士と再会した。彼は非常に喜び、こちらの都合も聞かずに、とにかくぜひぜひお茶でも飲もうと一生懸命私を誘う(これもまたお年寄りにはよくある事)。特に断る理由もなかったので、お受けすることにした。そんなわけで入った駅のカフェで彼が語った身の上話。
・・・私は何年か前までトゥージスに住んで、働いていたんですよ。それが年金生活に入ることにして、これから先は自分の好きに過ごそうと思い、家を売り払って田舎に引っ越そうと思いました。でも、新しく家を買ったり借りたりするのも面倒だし、老人ホームはもっと後でいいと思ったので、家具なども全部処分して、手荷物だけ持って、適当なホテルと契約して滞在することにしました。安い小さなホテルです。1日の費用を考えると、充分経済的だし、便利だし。そして気の向くまま居所を替えられるのがホテル暮らしのいいところなんですが、実際には面倒くさくなっちゃって、たまに「旅行」するだけで、そこに戻って来てしまいます。
楽しいですよ。ホテルにはいつも入れ替わり立ち替わり人が来ますから、いろいろな人と話せますしね。今の時期だと、夏休みでイタリアに行くドイツ人が通りすがりに何日か泊まって行くでしょう。気が合うと一緒に歩いたりしますね。ゆうべはそういう家族の子供と、ダーツなんかして遊びましたよ。
ホテルの人たちとはもちろんいい関係です。だって、そうでなければヨソに行っちゃいますよ。
家族はいませんから気楽なんです。私みたいに暮らしている人間は珍しくないですよ。
・・・・・・
その当時私が逗留していた、やはり家族経営の小さな安いホテルに1人の老人がいた。彼はしばしばホテルの犬を連れて散歩していたので、はじめは家族かな?と思っていたが、どうも待遇は「客」である。
その老人はいつも客用のテーブルで新聞を読み、「こんなに不祥事ばかりで、○○は一体何を考えているんだかね・・・」というようなことを、誰に問うているでもなくつぶやいていた。時々、宿の御主人が「ありゃバカだよ」などと答えると、世間話がはじまる。方言がきついので2人の会話はいつもほとんど理解できなかったが、まだ30歳前後の、若いホテルの御主人が神妙な顔をして何か相談する(?)のに対し、温厚な笑みを浮かべて何か答えている(?)こともあり、そんな様子は家族のようにしか見えなかった。しかし、老人はコーヒーを飲み終わると、代金を払って部屋に戻っていく。部屋は客室である。
ホテルに滞在中、その老人とは挨拶程度しかしなかったので、正確なことはわからない。でも、おそらく彼も同じように、老後をホテルで気楽に過ごそうという人だったのではないか?
「ホテル暮らしの老後」孤独な晩年のようにも見えるが、もしも独り身だったら、1人暮らしよりもはるかに安心だし、うまくいけば暖かい人間関係も構築できる。
確かに一番楽しい暮らし方なのかも・・・
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