|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
天台宗総本山
比叡山。滋賀県大津市坂本本町4220。延暦7(788)年創建。
歴代天台座主
1.
義真
天長元年6月22日(ユリウス暦:824年7月21日)任。丸部連氏。修禅大師。
宝亀10(779)年生〔天台座主記の没年齢55歳から逆算、異本には没年齢は、53、56とある〕。
天長10年7月4日(ユリウス暦:833年7月24日)入滅。
2.
円澄
壬生氏。寂光大師。西塔建立主。宝亀2(771)年生。承和3年10月26日(ユリウス暦:836年12月8日)入滅。
3.
円仁
仁寿4年4月3日(ユリウス暦:854年5月3日)任。壬生氏。崇神天皇苗裔。慈覚大師。
4.
安恵
貞観6年2月16日(ユリウス暦:864年3月27日)任。大狛氏。父名池辺。母丸子氏。金輪院。延暦24(805)年生。貞観10年4月3日(ユリウス暦:868年4月29日)入滅。
5.
円珍
貞観10年6月3日(ユリウス暦:868年6月26日)任。和気宅成男。母佐伯氏(空海阿闍梨姪)。智証大師。
讃岐国那珂郡金倉郷人〔大鏡裏書〕。
千手院。園城寺長吏。
没年は諸門跡譜・諸門跡相承伝記によれば寛平4年10月29日(ユリウス暦:892年11月22日)、天台座主記・大鏡裏書によれば寛平3年10月29日(ユリウス暦:891年12月4日)入滅。没年齢はともに七十八とあるので、
寛平4年没ならば弘仁6(815)年生、寛平3年没ならば弘仁5(814)年生となる〔大鏡裏書作弘仁5(814)年生〕。
延長4年12月27日(ユリウス暦:927年2月2日)贈法印大和尚位、諡号智証大師〔大鏡裏書〕。
6.
惟首
寛平4年5月22日(ユリウス暦:892年6月20日)〔僧官補任作21日〕任。御船氏。虚空蔵座主。天長2(825)年生。寛平5年2月29日(ユリウス暦:893年3月20日)入滅。
7.
猷憲
寛平5年3月25日(ユリウス暦:893年4月15日)任。持念堂。天長4(827)年生。寛平6年8月22日(ユリウス暦:894年9月24日)入滅。
8.
康済
寛平6年9月12日(ユリウス暦:894年10月14日)〔僧官補任作13日〕任。紀氏。蓮華房。園城寺長吏。天長5(828)年生。昌泰2年2月8日(ユリウス暦:899年3月23日)入滅。
9.
長意
紀氏。露地房。承和3(836)年生。延喜6年7月3日(ユリウス暦:906年7月26日)入滅。贈僧正法印大和尚位。
10.
増命
左大史桑内〔或原〕安峯男。静観。聖護院。千光院座主〔僧綱補任抄出下〕。
承和10(843)年生。延長5年12月11日(ユリウス暦:928年1月6日)入滅〔園城寺長吏次第同年11月11日〕。
11.
良勇
忌部氏。谷座主。斉衡2(855)年生。延喜23年3月6日(ユリウス暦:923年3月25日)入滅。
12.
玄鑑
摂津守高階茂範一男。花山座主。貞観3(861)年生。延長4年2月11日(ユリウス暦:926年3月27日)入滅。
13.
尊意
息長氏。法性房。天慶3年2月14日(ユリウス暦:940年3月25日)入滅〔※僧綱補任抄出下作22日〕。
14.
義海
宇佐氏。山本座主。無動寺。
15.
延昌
慈念。槻本氏。加賀国江沼郡人。平等房。妙法院。元慶4(880)年生。
応和4年正月15日(ユリウス暦:964年3月1日)寂〔諸門跡譜・諸門跡相承伝記・天台座主記〕。
16.
鎮朝
橘氏。辻座主。露地。
仁和2(886)年生。康保元年10月5日(ユリウス暦:964年11月11日)入滅。
17.
喜慶
額田氏。三昧座主。寛平元(889)年生。康保3年7月17日(ユリウス暦:966年8月6日)入滅。
18.
良源
木津氏。慈恵。定心房。延喜12(912)年生。永観3年正月3日(ユリウス暦:985年1月26日)入滅〔日本紀略此同〕。
19.
尋禅
藤原師輔十男。母雅子内親王(醍醐天皇皇女)。慈忍。飯室座主。
天慶6(943)年生。永観3年2月27日(ユリウス暦:985年3月21日)任〔日本紀略〕。
永祚2年2月17日(ユリウス暦:990年3月16日)入滅。
20.
余慶
智弁。観音院座主。延喜19(919)年生。正暦2年2月18日(ユリウス暦:991年3月7日)入滅。
21.
陽生
伊豆氏。竹林院。妙法院。延喜7(907)年生〔天台座主記作延喜13(913)年〕。
正暦4年7月23日(ユリウス暦:993年8月13日)寂〔天台座主記作永祚2年10月22日(ユリウス暦:990年11月12日)〕。
22.
暹賀
藤原氏。本覚房。延喜14(914)年生。長徳4年8月1日(ユリウス暦:998年8月25日)入滅。
23.
覚慶
平善理男。*尊卑分脈による。天台座主記作理善。東陽房。
延長6(928)年生。長和3年11月23日(ユリウス暦:1014年12月17日)入滅。
24.
慶円
藤原尹文男〔或云尾張守藤原連真子。又或道明子。按台密血脈譜作藤原永頼卿子〕。後三昧座主。
無動寺。大僧正。天慶8(945)年生。寛仁3年9月3日(ユリウス暦:1019年10月3日)入滅75又69〔僧官補任〕。
25.
明救
有明親王五男。醍醐天皇孫。母藤原仲平女。浄土寺座主。
天慶9(946)年生。寛仁4年7月5日(ユリウス暦:1020年7月27日)入滅。
26.
院源
平元明男。西方院。天暦5(951)年生。万寿5年5月24日(ユリウス暦:1028年6月19日)入滅。
27.
慶命
藤原孝友男。無動寺。円城坊。号無動寺座主。
康保2(965)年生。長暦2年9月7日(ユリウス暦:1038年10月7日)入滅〔尊卑分脈・僧官補任〕。
28.
教円
藤原孝忠男。東尾房。妙法院。曼殊院。宝幢院検校。天元元(978)年生〔諸門跡譜による。
天台座主記作天元2(979)年生〕。永承2年6月10日(ユリウス暦:1047年7月5日)寂。
29.
明尊
小野奉時男。道風孫。志賀僧正。円満院。園城寺長吏。
天禄2(971)年生。
康平6年6月26日(ユリウス暦:1063年7月24日)寂〔諸門跡譜による。天台座主記作16日〕。
30.
源心
平氏。院源座主甥。西明房。母陸奥守平元平女〔大鏡裏書〕。天禄2(971)年生。天喜元年10月11日(ユリウス暦:1053年11月23日)入滅。
31.
源泉
播磨国人。法輪院。貞元元(976)年生。天喜3年3月18日(ユリウス暦:1055年4月17日)入滅。
32.
明快
藤原俊宗男。梨本。永延元(987)年生〔天台座主記作寛和元(985)年〕。
延久2年3月18日(ユリウス暦:1070年5月1日)入滅。
33.
勝範
吉美氏〔天台座主記。諸門跡譜作清原氏〕。蓮実房〔僧官補任天台座主項。同宝幢院検校次第項作蓮谷房〕。
妙法院。西塔院主。長徳元(995)年生〔諸門跡譜。天台座主記作長徳2(996)年〕。
承保4年正月28日(ユリウス暦:1077年2月23日)寂。
34.
覚円
承保4年2月5日(ユリウス暦:1077年3月2日)宣命。藤原頼通男。母従二位祇子。宇治僧正。
長元4(1031)年生。承徳2年4月16日(ユリウス暦:1098年5月19日)入滅。
35.
覚尋
承保4年2月7日(ユリウス暦:1077年3月4日)宣命。藤原忠経男。金剛寿院。
長和元(1012)年生。永保元(1081)年11月入滅。
36.
良真
永保元年10月25日(ユリウス暦:1081年11月28日)宣命。源通輔男。*尊卑分脈作是輔男。円融房。
治安2(1022)年生。嘉保3年5月13日(ユリウス暦:1096年6月6日)入滅。
37.
仁覚
寛治7年9月11日(ユリウス暦:1093年10月3日)宣命。源師房三男。母藤原道長女。一乗房。梶井。無動寺検校。
寛徳2(1045)年生。康和4年3月29日(ユリウス暦:1102年4月18日)入滅〔天台座主記28日〕。
38.
慶朝
康和4年5月13日(ユリウス暦:1102年5月31日)任〔僧官補任によれば、承徳4年5月13日だが承徳は3年まで〕。高階成章三男。寂塲房。横川長吏。
万寿4(1027)年生〔天台座主記の没年齢81歳から計算〕。嘉承2年9月24日(ユリウス暦:1107年10月12日)入滅。
39.
増誉
長治2年閏2月14日(ユリウス暦:1105年3月31日)宣命。藤原経輔男。一乗房。号一乗寺。園城寺。長吏。母家女房藤原師家乳母。法務大僧正。
明尊僧正資。輦車。牛車。聖護院。天王寺別当。三山検校。惣十三ヶ寺別当。千光院〔諸門跡譜〕。
長元5(1032)年生〔護持僧次第〕。永久4年正月29日(ユリウス暦:1116年2月14日)入滅。
40.
仁源
長治2年閏2月17日(ユリウス暦:1105年4月3日)宣命。藤原師実男。母源則成女〔尊卑分脈〕。
天台座主記によれば、伯耆守定成女。理智房。康平元(1058)年生。天仁2年3月9日(ユリウス暦:1109年4月10日)入滅。
41.
賢暹
天仁2年3月22日(ユリウス暦:1109年4月23日)宣命。源信頼男。博雅曾孫。教王房。
長元2(1029)年生。天永3年12月23日(ユリウス暦:1113年1月12日)入滅。
42.
仁豪
天仁3年5月12日(ユリウス暦:1110年6月1日)宣命。藤原能長五男。母下野守兼資女、或母憲方女。南勝房。
永承6(1051)年生。保安2年10月4日(ユリウス暦:1121年11月15日)入滅。
43.
寛慶
保安2年10月6日(ユリウス暦:1121年11月17日)宣命。藤原俊家男。母藤原季範女。大乗房。無動寺検校。寛徳元(1044)年生。
保安4年11月3日(ユリウス暦:1123年11月22日)入滅〔僧官補任〕。
44.
行尊
保安4年12月18日(ユリウス暦:1124年1月6日)宣命。源基平〔三条源氏〕三男。母藤原良頼女。或藤原頼宗養子。平等院。
天喜3(1055)年生。長承4年2月5日(ユリウス暦:1135年3月21日)入滅。
45.
仁実
保安4年12月20日(ユリウス暦:1124年1月8日)宣命〔僧官補任作30日〕。藤原公実二男。後寂塲房。寛治5(1091)年生〔僧官補任作承保2(1075)年〕。
天承元年6月8日(ユリウス暦:1131年7月4日)入滅〔僧官補任作天永6年6月6日〕。
46.
忠尋
大治5年12月29日(ユリウス暦:1131年1月29日)宣命。源忠季男〔清和源氏〕。東陽房。
治暦元(1065)年生。保延4年10月14日(ユリウス暦:1138年11月18日)入滅。
47.
覚猷
保延4年10月27日(ユリウス暦:1138年12月1日)宣命。源隆国男。法輪院。鳥羽僧正。
天喜元(1053)年生。保延6年9月15日(ユリウス暦:1140年10月27日)入滅。
48.
行玄
保延4年10月29日(ユリウス暦:1138年12月3日)宣命。本名良実。藤原師実男。母藤原忠俊女〔尊卑分脈〕。天台座主記によれば、母源師房女。
寛慶僧正資。牛車。大僧正。法務。青蓮院。桂林院。法性寺座主。法成寺検校。宝荘厳院別当。法勝寺別当。
承徳元(1097)年生。久寿2年11月5日(ユリウス暦:1155年12月1日)入滅〔僧官補任無動寺検校次第〕。
49.
最雲
久寿3年3月30日(ユリウス暦:1156年4月21日)宣命。堀河天皇皇子。母伊勢守藤原時経女。天台座主記作伊勢守藤原時隆女。円融房。
長治元(1104)年生。応保2年2月16日(ユリウス暦:1162年3月3日)入滅。
50.
覚忠
応保2年閏2月1日(ユリウス暦:1162年3月18日)任〔僧官補任6月30日〕。
藤原忠通男。宇治僧正。元永元(1118)年生。治承元年10月16日(ユリウス暦:1177年11月8日)入滅。
51.
重愉
応保2年閏2月3日(ユリウス暦:1162年3月20日)任。
右衛門権佐藤原重隆男。禅智房。永長元(1096)年生。長寛2年正月5日(ユリウス暦:1164年1月30日)入滅。
52.
快修
応保2年5月30日任〔天台座主記。※三正綜覧等によると応保2年5月は少の月。僧官補任作6月30日〕。
藤原俊忠男。本覚院。妙法坊。号尾坂僧正。妙法院。康和2(1100)年生。
承安2年6月12日(ユリウス暦:1172年7月4日)入滅。
〔第54代還補〕
53.
俊円
長寛2年閏10月13日(ユリウス暦:1164年11月28日)任。源俊房男。妙法院。号常住金剛院。
嘉承2(1107)年生。仁安元年8月28日(ユリウス暦:1166年9月24日)入滅。
54.
快修
仁安元年9月1日(ユリウス暦:1166年9月26日)還補〔僧官補任13日〕。
〔第52代参照〕
55.
明雲
仁安2年2月15日(ユリウス暦:1167年3月8日)任。
源顕通二男。円融房。永久3(1115)年生。寿永2年11月19日(ユリウス暦:1184年1月3日)入滅。
〔第57代還補〕
56.
覚快
安元3年5月11日(ユリウス暦:1177年6月9日)任。
鳥羽天皇第七皇子。母法印紀光清女美濃局。青蓮院。
長承3(1134)年生。養和元年11月6日(ユリウス暦:1181年12月13日)入滅。
57.
明雲
治承3年11月16日(ユリウス暦:1179年12月16日)還補。
〔第55代参照〕
58.
俊尭
寿永2年12月10日(ユリウス暦:1184年1月24日)任〔僧官補任13日〕。
本名顕智。源顕仲息。五智院。権僧正。
元永元(1118)年生。文治2年3月25日(ユリウス暦:1186年4月16日)入滅。
59.
全玄
寿永3年2月3日(ユリウス暦:1184年3月16日)任。
少納言藤原実明息。季仲卿孫。雙林寺。無動寺検校。
永久元(1113)年生。建久3年12月13日(ユリウス暦:1193年1月17日)入滅。
60.
公顕
文治6年3月4日(ユリウス暦:1190年4月10日)任。
源顕康男〔白川家譜作康資王男。又或顕広王子〕。花山院玄孫。母藤原基忠女。
園城寺長吏。実相院。牛車。南瀧院元祖。護持僧。
天永元(1110)年生。建久4年9月17日(ユリウス暦:1193年10月13日)入滅。
61.
顕真
文治6年3月7日(ユリウス暦:1190年4月13日)任。
藤原顕能息。母藤原為隆女。宣揚房。三会講師。
天承元(1131)年生。建久3年11月14日(ユリウス暦:1192年12月20日)入滅。
62.
慈円
建久3年11月29日(ユリウス暦:1193年1月4日)任〔僧官補任建久2年11月29日(ユリウス暦:1191年12月17日)〕。
藤原忠通息。母家女房従五位上藤原仲光女加賀。元道快。号吉水僧正・慈鎮和尚。覚快法親王資。
牛車。一身阿闍梨。青蓮院。法性寺座主。極楽寺別当。法興院別当。楞厳三昧院検校。平等院検校。常住院別当。四天王寺別当。
嘉禄元年9月25日(ユリウス暦:1225年10月28日)入滅。
〔第65代・第69代・第71代還補〕
63.
承仁
建久7年11月30日(ユリウス暦:1196年12月21日)任。
後白河院皇子。母仁操僧都女丹波局。本名寂恵。
嘉応元(1169)年生。建久8年4月27日(ユリウス暦:1197年5月15日)入滅。
64.
弁雅
建久8年5月21日(ユリウス暦:1197年6月8日)任。
源顕雅息。金剛寿院。保延元(1135)年生。建仁元年2月17日(ユリウス暦:1201年3月23日)入滅。
65.
慈円
建仁元年2月18日(ユリウス暦:1201年3月24日)還補。
〔第62代参照。第69代・第71代還補〕
66.
実全
建仁2年7月13日(ユリウス暦:1202年8月2日)任。
藤原公能息。母藤原忠成女。妙法院。永治元(1141)年生。承久3年5月10日(ユリウス暦:1221年6月1日)入滅。
67.
真性
建仁3年8月28日(ユリウス暦:1203年10月4日)任〔僧官補任18日〕。
以仁王息。後白河天皇孫。母藤原忠成女。仁安2(1167)年生。寛喜2年6月14日(ユリウス暦:1230年7月25日)入滅。
68.
承円
元久2年12月13日(ユリウス暦:1206年1月23日)任。
藤原基房息。一身阿闍梨。号西林院。梶井。治承4(1180)年生。嘉禎2年10月16日(ユリウス暦:1236年11月16日)入滅。
〔第72代還補〕
69.
慈円
建暦2年正月16日(ユリウス暦:1212年2月20日)還補。
〔第62代参照。第65代・第71代還補〕
70.
公円
建暦3年正月11日(ユリウス暦:1213年2月3日)任。
藤原実房息。権僧正。横川長吏。寂塲房。
仁安3(1168)年生。嘉禎元年9月20日(ユリウス暦:1235年11月2日)入滅。
71.
慈円
建暦3年11月19日(ユリウス暦:1214年1月1日)還補。
〔第62代参照。第65代・第69代還補〕
72.
承円
建保2年6月12日(ユリウス暦:1214年7月20日)還補。
〔第68代参照〕
(尊快)
承久3年4月26日(ユリウス暦:1221年5月19日)任。円融房。俗名寛成。後鳥羽院皇子。母藤原範季女重子〔修明門院〕。梶井。二品〔系図纂要〕。
元久元年3月2日(ユリウス暦:1204年4月3日)生〔月日は系図纂要による〕。寛元4年4月2日(ユリウス暦:1246年4月19日)薨。
73.
円基
承久3年8月27日(ユリウス暦:1221年9月14日)任〔僧官補任7月27日〕。金剛寿院。浄土寺。法務。大僧正。藤原基通息。母法印最舜女。
文治2(1186)年生。嘉禎4年8月23日(ユリウス暦:1238年10月2日)入滅53歳。※尊卑分脈によれば、74代。
74.
尊性
安貞元年12月27日(ユリウス暦:1228年2月4日)任。妙法院。権僧正。号綾小路宮。後高倉(守貞親王)皇子。二品。母藤原基家女陳子(北白河院)。
〔第76代還補〕
75.
良快
寛喜元年4月13日(ユリウス暦:1229年5月7日)任。
妙香院。本覚寺。天王寺別当。法務。大僧正。慈円資。藤原兼実息。母修理大夫藤原頼輔女。寛喜元年4月13日(ユリウス暦:1229年5月7日)任。仁治3年12月17日(ユリウス暦:1243年1月9日)入滅〔或仁治2年〕。
76.
尊性
貞永元年8月25日(ユリウス暦:1232年9月11日)還任。
〔第74代参照〕
77.
慈源
嘉禎4年3月1日(ユリウス暦:1238年4月16日)任。無動寺。吉水。法務。大僧正。天王寺別当。九条道家息。母西園寺公経女。建長7年7月29日(ユリウス暦:1255年9月1日)入滅〔或18日〕。
〔第79代還補〕
78.
慈賢
仁治元年8月11日(ユリウス暦:1240年8月29日)任。康楽寺。号大夫僧正。源〔清和源氏〕頼兼男。実多田〔清和源氏〕有頼息。
安元元(1175)年生。仁治2年3月3日(ユリウス暦:1241年4月15日)入滅。
79.
慈源
仁治2年正月17日(ユリウス暦:1241年3月1日)還任。
〔第77代参照〕
80.
道覚
宝治元年3月25日(ユリウス暦:1247年5月1日)任。後鳥羽皇子。母法眼顕清女尾張局。青蓮院。号吉水宮。西山宮。牛車〔系図纂要〕。
元久元(1204)年生〔系図纂要作同年7月〕。建長2年正月11日(ユリウス暦:1250年2月13日)入滅〔諸門跡譜作17日〕。
81.
尊覚
建長元年9月6日(ユリウス暦:1249年10月13日)任。順徳皇子。母藤原清季女。号中山宮。
二品〔梶井門跡略系譜。天台座主記作無品〕。牛車。
建保3(1215)年生。文永元年10月27日(ユリウス暦:1264年11月17日)薨。
82.
尊助
正元元(正嘉3)年3月26日(ユリウス暦:1259年4月20日)任。大原。青蓮院。土御門皇子。御母法印尋恵女。
建保4(1216)年生〔天台座主記の任命時の年齢44歳から逆算〕。
〔第85代・第91代還補〕
83.
最仁
弘長3年8月17日(ユリウス暦:1263年9月20日)〔或16日〕。号中山宮。土御門皇子。母法眼円誉女。三千院。安貞元(1227)年生。永仁3(1295)年2月薨。
84.
澄覚
文永2年3月19日(ユリウス暦:1265年4月6日)〔或18日〕任。菩提院。雅成親王皇子。母藤原親経女。無品。
建保6(1218)年生。正応2年4月18日(ユリウス暦:1289年5月9日)薨。
〔第87代還補〕
85.
尊助
文永4年7月15日(ユリウス暦:1267年8月6日)〔或13日〕還任。
〔第82代参照。第91代還補〕
86.
慈禅
文永5年12月27日(ユリウス暦:1269年1月30日)任。
金剛寸院。浄土寺。法務。大僧正。護持。円基資。近衛家実息。母藤原忠行女。寛喜3(1231)年生。建治2年8月7日(ユリウス暦:1276年9月16日)入滅46歳。
87.
澄覚
文永8年5月11日(ユリウス暦:1271年6月19日)〔或16日〕還任。
〔第84代参照〕
88.
道玄
建治2年11月24日(ユリウス暦:1276年12月30日)〔或25日〕任。十楽院。青蓮院。准三后。牛車。道覚親王資。
最守僧正灌頂。二条良実息。母藤原家行女〔新撰座主伝作母従二位原子〕。
〔第102代還補〕
89.
公豪
弘安元年4月2日(ユリウス暦:1278年4月25日)〔或1日〕任。藤原実房息。母源国信息前越中守某女〔新撰座主伝〕。林泉坊。毘沙門堂。法務。
大僧正。牛車。円長僧正灌頂。顕明禅法印弟子。建久7(1196)年生〔天台座主記の任官年齢から計算〕。
90.
最源
弘安5年3月2日(ユリウス暦:1282年4月11日)任。
九条良平息。母左京大夫兼教女〔尊卑分脈〕。本覚院。号閼伽井僧正。安貞元(1227)年生。
91.
尊助
弘安7年9月27日(ユリウス暦:1284年11月6日)還補。
〔第82代参照。第85代還補〕
92.
最助
弘安9年11月29日(ユリウス暦:1286年12月16日)任。
後嵯峨院皇子。母四条隆衡女按察三位局。無品。円融房。梶井。
93.
慈実
弘安11年3月27日(ユリウス暦:1288年4月29日)任〔僧官補任2月27日〕。
九条道家息。母源重房女。法務。大僧正。天王寺別当。妙香院。
暦仁元(1238)年生〔尊卑分脈。※諸門跡譜作嘉禎3(1237)年〕。
正安2年5月9日(ユリウス暦:1300年5月28日)入滅〔諸門跡譜作正安元年5月9日(ユリウス暦:1299年6月8日)〕。
94.
慈助
正応2年4月12日(ユリウス暦:1289年5月3日)任〔僧官補任による。天台座主記作11月27日〕。
後嵯峨院皇子。母西園寺実氏女東二条院公子〔*歴代皇后人物系譜総覧による。
群書類従所収本朝皇胤紹運録は、公経女大納言三位。
京都大学電子図書館公開の本朝皇胤紹運録は公親公女大納言三位。
〕。市河宮。青蓮院。牛車。永仁3年7月23日(ユリウス暦:1295年9月3日)入滅〔京大紹運録作27日〕。
〔第96代還補〕
95.
尊助
正応3年2月16日(ユリウス暦:1290年3月28日)還補。
96.
慈助
還補。
〔第94代参照〕
97.
源恵
正応5年9月4日(ユリウス暦:1292年10月15日)任〔或8月23日〕。藤原頼経息。法務。大僧正。本覚院。牛車。
98.
慈基
正応6年5月9日(ユリウス暦:1293年6月14日)任。鷹司兼平息。浄土寺。法務。大僧正。
99.
尊教
永仁4年12月21日(ユリウス暦:1297年1月15日)任〔或17日〕。西園寺公相息。大僧正。妙法院。宝治2(1248)年生。
100.
良助
永仁7年4月23日(ユリウス暦:1299年5月23日)任。亀山院皇子。母三条実平女三条局。青蓮院。常寿院。無品。
101.
道潤
正安4年5月17日(ユリウス暦:1302年6月13日)補任。二条良実息。竹林院。本覚院。大御堂。文永3(1266)年生。
102.
道玄
乾元2年4月22日(ユリウス暦:1303年5月9日)還補。
〔第88代参照〕
103.
覚雲
嘉元3年4月4日(ユリウス暦:1305年4月28日)任。亀山院皇子。母藤原実平女。二品。梶井。円融房。
〔第107代還補〕
104.
公什
正和2年正月12日(ユリウス暦:1313年2月8日)任。少将公有男〔新撰座主伝によるが、尊卑分脈は藤原実隆男〕。裏築地。般若院〔尊卑分脈〕。
105.
慈道
正和3年8月1日(ユリウス暦:1314年9月11日)任。亀山院皇子。母平時仲女。准后。青蓮院。十楽院。
〔第111代・第115代還補〕
106.
仁澄
正和5年6月29日(ユリウス暦:1316年7月19日)任。源惟康息。後嵯峨曾孫〔尊卑分脈による。天台座主記によれば、久明親王息、後深草院孫〕。
107.
覚雲
文保元年3月10日(ユリウス暦:1317年4月21日)還補。
〔第103代参照〕
108.
慈勝
文保2年12月14日(ユリウス暦:1319年1月6日)任。近衛家基息。母家女房。浄土寺。号金剛寿院。
109.
親源
元亨3年3月23日(ユリウス暦:1323年4月28日)任。北畠雅家息。楞厳院検校。檀那房。
110.
澄助
元亨3年12月1日(ユリウス暦:1323年12月29日)任。一条実家息。本名源経。円融房。
111.
慈道
元亨4年4月11日(ユリウス暦:1324年5月4日)還補。
〔第105代参照。第115代還補〕
112.
性守
正中2年5月9日(ユリウス暦:1325年6月20日)任。西園寺実兼息。妙法院。正中2年5月21日(ユリウス暦:1325年7月2日)入滅。
113.
承覚
正中2年5月22日(ユリウス暦:1325年7月3日)任。後宇多院皇子。母五辻忠継女忠子(談天門院)。寿量院宮。二品。梶井。入江。
114.
承鎮
正中3年2月22日(ユリウス暦:1326年3月26日)宣命。彦仁王息。後宇多院猶子〔天台座主記〕。母三条公親女。無品。円融房。梶井。
115.
慈道
嘉暦2年4月28日(ユリウス暦:1327年5月20日)還補。
〔第105代参照。第111代還補〕
116.
尊雲
嘉暦2年12月6日(ユリウス暦:1328年1月18日)任。護良親王。後醍醐院皇子。大塔宮。
〔第118代還補〕
117.
桓守
嘉暦3年4月11日(ユリウス暦:1328年5月21日)任。洞院公守息。岡崎。
118.
尊雲
元徳元年12月14日(ユリウス暦:1330年1月3日)還補。
〔第116代参照〕
119.
慈厳
元徳2年4月23日(ユリウス暦:1330年5月11日)宣命。洞院実泰息。善法院。曼殊院。永仁6(1298)年生。
〔第132代還補〕
120.
尊澄
元徳2年12月14日(ユリウス暦:1331年1月22日)任〔僧官補任24日〕。宗良親王。後醍醐院皇子。妙法院。
〔第123代還補〕
121.
尊円
元徳3/元弘元年10月25日(ユリウス暦:1331年11月25日)任。
伏見院皇子。母三善俊衡女衡子。俗名守彦。二品。青蓮院。
永仁6(1298)年生。延文元/正平11年9月23日(ユリウス暦:1356年10月17日)薨。号大乗院。
〔第126代・第131代還補〕
122.
尊胤
正慶2/元弘3年正月14日(ユリウス暦:1333年1月30日)任〔系図纂要作同年10月7日〕。
後伏見院皇子。母法印泰豪女治部卿局。梶井。天王寺別当。
延文4/正平14年5月2日(ユリウス暦:1359年5月29日)薨〔系図纂要〕。
〔第124代・第130代・第133代還補〕
123.
尊澄
建武2年3月16日(ユリウス暦:1335年4月10日)還補〔僧官補任作元弘3(1333)年7月〕。
〔第120代参照〕
124.
尊胤
建武3/延元元年10月13日(ユリウス暦:1336年11月16日)還補〔系図纂要作2日〕。
〔第122代参照。第130代・第133代還補〕
125.
聖慧
暦応元/延元3年12月18日(ユリウス暦:1339年1月28日)任。
久明親王息。実惟康親王子。本覚院。日光山別当。大僧正。
126.
尊円
暦応2/延元4年10月26日(ユリウス暦:1339年11月27日)還補〔僧官補任同年11月1日〕。
〔第121代参照。第131代還補〕
127.
祐助
暦応4/興国2年12月19日(ユリウス暦:1342年1月26日)任〔系図纂要作18日〕。
後二条院皇子。母三条公泰女。号桂林院。青蓮院。
正安4(1302)年生。
128.
承胤
康永3/興国5年閏2月23日(ユリウス暦:1344年4月7日)任〔僧官補任による。天台座主記は閏3月とあるが、この年の閏月は2月〕。
後伏見院皇子。母正親町実明女守子〔系図纂要作同女明子〕。二品。梶井。四天王寺別当。
永和3/天授3年4月9日(ユリウス暦:1377年5月16日)薨。
〔第136代・第139代還補〕
129.
亮性
貞和2/興国7年8月17日(ユリウス暦:1346年9月3日)任。
後伏見院皇子。母正親町実明女守子〔系図纂要作同女明子〕。二品。妙法院。
130.
尊胤
貞和3/正平2年8月25日(ユリウス暦:1347年9月30日)還補。
〔第122代参照。第124代・第133代還補〕
131.
尊円
観応元/正平5年7月20日(ユリウス暦:1350年8月23日)還補。
〔第121代参照。第126代還補〕
132.
慈厳
還補。
〔第119代参照〕
133.
尊胤
文和元/正平7年10月14日(ユリウス暦:1352年11月21日)還補。
〔第122代参照。第124代・第130代還補〕
天台座主記によれば、尊円。日本史総覧によれば、慈厳。
134.
尊道
文和4/正平10年11月9日(ユリウス暦:1355年12月13日)任〔僧官補任12月6日、系図纂要10月25日。青蓮院門跡系譜10月30日〕。
後伏見院皇子。母正親町実明女。一品。牛車。青蓮院。十楽院。妙香院検校。平等院検校。
粟田宮検校。四天王寺別当。
正慶元/元弘2年8月21日(ユリウス暦:1332年9月11日)生〔系図纂要〕。応永10年7月5日(ユリウス暦:1403年7月24日)入滅。号妙香院。
〔第138代・第145代還補〕。
※系図纂要によれば、応安2/正平24年9月3日(ユリウス暦:1369年10月4日)にも還補している。
135.
桓豪
延文3/正平13年12月29日(ユリウス暦:1359年1月28日)任〔僧官補任28日〕。
洞院実泰男〔僧官補任によれば実泰養子で、一条家譜も内家の子で実泰為子とある〕。岡崎殿。実乗院。大僧正。護持。
136.
承胤
康安元/正平16(1361)年12月還補〔僧官補任作康安2/正平17(1362)年還任・系図纂要作応安3/正平25年2月8日(ユリウス暦:1370年3月6日)〕。
〔第128代参照。第139代還補〕
137.
恒鎮
貞治2/正平18年4月7日(ユリウス暦:1363年5月20日)任〔僧官補任作康安2/正平17(1362)年任〕。
常盤井宮恒明親王息。亀山院猶子〔系図纂要〕。号梨下〔系図纂要〕。梶井。※僧官補任によれば桓鎮。
138.
尊道
貞治4/正平20年9月8日(ユリウス暦:1365年9月23日)還補〔僧官補任7日〕。
〔第134代参照。第145代還補〕
139.
承胤
永和2/天授2年閏7月15日(ユリウス暦:1376年8月30日)還補〔僧官補任10日・系図纂要作7月10日〕。
〔第128代参照。第136代還補〕
140.
慈済
永和3/天授3年4月14日(ユリウス暦:1377年5月21日)任〔僧官補任・青蓮院門跡系譜15日〕。
一条経通息。青蓮院。妙香院。
141.
道円
永徳元/弘和元年6月8日(ユリウス暦:1381年6月30日)任〔僧官補任9日〕。
後光厳院皇子。母伯耆殿御局(天台座主記。纂輯御系図によれば藤原氏法印長快女。尊卑分脈も長快〔内麻呂後裔〕女で左京大夫局)。俗名久尊。
貞治3/正平19(1364)年生。至徳2/元中2年3月14日(ユリウス暦:1385年4月23日)薨。号後大乗院宮。
142.
堯仁
至徳元/元中元年7月17日(ユリウス暦:1384年8月4日)任〔僧官補任6月17日〕。
後光厳院皇子。母勘解由小路兼綱女仲子(崇賢門院。実石清水八幡宮祠官紀〔善法寺〕通清女。号梅町殿)。一品。妙法院。
〔第149代還補〕
143.
明承
嘉慶2/元中5年2月28日(ユリウス暦:1388年4月5日)任〔僧官補任同年6月晦〕。
後光厳院皇子。母橘以繁女〔纂輯御系図による。天台座主記作母伯耆殿御局〕。
144.
慈弁
明徳3年12月30日(ユリウス暦:1393年2月11日)任。
近衛道嗣息。浄土寺殿。一身阿闍梨。
145.
尊道
応永2年12月27日(ユリウス暦:1396年2月6日)還補。
〔第134代参照。第138代還補〕
146.
道豪
応永9年10月22日(ユリウス暦:1402年11月17日)任。改道順。僧正。竹内善法院。二条良基息(実二条師良男)。
147.
桓教
応永11年10月22日(ユリウス暦:1404年11月24日)任。岡崎。二条良基息(実二条師良男)。
〔第150代還補〕
148.
良順
応永16年3月20日(ユリウス暦:1409年4月5日)任。二条師良息(二条家譜によれば、実は道豪舎弟で良基三男)。
僧官補任によれば元道順。曼珠院。竹内善法院。
149.
堯仁
応永18年6月13日(ユリウス暦:1411年7月4日)還任。
〔第142代参照〕
150.
桓教
応永19年4月17日(ユリウス暦:1412年5月27日)還任。
〔第147代参照〕
151.
実円
応永20年11月16日(ユリウス暦:1413年12月9日)任。三条公忠男。僧正。林泉坊。毘沙門堂。
152.
相厳
応永21(1414)年8月任。久我通相男。檀那院。
153.
義円
応永26年11月3日(ユリウス暦:1419年11月20日)任。青蓮院。後還俗。足利義教(義宣)。
154.
持弁
応永28年4月11日(ユリウス暦:1421年5月12日)任。小川殿(足利満詮)男。浄土寺。
155.
義承
応永35年4月21日(ユリウス暦:1428年6月4日)宣命。後西林院。鹿苑殿(足利義満)息。円融坊。
〔第157代還補〕
156.
良什
永享3(1431)年7月宣命。一条経嗣男。大僧正。曼殊院。
157.
義承
永享7年4月23日(ユリウス暦:1435年5月21日)還補。
〔第155代参照〕
158.
公承
文安4(1447)年正月宣命。三条実冬男。毘沙門堂殿。
159.
教覚
享徳4年5月6日(ユリウス暦:1455年6月20日)宣命。徳大寺実盛男。母持明院基親女。足利義教猶子。准后。妙法院。
160.
尊応
文明3年4月19日(ユリウス暦:1471年5月9日)宣命。二条持基息。天王寺別当。准三后。法務大僧正。青蓮院。
161.
堯胤
明応2年4月30日(ユリウス暦:1493年5月15日)任。伏見宮貞常親王息。母庭田重有女盈子。後花園帝猶子。二品。円融房。梶井。
享禄3年3月26日(ユリウス暦:1530年4月23日)薨〔系図纂要〕。号後寿量院〔系図纂要〕。
162.
覚胤
伏見宮貞常親王息。母庭田重有女盈子。後柏原帝猶子〔新撰座主伝作後土御門帝猶子〕。二品〔新撰座主伝作無品〕。妙法院。日厳院。
天文10年正月26日(ユリウス暦:1541年2月21日)薨〔系図纂要〕。
※僧官補任ここまで。
163.
尊鎮
後柏原院皇子。母勧修寺教秀女藤子(豊楽門院)。本名尊猷。俗名清彦。二品。
青蓮院。天王寺別当。永正元年4月20日(ユリウス暦:1504年6月2日)生。
天文19年9月13日(ユリウス暦:1550年10月22日)薨。号桂蓮院。
164.
尭尊
伏見宮貞敦親王息。妙法院。
165.
応胤
伏見宮貞敦親王息。母三条実香女香子。後奈良帝猶子。俗名真済〔系図纂要作貞斉〕改尊悟。還俗号蜻庵。二品。三千院。大永元年9月26日(ユリウス暦:1521年10月26日)生。慶長3年5月17日(1598年6月20日)薨。号後龍禅院。天台座主記によれば、覚恕。日本史総覧によれば、尊鎮。
166.
覚恕
後奈良院皇子。母小槻晴富〔*紹運録等作雅久〕女伊予局〔※諸門跡譜によれば、母刑部卿親就女〕。号金蓮院。曼殊院。大永元年12月12日(ユリウス暦:1522年1月9日)生。天正2年正月3日(ユリウス暦:1574年1月25日)薨。天台座主記によれば、応胤。日本史総覧によれば、堯尊。
167.
尊朝
天正13年2月12日(1585年3月13日)任〔系図纂要〕。
伏見宮邦輔親王息。正親町天皇養子。二品。青蓮院。四天王寺別当。
天文21年8月20日(ユリウス暦:1552年9月8日)生。慶長2年2月13日(1597年3月30日)薨。号龍池院。
日本史総覧によれば、応胤。※天台座主記は167代まで、以降、日本仏家人名辞典を基本とした。
168.
常胤
慶長2年4月22日(1597年6月6日)任〔系図纂要〕。
伏見宮邦輔親王息。母家女万里小路惟房女〔系図纂要〕。正親町天皇猶子。性胤。妙法院。
元和7年6月11日(1621年7月29日)薨。
日本史総覧によれば、覚恕。
169.
最胤
慶長11年12月26日(1607年1月24日)任〔系図纂要〕。
伏見宮邦輔親王息。母家女。正親町天皇猶子。俗名惟常。梶井。
永禄6(1563)年生。寛永16年正月16日(1639年2月18日)薨。号円明院。
日本史総覧によれば、尊朝。
170.
良恕
寛永16年3月18日(1639年4月21日)任。
陽光院(誠仁親王)息。母勧修寺晴秀女(新上東門院)。俗名勝輔。二品。曼殊院。
天正元(1573)年生〔本朝皇胤紹運録の没年齢71歳から逆算、系図纂要作没年齢70歳〕。
寛永20年7月15日(1643年8月29日)薨。
日本史総覧によれば、常胤。
171.
堯然
寛永17年7月11日(1640年8月27日)任。
後陽成院皇子。母持明院基孝女孝子。俗名常嘉。妙法院。
慶長7(1602)年生。寛文元年閏8月22日(1661年10月15日)薨。号慈恩院宮。
〔第174代・第178代還補〕
日本史総覧によれば、最胤。
172.
慈胤
寛永19年12月28日(1643年2月16日)任。
後陽成院皇子。母土佐局(春日神主大中臣時広女)。称清宮。二品。梶井。
元和3年3月24日(1617年4月29日)生。元禄12年12月12日(1700年1月31日)〔系図纂要作2日〕薨。号常修院宮。
〔第176代・第180代還補〕
日本史総覧によれば、良恕。
173.
尊純
寛永21年11月5日(1644年12月4日)任。
応胤法親王息。後陽成天皇猶子。邦輔親王養子。母福正院〔系図纂要〕。尊朝法親王資〔系図綜覧〕。
二品。法印。大僧正。青蓮院。
天正19年10月26日(1591年12月11日)生〔系図纂要〕。承応2年5月26日(1653年6月21日)薨。号円智院。
〔第177代還補〕 173代は日本史総覧によれば、堯然。
174.
堯然
正保2年12月24日(1646年2月9日)還補。
〔第171代参照。第178代還補〕
日本史総覧によれば、慈胤。
175.
良尚
正保3年3月22日(1646年5月7日)任。
智仁親王(八条宮・常磐井宮・京極宮・桂宮)息。母京極高知女。正親町天皇曾孫。後水尾帝猶子。称二宮。俗名勝行。護持僧。
元和8年12月16日(1623年1月16日)生。元禄6年7月5日(1693年8月6日)薨。号天松院。
日本史総覧によれば、尊純。
176.
慈胤
慶安3年5月29日(1650年6月27日)還補。
〔第172代参照。第180代還補〕
日本史総覧によれば、堯然。
177.
尊純
承応2年正月20日(1653年2月17日)還補。
〔第173代参照〕
日本史総覧によれば、良尚。
178.
堯然
承応2年6月14日(1653年7月8日)還補。
〔第171代参照。第174代還補〕
日本史総覧によれば、慈胤。
179.
尊敬
明暦元年10月8日(1655年11月5日)任。
後改守澄。後水尾院皇子。母園基任女光子(京極局。壬生院)。称今宮。俗名幸教。一品。牛車。
滋賀院初祖。一身阿闍梨。護持僧。寛永11年閏7月11日(1634年9月3日)生。延宝8年5月16日(1680年6月12日)薨。
号本照院宮。
日本史総覧によれば、尊純。
180.
慈胤
明暦元年12月18日(1656年1月14日)還補。
〔第172代参照。第176代還補〕
日本史総覧によれば、堯然。
181.
堯恕
後水尾院皇子。母園基音女国子(新広義門院)。称照宮。俗名寛敏。二品。妙法院。
寛永17年10月16日(1640年11月29日)生。元禄8年4月16日(1695年5月28日)薨。号師〔系図纂要作獅〕子吼院宮。
〔第184代・第187代還補〕
181代は日本史総覧によれば、尊敬。
182.
尊証
万治9年9月13日任〔※本朝皇胤紹運録によるが万治は4年まで〕。
後水尾院皇子。母園基音女国子(新広義門院)。称玲瓏宮。俗名周賢。二品。青蓮院。
慶安4年2月10日(1651年3月31日)生。元禄7年10月15日(1694年12月1日)薨。号後桂蓮院宮。
〔第185代還補〕
182代は日本史総覧によれば、慈胤。
183.
盛胤
寛文13年4月10日(1673年5月26日)任。
後水尾院皇子。母権中納言局(継子。四辻季継女)。称英宮。俗名常尹。二品。梶井。
慶安4年8月22日(1651年10月6日)生。延宝8年6月26日(1680年7月21日)薨。号正法院宮。
〔第186代還補〕
183代は日本史総覧によれば、堯恕。
184.
堯恕
延宝4年2月4日(1676年3月18日)還補。
〔第181代参照。第187代還補〕
日本史総覧によれば、尊証。
185.
尊証
延宝4年8月10日(1676年9月17日)還補〔系図纂要〕。
〔第182代参照〕
※系図纂要によれば、この他に元禄7年6月15日(1694年8月5日)重補座主とある。
日本史総覧によれば、盛胤。
186.
盛胤
延宝5年5月7日(1677年6月7日)還補。
〔第183代参照〕
日本史総覧によれば、堯恕
187.
堯恕
延宝7年11月2日(1679年12月4日)還補。
〔第181代参照。第184代還補〕
日本史総覧によれば、尊証。
188.
公弁
元禄6年6月9日(1693年7月11日)任。
後西院皇子。母六条局(定子。梅小路定矩女。実仏光寺僧堯庸女)。称貴宮。俗名秀憲。一品。
牛車。准三宮。毘沙門堂。輪王寺。一身阿闍梨。護持僧。
寛文9年8月21日(1669年9月16日)生。正徳6年4月17日(1716年6月6日)薨。
〔第190代還補〕
日本史総覧によれば、盛胤。
189.
堯延
元禄4年11月5日(1691年12月24日)任〔本朝皇胤紹運録による。系図纂要作元禄6年10月18日(1693年11月15日)〕。
霊元院皇子。母五条為庸女庸子(菅中納言局)。称六宮。俗名周慶。一品。妙法院。
延宝4(1676)年12月29〔系図纂要係28〕日生。享保3年11月28日(1719年1月18日)薨。号実心繫院宮。
〔第191代・第193代還補〕
189代は日本史総覧によれば、堯恕。
190.
公弁
宝永4年6月3日(1707年7月2日)還補。
〔第188代参照〕
191.
堯延
宝永4年11月19日(1707年12月12日)還補〔系図纂要〕。
〔第189代参照。第193代還補〕
192.
良応
宝永5年6月21日(1708年8月7日)任。
後西院皇子。母六条局(定子。梅小路定矩女。実仏光寺僧堯庸女)。称勝宮。俗名勝明。曼殊院。二品。一身阿闍梨。護持僧。
延宝6年6月8日(1678年7月26日)生。宝永5年6月22日(1708年8月8日)薨。号円妙院宮。
192代は日本史総覧によれば、公弁。
193.
堯延
宝永5年6月23日(1708年8月9日)還補〔系図纂要〕。
〔第189代参照。第191代還補〕
194.
道仁
宝永6(1709)年3月22〔系図纂要係26〕日任。
伏見宮貞致親王息。母家女。霊元天皇養子。房宮、改富宮。俗名盛永。一品。梶井。
元禄2年7月29日(1689年9月12日)生。享保18年5月19日(1733年6月30日)薨。号悉知〔系図纂要作智〕心院。
〔第197代・第200代還補〕
194代は日本史総覧によれば、良応。
195.
尊祐
正徳4年10月8日(1714年11月14日)任。伏見宮邦永親王息。母家女。霊元天皇養子。寛宮。慶康。青蓮院。
号蓮華寿院。
〔第198代・第201代・第204代還補〕
日本史総覧によれば、堯延。
196.
公寛
享保3年6月13日(1718年7月10日)任。
東山院皇子。母水無瀬兼豊女経子(春日局。実冷泉為経女)。称三宮。俗名有定。法名覚尊改公寛。
一品。准三后。牛車。円満院。輪王寺。滋賀院。
元禄10年2月21日(1697年3月13日)生。元文3年3月15日(1738年5月3日)薨。号崇保院宮。
〔第199代還補〕
日本史総覧によれば、道仁。
197.
道仁
享保3年10月26日(1718年11月18日)還補。
〔第194代参照。第200代還補〕
日本史総覧によれば、尊祐。
198.
尊祐
享保7年12月19日(1723年1月25日)還補。
〔第195代参照。第201代・第204代還補〕
日本史総覧によれば、公寛。
199.
公寛
還補。
〔第196代参照〕
日本史総覧によれば、道仁。
200.
道仁
享保10年6月19日(1725年7月28日)還補。
〔第194代参照。第197代還補〕
日本史総覧によれば、尊祐。
201.
尊祐
享保18年6月13日(1733年7月23日)還補。
〔第195代参照。第198代・第204代還補〕
日本史総覧によれば、公寛。
202.
堯恭
元文元年7月24日(1736年8月30日)任。霊元院皇子。母右衛門佐局(松室重敦女敦子)。乙宮、後幾宮。俗名久嘉。一品。牛車。
妙法院。享保2年4月3日(1717年5月13日)生。明和元年閏12月4日(1765年1月24日)薨。号摩地院宮。
〔第205代・第207代・第209代還補〕
202代は日本史総覧によれば、道仁。
203.
公遵
延享2年5月26日(1745年6月25日)任〔本朝皇胤紹運録〕。中御門院皇子。母清水谷実業女石子。二宮。
俗名良保。号隨自意院。一品。准后。牛車。
毘沙門堂。輪王寺。公寛法親王資。護持僧。
享保7年正月3日(1722年2月18日)生。天明8年3月25日(1788年4月30日)薨。号隨宜楽院。
〔第206代還補〕
203代は日本史総覧によれば、尊祐。
204.
尊祐
延享2年9月24日(1745年10月19日)還補。
〔第195代参照。第198代・第201代還補〕
日本史総覧によれば、堯恭。
205.
堯恭
延享4年10月23日(1747年11月25日)還補。
〔第202代参照。第207代・第209代還補〕
日本史総覧によれば、公遵。
206.
公遵
寛延2年4月4日(1749年5月19日)還補〔系図纂要〕。
〔第203代参照〕
206代は日本史総覧によれば、尊祐。
207.
堯恭
寛延2年8月10日(1749年9月21日)還補。
〔第202代参照。第205代・第209代還補〕
208.
公啓
宝暦12年5月18日(1762年7月9日)任。閑院宮直仁親王息。母家女左衛門佐。中御門天皇養子。俊宮。寛義。良啓。一品。牛車。
曼殊院。毘沙門堂。輪王寺。
享保18年3月18日(1733年5月1日)生。明和9年7月16日(1772年8月14日)薨。号最上乗院。
日本史総覧によれば、公遵。
209.
堯恭
宝暦12年11月15日(1762年12月29日)還補。
〔第202代参照。第205代・第207代還補〕
日本史総覧によれば、堯然。
210.
尊真
明和元年閏12月16日(1765年2月5日)任〔本朝皇胤紹運録〕。
伏見宮貞建親王息。母家女房通泉院岡本氏。桜町天皇養子。喜久宮。成輔。一品。准后。牛車。
一乗院。青蓮院。一身阿闍梨。
寛保4年正月20日(1744年3月4日)生〔水谷川家譜によれば寛保3年生〕。
〔第212代・第215代・第217代還補〕 210代は、日本史総覧によれば、公啓。
211.
常仁
明和9年4月22日(1772年5月24日)任。有栖川宮職仁親王息。桃園天皇養子。百宮。成美。一品。
梶井。一身阿闍梨。
宝暦元年12月22日(1752年2月6日)生。明和9年4月23日(1772年5月25日)薨。号無上心院。
日本史総覧によれば、堯恭。
212.
尊真
明和9年4月28日(1772年5月30日)還補。
〔第210代参照。第215代・第217代還補〕
213.
公延
天明6年5月8日(1786年6月4日)任。閑院宮典仁親王息。母家女小左近。桃園天皇養子。良宮。保業。
一品。牛車。大覚寺。輪王寺。毘沙門堂。一身阿闍梨。
宝暦12年10月4日(1762年11月19日)生。享和3年5月27日(1803年7月15日)薨。号安楽心院。
213代は、日本史総覧によれば、常仁。
214.
真仁
天明6年8月20日(1786年9月12日)任。閑院宮典仁親王息。母家女おさ。桃園天皇養子。時宮。周翰。一品。牛車。
妙法院。一身阿闍梨。護持僧。
明和5年6月7日(1768年7月20日)生。文化2年8月8日(1805年8月31日)薨。号那羅延院。
日本史総覧によれば、尊真。
215.
尊真
寛政7年11月27日(1796年1月6日)還補。
〔第210代参照。第212代・第217代還補〕
日本史総覧によれば、公延。
216.
公澄
寛政7年5月10日(1795年6月26日)任。伏見宮邦頼親王息。後桃園天皇養子。佳宮。弘道。一品。牛車。
円満院。輪王寺。毘沙門堂。一身阿闍梨。安永5年10月30日(1776年12月10日)生。文政11年8月7日(1828年9月15日)薨。
号歓喜心院。
日本史総覧によれば、真仁。
217.
尊真
寛政11年8月17日(1799年9月16日)還補。〔第210代参照。第212代・第215代還補〕
218.
承真
有栖川宮織仁親王息。母家女房清香院。光格天皇養子。邦宮改永宮。一品。牛車。梶井。
天明7年12月29日(1788年2月5日)生。天保12年正月14日(1841年2月5日)薨。号如実知王院。
〔第220.代・第222代・第224代還補〕
218代は、日本史総覧によれば、公澄。
219.
公猷
改舜仁。文化10年5月7日(1813年6月5日)任。
有栖川宮織仁親王息。母家女常信院。光格天皇養子。亀代宮。正道。一品。牛車。准后。
知恩院。一乗院。輪王寺。一身阿闍梨。
寛政元年2月1日(1789年2月25日)生。天保14年9月26日(1843年10月19日)薨〔系図纂要〕。
〔第221代・第226代還補〕
日本史総覧によれば、尊真。
220.
承真
文化10年8月26日(1813年9月20日)還補〔新撰座主伝。系図纂要27日〕。
〔第218代参照。第222代・第224代還補〕
221.
公猷
文政11〔1828〕年11月30日還補〔新撰座主伝。系図纂要作文政10年11月30日(1828年1月16日)〕。
〔第219代参照・第226代還補〕
222.
承真
文政12年正月16日(1829年2月19日)還補〔新撰座主伝・系図纂要〕。
〔第218代参照。第220.代・第224代還補〕
223.
尊宝
文政12年12月16日(1830年1月10日)任。
伏見宮貞敬親王息。光格天皇養子。称聡宮。俗名有道。二品。青蓮院。護持僧。文化元年6月19日(1804年7月25日)生。天保3年9月16日(1832年10月9日)薨。号後蓮華寿院。
新撰座主伝ここまで。 日本史総覧によれば、公猷。
224.
承真
天保3年10月21日(1832年11月13日)還補〔系図纂要〕。
〔第218代参照。第220.代・第222代還補〕
225.
教仁
閑院宮孝仁親王息。光格天皇養子。健宮。弘保。一品。牛車。妙法院。文政2年4月27日(1819年5月20日)生〔華族家系大成によれば閏4月〕。嘉永4年6月9日(1851年7月7日)薨。
号宝荘厳院。※全項系図纂要による。225代は、日本史総覧によれば、尊宝。
〔第227代還補〕
226.
舜仁
元公猷。文政13年9月29日(1830年11月14日)還補〔系図纂要〕。〔第219代参照〕
日本史総覧によれば、承真。
227.
教仁
天保13年12月3日(1843年1月3日)還補〔系図纂要〕。〔第225代参照〕
228.
尊融
久邇宮朝彦親王。豊宮。中川宮。賀陽宮。伏見宮邦家親王第四王子。母鳥居小路信子。
仁孝天皇養子〔系図綜覧〕。二品。
青蓮院。
文政7年正月28日(1824年2月27日)生〔系図綜覧〕。明治24(1891)年10月29日薨〔華族家系大成によれば実25日とある〕。日本史総覧によれば、舜仁。
229.
昌仁
守脩親王。覚諄。伏見宮貞敬親王息。光格天皇養子。万代宮。梨本宮。
円満院。梶井。上野太守。
日本史総覧によれば、教仁。
230.
慈性
日本史総覧によれば、尊融。
231.
昌仁
232.
豪海
以下、日本史総覧による。
233.
光映
234.
覚宝
235.
実源
236.
寂順
237.
孝暢
238.
玄航
239.
皎然
240.
孝成
241.
玄深
242.
源応
〔第245代還補〕
243.
観澄
244.
智光
245.
源応
還補。〔第242代参照〕
246.
勝契
247.
孝永
※最終更新日 2016.07.02
※以下の鎌倉三十三観音の表は、10年以上も前に製作されたもので、
拝観料等の情報は、当時のままですので、ご注意ください!(2015.4.10)
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|