(三条天皇と三条源氏)

三条源氏 源氏インデックス
第67代  三条天皇
生没年 天延4年正月3日(ユリウス暦:976年2月5日)〜寛仁元年5月9日(ユリウス暦:1017年6月5日)
異称 居貞。金剛浄〔皇代畧記作金剛行〕。
冷泉天皇
藤原兼家女超子
配偶者
中宮 藤原妍子 藤原道長二女。母従一位源倫子。
万寿4年9月14日(ユリウス暦:1027年10月16日)崩〔系図纂要・大鏡裏書・皇親系附録〕。
皇后 藤原娍子 藤原済時女。母源延光女。
女御 藤原原子 藤原道隆二女。母高階成忠女貴子。
在位 寛弘8年6月13日(ユリウス暦:1011年7月16日)〜長和5年正月29日(ユリウス暦:1016年3月10日)
皇居 平安宮。
陵名 北山陵。
三条源氏系図
三条天皇 ┳ 小一条院 ┳ 敦貞親王 ┳ 宗家(母播磨守藤原済政女〔尊卑分脈作
  ┃   ┃   ┃   藤原済時女〕。藤原信家養子。
  ┃   ┃   ┃   従四位下。左少将)
  ┃   ┃   ┣ 敦輔王(敦平親王養子)
  ┃   ┃   ┣ 行勝(実相院。大僧都)
  ┃   ┃   ┗ 寛意(仁和寺中観音院。法眼。権大僧都。隠居後高野山。
  ┃   ┃   天喜2(1054)年生。康和3年6月15日(ユリウス暦:1101年7月12日)卒)
  ┃   ┣ 敦元親王(母藤原道長女寛子。無品。為三条天皇子〔皇親系作
  ┃   ┃   長元2(1029)年〕。治安3(1023)年生。
  ┃   ┃   長元5年7月14日(ユリウス暦:1032年8月22日)薨)
  ┃   ┣ 儇子内親王(一云懐子。母同敦元。三条院養女。藤原信家室)
  ┃   ┣ 嘉子内親王(斎宮。母藤原頼宗女。三条院養女。
  ┃   ┃   寛徳2年3月10日(ユリウス暦:1045年3月30日)卜定)
  ┃   ┣ 斉子女王(母下野守源政隆女〔世人号瑠璃女御〕。
  ┃   ┃   斎院。号春日斎院)
  ┃   ┣ 源基平
  ┃   ┣ 信宗 ┳ 行信 ━ 範信 ┳ 実憲(為藤原公隆子)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 実雅(或実敬)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 高行 ┳ 行能
  ┃   ┃   ┃   ┃ (七条院判官代)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 行仲
  ┃   ┃   ┣ 定信 ━ 保信 ━ 定隆(斎院長官。
  ┃   ┃   ┃   従五位下)
  ┃   ┃   ┣ 信忠(右馬助〔或頭〕。従五位上)
  ┃   ┃   ┗ 信慶
  ┃   ┣ 顕宗
  ┃   ┣ 当宗
  ┃   ┣ 行観(園城寺。大僧正。号錦織僧正。定基僧都弟子。母半物。
  ┃   ┃   皇親系によれば、真如院。尊勝院。長和2(1013)年生。
  ┃   ┃   延久5年3月28日(ユリウス暦:1073年5月7日)薨)
  ┃   ┣ 聖珍(阿闍梨)
  ┃   ┣ 敦昌親王(母同敦貞。為三条天皇子〔皇親系作長元2(1029)年〕)
  ┃   ┣ 敦賢親王(母藤原頼宗女。為三条天皇子)
  ┃   ┣ 栄子内親王(母同敦貞。三条院養女〔皇親系作寛仁3(1019)年〕)
  ┃   ┣ 王子(母同敦元。寛仁3年12月6日(ユリウス暦:1020年1月3日)生。
  ┃   ┃   寛仁4年6月9日(ユリウス暦:1020年7月2日)卒)
  ┃   ┣ 王女(母同。寛仁2年12月9日(ユリウス暦:1019年1月17日)生。15日夭)
  ┃   ┣ 王女(母同斉子)
  ┃   ┗ 師明親王(※皇親系による。実三条院皇子)
  ┣ 敦儀親王(母同。三品。式部卿。中務卿。号石蔵式部卿宮。
  ┃   長徳3(997)年生〔皇親系作5月19日〕。天喜2(1054)年7月11日薨)
  ┣ 敦平親王 ┳ 敦輔王 ┳ 源通季 ┳ 式季王 ━ 兼式王 ━ 兼資王 ⇒B
  ┃   ┃   ┃   ┗ 定資王 ┳ 親行王
  ┃   ┃   ┃   ┗ 親能王
  ┃   ┃   ┗ 仁子(※皇親系による。賜源姓。従五位下。典侍)
  ┃   ┣ 種成(※皇親系による。賜源姓。因幡守)
  ┃   ┣ 敬子女王(斎宮。母源則理女)
  ┃   ┗ 祇子(※皇親系による。兄種成養女。藤原頼通室。
  ┃   従五位下。贈従二位)
  ┣ 師明親王(三品〔仁和寺御室系譜作二品〕。法名性信。始号御室。母同。
  ┃   准三后。仁和寺。大師九世。
  ┃   号長和親王。廣澤法流正統。小一条院養子〔皇親系〕。
  ┃   寛弘元(1004)年生〔仁和寺御室系譜作寛弘2年8月1日(ユリウス暦:1005年9月7日)〕。
  ┃   寛仁2(1018)年入仁和寺〔仁和寺御室系譜作8月27日〕。
  ┃   応徳2年9月27日(ユリウス暦:1085年10月18日)薨)
  ┣ 当子内親王(母同。斎宮。長保3(1001)年生。
  ┃   治安3(1023)年薨〔皇親系作9月12日〕)
  ┣ 禔子内親王(母同。三品〔皇親系作二品〕。藤原教通室。
  ┃   永承3(1048)年閏正月薨〔皇親系作29日〕)
  ┣ 禎子内親王(陽明門院。一品准后。母藤原道長女妍子。後三条天皇母。
  ┃   長和元(1012)年生〔女院記作長和2年7月6日(ユリウス暦:1013年8月15日)。
  ┃   女院小伝作長和4(1015)年〕。
  ┃   治暦5年2月17日(ユリウス暦:1069年3月12日)院号。
  ┃   寛治8年正月16日(ユリウス暦:1094年2月3日)崩)
  ┣ 儇子内親王(実小一条院子。一云懐子。母同敦元)
  ┣ 敦貞親王 ┳ 宗家(従四位下。左中将。母藤原済政女。藤原信家為子)
  ┃   ┣ 敦輔王(為敦平親王子)
  ┃   ┣ 寛意(仁和寺。権大僧都。東寺長者。観音院。円宗寺別当。
  ┃   ┃   天喜2(1054)年生〔*没年齢48から計算〕。
  ┃   ┃   康和3年6月15日(ユリウス暦:1101年7月12日)寂)
  ┃   ┗ 行勝(園城寺。実相院。号唐房。良意僧正弟子)
  ┣ 敦昌親王(実小一条院子。法名明行。永円僧正弟子。一身阿闍梨。
  ┃   住三井寺。号平等院。母藤原頼宗女)
  ┣ 敦元親王(実小一条院子。母藤原道長三女〔纂輯御系図作道長女改子〕)
  ┣ 敦賢親王 ┳ 増賢(園城寺。大僧都。天王寺別当。真如院静覚法印弟子)
  ┃   ┣ 淳子女王(号式部卿宮。斎宮。母源親方女)
  ┃   ┗ 居子女王(※皇親系による。従四位下)
  ┣ 嘉子内親王(実小一条院子。斎宮)
  ┗ 栄子内親王(実小一条院子。母同敦貞)
┳ 季宗 ┳ 忠宗 ┳ 忠佐 ━ 忠重 ┳ 宗仲 ━ 円順(園城寺。理覚院。権僧正)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 重円(園城寺長吏。権僧正。修多羅院別当)
  ┃   ┃   ┣ 宗尊
  ┃   ┃   ┗ 尋尊(延暦寺。阿闍梨)
  ┃   ┣ 宗意(延暦寺。阿闍梨)
  ┃   ┗ 女子(藤原忠基母)
  ┣ 行宗 ┳ 行時 ┳ 基範 ━ 定季
  ┃   ┃   ┗ 尊澄(延暦寺。法印)
  ┃   ┣ 雅重 ┳ 基能 ━ 行能
  ┃   ┃   ┣ 基行 ━ 宗平
  ┃   ┃   ┗ 基宗(母平忠盛女。越中守。従五下)
  ┃   ┣ 有通 ┳ 宗光 ━ 仙朝(或雅重男。園城寺。随心院。大僧正)
  ┃   ┃   ┣ 実昌(延暦寺。少僧都)
  ┃   ┃   ┣ 覚舜(園城寺。阿闍梨)
  ┃   ┃   ┗ 行賢 ━ 覚寛 ━ 覚宗 ┳ 行済 ┳ 行胤
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(続千作者)
  ┃   ┃   ┗ 行任
  ┃   ┣ 行海(仁和寺。法印権大僧都。東寺長者。母源基綱女)
  ┃   ┣ 任覚(仁和寺、或園城寺。西院。法印権大僧都〔尊卑分脈作大僧都〕。
  ┃   ┃   母同。仁和寺諸院家記によれば、本名覚賢。号大夫法印。天仁2(1109)年生。
  ┃   ┃   治承5年2月12日(ユリウス暦:1181年2月27日)入滅〔諸門跡譜作10日〕)
  ┃   ┣ 行暁(園城寺。法印。母同)
  ┃   ┣ 琳円(詩花作者)
  ┃   ┣ 倫円(公豪。園城寺。僧正。母同。千載作者)
  ┃   ┣ 行雲(延暦寺。母同)
  ┃   ┣ 行仁(延暦寺。少僧都)
  ┃   ┣ 行智(延暦寺。少僧都)
  ┃   ┣ 行増(延暦寺。阿闍梨)
  ┃   ┗ 女子(輔仁親王室。怡子女王母)
  ┣ 覚意(仁和寺。東寺長者。権大僧都、尊卑分脈作大僧正法務。
  ┃   仁和寺諸院家記によれば、大教院。円教寺別当。号宮大僧都。
  ┃   永承6(1051)年生。嘉承2年3月21日(ユリウス暦:1107年4月15日)入滅)
  ┣ 行尊(或藤原頼宗養子。天台座主。園城寺。大僧正。平等院。母藤原良頼女。
  ┃   天台座主記によれば、天喜3(1055)年生。長承4年2月5日(ユリウス暦:1135年3月21日)入滅)
  ┣ 頼基(東寺。大僧都。号光明仙〔或仏〕。金葉作者)
  ┣ 厳覚(東大寺。権大僧都、尊卑分脈作大僧都。勧修寺。随心院。
  ┃   天喜4(1056)年生〔諸門跡譜〕。保安2年閏5月8日(ユリウス暦:1121年6月24日)入寂〔
  ┃   諸門跡譜・勧修寺長吏次第〕)
  ┣ 尋仁(延暦寺。法眼。法興院別当)
  ┣ 乗覚(延暦寺)
  ┣ 宗真(延暦寺)
  ┣ 女子(基子。後三条院女房。実仁・輔仁親王母。皇親系によれば、
  ┃   従五位下。准三宮。永承2(1047)年生。長承3年7月2日(ユリウス暦:1134年7月24日)薨)
  ┗ 女子(源俊房室。師時母)
B⇒ ┳ 兼康王 ┳ 高貞(七条院蔵人。長門守)
  ┃   ┣ 兼俊王 ┳ 兼氏王
  ┃   ┃   ┗ 兼重王 ┳ 兼綱王(甲斐守、或権守)
  ┃   ┃   ┣ 兼持王 ┳ 兼顕王
  ┃   ┃   ┃   ┣ 兼輔王 ━ 兼清王(従五位下)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 兼尚王(従五位下)
  ┃   ┃   ┣ 長清(蔵人。紀伊守。従五位下)
  ┃   ┃   ┣ 知重 ━ 知光
  ┃   ┃   ┗ 式俊王
  ┃   ┗ 知宣 ━ 知仲(従五位上。刑部大輔)
  ┣ 兼隆王 ━ 兼時王 ━ 兼親王 ┳ 兼邦王 ┳ 知兼王 ┳ 兼英王 ⇒C
  ┃   ┃   ┃   ┣ 業光(豊前介)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 氏重(蔵。兵庫助)
  ┃   ┃   ┗ 兼敦王(内膳正)
  ┃   ┗ 兼彦王(従五位下)
  ┗ 女子(藤原頼資室。勘解由小路経光母)
C⇒ 兼雄王 ━ 兼之王(従五位下)
■色の名前は公卿。
源 基平
[ 万寿3(1026)年 〜 康平7年5月15日(ユリウス暦:1064年6月2日) ]
小一条院(敦明)男。母藤原頼宗女。号・御子宰相。
永承元年11月13日(ユリウス暦:1046年12月13日)叙従三位。
従二位・参議。
源 季宗
[ 生没年不明 ]
基平男。母藤原良頼女。
承暦2(1078)年初見、非参議従三位。
寛治元(1087)年以降、不見。
従三位・非参議。
源 行宗
[ 康平7(1064)年 〜 康治2年12月24日(ユリウス暦:1144年1月30日) ]
基平男。母藤原良頼女。
保延5年正月4日(ユリウス暦:1139年2月4日)叙従三位。
康治2年壬2月16日(ユリウス暦:1143年4月2日)出家。
従三位・非参議。
※最終更新日 2015.10.10

  • 本サイトの公卿に関するデータは、
    東京大学史料編纂所公開用データベースに公開されている家譜、
    公卿補任(新訂増補国史大系53-57吉川弘文館。国史大系第9-11経済雑誌社)、
    尊卑分脈(新訂増補国史大系58-60下吉川弘文館
    新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集1-12吉川弘文館)、
    公卿諸家系図(土橋定代。続群書類従完成会。※知譜拙記)、
    系図纂要(名著出版)
    を基本として、その他諸史料で補完して作成しました。 知譜拙記と系図纂要からの出典には、その旨を注記してあります。
  • 菩提寺・居所に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕
    公卿諸家系図 土橋定代 (続群書類従完成会)のデータ〔※この2冊は同内容〕
    を基本としました。 家譜その他の系図史料等の葬地との異同は併記してありますが、
    実地調査はおこなっておりません。
  • 家業に関しては、諸家々業記、有職袖中鈔を基本とし、その他諸本で補完しました。
  • 家紋に関しては、
    雲上明覧大全〔慶応4(1868)年版〕を基本として、
    日本家紋総鑑 千鹿野茂(角川文庫)他、上述の事典などで補完・比較検討しました。
  • 年数の表記に関しては、ユリウス暦1582年10月4日までをユリウス暦に換算し、
    その翌日からをグレゴリオ暦に換算してあります。
    ユリウス暦の場合は、西暦の頭にユリウス暦であることを表記してあります。 ユリウス暦の表記がないものは、グレゴリオ暦であることを示します。
    和暦の改元の表記に関しては、改元した年の改元日から新元号の元年としました。
    西暦への変換に関しては、和暦の各月の大小の値を 「日本暦日原典」内田正男/著に従って、算出したものです。
  • 父母名などを表記する場合、公卿に関しては、官位官職、卿・公の尊称は省略しました。
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